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2016年06月23日 (木) | 編集 |
大衆よ、我を恐れよ。
ティムール・ヴェルメシュの、ベストセラー政治風刺小説の映画化。
死の直前に現代のドイツにタイムスリップしたヒトラーと、ボンクラTVディレクターがひょんなことからコンビを組み、動画サイトで自分たちを売り出す。
独裁者が時代のギャップに戸惑いながらも、おなじみの口調で過激な演説を繰り返すと、超リアルなヒトラーネタがウケて、モノマネタレントとして大成功。
21世紀の今、笑いの対象だとしてもヒトラーが大衆を夢中にさせるのはなぜか。
全編シニカルなギャグ満載だが、風刺の向こうから見えてくるのは、いつか来た道、笑えない可能性の未来というワケ。
オリバー・マスッチが演じるヒトラーは、ルックスだけでなくその喋り方や声質なども含めて驚きの激似っぷり。
いつの間にか、本当にホンモノではないか?という錯覚に陥るほどだ。
※核心部分に触れています。
ナチス総統アドルフ・ヒトラー(オリバー・マスッチ)は、ベルリンの地下壕で自殺したはずだった。
だが次の瞬間、彼は青空の下で目を覚ます。
街も人々も突然様子が変わったことを訝しがるヒトラーは、たどり着いたキオスクの新聞で、自分が2014年にタイムスリップしたことを知る。
仕事をクビになったTVディレクターのファビアン(ファビアン・ブッシュ)は、たまたま知り合ったヒトラーを完璧なコスプレと思い込み、現代に表れたヒトラーが街の人々と語らったり、極右政党に乗りこんだりする動画を配信。
ヒトラーは、モノマネタレントとしてネットの人気者となり、ファビアンが嘗て務めていたTV局にスカウトされる。
“TVヒトラー”と呼ばれ遂に全国的な知名度を獲得したヒトラーだが、その過激な発言は単なるパロディとしての笑いをこえて、いつしか人々の心を掌握しつつあった。
その頃、ようやく彼がホンモノだと気付いたファビアンは、ヒトラーの新たな野望を阻止するために、行動をおこすのだが・・・
極めてユニークなスタイルを持つ風刺映画だ。
ヒトラーをYoutubeのスターにするファビアンが、時間SFの金字塔「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の、マーティ・マクフライ風のジャケットを着ているのが可笑しい。
彼はマクフライと同じように、未来を変えないために過去と戦う破目になるのである。
戦後70年が経過し、負の遺産であるナチズムも現代のドイツ人には遠い過去の昔話。
だからこそ当初人々はある種のパロディとしてヒトラーの再臨を楽しみ、ジョークだからと彼に本音を吐き出している。
最初は未来の世界の変化に戸惑っていたヒトラーも、慣れてくると気付く。
大衆の中にあるものは、基本的に何一つ変わっていない。
自らの野望を今一度実現するために、必要なのは扇動者だけだと。
本作はフィクションでありながら、劇中の取材シーンなどはドキュメンタリー。
ヒトラーが街中で市民たちと語らうシーンは、実際にあの扮装のまま街を歩いて、一般の人々にインタビューしているのだという。
だから、本作はフェイクの中にリアルを内包しているのである。
さらに劇中のヒトラーが本作の原作を書き始め、その本がベストセラーになって劇中でも映画化されるという、物語の中に同じ物語があるエッシャーの階段の様な特異な作りは、全体として眺めると現実のドイツ社会、いやヨーロッパ社会全体をメタ的に俯瞰する構造となっている。
だから観客も、観ているうちにこれが単なるフィクションだとはだんだん思えなくなってくるのだ。
そしてパロディやギャグを超えて、いくつかの瞬間ヒトラーが愛すべき人に見えてきて、「あかん奴のはずだけど、言ってることは分る」と思っている自分に気付くと、背筋がゾワゾワ。
いつの時代でも、大衆の心を掴むヒトラーとはいったい何者で、なぜ彼は時空を超えて21世紀にやって来たのか?
その答えこそ本作の核心だ。
本作におけるヒトラーは、ある種の集合意識のメタファーとして描写される。
大衆の中に常に存在する、憎悪と不寛容が具現化した存在。
だから彼は死なないし、たとえ殺しても何度でも蘇る。
現代社会にやって来て、人々を注意深く観察したヒトラーは言う。
「今は好機」だと。
難民、テロ、経済不況、大衆の中にマグマの様に溜まりつつある不平不満は、導く者がいれば容易に噴火しかねない。
1930年代のドイツでは、それはヒトラーだった。
では現在の世界では?
ヨーロッパにも、アメリカにも、日本にも、「秩序」とか「伝統」とかのスローガンに隠した不寛容の旗を振る輩がいくらでもいる。
ポピュリストの泡沫候補だったトランプは今や共和党の大統領候補だし、第一次安倍内閣の法務大臣だった長勢甚遠は、信じ難いことに「国民主権、基本的人権、平和主義、この3つを憲法からなくさなければ」と公言しているのだ。
SNSも使い方しだいで民主革命を引き起こす原動力にも、憎悪を煽るアジテーターのツールにもなりえる。
ヒトラー的な欲求は常に我々の中にいて、形を得る機会をうかがっているのかも知れない。
現代のヒトラーは、いつどこに現れてもおかしくないのである。
同じく戦争による負の歴史を抱える日本にもテーマ的に通じるものがあるが、本作はやはりヒトラーという絶対的アイコンがあるから成立する話だろう。
日本の場合は、歪んだ民主主義の結果というよりも、明治憲法の根本的欠陥だったり、そこにいたる経緯がだいぶ異なるし、全権を握る様な絶対的な独裁者がいない。
まあ、明確な責任者不在こそが実に日本的であって、この国のヤバイところとも言えるだろうけど。
ところで、本作のヒトラーをムッソリーニに変えた、イタリア版のリメイクが進行中だという。
同じファシストの独裁者でも、最後まで国家を掌握していたヒトラーと、人民裁判にかけられ自国民に銃殺されたムッソリーニでは、国民への感情が相当異なりそう。
完成したらこちらも是非公開していただきたい。
ヒトラーは酒もタバコもやらなかったという説があるが、これは彼に潔癖なイメージを持たせるためのゲッペルスの宣伝戦略の一つで、本当は酒好きだったらしい。
実際ヒトラーは、当時のドイツの大衆の憩いの場だったビアホールで好んで演説を行っている。
昨年公開された「ヒトラー暗殺、13分の誤算」で暗殺未遂が起こるのも、ビュルガーブロイケラーというビアホール。
また1920年にナチス結党の大集会が開かれたのも、誰もが知るドイツビールの名門ホブフロイ・ミュンヘンのビアホール、ホブフロイ・ハウスだったのだ。
というわけで、今回はそのホブフロイから、伝統の「ホブフロイ・ドゥンケル」をチョイス。
16世紀の開設時から醸造されているまろやかでコクのあるダークビールは、古典的バヴァリア・ビールの典型。
ホブフロイ・ハウスは今でも観光地として有名だが、色んなところに人知れず歴史の痕跡が残ってるのだな。
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ティムール・ヴェルメシュの、ベストセラー政治風刺小説の映画化。
死の直前に現代のドイツにタイムスリップしたヒトラーと、ボンクラTVディレクターがひょんなことからコンビを組み、動画サイトで自分たちを売り出す。
独裁者が時代のギャップに戸惑いながらも、おなじみの口調で過激な演説を繰り返すと、超リアルなヒトラーネタがウケて、モノマネタレントとして大成功。
21世紀の今、笑いの対象だとしてもヒトラーが大衆を夢中にさせるのはなぜか。
全編シニカルなギャグ満載だが、風刺の向こうから見えてくるのは、いつか来た道、笑えない可能性の未来というワケ。
オリバー・マスッチが演じるヒトラーは、ルックスだけでなくその喋り方や声質なども含めて驚きの激似っぷり。
いつの間にか、本当にホンモノではないか?という錯覚に陥るほどだ。
※核心部分に触れています。
ナチス総統アドルフ・ヒトラー(オリバー・マスッチ)は、ベルリンの地下壕で自殺したはずだった。
だが次の瞬間、彼は青空の下で目を覚ます。
街も人々も突然様子が変わったことを訝しがるヒトラーは、たどり着いたキオスクの新聞で、自分が2014年にタイムスリップしたことを知る。
仕事をクビになったTVディレクターのファビアン(ファビアン・ブッシュ)は、たまたま知り合ったヒトラーを完璧なコスプレと思い込み、現代に表れたヒトラーが街の人々と語らったり、極右政党に乗りこんだりする動画を配信。
ヒトラーは、モノマネタレントとしてネットの人気者となり、ファビアンが嘗て務めていたTV局にスカウトされる。
“TVヒトラー”と呼ばれ遂に全国的な知名度を獲得したヒトラーだが、その過激な発言は単なるパロディとしての笑いをこえて、いつしか人々の心を掌握しつつあった。
その頃、ようやく彼がホンモノだと気付いたファビアンは、ヒトラーの新たな野望を阻止するために、行動をおこすのだが・・・
極めてユニークなスタイルを持つ風刺映画だ。
ヒトラーをYoutubeのスターにするファビアンが、時間SFの金字塔「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の、マーティ・マクフライ風のジャケットを着ているのが可笑しい。
彼はマクフライと同じように、未来を変えないために過去と戦う破目になるのである。
戦後70年が経過し、負の遺産であるナチズムも現代のドイツ人には遠い過去の昔話。
だからこそ当初人々はある種のパロディとしてヒトラーの再臨を楽しみ、ジョークだからと彼に本音を吐き出している。
最初は未来の世界の変化に戸惑っていたヒトラーも、慣れてくると気付く。
大衆の中にあるものは、基本的に何一つ変わっていない。
自らの野望を今一度実現するために、必要なのは扇動者だけだと。
本作はフィクションでありながら、劇中の取材シーンなどはドキュメンタリー。
ヒトラーが街中で市民たちと語らうシーンは、実際にあの扮装のまま街を歩いて、一般の人々にインタビューしているのだという。
だから、本作はフェイクの中にリアルを内包しているのである。
さらに劇中のヒトラーが本作の原作を書き始め、その本がベストセラーになって劇中でも映画化されるという、物語の中に同じ物語があるエッシャーの階段の様な特異な作りは、全体として眺めると現実のドイツ社会、いやヨーロッパ社会全体をメタ的に俯瞰する構造となっている。
だから観客も、観ているうちにこれが単なるフィクションだとはだんだん思えなくなってくるのだ。
そしてパロディやギャグを超えて、いくつかの瞬間ヒトラーが愛すべき人に見えてきて、「あかん奴のはずだけど、言ってることは分る」と思っている自分に気付くと、背筋がゾワゾワ。
いつの時代でも、大衆の心を掴むヒトラーとはいったい何者で、なぜ彼は時空を超えて21世紀にやって来たのか?
その答えこそ本作の核心だ。
本作におけるヒトラーは、ある種の集合意識のメタファーとして描写される。
大衆の中に常に存在する、憎悪と不寛容が具現化した存在。
だから彼は死なないし、たとえ殺しても何度でも蘇る。
現代社会にやって来て、人々を注意深く観察したヒトラーは言う。
「今は好機」だと。
難民、テロ、経済不況、大衆の中にマグマの様に溜まりつつある不平不満は、導く者がいれば容易に噴火しかねない。
1930年代のドイツでは、それはヒトラーだった。
では現在の世界では?
ヨーロッパにも、アメリカにも、日本にも、「秩序」とか「伝統」とかのスローガンに隠した不寛容の旗を振る輩がいくらでもいる。
ポピュリストの泡沫候補だったトランプは今や共和党の大統領候補だし、第一次安倍内閣の法務大臣だった長勢甚遠は、信じ難いことに「国民主権、基本的人権、平和主義、この3つを憲法からなくさなければ」と公言しているのだ。
SNSも使い方しだいで民主革命を引き起こす原動力にも、憎悪を煽るアジテーターのツールにもなりえる。
ヒトラー的な欲求は常に我々の中にいて、形を得る機会をうかがっているのかも知れない。
現代のヒトラーは、いつどこに現れてもおかしくないのである。
同じく戦争による負の歴史を抱える日本にもテーマ的に通じるものがあるが、本作はやはりヒトラーという絶対的アイコンがあるから成立する話だろう。
日本の場合は、歪んだ民主主義の結果というよりも、明治憲法の根本的欠陥だったり、そこにいたる経緯がだいぶ異なるし、全権を握る様な絶対的な独裁者がいない。
まあ、明確な責任者不在こそが実に日本的であって、この国のヤバイところとも言えるだろうけど。
ところで、本作のヒトラーをムッソリーニに変えた、イタリア版のリメイクが進行中だという。
同じファシストの独裁者でも、最後まで国家を掌握していたヒトラーと、人民裁判にかけられ自国民に銃殺されたムッソリーニでは、国民への感情が相当異なりそう。
完成したらこちらも是非公開していただきたい。
ヒトラーは酒もタバコもやらなかったという説があるが、これは彼に潔癖なイメージを持たせるためのゲッペルスの宣伝戦略の一つで、本当は酒好きだったらしい。
実際ヒトラーは、当時のドイツの大衆の憩いの場だったビアホールで好んで演説を行っている。
昨年公開された「ヒトラー暗殺、13分の誤算」で暗殺未遂が起こるのも、ビュルガーブロイケラーというビアホール。
また1920年にナチス結党の大集会が開かれたのも、誰もが知るドイツビールの名門ホブフロイ・ミュンヘンのビアホール、ホブフロイ・ハウスだったのだ。
というわけで、今回はそのホブフロイから、伝統の「ホブフロイ・ドゥンケル」をチョイス。
16世紀の開設時から醸造されているまろやかでコクのあるダークビールは、古典的バヴァリア・ビールの典型。
ホブフロイ・ハウスは今でも観光地として有名だが、色んなところに人知れず歴史の痕跡が残ってるのだな。

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