2015年07月24日 (金) | 編集 |
二人で、育ってゆく。
「おおかみこどもの雨と雪」の父親視点バージョンかと思いきや、これはむしろハリポタ的二重世界で描く、細田版「リアル・スティール」とでもいうべき父性と絆、そして青春のイニシエイションの物語だ。
主人公は母親を事故で失った少年・蓮。
離婚の時に揉めた父親は行方知れずで身寄りがなく、街を彷徨っている時に名前の通り熊のようなバケモノ、熊徹によって拾われる。
この映画の世界観は、人間たちの暮らす世界の裏側に、バケモノたちの暮らす異次元的なもう一つの世界があり、二つの世界は抜け道によって繋がっているというもの。
人間界の渋谷には、同時にバケモノの街・渋天街が存在しているのである。
日常的リアリティの中に異種婚姻の子というたった一つの非日常を持ち込んだ「おおかみこども」に対し、こちらは非日常の世界がベースと対照的だ。
渋天街では10万のバケモノを束ねるリーダー“宗師"の交代が迫っており、その有力候補が熊徹と猪のバケモノ猪王山。
腕っ節は互角だが、誰もが品格を認める猪王山にはたくさんの弟子がおり、乱暴者の熊徹にはゼロ。
そこで熊徹は、掟破りの人間の弟子をとったというワケだ。
親を失った少年と、強靭だが孤独なバケモノ。
9歳だから“九太”という適当な名前を付けられた蓮は、最初は反発しつつも熊徹に惹かれてゆき、どこか似た者同士の二人は、いつしか奇妙な疑似家族になってゆく。
バケモノの世界を舞台に、九太と熊撤の8年間を描く、シンプルな作りの前半部分が圧倒的に面白い。
この過程で成長するのは、九太だけではない。
初めての弟子である九太と暮らすうちに、熊徹の心の中に九太に対する責任感と、愛情が生まれてくるのだ。
九太が肉体の成長と共にどんどんと強くなってゆくのと同様に、熊徹の心は守るべきものを持つ大人の男として、成熟してゆくのである。
ここまでのストーリーテリングは快調。
しかし残念ながら、何人もの登場人物の葛藤が一気に顕在化する後半部分は、プロットに大きな混乱がみられる。
特に九太は同時に別種の葛藤を幾つも抱えており、それら全てに解をもたらすべくクライマックスの展開は相当に強引だ。
17歳になった九太は、偶然にも人間界への通り道を見つけ、二つの世界で二重生活を送るようになるのだが、人間界で出会う同世代の少女・楓との青春エピソード、再会した実の父親との家族再生の話、バケモノ界の親代わりである熊徹との関係が同時進行。
複雑化する葛藤にケリをつけるために、映画は九太自身の鏡像でありダークサイドともいうべきキャラクターとの戦いを用意する。
それは猪王山の息子で、実はバケモノとして育てられた人間である一郎彦。
偉大な父親である猪王山に対するコンプレックスは、いつしか彼の中の闇を暴走させ、人間界とバケモノ界双方の存亡に関わる脅威になるのだが、このクライマックスへの流れが相当に御都合主義で、ストーリーラインが有機的に収束していかない。
「時をかける少女」から「おおかみこどもの雨と雪」までの3作品では、名手・奥寺佐渡子のロジカルなプロット構成が物語を軽快なテンポで押し進めていたが、本作で監督自身の単独クレジットとなった脚本は、複雑なサブプロットをまとめ切れず、終盤交通渋滞を引き起こしてしまっている。
また、全体に画だけで十分伝わる描写なのに、台詞による二重の説明が多いのも気になった。
もっとも、逆に考えれば脚本にこれだけ欠点があるのに、娯楽映画として水準以上に魅せる細田守の演出家としての力を改めて感じさせるのも事実。
渋谷の街を巨大なクジラが泳ぐというマジカルなイメージは、下手な理屈など消し飛ぶパワーがあった。
欠点はあれど本作は大変な意欲作であり、キャラクターの魅力や世界観も含め十分楽しめる作品だが、ジブリブランドを超えるには、そろそろ家族ものとは違った方向性の作品も見てみたいものだ。
今回は渋谷のお隣、恵比寿がルーツの「ヱビスビール」をチョイス。
今はヱビス銘柄で複数商品が展開しているが、やっぱりヱビスといえばクラッシックなドルトムンダースタイル。
真夏の夜には、一気に飲んでプッハ〜したい。
ちなみに恵比寿にあったからヱビスビールなのではなく、ヱビスビールの工場があったから恵比寿という地名になった。
そういえば熊徹役の役所広司は、ヱビスのCMに出てたっけ。

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