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2015 unforgettable movies
2015年12月30日 (水) | 編集 |
いろいろな事が起こりすぎて、なんだか世界が混沌に陥っていった2015年。
映画界の最大の話題は、「マッドマックス」「スター・ウォーズ」「ロッキー」という7、80年代に絶大な人気を誇った伝説的なシリーズが、揃ってオリジナルを凌駕するクオリティで見事な復活を遂げたことだろう。
時代は連環するというが、今また新しい時の輪がはじまったという感慨がある。
それでは、今年の「忘れられない映画たち」を鑑賞順に。

「KANO 1931海の向こうの甲子園」は、日本統治時代の1931年に、台湾代表として甲子園大会に出場し、旋風を巻き起こした嘉義農林学校野球部を描く群像劇。民族を超える野球という肉体言語が、誰も予想しなかった奇跡を生む。これは台湾近代史の1ページであると同時に、失われた日本史の物語でもある。

「リトル・フォレスト 夏・秋・冬・春」は、東北のとある村に、たった一人で自給自足しながら暮らす、いち子の一年を描く四部作。彼女の日常に特に何が起こるわけでもなく、育て収穫し料理して食う、を繰り返しているだけ。だが生きる事に直結する“労働”を描くこの作品には、生命としての本質的な憧れを感じる。独創の映画である。

「アメリカン・スナイパー」は、クリント・イーストウッドが戦争の時代に問う、大問題作。米軍最強のスナイパーの実話をベースに、西部劇の構造を埋め込み、正義を求める高潔なる心と、残酷すぎる現実の矛盾を描く。ただ正しい事をしたいと思っているのに、主人公はいつしか戦場の怪物と化し、永遠にその呪縛から逃れることは出来ない。

「幕が上がる」は、ある意味今年最大のサプライズにして、青春映画史に残る大傑作。ももいろクローバーZのメンバーが演じる、高校の弱小演劇部は、嘗て“学生演劇の女王”と呼ばれた一人の指導者によって覚醒してゆく。モノ作りとは何か、なぜ自分は物語るのか。ここには創造の夢と狂気、どこでもない何処かへと向かう最初の情景がある。スピンオフに当たる舞台版も素晴らしかった。

「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」は、第二次世界大戦下、解読不可能と思われていたドイツ軍の暗号マシン、エニグマに挑んだ天才数学者の物語。だが、彼が異常な執念をもって“考えるマシン”を作ろうとしたのは、単に戦争に勝つためだけではない。その心に秘められた、ある感情が露になるとき、本作は最も切ないラブストーリーとなる。

「セッション」は、恐ろしいまでの緊迫感が全編に渡って持続する、超クールな音楽映画。全米一の音楽大学で、スクールバンドにスカウトされた主人公は、そこで“天才を育てること”にとり付かれた狂気の指導者と出会い、地獄の日々を送る事になる。これはもはや、弾丸の変わりに意地と欲望と音符が飛び交う命がけの決闘だ。

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」は、異才アレハンドロ・G・イニャリトゥによる、未見性の固まりの様な異色作。嘗てヒーロー映画の主役としてもてはやされたのも今は昔、忘れられた俳優、リーガンのカムバック劇は、やがて現実と虚構がシームレスに入り混じり、観客は彼の心象の迷宮に迷う事になる。イニャリトゥはスクリーンを超え、観客の心に直接画を描く。

「寄生獣 完結編」は、漫画を原作とする日本のSFがことごとく討ち死にする中、前作に引き続き高いクオリティを維持した。要素を絞り込み、プロットの密度をを高めて展開する物語は、極めてスリリングでテーマ性も高い。脚本の完成度を上げ、きちんと演技の出来る俳優をキャスティングするという、どこまでも基本に忠実な作りの勝利だ。

「シンデレラ」は、誰もが知るディズニー名作アニメーションの、完璧なセルフリメイク。ケネス・ブラナー監督は、あえて現代的な改変や脚色を行わず、オリジナルストーリーのキャラクターを掘り下げるという手法で、見事古典をモダナイズしてみせた。魔法のシーンの視覚的美しさも素晴らしく、本作を観た観客は誰もが10歳の少女の気持ちに戻ってしまうだろう。

「ピッチ・パーフェクト1&2」は、大学アカペラのNo.1に挑む女性だけのチーム、ガーデン・ベラーズの活躍を描く群像劇。典型的なアメリカンお下品コメディだが、オバカなお笑いと、アカペラシーンのカッコ良さのギャップが見事。今年は音楽映画の当たり年で、本シリーズの他にも「セッション」や後述する「ストレイト・アウタ・コンプトン」、「はじまりのうた」など秀作が目白押しだった。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は、2015年映画界最大の事件。30年ぶりに蘇った世紀末アクションは新たな伝説を作り出し、文句なしの本年度ムービー・オブ・ザ・イヤーとなった。これは細部まで考えられたロジカルな作劇と、暴走するV8エンジンの狂気のエネルギーに支えられた、映像のロックオペラだ。我々は、一人のウォーボーイズとなって、この戦いに参戦するしかない。

「サイの季節」は、イラン革命下、とある男の策略によって30年に渡り囚われの身となったクルドの詩人の物語。ようやく釈放されたとき、既に詩人の家族は手が届きそうで届かない存在になっていた。主人公のモデル、主演俳優、監督は共に国を追われた男たち。これは、彼らの歴史と想いを一つの映画に統合し、再解釈した壮大な映像叙事詩だ。

「コングレス 未来学会議」は、鬼才アリ・フォルマン監督による、異色の近未来SF。デジタル技術が極限まで発展し、あらゆる映像を作り出せるようになった時、人々が求める“次”は何か?フォルマンはアニメーション手法を使って、映像がマテリアルではなく、ケミカルによって作り出される時代を描く。映画の終焉が行き着く先は、はたしてディストピアなのか、それともユートピアなのか。

「インサイド・ヘッド」 は、ディズニー・ピクサーの素晴らしいファミリー映画。思春期の入り口に立つ11歳の女の子の脳内にいるのは、ヨロコビ、ムカムカ、ビビリ、イカリ、そしてカナシミ。人生は楽しくてハッピーな事だけじゃだめなのか、なぜカナシミが必要なのか。ヨロコビとカナシミの脳内ワンダーランドの大冒険は、とても面白くて、ちょっぴり切ない。

「野火」は、塚本晋也監督の執念が生んだ、戦後70年の節目に相応しい大傑作。太平洋戦争末期のフィリピン。無限に広がるジャングルに送り込まれた主人公の田村は、極限状態の中でこの世の地獄を見る。塚本監督自身が演じる田村は、この映画自体を心象として観客を包み込み、一体化する。我々は、否応なしに世にも恐ろしい緑の海の流離譚を体験するのである。

「ミッション:インポッシブル / ローグ・ネイション」は、シリーズベストの快作。プッチーニの「トゥーランドット」を換骨奪胎。非常なスパイの世界で希望を失っているヒロインをテーマ的な主人公とし、イーサン・ハントと仲間たちが救出する。今年はスパイ映画も良作が多く、「007 スペクター」や日本の「杉原千畝 スギハラチウネ」なども良かったが、作劇の妙で本作が一歩抜け出していた。

「ストレイト・アウタ・コンプトン」は、80年代後半に旋風を巻き起こしたギャングスタラップの雄、N.W.Aのメンバーたちを描く鮮烈な実録青春群像劇。青春映画・音楽映画として優れているだけでなく、アフロアメリカン現代史の20世紀の終章と捉えるとより興味深い。彼らから遡ること四半世紀、キング牧師の闘争を描いた「グローリー-明日への行進-」も心に残る。

「草原の実験」は、ある意味今年最大の衝撃作。草原の一軒家にどえらい美少女が朴訥な父と暮らしている。そこに少女を慕い、訪ねてくる少年が二人。素朴な理想郷の情景はしかし、ある時点から急速に暗雲に包まれてゆく。そして予想もしなかったラストシーン、私たちはこの世界がいかに残酷で、暴力に満ちているかを知るのである。

「マイ・インターン」は、どこか古典映画の様な品格を纏った、ヒューマンコメディの秀作。アン・ハサウェイ演じる、葛藤を抱えたeコマースのやり手創業者は、父親の様な年齢のインターンとの出会いで、少しずつ生き方を変えてゆく。一見オシャレなガールズムービーの様な装いながら、同時に高齢化社会の理想をも描き出し、軽妙でありながら、なかなかに深みのある秀作である。

「名もなき塀の中の王」は、いかにもイギリス映画らしいハードな刑務所ドラマだ。暴力衝動を抑えられない少年が、移送された刑務所に偶然収監されていた生き別れの父と出会い、少しずつ変わってゆく。 人間の負の部分が増幅される刑務所という閉鎖空間で、彼らはぶつかり合いながらも、心の底にある絆と愛を知る。

「裁かれるは善人のみ」は、バレンツ海に臨む田舎町を舞台に、権力に翻弄される市井の人々を描くヘビー級のドラマ。土地買収に纏わる騒動が、次から次へと悪循環を作り出し、そこに浮かび上がるのは、虚飾に満ちた現代ロシアの真の姿。ここにはもう神も悪魔もおらず、ただ神の名を語る人間たちのみがいる。

「ハンガー・ゲーム FINAL:レボリューション」
シリーズ最終章に相応しい、パワフルな傑作。カットニスの勇気によって火を噴いた革命は終わりに近づき、独裁は敗北しつつある。だがその事が、平和の到来を意味しないことを知った時、カットニスは誇り高きテロリストとなることを選ぶ。ハリウッドの鋭敏な時代感覚によって、本作は世界の鏡像となった。

「恋人たち」は、共に幸せが過去になってしまった3人の男女を主人公とした物語。なぜ自分にだけ不幸が降りかかるのか、どうしたら人に自分の気持ちを分かってもらえるのか、自分の本当の居場所はどこなのか。ただ幸せを求めて、喪失を埋め合わせようと、閉塞を打ち破ろうと、抗えば抗うほどに現実に打ちのめされる。 今ある世界の暗闇に僅かな光を見出すラストは余韻が長く残る。

「独裁者と小さな孫」は、自らも亡命生活を送る、モフセン・マフマルバフ監督による、寓話的物語。クーデターで権力を追われた独裁者は、幼い孫と二人逃亡者となり、自らが抑圧した人々によって狩り立てられる。独裁者はなぜ生まれるのか、独裁者を作り出すのは誰なのか。映画は暴力の主体としての大衆を客観視させ、世界の縮図を見せ付ける。

「スター・ウォーズ / フォースの覚醒」は、伝説のサーガの鮮やかな復活。J・J・エイブラムスは、創造主の去った宇宙を、見事に人間の手に取り戻した。骨組みはしっかりと残しつつ、ディテールは現代に相応しくモダナイズ。結果どこからどうみても「スター・ウォーズ」だが、フレッシュでワクワクする冒険物語となった。フォースは、間違いなく覚醒したのである。

「クリード チャンプを継ぐ男」は、新世代の監督、俳優による「ロッキー」第二章。こちらも名作シリーズ久々の復活。嘗て最強のチャンピオンだったアポロの息子は、偉大な父を超えるために、自らのメンターにロッキーを選ぶ。これは父を知らない男が、ロッキーと擬似的な父息子関係を結んで、本当の父を越えて行く漢の映画である。

以上、作品の評価や完成度ではなく、現時点で最も心に残る26本。
並べてみると、本当に音楽をモチーフにした秀作が多かった様に思う。
あと今年の特徴としては、ジェンダーに関してハリウッドのメインストリームの潮目がはっきりと変った。
「スター・ウォーズ」の新たな主人公が女性になったのは、その象徴的な出来事だ。
「マッドマックス」や「ミッション:インポッシブル」も一見すると男が主役に見えるが、テーマを体言しているのはどちらも女性。
「マイ・インターン」のアン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロもそうなのだが、深刻な葛藤を抱えている物語的な主人公は女性で、男性はその手助け役、面白さを担う存在という作品が目立った。
フェミニズムの年らしく「私に会うまでの1600キロ」「プリデスティネーション」「アデライン、100年目の恋」、日本映画でも「ビリギャル」「心が叫びたがってるんだ」など、など女性が主人公でそれぞれにユニークな視点を持つ秀作が多かった。
洋画アニメーションでは、「リトル・プリンス 星の王子さまと私」「I LOVE スヌーピー」「ひつじのショーン~バック・トゥ・ザ・ホーム~ 」など、有名原作やテレビ版などの知名度のある作品は公開されたものの、それ以外は相変わらずガラパゴス。
フランスの素晴らしい「MUNE」などは是非正式公開を望みたい。
他にも言及したい作品は沢山あるが、きりがないのでこのへんで。
ただ最後に、「ワイルド・スピード SKY MISSION」にだけは触れておきたい。
映画としてはもちろん面白かったが、故ポール・ウォーカーに対する最高のトリビュートであり、違う意味で忘れられない映画になった。
さて来年は、どんな映画に出会えるのだろう。

それでは皆さん、よいお年を。

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ショートレビュー「クリード チャンプを継ぐ男・・・・・評価額1700円」
2015年12月29日 (火) | 編集 |
スタローンにオスカーを!

今年は、「マッドマックス」「スター・ウォーズ」という、7~80年代を代表するヒットシリーズがオリジナルを凌駕するクオリティで鮮やかな復活を果たしたが、年の瀬にさらに一本、同時代の名作が見事にカムバック。
丸腰の黒人青年が白人警官に射殺された実話を映画化した、「フルートベール駅で」が記憶に新しい、ライアン・クーグラー監督と主演のマイケル・B・ジョーダンのコンビが仕掛けるのは、あの「ロッキー」シリーズの第二章である。
今回主人公となるのは、嘗てロッキーと二度にわたる死闘を繰り広げた最大のライバル、アポロ・クリードの息子。
エリートサラリーマンとして成功した人生を歩んでいたものの、自分の中で疼くファイターの血を抑えられず、ボクサーとして頂点を目指すアドニスが、自らの師として選んだのが無敵のチャンプだった父を破ったロッキーというワケだ。

アポロの息子をトレーナーとしてロッキーが導くという物語は、要するに第一作の役割を入れ替えたバージョンといえる。
ロッキーは若きアドニスになり、彼自身は老トレーナーのミッキーの役回だ。
だが、単にリメイクしただけでは、所詮二番煎じの焼き直しにすぎない。
しかも人生ノックアウト寸前まで追い込まれていた若きロッキーと、生い立ちこそワケアリだったものの、父の残した豪邸に暮らし、何不自由無い生活をしていたセレブ二世では抱えている葛藤の重さが違う。
40年前のロッキーは感情移入キャラだったが、アドニスは必ずしもそうではないのだ。
クーグラーはオリジナルを下敷きにしながらも、キャラクターの役割を入れ替え、第一作のミッキーに比べてロッキーの比重を相対的に高める事により、ある種のバディものとして本作を成立させている。

愛人の子として生まれ、クリードではなく母方のジョンソン姓を名乗っているアドニスは、アポロから受け継いだ天性の才能は持っているが、生き方に迷い居場所を探している今時の若者だ。
ボクシングと言う弱肉強食の世界で生きるためには、死線をくぐり抜けてきたメンターが必要だが、ロッキーはもはや戦いの場に身を置く意欲を失っている。
最愛のエイドリアンも、ミッキーも、ポーリーも鬼籍に入り、自身の栄光は既に伝説。
十分に闘い、燃え尽きたと感じている彼にとっては、残りの人生はもはや出がらしの様なものなのだ。
だから、アドニスの想いにこたえてトレーナーを引き受けたものの、自分が癌だと分るとむしろ死に急ぐかの様に治療を拒否する。
彼の人生の軌跡を知っているが故に、観客はまずロッキーの視点でアドニスを眺め、次第に若いエネルギーに魅了されてゆく。
そして一本気な若者の中のアポロのスピリットに魂をぶん殴られ、ロッキーもまた失っていた虎の目を取り戻すことに深く共感するのである。
この構造ゆえに、やはり本作は一見さんよりも長年のファンのほうが、よりエモーションを突き動かされるだろう。

これは父を知らない男が、ロッキーと擬似的な父息子関係を結んで、本当の父を越えて行く漢の映画である。
お母さんから送られたアレが出てきた瞬間、そしてずっと抑えに抑えておいて、ファイナルラウンドで遂にロッキーのテーマが流れた瞬間、どうしても熱いものが頬をつたう。
それにしてもスタローンが、これほど味わい深い演技力を見せるとは良い意味で驚きだ。
今年はライバルも強力だから難しいかもしれないが、オスカー像を片手にガッツポーズするロッキーの姿を見てみたい。
はたして「クリード2」はあるのだろうか。

今回はシリーズの舞台となるフィラデルフィア近郊のポッツビルのクラフト・ビール「イエングリング・ラガー」をチョイス。
1829年にデヴィッド・イエングリングによって設立された、現存するアメリカ最古のブリュワリー。
味わいもクラッシクで、しっかりとしたコクがあり、酸味は適度、苦味はあまり感じない。
大半が地元で消費されてしまうので、他の地域には殆ど出回らない知る人ぞ知るビール。
それでも、東海岸ならばポツポツ見かける事もあるので、旅行などの際に是非。

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スター・ウォーズ / フォースの覚醒・・・・・評価額1800円
2015年12月23日 (水) | 編集 |
創造主は去り、フォースは再び覚醒した。



驚くべき大傑作である。

想像を絶する大きなプレッシャーがかかる中、J・J・エイブラムスは壮大なサーガの幕開けを告げた、「新たなる希望」の誕生に匹敵する、偉大な仕事をやってのけた。
初期三部作から三十年後の未来。
ルーク・スカイウォーカーやハン・ソロの冒険は既に神話と化し、銀河は再び暗雲に包まれている。
エイブラムズは、閉塞するそれぞれの世界に囚われた三人の若者を中心に据え、「新たなる希望」と「帝国の逆襲」の構成要素を換骨奪胎し、どこからどう見ても「スター・ウォーズ」でありながら、フレッシュで魅惑的なワクワクする物語を作り上げた。

ジョージ・ルーカスによる1977年の映画革命から、38年のシリーズの歴史を巧みに織り込み、新しい世代へ物語を継承させることに見事に成功したのである。

※ラスト及び核心部分に触れています。

銀河帝国を崩壊させたエンドアの戦いから30年。

ルーク・スカイウォーカーは何処かへと去り、帝国の残党は“ファースト・オーダー”として復活し勢力を急速に広げつつある。

抵抗するレジスタンスと彼らを支援する共和国は劣勢に立たされ、レイア・オーガナ(キャリー・フィッシャー)はルークの居場所を示す地図を確保するために、ポー・ダメロン(オスカー・アイザック)を惑星ジャクーへと派遣。

しかしストーム・トルーパーを率いるカイロ・レン(アダム・ドライバー)の急襲を受け、ダメロンはルークの地図をドロイドのBB-8に託し、自らは囚われの身になってしまう。

砂漠で彷徨うBB-8を見つけたのは、廃品回収で細々と暮らしながら、家族の帰りを待っているレイ(ディジー・リドリー)だった。

一方、スターデストロイヤーに囚われたダメロンは、ストーム・トルーパーの脱走兵フィン(ジョン・ボイエガ)の助けを借りてTIEファイターで脱出するも、ジャクーの砂漠地帯に墜落。

ダメロンを見失ったフィンは、ようやくたどり着いたオアシスでレイとBB-8に出会う。

ところがそこもまたファースト・オーダーの攻撃を受け、レイとフィンはBB-8と共に、砂漠に放置されていた旧式の宇宙船で脱出するが、それはハン・ソロ(ハリソン・フォード)から盗まれていたミレニアム・ファルコン号だった・・・




はじめに断っておくと、突っ込みどころは満載である。

相変わらず科学考証はムチャクチャだし、ボバ・フェット以上に見掛け倒しのキャプテン・ファズマとか、かなり無理のあるポー・ダメロン生還の謎とか、異常に都合の良い登場人物の出会いとか「えーと、それで良いんですか?」って描写は山ほどある。

が、そんなことは気にしない。

まあ元からそうだったというのもあるが、何よりもこのシリーズは神話であって、神話とはそもそもご都合主義の固まりなのである。



40年前にジョージ・ルーカスが「新たなる希望」の脚本を執筆したとき、そのベースとしたのがジョーセフ・キャンベルの神話論、いわゆる「ヒーローズ・ジャーニー」だ。

これは古今の神話の物語構造を分析し、その多くに当てはまる共通のパターンを見出したもの。

基本は全体を三幕とし、簡単に著すと以下の様な流れを持つ。
1)特別な運命を持つ主人公は、天命を受けて別の世界へ旅立つ。

2)メンターとの出会い、悪の誘惑を経て、自らを特別な存在へと変化させ、課題を完遂。

3) 天命を完了し、英雄として故郷への帰還を果たす。

この基本構造は、その後も「ハリー・ポッター」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」の各シリーズ、最近では「キングスマン」など多くの作品に見ることが出来る。

なお一部で「ロード・オブ・ザ・リング」もその系譜としているものがあるが、トールキンが「指輪物語」を執筆したのはキャンベルがこの理論を発表する前なので、共に神話研究で知られた両者が、偶然同じ結論を見出したとする方が正解だろう。



しかし「新たなる希望」の空前の大成功を受け、以降ハリウッドでは脚本の解析と理論開発が急速に進む。

1979年には世界中の映画人に絶大な影響を与えたシド・フィールドの「SCREENPLAY」が出版され、私も学生時代にこの理論を習った。

その後もブレイク・スナイダーによる喜劇理論「SAVE THE CAT」、フィールドが自身の理論を改定していった幾つもの著作など、映画会社や研究者らによって絶え間なく進化し続けている。

すると、「スター・ウォーズ」の根幹であり、世界観の源でもあるヒーローズ・ジャーニーは、少なくとも映画の脚本のスタイルとしては時代遅れになってしまったのだ。



現代ハリウッドの脚本理論は、いかに主人公に人間的な葛藤を抱かせ、それを自らの力で解決させるかがプロットの軸となる。

ところがヒーローズ・ジャーニーの主人公は元から特殊な存在で、神の啓示を受けて運命的に冒険に旅立つので葛藤が弱い。

ギリシャ神話などでは往々にして神と人間の子、デミゴッドとして描写されるが、「新たなる希望」のルーク・スカイウォーカーも、ジェダイの血統を受け継ぐ特別な人間だ。
神の啓示の代わりとなるのが、レイアの送ったメッセージで、元々宇宙に出て一発当ててやろうと願っていたくらいだから、叔父夫婦の悲劇はあるものの、オビ=ワンに誘われるとさしたる迷いも無くあっさり旅立つ。

さらに元々ジェダイの血があるので、ちょこっと訓練しただけで、フォースを使える様になり、あれよあれよという間にヒーローになってしまう。

ようやく物語が複雑化し、ルークが葛藤を抱える様になるのは、「帝国の逆襲」の終盤で出生の秘密を知らされてからだが、結局彼の葛藤はダークサイドに落ちるか落ちないかという曖昧な一点のみに終始する。



40年前ならいざ知らず、これでは現在の映画としてはドラマが弱過ぎるが、逆に言えば神話的、古典的な世界観こそが、「スター・ウォーズ」が「スター・ウォーズ」たる所以なのである。

ルーカスは、その事を誰よりも知っていたが故に、「ファントム・メナス」から始まるプリクエル三部作では、自ら創造した「スター・ウォーズ」をいかに進化させるかに迷い、一作ごとに試行錯誤を繰り返した結果、作品コンセプトがブレまくってしまった。
私個人的には、プリクエル三部作はそれぞれにSFアクション映画として、さらには民主的な社会がいかに脆く崩れ去るのかを描いた政治映画として決して嫌いではないが、創造主の苦悩がそのまま作品に出ていたのは紛れもない事実だ。

ところが、作者が代わった本作では、「スター・ウォーズ」的なるものに関しての迷いが一切見えない。
エイブラムスは、シリーズで最も評価の高い、「新たなる希望」と「帝国の逆襲」こそがファンの求める、あるいは彼自身にとっての「スター・ウォーズ」であると確信しているようだ。
ならば今回のリブートでも、この2本が新シリーズの立脚点になるのは必然。
そこで、エイブラムスとローレンス・カスダン、マイケル・アーントの脚本チームは「新たなる希望」と「帝国の逆襲」を構成するヒーローズ・ジャーニーの要素を全て維持した上で、現在の脚本理論と結合させるハイブリッドとして再構成した。

初期三部作のルークの役割を受け継ぐのは、ジャクーで廃品回収をして暮らすレイ。
彼女の出自は本作では曖昧にされているものの、まあ間違いなくジェダイの血統であって、天命を受けて冒険に旅立つのは同じ。
しかし幼少期に一人ぼっちとなり、孤独の中で家族の帰りを待ち続けてきた彼女は、ルークよりもずっと深い葛藤を内面に抱えている。
彼女のキャラクター設定に関して、過去のシリーズ以上に影響を与えていると思われるのが、同じように神話的構造を持つ貴種流離譚の「風の谷のナウシカ」だ。
レイを含めて、レジスタンスにもファースト・オーダーにも女性兵士が目立つのは、近年のハリウッドのフェミニズム的な傾向の流れに沿ったものだろうが、その意味でもナウシカは、この種の物語で女性戦士を主人公としたパイオニア的な作品でもある。
特に、巨大なスターデストロイヤーの残骸で部品を集める登場シーンは、王蟲の目の殻を回収するシーンと、映像的に符合するように意識して演出されていると思う。

運命の子を冒険へと連れ出す、ハン・ソロ的ポジションにいるのはフィンだ。
彼は、幼い頃に拉致されてストーム・トルーパーになり、故郷の村を攻撃するという大きな葛藤に直面し、脱走を決意する。
厭戦的で、物語の半ばで戦いからの離脱を決意しながら、友のために思い留まるのもソロと共通。
そして、ダース・ヴェーダーの役は、もちろんカイロ・レンだが、彼もまたフォースのライトサイドとダークサイドの間で迷い、父であるハン・ソロとの関係でも葛藤を抱えており、まだまだヴェーダー卿の様な、スーバーヴィランではないのだ。
三人の中心人物は、初期三部作の登場人物の役割を受け継ぎながらも、より人間的葛藤を深め、未熟な人物として造形されており、新シリーズが神話的構造を踏襲しながらもそれぞれの立場で葛藤と闘う、三人の成長物語として構成されている事は明らかである。

本作のさらなる特徴は、ヒーローズ・ジャーニーのキモであるメンターの存在が無いこと。
オビ=ワン・ケノービ的な役割を果たすのはルークだろうが、ラストシーンまで登場しないので、この部分は次回に持ち越し。
変わりにフィーチャーされるのが、父性としてのハン・ソロの存在だ。
彼はレイとフィンにとって擬似的な父であると同時にカイロ・レンの実の父親、つまり三人の軸となるだけでなく、初期三部作とこの新シリーズの世界観を繋げる役割を持つ。
ずっとシリーズを追い続けているオールドファンは、ソロの口からポンポン飛び出すオマージュたっぷりのセリフに感涙し、彼の目線でも楽しむことが出来る。
逆に自分が生まれる前に作られた“古典”として初期三部作を知った若いファンは、レイやフィンに寄り添うことで、ようやく自分たちの「スター・ウォーズ」を手に入れるのである。

だからある意味本作最大のサプライズである、ハン・ソロの死は重大な意味を持つ。
カイロ・レンによる父親殺しは、映像的にも物語的にも「帝国の逆襲」のダース・ヴェーダーの告白の対になるように作られているが、特にオールドファンにとっては、今後の「スター・ウォーズ」との付き合い方が変わるほどのインパクトだろう。
ハリソン・フォードは「ジェダイの帰還」の時にも、ハン・ソロを殺してほしいと言っていたので、何となく今回のシリーズで死ぬんだろうなとは予測していたが、まさか一本目で来るとは思わなかった。
これは、単に物語上でソロが死んだという以上に、ある意味でJ・J・エイブラムスによる創造主殺しであり、新シリーズが初期三部作のくびきから逃れたという象徴的な描写だと思う。
初期三部作の主人公はルークだが、最も人気があったのはソロであって、彼の登場しない「スター・ウォーズ」は、いわばスポックのいない「スター・トレック」みたいなもの。
おそらく、本作をもって「スター・ウォーズ」と決別するオールドファンも出てくるだろう。
エイブラムスは、リブート版「スター・トレック」でパラレルワールドを作り出すという奇策を用いて、新シリーズをオリジナルの呪縛から解き放って見せた。
今回は、物語の中で象徴的親殺しを見せることにより、世界観を維持した上で「エピソードⅧ」以降のフリーハンドを確保した訳だ。
エイブラムスとしては、自身で監督するのは本作のみで、次からはプロデュースにまわるという、奇しくも初期三部作のルーカスと同じスタンスになる訳で、これから登板する若い監督たちのためにも、本作で「スター・ウォーズ」を自分たちの神話にしておく必要があったのだろう。
偉大な創造主は銀河の彼方へ去り、神話の続きは新世代の人間たちの手に委ねられたのである。
“May the force be with them.”

今回は、ルーカスフィルムのあるサンフランシスコの地ビール「アンカー・スチーム」をチョイス。
ラガー酵母をエールの様に常温醗酵させる事で、適度なコクと苦味が華やかな香りと同居する、ラガーとエールの良いとこどりの様な一杯。
西海岸の代表的な老舗クラフトビールで、ゴールドラッシュ時代の開拓民に愛されたスチームビールの復刻版だ。

それにしても、J・J・エイブラムスは実に特異な映画作家だ。
「ミッション:インポッシブル」に「スター・トレック」、そして「スター・ウォーズ」と、史上最強のリブート職人なのは間違いないだろうが、はたして20年後、30年後に映画史的にどのような位置付けで語られているのだろう。
そういえば来年テレビで「ウェスト・ワールド」のリブートもやるのだとか。
色々な意味で興味が尽きない人だ。

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独裁者と小さな孫・・・・・評価額1700円
2015年12月18日 (金) | 編集 |
独裁者を作り出すのは誰か。

イラン出身の名匠・モフセン・マフマルバフ監督による、寓話的流離譚
ある国でクーデターが勃発し、それまで国民を搾取し、思いのままに権力を振るってきた老独裁者は、逃亡を余儀なくされる。
危険な旅に同伴するのは、まだ幼い孫が一人。
羊飼いや旅芸人に変装し、国境の海を目指す厳しい道程は、独裁者にとって権力の座に着いてから初めて、市井の人々と触れ合う機会となる。
二人が見出すのは希望か、それとも絶望か。
ここには、平和への切実な願いがある。
世界中に暴力と不寛容が溢れる2015年の冬、観るべき作品はこれだ。
※ラストに触れています。

大統領(ミシャ・ゴリアシュウィリ)は、政敵を容赦なく粛清し、恐怖で国を支配してきた独裁者。
しかしある夜、首都が突然の停電にみまわれ、直後に銃撃音が鳴り響く。
クーデターが起こったのだ。
突然の政変に、大統領は妻と娘を国外に脱出させ、自分は国内で事態の収拾に当たろうとするが、幼なじみのマリアや沢山のオモチャと別れたくない孫(ダチ・オルウェラシュウィリ)は、大統領と共に残ることになる。
だが妻子が出発した直後、体制は完全に崩壊。
空港の警備部隊はクーデター派に寝返り、道路は群衆に埋め尽くされ、宮殿への帰還もままならない。
クーデター派は、怒りに燃える群衆を焚きつける様に、大統領の首に巨額の懸賞金をかける。
護衛にも見放された大統領は、平民の服を奪って変装すると、孫を連れて国外へ逃亡を図る。
だが、目指す国境の海までは、遥かな道のりが横たわっていた・・・・


色々な意味で、マフマルバフが2001年に発表した「カンダハール」の第二章、姉妹編とでもいうべき作品だと思う。
あの作品では、タリバーンが支配するアフガニスタンからカナダへと亡命した女性ジャーナリスト、ナファスのもとに、故郷に取り残された妹から、あらゆる女性の権利が剥奪された国に絶望するあまり「20世紀最後の皆既日食の日に自殺する」という手紙が届く。
妹の命を救うために、ナファスは身元を隠して再びアフガニスタンに潜入し、妹が住むカンダハールの街を目指すという物語だ。
旅の途中、彼女はコーランを読めないイスラム学校の生徒や、医師として働くアメリカから来たブラックムスリムの男性らと出会いながら、アフガニスタンの女性が置かれた悲劇的な状況を目の当たりにしてゆく。

国から逃れたジャーナリストが、再び国に戻る旅と、権力を追われた独裁者が、国を脱出しようとする旅。
独特の詩情とユーモア、シュールなセンスはマフマルバフ作品に共通。
完成直後に9.11が起こり、アメリカがアフガニスタンに侵攻した事で、図らずも大きな注目を集める事になった「カンダハール」と本作は、いわばこの14年間のビフォーアフターだ。
タリバーンは政権の座から追われたものの、未だ戦争は継続中。
アフガニスタンから飛び火した、イラクのフセイン政権崩壊以来の混乱は、アラブの春の一筋の希望から転じて、泥沼化している。
本作が描くのは、今まさに世界のあちこちで起こっている事の映画的カリカチュアなのだ。

テーマはハードだが、映画としての作りはオーソドックスかつスピーディ。
冒頭、過度に飾り付けられたきらびやかな都会の風景に、反体制派処刑のニュースが重なる。
自らは贅沢三昧をし、国民を恐怖政治で支配する大統領は、まだ何も知らない孫に大統領の権力を見せつけようと、電話一つで街全体の灯りを点けたり消したりしてみせる。
ところがそんな戯れの最中に、突然のクーデターが起こり、瞬く間に失脚してしまい、ここからは非常にスリリングな逃避行の始まりだ。
一夜にして権力の座を追われた大統領は、何処へ行っても自分がいかに国民に憎まれてるのかを突きつけられる事になる。
その日の食事にも事欠く貧しい床屋、嘗て関係のあった娼婦、政権が崩壊した事で、刑務所から釈放されたらしい政治犯たち。
変装し、平民に身をやつした大統領と孫は、嘗て自らが虫けらのように支配した人々と、正体を知られる怖れを隠しながらも、行動を共にせざるを得ない。

とてもリアルだなと思ったのは、大統領は個々の犠牲者に同情はしても、後悔や改心は全然していない事
むしろ、民の声を聞いて失敗の原因は掴んだから、次こそ必ず成功するとばかりに、返り咲く気満々なのだ。
要するにこの人は、間違はあったが自分が「悪」だったとは認識していない。
しかし、映画を観ているとそんな大統領にどんどん感情移入してしまうのだから、人間心理は面白いものだ。
絶対権力者から、ボロを着て逃げ回る対極の状況への転落人生。
石もて追われる恐怖に怯え、手のかかる幼い孫の世話に戸惑い、とっくに失われた復権への希望にすがる大統領の、ダメダメだけどとても人間的な姿に我々はいつしか寄り添い、なんとか逃げ切って欲しいとすら思わされるのである。
そしてこれこそが、この映画の狙い。

大統領が逃亡の旅を続けている一方、クーデターを起こした方はというと、誰が首謀者なのかは明らかにされないが、あいも変わらず復讐と殺戮と搾取を繰り返し、国はますます混沌の中に。
大統領派の兵士の多くも、クーデター後にあっさり寝返っているので、支配者がすげ替えられただけで社会の本質はなんら変わらない。
独裁者がいなくなれば、そのまま民主的な政府ができる訳ではない事は、一昔前のソ連崩壊やアラブの春がリアルに証明してしまった。
マフマルバフは、「誰も望んでないのに、なぜ独裁と暴力の連鎖が終わらないのか?」と問う。
クライマックスの穴倉から引き出される大統領の姿は、サダム・フセインやカダフィの最期と重なるが、イラクやリビアの現状はまさにこの映画の通り。

偶然にも本作のテーマは、作品の体裁としては真逆のハリウッド超大作「ハンガー・ゲーム FINAL」とほとんど同じだ。
利権と抑圧を欲する者、独裁者の代わりはいくらでもいる。
彼らは、憎しみに駆られ復讐を望む国民の声を掴み、彼らの望みを代行する事で、スルリと権力を掴みとる。
結局のところ、独裁者を作り出すのは国民なのだ。
国民一人ひとりが、負の連鎖を断ち切る事が出来なければ、独裁は永遠に終わらない。
この映画の最も秀逸な点は、あえて憎しみの対象となる独裁者を主人公とし、暴力の主体としての国民大衆の姿を客観視させたことである。
大統領の罪は許されないが、それでも彼らの逃避行を見守った観客は、物語の最後で彼に「生きて欲しい、生きるべきだ」と思うはず。
未来に進むのに必要なのは、憎しみを超える寛容と許し。
マフマルバフは、保守派として知られたアフマディネジャード前大統領の政策に反発してイランを離れ、以来実質亡命生活を送っているという。
本作の意外な結末は、自らも国を追われた作者の「世界はこうあって欲しい」という希望の反映なのかも知れない。

独裁者だけではなく、誰もが心の中に悪魔を飼っている、という訳で「デビルズ」をチョイス。
ポート・ワイン30ml、ドライ・ベルモット30ml、レモンジュース2dashを、氷と共に素早くステアして、グラスに注ぐ。
刺激的なネーミングだが、実際はマイルドで飲みやすい。
甘いポートワインに香草がアクセントとなり、レモンの仄かな香りが爽やかな味わいに仕上げている。
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ショートレビュー「恋人たち・・・・・評価額1700円」
2015年12月17日 (木) | 編集 |
それでも、明日はやって来る。

「ぐるりのこと。」の橋口亮輔監督、7年ぶりの最新作は、厳しい日常を生きる三人の男女を主人公としたオムニバス的な構造の人間ドラマ。
妻を通り魔殺人で失い、橋梁点検の仕事をしながら裁判を模索する青年、アツシ。
アツシの担当弁護士で、親友に密かな恋心を抱く同性愛者でもある、四ノ宮。
自分に無関心な夫、相性の悪い姑と暮らす主婦の瞳子。
境遇は全く違えど、皆どこにでもいる市井の人々。
直接的にはほとんど絡まない3つの物語の主人公は、共に「一番幸せだった頃」が過去になってしまった人たちだ。

ある人物の独白から始まるドラマは、三者三様の展開を見せる。
妻を救えなかった罪悪感に苛まれるアツシは、精神的ショックから仕事が出来なくなり、経済的に困窮。
刑法39条「心神喪失者の行為は、罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」。
この規定によって、通り魔が刑罰を受けないという理不尽な現実に抗うために、ようやく橋梁点検の仕事につき、犯人に対して損害賠償訴訟を起こそうとしているが、その準備は遅々として進まない。
アツシの訴訟を安請け合いしたエリート弁護士の四ノ宮は、思わぬ事故に遭い入院。
同性愛者の彼は、学生時代からの親友に密かに想いを寄せているが、ある時彼の子供に性的ないたずらをしたと誤解されてしまう。
一方、弁当工場で働く瞳子は夫と姑と3人暮らしだが、夫は自分を性のはけ口としか見ておらず、姑とはどうにもウマが合わない。
彼女は、誰にも関心を持たれない平凡すぎる自分の対極にいる、洗練されたプリンセスに憧れを募らせ、突然現れた怪しげな男の誘いにのり、閉塞した日常からの脱出を決意するのだ。
彼、彼女らの葛藤は、それぞれに共感できる部分と出来ない部分がある。
長所も欠点も、リアルな人間たちのリアルな人生を強く印象付け、観客の誰もが物語のどこかに自分自身の姿を見るだろう。

なぜ自分にだけ不幸が降りかかるのか、どうしたら人に自分の気持ちを分かってもらえるのか、自分の本当の居場所はどこなのか。
ただ幸せを求めて、喪失を埋め合わせようと、閉塞を打ち破ろうと、抗えば抗うほどに現実に打ちのめされる。
通り魔への訴訟はご破算となり、長年の秘めたる恋はやぶれ、人生をかけようとした男はジャンキーの詐欺師。
黒田、という隻腕の登場人物がいる。
嘗て左翼過激派として活動し、自らの腕を爆弾で吹き飛ばしてしまった彼は、同僚のアツシの爆発しそうな葛藤を受け止め、不器用ながらも誠実な言葉を返してくれる。
人間、誰でも心に大小の爆弾を抱えていて、この映画はある意味自分自身を映す鏡であり、同時に内なる黒田との対話でもある。
どん底に落ちた三人の葛藤の締め括りは、冒頭の対となるそれぞれの独白だ。
彼らの人生にご都合主義の奇跡は訪れないが、ほのかなユーモアが物語が暗くなり過ぎるのを救い、今ある世界の暗闇に僅かな光を見出すラストは余韻が長く残る。

橋梁点検のため、首都高下の河川を行くアツシの目に映るのは、ビルと道路で切り取られた小さな、小さな四角い青空。
それでも、そこに確かに青空はあるのだ。
3つの物語で、タイトルの「恋人たち」とは誰か。
生きる事の意味を、じっくりと考えさせてくれる重厚な秀作だ。

今回は庶民の酒「ハイボール」をチョイス。
グラスにたっぷりの氷を入れ、ウィスキーを注ぐ。
できればグラス、ウィスキー、ソーダとも冷やしておきたい。
溶けた分の氷を足して、ウィスキー1に対してソーダ3を加え、炭酸が抜けないようマドラーで一回だけスッと混ぜる。
お好みでレモンピールで香りをつけると、よりスッキリした印象になる。
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杉原千畝 スギハラチウネ・・・・・評価額1650円
2015年12月10日 (木) | 編集 |
杉原千畝とは何者だったのか?

第二次世界大戦下、多くのユダヤ人難民を救った“命のビザ”で知られる外交官・杉原千畝の半生を描く伝記映画。
ただし、いわゆるお涙ちょうだいのベタベタの感動作ではない。
かわいそうな難民に同情したスバラシイ日本人が、スバラシイ善行を行って泣かせる映画を期待してゆくと、驚かされる事になるだろう。
これは緻密な情報収集を通じて真実を知ってしまった男の、リアリスト故のヒューマニズムの発露を描く物語なのである。
また同時に、当時の日本のインテリジェンスに迫った、ある種のスパイ映画とも言えるユニークな作品だ。
監督は日本版「サイドウェイズ」や、「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」の米国側パートで知られる、チェリン・グラックが務める。

外交官の杉原千畝(唐沢寿明)は、満州での諜報活動でソ連を出し抜き、北満鉄道を大幅に安い値段で手に入れる事に成功。
だが関東軍の裏切りによって仲間を失い、さらに千畝の能力を危険視したソ連当局によって、念願だったモスクワ大使館勤務を拒否されてしまう。
数年後、ようやく巡ってきたのは東欧の小国、リトアニアの領事代理の職だった。
妻の幸子(小雪)と子供たちと共に、リトアニアに赴任した千畝は、ポーランドの諜報機関員ペシュ(ボリス・シッツ)の助けを借りながら、風雲急を告げるヨーロッパ情勢の情報を積極的に収集してゆく。
その頃、ソ連によるリトアニア併合が迫り、ナチスに占領されたポーランドから脱出してきたユダヤ人難民は行き場を失う。
各国の大使館が続々と閉鎖される中、難民たちは一縷の望みを日本の通過ビザに託して、続々と日本領事館に集まりつつあった・・・・


予告編やキービジュアルが完全に感動もの売りだったので、いきなり「ロシアより愛をこめて」にオマージュを捧げた様な、「007」ばりの展開にビックリ。
千畝が従事している任務は、私たちが平時に「外交官」という言葉からイメージするものとはだいぶ違う。
もちろん、外交官の重要な任務に情報収集が含まれるのは当然だが、ソ連関係のスペシャリストである彼の本職は、事務官というより命のやり取りを含む現場の諜報活動、つまりはスパイなのである。
しかも外務省に所属しながら、亡命ロシア人や中国人を含む独自のネットワークを作り上げ、北満鉄道の買収を巡ってソ連のスパイと渡り合い、一泡吹かせてしまう。
まあ映画的に色々盛ってはあるのだろうが、この裏仕事でソ連に「好ましからざる人物(Persona non grata)」としてマークされ、モスクワ大使館勤務を希望しながら、外交官ビザ発給を拒否された事が彼の人生を変える。

時は、ヨーロッパでナチスドイツが勢力を広げ、アジアでは日本が日中戦争を拡大させ、欧米からの圧力にさらされている、第二次世界大戦前夜
モスクワに行けなかった千畝は、バルト三国のリトアニアに領事代理として家族と共に赴任する。
とは言っても、リトアニアには在留邦人もいないし、日本にとって経済的に重要な国でもない。
要するに隣国ソ連関係の情報収集基地であり、諜報活動の建て前としての領事館設置である。
面白いのが、ここで千畝の相棒となるのが、当時独ソ両国によって侵攻され、国としては消滅していたポーランドのスパイということ。
実はポーランドは強力な諜報機関を持っていて、国が分割占領された後も、亡命政府によって活動を継続していたという。
今年公開された「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」でも、物語のキーとなるドイツ軍の暗号マシン、エニグマを入手したのはポーランド諜報機関で、初期バージョンの解読に成功したのも彼らだった。
千畝は、この地で各国の外交官や地元の人々と交流しながら、ナチスに追われたユダヤ人がどの様な扱いを受けているのか知ってしまうのだ。

映画には様々な作用と反作用、合わせ鏡の関係が用意されている。
千畝自身がそうである様に、ある国や人々にとって好ましからざる人物は、別の国や人々にとっては好ましき人物。
ソ連にビザを拒まれた排斥の経験が、後々の難民へのシンパシーと命のビザの発行に繋がり、関東軍の暴走で部下を殺された記憶が、ユダヤ難民の語るナチスによる虐殺の証言にかぶる。
千畝が嘗ての仲間の女性と共に助けたユダヤ人科学者が、後にマンハッタン計画に関与したらしい事が示唆され、千畝が救えなかったユダヤ人少年を絶滅収容所から救い出すのは、アメリカで虐げられた日系人部隊だ。
この映画では、あらゆる存在は人と人の出会いと別れによって変わってゆき、それが映画に複眼的視点をもたらしている。

杉原千畝の実像はスパイ。
しかし非情な組織の歯車ではなく、ぶれない思想を持ち、自ら考え悩みながら行動するスパイとして描かれる。
彼の第一義的なプライオリティは日本を正しい道に進ませる事であり、その為であれば同盟国ドイツの秘密を探って不興を買い、命を狙われる事すら厭わない。
千畝の行動原理の元となっているのが、母校のハルピン学院に掲げられていたという扁額の言葉。
「人のおせわにならぬやう  人の御世話をするやう  そしてむくいをもとめぬやう」
これは明治から昭和初期を駆け抜けた傑物・後藤新平が、国家から個人に至るまで、そのあり方、生き方の基本として提唱した「自治の三訣」である。
ハルピン学院だけでなく、多くの学校や組織に取り入れられており、私はこの言葉を子供の頃、後藤がその初代総長を務めたボーイスカウトで知った。

命のビザは確かに重要なエピソードだが、これは言わば中盤で物語の幅を広げ、主人公の決意を固めるための横軸。
物語の縦軸、そして前へと進める動力は、真の愛国者である千畝が祖国を憂う気持ちと、日本を間違った方向に進ませないための諜報活動の方だ。
主人公以外の「良き人たち」にもスポットを当てているのも好感が持てる。
難民と本国の板挟みになる在ウラジオストック日本領事や船の船長、難民たちに日本という選択肢を与えたオランダ領事、秘密の右腕として千畝を支えるペシュ。
最初はユダヤ人を蔑んでいたドイツ系のリトアニア人の領事館員は、千畝との仕事で良き人である喜びを見出す。
そしてもちろん、理解ある妻の幸子と子供たちも。
野心家の若い外交官だった千畝は、様々な人と出会い、支えられながら、戦争という異常な時代にあって、その都度最良の決断をしてゆく。
英雄として名を残す杉原千畝は、一人の事ではない。
彼らは皆良心の共犯者、Persona non grataなのである。

ちなみに杉原千畝の伝記映画が作られるのは、今回が2回目だ。
最初は97年のアメリカ映画「Visas and Virtue」で、翌年のアカデミー短編賞を受賞している。
この快挙で杉原千畝の知名度は世界で一気に高まった。
前回のクリス・タシマ監督も、今回のチェリン・グラック監督も日系米国人。
グラック監督の母は第二次世界大戦中の日系人強制収容所を経験し、父親はユダヤ系だという。
やはりマイノリティとしての視点を持つと、千畝のような人物とその時代はより興味深い姿を見せるのかもしれない。

今回は、千畝の故郷である岐阜県の地酒。
多治見の三千盛の「三千盛 純米大吟醸」をチョイス。
岐阜は山里の良水に恵まれ、たくさんの酒蔵がある隠れた酒どころ。
三千盛の創業は18世紀の安永年間。
口に含むと仄かに吟醸香が広がり、かなり辛口ながらクセがなく、端麗な事水の如し。
海の幸、山の幸、どんな料理にも合い美味しくいただける。

しかしこの時代のハルピンって、映画的に面白そうな街だな。
各国のスパイや亡命者が入り混じる、混沌の魔都。
陸軍の樋口季一郎とかも映画の題材として興味深いが、どうアプローチするにしても複眼的に描かないと、単なるプロパガンダになっちゃいそうだ。
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三千盛 純米大吟醸1.8L

三千盛 純米大吟醸1.8L
価格:3,227円(税込、送料別)



ショートレビュー「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE・・・・・評価額1650円」
2015年12月07日 (月) | 編集 |
Everybody Loves スヌーピー!

いやあ素晴らしい。

大人が観ても面白い、最良のキッズムービーの一つだろう。

故チャールズ・シュルツと原作漫画、そして初期のセルアニメ版へのリスペクトが画面の隅々からにじみ出る。
私は米国に住んでいた十数年間、ずっと地元のSan Francisco Chronicle紙を購読していて、 掲載されていた「The Peanuts」を楽しみにしていた。
お話として面白かっただけでなく、ウィットに富んだ詩的な言葉の表現は、英語学習にも大いに役に立ったものだ。
それだけに1999年末の突然の引退宣言、そしてわずか二ヵ月後の死去の報にはとても驚き、悲しかったのを覚えている。


何をやってもダメだけど、正直で優しく、そして時に静かなる勇気を見せるチャーリー・ブラウンは、言わばアメリカ版ののび太だ。

ならばスヌーピーはドラえもんの役回りかと言えば、チャーリーの親友ではあるものの、多分にネコ的な性格もあって、自分の妄想に浸ってあんま役に立たない(笑

だからドラえもんと秘密道具に、ある程度までは引っ張ってもらえるのび太とは違って、チャーリーは葛藤に対して常に自分で考え、悩み、色々と決断しなければならないのだ。
「ドラえもん」が外交的な触れ合いによって内面の成長を描く漫画だとしたら、「The Peanuts」は非常に内的的で、思考し、哲学する事で成長する漫画なのである。

今回メインプロットを構成するのは、チャーリーの初恋
向いの家に越してきた赤毛の女の子に一目惚れしてしまったチャーリーが、なんとか彼女に気持ちを伝えるべく悪戦苦闘。
自分に自信がない彼は、彼女がダンス好きと知るや、ダンスコンテストで優勝すべくスヌーピーから特訓を受けたり、彼女のためにトルストイの「戦争と平和」の感想文を徹夜で仕上げたりするのだけど、どうにも間が悪く上手くいかない。
ところがなぜか学校のテストで史上初の満点を取ってしまい、一躍時の人となる。
もちろんコレには裏があり、あとあとチャーリーは大きな決断を迫られるのだが、彼の切ない初恋物語と、スヌーピー改めフライング・エースが、愛しのフィフィを助け出すために、撃墜王レッド・バロンと対決するというスヌーピー作の妄想、もとい小説が平行する構成も面白かった。

チャーリーの親友ライナスや辛辣なルーシー、妹のサリーらお馴染みのキャラクターの個性もしっかり生かされている。

彼らの表現は、21世紀らしく3DCGとなったが、あえてキャラクターアニメーションのフレームレートを落とし、表情を手描きしてアナログ感を演出しているので、原作の雰囲気はバッチリ再現されている。
セル版に親しんだ大きいお友達たちにも、とくに違和感は無いだろう。

ほぼ同時期公開となった「リトルプリンス 星の王子さまと私」とは、多くのファンのいる歴史的な名作へのアプローチは間逆。
しかし両作共に赤い複葉機が物語のキーとなるのは、面白い偶然だ。
フライング・エースのエピソードがやたらとフィーチャーされているのは、本作のプロデュースと脚本も手がけたチャールズ・シュルツの息子さん、グレイグ・シュルツの趣味らしい。
元パイロットで、飛行教官の資格を持つほどの飛行機マニアというからなるほど。
まあ地上のチャーリーたちの話だけだと地味だが、この小説パートが立体作品として良い効果を生んでいた。
グレイグ以外にもチャールズの妻ジーン、孫のブライアンら、シュルツ ファミリーの多くが関わったという家族愛の結晶でもある本作、天国のチャールズも満足しているのではないだろうか。

これはテレビでもいいからシリーズ化してほしいなあ。

今回は、チャールズ・シュルツの終の住処、サンタローザにほど近いナパバレーから、「ファーニエンテ シェルドネ エステート ナパバレー」をチョイス。
アマチュアレーサーとしても知られる、故・ギル・ニッケルの情熱によって蘇ったナパを代表するシャルドネは、複雑なフルーツのアロマがスーッと広がる。
つけ合わせる料理を選ばない、非常にバランスの取れたワインだ。
ちなみにサンタローザにはナパバレーの玄関口でもある、チャールズ・M・シュルツ・ソノマ・カウンティ空港があり、ここの空港エンブレムはもちろんフライング・エース!
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ショートレビュー「007 スペクター・・・・・評価額1650円」
2015年12月03日 (木) | 編集 |
宿敵、復活。

前作「スカイフォール」でビギニング三部作を卒業したボンドは、いい意味で20世紀のお祭り映画だった頃の味わいを取り戻したのではないか。
いかにも今風にダーク&ハードだった前作までとは対照的に、適度に荒唐無稽で女たらしのボンド像は、青臭さが上手く抜けた。
面白いのは、今年公開されたもう一つのスパイもののビッグタイトル、「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」とかなり内容が被っている事だ。
敵が世界の裏側でテロや犯罪を引き起こすシンジケートであること、彼らの存在に気付いたのが主人公とその仲間だけで、暴走を理由にセクションごと解散になること、敵に深く関わる女性を主人公が救い出すことなど、物語の基本設定がよく似ている。
もっとも、プッチーニの「トゥーランドット」を換骨奪胎し、フェミニズムを隠し味に21世紀らしいフレッシュな物語を構築したあちらに比べると、こちらの作りは保守本流。

お話し的には前作までの遺産を上手く使い、なかなか凝ったプロットを構築しているものの、ぶっちゃけストーリーの重み、テーマの深みは、これはシェイクスピアかギリシャ悲劇か?という重厚な物語だった前作には及ばない。
だが「スカイフォール」は、ゴッドマザーのMを中心にしたMI6という疑似家族内部の葛藤を描いた作品なので、話のスケールは案外小さい。
今回もボンド自身の過去がキーになり、内輪ネタ的要素は残るものの、ドラマ的なシリアスさはだいぶ弱まり、逆に世界を股にかけるアクションアドベンチャーとしては、むしろこっちの方が楽しめる。
前作でも「ゴールドフィンガー」への熱いオマージュを捧げていたサム・メンデス監督は、この路線を更に加速させる。
どんな状況でも、高そうなスーツやドレスを何着も持ち歩くのはお約束。
「ゴールドフィンガー」リスペクトは相変わらずだが、雪山のシークエンスは本作同様にボンドが“真実の愛”を見つける「女王陛下の007」、列車内の殺し屋との格闘はもちろんコネリー版ボンドの最高傑作「ロシアより愛を込めて」だし、クレーターの中の秘密基地の元ネタは「二度死ぬ」の阿蘇火口か。

そして長年観続けてるファンとして嬉しいのは、やはりタイトルにもなっている宿敵スペクターとボスキャラのブロフェルドの復活だ。
権利関係の訴訟でノンクレジットだった、ロジャー・ムーア時代の「ユア・アイズ・オンリー」以来実に34年ぶり。
演じるクリストフ・ヴァルツがずーっとブロフェルド役を否定してたので、てっきりスペクターの組織名だけの登場にとどまるのかと思っていた。
ところがちゃんとペルシャ猫抱いてるし、終盤にあの傷がついたところでオールドファン歓喜。
どうせならスキンヘッドにもして欲しかったところだが、そこまでやっちゃうと今の観客はオリジナルシリーズのブロフェルドより「オースチン・パワーズ」のドクター・イーブルの方を思い浮かべちゃうだろうから、仕方がない気がする(笑

しかし時代のトレンドに合わせて、シリアスさを突き詰めれば「こんな暗いのはボンドじゃない」と言われるし、逆に原点回帰すれば「オマージュ過剰で能天気」と言われる。
長い歴史を持つがゆえの多種多様なファンの要求に応えなきゃいけないのだから、人気シリーズの作り手は色々大変だ。
ダニエル・グレイグはもうボンド役は卒業したいそうだが、契約はまだ残っているらしく、監督のサム・メンデスが続投するかも含めて「ボンド25」がどうなるかは流動的。
個人的にはこのコンビでもう一本くらい観てみたい気がする。
まあそうすると、オリジナルシリーズのボンドの妻・トレイシーと同様に、レア・セドゥはブロフェルドの毒牙にかかるのだろうが。

今回はヴェスパー・マティーニに代わって劇中に登場する新レシピ、オリジナルシリーズでも知られるウォッカベースの「スペクター・マティーニ」をチョイス。
ベルヴェデール・ウォッカ60ml、ドライ・ベルモット10ml、オリーブの漬け汁1tsp、グリーンオリーブを用意。
オリーブをミキシンググラスの底に置いて優しく潰し、残りの材料を注ぎ入れたら、氷と共に強くシェイク。
ダブルストレインしてキンキンに冷やしたグラスに注ぐ。
通常のウォッカ・マティーニのレシピよりウォッカの比率が高く、漬け汁のほのかな塩味がアクセントになりぐっと辛口で大人のイメージ。
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