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■TITLE INDEX
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今年のハイライトはやはり息詰まる傑作「地雷と少年兵」で、日本公開が決まって本当によかった。
行き着くところまで行っちゃった巨匠たちの珍品と、若い作家のフレッシュな作品のコントラストが印象的。
何作かは後日ちゃんとしたレビューを書くと思います。
私の血に流れる血・・・・・評価額1300円
ベロッキオの新作はトリッキーな構造を持つ怪作。
司祭を誘惑し自殺に追い込んだことで、魔女の嫌疑をかけられ幽閉された修道女を巡る重厚な時代劇かと思いきや、中盤いきなり時代が同じ街の現代に飛ぶ。
一見時空を超えた因縁劇の様にも見える、現代のパートの位置付けがよく分からない。
現代パートでは、人間に混じってバンパイアとウワサされる一団が暮らしているのだけど、彼らが何のメタファーなのか、過去の出来事とどう繋がるのか不明瞭。
一応、過去と現代で俳優も多くは共通しているが、因縁話だとするとどの様に解釈しても二つの時代のキャラクター相関の整合性がとれない。
明らかに狙って観客を混乱させる作りには戸惑うばかり。
しかも、仮に現代パートを全部カットしても、過去パートだけでも話としては成立しちゃうしテーマらしきものも伝わるんだな。 現代パートの意図が不明のまま終わるので、全体解釈はお手上げ。
正直変な映画としか言いようがない。
地雷と少年兵・・・・・評価額1800円
戦争が終わっても、負の連鎖は止まらない。
第二次大戦後、デンマークはナチスが埋めた220万個もの地雷処理に、投降したドイツ軍人を徴用。
その多くが少年兵で、徴用された半数が死傷した。
この話は、デンマークでも殆ど知られてないという。
これは命懸けの任務につく少年兵部隊と、彼らの指揮官となるデンマーク軍人の物語。
濃密な時間を共有するうちに、彼らは次第に愛憎半ばする不思議な絆を育んでゆく。
モンスター=ナチスではない。
人は憎しみと言う燃料さえあれば、誰でも子供すら殺すモンスターに成り得る。
これも戦後70年の歴史再検証が生んだ作品だろうが、連合国側が自国のダークサイドを描く作品は珍しい。
真摯に作られた大変な力作だ。
実際にこの撮影準備中、現場の海岸で不発地雷が発見されたらしい。
「戦後」は永遠に終わらない。
コスモス・・・・・評価額1250円
ポルトガルの安宿屋を舞台に展開する、なんとも言葉では形容し難い作品。
これなんとなく天願大介監督の「なまず映画」に通じるものがある。
あの映画では登場人物が突然意味不明な言語を話し出し、コミュニケーションの断然がおこるが、こちらは喋っているのは普通の言語だけど、お互いが全然噛み合わない。
ここにあるのはタイトル通り、人間たちの織りなす混沌の宇宙。
全てが心象とも見えるし、あらゆる部分を暗喩と捉えることも出来る。
まあ形而上的な作品なので、何をどう解釈しても良いし、多分正解は無いのだろう。
とりあえず1時間くらいまでは、この訳の分からなさを結構楽しんだけど、さすがに終盤は飽きた。
ズラウスキはベロッキオより更にイカれてるわ。
レイジー・ヘイジー・クレイジー・・・・・評価額1650円
香港発、実話ベースの瑞々しい青春映画。
援交で稼ぎながら一人暮らしする女子高生のアリスと、活発な同級生クロエ、奥手のトレイシーが共同生活を始める。
新人女性監督の作品だけど、これは赤裸々過ぎて男には撮れる気がしない。
全くキャラクターの違う3人は、援交の是非や好きな人を巡って、反発したり共感したりしながら、青春の閉塞感に葛藤する。
制服がセーラー服だったり、やはりアジア映画のお隣感は、日本人にとって外国とは思えないリアリテイに通じるのだな。
主役の3人がびっくりする位に脱ぎまくるのだけど、監督の「女性が脱ぐのが濡れ場だけという映画界の慣習はおかしい。私たち女性がまず自分の体を受け入れなくては」という言葉に納得。
ちょっとだけエロい目で見てすみませんでした!( ;´Д`)
タンジェリン・・・・・評価額1600円
これは面白い。
LAのクリスマスイブ、トランスジェンダーの娼婦シンディが、恋人の浮気を知った事から物語が始まる。
シンディの親友、居場所不明の恋人、浮気相手の娼婦、タクシードライバーとその家族が次々にカオスな渦に巻き込まれ、最悪な1日を過ごすハメになる。
iPhone+アナモフィックレンズで撮影されたノイジーなシネスコ映像が、飛び交うお下品ワードと共に強烈なライブ感覚を作り出し、観客もまたシンディにLAの裏通りを引きずり回される感覚を味わう。
これは言わば、ラストでファンタジーに落とし込まないバージョンの「クラッシュ」と言えるかも知れない。
まあそれでも僅かな希望は感じさせるので、後味は悪くない。
ちなみに、タイトルはオレンジの品種であり暖色の種類。 甘くて強い、登場人物たちのメタファーになっている。
残穢 -住んではいけない部屋-・・・・・評価額1650円
誰もいない部屋に響く、奇妙な音から始まるミステリアスな怪奇譚。
これ面白いのは、竹内結子が好演する語り部のホラー作家が、心霊現象を全然信じていないこと。
彼女の超ローテンションの語りが、逆に作品世界にリアリテイを与えていて不気味。
ただコワイことはコワイが、ストーリーを進めるエネルギーはむしろある部屋の“穢れ”から時を遡り、その根源を探す謎解きへの興味。
「リング」などにも似た要素があったが、本作は竹内探偵と橋本愛演じる依頼人の久保さんの関連性も含め、ミステリ色が強い。
例えば「呪怨」の様に一軒の家の穢れに触れたら問答無用で死んじゃうのでは無く、一つの穢れが時間と人間を介して拡散して行くのは新しい。
恐怖心と好奇心の両方を満たしてくれる異色作で、自分の家の土地の過去を知りたくなる。
ガールズ・ハウス・・・・・評価額1600円
なるほどねえ「女の家」か。
結婚式直前に花嫁が死んだ。
幸せの絶頂になぜ?彼女の友人たちが調べ始めるが、父親の言葉は奥歯に物が挟まったようで要領を得ず、婚約者の言葉も食い違う。
一体彼女に何が起こったのか?何が彼女を死に追いやったのか?
女性を抑圧するのは男とは限らない。
特に結婚に関しては、本人同士はどうでもいいと思っている事でも、ある層の人々にとっては物凄く重要だったりする。
イラン的、というより結婚を家と家の関係と捉える汎アジア的な話で、一昔前なら韓国あたりでも、もっと以前なら日本でもある程度リアリティのある話だったはず。
ファルハディに連なるイランの普通の人々ミステリだが、ファルハディ作品がどちらかというと事象の裏側にある深層心理に切り込んで行くのに対して、こちらは事象の元になった事象止まりで脚本のロジックも含めどストレート。
分かりやすいが、その分やや深みには欠ける。
例によって女優陣が美しく、特に花嫁とその妹役の人はすんごい美人。
パディントン・・・・・評価額1650円
待たされすぎて我慢できなくて観ちゃったよ。
ペルーの山奥からロンドンへやって来た、言葉を喋る子グマのパディントンが、安住の「家」を探して居候先のブラウンさん一家と大騒動を巻き起こす。
どこか「メリー・ポピンズ」を思わせる、とても暖かくて可笑しいブリティッシュファミリームービーだ。
主人公のパディントンはもちろんキュートだが、人間キャラもいい。
家族を愛するあまり石頭になってしまった父ヘンリーや、幼少期の心の傷からパディントンを狙うニコール・キッドマン演じる剥製師など、背景にあるのは父性のキーワード。
キッドマンは悪役やってる時、本当に楽しそう。
ブラウンさんの家の吹き抜けの壁画を、家族の心象のアニメーションにするなど、工夫が凝らされたビジュアルセンスも光る。
まあ緩いと言えば緩い話ではあるが、小さな子供にも安心して見せられ、大人は童心に帰って楽しめる秀作だ。

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その間、紹介した映画は約850本。
書き手としてのスタンスは、以前は「なんでも取り上げる」だったのが、今は「オススメしたい作品だけ取り上げる」にかわり、そのせいか「最近は甘い」と言われることも(笑
はじめた当時はブログブームで、映画ブロガーさんもどんどん増えていたのだけれど、その後SNSなどに移行した人も多く、映画ブログも大分減りました。
私としてはTwitterやCOCO、FILMARKSなどのSNSを忘備録的に活用しつつも、基本SNSは「流れていくもの」だと考えているので、「残すもの」として今後もブログはマイペースに続けてゆくつもりです。
一応、10周年なので、毎年末の「Unforgettable Movies」から「10 Best of Unforgettable Movies 」を10年の思い出とともにピックアップしてみました。
850分の10、実際にはこの10年で1800本ほど長編を劇場で観てるので、1800分の10。
どれも絶品のオススメ作品。
白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々 (2005)
第二次世界大戦下、真に国を憂い反ナチスのビラを撒いた若き愛国者、ゾフィー・ショルの逮捕から処刑までの数日間の物語。
上映時間のおよそ半分を占める、ゲシュタポ尋問官との激しい論戦が本作の白眉だ。
パンズ・ラビリンス (2006)
ギレルモ・デル・トロが本領発揮した、スペイン内戦を背景とする異色のダークファンタジー。
フランコ政権軍の冷酷な将校を継父に持つ少女は、大人たちが森で戦っている間に、牧神パンに誘われ奇妙な魔法の世界で冒険に挑む。
ダークナイト (2008)
映画史のマイルストーンとなった、クリストファー・ノーランのダークなアメコミ映画の決定版。
悪のメタファーであるジョーカーの存在感が圧巻で、本作が遺作となったヒース・レジャーの墓標ともいえる作品だ。
グラン・トリノ (2008)
時代が変わっても、受け継がれてゆくべきものとは。
朝鮮戦争の帰還兵とアジア移民の少年の魂の継承の物語は、クリント・イーストウッドから全てのアメリカ人への遺言の様に思える。
チェイサー (2008)
ゼロ年代後半の韓国クライムムービーの最高傑作。
主人公と共に、人々の情念渦巻くソウルのダークサイドに放り出された観客は、もはや打ちのめされ、途方にくれるしかない。
アバター (2009)
ジェームズ・キャメロンによる映像革命。
地球から遥か彼方の異世界を舞台としたSF活劇は、圧倒的な臨場感を持つ3D映像によって、単なる映画鑑賞を超えたバーチャルな宇宙旅行となった。
トゥルー・グリッド (2010)
ジョン・ウェインの代表作を、コーエン兄弟が蘇らせた本作は、リメイクがオリジナルを超えた稀有な例。
弱肉強食の大西部で、殺された父の復讐に燃える少女の願いは、彼女自身にも重い代償を支払わせる。
この空の花 長岡花火物語 (2012)
ポスト3.11の日本に対する、元祖映像の魔術師・大林宣彦からの遺言的傑作。
鬼才の創造力が生んだシネマティック・ワンダーランドは、時間も空間も、生と死の境すら軽々と超え、一つの宇宙を形作る。
おおかみこどもの雨と雪 (2012)
命を生み、育てるとはどういうことか。“おおかみこども”として生を受けた姉弟と母。
数奇な運命に導かれ、家族となった三つの命の物語は驚くほど瑞々しく、崇高な美しさに満ちている。
ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 (2012)
トラと少年が乗り込んだのは、創造の箱舟。
永遠に割り切れないパイという名を持つ少年は、広大な太平洋で森羅万象の理を求める。
神性を巡る壮大な冒険譚であり、アン・リーによる野心的物語論でもある。
かぐや姫の物語 (2013)
巨匠・高畑勲が作り上げた、現時点での手描きアニメーションの到達点ともいうべき至高の逸品。
日本の物語の祖を忠実に、しかし実に巧みにモダナイズした本作は、この世界に生きる全ての命への大いなる賛歌だ。
以上、10 Bestと言いながら11本あるのはナイショ。
基本ハリウッドとエンタメ至上主義者なのが、自分でも分ります。
今年はまだ10月なので「Unforgettable Movies」は出してないのですが、もし含めるなら確実に「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が入ってくるでしょう。
あれ?それだと12本になっちゃうか(笑
皆さま、今後とも当ブログをよろしくお願いします。

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時代の先端を突っ走る人気アパレルサイトの若き女性CEOの元に、ひょんなことから70歳のインターンがやってくる。
ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイ、オスカー俳優同士の歳の差コンビネーションが絶妙。
年齢も性別も、社会的な立場も違う二人は、最初こそ壁があるが、少しずつ惹かれあい、強い絆を育んでゆく。
監督・脚本を手掛けるのは「恋愛適齢期」や「恋するベーカリー」で知られるベテラン、ナンシー・マイヤーズ。
一見オシャレなガールズムービーの様な装いだが、同時に高齢化社会の理想をも描き出し、軽妙でありながら、なかなかに深みのある秀作である。
ジュールズ(アン・ハサウェイ)は、アパレル通販サイトを起業し、わずか一年半で数百人を雇用するまでに成長させたeコマース界の風雲児。
はた目には夢と家庭を両立させ、誰もが憧れる成功者だ。
しかし激務ゆえに、一人娘の世話は家庭に入った夫にまかせっきりで、会社も急成長に体制が追いつかず、投資家からはCEO交代の圧力をかけられている。
そんな苦悩する彼女の元に、会社の福祉事業としてはじめたシニア・インターン制度に応募してきたベン(ロバート・デ・ニーロ)が現れる。
出会ってすぐには年齢の壁があった二人だが、人生の大ベテランの“アドバイス”は、様々なシチュエーションでジュールズを救い、いつしか30歳のCEOと70歳のインターンは心を通わせていく。
ところがある日、車でジュールズの娘を送っていたベンは、街角で衝撃的なシーンを目撃してしまい、やがてそれはジュールズに人生最大の選択を迫る事になる・・・・
アン・ハサウェイ演じるジュールズの初登場シーン。
彼女はCEOでありながら、コールセンターで顧客からのクレームを直接受けている。
もうすぐ結婚式を迎える“レイチェル”に送った、ブライズメイズのコスチュームの色が間違っていたというクレームに対し、彼女は結婚式までに確実に届けなおす事を約束。
このキャラクター名はもちろん、ハサウェイが初めてオスカーにノミネートされ、演技派として認知された出世作、「レイチェルの結婚」へのオマージュだろう。
ともあれ、数百人のスタッフを擁する彼女が徹底した現場主義者であり、仕事に対して真摯に取り組んでいる事を端的に理解させる秀逸な描写。
だが、ジュールズの仕事への情熱とは裏腹に、現実は問題だらけ。
急成長した事業に、会社の組織作りが追いつかず、クレームが多発しスタッフも疲弊。
問題視した投資家からは、CEOを外部から招へいし経営を任せる事を提案されている。
経営負担が無くなれば、会社の運営が円滑になるだけでなく、ギクシャクしている夫との仲も修復できるし、さびしい思いをさせている一人娘との時間も増やせる。
でもそれは自分の夢の重要な一部を諦める事で、新CEOとの相性によっては会社でのポジションも失いかねない。
実際、外部からCEOとしてジョン・スカリーを招へいし、結果的にAppleを追い出された若き日のスティーブ・ジョブズの例もある。
そんな時に、彼女前に現れるのが、シニア・インターとして雇われた男やもめのベン。
彼は電話帳会社の元部長として、40年に及ぶ実務経験を持つ。
eコマースで成功したジュールズが体現する現代と、ネット社会によって歴史の遺物となった電話帳という過去の存在のコントラスト。
ベンは、ある意味熟年男性の理想形として描かれる。
彼は良い意味で人生を達観していて、誰に対しても自然体で、自分の子や孫ほどの年齢のジュールズや社員たちに対しても、社会の先輩としてプライドをひけらかす事なく、常にオープンで謙虚。
それでいて観察眼には優れ、ジュールズの運転手の飲酒癖を見抜き、仕事を認められていないという女性社員の悩みには、さりげなくサポートする。
最初はシニア・インターンの存在そのものに興味を持っていなかったジュールズも、ベンと接するうちに彼の人間としての包容力に魅了され、誰にも言えなかった葛藤を打ち明けるようになるのだ。
観客が男性なら、彼のような魅力的な爺さんになりたいと願い、女性ならこんな上司や同僚がいたらと思うだろう。
「私の中にはまだ音楽がある」「ハンカチを持つ理由は、女性の涙のため」
長い人生の経験から紡がれる、ベンの言葉一つ一つが、格言のように心に沁みる。
本作の邦題はジュールズ視点の「マイ・インターン」だが、原題は「The Intern」である。
面白い事に予告編も日本版はジュールズがメイン、本国版ではどちらかと言えばベンをフィーチャーと全く逆の構成になっている。
要するにアメリカでは中高年の男性を含めた幅広い層に訴求する作品なのに対して、日本では完全に女性向けという宣伝戦略になっている訳だ。
実際、日本の中高年男性が、この種の映画に押し寄せるというのは想像し難い。
しかし本作は若い女性にだけ独占させるにはもったいない、幅も広ければ深みもある非常に間口の広い映画である。
上手いのは、二人の主要登場人物が、どちらも感情移入キャラクターであるという事。
あらゆるシチュエーションで自然体で洒落っ気のあるベンはもちろん、一見キツメのジュールズも、物語が進むにつれてどんどんと人間味を増してくる。
この二人のどちらにも感情移入できないという人は、ほとんどいないのではないだろうか。
まあ、基本良い人しか出て来ない出来過ぎた話しだが、観た人皆が幸せな気分になれるまことに正しい娯楽映画であり、どこかクラッシック作品を観ている様な品格を感じられる。
ところで最近のハリウッド映画は、テーマを体現する本来の主人公は女性、物語を牽引する動力となるのは男性という作品が多い。
本作もそうだし、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」も「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」も同様だ。
物語映画の本質は主人公がストーリーの中で徐々に変化(成長)し、葛藤を克服することでテーマを提示する事だが、上記した三本の作品はどれも深刻な葛藤を抱えているのは女性であり、男性は基本的に変化しない。
「マッドマックス」と「ミッション・インポッシブル」は、それぞれ心に傷を持つフュリオサとイルサのエクソダスの物語である。
彼女らは独裁者の暴力や、スパイ組織の非情といった男性優位の要因によって囚われ、抑圧されているが、マックスやイーサン・ハントら“まともな男”の共感と助けを借りて闘いながら、人生を変えてゆく。
観客を映画の世界に誘う見た目の面白さ、つまりアクションを主導するのはあくまでも男性キャラクターだが、彼らは実質的には狂言回しであって、物語の真の主役は女性たちなのである。
本作においても、生き方に関する大きな葛藤に直面しているのは、仕事の夢と家庭の両立に苦しみ、投資家からCEOの交代を迫られているジュールズの方であり、ベンの方は生きがいが欲しいという以外に大した問題は抱えておらず、最初から最後まで本質的には変わらない。
ジュールズは比較的リアルに、ベンがある程度理想化されたキャラクターに造形されているのも、キャラクターの役割ゆえの必然と言える。
もちろんこうした構造を持つ作品は古くからあるが、最近は特にハリウッドのメインストリームに目立つ。
全般に女性が主役の作品は男性が主役の作品と比べて興行収入が低くなりがちで、特に男性客を呼びたいアクション超大作の主役を女性にするのは及び腰なスタジオも多い。
だが、ハリウッドに徐々に浸透しつつあるフェミニズムの視点は、興行性とバランスをとりながら、着実に映画を変えているのかも知れない。
今回は、嘗てディズニーのプリンセス女優だったアン・ハサウェイ繋がりで、カクテルの「プリンセス」をチョイス。
小さめのリキュールグラスにアプリコット・ブランデー30mlを注ぎ、10mlの生クリームをそっと浮かせる。
この時に混ぜてはいけない。
アプリコット・ブランデーの豊かな風味と生クリームのソフトな舌触りが作り出す、まったりリッチな味わいはアペリティフやナイトキャップにいい。
もっとも、まんま強いリキュールなので、飲みすぎると映画の中のジュールズみたいになっちゃうかも。

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昭和世代には忘れられない傑作TVアニメ、出崎統監督の「ガンバの冒険」のリメイク。
好奇心旺盛なネズミ、ガンバと仲間たちが、巨大な白イタチ“ノロイ”の一族に支配された島のネズミたちを救うため、冒険の旅に出る。
基本設定やキャラクターは概ね旧作を踏襲しているが、作品のビジュアルイメージは別物だ。
手法は手描きセルアニメーションからフルCGアニメーションとなり、2.5頭身の大きくカリカチュアされたネズミたちのキャラクターは、スマートでより写実的に。
デザインのコンセプトが違いすぎるので、子供の頃に慣れ親しんだ“あのガンバ”を求めると、正直コレジャナイ感が拭えないが、独立した作品と捉えれば“このガンバ”は十分アリだ。
今の子供たちは旧作を知らないけどだろうから、この割り切りは正解なのかも知れない。
まあCGの場合はあまり漫画的なデザインだと、実際に動かした時に破綻してしまう事も、デザイン一新の理由なのだろうけど。
冒頭、スカイツリーがそびえる下町に住んでいた街ネズミのガンバとマンプクが、海への憧れから港の船乗りネズミたちの宴会へ紛れ込む。
この辺りの、ネズミサイズのミニチュアの世界観もけっこう楽しい。
そこへ助けを求めて島からやって来た子ネズミの忠太が現れ、ノロイを倒すための7人の旅の仲間が結成されて、冒険がスタート。
なしにしろ旧作では30分枠26話もあった物語を92分で描かなければならないので、展開はかなり駆け足だ。
怪力のヨイショ、頭脳派のガクシャらも矢継ぎ早に登場し、彼らの動機や関係性など描き足りない部分もあるが、とりあえずスピーディーにノロイの島へ。
ちなみに旧作にいた医者ネズミのシジンは消えて、原作からマンプクが登場し、気の優しいボーボはガンバの親友から皮肉屋のイカサマの親友へとポジションチェンジ。
島に着いて、忠太の父の忠一さんやお姉ちゃんの潮路さんら、生き残りのネズミたちと合流し、いよいよクライマックスとなるノロイとの最終決戦は、旧作の「ガンバの冒険」も下敷きにしていた「七人の侍」色がより強い。
オオミズナギドリのツブリさん一族との共闘は、思わず「グワイヒア、グワイヒア・・・」と呟きたくなるが、陸海空を股にかけたアクションはなかなかの迫力で盛り上がる。
野村萬斎が独特の台詞回しで演じるノロイは、デザインもムードも禍々しくて良い。
旧作のノロイは、その劇画チックな描写の効果もあって、昭和の子供たちのトラウマとなった名ヴィランだが、今回も妖しく禍々しく、魅力的なキャラクターとなっている。
逆に、ガンバのキャラクターは、最初から完成されすぎている様に感じた。
旧作に比べてグッとイケメン(?)にデザインされた彼は、有言実行で機転が利き、仁義に熱く仲間たちに慕われ、ついでに強運も持っている。
ノロイとの対決にあたって、一応「怖い」と弱音を吐くものの、実際の行動を見ればそれほど恐れている様には見えない。
冒険物語の主人公としては、葛藤が殆ど無いので成長要素が弱く、感情移入がしにくいゆえに、彼によりそって作品世界にスッと入れないのである。
もし、ガンバを非成長キャラクターとするなら、助けを呼びに来るのは忠太でなく潮路さんにして、彼女を明確に葛藤&感情移入キャラに位置付けても良かったのではないか。
まあ尺は伸びるだろうし、キャラの役割としては「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」と同じ構造になるが、過程が短すぎてやや唐突なガンバと潮路さんのロマンスの部分にもより説得力が生まれると思う。
それに21世紀のファミリー娯楽映画と考えれば、旅の仲間が昭和から変わらず男の子オンリーのままなのは少々疑問だ。
「ワンピース」が老若男女に支持されているのも、ナミやニコ・ロビンといった行動的な女性キャラの存在と無関係ではあるまい。
私はガクシャやイカサマなどは、女性キャラ化しても良かったのではないかと思う。
とはいえ「GAMBA ガンバと仲間たち」は、幾つかの構造的欠点は見えるものの、愉快な冒険活劇として十分に楽しめる良作だ。
ガンバに初めて触れる新しいお友だちはもちろん、旧作ファンの大きなお友だちも、最初は違和感を覚えるかもしれないが、いつしか小さな仲間たちとのワクワクする冒険に手に汗握るだろう。
本編が終わった後のエンドクレジットでは、劇場のスクリーンを飛び出したガンバとマンプクの新たな冒険が、森本千絵による切り絵アニメーションで描かれる。
これがまた可愛らしい仕上がりで、最後の最後まで楽しめるのも嬉しい。
海へ向かう冒険物語なので、今回は港街横浜の地ビール、「横浜ビール ラガー」をチョイス。
フルーティーさに適度な苦味とホップ感。
ライトな味わいながらしっかりとコクがあり、普通のラガーとペールエールの中間的なイメージだ。
横浜ビールにはラガーとヴァイツェン、ペールエール、ピルスナーがあるが、どれも美味しかった。

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日本一の漫画家を目指す、二人の高校生を描く熱血青春映画。
これも原作はほぼ未読。正確には連載開始された頃に、2巻まで読んだだけ。
内容もほとんど覚えていなかったのだけど、映画は疾走感のあるポップなエンターテインメントで実に面白かった。
監督・脚本を手がけたのは「モテキ!」や「恋の渦」で知られる大根仁。
素材と作家性の相性がとても良いのだろう、持ち味が存分に発揮されている。
漫画と映画はストーリーを画で物語るという共通項はあるものの、静によって動を描く漫画と、動の中に静を感じさせる映画では方法論が全く違う。
さらに今回の場合、漫画の中に漫画があるという原作のメタ的な構造の面白さが映画化することで崩れるので、映画ならではの見せ方、面白さを追求しなければならない。
白黒の絵をひたすら描くという本来極めて地味な行為を、動的表現として昇華するために、CGやプロジェクションマッピングといったデジタル技術を駆使して、派手に魅せる工夫はお見事。
アイディアがイメージとなり、次々に変化してゆくプロセスにはワクワクさせてもらった。
まあ、刀をペンに模した漫画バトルのくだりは、少々やり過ぎ感があったが(笑
高校生コンビが目指すのは、数ある漫画雑誌の中でもダントツの発行部数を誇る「少年ジャンプ」のトップ。
彼らの挑戦を彩るのは、仲間とライバル、そして恋だ。
これも漫画原作の秀作、「るろうに剣心」では敵味方だった佐藤健と神木隆之介が、作画担当の真城最高と原作担当の高木秋人を演じているのだけど、キャストの発表当初は「逆では?」という意見も多かったという。
しかし映画を観る限りでは、没頭型で凝り性の真城と、ノリがよくて天才肌の高木のキャスティングは絶妙に思える。
二人が漫画を描くモチベーションとなるのは、ジャンプの読者アンケートで1位になるという夢だが、彼らの前に立ちはだかるのが、染谷将太演じる同じく高校生の天才漫画家・新妻エイジ。
幼少期から漫画一筋、新妻の圧倒的なスキルを目の当たりにした二人は、自分たちの描くべき漫画、描きたい漫画とは何かについて葛藤する。
そして何度も折れそうになる若い心を支えるのは、個性豊かな漫画家仲間たちだ。
ちなみに、一応二人のコンビの話ではあるのだが、彼らが漫画家になる切っ掛けとなるのは、真城が声優志望の同級生・亜豆美保に恋したことで、さらに真城には嘗てジャンプの人気漫画家で、夭折した叔父がいる設定。
ジャンプの編集長とも、この叔父を介した因縁があり、要するに物語的により重要な葛藤を抱えているのは真城であり、実質的な主役は彼の方である。
前半は全くの素人が漫画に挑戦し、ジャンプの連載を勝ち取るまでのサクセスストーリー、後半はいよいよ新妻エイジとの日本一を巡るライバル対決だ。
最初の動機の部分に初恋を配置し、ゴールには遠大な目標、盛り上げるのは友情、努力、そしてビターな勝利。
劇中の彼らは、新妻の王道漫画に対抗して、邪道を目指してたけど、映画自体はむしろジャンプの王道中の王道といえる。
もっとも、特に前半は全てが順調すぎるとか、高校生が仕事して死にかけてるのに「親は?」とか、厳密にみるならば疑問もあるが、そこあまり拘るとシンプルじゃなくなるし、情報量的には既に詰め込み過ぎ気味なので、バランス的にはこれでいいと思う。
新妻エイジとかも、高校生設定だけど、全く学校行って無さそうだし(笑
そういえば彼のキャラクターにデジャヴを感じ、そうか「デス・ノート」の“L”に良く似ているのだな、と思ったら同じ原作者だった。
ところで、「バクマン。」とは「漫画は博打」の事なんだとか。
映画も同じだから「バクエイ。」か(笑
そうそう、これエンドクレジットが必見の出来だから、直ぐに席を立たないように!
今回は、彼らが復活して再びジャンプのNo.1になったら飲んで欲しいお酒、山形の高畠ワイナリーの「嘉-yoshi- スパークリング シャルドネ」をチョイス。
泡は繊細で、柑橘系にほのかな洋梨が混じるフルーティな香りが華やかなムードを演出する。
キレのよいスッキリとした喉ごし、やや辛口の味わいは合わせる料理を選ばない。
CPも優秀で、使い勝手の良い一本だ。

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![]() Japan Wine Competition(国産ワインコンクール)2013 金賞!高畠ワイナリー 嘉-yoshi- スパ... |


アメリカで大ヒットを記録した、青春アカペラお下品コメディの第二弾。
ぶっちゃけると、ほとんど前と同じ話だ(笑
全米アカペラチャンプとなったバーデン・ベラーズが、大舞台でまたまた恥ずかしい大失態をやらかし、ツアーは中止され新入生の勧誘も禁止。
存続の危機に陥った彼女らは、名誉回復をかけて世界チャンピオンの座に挑む。
要するに、前作の冒頭で描かれたゲロ事件が、今度はオバマ大統領にファット・エイミーの●●●を晒すという醜態に置き換わり、全米大会が世界大会へとグレードアップしライバルがドイツのチームに変わったものの、プロットの構成やキャラクターの役割も基本的には前作を踏襲。
良くも悪くも非常に分かりやすい、二匹目のドジョウである。
ただし、監督が女性のエリザベス・バンクスにバトンタッチして遠慮が無くなったのか、下ネタと差別ネタ満載でキャラクターのビッチっぷりは加速しているのだけど(笑
基本的に「1」を観ている事を前提に作られているので、DVDなどでの予習は必須。
前作の日本公開は遅れに遅れて今年の春だったが、本来2012年の映画である。
物語の中では既に3年の歳月が過ぎ、今回のテーマはそれぞれのベラーズからの卒業だ。
リーダーだったオーブリーは既に卒業し、研修センターの経営者としてそれなりに成功しているが、彼女の親友のクロエはベラーズ愛が強すぎて留年し続け、いまだ大学生。
アナ・ケンドリックのベッカも最上級生になり、卒業後のチャンスを作るべく念願の音楽会社でインターン中ながら、プロの壁にぶつかっている。
元ベラーズのOGを母に持つ、ヘイリー・スタインフェルド演じる新入生エミリーが、前作のベッカ的ポジションでグループに新風を吹きこむ役割。
この組み合わせは既にアナウンスされている「3」への布石でもあるのだろうけど、オーブリーとベッカという明確な対立軸のあった前作に比べると、今回のベッカとエミリーはむしろ協力関係にあるので、チームの成長物語という点ではやや弱い。
今回単体で一番目立っているのは、そもそもの発端を作るファット・エイミーだろう。
キャラのアンサンブル感が強まった今回、実質的な主役と言えるのは、画面に出てくるだけで笑いがこみ上げてくるレベル・ウィルソンかも知れない。
相変わらず細かい展開は相当にアバウトでご都合主義ではあるものの、パワフルなアカペラシーンが欠点を補って余りある。
中盤の見せ場であるリフ・オフは、前作のスタイルの方がカッコ良かったように思うが、世界大会のパフォーマンスの盛り上げはお見事としか言いようがない。
やはりアメリカの大学文化というか、世代を超えて長年受け継がれているクラブの伝統が上手く生かされているのが印象的で、オーブリーをはじめ前作のOG・OBが物語に絡んでくるのもシリーズものの大きな楽しみ。
クライマックスのサプライズ演出には、ちょっと泣かされた。
まあ前作と比べるとさすがにインパクトはやや薄れたが、ノリノリの素晴らしいアカペラと共に進んでゆく展開は心地よく、娯楽映画として十分に楽しめる。
ちなみに、エンドクレジット中に意外なエピローグがあるので、慌てて席を立たないように。
まさかアイツが最後に美味しいとこ持ってくとは!ここで評価額プラス50円(笑
今回はライバルがドイツチームという事で、「エルディンガー ヴァイスビア ヘフェ」をチョイス。
人気の高い上面発酵の小麦のビール。
比較的ライトで飲みやすく、フルーティなアロマも楽しめて飽きが来ない。
今年のオクトーバーフェストはもう終わってしまったが、ドイツビールの美味しい季節はまだまだこれからだ。
豊かな秋の幸と共に楽しみたい。

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人里離れた広大な草原に暮らす優しい父と美しい娘、そして彼女に想いを寄せる二人の青年を描く壮大な映像詩。
ロシアの俊英アレクサンドル・コット監督は、ソビエト連邦時代のカザフスタンで起こった、ある歴史的事件をベースに、極めてユニークで挑戦的な作品を作り上げた。
リリカルに描写される理想郷的な世界観はやがて、草原の彼方からやってくる暗黒の影によって覆われ、我々はこの映画に隠された世界の真実を見るのである。
絵のように美しい荘厳な自然の情景、そしてその中に佇む主人公の少女を演じる、エレーナ・アンの美少女っぷりが圧巻。
大人でもなく子どもでもない、境界の少女だけがもつ奇跡のムード。
物語のラストで、未来を見据えていたはずの、彼女の無垢なる瞳に飛び込んできたものとは。
※観る前に読まない事をお勧めします。
見渡す限りの大草原に、ぽつんと小さな家がある。
ここに暮らしているのは、父親のトルガ(カリーム・パカチャコーフ)と一人娘のディナ(エレーナ・アン)。
トルガが仕事に行くときは、途中までディナがトラックを運転し、分かれ道までくると運転を交代し、彼女は家へと歩いて引き返す。
すると幼馴染のカイシン(ナリマン・ベクブラートフーアレシェフ)が現れ、ディナを馬で家まで送ってくれるのだ。
ある日、家の近くで車が故障し、ロシア人の青年マックス(ダニーラ・ラッソマーヒン)が助けを求めてやってくる。
ディナの美しさに心を奪われたマックスは、それ以来頻繁に彼女を訪ねてくるように。
カイシンとマックス、二人の間でディナの心は揺れる。
そんなある夜、仕事から帰ると苦しそうに倒れこんだトルガの元に、武装した軍人たちがやってくる。
彼らは奇妙な計測機器を使って、トルガと家を調べてゆくのだが・・・
内容に関してほとんど情報を持たずに観たので、いろいろな意味で強烈なインパクトがあった。
大草原の小さな家に、山下清画伯みたいな朴訥なおっさんと、どえらい美少女が暮らしている。
少女は淡々とした日常を送りながら、まだ見ぬ外の世界に想像を巡らせ、スクラップブックに葉っぱのコラージュとして描いてゆく。
そして彼女に恋心をいだき、訪ねてくる青年二人。
日々の暮らしがあり、未来へのささやかな希望、静かな青春の葛藤がある。
そこは素朴だが、まるで小さな宝石のような美しい理想郷だ。
この映画に台詞は存在せず、広大な草原のロケーションを生かすシネマスコープの映像と、繊細に演出された音が全てを語る。
上記したあらすじのキャラクター名(英語読み)は、公式ホームページにも記載がなく、Hollywood Reporterの記事に基づくものだ。
ただ、映画の中では彼らの名前は明かされない。
いや名前だけでなく、場所も時代も具体的に分るような描写は避けられている。
父親の仕事も、毎日トラックでどこかへ出かけて行くという以上の事は語られない。
いつ、どこ、だれのインフォメーションを封じることで先入観がなくなり、誰もが純粋にこの珠玉の世界にひたり、飾り気のない少女の幼い美しさに見惚れ、憧れを抱く。
しかしやがて、観客は知るのである。
彼らが暮らしている「場所」の正体を。
そしてこの世界が、いかに儚くて残酷かを。
いずこからともなく現れる軍用トラックの車列、ガイガーカウンターを持った軍人たち、無人の平原を隔てる鉄条網、そして急激に健康を損なってゆく父親の体が意味すること。
セミパラチンスク。
アラモゴード、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、ロプノールと同様に、人類が生み出したもっとも邪悪な力によって、巨大な爪痕を残された呪われた土地。
アメリカに遅れること4年、ソ連最初の核実験は、1949年8月29日に現在はカザフスタン領となっているこの地で行われた。
機密保持のため(そしておそらくは核の影響を確かめる人体実験のため)、周辺の住民には実験内容の告知はもちろん、一切の避難勧告は行われなかったそうだ。
理想郷での極めて純粋で詩的な葛藤は、晩夏の白昼夢の様な閃光と巨大なキノコ雲によって一瞬で消し去られる。
セミパラチンスクの核実験場に関する、一定の事実が明らかになったのは、40年が経過したゴルバチョフ政権末期の事であり、実験場は既に閉鎖されているが、今でもこの地域の汚染は深刻で、癌や奇形の発生率は明らかに高いという。
原題の「Ispytanie (Испытание)」はロシア語で「テスト」と「試練」という二つの意味を持つ。
なるほど、少女に訪れる人生の試練と、核実験のダブルミーニングという訳か。
邦題の「草原の実験」もまた、核実験と本作の映画的実験という二重の意味を感じ取れる。
独特のテリングが作り出す、まるで実写をアニメーション的に解釈した様な、リアリティを損なわず現実をカリカチュアした世界観が誠に秀逸。
翼のない飛行機がやってくる浮世離れしたシーンなど、一瞬本作はファンタジー映画なのかと錯覚するほどだ。
この御伽噺のごとく平和な世界で、静かに力強く進行する人間ドラマが、草原の彼方から忽然と現れる強大な悪と出会う瞬間は、あまりにも美しく、そして禍々しい。
抗う事すら出来ない暴力に満ちた、残酷な世界の真の姿がここに浮かび上がるのである。
この映画のあちこちに見え隠れしているのが、アンドレイ・タルコフスキー監督の遺作、「サクリファイス」へのオマージュだ。
あの映画では、無神論者の主人公が、突然の核戦争勃発の報に、全てを捧げるから愛する者たちを救って欲しいと、はじめて神に祈り望みを伝える。
そして事態が解決されたと思った主人公は、神との契約を守るために、家に火を放ち犠牲を捧げるのである。
二本の映画には、共に象徴的な生命の木が登場する。
本作では少女の家の前に立ち、彼女にコラージュの材料を供給していた枯れ木であり、「サクリファイス」では主人公の父子が植える枯れた松だ。
草原で道に迷ったロシアの青年が、なぜか海のイメージを経て枯れ木への落雷に導かれ、少女の家へとたどり着くのも、「サクリファイス」の松がバルト海の浜辺に植えられていた事と符合するのではあるまいか。
この枯れ木は核実験による爆風で全てが破壊されたあとも、なぎ倒される事なくそこに存在し続けている。
少女たちの穏やかな日常は、人間の邪悪な力によってあっけなく灰塵に帰すが、命そのものを根絶やしにする事は決して出来ない。
「サクリファイス」のラストを締め括るのは、言葉を失っていた主人公の息子の台詞。
「“はじめに言葉ありき” なぜなのパパ?」
言葉は即ち神、ならば言葉無き世界は?
核による終末の世界を描く本作は、コットからタルコフスキーへと捧げられた、もう一つの「サクリファイス」なのかもしれない。
カザフスタンを含む中央アジアの諸民族はおおむねイスラム教徒ながら、この地域は民族の歴史とともに今も豊かな酒文化を持つ事でも知られている。
とはいえカザフスタン産の酒は日本ではなかなか手に入らないので、カスピ海の対岸に位置するやはり旧ソ連構成国で、ワインどころとして有名なアゼルバイジャンから「シェルグ・ウルドゥズ バヤン・シラ 」をチョイス。
スッキリとした喉ごし、フレッシュな香りとシャープな輪郭を持つ辛口の白。
クセがなくて非常にのみやすく、シチュエーションを選ばない使い勝手の良い一本だ。

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