■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
※エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係なTBもお断りいたします。 また、関係があってもアフェリエイト、アダルトへの誘導など不適切と判断したTBは削除いたします。
■TITLE INDEX
※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
※エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係なTBもお断りいたします。 また、関係があってもアフェリエイト、アダルトへの誘導など不適切と判断したTBは削除いたします。
■TITLE INDEX
※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
※noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
※noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。
2015年06月25日 (木) | 編集 |
自由への54マイル。
1965年3月、黒人の選挙権制限の撤廃を訴えるため、マーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師と支持者たちが、南部保守派の牙城アラバマ州セルマから州都モンゴメリーを目指した“セルマ-モンゴメリー行進”の顛末を描く骨太の歴史劇。
今年のアカデミー作品賞候補の中では、日本公開のしんがりとなる。
監督は、これが長編2作目となるエヴァ・デュヴァネイが務め、デヴィッド・オイェロウォが等身大のキング牧師を好演。
アメリカ現代史の重要なイベントの、表と裏を同時に垣間見るパワフルな力作である。
1964年にノーベル平和賞を受賞したキング牧師(デヴィッド・オイェロウォ)は、公民権運動の次なる闘争の場にアラバマ州のセルマを選ぶ。
アラバマでは白人が牛耳る役所の妨害によって、黒人が選挙権を得られないでいた。
1965年2月には、デモに参加していた丸腰の青年、ジミー・リー・ジャクソン(キース・スタンフィールド)が、白人警官に射殺される事件が起こり、怒りと悲しみが渦巻く中、キング牧師は同士たちと共に、セルマから54マイル離れた州都モンゴメリーまでのデモ行進を計画する。
しかし525人のデモ隊の前に立ちはだかったのは、武装した警官隊と民兵たちだった。
催涙ガスから逃げ惑うデモ参加者たちが、次々と殴り倒される映像は全米でテレビ放送され、7000万人の視聴者が衝撃をうける。
行動を呼びかけるキング牧師に呼応して、男も女も、白人も黒人も、内なる良心につき動かされた多くの人たちが、セルマに結集しようとしていた・・・
アメリカの街には歴史上の偉人の名前がついた通りがたくさんあるが、その中でも特に多いのが、リンカーン、ワシントン、マッカーサー、そして本作の主人公であり、公民権運動のリーダーとして知られるマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師だろう。
おそらくアメリカ人に、もっとも尊敬する歴史上の人物はと聞けば、確実にトップ5には入ると思うし、毎年1月第3月曜日は彼を記念するアメリカの国民の祝日である。
そんな偉大なヒーローにもかかわらず、意外にも長編映画の主役として描かれるのは没後47年にして初めてだという。
本作を特徴づけるのは歴史の明と暗、栄光と悲劇のコントラストだ。
公民権運動も佳境に差し掛かり、キング牧師は1963年にあまりにも有名な「I have a dream」の演説で知られる、ワシントン大行進を慣行。
翌1964年7月2日にリンドン・ジョンソン大統領によって公民権法が制定され、建国以来の法的な人種差別の終結を勝ち取った。
映画は、1964年12月10日のノーベル平和賞授賞式から幕を開ける。
世界が注目する時代の寵児となったキング牧師の栄光の瞬間、しかし次のシーンで映画は恐ろしい現実を見せつける。
教会に集まっていた黒人の少女たちが、突然凄まじい爆発によって吹き飛ばされるのだ。
アラバマ州バーミンガムで、白人至上主義団体KKK分派のメンバーが起こした、16thストリート・バプテスト教会爆破事件である。
実際に事件が起こったのは、映画の時系列とは異なり1963年9月なのだが、この事件では4人の罪なき少女たちが犠牲となり22人が重軽傷を負った。
公民権運動が力を得れば得るほど、反発する白人も過激となり、州単位の法律を利用し公民権法に抵抗したり、白人公務員のサボタージュも深刻化する。
日本のような国民皆戸籍制度の無いアメリカでは、選挙への投票を望む人はまず有権者登録をしなければならない。
アラバマ州では、公民権法によって名目上は平等を手に入れた黒人たちだが、自治体の長や実務を担う白人公務員のあの手この手の組織的な妨害によって、実際の有権者登録は進まないまま。
また政治家だけでなく、地方検事や保安官も選挙によって選ばれるので、選挙権を手にしないことには、本作に出てくるような露骨な人種差別主義者が、警察権力を握る事を阻めないのである。
時代が動く瞬間のビハインド・ザ・シーンは、実にドラマチックだ。
衝撃的な教会爆破、ジミー・リー・ジャクソン射殺、最初の行進が警官と民兵によって蹴散らされた血の日曜日事件と言った一連の悲劇によって、リベラル派世論の支持を受けたキング牧師は、ホワイトハウスのジョンソン大統領と丁々発止の交渉を繰り返す。
今では中道リベラルの印象が強い民主党は、元々南部の白人保守層を大票田とする右派政党だったが、ケネディ政権とジョンソン政権が相次いで公民権運動を支持した事で、保守票を失いつつある。
大統領が選挙制度改革に及び腰なのは、このままでは支持層を丸ごと共和党に奪われてしまうためなのだ。
この時代を通して、民主党はリベラル派と新たな有権者となった黒人らマイノリティの支持を獲得し、共和党は民主党から離れた白人保守層を取りみ、結果的に現在の中道左派の民主・右派の共和という二大政党の住み分けが完成するのである。
それぞれの思惑が絡み合う政治的駆け引きに、人間キング牧師の葛藤と公民権運動を潰そうとするFBIの陰謀が絡む。
イーストウッドの「J・エドガー」でも描かれた通り、FBI長官のフーバーは少なくとも表向きはガチガチの保守であって、キング牧師の追い落としに並々ならぬ意欲を燃やしている。
本作では曖昧な描写に止められているが、FBIはキング牧師の女性関係を利用し、夫婦仲を裂いてスキャンダル化し、運動を瓦解させようと画策するのだ。
対するキング牧師自身も決して聖人君子としては描かれず、嘗て敵対したマルコムXとの和解を受け入れるか苦悩し、時に公権力の強大さの前に弱気となり、自らの決断に迷い神に祈る。
キング牧師の生涯、あるいは公民権運動全体を描くのではなく、一点に濃縮されたヒューマンドラマは見応えたっぷりだ。
選挙権という、憲法に保障されたあたりまえの権利の行使をするのに、国が真っ二つに割れ、多くの血が流れた。
しかしこれはたった50年前の出来事である。
今、ホワイトハウスにはアフリカ系の大統領が鎮座し、本作でティム・ロスが演じたジョージ・ウォレス州知事のような、明らかな人種差別主義者が選挙で選ばれる可能性はほとんど無いだろう。
ただ一方で、白人警官による警官による黒人への過剰制圧や発砲は後を絶たず、つい先日も白人少年が黒人を狙って銃を乱射するというヘイトクライムが起こったばかり。
わずか一世代でも、世界を大きく変えることがは出来るが、人々の心に残る暗い炎は簡単には消せない。
人間が人間である限り、自由と平等を求める闘争に終わりは決して訪れないのかも知れない。
本年度アカデミー歌曲賞に輝いた主題歌「GLORY」が、本作のテーマを端的に表して秀逸。
魂のこもった歌詞が心を打ち、余韻が長く続く。
ちなみに、キング牧師の演説というのは、全て遺族によって著作権登録されているため、許可がないと使えない。
そこでデュヴァネイ監督は自由に作品を作るために、劇中の演説の単語を一つひとつ類語に変え、原文とは違うのだとか。
本作の脚本は、元々英国の作家ポール・ウェブが9年前に書いたものだが、上記の様な経緯もあってデュヴァネイ監督によって大幅に書き換えられている。
にもかかわらず、ウェブが元契約を盾に本作の“脚本”の単独クレジットを譲らず、デュヴァネイとの共同クレジットを拒否したため、一悶着あったらしい。
日本ではその経緯は報じられなかったが、アカデミー賞でのノミネートが作品と歌曲のみで脚本賞がスルーとなったのは、この件が影響したのだろうな。
今回はキング牧師の故郷、ジョージア州に因んでレオポルドウィスキーの「ジョージア・ピーチ・フレーバー・ウィスキー」をチョイス。
なぜピーチかというと、ジョージア州は別名をピーチ・ステートと呼ばれるほどピーチの栽培が盛んで、ピーチフェスティバルが州内各地で開催されている他、やピーチを利用した名物料理も多い。
レオポルドウィスキーは、コロラド州に2002年から蒸留所を開設した新しい銘柄。
開拓時代には、果実酒感覚でウィスキーにピーチやレーズンなどを入れて楽しんでいたそうで、こちらはその習慣を復刻したもの。
そのままでも美味しいが、ウィスキー紅茶などにしても良い感じだ。
記事が気に入ったらクリックしてね
1965年3月、黒人の選挙権制限の撤廃を訴えるため、マーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師と支持者たちが、南部保守派の牙城アラバマ州セルマから州都モンゴメリーを目指した“セルマ-モンゴメリー行進”の顛末を描く骨太の歴史劇。
今年のアカデミー作品賞候補の中では、日本公開のしんがりとなる。
監督は、これが長編2作目となるエヴァ・デュヴァネイが務め、デヴィッド・オイェロウォが等身大のキング牧師を好演。
アメリカ現代史の重要なイベントの、表と裏を同時に垣間見るパワフルな力作である。
1964年にノーベル平和賞を受賞したキング牧師(デヴィッド・オイェロウォ)は、公民権運動の次なる闘争の場にアラバマ州のセルマを選ぶ。
アラバマでは白人が牛耳る役所の妨害によって、黒人が選挙権を得られないでいた。
1965年2月には、デモに参加していた丸腰の青年、ジミー・リー・ジャクソン(キース・スタンフィールド)が、白人警官に射殺される事件が起こり、怒りと悲しみが渦巻く中、キング牧師は同士たちと共に、セルマから54マイル離れた州都モンゴメリーまでのデモ行進を計画する。
しかし525人のデモ隊の前に立ちはだかったのは、武装した警官隊と民兵たちだった。
催涙ガスから逃げ惑うデモ参加者たちが、次々と殴り倒される映像は全米でテレビ放送され、7000万人の視聴者が衝撃をうける。
行動を呼びかけるキング牧師に呼応して、男も女も、白人も黒人も、内なる良心につき動かされた多くの人たちが、セルマに結集しようとしていた・・・
アメリカの街には歴史上の偉人の名前がついた通りがたくさんあるが、その中でも特に多いのが、リンカーン、ワシントン、マッカーサー、そして本作の主人公であり、公民権運動のリーダーとして知られるマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師だろう。
おそらくアメリカ人に、もっとも尊敬する歴史上の人物はと聞けば、確実にトップ5には入ると思うし、毎年1月第3月曜日は彼を記念するアメリカの国民の祝日である。
そんな偉大なヒーローにもかかわらず、意外にも長編映画の主役として描かれるのは没後47年にして初めてだという。
本作を特徴づけるのは歴史の明と暗、栄光と悲劇のコントラストだ。
公民権運動も佳境に差し掛かり、キング牧師は1963年にあまりにも有名な「I have a dream」の演説で知られる、ワシントン大行進を慣行。
翌1964年7月2日にリンドン・ジョンソン大統領によって公民権法が制定され、建国以来の法的な人種差別の終結を勝ち取った。
映画は、1964年12月10日のノーベル平和賞授賞式から幕を開ける。
世界が注目する時代の寵児となったキング牧師の栄光の瞬間、しかし次のシーンで映画は恐ろしい現実を見せつける。
教会に集まっていた黒人の少女たちが、突然凄まじい爆発によって吹き飛ばされるのだ。
アラバマ州バーミンガムで、白人至上主義団体KKK分派のメンバーが起こした、16thストリート・バプテスト教会爆破事件である。
実際に事件が起こったのは、映画の時系列とは異なり1963年9月なのだが、この事件では4人の罪なき少女たちが犠牲となり22人が重軽傷を負った。
公民権運動が力を得れば得るほど、反発する白人も過激となり、州単位の法律を利用し公民権法に抵抗したり、白人公務員のサボタージュも深刻化する。
日本のような国民皆戸籍制度の無いアメリカでは、選挙への投票を望む人はまず有権者登録をしなければならない。
アラバマ州では、公民権法によって名目上は平等を手に入れた黒人たちだが、自治体の長や実務を担う白人公務員のあの手この手の組織的な妨害によって、実際の有権者登録は進まないまま。
また政治家だけでなく、地方検事や保安官も選挙によって選ばれるので、選挙権を手にしないことには、本作に出てくるような露骨な人種差別主義者が、警察権力を握る事を阻めないのである。
時代が動く瞬間のビハインド・ザ・シーンは、実にドラマチックだ。
衝撃的な教会爆破、ジミー・リー・ジャクソン射殺、最初の行進が警官と民兵によって蹴散らされた血の日曜日事件と言った一連の悲劇によって、リベラル派世論の支持を受けたキング牧師は、ホワイトハウスのジョンソン大統領と丁々発止の交渉を繰り返す。
今では中道リベラルの印象が強い民主党は、元々南部の白人保守層を大票田とする右派政党だったが、ケネディ政権とジョンソン政権が相次いで公民権運動を支持した事で、保守票を失いつつある。
大統領が選挙制度改革に及び腰なのは、このままでは支持層を丸ごと共和党に奪われてしまうためなのだ。
この時代を通して、民主党はリベラル派と新たな有権者となった黒人らマイノリティの支持を獲得し、共和党は民主党から離れた白人保守層を取りみ、結果的に現在の中道左派の民主・右派の共和という二大政党の住み分けが完成するのである。
それぞれの思惑が絡み合う政治的駆け引きに、人間キング牧師の葛藤と公民権運動を潰そうとするFBIの陰謀が絡む。
イーストウッドの「J・エドガー」でも描かれた通り、FBI長官のフーバーは少なくとも表向きはガチガチの保守であって、キング牧師の追い落としに並々ならぬ意欲を燃やしている。
本作では曖昧な描写に止められているが、FBIはキング牧師の女性関係を利用し、夫婦仲を裂いてスキャンダル化し、運動を瓦解させようと画策するのだ。
対するキング牧師自身も決して聖人君子としては描かれず、嘗て敵対したマルコムXとの和解を受け入れるか苦悩し、時に公権力の強大さの前に弱気となり、自らの決断に迷い神に祈る。
キング牧師の生涯、あるいは公民権運動全体を描くのではなく、一点に濃縮されたヒューマンドラマは見応えたっぷりだ。
選挙権という、憲法に保障されたあたりまえの権利の行使をするのに、国が真っ二つに割れ、多くの血が流れた。
しかしこれはたった50年前の出来事である。
今、ホワイトハウスにはアフリカ系の大統領が鎮座し、本作でティム・ロスが演じたジョージ・ウォレス州知事のような、明らかな人種差別主義者が選挙で選ばれる可能性はほとんど無いだろう。
ただ一方で、白人警官による警官による黒人への過剰制圧や発砲は後を絶たず、つい先日も白人少年が黒人を狙って銃を乱射するというヘイトクライムが起こったばかり。
わずか一世代でも、世界を大きく変えることがは出来るが、人々の心に残る暗い炎は簡単には消せない。
人間が人間である限り、自由と平等を求める闘争に終わりは決して訪れないのかも知れない。
本年度アカデミー歌曲賞に輝いた主題歌「GLORY」が、本作のテーマを端的に表して秀逸。
魂のこもった歌詞が心を打ち、余韻が長く続く。
ちなみに、キング牧師の演説というのは、全て遺族によって著作権登録されているため、許可がないと使えない。
そこでデュヴァネイ監督は自由に作品を作るために、劇中の演説の単語を一つひとつ類語に変え、原文とは違うのだとか。
本作の脚本は、元々英国の作家ポール・ウェブが9年前に書いたものだが、上記の様な経緯もあってデュヴァネイ監督によって大幅に書き換えられている。
にもかかわらず、ウェブが元契約を盾に本作の“脚本”の単独クレジットを譲らず、デュヴァネイとの共同クレジットを拒否したため、一悶着あったらしい。
日本ではその経緯は報じられなかったが、アカデミー賞でのノミネートが作品と歌曲のみで脚本賞がスルーとなったのは、この件が影響したのだろうな。
今回はキング牧師の故郷、ジョージア州に因んでレオポルドウィスキーの「ジョージア・ピーチ・フレーバー・ウィスキー」をチョイス。
なぜピーチかというと、ジョージア州は別名をピーチ・ステートと呼ばれるほどピーチの栽培が盛んで、ピーチフェスティバルが州内各地で開催されている他、やピーチを利用した名物料理も多い。
レオポルドウィスキーは、コロラド州に2002年から蒸留所を開設した新しい銘柄。
開拓時代には、果実酒感覚でウィスキーにピーチやレーズンなどを入れて楽しんでいたそうで、こちらはその習慣を復刻したもの。
そのままでも美味しいが、ウィスキー紅茶などにしても良い感じだ。

記事が気に入ったらクリックしてね
![]() ■レオポルドウイスキー ジョージアピーチ (直輸入)★こちらは出荷まで2-3営業日お時間を頂... |
スポンサーサイト
| ホーム |