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2015 unforgettable movies
2015年12月30日 (水) | 編集 |
いろいろな事が起こりすぎて、なんだか世界が混沌に陥っていった2015年。
映画界の最大の話題は、「マッドマックス」「スター・ウォーズ」「ロッキー」という7、80年代に絶大な人気を誇った伝説的なシリーズが、揃ってオリジナルを凌駕するクオリティで見事な復活を遂げたことだろう。
時代は連環するというが、今また新しい時の輪がはじまったという感慨がある。
それでは、今年の「忘れられない映画たち」を鑑賞順に。

「KANO 1931海の向こうの甲子園」は、日本統治時代の1931年に、台湾代表として甲子園大会に出場し、旋風を巻き起こした嘉義農林学校野球部を描く群像劇。民族を超える野球という肉体言語が、誰も予想しなかった奇跡を生む。これは台湾近代史の1ページであると同時に、失われた日本史の物語でもある。

「リトル・フォレスト 夏・秋・冬・春」は、東北のとある村に、たった一人で自給自足しながら暮らす、いち子の一年を描く四部作。彼女の日常に特に何が起こるわけでもなく、育て収穫し料理して食う、を繰り返しているだけ。だが生きる事に直結する“労働”を描くこの作品には、生命としての本質的な憧れを感じる。独創の映画である。

「アメリカン・スナイパー」は、クリント・イーストウッドが戦争の時代に問う、大問題作。米軍最強のスナイパーの実話をベースに、西部劇の構造を埋め込み、正義を求める高潔なる心と、残酷すぎる現実の矛盾を描く。ただ正しい事をしたいと思っているのに、主人公はいつしか戦場の怪物と化し、永遠にその呪縛から逃れることは出来ない。

「幕が上がる」は、ある意味今年最大のサプライズにして、青春映画史に残る大傑作。ももいろクローバーZのメンバーが演じる、高校の弱小演劇部は、嘗て“学生演劇の女王”と呼ばれた一人の指導者によって覚醒してゆく。モノ作りとは何か、なぜ自分は物語るのか。ここには創造の夢と狂気、どこでもない何処かへと向かう最初の情景がある。スピンオフに当たる舞台版も素晴らしかった。

「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」は、第二次世界大戦下、解読不可能と思われていたドイツ軍の暗号マシン、エニグマに挑んだ天才数学者の物語。だが、彼が異常な執念をもって“考えるマシン”を作ろうとしたのは、単に戦争に勝つためだけではない。その心に秘められた、ある感情が露になるとき、本作は最も切ないラブストーリーとなる。

「セッション」は、恐ろしいまでの緊迫感が全編に渡って持続する、超クールな音楽映画。全米一の音楽大学で、スクールバンドにスカウトされた主人公は、そこで“天才を育てること”にとり付かれた狂気の指導者と出会い、地獄の日々を送る事になる。これはもはや、弾丸の変わりに意地と欲望と音符が飛び交う命がけの決闘だ。

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」は、異才アレハンドロ・G・イニャリトゥによる、未見性の固まりの様な異色作。嘗てヒーロー映画の主役としてもてはやされたのも今は昔、忘れられた俳優、リーガンのカムバック劇は、やがて現実と虚構がシームレスに入り混じり、観客は彼の心象の迷宮に迷う事になる。イニャリトゥはスクリーンを超え、観客の心に直接画を描く。

「寄生獣 完結編」は、漫画を原作とする日本のSFがことごとく討ち死にする中、前作に引き続き高いクオリティを維持した。要素を絞り込み、プロットの密度をを高めて展開する物語は、極めてスリリングでテーマ性も高い。脚本の完成度を上げ、きちんと演技の出来る俳優をキャスティングするという、どこまでも基本に忠実な作りの勝利だ。

「シンデレラ」は、誰もが知るディズニー名作アニメーションの、完璧なセルフリメイク。ケネス・ブラナー監督は、あえて現代的な改変や脚色を行わず、オリジナルストーリーのキャラクターを掘り下げるという手法で、見事古典をモダナイズしてみせた。魔法のシーンの視覚的美しさも素晴らしく、本作を観た観客は誰もが10歳の少女の気持ちに戻ってしまうだろう。

「ピッチ・パーフェクト1&2」は、大学アカペラのNo.1に挑む女性だけのチーム、ガーデン・ベラーズの活躍を描く群像劇。典型的なアメリカンお下品コメディだが、オバカなお笑いと、アカペラシーンのカッコ良さのギャップが見事。今年は音楽映画の当たり年で、本シリーズの他にも「セッション」や後述する「ストレイト・アウタ・コンプトン」、「はじまりのうた」など秀作が目白押しだった。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は、2015年映画界最大の事件。30年ぶりに蘇った世紀末アクションは新たな伝説を作り出し、文句なしの本年度ムービー・オブ・ザ・イヤーとなった。これは細部まで考えられたロジカルな作劇と、暴走するV8エンジンの狂気のエネルギーに支えられた、映像のロックオペラだ。我々は、一人のウォーボーイズとなって、この戦いに参戦するしかない。

「サイの季節」は、イラン革命下、とある男の策略によって30年に渡り囚われの身となったクルドの詩人の物語。ようやく釈放されたとき、既に詩人の家族は手が届きそうで届かない存在になっていた。主人公のモデル、主演俳優、監督は共に国を追われた男たち。これは、彼らの歴史と想いを一つの映画に統合し、再解釈した壮大な映像叙事詩だ。

「コングレス 未来学会議」は、鬼才アリ・フォルマン監督による、異色の近未来SF。デジタル技術が極限まで発展し、あらゆる映像を作り出せるようになった時、人々が求める“次”は何か?フォルマンはアニメーション手法を使って、映像がマテリアルではなく、ケミカルによって作り出される時代を描く。映画の終焉が行き着く先は、はたしてディストピアなのか、それともユートピアなのか。

「インサイド・ヘッド」 は、ディズニー・ピクサーの素晴らしいファミリー映画。思春期の入り口に立つ11歳の女の子の脳内にいるのは、ヨロコビ、ムカムカ、ビビリ、イカリ、そしてカナシミ。人生は楽しくてハッピーな事だけじゃだめなのか、なぜカナシミが必要なのか。ヨロコビとカナシミの脳内ワンダーランドの大冒険は、とても面白くて、ちょっぴり切ない。

「野火」は、塚本晋也監督の執念が生んだ、戦後70年の節目に相応しい大傑作。太平洋戦争末期のフィリピン。無限に広がるジャングルに送り込まれた主人公の田村は、極限状態の中でこの世の地獄を見る。塚本監督自身が演じる田村は、この映画自体を心象として観客を包み込み、一体化する。我々は、否応なしに世にも恐ろしい緑の海の流離譚を体験するのである。

「ミッション:インポッシブル / ローグ・ネイション」は、シリーズベストの快作。プッチーニの「トゥーランドット」を換骨奪胎。非常なスパイの世界で希望を失っているヒロインをテーマ的な主人公とし、イーサン・ハントと仲間たちが救出する。今年はスパイ映画も良作が多く、「007 スペクター」や日本の「杉原千畝 スギハラチウネ」なども良かったが、作劇の妙で本作が一歩抜け出していた。

「ストレイト・アウタ・コンプトン」は、80年代後半に旋風を巻き起こしたギャングスタラップの雄、N.W.Aのメンバーたちを描く鮮烈な実録青春群像劇。青春映画・音楽映画として優れているだけでなく、アフロアメリカン現代史の20世紀の終章と捉えるとより興味深い。彼らから遡ること四半世紀、キング牧師の闘争を描いた「グローリー-明日への行進-」も心に残る。

「草原の実験」は、ある意味今年最大の衝撃作。草原の一軒家にどえらい美少女が朴訥な父と暮らしている。そこに少女を慕い、訪ねてくる少年が二人。素朴な理想郷の情景はしかし、ある時点から急速に暗雲に包まれてゆく。そして予想もしなかったラストシーン、私たちはこの世界がいかに残酷で、暴力に満ちているかを知るのである。

「マイ・インターン」は、どこか古典映画の様な品格を纏った、ヒューマンコメディの秀作。アン・ハサウェイ演じる、葛藤を抱えたeコマースのやり手創業者は、父親の様な年齢のインターンとの出会いで、少しずつ生き方を変えてゆく。一見オシャレなガールズムービーの様な装いながら、同時に高齢化社会の理想をも描き出し、軽妙でありながら、なかなかに深みのある秀作である。

「名もなき塀の中の王」は、いかにもイギリス映画らしいハードな刑務所ドラマだ。暴力衝動を抑えられない少年が、移送された刑務所に偶然収監されていた生き別れの父と出会い、少しずつ変わってゆく。 人間の負の部分が増幅される刑務所という閉鎖空間で、彼らはぶつかり合いながらも、心の底にある絆と愛を知る。

「裁かれるは善人のみ」は、バレンツ海に臨む田舎町を舞台に、権力に翻弄される市井の人々を描くヘビー級のドラマ。土地買収に纏わる騒動が、次から次へと悪循環を作り出し、そこに浮かび上がるのは、虚飾に満ちた現代ロシアの真の姿。ここにはもう神も悪魔もおらず、ただ神の名を語る人間たちのみがいる。

「ハンガー・ゲーム FINAL:レボリューション」
シリーズ最終章に相応しい、パワフルな傑作。カットニスの勇気によって火を噴いた革命は終わりに近づき、独裁は敗北しつつある。だがその事が、平和の到来を意味しないことを知った時、カットニスは誇り高きテロリストとなることを選ぶ。ハリウッドの鋭敏な時代感覚によって、本作は世界の鏡像となった。

「恋人たち」は、共に幸せが過去になってしまった3人の男女を主人公とした物語。なぜ自分にだけ不幸が降りかかるのか、どうしたら人に自分の気持ちを分かってもらえるのか、自分の本当の居場所はどこなのか。ただ幸せを求めて、喪失を埋め合わせようと、閉塞を打ち破ろうと、抗えば抗うほどに現実に打ちのめされる。 今ある世界の暗闇に僅かな光を見出すラストは余韻が長く残る。

「独裁者と小さな孫」は、自らも亡命生活を送る、モフセン・マフマルバフ監督による、寓話的物語。クーデターで権力を追われた独裁者は、幼い孫と二人逃亡者となり、自らが抑圧した人々によって狩り立てられる。独裁者はなぜ生まれるのか、独裁者を作り出すのは誰なのか。映画は暴力の主体としての大衆を客観視させ、世界の縮図を見せ付ける。

「スター・ウォーズ / フォースの覚醒」は、伝説のサーガの鮮やかな復活。J・J・エイブラムスは、創造主の去った宇宙を、見事に人間の手に取り戻した。骨組みはしっかりと残しつつ、ディテールは現代に相応しくモダナイズ。結果どこからどうみても「スター・ウォーズ」だが、フレッシュでワクワクする冒険物語となった。フォースは、間違いなく覚醒したのである。

「クリード チャンプを継ぐ男」は、新世代の監督、俳優による「ロッキー」第二章。こちらも名作シリーズ久々の復活。嘗て最強のチャンピオンだったアポロの息子は、偉大な父を超えるために、自らのメンターにロッキーを選ぶ。これは父を知らない男が、ロッキーと擬似的な父息子関係を結んで、本当の父を越えて行く漢の映画である。

以上、作品の評価や完成度ではなく、現時点で最も心に残る26本。
並べてみると、本当に音楽をモチーフにした秀作が多かった様に思う。
あと今年の特徴としては、ジェンダーに関してハリウッドのメインストリームの潮目がはっきりと変った。
「スター・ウォーズ」の新たな主人公が女性になったのは、その象徴的な出来事だ。
「マッドマックス」や「ミッション:インポッシブル」も一見すると男が主役に見えるが、テーマを体言しているのはどちらも女性。
「マイ・インターン」のアン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロもそうなのだが、深刻な葛藤を抱えている物語的な主人公は女性で、男性はその手助け役、面白さを担う存在という作品が目立った。
フェミニズムの年らしく「私に会うまでの1600キロ」「プリデスティネーション」「アデライン、100年目の恋」、日本映画でも「ビリギャル」「心が叫びたがってるんだ」など、など女性が主人公でそれぞれにユニークな視点を持つ秀作が多かった。
洋画アニメーションでは、「リトル・プリンス 星の王子さまと私」「I LOVE スヌーピー」「ひつじのショーン~バック・トゥ・ザ・ホーム~ 」など、有名原作やテレビ版などの知名度のある作品は公開されたものの、それ以外は相変わらずガラパゴス。
フランスの素晴らしい「MUNE」などは是非正式公開を望みたい。
他にも言及したい作品は沢山あるが、きりがないのでこのへんで。
ただ最後に、「ワイルド・スピード SKY MISSION」にだけは触れておきたい。
映画としてはもちろん面白かったが、故ポール・ウォーカーに対する最高のトリビュートであり、違う意味で忘れられない映画になった。
さて来年は、どんな映画に出会えるのだろう。

それでは皆さん、よいお年を。

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