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2015年04月11日 (土) | 編集 |
連帯よ、永遠に。
サッチャー政権下のイギリスで、政府と対立するウェールズの炭鉱労働者のストを、同性愛者のコミュニティが支援した実話ベースの作品。
強固な鎖も、バラバラでは無意味。
信念を持った一人ひとりが、寛容と共感によって絆を結ぶ時、やがてそれは社会を動かす大きな力となってゆく。
題材はへヴィーだが、英国映画らしいシニカルなユーモアを隠し味に、軽妙な語り口で紡がれる物語に説教くささはゼロ。
若い同性愛者にジョージ・マッケイ、ベン・シュネッツアー、アンドリュー・スコットら、炭鉱労働者側に、ビル・ナイ、イメルダ・スタウントン、パディ・コンシダインら英国を代表する各世代の演技派名優が顔をそろえる。
※ラストに触れています。
1984年の夏、サッチャー政権の炭鉱閉鎖方針に反対する、炭鉱労働者たちのストライキは、既に四ヶ月目を迎えていた。
同性愛者の活動家マーク・アッシュトン(ベン・シュネッツアー)は、政権側の締め付けにより、困窮する組合員の姿をニュースで見て、自分たちのコミュニティが、同じマイノリティとして支援する事を思いつく。
マークと彼に賛同する仲間たちは、Lesbians and Gays Support the Miners(レズビアンとゲイが炭鉱労働者を支援する。略称:LGSM)を組織し、募金活動を始める。
しかし全国炭鉱労働組合は、彼らが必死に集めたお金の受け取りを拒否。
保守的な炭鉱の社会にとって、同性愛者の若者など理解不能の異端者だったのだ。
それでも、諦めないマークたちは、あちこちの炭鉱組合に直接電話をかける作戦に切り替え、遂にウェールズのディライス炭鉱の代表者、ダイ(パディ・コンシダイン)がロンドンにやって来る。
戸惑いながらも、初めて触れ合う同性愛者の若者たちと心を通じ合ったダイは、寄付金の受け取りに同意。
LGSMの活動もやがて機動に乗り、寄付金も急増。
そんな時、ディライスの組合委員長ヘフィーナは(イメルダ・スタウントン)は、保守派の反対を押し切って、LGSMのメンバーをディライスで開かれる支援者への感謝集いに招待すると決定するが・・・
映画が始まるとすぐ、「Solidarity Forever」が流れるのだが、これは意外だった。
この歌が本作の舞台であるイギリスではなく、二十世紀のアメリカを代表する有名な労働歌だからだ。
ちょっと調べてみると、元々これは米国の著名な労働活動家にして作家・芸術家というマルチ才人、ラルフ・チャップリンが1915年に作詞したものなのだが、彼が属していた世界産業労働組合が当時非常に大きな影響力を持っていたこともあり、同じ英語圏の英国でも広く知られる様になったらしい。
だが「Solidarity Forever」を、あえて冒頭に持ってきているのは、本作のテーマを端的に示唆していると思う。
なぜなら、この歌のメロディはオリジナルではなく、南北戦争時の北軍行進歌、「John Brown's Body」を引用しているのである。
ジョン・ブラウンとは、白人の過激な奴隷解放活動家で、最初に武装闘争を展開して処刑されたことで、米国では広く知られた人物。
つまり、「Solidarity Forever」は労働歌であると同時に、長いマイノリティの解放闘争の歴史を内包した歌であり、本作の作り手がその闘いの延長線上に、炭鉱ストと同性愛者の運動を位置付けているのは明らかだ。
ちなみに、このメロディ自体の歴史は更に古く、元祖は賛美歌の「Say Brothers Will You Meet Us」 だといわれており、「John Brown's Body」以外にも、別の北軍歌「The Battle Hymn of the Republic 」にも引用されるなど、アメリカの民謡音楽の中でも最もポピュラーなものだ。
1984年の炭鉱ストの背景を見ると、失業率の上昇と出口の見えない景気低迷で人気急落、退陣確実といわれたサッチャー政権が、1982年に起こったフォークランド紛争の勝利によって息を吹き返し、長期政権化。
鉄の女の急進的な経済改革の目玉となったのが、不採算炭鉱の統廃合で、当時英国内に174もあった炭鉱のうち20鉱の閉鎖を決定する。
当然ながら、職を失うこととなる炭鉱労働者は反発し、閉鎖の撤回を求めて大規模なストライキを開始。
しかし組合も一枚岩ではなく、長期化するストに国民世論も同調せず、政権側の切り崩しによって、資金難となった炭鉱組合は孤立してゆく。
この絶対不利の状況で、加勢を買って出たのがLGSMという訳だ。
まあ実際にはもっといろいろあったのだろうけど、映画では同性愛者が炭鉱ストを支援する理由は、彼らが体制側に抑圧される“同じマイノリティ”という一点である。
産業革命以来の労働運動の歴史を持ち、長年にわたって大きな力を持っていた炭鉱組合員と違って、常に絶対的少数派であった同性愛者は、社会と言う大きな沼の中に、沢山の切れた鎖が沈んでいる事をよく知っている。
それらはお互いに繋がる事が出来れば、強靭な力を発揮するが、そもそも繋がる前に見つかれば摘まれてしまうので、浮上することがそのままリスク。
仮に勇気を持って水面に出る事が出来たとしても、なかなか上手く繋がる相手は見つからない。
本作の、同性愛者と炭鉱労働者という、二つのコミュニテイの連帯も、もちろん順風満帆ではないけれど、それでも無知による偏見は、実際に個々の人間同士が触れ合う事によって、徐々に取り除かれてゆく。
全く接点のない者が出会い、お互いを知る事によって絆が生まれ、未来を切り開いてゆくプロセスは希望を感じさせる。
最高なのが偏見も世間の風もものともせず、一気呵成に突き進む超かしましいウェールズのおばちゃんたちの、ナニワのおばちゃんも真っ青の突破力。
いや〜パワフル、パワフル(笑
しかし非常に上手いのが、こういう女たちは新しい事に柔軟で、男たちは石頭で心を開けないというパターンを踏襲しつつ、一番寛容なキャラと不寛容なキャラをどちらも女性にしている事。
カリカチュアされたステロタイプを物語として生かし、一方でそれを否定する構造を組み込むという、娯楽映画としてのバランス感覚が実に巧みなのである。
また本作は、性的マイノリティという事情を抱えた若者たちが、それぞれの葛藤と向き合う青春群像劇でもあるが、既に生き方の覚悟を決めた人たちだけを描いても、感情移入を誘うのは難しい。
そこで脚本のステファン・べレズフォードは、運動を主導するマーク・アッシュトンら実在の人物以外に、ジョージ・マッケイ演じるジョーという架空のキャラクターを作っている。
実質的な語り部であり主人公でもあるこの人物は、両親には自分の性的嗜好を隠している隠れゲイ。
同性愛者の権利を訴えるパレード、“プライド”におそるおそる参加した事で、マークたちと知り合い、家族には調理師学校に行っているとウソを言って、LGSMの活動にのめり込んでゆく。
隠れゲイとして一生を過ごすか、カミングアウトして正直に生きるか、まだ生き方に迷っているジョーは、ストレートの観客、あるいは今現実に隠れゲイである観客にとって、物語への入り口の役割を果たす存在であり、彼の葛藤と成長が劇映画としての構造を格段に分りやすくしている。
もっとも、寓話的な明快さを優先させた結果、物足りない点もある。
例えば、実際には炭鉱労働者のストは映画で描かれたような牧歌的なものだけではなく、組合内部の仲間割れから炭鉱労働者同士の凄惨な内ゲバが繰り返され、死者すら出ている。
映画はあえてその辺りの暗部は描かず、良い人たちだけの美談に単純化したことで、やはり物語としての深みに欠ける印象は否めない。
だがそれでも、本作は小さな力が連帯する事で、少しずつでも社会を変革する力となることを端的に見せてくれる。
結果的にストが敗れた後の1985年の“プライド”で、同性愛者に連帯を表明したディライス炭鉱の労働者たちが、100年以上前から伝わるという、二つの手が握手する意匠の組合旗を掲げるラストシーンは感動的だ。
炭鉱の閉鎖を撤回させる事は出来なかったが、その代わりに同性愛者の権利は一歩前進。
1984年は、先日公開された「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」で描かれたように、英国が同性愛者の天才科学者、アラン・チューリングを不条理な死に追いやってから33年後、2015年の現在から見れば31年前のほぼ真ん中の時代の話と思うと感慨深い。
そして、本作がもっとも秀逸な点は、“マイノリティ”が決して恒久的な概念でないという事実も、明確に突きつけている点だ。
本来、炭鉱労働者の組合は、英国の産業界のみならず政界にも絶大な影響力を持つ権力だった。
ところが不況と産業構造の変化による斜陽化、そして時の政府の方針と乖離した、見方によっては独善ともいえる運動方針をとったために、ある日突然社会のマイノリティと化してしまったのである。
我々はしばしば、マイノリティを人種や同性愛などの、もって生まれた出自で定義される概念と思い込んでいるが、そうではない。
例えば政治的な思想や、生き方の違いによってさえ、誰でも何時でも抑圧されるマイノリティと化するのである。
奇しくも、渋谷区で初の同性パートナーシップ条例が成立した今、本作は日本において非常にタイムリーな作品と言えるだろう。
自分がこの国における絶対的なマジョリティだと信じ、条例に反対する人にこそ観て欲しい。
個人が立つ世界は、それほど強固ではないと思う。
今回は、ウェールズのクラフトビール、ケルト・エクスペリエンスの「オガム・ウィロウ」をチョイス。
オガムとは、4世紀から10世紀頃にかけて、アイルランドやウェールズで使われていた、古アイルランド語のアルファベットの事。
若干ピンクが買った茶褐色が美しく、苦味を抑えたフルーティで深いコクが印象的なプレミアムIP。
お肉と甘めのソースとの相性が抜群。
この辺りには美味しいクラフトビールが沢山あるのだけど、日本に輸入されているものが少ないのが残念。
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サッチャー政権下のイギリスで、政府と対立するウェールズの炭鉱労働者のストを、同性愛者のコミュニティが支援した実話ベースの作品。
強固な鎖も、バラバラでは無意味。
信念を持った一人ひとりが、寛容と共感によって絆を結ぶ時、やがてそれは社会を動かす大きな力となってゆく。
題材はへヴィーだが、英国映画らしいシニカルなユーモアを隠し味に、軽妙な語り口で紡がれる物語に説教くささはゼロ。
若い同性愛者にジョージ・マッケイ、ベン・シュネッツアー、アンドリュー・スコットら、炭鉱労働者側に、ビル・ナイ、イメルダ・スタウントン、パディ・コンシダインら英国を代表する各世代の演技派名優が顔をそろえる。
※ラストに触れています。
1984年の夏、サッチャー政権の炭鉱閉鎖方針に反対する、炭鉱労働者たちのストライキは、既に四ヶ月目を迎えていた。
同性愛者の活動家マーク・アッシュトン(ベン・シュネッツアー)は、政権側の締め付けにより、困窮する組合員の姿をニュースで見て、自分たちのコミュニティが、同じマイノリティとして支援する事を思いつく。
マークと彼に賛同する仲間たちは、Lesbians and Gays Support the Miners(レズビアンとゲイが炭鉱労働者を支援する。略称:LGSM)を組織し、募金活動を始める。
しかし全国炭鉱労働組合は、彼らが必死に集めたお金の受け取りを拒否。
保守的な炭鉱の社会にとって、同性愛者の若者など理解不能の異端者だったのだ。
それでも、諦めないマークたちは、あちこちの炭鉱組合に直接電話をかける作戦に切り替え、遂にウェールズのディライス炭鉱の代表者、ダイ(パディ・コンシダイン)がロンドンにやって来る。
戸惑いながらも、初めて触れ合う同性愛者の若者たちと心を通じ合ったダイは、寄付金の受け取りに同意。
LGSMの活動もやがて機動に乗り、寄付金も急増。
そんな時、ディライスの組合委員長ヘフィーナは(イメルダ・スタウントン)は、保守派の反対を押し切って、LGSMのメンバーをディライスで開かれる支援者への感謝集いに招待すると決定するが・・・
映画が始まるとすぐ、「Solidarity Forever」が流れるのだが、これは意外だった。
この歌が本作の舞台であるイギリスではなく、二十世紀のアメリカを代表する有名な労働歌だからだ。
ちょっと調べてみると、元々これは米国の著名な労働活動家にして作家・芸術家というマルチ才人、ラルフ・チャップリンが1915年に作詞したものなのだが、彼が属していた世界産業労働組合が当時非常に大きな影響力を持っていたこともあり、同じ英語圏の英国でも広く知られる様になったらしい。
だが「Solidarity Forever」を、あえて冒頭に持ってきているのは、本作のテーマを端的に示唆していると思う。
なぜなら、この歌のメロディはオリジナルではなく、南北戦争時の北軍行進歌、「John Brown's Body」を引用しているのである。
ジョン・ブラウンとは、白人の過激な奴隷解放活動家で、最初に武装闘争を展開して処刑されたことで、米国では広く知られた人物。
つまり、「Solidarity Forever」は労働歌であると同時に、長いマイノリティの解放闘争の歴史を内包した歌であり、本作の作り手がその闘いの延長線上に、炭鉱ストと同性愛者の運動を位置付けているのは明らかだ。
ちなみに、このメロディ自体の歴史は更に古く、元祖は賛美歌の「Say Brothers Will You Meet Us」 だといわれており、「John Brown's Body」以外にも、別の北軍歌「The Battle Hymn of the Republic 」にも引用されるなど、アメリカの民謡音楽の中でも最もポピュラーなものだ。
1984年の炭鉱ストの背景を見ると、失業率の上昇と出口の見えない景気低迷で人気急落、退陣確実といわれたサッチャー政権が、1982年に起こったフォークランド紛争の勝利によって息を吹き返し、長期政権化。
鉄の女の急進的な経済改革の目玉となったのが、不採算炭鉱の統廃合で、当時英国内に174もあった炭鉱のうち20鉱の閉鎖を決定する。
当然ながら、職を失うこととなる炭鉱労働者は反発し、閉鎖の撤回を求めて大規模なストライキを開始。
しかし組合も一枚岩ではなく、長期化するストに国民世論も同調せず、政権側の切り崩しによって、資金難となった炭鉱組合は孤立してゆく。
この絶対不利の状況で、加勢を買って出たのがLGSMという訳だ。
まあ実際にはもっといろいろあったのだろうけど、映画では同性愛者が炭鉱ストを支援する理由は、彼らが体制側に抑圧される“同じマイノリティ”という一点である。
産業革命以来の労働運動の歴史を持ち、長年にわたって大きな力を持っていた炭鉱組合員と違って、常に絶対的少数派であった同性愛者は、社会と言う大きな沼の中に、沢山の切れた鎖が沈んでいる事をよく知っている。
それらはお互いに繋がる事が出来れば、強靭な力を発揮するが、そもそも繋がる前に見つかれば摘まれてしまうので、浮上することがそのままリスク。
仮に勇気を持って水面に出る事が出来たとしても、なかなか上手く繋がる相手は見つからない。
本作の、同性愛者と炭鉱労働者という、二つのコミュニテイの連帯も、もちろん順風満帆ではないけれど、それでも無知による偏見は、実際に個々の人間同士が触れ合う事によって、徐々に取り除かれてゆく。
全く接点のない者が出会い、お互いを知る事によって絆が生まれ、未来を切り開いてゆくプロセスは希望を感じさせる。
最高なのが偏見も世間の風もものともせず、一気呵成に突き進む超かしましいウェールズのおばちゃんたちの、ナニワのおばちゃんも真っ青の突破力。
いや〜パワフル、パワフル(笑
しかし非常に上手いのが、こういう女たちは新しい事に柔軟で、男たちは石頭で心を開けないというパターンを踏襲しつつ、一番寛容なキャラと不寛容なキャラをどちらも女性にしている事。
カリカチュアされたステロタイプを物語として生かし、一方でそれを否定する構造を組み込むという、娯楽映画としてのバランス感覚が実に巧みなのである。
また本作は、性的マイノリティという事情を抱えた若者たちが、それぞれの葛藤と向き合う青春群像劇でもあるが、既に生き方の覚悟を決めた人たちだけを描いても、感情移入を誘うのは難しい。
そこで脚本のステファン・べレズフォードは、運動を主導するマーク・アッシュトンら実在の人物以外に、ジョージ・マッケイ演じるジョーという架空のキャラクターを作っている。
実質的な語り部であり主人公でもあるこの人物は、両親には自分の性的嗜好を隠している隠れゲイ。
同性愛者の権利を訴えるパレード、“プライド”におそるおそる参加した事で、マークたちと知り合い、家族には調理師学校に行っているとウソを言って、LGSMの活動にのめり込んでゆく。
隠れゲイとして一生を過ごすか、カミングアウトして正直に生きるか、まだ生き方に迷っているジョーは、ストレートの観客、あるいは今現実に隠れゲイである観客にとって、物語への入り口の役割を果たす存在であり、彼の葛藤と成長が劇映画としての構造を格段に分りやすくしている。
もっとも、寓話的な明快さを優先させた結果、物足りない点もある。
例えば、実際には炭鉱労働者のストは映画で描かれたような牧歌的なものだけではなく、組合内部の仲間割れから炭鉱労働者同士の凄惨な内ゲバが繰り返され、死者すら出ている。
映画はあえてその辺りの暗部は描かず、良い人たちだけの美談に単純化したことで、やはり物語としての深みに欠ける印象は否めない。
だがそれでも、本作は小さな力が連帯する事で、少しずつでも社会を変革する力となることを端的に見せてくれる。
結果的にストが敗れた後の1985年の“プライド”で、同性愛者に連帯を表明したディライス炭鉱の労働者たちが、100年以上前から伝わるという、二つの手が握手する意匠の組合旗を掲げるラストシーンは感動的だ。
炭鉱の閉鎖を撤回させる事は出来なかったが、その代わりに同性愛者の権利は一歩前進。
1984年は、先日公開された「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」で描かれたように、英国が同性愛者の天才科学者、アラン・チューリングを不条理な死に追いやってから33年後、2015年の現在から見れば31年前のほぼ真ん中の時代の話と思うと感慨深い。
そして、本作がもっとも秀逸な点は、“マイノリティ”が決して恒久的な概念でないという事実も、明確に突きつけている点だ。
本来、炭鉱労働者の組合は、英国の産業界のみならず政界にも絶大な影響力を持つ権力だった。
ところが不況と産業構造の変化による斜陽化、そして時の政府の方針と乖離した、見方によっては独善ともいえる運動方針をとったために、ある日突然社会のマイノリティと化してしまったのである。
我々はしばしば、マイノリティを人種や同性愛などの、もって生まれた出自で定義される概念と思い込んでいるが、そうではない。
例えば政治的な思想や、生き方の違いによってさえ、誰でも何時でも抑圧されるマイノリティと化するのである。
奇しくも、渋谷区で初の同性パートナーシップ条例が成立した今、本作は日本において非常にタイムリーな作品と言えるだろう。
自分がこの国における絶対的なマジョリティだと信じ、条例に反対する人にこそ観て欲しい。
個人が立つ世界は、それほど強固ではないと思う。
今回は、ウェールズのクラフトビール、ケルト・エクスペリエンスの「オガム・ウィロウ」をチョイス。
オガムとは、4世紀から10世紀頃にかけて、アイルランドやウェールズで使われていた、古アイルランド語のアルファベットの事。
若干ピンクが買った茶褐色が美しく、苦味を抑えたフルーティで深いコクが印象的なプレミアムIP。
お肉と甘めのソースとの相性が抜群。
この辺りには美味しいクラフトビールが沢山あるのだけど、日本に輸入されているものが少ないのが残念。

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