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2015年11月17日 (火) | 編集 |
それは進化か、絶望か。
伊藤計劃原作の傑作SF小説、「ハーモニー」のアニメーション映画化である。
人類が病気と老いの恐怖から解放された21世紀末を舞台に、世界を揺るがす陰謀とその裏に隠された驚愕の真相が描かれる。
フジテレビの深夜アニメーション枠「ノイタミナ」の映画ブランド「ノイタミナ・ムービー」で、伊藤計劃の長編三作を映画化する「Project Itoh」の第二作。
「鉄コン筋クリート」で知られるマイケル・アリアスと、「パルムの樹」のなかむらたかしが共同監督を務める。
※核心に触れています。
医療経済社会が発達し、誰もが健康に生きる未来。
遺伝子犯罪を抑止するWHO螺旋監察官の霧慧トァン(沢城みゆき)は、幼馴染の零下堂キアン(洲崎綾)が自殺する現場を目撃してしまう。
同じころ、何者かに操られた数千人もの人々が一斉に自殺する事件が起こり、犯人から全人類に向けて「一週間以内に誰か1人を殺さないと、同じように自殺させる」という犯行声明が届き、世界はパニック状態に。
捜査に参加したトァンは、やがて事件の陰に13年前に自殺したはずの同級生・御冷ミァハ(上田麗奈)の思想を感じる。
やはり13年前に失踪した遺伝分子学者の父・ヌァザ(森田順平)が、ミァハの遺体の献体を受けていた事を知ったトァンは、二人を追ってバクダッドへ向かうのだが・・・・
鑑賞してまず感じるのは、脚色されても分かる伊藤計劃の圧倒的な物語力だ。
没後早くも6年になるが、偉大な才能を失ってしまったものだと改めて実感。
直接的にはつながってはいないものの、本作は彼の長編デビュー作となった「虐殺器官」と世界観を共有する続編的な作品である。
全ての人類には狂暴性を秘めた“虐殺器官”が存在し、それは“虐殺文法”によって活性化される。
「虐殺器官」において、その始まりが描写された全世界規模の騒乱“大災禍(ザ・メイルストロム)”から数十年後、政府ならぬ“生府”に管理され、死ぬことすらタブー視される超健康社会に生きる人類。
ある種の浄化であった大災禍によって、膨大な数の命が失われた結果、人々は人間そのものを公共のリソースと考え、高度な共生社会を作り上げている。
体内に入れられたナノマシンとつながったサーバーによって、一人ひとりの健康状態は厳格に管理され、人間は個人情報の概念をほぼ失う代わりに、社会のパーツとして誰もが長く健康に生きられる世界。
これはディストピアでもユートピアでもなく、はたして人類の本質とは何かを描き出すための秀逸な舞台装置だ。
主人公のトァンの職業は、遺伝子の違法操作などを取り締まるWHOの螺旋監察官。
命そのものがイデオロギーと直結する社会において、WHOが国際的な警察権を持つ設定は面白い。
彼女はこの完璧なはずの社会で起きた謎の集団自殺事件を追ううちに、少女時代のトラウマである同級生のミァハの自殺に行き当たる。
13年前、ミァハは自分の体をも管理される窮屈な社会に抵抗するために、トァンとキアンを誘って服毒自殺を持ちかけ、実行する。
結果的にトァンとキアンは生き残り、ミァハだけが死んだことになっているが、集団自殺事件を起こした犯人の声明に、“完璧過ぎて不自由な社会に、死によって対抗する”というミァハの思想を感じるのである。
人間の意識を操作する研究をしていた遺伝分子学者の父が、ミァハの自殺に関わっていた事を知ったトァンは、二人の影を追って東京からバクダッド、そして全ての始まりの地であるチェチェンへ。
ミァハの血塗られた出生の秘密と、陰謀の裏側に迫って行くのだが、実は途中までトァン(と観客)はミァハの事を根本から誤解している。
幼少期の過酷な経験によって、人間の悪の部分を知り尽くしている彼女は、管理社会からの個の解放を目指しているのではなく、人類そのものを次なる段階へ進化させようとしているのだ。
大災禍の再来を恐れる支配層は、ミァハの持つ特殊な“血”を使って、人間一人ひとりの行動を意識レベルで操作する方法を開発。
だがそれは、全人類の脳から“わたし”という概念を永遠に消去し、自明の選択によってのみ行動する存在に変化させることなのである。
人類のあらゆる悪は、脳の化学反応によって自我から生まれる。
ならば自我そのものが無ければ、そこは争いも葛藤も無く、全てが完全に調和する清浄の世界が生まれるはず。
実際に人類から自我が失われたとしたら、欲望も好奇心もすべてが無くなるのだから、おそらく文明のイノベーションはもはや起こらず、ただ機械的に生命を維持するだけの生体ロボットのような存在になるのだろう。
SFの歴史上類を見ない、驚くべきアイディアによる究極の選択は、人類のあり方としてユートピアへの進化なのか、ディストピアへの絶望なのか。
しかし美しきテロリストとなったミァハによって、混沌への回帰か否かを突き付けられた人類は恐怖に震え、もはや選択肢は残っていないのだ。
原作小説の圧倒的なボリュームを二時間の尺に収めるために、やや台詞に説明を頼った饒舌な作品にはなっている。
お金や時間など諸々の問題は理解できるが、この作品にはやはり150分くらいは尺をあげたいところ。
とはいえ内蔵のような未来都市を始め、映像的には世界観の作り込みで頑張っているし、トァンとミァハのキャラデザもなかなか良いのではないかと思う。
とても見応えのある力作だと思うが、これはやはり「虐殺器官ver.2.0」なので、映画も順番に観たかった。
本作単体でも完結しているが、これだけを観るのと、あの話を受けて観るのとではだいぶ印象が異なるだろう。
制作会社のマングローブの倒産によって、公開延期になってしまった「虐殺器官」は、新スタジオでの制作続行が決まったそうだが、実質作り直しで来年中の公開を目指しているという。
かなり先は長いので、できれば原作の「虐殺器官」を読んでから、本作を鑑賞するのがお勧め。
それにしても中東の騒乱からフランスのテロへという流れを見ていると、伊藤計劃による未来予測はなんだか現実のものになりつつあるようで、甚だ寒心に堪えないのである。
もしも人類が自我を失ったら、自明としてアルコールは不要になるだろうから、“わたし”にサヨナラする前に飲みたいお酒、石川は車多酒造の「天狗舞 古古酒純米大吟醸」をチョイス。
正しく究極にまで突き詰められた、豊かなお米の香りと味。
柔らかでフルーティな吟醸香が広がり、キレとコクが絶妙にバランスする味わいは、熟成されることで更に見事なハーモニーを奏でる。
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伊藤計劃原作の傑作SF小説、「ハーモニー」のアニメーション映画化である。
人類が病気と老いの恐怖から解放された21世紀末を舞台に、世界を揺るがす陰謀とその裏に隠された驚愕の真相が描かれる。
フジテレビの深夜アニメーション枠「ノイタミナ」の映画ブランド「ノイタミナ・ムービー」で、伊藤計劃の長編三作を映画化する「Project Itoh」の第二作。
「鉄コン筋クリート」で知られるマイケル・アリアスと、「パルムの樹」のなかむらたかしが共同監督を務める。
※核心に触れています。
医療経済社会が発達し、誰もが健康に生きる未来。
遺伝子犯罪を抑止するWHO螺旋監察官の霧慧トァン(沢城みゆき)は、幼馴染の零下堂キアン(洲崎綾)が自殺する現場を目撃してしまう。
同じころ、何者かに操られた数千人もの人々が一斉に自殺する事件が起こり、犯人から全人類に向けて「一週間以内に誰か1人を殺さないと、同じように自殺させる」という犯行声明が届き、世界はパニック状態に。
捜査に参加したトァンは、やがて事件の陰に13年前に自殺したはずの同級生・御冷ミァハ(上田麗奈)の思想を感じる。
やはり13年前に失踪した遺伝分子学者の父・ヌァザ(森田順平)が、ミァハの遺体の献体を受けていた事を知ったトァンは、二人を追ってバクダッドへ向かうのだが・・・・
鑑賞してまず感じるのは、脚色されても分かる伊藤計劃の圧倒的な物語力だ。
没後早くも6年になるが、偉大な才能を失ってしまったものだと改めて実感。
直接的にはつながってはいないものの、本作は彼の長編デビュー作となった「虐殺器官」と世界観を共有する続編的な作品である。
全ての人類には狂暴性を秘めた“虐殺器官”が存在し、それは“虐殺文法”によって活性化される。
「虐殺器官」において、その始まりが描写された全世界規模の騒乱“大災禍(ザ・メイルストロム)”から数十年後、政府ならぬ“生府”に管理され、死ぬことすらタブー視される超健康社会に生きる人類。
ある種の浄化であった大災禍によって、膨大な数の命が失われた結果、人々は人間そのものを公共のリソースと考え、高度な共生社会を作り上げている。
体内に入れられたナノマシンとつながったサーバーによって、一人ひとりの健康状態は厳格に管理され、人間は個人情報の概念をほぼ失う代わりに、社会のパーツとして誰もが長く健康に生きられる世界。
これはディストピアでもユートピアでもなく、はたして人類の本質とは何かを描き出すための秀逸な舞台装置だ。
主人公のトァンの職業は、遺伝子の違法操作などを取り締まるWHOの螺旋監察官。
命そのものがイデオロギーと直結する社会において、WHOが国際的な警察権を持つ設定は面白い。
彼女はこの完璧なはずの社会で起きた謎の集団自殺事件を追ううちに、少女時代のトラウマである同級生のミァハの自殺に行き当たる。
13年前、ミァハは自分の体をも管理される窮屈な社会に抵抗するために、トァンとキアンを誘って服毒自殺を持ちかけ、実行する。
結果的にトァンとキアンは生き残り、ミァハだけが死んだことになっているが、集団自殺事件を起こした犯人の声明に、“完璧過ぎて不自由な社会に、死によって対抗する”というミァハの思想を感じるのである。
人間の意識を操作する研究をしていた遺伝分子学者の父が、ミァハの自殺に関わっていた事を知ったトァンは、二人の影を追って東京からバクダッド、そして全ての始まりの地であるチェチェンへ。
ミァハの血塗られた出生の秘密と、陰謀の裏側に迫って行くのだが、実は途中までトァン(と観客)はミァハの事を根本から誤解している。
幼少期の過酷な経験によって、人間の悪の部分を知り尽くしている彼女は、管理社会からの個の解放を目指しているのではなく、人類そのものを次なる段階へ進化させようとしているのだ。
大災禍の再来を恐れる支配層は、ミァハの持つ特殊な“血”を使って、人間一人ひとりの行動を意識レベルで操作する方法を開発。
だがそれは、全人類の脳から“わたし”という概念を永遠に消去し、自明の選択によってのみ行動する存在に変化させることなのである。
人類のあらゆる悪は、脳の化学反応によって自我から生まれる。
ならば自我そのものが無ければ、そこは争いも葛藤も無く、全てが完全に調和する清浄の世界が生まれるはず。
実際に人類から自我が失われたとしたら、欲望も好奇心もすべてが無くなるのだから、おそらく文明のイノベーションはもはや起こらず、ただ機械的に生命を維持するだけの生体ロボットのような存在になるのだろう。
SFの歴史上類を見ない、驚くべきアイディアによる究極の選択は、人類のあり方としてユートピアへの進化なのか、ディストピアへの絶望なのか。
しかし美しきテロリストとなったミァハによって、混沌への回帰か否かを突き付けられた人類は恐怖に震え、もはや選択肢は残っていないのだ。
原作小説の圧倒的なボリュームを二時間の尺に収めるために、やや台詞に説明を頼った饒舌な作品にはなっている。
お金や時間など諸々の問題は理解できるが、この作品にはやはり150分くらいは尺をあげたいところ。
とはいえ内蔵のような未来都市を始め、映像的には世界観の作り込みで頑張っているし、トァンとミァハのキャラデザもなかなか良いのではないかと思う。
とても見応えのある力作だと思うが、これはやはり「虐殺器官ver.2.0」なので、映画も順番に観たかった。
本作単体でも完結しているが、これだけを観るのと、あの話を受けて観るのとではだいぶ印象が異なるだろう。
制作会社のマングローブの倒産によって、公開延期になってしまった「虐殺器官」は、新スタジオでの制作続行が決まったそうだが、実質作り直しで来年中の公開を目指しているという。
かなり先は長いので、できれば原作の「虐殺器官」を読んでから、本作を鑑賞するのがお勧め。
それにしても中東の騒乱からフランスのテロへという流れを見ていると、伊藤計劃による未来予測はなんだか現実のものになりつつあるようで、甚だ寒心に堪えないのである。
もしも人類が自我を失ったら、自明としてアルコールは不要になるだろうから、“わたし”にサヨナラする前に飲みたいお酒、石川は車多酒造の「天狗舞 古古酒純米大吟醸」をチョイス。
正しく究極にまで突き詰められた、豊かなお米の香りと味。
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