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ストレイト・アウタ・コンプトン・・・・・評価額1700円
2015年08月29日 (土) | 編集 |
武器を取れ!音楽と言う武器を!

1980年代後半、ロサンゼルス近郊のコンプトンの若者たちによって結成され、HIP HOPの世界に旋風を巻き起こしたギャングスタ・ラップの雄、N.W.Aのメンバーたちを描く鮮烈な実録青春群像劇。
タイトルの「ストレイト・アウタ・コンプトン(Straight Outta Compton)」とは1988年の夏にリリースされた彼らのアルバム名で、直訳すれば「コンプトンから真っ直ぐ出てゆく」となる。
描かれるのは、犯罪と差別に塗れた街から、音楽と言葉の力によって脱出した若者たちの友情と栄光、そして裏切りと挫折。
本作の主要登場人物でもあるドクター・ドレー、アイス・キューブがプロデュースを務め、監督は彼らのMVを多く手がけ、映画監督としても「交渉人」やリメイク版「ミニミニ大作戦」で知られるF・ゲイリー・グレイ。
“あの頃”の時代感たっぷり、強豪ひしめくアメリカ夏休み興業で、HIP HOP映画史上No.1のスマッシュヒットを記録した、パワフルな快作である。
※核心部分に触れています。

1986年、カリフォルニア州コンプトン。
この街で育ったイージー・E(ジェイソン・ミッチェル)、ドクター・ドレー(コリー・ホーキンス)、アイス・キューブ(オシェア・ジャクソンJr.)、MC・レン(アルディス・ホッジス)、DJ・イェラ(ニール・ブラウン)は、ドラッグビジネスでイージーが作った金を元手に、自分たちのレーベルからシングル「Boyz-n-the-Hood」を発表する。
この成功に目をつけたジェリー・へラー(ポール・ジアマッティ)がマネージャーとなり、プライオリティー・レコードと契約した彼らは、ファーストアルバムの「Straight Outta Compton」で大ヒットを飛ばし、一躍時代の寵児となる。
だが、強烈な言葉で警察や社会を攻撃する彼らへの風当たりは強く、さらにヘラーとイージーの関係が深まるにつれて、他のメンバーとの確執が生まれる。
やがてグループを支えていたアイス・キューブ、ドクター・ドレーが相次ぎ脱退し、N.W.Aは人気絶頂で解散してしまうのだが・・・・


ギャングスタ・ラップは、なぜ生まれたのか。
本作の舞台となるコンプトンは、ダウンタウン・ロサンゼルスの南側、治安の悪さで知られる旧サウス・セントラルや旧ワッツ地区のさらに南東に位置する。
ここもまたアメリカでも有数の犯罪多発地域で、住人以外は昼間でも足を踏み入れる事を躊躇するエリアだ。
この病める街の“産業”はドラッグ、売春、暴力。
たとえなにもしていなくても、ただたむろしているだけで住民たちは警官たちから威圧され、犯罪者扱いされても抵抗する術もない。
警官が黒人だったとしても、それは同じ。
“あちら側”に属する黒人は、むしろ白人よりも厳しく黒人に接し、“こちら側”の黒人は軽蔑の意味を込めて彼らを“オレオ(外は黒いが中は白)”と呼ぶ。
誰もが多大なストレスを抱えて生きるコンプトンを脱出するために、若者たちは自らの葛藤をラップという言葉の弾丸にして社会に放つのだ。

N.W.Aというグループ名は、“Niggaz Wit Attitudes”の略で、意味的には“態度の悪いニガー”という感じだろうか。
その名の通り、「fuck tha police」と叫び、ギャングの世界をリアルに描写する彼らのラップは、警察権力や“態度の良い人々”にとってはまさに凶器。
警察に「fuck tha police」を禁止されながら、逮捕覚悟のパフォーマンスで人々を熱狂させる彼らは、キケンな存在に映るのである。
だが、記者に「あなた方はギャングやドラッグを賞賛してる」といわれても、彼らにとってはそれが日常。
過激なラップは、ただ日々の現実を言葉にしたドキュメンタリーに過ぎない。
現状の暮らしに満足している“あちら側”の人々はそもそもそんな世界が存在してる事を認めたくないのだけど、人生に不満や閉塞感を抱いている“こちら側”の人々は、自分たちの言いたい事を言ってくれるN.W.Aの言葉に、黒人とか白人とかの人種を飛び越えて熱狂し、抑圧への抵抗の共犯者となってゆく。

しかし、破竹の勢いでヒットを連発する彼らの人生にも、予期せぬ闇が訪れる。
クリント・イーストウッドの「ジャージー・ボーイズ」や幾多の音楽映画にも描かれた様に、荒削りな才能の爆発は、若さゆえの傲慢と虚勢を生み出しやがて疑心暗鬼に。
その発端は、皮肉にもN.W.Aがメジャーとなるのに大きな力となった、マネージャーのジェリー・ヘラーの行動である。
彼の掌握術というのは、グループ全体の面倒を等しく見るというのではなく、どうやら年長でリーダー格のイージー・Eと蜜月となり、彼にグループを纏めさせるというものだったようだ。
だがそれは、しだいに他のメンバーからは依怙贔屓とみなされる様になり、イージーと他のメンバーとの間に亀裂が出来ると、そこに別の利権がスルリと入り込む。
最初はアイス・キューブが抜けソロに転向し、次にドクター・ドレーがシュグ・ナイトと共にデス・ロウ・レコードを設立して移籍し、N.W.Aは解散を余儀なくされる。
ギャングスタ・ラップは、グループもマネジメントもギャングがそのまま転職してる様なものだから、移籍や脱退の経緯もその後の対立もまんまギャングスタイル。
N.W.Aの場合はラップでのディスりあい程度で済んだようだが、実際レーベル同士の抗争で殺人事件なども起きているからコワイ。
ちなみに、映画でもヤバイ奴として描かれているシュグ・ナイトは、今年の1月末にも撮影現場で関係者と揉め、車で轢き殺した容疑で逮捕されているから本当にコワイのだ。

若者たちが「コンプトンから真っ直ぐ出てゆく」という同じ夢から始まって、いつしか成功者となって別々の道を歩み始めた頃、彼らに改めてこの世界の現実を見せ付ける事件が起こる。
1992年の4月末に起こった、ロサンゼルス暴動である。
前年の3月に、黒人青年が白人警官たちに暴行された、いわゆるロドニー・キング事件と、韓国人店主が、丸腰の黒人少女を泥棒と勘違いして背後から射殺した、ラターシャ・ハーリンズ事件でロスの人種間の緊張は頂点に達する。
そして韓国人店主に下された異常に軽い量刑に続いて、キング事件の加害警官に対して無罪評決が言い渡された事に黒人社会は激怒。
遂に手のつけられない暴動に発展し、53人もの死者を出し、1万人が逮捕される大惨事となってしまう。
この事件の前には、アイス・キューブが韓国系アメリカ人を攻撃する「Black Korea」というラップを発表しており、結果的に事件を煽ったとして非難されていたのを覚えている。
N.W.Aの崩壊後に起こったロス暴動は、本作においては加熱し過ぎた結果分裂した彼らの心象とリンクし、改めて自分たちが何を求めて、どこへ向かうべきなのかを考える重要な機会となる。
そして、グループの創設メンバーであり、リーダーであったイージー・Eが当時猛威を振るっていた死の病、HIVに倒れたことが彼らを仲間として再び集わせ、イージーのあっけない死はコンプトンの若者たちにとっての熱狂の時代、青春の終わりを告げるのである。

「ストレイト・アウタ・コンプトン」は、スタイリッシュなHIP HOP映画という以上にパワフルな人間ドラマとして、そして近年急激に増えてるアフロ・アメリカン現代史を描く映画としても非常に面白い。
ギャングの街で育ち、掃き溜めからの脱出のために音楽をはじめた彼らの原動力は、良くも悪くも金であって、激動の時代を疾走するラジカルでクレイジーな若者たちのドラマは生々しくも潔く、目が離せない魅力がある。
音楽だけでなく映画のフィールドでも成功したアイス・キューブはもちろん、ドクター・ドレーなんて、アップルのBeats by Dre買収でいまや大富豪となった訳だが、それでも彼らの原点は仲間と共に少年時代を過ごしたコンプトンのストリート。
ところでアイス・キューブの役者が激似と思ったら、演じるオシェア・ジャクソンJr.は実の息子とか。
怒れるコンプトンの若者たちも、大人になったという事か。
私は世代的にもドンピシャで、当時の世相を思い出しながら楽しめたけど、HIP HOP好きの若い人はどう観るんだろうな。
今のところ日本での公開は未定だそうだが、もしもこれが公開されなかったらホントにガラパゴス・ジャパンの悲劇だ。

今回は「ワイルド・スピード」でもお馴染み、南カリフォルニアが一番ハマるビール「コロナ エキストラ」をチョイス。
クリアなボトルの黄金色も美しく、暑くて乾燥したロスでは、このスッキリしたビールは本当に美味く感じる。
昔は切ったライムをボトルに押し込んで飲むのが定番だったけど、今はリサイクル的にNGなんで、少なくとも日本では絞って入れるのが普通。
久々ロスの空港で頼んだら、普通にボトルにライムが入って出てきて、ちょっと懐かしかったな。

追記: 日本公開決定しましたので、タイトルを邦題表記に改めました。まあ、まんまなんだけど(笑

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アデライン、100年目の恋・・・・・評価額1650円
2015年08月26日 (水) | 編集 |
歳と恋人とワインは、決して数えるものではない。

とある事故がきっかけで歳をとらなくなり、29歳の姿のまま1世紀以上を生きる女性の、最後の恋を描くラブロマンス。
エキゾチックな港町、サンフランシスコを舞台に、時空を超えるファンタジックな愛の物語が、ムード満点に展開する。
タイトルロールの永遠の美女を、「恋するジーンズ」シリーズやテレビドラマの「ゴシップガール」で知られるブレイク・ライヴリーが演じ、監督は「セレステ&ジェシー」のリー・トランド・クリーガーが務める。
熟成されたデザートワインのように、美しくて甘味な現代のおとぎ話である。

アデライン・ボウマン(ブレイク・ライヴリー)は、1908年1月1日にサンフランシスコで生まれる。
彼女は橋梁技術者の若者と結婚し一女をもうけるも、夫は当時建設中だったゴールデン・ゲート・ブリッジで事故に巻き込まれ帰らぬ人に。
そして1937年のある夜、アデラインは車ごと海に転落し、一度死んだ後に落雷を受け、奇跡的に蘇る。
この時から彼女の体は、なぜか時の流れから切り離され、老化しなくなってしまう。
家族が、友だちが、大切な人たちが皆年老いてゆく中で、彼女だけがずっと変わらない。
そして数十年の歳月が流れた現在、偽名を使いひっそりと生きているアデラインは、エリス(マイケル・ユスマン)という若者と出会い、恋におちる。
だが、なかなか自らの秘密を打ち明けられないうちに、エリスの実家を訪れたアデラインは、そこで意外な人物と再会する・・・


他と異なる時間軸を生きる人物の話というと、80歳の肉体で生まれ、そこから若返ってゆく男を描いた「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」が記憶に新しい。
逆さまの人生で、ベンジャミンが他人と共有できる時間はごく僅かな瞬間に過ぎず、彼の人生は一瞬の邂逅の繰り返しである。
しかしそれでも、時が流れるだけアデラインよりはマシかもしれない。
肉体の老化そのものが止まってしまった彼女の葛藤は、要するにヴァンパイアの血を吸わないバージョンと言える。
世界はどんどんと変わってゆくのに、自分の時計だけもう時を刻まない。
それだけでも切ないのに、アデラインは秘密を誰にも明かすことが出来ないのである。
何しろ彼女は、人類にとって永遠の夢である不老不死を、図らずも手に入れてしまったのだ。
ずっと若いままの女がいれば、いつか誰かが気付き、その秘密を手に入れようとする。
50年代のある日、政府職員を名乗る男に誘拐されかけたアデラインは、以降10年ごとに名前と居場所をかえ、人目から逃れるようにしてひっそりと生きるしかない。

ゆえに極わずかな“例外”を除き、誰も愛さず、誰にも愛されない人生が続く。
唯一彼女の本当の名前を知るのは、もはや80を過ぎた娘だけ。
そして107回目の誕生日、新しい名前を手に入れ、次なる10年のための引越しを目前にして出会ってしまったのが、運命の恋というワケだ。
お相手のエリスは若くして富を手に入れ、ルックスも性格も申し分なく、もはやこの恋を止める事はアデライン自身にも出来ないが、気まぐれな神は更なるドラマを彼女に齎す。
エリスの父親のウィリアムは、1960年代にアデラインと出会い、お互いの人生に焼きついた思い出の人、つまり“例外”の元カレだったのである。
はたしてアデラインは自らの数奇な運命にどう折り合いをつけ、恋を成就させられるのか?というプロットそのものは特にひねった所もなく、甘々かつシンプルなものだが、物語の味付けというか、ディテールの作り込みが実に豊かだ。


幻のインドア・ドライブインシアターや、都市の地下に埋もれた開拓時代の船、ゴールデンゲートの事故など、舞台となるサンフランシスコの過去に纏わる細かいエピソードも、“時”を扱うドラマとしてのムードを高める。
そして、アデラインとエリスを結びつける3冊の本、ヘンリー・ジェームズの「Daisy Miller」、レイ・ブラッドベリの「Dandelion Wine」、ジャネット・フィッチの「White Oleander」の持つ意味。
いずれも“花の名前”をタイトルに持ち“出会いと死”が重要なモチーフとなるこれらの小説は、おそらく内容的に本作を成立させるのに大きな影響を与えた作品だろう。
それだけでなく、出版されたのは「Daisy Miller」が19世紀後半、「Dandelion Wine」が20世紀中盤、そして「White Oleander」が20世紀末と、ほぼアデラインの人生と同じくらいのスパンであり、この映画もまたこれら物語の歴史を受け継ぐもの、という作り手からのさり気ない主張なのかもしれない。
もっとも、本作では特に“死”に関しては、アデラインの不死に対する相対という以上に深く考察されているとは言えず、作品のテイスト的にはむしろ、ジャック・フィニイの短編小説「愛の手紙」や、リチャード・マシスンの小説をヤノット・シュワークが映画化した「ある日どこかで」の系譜に連なる作品といえるだろう。


アデラインを演じる、ブレイク・ライヴリーがとても魅力的。

古典的な顔立ちの正統派美人だけど、1世紀以上を生きている主人公にはぴったり。
各時代のゴージャスな衣装、時代性のあるメイクやヘアスタイルの変遷も見もの。
また
アデラインの因縁の相手であるエリスの父を演じる、ハリソン・フォードも印象深い。

彼の役が天文学者で、青春の象徴たるアデラインへの想いと、普通の人間とは異なる彼女の時間を、彗星の飛来という宇宙的なイベントにリンクさせるとか、壮大なハッタリをサラッと描写する、物語のテリングのセンスの良さが光る。
ちなみにハリソン・フォードの役名はウィリアム・ジョーンズ。
彼は「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で、父親役のショーン・コネリーと同じ女性を愛するという設定があったから、このファミリーネームはたぶん制作者のあそび心だろう。
この種の品があって味わい深い、大人のレトロロマンスは、ハリウッドならでは。
日本の映画や小説だと、ジュブナイルになってしまうのはなぜなんだろうなあ。

今回はサンフランシスコの北、全米有数のワインどころナパバレーから「スミス・マドローン シャルドネ」をチョイス。
銘柄のマドローンとはアメリカ西海岸で見られる樹木で、小さな鈴が沢山集まったような特徴的な花をつける。
映画自体がいい意味で相当に甘味な話なんで、こちらはスッキリとした味わいだが、複雑なアロマと適度な酸味が力強く、エレガントなキャラクターを感じさせるのはアデラインのイメージ。
永遠の美女と飲んでみたい。

ところで私もサンフランシスコに長く暮らしたが、映画の中に出てくるインドア・ドライブインシアターの話は聞いたことがない。
調べても情報は出てこないし、はたしてフィクションなんだろうか?もし知ってる人いたら教えて欲しい。

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わたしに会うまでの1600キロ・・・・・評価額1700円
2015年08月22日 (土) | 編集 |
人生は、ワイルドだ。

1995年の夏、アメリカ西部を縦断するパシフィック・クレスト・トレイルを、たった一人で三ヶ月間歩き続けたシェリル・ストレイドの自叙伝、「Wild: From Lost to Found on the Pacific Crest Trail」の映画化。
最愛の母の死をきっかけに、自暴自棄な生活に陥っていたシェリルは、自らの人生を取り戻すために、過酷な自然との闘いに身を投じる。
原作の出版より前に映画化権を取得し、自らプロデューサーとして本作を企画したリース・ウィザースプーンは、オスカーを獲得した「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」以来のキャリア・ベストの好演を見せ、 シェリルの人生に大きな影響を与える母・ボビーを演じるローラ・ダーンも素晴らしい。
監督は、「ダラス・バイヤーズ・クラブ」が記憶に新しいジャン=マクル・ヴァレ。
なんだか女子向けを強調するような脱力系の邦題がついているが、中身はけっこうハードな骨太の人間ドラマだ。
※ラストに触れています。

7年間の結婚生活に終止符を打った26歳のシェリル・ストレイド(リース・ウィザースプーン)は、厳しい大自然が待ち受けるパシフィック・クレスト・トレイルに足を踏み入れる。
どんなに辛い時でも、人生を楽しむ事を忘れなかった母のボビー(ローラ・ダーン)を亡くした後、シェリルは自堕落な生活を送り、自分の家庭を壊してしまった。
どん底から人生を取り戻すために、彼女はトレイルを三ヶ月かけて歩くという挑戦を決めたのだ。
だが自分以外誰もいない荒野を歩き始めると、すぐに「間違いだったかも」と後悔が頭を過ぎる。
灼熱の荒野、極寒の雪山、食糧不足、水不足といった予期せぬ困難が次々とシェリルを襲う。
はたして彼女は試練に打ち勝って、人生をリセットできるのだろうか・・・


メキシコ国境のカンポからカナダ領内のマニング・ピークまで、総延長は実に2650マイル。
アメリカ三大トレイルの一つ、パシフィック・クレスト・トレイルは、カリフォルニア、オレゴン、ワシントンの3州を南北に貫く。
一番南は灼熱のモハベ砂漠で、徐々に標高を上げながら、今度は4000メートル級の山々が連なるシエラネバダ山脈を通り、オレゴンに入るとクレーターレイク国立公園、カスケード山脈と広大な森林地帯がカナダまで続く。
本作の主人公、シェリルが辿るのは、モハベ砂漠からオレゴンとワシントンの州境を流れるコロンビア川にかかる鉄橋、“Bridge of the Gods”に至る、およそ1100マイルの遠大な道のりだ。

大自然の中を若い女性がたった一人でひたすら歩く、という物語はつい先日公開されたミア・ワシコウスカ主演の「奇跡の2000マイル」と被る。
実際、現在進行形の旅の行程をメインプロットとし、並行して主人公の過去の記憶が少しずつ描かれるというスタイルも似通っているが、アメリカとオーストラリアという舞台の違い同様に鑑賞後の印象はかなり異なっている。
ワシコウスカの演じたロビン・デヴィッドソンは元々野生児っぽく、じっくりと準備をして三頭のラクダとイヌを連れ、コンパスを頼りに広大なオーストラリアの砂漠の道なき道を行く。
過去の喪失体験が冒険への欲求の発端となっているのは両者共通だが、実際に旅に出る直接の動機も、ロビンの場合どちらかと言えば「そこに山があるから」的で、あまり切羽詰った感じはしない。
対して本作のシェリルは、人生どん底の元ジャンキーである。
母の突然の死のショックから立ち直れず、ドラッグに溺れた挙句セックス中毒に陥り、結婚生活も破綻させてしまった。
今のどうしようもない私は母が愛してくれた娘じゃない、もう一度自分自身を取り戻さなければ、人生を前に進められない、という強い衝動によってシェリルは冒険の旅に出る。

彼女にとって1100マイルの道程は、人生の縮図であり、自分が犯してきた罪に対する贖罪の旅でもある。
だからこそ、その道のりは過酷でなければならないのだが、シェリルはトレッキングの知識も経験もないド素人。
何が必要で何が不要なのかも分らず、ギュウギュウに詰め込んだ荷物は重すぎて、立ち上がることすら困難。
実話だし、実際にそうだったのだろうが、ひっくり返った亀の様に、荷物の重さに押し倒されてしまう描写は、そのまま彼女の人生を比喩しているように見えるのが面白い。
人生はシンプルが良いのは分っているが、本当に価値あるものごとを見極めるのは難しく、いつの間にか余計な重荷を沢山背負ってしまう。
しかし、最初のうちは口をついて出るのは愚痴ばかりだった彼女も、いつしかいっぱしの旅人のスキルを身につけ、どんどんとタフな女になってゆく。
アクシデントで靴を失っても、ダクトテープでサンダルを補強して何十キロも歩いてしまうほどだ。
この旅の中での成長過程と平行し、シェリルの過去が描かれる事で、なぜ彼女は歩き出さねばならなかったのか、心の中で何と向き合っているのかが徐々に明らかになってくる構造だ。

俳優たちの熱演を繊細に描写する、ジャン=マクル・ヴァレの演出の妙が光る。
前作の「ダラス・バイヤーズ・クラブ」も、酒と女に溺れる生活を送っていた主人公が、HIVに罹患したことで人生を生き直す物語だったが、ダメダメな人間たちを見つめるヴァレの視点は厳しくも優しい。
パシフィック・クレスト・トレイルの、雄大かつ神秘的な風景の中で繰り広げられる冒険の旅と、記憶を巡る叙情的なドラマのコントラストが詩情を生み出す。
周りの人間の善意に恵まれている事で、逆に堕ちるところまで堕ちてしまったシェリルにとって、とことんまで自分を追い詰める厳しい旅は、甘えを捨てて人生を取り戻すのに必要なプロセス。
1100マイルを歩き切り、ついに“Bridge of the Gods”にたどり着いた時、彼女はようやく人生の新たなステージに立つ準備を終えるのである。
物語のエピローグで語られるシェリルのその後の人生が良きものとなっていることは、本作で彼女の少女時代を演じているのがボビー・リンドストローム、つまり“母の名をつけた娘”本人である事がなによりの証だろう。

ちょっと興味深いのは、ジェンダーの視点を感じること。
「奇跡の2000マイル」の様に本当に誰もいない場所を旅するのと違って、本作でシェリルが歩いているのは一応トレイルなので、当然他にも人がいてそのほとんどは男性だ。
ある種の男たちは、このシチュエーションでは女性にとって、飢えや渇き以上に恐ろしい要素なのである。
幼い頃に実父のDVを目の当たりにし、セックス中毒になった事で男たちの生々しい欲望を知るシェリルが、男性に対する不信と信頼の間で揺れ動くのも、本作の重要なポイントと言えるだろう。
フェミニストとして知られるウィザースプーンが、本作に惹かれた理由の一つかもしれない。

「わたしに会うまでの1600キロ」という軽い響きの邦題は、映画を観てしまうとどうにもしっくり来ないのだけど、これは心の傷に向き合う事が出来ず、結果的に傷を悪化させてしまった一人の女性が、自らの力で治癒するまでの肉体と精神の冒険を描いた優れた寓話である。
男女を問わず、ちょっと心が疲れている人には強力なエネルギーを注入してくれる作品だと思う。
同じモチーフの「奇跡の2000マイル」と両方鑑賞して、二人の主人公の抱えている葛藤の違いを感じとると、より興味深く観られる作品かもしれない。

今回は、パシフィック・クレスト・トレイルの通るシエラネバダ山脈の麓の街、チコに1979年に設立された地ビール銘柄、その名もシエラネバダ・ブリューイングの「トルピード エクストラIPA」をチョイス。
トルピードとは魚雷の事だが、名前の通り攻撃的なホップ感。
一度飲んだら忘れないくらいキャラクターがはっきりしていて、フレーバーは複雑だがバランスはよく、何本飲んでも飽きる事はない。
過酷な冒険旅行のゴールで飲んだら最高だろう。

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ショートレビュー「人生スイッチ・・・・・評価額1650円」
2015年08月12日 (水) | 編集 |
アングリー・アニマルズの饗宴。


アルゼンチン発の、シニカルでブラックなオムニバス悲喜劇。
「私が、生きる肌」などで知られるスペインの鬼才ペドロ・アルモドバルがプロデュースし、監督・脚本を務めるのはアルゼンチンの俊英ダミアン・ジフロン。
6本のエピソード間に関連は無いが、主人公は全員“怒り”の感情に駆り立てられ、ふとした瞬間に人生が変わってしまう。

第一話は、過去に自分と関わった人全てを巻き込んで、壮大な復讐を遂げようとする男の物語。
ごく短い作品なので詳細は書かないが、話の中心にいる男は画面に一切登場せず、彼を知る人々の会話で話が進むのが面白い。
動機が同じかは分らないが、つい最近似た様な事件が実際にあったのも不気味さを募らせる。

第二話は、自分の家族をメチャクチャにした高利貸しの男に、偶然再会してしまったウェイトレスの話。
殴った方はすぐ忘れるというが、高利貸しは彼女が誰がを覚えていない。
ウェイトレスに昔話を聞いた店のおばちゃんは、そんなひどい男を生かしておいても社会に害をなすから、猫いらずで殺してしまうおうと言い出す。
ところが毒入りポテトを出したところ、意外な人物があらわれ、話は予想外の方向に。

第三話は、新車で颯爽と走行中に、前を塞ぐノロノロ車に罵声を浴びせた男の悲劇。
パンクして止まったところに、ノロノロ車が追いついてきて、相手のドライバーと喧嘩になる。
相手の浴びせた一言にぶち切れた主人公が、思いもよらぬ逆襲を仕掛けた事で、事態はさらにエスカレートしてゆく。

第四話は、主人公がビルの爆破解体技師という時点で嫌な予感で一杯。
駐車禁止区域じゃないのに車をレッカー移動され、役所への支払い拒否で揉めた事から、ピタゴラスイッチの様に人生が暗転し、抗おうとすればするほどドツボにはまってゆく。
傑作「瞳の奥の秘密」のリカルド・ダリンが怒れる中年オヤジを公演している。

第五話は、バカ息子の起こした人身事故を、何とか隠蔽しようとする金持ちの父親の物語。
弁護士を呼んで、身代わりをたて、検事を丸め込んだところまではいいのだが、どいつもこいつも金に目がくらんで自分の取り分を引き上げようと必死。
遂にぶち切れた父親は、もう金は払わんと宣言するのだが、事すでに遅し、事件は意外な結末を見る。

最終第六話の主人公は、結婚式当日の花嫁。
彼女は人生の絶頂の席で、花婿の浮気を知ってしまう。
いわゆる結婚式の修羅場というやつだが、二転三転する物語の帰結する先は、それまでのエピソードとは一線を画し、なるほど本作のタイトルにピッタリである。

邦題は「人生スイッチ」だが、物理的なボタンとかスイッチの類が出てくる訳ではない。
心の中で感情のスイッチが入ったという事だろうけど、映画を観ると原題の「Relatos salvajes」がしっくりくる。
直訳すると「獣の物語」で、オープニングのタイトルバックにも動物たちの写真が並ぶ。

人間と動物を分けるものは理性、しかし怒りという激烈な感情に我を忘れた人間は、最もナマな動物的姿をさらすと言うワケか。

描かれるシチュエーション的には、交通トラブルから浮気発覚まで様々だが、本作が非常に上手いのは、それぞれの主人公を客観視しつつも、適度に感情移入出来るようになってることだ。
たとえば、急いでいるのにやたらノロノロ走る車にイライラさせられた経験はドライバーなら誰でもあるだろうし、役所の理不尽な対応はどうにも腹に据えかねると思っている人も多いだろう。
信じていた恋人の浮気や、親の心知らずのバカ息子、なぜか善良な自分より出世する悪党、人生理不尽で怒りたくなる事ばかりで、いっそ皆いなくなれ!という妄想を一度も抱いたことの無い人はおそらくいないのではないか。
本作は、そんな一線を超えてしまった主人公たちの織り成す悲喜劇だが、「そこで踏みとどまれ」と思わせつつも、超えちゃった気持ちも分るという匙加減が絶妙なのである。

ちょっと面白かったのは、ほんの数分という短かめの話からスタートして、段々とエピソードが長くなる事で、最後の話では30分を超えていた。

尺を揃えるかランダムかの多いオムニバスで、こういう作りは記憶に無いが、テリングのリズムとしてなかなか悪くない。
壮大なバッドエンドで幕を開け、バッドとグッドのバランスを強弱しながら、最後は思いもよらない感情の不思議に帰結させる。
オムニバスは単体では面白くても、トータルするとどこか物足りなさを感じさせる作品が多いが、これは一人の作家によって構成されている事もあってか、一本の映画としての完成度、満足度もなかなかに高い。
センスよく纏められた、見応えのある大人の寓話集である。

今回はアルゼンチンワインの白、「カテナ・アラモス・シャルドネ」 をチョイス。
アンデス山脈の麓で作られるシャルドネらしいシャルドネ。
夏にピッタリのピーチやグレープフルーツの爽やかな風味と軽やかな香りが楽しめる。
南米のワインはヨーロッパに比べると割安なのもうれしく、これ同レベルのフランス産なら倍出しても全然無理だろう。
何かとストレスのたまる世の中、怒りのコントロールには多少アルコールのヘルプを借りていいかもしれない。

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ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション・・・・・評価額1700円
2015年08月06日 (木) | 編集 |
姫の心を溶かすのは誰か。

トム・クルーズの代表作、不可能を可能にする万能スパイ、イーサン・ハントの活躍を描く、大ヒットシリーズの第5弾。
新たに彼が挑むインポッシブルな作戦は、世界各地で起こるテロや暗殺事件を裏で操る、謎の多国籍スパイ組織“シンジケート”の壊滅だ。
しかも今回、ハントが率いるIMFはCIA長官の意向によって解体を宣告されており、組織の後ろ盾を失ったハントは、CIAの追跡をかわしながら、シンジケートの正体を探るという孤立無援の戦いを強いられる。
そして彼の前に現れる、敵味方不明の謎の女、イルサ。
ミステリアスなストーリーをパワフルなアクションが彩り、隠し味はライバルのジェームズ・ボンドなどと比べればだいぶ控えめなロマンス。
様々なエンタメ要素がバランスよく配された本作は、大人から子供まで誰もが大いに楽しめるもので、まさに夏休みハリウッド大作の大本命
うだる暑さを吹き飛ばし、心底スッキリしたいなら選ぶべきはコレだ!
※核心に触れています。

イーサン・ハント(トム・クルーズ)とIMFのチームは、大量の化学兵器の密売阻止に土壇場で成功。
しかしその直後、報告のためにロンドンを訪れたハントは、世界の裏側で暗躍する謎の組織“シンジケート”によって拉致される。
目覚めると手を縛られて拘束されており、目の前には3年前に死んだはずの男が立っていた。
拷問が始まろうとした時、居合わせた謎の女、イルサ(レベッカ・ファーガソン)の機転によって、ハントは辛くも脱出するが、シンジケートの存在を信じないCIAの上層部は無許可の暴走を理由にIMFの解体を決定。
CIAと袂を分かったハントは、一人でシンジケートの正体を探り始める。
そして遂に、彼らがウィーンオペラの会場で動きを起こす事を察知したハントは、助っ人としてベンジー(サイモン・ペッグ)をウィーンに呼び寄せる。
やがて会場に現れたのは、三人のスナイパー。
その一人は、あのイルサだった。
はたして彼女の正体は何者なのか、三人の狙う相手は誰なのか・・・・


このシリーズの最大の特徴は、第一作のブライアン・デ・パルマ以来、非常に濃い作家性を持つ監督たちを、贅沢にも一回こっきりで起用してきたという事だろう。
特にジョン・ウーが手がけた第二作から、6年の間が開いた「M.I.Ⅲ」で、当時TVで売り出し中だったJ・J・エイブラムスを長編デビューさせたのは、プロデューサーとしてのトム・クルーズの大きな功績と言っていい。
この作品で彼がリブート職人としての才能を発揮していなければ、「スター・トレック」や「スター・ウォーズ」だってどうなっていたか分らない。
そのエイブラムスがプロデュースチームに加わった前作「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」では、アニメーション畑のブラッド・バードを起用し大成功。
スパイ映画の一方の雄「007」シリーズが、どんどんとダーク&ハードな方向に突っ走るのとは対照的に、いかにもアニメの人らしいギミック満載のド派手で痛快な娯楽大作に仕上がっていた。
そして第5作となる本作の監督は、クリストファー・マッカリー。
元々ブライアン・シンガーと組んでいて、「ユージュアル・サスペクツ」などで知られる名脚本家。
そのシンガー監督作「ワルキューレ」でトム・クルーズと出会い、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」や「アウトロー」も手がけた盟友だ。

脚本家監督らしく、本作のカラーはロジカルな映像的テリングが印象的だった「ゴースト・プロトコル」とは、だいぶ趣を異にする。
端的に言えば物語重視で、筋立てとキャラクターの感情の描きこみが豊かなのである。
イーサン・ハントの属するIMF(Impossible Mission Force)は本来CIA傘下の特殊作戦部隊だが、例によって好き勝手に暴れまわるので、本家から煙たがられ孤立するのは前回同様。
ただし今回は、人類浄化のために世界を核戦争に巻き込もうとする狂気の天才や、殺しの報酬をダイヤで受け取る女殺し屋みたいな、漫画チックなキャラクターは出てこない。
ハントの敵となるのは、ある人物によって秘密裏に作られた組織、死んだり行方不明になったはずの各国の敏腕スパイを集めた“シンジケート”だ。
彼らの陰謀に嵌められたハントは、IMFを解散させられただけでなく、逃亡者としてCIAに追われる立場になってしまう。
CIAの中の“Rogue organization(ならず者組織)”と揶揄されるIMFにとって、シンジケートは自らの鏡の様な“Rogue Nation”であり、組織を率いる謎の男レーンもまた、もう一人のハントである。
いわば秘密組織vs秘密組織、ライトサイドのハントvsダークサイドのハントという図式で、そこに敵味方不明の峯不二子的キャラ、イルサが重要な変数として絡む。
直接的に世界を破滅から救ったりする訳ではないので、アクション映画のスケールという点では前作に及ばないものの、本来のスパイものとしてはより見応えがある。

前半、ウィーンオペラで上演されるプッチーニの「トゥーランドット」を背景に、三人のスナイパーを巡るサスペンスが展開するが、本作の物語自体がこのオペラを下敷きにしている。
「トゥーランドット」は古の中国を舞台に、絶世の美女トゥーランドット姫と国を追われたカラフ王子のロマンスを描く作品だ。
美しいトゥーランドットに求婚する男は、彼女の出す三つの謎かけに答えなければならず、もしも間違えたらその者は処刑されてしまう。
新たな求婚者となる事を宣言したカラフは、見事に全ての謎を解き明かすのだが、男に対して極度の不信感を持つトゥーランドットは、どうしても結婚したくないと訴える。
ならばとカラフは、「自分の名前を知ること」を姫への謎かけとし、もしも夜明けまでに姫が自分の名を知れば、潔く死ぬ事を提案する。
するとトゥーランドットは、カラフの女奴隷であるリューを捕え、拷問して名前を聞き出そうとするが、カラフを慕うリューは決して口を割らず自決してしまう。
リューの命がけの献身は、遂にトゥーランドットの氷の様な心を溶かし、真実の愛に目覚めさせるのである。

本作では、国を追われ流浪の身となるハントがそのままカラフ王子で、イルサが大きな葛藤を抱えたトゥーランドット姫の役回りとなる。
彼女は元々イギリスのMI6によって、シンジケートに送り込まれた二重スパイだが、二つの組織のそれぞれのボスの身勝手な思惑によって、偽りの人生に縛り付けられ、希望を失って心を閉ざしている。
オペラでトゥーランドットが出す謎かけが、本作ではハントが挑む極秘ファイル争奪戦へと形をかえ、それでも新たな人生への踏ん切りをつけられないイルサの心を、信頼と献身という、彼女がそれまで属してきた組織とは真逆の価値観で行動する、IMFの面々が溶かしてゆく。
イルサの心が動かされ、人生の岐路に立つ瞬間になると、さり気なく「トゥーランドット」の旋律がサウンドトラックにインサートされるのだけど、古典オペラの物語をスパイ映画に換骨奪胎する洒落たセンスには参った。
この艶っぽさには脱帽だ。

もちろん、アクション映画としての見せ場もお腹一杯。
予告編で散々刷り込まれた度肝を抜かれる飛行機アクション、鉄壁のセキュリティを誇る水中金庫への侵入、毎度お約束の怒涛のカーチェイスまで、手に汗握るシチュエーションの連続は人間ドラマとの緩急も巧みに考えられており、娯楽映画としての完成度、満足度は非常に高いと言える。
前作で新キャラクターとしてジェレミー・レナー演じるブラントが登場した時は、そろそろこのシリーズも世代交代するのかな?と思ったが、どうやら彼は熱血ハントとは違ったクールな方向性のキャラで定着しそうだし、53歳という実年齢が信じられないくらい、トム・クルーズは歳をとらない。
どうやら「ミッション:インポッシブル」はこのチームのまま、まだまだ楽しませてくれそうだ。

今回は、中盤の重要な舞台となるモロッコのビール、その名も「カサブランカ」をチョイス。
比較的辛口のラガーで、なめらかな口当たりが特徴。
基本的に南国のビールはあっさり系が多いが、これもフルーティーな爽やかさでとても飲みやすい。
乾燥した砂漠気候にはピッタリなんだろうけど、高温多湿な日本の夏にも合う。
BBQのお供にも良さそうだ。

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