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スター・ウォーズ / フォースの覚醒・・・・・評価額1800円
2015年12月23日 (水) | 編集 |
創造主は去り、フォースは再び覚醒した。



驚くべき大傑作である。

想像を絶する大きなプレッシャーがかかる中、J・J・エイブラムスは壮大なサーガの幕開けを告げた、「新たなる希望」の誕生に匹敵する、偉大な仕事をやってのけた。
初期三部作から三十年後の未来。
ルーク・スカイウォーカーやハン・ソロの冒険は既に神話と化し、銀河は再び暗雲に包まれている。
エイブラムズは、閉塞するそれぞれの世界に囚われた三人の若者を中心に据え、「新たなる希望」と「帝国の逆襲」の構成要素を換骨奪胎し、どこからどう見ても「スター・ウォーズ」でありながら、フレッシュで魅惑的なワクワクする物語を作り上げた。

ジョージ・ルーカスによる1977年の映画革命から、38年のシリーズの歴史を巧みに織り込み、新しい世代へ物語を継承させることに見事に成功したのである。

※ラスト及び核心部分に触れています。

銀河帝国を崩壊させたエンドアの戦いから30年。

ルーク・スカイウォーカーは何処かへと去り、帝国の残党は“ファースト・オーダー”として復活し勢力を急速に広げつつある。

抵抗するレジスタンスと彼らを支援する共和国は劣勢に立たされ、レイア・オーガナ(キャリー・フィッシャー)はルークの居場所を示す地図を確保するために、ポー・ダメロン(オスカー・アイザック)を惑星ジャクーへと派遣。

しかしストーム・トルーパーを率いるカイロ・レン(アダム・ドライバー)の急襲を受け、ダメロンはルークの地図をドロイドのBB-8に託し、自らは囚われの身になってしまう。

砂漠で彷徨うBB-8を見つけたのは、廃品回収で細々と暮らしながら、家族の帰りを待っているレイ(ディジー・リドリー)だった。

一方、スターデストロイヤーに囚われたダメロンは、ストーム・トルーパーの脱走兵フィン(ジョン・ボイエガ)の助けを借りてTIEファイターで脱出するも、ジャクーの砂漠地帯に墜落。

ダメロンを見失ったフィンは、ようやくたどり着いたオアシスでレイとBB-8に出会う。

ところがそこもまたファースト・オーダーの攻撃を受け、レイとフィンはBB-8と共に、砂漠に放置されていた旧式の宇宙船で脱出するが、それはハン・ソロ(ハリソン・フォード)から盗まれていたミレニアム・ファルコン号だった・・・




はじめに断っておくと、突っ込みどころは満載である。

相変わらず科学考証はムチャクチャだし、ボバ・フェット以上に見掛け倒しのキャプテン・ファズマとか、かなり無理のあるポー・ダメロン生還の謎とか、異常に都合の良い登場人物の出会いとか「えーと、それで良いんですか?」って描写は山ほどある。

が、そんなことは気にしない。

まあ元からそうだったというのもあるが、何よりもこのシリーズは神話であって、神話とはそもそもご都合主義の固まりなのである。



40年前にジョージ・ルーカスが「新たなる希望」の脚本を執筆したとき、そのベースとしたのがジョーセフ・キャンベルの神話論、いわゆる「ヒーローズ・ジャーニー」だ。

これは古今の神話の物語構造を分析し、その多くに当てはまる共通のパターンを見出したもの。

基本は全体を三幕とし、簡単に著すと以下の様な流れを持つ。
1)特別な運命を持つ主人公は、天命を受けて別の世界へ旅立つ。

2)メンターとの出会い、悪の誘惑を経て、自らを特別な存在へと変化させ、課題を完遂。

3) 天命を完了し、英雄として故郷への帰還を果たす。

この基本構造は、その後も「ハリー・ポッター」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」の各シリーズ、最近では「キングスマン」など多くの作品に見ることが出来る。

なお一部で「ロード・オブ・ザ・リング」もその系譜としているものがあるが、トールキンが「指輪物語」を執筆したのはキャンベルがこの理論を発表する前なので、共に神話研究で知られた両者が、偶然同じ結論を見出したとする方が正解だろう。



しかし「新たなる希望」の空前の大成功を受け、以降ハリウッドでは脚本の解析と理論開発が急速に進む。

1979年には世界中の映画人に絶大な影響を与えたシド・フィールドの「SCREENPLAY」が出版され、私も学生時代にこの理論を習った。

その後もブレイク・スナイダーによる喜劇理論「SAVE THE CAT」、フィールドが自身の理論を改定していった幾つもの著作など、映画会社や研究者らによって絶え間なく進化し続けている。

すると、「スター・ウォーズ」の根幹であり、世界観の源でもあるヒーローズ・ジャーニーは、少なくとも映画の脚本のスタイルとしては時代遅れになってしまったのだ。



現代ハリウッドの脚本理論は、いかに主人公に人間的な葛藤を抱かせ、それを自らの力で解決させるかがプロットの軸となる。

ところがヒーローズ・ジャーニーの主人公は元から特殊な存在で、神の啓示を受けて運命的に冒険に旅立つので葛藤が弱い。

ギリシャ神話などでは往々にして神と人間の子、デミゴッドとして描写されるが、「新たなる希望」のルーク・スカイウォーカーも、ジェダイの血統を受け継ぐ特別な人間だ。
神の啓示の代わりとなるのが、レイアの送ったメッセージで、元々宇宙に出て一発当ててやろうと願っていたくらいだから、叔父夫婦の悲劇はあるものの、オビ=ワンに誘われるとさしたる迷いも無くあっさり旅立つ。

さらに元々ジェダイの血があるので、ちょこっと訓練しただけで、フォースを使える様になり、あれよあれよという間にヒーローになってしまう。

ようやく物語が複雑化し、ルークが葛藤を抱える様になるのは、「帝国の逆襲」の終盤で出生の秘密を知らされてからだが、結局彼の葛藤はダークサイドに落ちるか落ちないかという曖昧な一点のみに終始する。



40年前ならいざ知らず、これでは現在の映画としてはドラマが弱過ぎるが、逆に言えば神話的、古典的な世界観こそが、「スター・ウォーズ」が「スター・ウォーズ」たる所以なのである。

ルーカスは、その事を誰よりも知っていたが故に、「ファントム・メナス」から始まるプリクエル三部作では、自ら創造した「スター・ウォーズ」をいかに進化させるかに迷い、一作ごとに試行錯誤を繰り返した結果、作品コンセプトがブレまくってしまった。
私個人的には、プリクエル三部作はそれぞれにSFアクション映画として、さらには一つの社会がいかに脆く崩れ去るのかを描いた政治映画として決して嫌いではないが、創造主の苦悩がそのまま作品に出ていたのは紛れもない事実だ。

ところが、作者が代わった本作では、「スター・ウォーズ」的なるものに関しての迷いが一切見えない。
エイブラムスは、シリーズで最も評価の高い、「新たなる希望」と「帝国の逆襲」こそがファンの求める、あるいは彼自身にとっての「スター・ウォーズ」であると確信しているようだ。
ならば今回のリブートでも、この2本が新シリーズの立脚点になるのは必然。
そこで、エイブラムスとローレンス・カスダン、マイケル・アーントの脚本チームは「新たなる希望」と「帝国の逆襲」を構成するヒーローズ・ジャーニーの要素を全て維持した上で、現在の脚本理論と結合させるハイブリッドとして再構成した。

初期三部作のルークの役割を受け継ぐのは、ジャクーで廃品回収をして暮らすレイ。
彼女の出自は本作では曖昧にされているものの、まあ間違いなくジェダイの血統であって、天命を受けて冒険に旅立つのは同じ。
しかし幼少期に一人ぼっちとなり、孤独の中で家族の帰りを待ち続けてきた彼女は、ルークよりもずっと深い葛藤を内面に抱えている。
彼女のキャラクター設定に関して、過去のシリーズ以上に影響を与えていると思われるのが、同じように神話的構造を持つ貴種流離譚の「風の谷のナウシカ」だ。
レイを含めて、レジスタンスにもファースト・オーダーにも女性兵士が目立つのは、近年のハリウッドのフェミニズム的な傾向の流れに沿ったものだろうが、その意味でもナウシカは、この種の物語で女性戦士を主人公としたパイオニア的な作品でもある。
特に、巨大なスターデストロイヤーの残骸で部品を集める登場シーンは、王蟲の目の殻を回収するシーンと、映像的に符合するように意識して演出されていると思う。

運命の子を冒険へと連れ出す、ハン・ソロ的ポジションにいるのはフィンだ。
彼は、幼い頃に拉致されてストーム・トルーパーになり、無実の村人を虐殺するという大きな葛藤に直面し、脱走を決意する。
厭戦的で、物語の半ばで戦いからの離脱を決意しながら、友のために思い留まるのもソロと共通。
そして、ダース・ヴェーダーの役は、もちろんカイロ・レンだが、彼もまたフォースのライトサイドとダークサイドの間で迷い、父であるハン・ソロとの関係でも葛藤を抱えており、まだまだヴェーダー卿の様な、スーバーヴィランではないのだ。
三人の中心人物は、初期三部作の登場人物の役割を受け継ぎながらも、より人間的葛藤を深め、未熟な人物として造形されており、新シリーズが神話的構造を踏襲しながらもそれぞれの立場で葛藤と闘う、三人の成長物語として構成されている事は明らかである。

本作のさらなる特徴は、ヒーローズ・ジャーニーのキモであるメンターの存在が無いこと。
オビ=ワン・ケノービ的な役割を果たすのはルークだろうが、ラストシーンまで登場しないので、この部分は次回に持ち越し。
変わりにフィーチャーされるのが、父性としてのハン・ソロの存在だ。
彼はレイとフィンにとって擬似的な父であると同時にカイロ・レンの実の父親、つまり三人の軸となるだけでなく、初期三部作とこの新シリーズの世界観を繋げる役割を持つ。
ずっとシリーズを追い続けているオールドファンは、ソロの口からポンポン飛び出すオマージュたっぷりのセリフに感涙し、彼の目線でも楽しむことが出来る。
逆に自分が生まれる前に作られた“古典”として初期三部作を知った若いファンは、レイやフィンに寄り添うことで、ようやく自分たちの「スター・ウォーズ」を手に入れるのである。

だからある意味本作最大のサプライズである、ハン・ソロの死は重大な意味を持つ。
カイロ・レンによる父親殺しは、映像的にも物語的にも「帝国の逆襲」のダース・ヴェーダーの告白の対になるように作られているが、特にオールドファンにとっては、今後の「スター・ウォーズ」との付き合い方が変わるほどのインパクトだろう。
ハリソン・フォードは「ジェダイの帰還」の時にも、ハン・ソロを殺してほしいと言っていたので、何となく今回のシリーズで死ぬんだろうなとは予測していたが、まさか一本目で来るとは思わなかった。
これは、単に物語上でソロが死んだという以上に、ある意味でJ・J・エイブラムスによる創造主殺しであり、新シリーズが初期三部作のくびきから逃れたという象徴的な描写だと思う。
初期三部作の主人公はルークだが、最も人気があったのはソロであって、彼の登場しない「スター・ウォーズ」は、いわばスポックのいない「スター・トレック」みたいなもの。
おそらく、本作をもって「スター・ウォーズ」と決別するオールドファンも出てくるだろう。
エイブラムスは、リブート版「スター・トレック」でパラレルワールドを作り出すという奇策を用いて、新シリーズをオリジナルの呪縛から解き放って見せた。
今回は、物語の中で象徴的親殺しを見せることにより、世界観を維持した上で「エピソードⅧ」以降のフリーハンドを確保した訳だ。
エイブラムスとしては、自身で監督するのは本作のみで、次からはプロデュースにまわるという、奇しくも初期三部作のルーカスと同じスタンスになる訳で、これから登板する若い監督たちのためにも、本作で「スター・ウォーズ」を自分たちの神話にしておく必要があったのだろう。
偉大な創造主は銀河の彼方へ去り、神話の続きは新世代の人間たちの手に委ねられたのである。
“May the force be with them.”

今回は、ルーカスフィルムのあるサンフランシスコの地ビール「アンカー・スチーム」をチョイス。
ラガー酵母をエールの様に常温醗酵させる事で、適度なコクと苦味が華やかな香りと同居する、ラガーとエールの良いとこどりの様な一杯。
西海岸の代表的な老舗クラフトビールで、ゴールドラッシュ時代の開拓民に愛されたスチームビールの復刻版だ。

それにしても、J・J・エイブラムスは実に特異な映画作家だ。
「ミッション:インポッシブル」に「スター・トレック」、そして「スター・ウォーズ」と、史上最強のリブート職人なのは間違いないだろうが、はたして20年後、30年後に映画史的にどのような位置付けで語られているのだろう。
そういえば来年テレビで「ウェスト・ワールド」のリブートもやるのだとか。
色々な意味で興味が尽きない人だ。

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