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2015年05月02日 (土) | 編集 |
シンデレラも、ありのままで!
古くからヨーロッパ各地に伝わる灰かぶり姫の民話をもとにした、シャルル・ペローの童話「シンデレラ」を、ウォルト・ディズニーが美しいアニメーションとして映画化してから、今年で65年。
ウォルト自身が「もっとも好きな作品」と語る、ディズニープリンセスの代名詞ともいうべき大古典の実写化を担ったのは、コスチューム・プレイならお任せ!のミスター・シェイクスピアこと、ケネス・ブラナー監督だ。
実写ならではの壮麗な世界観と、基本設定はアニメーション版に忠実ながらも、巧みにモダナイズされたキャラクターたちの愛と勇気と優しさの物語は実に魅力的。
これは良い意味で王道を守りながら、全く古臭さを感じさせない素晴らしくゴージャスな“御伽噺”であり、プリンセスに憧れる女の子はもちろん、老若男女誰もが感涙するであろう、新たなる名作の誕生である。
昔々、ある王国で・・・・
貿易商だった父が旅先で亡くなり、聡明な少女エラ(リリー・ジェームズ)は継母のトレメイン夫人(ケイト・ブランシェット)と二人の義理の姉と暮らすことになる。
しかし、屋敷の主となったトレメイン夫人は態度を一変させ、エラは姉たちから“シンデレラ(灰かぶり)”と蔑まれ、召使同然の扱いを受ける。
「勇気と優しさこそが魔法になる」という亡き母の言葉を胸に、耐え忍ぶシンデレラだったが、ある日あまりにひどい仕打ちに屋敷を飛び出してしまう。
森へと馬を走らせた彼女は、城で見習いをしているというキット(リチャード・マッデン)という青年と出会い、惹かれあう。
実は彼こそが、結婚相手を探している王国のプリンスだったのだ。
シンデレラの事が忘れられないキットは、彼女と再会するために、国内のすべての未婚女性を招く大舞踏会を開こうとするのだが・・・・
昨年大ヒットした「アナと雪の女王」は、ディズニープリンセス作品としては色々な意味で異色作であった。
プリンセスのアナのお相手は、貧しい氷売りのクリストフで、プリンスは当て馬どころか悪役に成り下がり、ダブルヒロインのエルサは恋愛すらしない。
なによりもディズニープリンセスもので何よりも重要な“真実の愛”が、この作品では男女間のものではなく、姉妹愛なのである。
この「アナ雪」に代表される、21世紀のディズニー作品は、自らの古典に対するアンチテーゼ的なベクトルが強く、特に嘗ては憧れの存在であったはずの、プリンスのブランドとしての凋落は激しい。
「塔の上のラプンツェル」で、ラプンツェルのお相手となるフリンの職業は泥棒だし、その前の「プリンセスと魔法のキス」のナヴィーン王子は、一応プリンスではあるものの魔法でカエルに変えられて、ヒロインのティアナに自分からキスをせがむ体たらく。
先日公開された実写ミュージカル作品「イントゥ・ザ・ウッズ」に登場するシンデレラに至っては、なんとプリンスの浮気に悩まされ、結婚を後悔するのだ。
自立し、地に足をつけた、新世代のディズニープリンセスにとって、幸せとは自ら掴み取るものであって、もはや見た目だけの白馬のプリンスなど無用の長物なのである。
ゆえに、継母と義理の姉たちから虐げられたシンデレラが、プリンスに見初められて究極の玉の輿にのるという、保守本流の物語をどう改変してくるのかと身構えていたら、なんと意外すぎるド直球。
しかも、プロットの流れとキャラクターの基本設定はオリジナルのアニメーション版とほとんど変わらないにもかかわらず、しっかりと21世紀のディズニープリンセスとして、違和感の無い現代的な作品になっているのだから凄い。
では65年前のオリジナルと、いったい何が違うのかというと、端的に言えば登場人物たちの抱えている葛藤と、感情の流れが繊細に描かれている事である。
ケイト・ブランシェットが実に楽しそうに演じている継母のトレメイン夫人は、オリジナルでは単に意地悪で邪悪な存在だったが、実写版ではより内面が描写されている。
彼女は、再婚した夫がシンデレラの中に亡き前妻の面影を見ているのが許せない。
しかも欲得ずくの生き方を是としてきた自分に対して、シンデレラに受け継がれている前妻の哲学は真逆。
清らかで誰からも愛される義理の娘に、自分が絶対に適わない事がわかっているから、彼女は女としてシンデレラへの嫉妬と羨望を抑えられないのだ。
内面重視はシンデレラやキットに関しても同様で、なぜ彼らが惹かれ合い、恋心を抱くのか、単に美女とイケメンだからでは21世紀に通用しないのは明らか。
舞踏会よりも前に、森でシンデレラとキットが出会うシークエンスは新たに付け加えられたものだが、身分を明かさないここでのやり取りがあるから、二人がお互いのありのままの人間性に惹かれあったのだという事がわかる。
国王とキットの、愛とは何ぞや的なやり取りも含め、オリジナルでは“型”に過ぎなかったプリンス側の人格を描くのに腐心しているのも特徴だ。
キットが大国のプリンセスとの政略結婚を迫られていて、そのために権力者の大公がトレメイン夫人と組んでシンデレラを隠そうとする、プチ宮廷陰謀劇が組み込まれているのも、別にケネス・ブラナーの好みだからという訳でなく、キットがシンデレラと同じく勇気と優しさの人である事を明確にし、打算に打ち勝つ真実の愛を強調するためだろう。
シンデレラ役の新星リリー・ジェームスは、正直「かわいいけど、ちょい芋くさくない?」と思っていたけど観て納得。
この役は、お人形さん的に綺麗なだけではダメで、どこかあか抜けない素朴な田舎娘に見える必要があるのだ。
それはボロを着た状態と、魔法にかけられた状態のギャップを見せるという事もあるのだけど、むしろキットが彼女の内面に恋をしたという事に説得力を与えている。
同じ様に、キット役のリチャード・マッデンも、確かに格好良いけど、20代にしては老け顏な印象だったのだが、彼もある程度包容力が必要な役なので実際には良い塩梅だ。
ステラン・スカスルガルドの曲者の大公や、デレク・ジャコビの温和で上品な王様ら、脇も含めさすがブラナー作品、ほぼ英国を中心としたヨーロパ人で固めたキャスティングは完璧と言って良いだろう。
充実したキャラクターの内面描写とは対照的に、オリジナルよりもずっと比重が少なくなったのが、シンデレラの“お友だち”である動物たちの描写だ。
ネズミたちとネコのルシファーの「トムとジェリー」的なアクションが殆どカットされただけでなく、擬人化の程度も弱められ、人間の言葉を話したりはしないし、シンデレラのためにドレスを作ったりもしない。
これは実写化あたって、リアリズムのハードルをどの程度にするかという判断もあろうが、ヘレナ・ボナム=カーター演じる、フェアリー・ゴッドマザーの魔法による変身のインパクトを高める効果も生んでいる。
カボチャが立派な馬車となり、小さな動物たちが白馬や従者へと変身し、遂にシンデレラ自身が魔法によってゴージャスなブルーのドレスをまとうシークエンスは、アニメーション表現をある程度踏襲しながらも、最新の映像技術によって煌びやかに演出され、美し過ぎて思わず泣きそうになった。
また、オリジナルを観た少なくない観客が抱いたであろう「なんで午前零時の鐘が鳴り終っても、ガラスの靴だけ元に戻らないの?」とか「舞踏会でトレメイン夫人は、なんで毎日見ているシンデレラの顔がすぐに分らないの?」といった野暮な疑問に対しても、なるほどと思える答えを用意しているのは芸がこまかい。
ちなみにオリジナルには、猫派としてはちょっと悲し過ぎる描写があるので、猫のルシファーの役割が減った事はむしろよかった。
本作に続いて実写化がアナウンスされた「美女と野獣」でベル役を演じるエマ・ワトソンは、自分と英王室のハリー王子との交際が取りざたされた時、噂を否定して「プリンスとの結婚が、プリセスになる条件じゃないのよ」とツイートした。
彼女は続いて、「ハリー・ポッターとアズガバンの囚人」で組んだアルフォンソ・キュアロン監督の「リトル・プリンセス」の名シーンを引用。
父が戦死した事で寄宿学校の屋根裏部屋に追い出され、使用人扱いされている主人公のセーラに、意地悪なミンチン校長が「いつまでプリンセス気分なの!」と嫌味を言うが、セーラはこう答えるのだ。
「私はプリンセス。女の子はみんなそうよ。たとえ狭くて古い屋根裏に住んでいても、ボロを着ていても。たとえかわいくなくても、賢くなくても、若くなかったとしても。私たちはみんな、いつだってプリンセスなの!」
プリンセスになるために必要なのは、本当の勇気と優しさだけ。
映画が終わって劇場の灯りが点いた時、彼氏と来ていた女子高生も、三十路のOLも、五十路のおばちゃんも、みな等しく10歳の女の子の様な笑顔になっていた。
これぞまさしくディズニーマジック、素晴らしき映画の魔法であり、「女の子はみんなプリンセスになれる」という言葉の本当の意味を実感できる傑作だ。
“生まれ変わったら女の子になりたい、ガラスの靴を履きたい。”
“スーパーのカボチャに、こっそり「ビビデバビデブー」と呪文を唱えたい。”
女の子だけでなく、おっさんにすらそんな乙女な妄想を抱かせる、ある意味危険な映画である(笑
本作には、短編「アナと雪の女王 エルサのサプライズ」が同時上映。
アナの誕生日に、サプライズパーティーを開こうとするエルサとクリストフだが、エルサが風邪をひいてしまった事から、思わぬ騒動が巻き起こる。
相変わらずエルサが優しくて、妹思いの素敵なお姉ちゃんなんだな。
既に制作に入っているという長編の続編では、彼女にこそ幸せになってもらいたいよ。
今回は、カクテルの「リトル・プリンセス」をチョイス。
ウィスキーベースのカクテル、マンハッタンのバリエーション。
ライト・ラム30mlとスウィート・ベルモット30mlをステアして、グラスに注ぐ。
甘口の味わいに、アンバーの色合いも美しく、名前の通りにロマッチックなカクテルだが、かなり強い。
リトル・プリンセスの仮面に隠れているのは、小悪魔かもしれない。
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古くからヨーロッパ各地に伝わる灰かぶり姫の民話をもとにした、シャルル・ペローの童話「シンデレラ」を、ウォルト・ディズニーが美しいアニメーションとして映画化してから、今年で65年。
ウォルト自身が「もっとも好きな作品」と語る、ディズニープリンセスの代名詞ともいうべき大古典の実写化を担ったのは、コスチューム・プレイならお任せ!のミスター・シェイクスピアこと、ケネス・ブラナー監督だ。
実写ならではの壮麗な世界観と、基本設定はアニメーション版に忠実ながらも、巧みにモダナイズされたキャラクターたちの愛と勇気と優しさの物語は実に魅力的。
これは良い意味で王道を守りながら、全く古臭さを感じさせない素晴らしくゴージャスな“御伽噺”であり、プリンセスに憧れる女の子はもちろん、老若男女誰もが感涙するであろう、新たなる名作の誕生である。
昔々、ある王国で・・・・
貿易商だった父が旅先で亡くなり、聡明な少女エラ(リリー・ジェームズ)は継母のトレメイン夫人(ケイト・ブランシェット)と二人の義理の姉と暮らすことになる。
しかし、屋敷の主となったトレメイン夫人は態度を一変させ、エラは姉たちから“シンデレラ(灰かぶり)”と蔑まれ、召使同然の扱いを受ける。
「勇気と優しさこそが魔法になる」という亡き母の言葉を胸に、耐え忍ぶシンデレラだったが、ある日あまりにひどい仕打ちに屋敷を飛び出してしまう。
森へと馬を走らせた彼女は、城で見習いをしているというキット(リチャード・マッデン)という青年と出会い、惹かれあう。
実は彼こそが、結婚相手を探している王国のプリンスだったのだ。
シンデレラの事が忘れられないキットは、彼女と再会するために、国内のすべての未婚女性を招く大舞踏会を開こうとするのだが・・・・
昨年大ヒットした「アナと雪の女王」は、ディズニープリンセス作品としては色々な意味で異色作であった。
プリンセスのアナのお相手は、貧しい氷売りのクリストフで、プリンスは当て馬どころか悪役に成り下がり、ダブルヒロインのエルサは恋愛すらしない。
なによりもディズニープリンセスもので何よりも重要な“真実の愛”が、この作品では男女間のものではなく、姉妹愛なのである。
この「アナ雪」に代表される、21世紀のディズニー作品は、自らの古典に対するアンチテーゼ的なベクトルが強く、特に嘗ては憧れの存在であったはずの、プリンスのブランドとしての凋落は激しい。
「塔の上のラプンツェル」で、ラプンツェルのお相手となるフリンの職業は泥棒だし、その前の「プリンセスと魔法のキス」のナヴィーン王子は、一応プリンスではあるものの魔法でカエルに変えられて、ヒロインのティアナに自分からキスをせがむ体たらく。
先日公開された実写ミュージカル作品「イントゥ・ザ・ウッズ」に登場するシンデレラに至っては、なんとプリンスの浮気に悩まされ、結婚を後悔するのだ。
自立し、地に足をつけた、新世代のディズニープリンセスにとって、幸せとは自ら掴み取るものであって、もはや見た目だけの白馬のプリンスなど無用の長物なのである。
ゆえに、継母と義理の姉たちから虐げられたシンデレラが、プリンスに見初められて究極の玉の輿にのるという、保守本流の物語をどう改変してくるのかと身構えていたら、なんと意外すぎるド直球。
しかも、プロットの流れとキャラクターの基本設定はオリジナルのアニメーション版とほとんど変わらないにもかかわらず、しっかりと21世紀のディズニープリンセスとして、違和感の無い現代的な作品になっているのだから凄い。
では65年前のオリジナルと、いったい何が違うのかというと、端的に言えば登場人物たちの抱えている葛藤と、感情の流れが繊細に描かれている事である。
ケイト・ブランシェットが実に楽しそうに演じている継母のトレメイン夫人は、オリジナルでは単に意地悪で邪悪な存在だったが、実写版ではより内面が描写されている。
彼女は、再婚した夫がシンデレラの中に亡き前妻の面影を見ているのが許せない。
しかも欲得ずくの生き方を是としてきた自分に対して、シンデレラに受け継がれている前妻の哲学は真逆。
清らかで誰からも愛される義理の娘に、自分が絶対に適わない事がわかっているから、彼女は女としてシンデレラへの嫉妬と羨望を抑えられないのだ。
内面重視はシンデレラやキットに関しても同様で、なぜ彼らが惹かれ合い、恋心を抱くのか、単に美女とイケメンだからでは21世紀に通用しないのは明らか。
舞踏会よりも前に、森でシンデレラとキットが出会うシークエンスは新たに付け加えられたものだが、身分を明かさないここでのやり取りがあるから、二人がお互いのありのままの人間性に惹かれあったのだという事がわかる。
国王とキットの、愛とは何ぞや的なやり取りも含め、オリジナルでは“型”に過ぎなかったプリンス側の人格を描くのに腐心しているのも特徴だ。
キットが大国のプリンセスとの政略結婚を迫られていて、そのために権力者の大公がトレメイン夫人と組んでシンデレラを隠そうとする、プチ宮廷陰謀劇が組み込まれているのも、別にケネス・ブラナーの好みだからという訳でなく、キットがシンデレラと同じく勇気と優しさの人である事を明確にし、打算に打ち勝つ真実の愛を強調するためだろう。
シンデレラ役の新星リリー・ジェームスは、正直「かわいいけど、ちょい芋くさくない?」と思っていたけど観て納得。
この役は、お人形さん的に綺麗なだけではダメで、どこかあか抜けない素朴な田舎娘に見える必要があるのだ。
それはボロを着た状態と、魔法にかけられた状態のギャップを見せるという事もあるのだけど、むしろキットが彼女の内面に恋をしたという事に説得力を与えている。
同じ様に、キット役のリチャード・マッデンも、確かに格好良いけど、20代にしては老け顏な印象だったのだが、彼もある程度包容力が必要な役なので実際には良い塩梅だ。
ステラン・スカスルガルドの曲者の大公や、デレク・ジャコビの温和で上品な王様ら、脇も含めさすがブラナー作品、ほぼ英国を中心としたヨーロパ人で固めたキャスティングは完璧と言って良いだろう。
充実したキャラクターの内面描写とは対照的に、オリジナルよりもずっと比重が少なくなったのが、シンデレラの“お友だち”である動物たちの描写だ。
ネズミたちとネコのルシファーの「トムとジェリー」的なアクションが殆どカットされただけでなく、擬人化の程度も弱められ、人間の言葉を話したりはしないし、シンデレラのためにドレスを作ったりもしない。
これは実写化あたって、リアリズムのハードルをどの程度にするかという判断もあろうが、ヘレナ・ボナム=カーター演じる、フェアリー・ゴッドマザーの魔法による変身のインパクトを高める効果も生んでいる。
カボチャが立派な馬車となり、小さな動物たちが白馬や従者へと変身し、遂にシンデレラ自身が魔法によってゴージャスなブルーのドレスをまとうシークエンスは、アニメーション表現をある程度踏襲しながらも、最新の映像技術によって煌びやかに演出され、美し過ぎて思わず泣きそうになった。
また、オリジナルを観た少なくない観客が抱いたであろう「なんで午前零時の鐘が鳴り終っても、ガラスの靴だけ元に戻らないの?」とか「舞踏会でトレメイン夫人は、なんで毎日見ているシンデレラの顔がすぐに分らないの?」といった野暮な疑問に対しても、なるほどと思える答えを用意しているのは芸がこまかい。
ちなみにオリジナルには、猫派としてはちょっと悲し過ぎる描写があるので、猫のルシファーの役割が減った事はむしろよかった。
本作に続いて実写化がアナウンスされた「美女と野獣」でベル役を演じるエマ・ワトソンは、自分と英王室のハリー王子との交際が取りざたされた時、噂を否定して「プリンスとの結婚が、プリセスになる条件じゃないのよ」とツイートした。
彼女は続いて、「ハリー・ポッターとアズガバンの囚人」で組んだアルフォンソ・キュアロン監督の「リトル・プリンセス」の名シーンを引用。
父が戦死した事で寄宿学校の屋根裏部屋に追い出され、使用人扱いされている主人公のセーラに、意地悪なミンチン校長が「いつまでプリンセス気分なの!」と嫌味を言うが、セーラはこう答えるのだ。
「私はプリンセス。女の子はみんなそうよ。たとえ狭くて古い屋根裏に住んでいても、ボロを着ていても。たとえかわいくなくても、賢くなくても、若くなかったとしても。私たちはみんな、いつだってプリンセスなの!」
プリンセスになるために必要なのは、本当の勇気と優しさだけ。
映画が終わって劇場の灯りが点いた時、彼氏と来ていた女子高生も、三十路のOLも、五十路のおばちゃんも、みな等しく10歳の女の子の様な笑顔になっていた。
これぞまさしくディズニーマジック、素晴らしき映画の魔法であり、「女の子はみんなプリンセスになれる」という言葉の本当の意味を実感できる傑作だ。
“生まれ変わったら女の子になりたい、ガラスの靴を履きたい。”
“スーパーのカボチャに、こっそり「ビビデバビデブー」と呪文を唱えたい。”
女の子だけでなく、おっさんにすらそんな乙女な妄想を抱かせる、ある意味危険な映画である(笑
本作には、短編「アナと雪の女王 エルサのサプライズ」が同時上映。
アナの誕生日に、サプライズパーティーを開こうとするエルサとクリストフだが、エルサが風邪をひいてしまった事から、思わぬ騒動が巻き起こる。
相変わらずエルサが優しくて、妹思いの素敵なお姉ちゃんなんだな。
既に制作に入っているという長編の続編では、彼女にこそ幸せになってもらいたいよ。
今回は、カクテルの「リトル・プリンセス」をチョイス。
ウィスキーベースのカクテル、マンハッタンのバリエーション。
ライト・ラム30mlとスウィート・ベルモット30mlをステアして、グラスに注ぐ。
甘口の味わいに、アンバーの色合いも美しく、名前の通りにロマッチックなカクテルだが、かなり強い。
リトル・プリンセスの仮面に隠れているのは、小悪魔かもしれない。

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