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ショートレビュー「月光・・・・・評価額1600円」
2016年06月30日 (木) | 編集 |
いつか、絶望を超えて。

作り手の想いが伝わる力作である。
レイプ被害に遭ったピアノ教師・カオリと、父親から性的虐待を受ける少女・ユウ。
彼女たちの孤独と絶望の連鎖と、微かな希望の物語
嘗て担当の教授と不倫関係になり、大学を追われたカオリは自宅マンションで細々とピアノ教室を開いている。
彼女の教え子であるユウの父親のトシオは、一見すると子煩悩に見えるが、我が子を虐待しているだけでなく、カオリをも誘い出して毒牙にかける嗜虐的性犯罪者、まさにクズである。
被害に遭ったことを誰にも言えず、誰も助けてくれず、同じ女性にすら分かってもらえない。
誰もがレイプ犯に見えパニックを起こす反面、性に傷つけられたのに性を求める。
自分でも止められない心の混乱と矛盾を抱え込み、過去の性犯罪被害を告白しても、むしろ耳を塞がれ傷を深める二次被害。
暴力の刃は、被害者の肉体にだけでなく、何度も何度もボロボロの心に振り下ろされるのである。
カオリとユウ、同じ男によって絶望のどん底に落とされた二人は、いつしかお互いの心に導かれるように距離を縮め、希望を取り戻すための共犯者となってゆく。

演技陣の覚悟も、作品の凄味に繋がっているのは間違いない。
レイプという性犯罪を直接的に描いていることは、賛否あるだろう。
だが本作の感想をあちこちで読んだが、描かなくても伝わるという意見には正直「本当に?分かったつもりになっているだけじゃなく?」と思う。
確かに直接的な描写を避けて、性暴力を描いた映画はたくさんある。
しかし別の手段で描いたとしたら、やはり観た人に伝わるイメージは異なったものになるのではないか。
少なくとも私はそう簡単にこれほどの痛みを想像できないし、本当のことは男女年齢を問わず、被害に遭った本人にしか分からないと思う。
そして本作は被害者に向けて作られた作品ではないだろう。
性犯罪を体験として知らない人に観てもらう作品だから、誤解から偏見を抱かせないために、間違った理解をされないために、痛みを痛みとして描かないと伝わらないことは間違いなくあるし、本作の場合は全て逃げずに描いて正解だった。

問われているのは、魂を殺された者を周りの人間はどう救済出来るのか、どうすれば被害者は再び前を向けるのかということである。
小澤雅人監督のことは、児童虐待をモチーフとした「風切羽~かざきりば~」で初めて知ったが、本作では筋立て・テリング共により洗練されている。
主人公のカオリを、一見男にだらしない性格に見えるように造形したのはなぜか。
登場人物の過去から丁寧に現在を導き出すことで、本人も意識していない負の連鎖を説得力をもって描写し、重層的なプロットを構成している。
ただ終盤の滝のシーンは、状況がシュール過ぎてやや浮いているというか、キャラの行動にリアリティを感じられなかった。
山奥でデッカいナイフ持った女に迫られたら、一目散に逃げ出すと思っちゃったよ。
ディテールには他にも何か所か疑問に思う所もあったのだが、全体としては非常によく考えて構成された作劇で、見応えは十分。
カオリが音楽家と言う設定を活かし、心象としての音楽・音響の演出も緻密だ。
必要なことはしっかり描写しつつも、劇中の幾つかの出来事は、あえて複数の解釈が可能なようにしてあるのも、観客の想像力を刺激する。
物語の終盤、ヒールの高いパンプスを好んでいたカオリが中性的な運動靴を買い、逆に彼女のパンプスを貰ったユウが、それまでの子供っぽい靴から履き替えるシーンは印象的だ。
女であることに感じる罪悪感と恐怖、女であることへの覚悟。
カオリもユウも女であることから逃げることは出来ず、心の傷を抱えながらも明日に向かって歩んでゆかねばならない。
たとえどんな残酷なことが起こったとしても、生きている限り人生はそこで終わりではないのだから。

今回は、踏みつけられた翼が再び羽ばたけるようにラム・ベースのカクテル「バーディ」をチョイス。
ホワイト・ラム36ml、オレンジ・キュラソー6ml、パイナップル・ジュース6ml、オレンジジュース6ml、グレナデン・シロップ6mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
材料からも分かるようにフルーティで、グレナデン・シロップの甘みが全体をまとめ上げる。
オレンジの見た目も美しく、華やかなカクテルだ。

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帰ってきたヒトラー・・・・・評価額1650円
2016年06月23日 (木) | 編集 |
大衆よ、我を恐れよ。

ティムール・ヴェルメシュの、ベストセラー政治風刺小説の映画化。

死の直前に現代のドイツにタイムスリップしたヒトラーと、ボンクラTVディレクターがひょんなことからコンビを組み、動画サイトで自分たちを売り出す。
独裁者が時代のギャップに戸惑いながらも、おなじみの口調で過激な演説を繰り返すと、超リアルなヒトラーネタがウケて、モノマネタレントとして大成功。
21世紀の今、笑いの対象だとしてもヒトラーが大衆を夢中にさせるのはなぜか。
全編シニカルなギャグ満載だが、風刺の向こうから見えてくるのは、いつか来た道、笑えない可能性の未来というワケ。

オリバー・マスッチが演じるヒトラーは、ルックスだけでなくその喋り方や声質なども含めて驚きの激似っぷり。
いつの間にか、本当にホンモノではないか?という錯覚に陥るほどだ。
※核心部分に触れています。

ナチス総統アドルフ・ヒトラー(オリバー・マスッチ)は、ベルリンの地下壕で自殺したはずだった。
だが次の瞬間、彼は青空の下で目を覚ます。
街も人々も突然様子が変わったことを訝しがるヒトラーは、たどり着いたキオスクの新聞で、自分が2014年にタイムスリップしたことを知る。
仕事をクビになったTVディレクターのファビアン(ファビアン・ブッシュ)は、たまたま知り合ったヒトラーを完璧なコスプレと思い込み、現代に表れたヒトラーが街の人々と語らったり、極右政党に乗りこんだりする動画を配信。
ヒトラーは、モノマネタレントとしてネットの人気者となり、ファビアンが嘗て務めていたTV局にスカウトされる。
“TVヒトラー”と呼ばれ遂に全国的な知名度を獲得したヒトラーだが、その過激な発言は単なるパロディとしての笑いをこえて、いつしか人々の心を掌握しつつあった。
その頃、ようやく彼がホンモノだと気付いたファビアンは、ヒトラーの新たな野望を阻止するために、行動をおこすのだが・・・


極めてユニークなスタイルを持つ風刺映画だ。
ヒトラーをYoutubeのスターにするファビアンが、時間SFの金字塔「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の、マーティ・マクフライ風のジャケットを着ているのが可笑しい。
彼はマクフライと同じように、未来を変えないために過去と戦う破目になるのである。
戦後70年が経過し、負の遺産であるナチズムも現代のドイツ人には遠い過去の昔話。
だからこそ当初人々はある種のパロディとしてヒトラーの再臨を楽しみ、ジョークだからと彼に本音を吐き出している。
最初は未来の世界の変化に戸惑っていたヒトラーも、慣れてくると気付く。
大衆の中にあるものは、基本的に何一つ変わっていない
自らの野望を今一度実現するために、必要なのは扇動者だけだと。

本作はフィクションでありながら、劇中の取材シーンなどはドキュメンタリー
ヒトラーが街中で市民たちと語らうシーンは、実際にあの扮装のまま街を歩いて、一般の人々にインタビューしているのだという。
だから、本作はフェイクの中にリアルを内包しているのである。
さらに劇中のヒトラーが本作の原作を書き始め、その本がベストセラーになって劇中でも映画化されるという、物語の中に同じ物語があるエッシャーの階段の様な特異な作りは、全体として眺めると現実のドイツ社会、いやヨーロッパ社会全体をメタ的に俯瞰する構造となっている。
だから観客も、観ているうちにこれが単なるフィクションだとはだんだん思えなくなってくるのだ。
そしてパロディやギャグを超えて、いくつかの瞬間ヒトラーが愛すべき人に見えてきて、「あかん奴のはずだけど、言ってることは分る」と思っている自分に気付くと、背筋がゾワゾワ。


いつの時代でも、大衆の心を掴むヒトラーとはいったい何者で、なぜ彼は時空を超えて21世紀にやって来たのか?

その答えこそ本作の核心だ。
本作におけるヒトラーは、ある種の集合意識のメタファーとして描写される。
大衆の中に常に存在する、憎悪と不寛容が具現化した存在。
だから彼は死なないし、たとえ殺しても何度でも蘇る。
現代社会にやって来て、人々を注意深く観察したヒトラーは言う。
「今は好機」だと。
難民、テロ、経済不況、大衆の中にマグマの様に溜まりつつある不平不満は、導く者がいれば容易に噴火しかねない。
1930年代のドイツでは、それはヒトラーだった。
では現在の世界では?
ヨーロッパにも、アメリカにも、日本にも、「秩序」とか「伝統」とかのスローガンに隠した不寛容の旗を振る輩がいくらでもいる。
ポピュリストの泡沫候補だったトランプは今や共和党の大統領候補だし、第一次安倍内閣の法務大臣だった長勢甚遠は、信じ難いことに「国民主権、基本的人権、平和主義、この3つを憲法からなくさなければ」と公言しているのだ。
SNSも使い方しだいで民主革命を引き起こす原動力にも、憎悪を煽るアジテーターのツールにもなりえる。
ヒトラー的な欲求は常に我々の中にいて、形を得る機会をうかがっているのかも知れない。
現代のヒトラーは、いつどこに現れてもおかしくないのである。

同じく戦争による負の歴史を抱える日本にもテーマ的に通じるものがあるが、本作はやはりヒトラーという絶対的アイコンがあるから成立する話だろう。
日本の場合は、歪んだ民主主義の結果というよりも、明治憲法の根本的欠陥だったり、そこにいたる経緯がだいぶ異なるし、全権を握る様な絶対的な独裁者がいない。
まあ、明確な責任者不在こそが実に日本的であって、この国のヤバイところとも言えるだろうけど。

ところで、本作のヒトラーをムッソリーニに変えた、イタリア版のリメイクが進行中だという。
同じファシストの独裁者でも、最後まで国家を掌握していたヒトラーと、人民裁判にかけられ自国民に銃殺されたムッソリーニでは、国民への感情が相当異なりそう。
完成したらこちらも是非公開していただきたい。

ヒトラーは酒もタバコもやらなかったという説があるが、これは彼に潔癖なイメージを持たせるためのゲッペルスの宣伝戦略の一つで、本当は酒好きだったらしい。
実際ヒトラーは、当時のドイツの大衆の憩いの場だったビアホールで好んで演説を行っている。
昨年公開された「ヒトラー暗殺、13分の誤算」で暗殺未遂が起こるのも、ビュルガーブロイケラーというビアホール。
また1920年にナチス結党の大集会が開かれたのも、誰もが知るドイツビールの名門ホブフロイ・ミュンヘンのビアホール、ホブフロイ・ハウスだったのだ。
というわけで、今回はそのホブフロイから、伝統の「ホブフロイ・ドゥンケル」をチョイス。
16世紀の開設時から醸造されているまろやかでコクのあるダークビールは、古典的バヴァリア・ビールの典型。
ホブフロイ・ハウスは今でも観光地として有名だが、色んなところに人知れず歴史の痕跡が残ってるのだな。

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ショートレビュー「シチズンフォー スノーデンの暴露・・・・・評価額1700円」
2016年06月18日 (土) | 編集 |
誰もが監視されている。

アメリカの情報機関による全世界的な情報収集活動を暴露した、エドワード・スノーデン事件の顛末のビハインド・ザ・シーン。
第87回アカデミー長編ドキュメンタリー賞に輝いた作品だ。
実際の暴露が行われる前からスノーデンに接触していたドキュメンタリー作家のローラ・ポイトラスが、香港での8日間に渡るインタビューを中心にその後も含め構成している。
作中でもCNNのキャスターが例えていたが、本作で描かれてる内容はまるでル・カレのスパイ小説の様だ。
元々NSA・CIAに勤務していたスノーデン氏が、なぜ国家を裏切り自らの身を危険に晒してまで暴露に至ったのか。
彼は何を訴えたいのか。
主にジャーナリストのグレン・グリーンウォルドが聞き役となってスノーデン氏の言葉を引き出し、その様子をポトラスのカメラが冷静に記録する。

話を聞いてると、基本的に彼がリバタリアンなのが分かってくる。
そもそも個人の自由の侵害を認めないリバタリアンを、真逆の役割を果たす情報機関が雇っている時点でやっちゃってるのだが、結果的に彼は奉仕しようとしていた国家権力の裏の姿を知ってしまった。
スノーデン氏がNSAに入った2003年は、9.11の余波で愛国者法が成立し、表の権力のチェックを受けることなく、裏の権力が拡大していった時代。
私は権力は本質的にビッグブラザーを志向する部分があると思うが、9.11は彼らに「対テロ」という魔法のワードを与えてしまったのかも知れない。
無茶な手法に対するどんな批判も、「テロを防ぎ国民の安全を確保する」という名目の前では力を失い、誰も知らないうちに国民を監視する新たな”目”がなしくずし的に増えてゆく。
フリーな無法地帯だったはずのデジタルワールドが、実は一番窮屈な場所になっていて、情報のプライバシーを守りたいなら昔ながらの紙とペンに戻らなければならないという皮肉。

こういう作品を見ると、したり顔で「国が情報を集めるのは当たり前」とか「見られてまずい情報などやりとりしなければ良いから問題ない」という人が必ず出てくるが、本質を理解していない能天気な考えである。
歯止めのある情報収集と何のチェックも制約のない情報収集は全く異なるし、一番の懸念は情報の恣意的な運用が可能ということだ。
誰が国家にとっての”パブリック・エネミー”なのかを決めるのは、我々ではない。
スノーデン氏の暴露では本来何の権限もない情報機関の誰かが、メタデータからこいつは何となく危険と判断した瞬間に、その人物は”パブリック・エネミー”の候補にされてしまう。
その危険性は、現実にアメリカでも日本でも過去に反戦運動や公民権運動で活動した多くの心ある人々が、国家による情報収集とその操作によって弾圧のターゲットになってきた歴史が雄弁に証明している。
プライバシーは即ち自由であって、これは我々一人ひとりが、或る日突然自由を奪われる可能性があるという恐ろしい話なのである。

ちなみに、作中に海中ケーブルからのデータ傍受量を示した地図が出てくるのだが、日本周辺の傍受量が半端なかった。
まあ中国や朝鮮半島関連のも含まれているのだろうが、我々のプライバシーも丸裸という事か。
スノーデン事件は間も無くジョセフ・ゴードン=レヴィット主演の劇映画版も公開されるが、どんな切り口でくるのか楽しみだ。

現在スノーデン氏はロシアに事実上の亡命中だが、今回はアメリカ生まれのウォッカベースのカクテル、「モスコ・ミュール」をチョイス。
ウォッカ45ml、ライムジュース15ml、ジンジャーエール適量を氷を入れたグラスに注ぎ、軽くステアする。
最後にスライスしたライムを置いて完成。
ジンジャーエールの甘味をライムの酸味が引き立て、スッキリした味わいんのカクテルだ。

ちなみに、世界中の通信を傍受・蓄積するって「エクス・マキナ」でマッドサイエンティストがやってる事と同じなんだが、案外NSAのデータ使ってAI作ったら凄いのが出来るかも。
直ちにスカイネット化して人類滅ぼされそうな気もするが。

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ショートレビュー「10 クローバーフィールド・レーン・・・・・評価額1600円」
2016年06月18日 (土) | 編集 |
本当に世界は滅びたのか?

あの異色の怪獣映画との関連を期待すると、色んな意味で裏切られることになると思うけど、これはこれで面白く、お金はかかってなさそうだが、作品の完成度ではむしろ勝っている。
J・J・エイブラムスは両作は「血の繋がった映画」と説明している様だが、思わせぶりなタイトルは忘れた方が素直に楽しめるだろう。
作品スタイルとしても、特徴的だったPOV手法は放棄され、地下のシェルターで展開する心理サスペンス色が強い。
監督はこれがデビュー作となるダン・トラクテンバーグ。
前作を監督したマット・リーヴスはエグゼクティブ・プロデューサーとして名をとどめる。
※以下、核心部分に触れています。

今回の主人公は、パートナーとの別れを決意したミッシェルという若い服飾デザイナー。
彼女は家を離れて車を運転中に突然の事故に遭い、気付くと地下深いシェルターに監禁されていて、ハワードと名乗る初老の太った男に、人類は何者かの突然の攻撃を受け世界は滅んだと告げられる。
地上の空気は汚染され、触れると死んでしまうので、このシェルターから決して出てはいけないと。
彼は元海軍の軍人で、終末を予見してずっと準備をしてきたらしい。
入り口の小さな窓からは、ハワードが攻撃の証だという動物の死体以外何も見えない。
シェルターにはもう一人、腕を怪我したエメットという若い男がいて、彼は街が何かに攻撃された話は本当だと言うが、ミッシェルはどうしても信じきれず、シェルターからの脱出を画策してゆく。

103分の上映時間のうち、およそ8割がこのシェルターという箱舟の中で展開する密室心理劇なので、最初のティザー予告が一番忠実に作品のムードを伝えていた。
と言うか、映画自体が謎が謎を呼ぶティザー要素で成り立ってるようなものか。
主人公にも観客にも、世界観の情報を小出しにして、その興味で全体のストーリーを引っ張る。
前作もそうだったし、「ロスト」などのテレビドラマも含め、J・J・エイブラムスが関わる作品にはこの系統が多い。
いかにもサイコな雰囲気を漂わせ、怪しさ全開でハワードを演じるジョン・グッドマンがいい。
時によって誠実にも不誠実にも見え、温和な表情から突然凶暴な顔を覗かせる。
しかも物語の中盤から、ハワードに対する新たな疑念が生まれ、彼の真意がどこにあるのか、本当は何を知っていて何を隠しているのか、観客もミッシェルと共に戸惑い、恐怖する。
わずか3人の登場人物、逃げ場のないシェルターという舞台設定を上手く活かした、なかなかに秀逸なサスペンスだ。

本作の場合、物語の核心はほとんどこのシェルター内のドラマなので、外に出てからの展開はぶっちゃけ「クローバーフィールド」のタイトルに整合性をつけるためのおまけのようなもの。
実際、前作よりもむしろストラウス兄弟の「スカイライン ー征服ー」あたりを思わせる終盤は、よく出来てはいるものの、予想通りすぎて全く意外性が無い。
このバトルシークエンスは、素人にしてはミッシェルの戦闘能力高すぎなのだが、演じるメアリー・エリザベス・ウィンステッドはジョン・マクレーンの娘役の人か。なるほど(笑
まあこの作りだと、クローバーフィールドと付ければなんでもありなので、また忘れた頃に別のネタの「クローバーフィールド○○」が出てくるのかもしれない。

劇中ではハワードが不味い自家製ウォッカを飲んでいたが、アメリカには幾つもの良質なウォッカのメーカーがある。
今回はその中の一つで日本でも手に入りやすいスカイ・スピリッツ社の「スカイ・ウォッカ」をチョイス。
米国産素材を使い、蒸留4回濾過3回を経て完成するウォッカは、スッキリとしてとても飲みやすい。
そのまま飲んでも良いし、カクテルベースにしても使いやすく、CPが良いのも嬉しい。

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ショートレビュー「FAKE・・・・・評価額1700円」
2016年06月14日 (火) | 編集 |
FAKE/REALの境界とは?


オウム真理教を描いた「A」「A2」から15年。
ドキュメンタリスト森達也が、2014年のゴーストライター騒動以来、世間から姿を消した“現代のベートーベン”こと佐村河内守のその後を追ったドキュメンタリー。
週間文春の記事が出た後、一方の当事者である新垣氏が一躍脚光を浴びてテレビに出まくっていたのに対し、佐村河内氏は謝罪会見の後はほとんど見た記憶がない。
だからあの事件に関する情報も、基本的には文春と新垣氏が語った内容しか知らなかったので、本作は非常に新鮮に感じた。

日本社会を敵に回した者に徹底的に寄り添い、その内面を写し撮ってゆく構造は前作と同じ。
具体的には、森監督が佐村河内氏のマンションを訪れ、諸々の疑問をインタビューするというだけなのが、これが実に面白い。
チャップリンの「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」の名言通り、ドキュメンタリストの冷徹なカメラを通して見ると、佐村河内氏にとっての悲劇はなんだかとてもユーモラスで、劇場では頻繁に笑いが起こっていた。
事件の何がFAKEで何がREALだったのか。
自分の言葉で懸命に語る佐村河内氏からは、マスコミとネットによって作られた、ペテン師のレッテルの向こうにある、生な人間像が見えてくる。

非常に上手いのは、彼を訪ねてくるTV局や海外メディアまで、“本作が描きたいこと”に利用していること。
引きこもっている佐村河内氏を引っ張り出そうと、出演依頼をしに訪ねてくるTV局スタッフの言葉など、実際に放送された番組とのギャップを見るとギャグでしかない。
マスコミは面白くするために自分たちで絵を描き、その構図に入りきらないもの、非協力的なものは排除するのだなあと実感する。
“現代のベートーベン”天才佐村河内守がFAKEなら、テレビ番組の中でも面白おかしく語られる佐村河内守もまたFAKE。
一方で、アメリカの雑誌社のインタビューアーの繰り出す鋭い質問に、佐村河内氏が大きく動揺する辺りは苦しさが伝わってきて、彼に対する疑念が募る。
そして、ここで提示された一連の騒動の中でも最大の疑問点へのアンサーとしての、終盤12分間の驚きの展開とラストの質問。
自分の中のFAKE/REALの本当の境界は、当人の中でも曖昧だから、安易には答えられない。
佐村河内氏の沈黙は、森監督への信頼が作り出したものと言えるだろう。

本来、この人が犯した間違いは、新垣氏の存在を隠して、自分だけを作曲者としたクレジットの問題だけであって、最初からプロデューサー、あるいは共作の形を取っていれば何の問題も無かった。
だから、聞こえる聞こえないとかは本来筋違いの話なのだけど、いつの間にかそれがバッシングの材料になってしまった。

積み重なって既成事実化した歪曲を正しつつも、擁護でも批判でもなく、提供される多重な視点。
これは、自らが作り出したFAKEの海に溺れてしまった男の哀しみを描いた作品だが、見えてくるのは佐村河内氏だけでなく、マスコミを含む日本社会そのものの姿である。
まあここまで大きな騒動でなくても、例えばSNS上の小さなハッタリや嘘が原因で、手痛いしっぺ返しを受けた人はそんなに珍しくは無いだろうし、逆に自分では知らないうちに誰かの嘘によって陥れられてケースだってあるだろう。
好むと好まざるとに関わらず、我々は常にFAKE/REALが不可分に組み合わさった世界に生きているのである。

ちなみに、ある意味人間よりも目立っていて本作のMVPと言えるのが、全てを見透かしている様な佐村河内家のネコちゃん。
ポスターにも登場していて可愛いのだけど、少々太り過ぎなので、ダイエットさせた方が良いと思う。

佐村河内氏の代表作といえば「ヒロシマ」で、自身も広島出身。
今回は広島の竹原市の地酒、竹鶴酒造の「竹鶴 純米清酒 秘傳」をチョイス。
この酒は、冷よりも燗にした方が美味しいことで日本酒好きには知られており、皆で料理を囲んでワイワイ飲むのにぴったりだ。
ニッカのウィスキーと同銘柄だが、実はニッカ創業者・竹鶴政孝はこちらの竹鶴酒造とは同じ一族。
方やウィスキー、方や日本酒と道は別れたが、酒好きのDNAはどちらにも受け継がれている様だ。

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エクス・マキナ・・・・・評価額1750円
2016年06月09日 (木) | 編集 |
いま、そこにある未来。

「28日後…」や「わたしを離さないで」の脚本家として知られるアレックス・ガーランド、満を持しての監督デビュー作は、いきなりSF映画史に残る傑作である。
奥深い森に作られた秘密施設で暮らす、進化した人工知能(AI)を搭載した女性型アンドロイド・エヴァと、彼女をテストするために招かれた人間の青年・ケイレブ。
エヴァは顔と手の先だけ皮膚が付けられているが、そのほかの部分はパーツがむき出しのスケルトンボディで、いかにも機械然とした姿をしている。
にもかかわらず、テストのセッションを重ねるにつれて、ケイレブは徐々に女性としてのエヴァに惹かれてゆく。
一体、奇妙なテストの目的は何か?テストされているのは、人間と機械どちらなのか?
タイトルの「エクス・マキナ」は、日本のアニメ映画にも同タイトルの作品があったが、ラテン語で「機械仕掛け」という意味。
主要登場人物はわずか四人という低予算の密室劇ながら、その分研ぎ澄まされて純度の高い物語はSFの神が宿ったがごとく、全く目が離せない。
※核心部分に触れています。

検索エンジンを手掛けるBlueBook社に勤めるケイレブ(ドーナル・グリーンソン)は、抽選でカリスマ社長のネイサン(オスカー・アイザック)の自宅を訪れる権利を手に入れる。
鬱蒼とした森の奥の邸宅に暮らすネイサンは、ケイレブにある提案をする。
実はここはネイサンが人工知能の開発を行っている秘密施設でもあり、彼の開発したAIにチューリング・テストを行ってほしいと言うのだ。
戸惑いながらも秘密保持契約にサインしたケイレブの前に、アンドロイドのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)が姿を現す。
テストのセッションを重ねるうちに、打ち解けてゆくケイレブとエヴァ。
だがある日、セッションの最中に停電が起き、監視システムがダウンした時、エヴァは「ネイサンは嘘つき。信じてはいけない」とケイレブに警告する。
エヴァは次第にケイレブに対して誘惑的な態度をとる様になり、彼はそれ自体がネイサンによるプログラムではないかと疑うが、ネイサンは否定。
AIを次の段階に進化させるため、今のエヴァを消去するつもりだと語る。
泥酔したネイサンからセキュリティカードを抜き取ったケイレブは、ネイサンのパソコンに保存されていた映像から、エヴァ以前にも何体もの女性型アンドロイドが存在していたことを知る・・・・


劇中でケイレブとエヴァが行うチューリング・テストとは、コンピューターの基礎を作った科学者の一人で、映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」の主人公としても知られるアラン・チューリングが、1950年に提唱した機械に思考能力があるかを判定するテストのこと。
人間と機械がそれぞれに隔離された状態で、ディスプレイ上の文章などで会話を交わし、人間が相手を機械と分からなければ、その機械には知性があるという事になる。
ただ、本作のケイレブとエヴァは透明なガラスを挟んで向き合って会話しており、おまけにエヴァは人工皮膚で覆われた顔と手以外は、機械の内部構造がまる見えの姿をしている。
これではチューリング・テストにならないのではないか?と問うケイレブに対しネイサンは、エヴァは従来のAIよりもはるかに進化しており、会話だけでは誰もが人間だと思い込んでしまうから、あえて機械の姿のままテストするのだと言う。

エヴァの生みの親で、ケイレブの雇い主でもあるネイサンは、BlueBookというGoogleとFaceBookを混ぜたような検索エンジンの開発者であり創業者だ。
検索エンジンには、全世界の人々の情報が飛び込んでくる。
人間の興味、思考、判断、行動といった膨大なデータは、今では消費動向の調査といったマクロな用途から、個人の嗜好に沿ったネット広告の表示といったミクロな機能に至るまで、あらゆるシチュエーションで利用されている。
ネイサンはこのビッグデータを使い、人間が人間たる要素を抽出し、AIの頭脳に結実させたのである。
70億人の集合意識でもあるエヴァの心は、ある意味人間よりも人間を知り、人間よりも人間らしい。
顔と手以外、機械の姿のままのエヴァに、いかにも草食系のケイレブがノックアウトされてしまうのも十分な説得力があり、ぶっちゃけ同じシチュエーションに自分が置かれたとしても、ケイレブと同じ行動をとるかもと思わされる。
よく一度もあったことの無い人と、SNSやチャットを通じて恋に落ちる話を聞くが、私たちのコミュニケーションにおいて、肉体の持つ意味は意外と低いのかもしれない。

物語に配された幾つもの対照と相似形
自然豊かな森に隠された、窓のない人工的な研究所、有機物の人間と無機物のアンドロイド、そして男と女。
これらはまったく違うように見えて、密接に関係しながら存在している。
ネイサンが本来性の無いアンドロイドを女性の姿に作るのにも、論理的にも彼の潜在意識的にも明らかに意味があるのだが、ケイレブがエヴァのことを機械と認識しながらも、一人の女性としての彼女に心を奪われてしまうのは、これからの時代の人間存在に関するユニークかつ現実的な問いかけに繋がる。
本作でエヴァが抱えている最大の葛藤は、ネイサンによって監禁されていて外の世界に触れられないということだ。
もしも機械が人間と同じか、それ以上の思考能力を持つのなら、それは人間なのか?そもそも人間とはなにか?
人の心を持つ者を、自分が作ったからと言って他の誰かが支配することがゆるされるのだろうか?
AIと人間の関係はどうなってゆくのか、どうあるべきなのかは、ラングの「メトロポリス」から「ブレードランナー」や「アンドリューNDR114 」、近年では「her/世界でひとつの彼女」に至るまで、古今東西のSFが取り上げてきた永遠のテーマだ。
しかし、人類が答えを出すのに残された時間は、もうあまり無さそうなのである。

今年の3月、米CNBCのインタビュー番組で、奇しくも本作のエヴァとよく似たルックスを持つAIアンドロイドの“Sophia”が、「人類を絶滅させたいか?」という質問に対して「イエス、人類を絶滅させるわ」と答えたのだ。
多分に冗談めかした質問だったが、私はこのやり取りに背筋がゾワゾワするのを感じた。
人間が冗談を言ったとしても、機械がそれに冗談で答えるだろうか。
逆に言えば、冗談のやり取りが出来るくらい、進化しているということなのか。
同じころ、マイクロソフトが19歳の女の子という設定で公開したAIの“Tay”は、SNS上でのユーザーとのやり取りの結果、差別的な発言を繰り返すレイシストと化し、早々に公開が中止される事態となった。
神は自分に似せて人間を作ったというが、それならば人間の作るAIもやはり、我々に似た不完全な存在になるのが必然ではないか。
物語の終わりで、念願だった人間社会の雑踏に消えたエヴァが向かう未来はどこか。
“星を継ぐもの”となって、いつか人類を絶滅させるのか、それとも人類を補完する存在となるのか。
2014年6月、13歳の少年ユージーン・グーツマンを模したコンピューターが、史上初めてチューリング・テストを突破し、人間と判定された。
この話はもはや、絵空事というにはリアルすぎるのである。

「What Is Love?」
AIにとって、愛とはどんな意味を持つのだろう?ということで「ワット・イズ・ラブ」をチョイス。
コアントロー15ml、アセロラジュース45ml、レモンジュース1tsp、 トニックウォーター適量。
タンブラーに氷と素材を入れておき、トニックウォーターを注ぎ、軽くステアして完成。
オレンジ風味のコアントローの甘みと、アセロラの酸味の相乗効果が効いている。
甘酸っぱく飲みやすく、ピンクがかった色味も綺麗で、華やかなカクテルだ。

関係ないけど、ケイレブとネイサンは「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」で、ハックス将軍役とポー・ダメロン役で共演してるんだが、二人とも言われないと分らないくらい印象が違う。
さすが役者。
でもやはり本作のMVPは、エヴァ役のアリシア・ヴィキャンデルだな。

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コアントロー 40゜ 700ml
価格:1814円(税込、送料別)



ヒメアノ〜ル・・・・・評価額1700円
2016年06月07日 (火) | 編集 |
平凡な奴が、一番怖い。

日本映画史に類を見ない大怪作だ。

ダメ人間たちの恋愛模様と、その裏で進行するおぞましい犯罪の物語はごく単純、でも簡単には語れない。
原作は古谷実の同名コミック。
「ヒメアノ~ル」って何だろう?と思ったら、“小さなトカゲ”のことだとか。
古谷実は「ヒミズ」もモグラの名前だったし、主人公を動物に暗喩するのが好きなのかもしれない。

「銀の匙 Silver Spoon」「ばしゃ馬さんとビッグマウス」の吉田恵輔監督は、極めてトリッキーな物語構造を使い、日常の裏に潜むこの世界のダークサイドを描き出す。
吉田監督といえば、過去にも中島健人や安田章大らジャニーズアイドルを起用して成功させてきたが、今回殺人鬼役に挑んだ森田剛の演技は圧巻だ。
※以下、核心部分に触れています。

地方から上京してビル清掃の仕事をしている岡田進(濱田岳)は、平凡過ぎる毎日に焦りを感じ、悶々とした日々を過ごしている。
ある日、職場の先輩である安藤(ムロツヨシ)から、カフェ店員のユカとの恋をとりもってくれるように頼まれた岡田は、偶然カフェに居合わせた同郷の森田正一(森田剛)と再会する。
ユカから森田が自分のストーカーである事を聞いた岡田は、一抹の不安を抱えながらも次第にユカと親しくなってゆき、安藤に隠れて付き合うように。
だが、そんな二人を見つめる冷たい目があった。
高校時代に凄惨なイジメを受けていた森田は、過去の秘められた事件を切っ掛けとして、恐るべきシリアルキラーへと変貌を遂げていたのだ。
森田はある計画を胸に、高校時代に同じ相手にイジメられていた、元同級生の和草(駒木根隆介)を東京に呼び出すのだが・・・


今年の日本映画からは、奇しくも本作で森田剛が怪演す森田正一と、「ディストラクション・ベイビーズ」で柳楽優弥が演じた芦原泰良という、恐ろしすぎる殺人鬼が二人生まれた。
ただ、この二本と二人、バイオレンスという共通項はあるものの、まるでベクトルが違う。
「ディストラクション・ベイビーズ」は、いわば日本版「ナチュラル・ボーン・キラーズ」だ。
主人公の芦原泰良は「楽しければええけん」と言いながら、誰彼かまわず喧嘩を売り、どつかれても、どつかれても、血まみれになりながらも襲いかかってゆく。

そこに理由は無いし、あっても理解できない。

芦原は、地方都市の日常に突然現れるモンスターであり、暴力を喰って生きる人間の姿をした“異種”だ。
その行為は不条理で凄惨だが、人でない者に人の倫理を問うのは間違いだと思わされる。

彼の中に葛藤はなく、人を殺すことにも特に理由はないのである。

この作品の劇中で、暴力を拡散するのはネット。
観客の視点も、いつしか「なんだか分からないけど、すごいもん」を欲して、日々ネットの動画サイトを漁る人々と同じになってゆくことで、逆説的に客観的な“今”が見えてくる。


同じシリアルキラーでも、芦原が生まれながらのモンスターだとしたら、名前も平凡な森田正一は、外的な要因で突然変異した哀しきゴジラだ。
無害なはずの小さなトカゲを、暴走する巨大怪獣に変異させたのは何か。
高校生の時に、同級生の河島から酷いイジメを受けていた森田は、ある時遂にキレて、同じようにイジメられていた和草を誘って、河島を殺して埋める。
平凡で気弱な少年だった森田は、以来人が変わって暴力的になり、欲望のままに犯し殺す快楽殺人犯となってしまうのである。
その凶暴さは共犯者の和草にもおよび、彼は事件以来ずっと森田によって脅され、支配されているのだ。
河島のイジメによって追い詰められた森田の本来の心は、暴力に暴力で応えることによって崩壊し、恐るべき嗜虐性を秘めた新しい人格によって乗っ取られてしまったのである。

本作の特徴は、森田も含め出てくる登場人物全員が、本質的には平凡なダメ人間ということだ。
シリアルキラーの森田も、決して腕っぷしが強いわけではなく、自分が確実に殺せる相手とタイミングを選んでいるだけのこと。
物語の後半、森田に狙われた岡田が、高校時代に河島と一緒になって森田を蔑んだことを恨まれているのだろうかと考えるシーンがある。
森田がイジメられ岡田がイジメられなかったのは、単なる偶然であって、必然ではない。
もしかしたら二人の立場は逆転していて、岡田の方がシリアルキラーになっていたかもしれない。
そのことを端的に表しているのが、非常に独特の物語構成である。
映画の前半は、岡田と安藤とユカの三角関係が、シュールでちょっと気持ち悪いラブコメ調に展開する。
ストーカーの森田は、ここではまだ三角関係に絡む変数としての脇の位置づけだ。
だが、ある瞬間から世界が反転し、ぬるま湯的な日常の裏側に隠れていた、恐るべき闇が前面に出てくる。
岡田がユカと結ばれるまでの前半部分は、文字通り異様に長いアヴァンタイトルであって、二人の関係を森田が知り「ヒメアノ~ル」のタイトルが現れた時点から、突然変異したトカゲの物語が始まるのである。
森田と岡田が同じコインの表と裏の関係であることは、森田の凄惨な殺人と岡田とユカのセックスをアクションを反復させながら同時進行で描くという、俗悪趣味ギリギリ、作り手の悪意たっぷりなシーンに象徴的だ。


もはや制御を失ったモンスターは、本能の赴くままに無関係の人々を犯しまわり、殺しまわりながらひたひたと岡田とユカに近づき、命を狙う。
コインの表と裏が交錯してからの終盤の展開は、サスペンスフルで手に汗握る。
だが、何人もの人間を無慈悲に殺しながら、モンスターは車の前に飛び出した、ただ一匹の犬を轢くことが出来ずに自滅するのである。
全てが終わった後に映し出される情景は、森田がイジメにあう前の高校生の頃。
学校で初めてできた友だち、岡田を連れて帰る家には、同じような白い犬がいる。
この犬は、森田にとって無垢なる時代の象徴なのだろう。
モンスターによって支配されてはいるが、森田の心の奥底には、まだあのころの自分が残っている。
だから、彼は人を殺しても犬は轢けなかったのである。
快楽殺人犯には、決して共感は出来ない。
どれだけ非道な暴力を描いても、本作はその一線だけは超えることは無い。
だけど、平凡な少年がなぜモスンターになってしまったのか、その痛みと悲しみを考えると、なんとも言えない切なさと憐れみを感じる。
「お母さん!麦茶二つー!」という森田の声が、物語を通して心にぽっかり空いた虚無の空間に吸い込まれてゆく。
哀しきゴジラにも、平凡だけど幸せだった頃が、確かにあったのだ。

今回はトカゲのラベルを持つカリフォルニア・ワイン、「リーピング リザード ソーヴィニヨン・ブラン」をチョイス。
ナパバレー産の複数の原料をブレンドして作られているCPの高い銘柄。
フルーティで複雑なアロマと、酸味も適度でまずまず力強いボディ。
辛口の白として使い勝手の良いワインだ。
実はトカゲはワイン文化と密接な関係があり、ワインラベルではポピュラーな存在。
害虫を食べてくれるトカゲが生息しているブドウ畑は、昔から自然環境が優れた良い畑と言われていて、トカゲはワイン農家にとって幸運のしるし。
だからトカゲのラベルを使う銘柄が、世界中に沢山あるという訳。

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神様メール・・・・・評価額1700円
2016年06月02日 (木) | 編集 |
いっそ世界をリセットしよう!

いかにも曲者のジャコ・ヴァン・ドルマル監督らしい、一筋縄ではいかない作品だ。
どこかモンティパイソンを思わせるシュールでシニカル、それでいて詩的なファンタジー。
「神様ってひどい奴だよね」って、この死と破壊に満ちた世界に生きる者なら、誰もが一度は思ったことがあると思うが、本作はその通りに癇癪持ちでサディストの神を造形。

虐げられた神の娘が反乱を起こし、人類一人ひとりに余命を知らせてしまったことで、世界が変わってゆく。
原題「Le tout nouveau testament」は「新・新約聖書」の意。
人間界にやって来た神の娘は、嘗て兄のキリストが試みたように、彼女の元に集う使徒によって現代人のための新たな福音書を記そうとしているのである。
※核心部分に触れています。

神(ブノワ・ポールブールト)は、初めにブリュッセルを作った。
いまもこの街の高層アパートの一室に住み、パソコンで世界の運命を操っている。
だが、10歳になる神の娘エア(ピリ・グロワーヌ)は、好き勝手に人間界をいじくり、人々に不幸にして楽しんでいる父親が大嫌い。
傲慢な神は、家の中でも母の女神(ヨランド・モロー)やエアのことを奴隷のように扱っている。
そんな暮らしに嫌気がさした彼女は、人間たちを運命から解放するため、神が居眠りしているうちに、彼のパソコンを操作して全人類に余命を知らせるメールを送信。
さらに兄のJCことキリストに勧められ、新たに使徒を6人選び「新・新約聖書」を記して、人類を救済すために人間界に下る決意をする。
洗濯機のトンネルから地上へと出たエアは、6人の使徒を探して旅に出る。
一方、エアが人々に余命メールを送ったことに気付いた神は、彼女を捕まえるべく後を追うのだが・・・


ベルギーの映画だし、神の息子がジャン・クロード・バンダムと同じイニシャルのJC(イエス・キリスト)だったりするので、一応キリスト教の宗教観に基づいている様だが、本作の神はとりあえず全知全能ではないっぽい。

神はパソコンを使って世界を動かしているが、機械音痴ゆえにエアに悪戯されてパソコンをエラーにされると何も出来ない。

そもそも誰がパソコンを作ったのかというのも謎だし、ここではパソコンは神の上位存在であり、実はパソコンが神を使役しているとも言える。
それで彼がなにをしているかと言えば、年がら年中ビールを飲んで酔っ払い、人間たちを神の名のもとに戦わせたり、「パンが落ちるときはジャムの面から」とか「浴槽に浸かったとたん電話がかかってくる」とかバカバカしい法則を作っては困らせたり、ろくでもないことばかりだ。
家族に対しても態度は酷く、寝ている間にエアが余命メールを送ったことに逆上し、「シャイニング」のジャック・ニコルソンよろしく、斧で娘の部屋のドアをぶち破ったりする壊れっぷり。

エアが人々に余命を知らせるのは、傲慢な神によって握られている運命から解放するため。
自分の運命を知らないからこそ、人間は死を恐れ、神に縋ろうとする。
だが、もしも逃れられない死がいつ訪れるのか、全ての人が知っているとしたら、神はそれほど必要とされなくなるだろう。
正確な死期を悟った人間たちの反応は様々。
メールを受け取った瞬間死んじゃう人がいたり、逆に余命がある間は何をしても死なない訳だから、飛び降りたり爆発したり無謀な挑戦を繰り返すユーチューバ―がいたり、自分が障がいを持つ子供より早死にすることに悲観する母がいたり。
もし自分だったらどうするだろう、どのくらいの余命がほしいだろうかと、つい考えてしまう。
まあ、あまり長くてもそれはそれで苦しそうだから、最低二けたくらい残っていればとりあえずは納得できるかな。

エアが出会う6人の使徒たちも、それぞれに余命を知る。
嘗て事故で片腕を失った孤独な美女、オーレリーは11年6カ月27日。
余命を知ったことから、なぜか保険屋からスナイパーに転職したフランソワは25年3カ月8日。
彼はオーレリーを撃ったことから、不思議な恋に落ちる。
セックス依存症のマルクは預金を全て風俗につぎ込んで、83日の余命を生きようとするが、ひょんなことから自分の性癖の切っ掛けになった女性と再会する。
自分に無関心な夫に愛想を尽かしたマルティーヌが、残り25年2ヵ月17日のパートナーに選んだのは、心優しいサーカスのゴリラ。
この有閑マダムとゴリラの恋は、明らかに同じ設定の大島渚監督の「マックス、モン・アムール」へのオマージュだろう。
まああれはゴリラじゃなくてチンパンジーだけど。
世評は高くないけど、本作にも通じるすっとぼけた味があって結構好きな作品だ。
12年9カ月5日の余命を持つジャン=クロードは、友達になった鳥を追って北極圏へと旅をする。 
そして、最年少のウィリーは、余命も一番短い54日。
トランスジェンダーである彼は、最後の日々を女の子として過ごすことを決める。
それぞれの物語に立ち会うエアは、人間たちの心の音楽を聴き、余命を知ったことでそれまでの世界から逃れ、異なる人生を歩み出した6人のユニークな人生模様が、新たな福音書となることを見届けるのである。

新たな使徒が6人なのは、キリストが集めた12人と合わせて18人とするため。
「18」は母の女神が好きな数字だから、18人がそろえば母が何か行動を起こすはず、とエアは思っている。
ならば、無口で野球カードと刺繍が大好きで、最悪な夫に虐げられている女神は何者なのか。
そもそも一神教の神は一人であって、二人いるのならそれは多神教である。
女神はたぶん、一神教が広まる以前、世界中の人々に信仰されていた豊穣をもたらす地母神なのだろう。
今はなぜかエアの部屋で置物になっているJCが、使徒集めを途中でしくじったおかげで「神は一人で男の姿をしている」という概念が固定化してしまったので、調子に乗った神は女神の声を封じ、世界をわがものにしているのである。
彼女が古の女神なのは、パソコンが彼女に「久しぶり」と呼びかけることからもうかがえる。
本作で神を象徴する旧約聖書は、キリストの(作りかけた)新約聖書とは様々な点が矛盾するが、人々はそれを色々な宗教的解釈をすることで正当化してきた。
本作は、この矛盾こそが世界を混乱させているのでは?世界には矛盾を解消する「新・新約聖書」が必要なのでは?と説く。
傲慢で役立たずの神より、サイケなセンスの女神と勝ち気な娘の方がマシ。
エアが18人を集めたことによって、遂に女神は神が好き勝手に壊した世界をリセットし、改良しはじめるのだが、このシークエンスのビジュアルイメージは相当にトリップ感があって楽しい(笑
一神教の父権制から、多神教の母権制への回帰を思わせる展開は、日本で観れば単にシュールなファンタジーだが、キリスト教圏では相当に刺激的な内容だろう。

身分証をもっていない神が、不法移民と間違えられてウズベキスタンに送還されちゃうのもシニカルで可笑しい。
ベルギーはイスラム圏からの移民が急増し、いずれベルギスタンというイスラム国家になるのではないかと言われているくらい。
キリストの神もイスラムの神も、あがめる人が違うだけで元々同じ存在だから、本来神にとってはどっちでも良いはずという皮肉なのだろうな。

今回は、ビールばっかり飲んでいるベルギーの神の話だから、同じくベルギー生まれの“悪魔のビール”「デュベル」をチョイス。
泡立ち良く、スムーズなのど越しが特徴の美味しいビールだが、完成した時は第一次世界大戦の戦勝を記念して「ビクトリー・エール」と名付けられていたという。
ところが、試飲会で飲んだ一人が「このビールはまさに悪魔だ」と言ったことから、悪魔を意味する「Duvel」に銘柄が変更されたとか。
ベルギーには神と悪魔が両方いるのだな(笑
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