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2016年07月31日 (日) | 編集 |
アメリカは、彼の何を恐れたのか?
1940年代から50年代にかけて全米で吹き荒れた、いわゆる“赤狩り”に抵抗し、社会から抹殺された名脚本家・ダルトン・トランボが、長きに渡る闘争の末に、“奪われた名”を取り戻すまでの物語。
華やかな黄金時代を代表するハリウッドの寵児が、その思想ゆえに仕事を奪われ投獄され、それでも彼は彼ならではのやり方で、表現することを決してあきらめない。
ブルース・クックの原作を、「アクエリアス 刑事サム・ホディアック」などで知られるテレビ畑のジョン・マクナラマが脚色。
「オースチン・パワーズ」や「ミート・ザ・ペアレンツ」など、コメディ系の作品で知られるジェイ・ローチ監督が、一転して重厚な人間ドラマとして仕上げている。
トランボのことを知っていた方が理解しやすいが、普遍的な話を丁寧に紡いでいるので、全く知らなくても楽しめるだろう。
✳︎核心部分に触れています。
1940年代末。
ハリウッドの売れっ子脚本家、ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)に議会の非米活動委員会からの召喚状が届く。
冷戦の開始によって、アメリカ国内では共産主義排斥の動きが強まり、共産主義者と疑われたハリウッドの有力者にも次々と召喚状が届くようになっていた。
共産党員であることを公言していたトランボら10人の映画人、いわゆるハリウッド10は、思想の自由を脅かすとして議会での証言を拒否。
議会侮辱罪で投獄されただけでなく、映画業界から事実上追放されてしまう。
しかし、トランボは名前を出さずに仕事を再開、友人のイアン・マクラレン・ハンター(アラン・デュディック)に名義を借りた「ローマの休日」でアカデミー賞を受賞。
更には同じようにブラックリストに載ったハリウッド10の仲間たちとチームを組み、偽名で脚本を量産し始める。
例え名前を出せなくても、自分たちの実力を証明し続ければ、いずれ向こうから首を垂れてくる。
そして、ロバート・リッチ名義で書いた「黒い牡牛」で再びアカデミー賞に輝いたトランボの元に、大スターのカーク・ダグラス(ディーン・オゴーマン)がある作品の脚本を依頼してくるのだが・・・
私がダルトン・トランボという人物に興味を持ったのは、30年ほど前の高校生の頃に、週刊ヤングジャンプで連載されていた「栄光なき天才たち」という一話完結もの評伝マンガで、彼のエピソードを読んだ時だった。
この漫画の中で、ハリウッドを追われたトランボは、昼は肉体労働して日銭を稼ぎながら、夜の間に密かに脚本を書き続けていて、「黒い牡牛」でのオスカー受賞がクライマックスになっていた。
本作を観るかぎり、肉体労働する暇など無さそうだったが、どっちが真実に近いのだろう?
ともかく、当時の私は「ローマの休日」や「スパルタカス」そして、私的トラウマ映画No.1の「ジョニーは戦場へ行った」の作者自身に、映画よりも映画的な人生のドラマがあったことを知り、マッカーシズムやアメリカ共産党の歴史などを調べたものだった。
この映画はたぶん、先日公開されたコーエン兄弟によるメタ的ハリウッド狂想曲、「ヘイル、シーザー!」とセットで鑑賞するとより面白い。
というのも、この2本はほぼ同じ時代を舞台にしたハリウッドの内幕ものという点では共通するのだが、その視点は真逆なのである。
「ヘイル、シーザー!」では、ジョージ・クルーニー演じる大スターが、共産主義者の脚本家グループに誘拐され、ジョッシュ・ブローリン演じるスタジオの偉い人が探し回る。
共産主義者の脚本家たち、即ちハリウッド10であり、名前は出ないもののトランボそっくりなキャラクターも出てくる。
コーエン兄弟の描くハリウッド10は、どちらかというと無邪気に共産主義の理想を信じ込んだ人々として、皮肉たっぷりにパロディ化されていたが、対するこちらはとことん真面目に彼ら信念の人に寄り添う。
同じ事象に対するアプローチの違いは面白いが、本作では逆に主人公が凄い人すぎて、歴史批評的に見れば両方の視点がある方がベターだっただろう。
その意味で、2本とも鑑賞するとより多角的な視点でトランボとその時代を捉えることが出来るのである。
まあ、そこまで凝った見方をしなくても、とことんブレない策士トランボの闘争は見応え十分。
彼のスタンスは一貫していて、「脚本家は書くことで勝負する」というもの。
赤狩りの時代、ハリウッドはジョン・ウェインやロナルド・レーガン、本作でヘレン・ミレンが怪演するゴシップ・コラムニストのヘッダ・ホッパーら、保守派の映画人で組織された「アメリカの理想を守るための映画同盟(MPA)」が大きな力を持ち、議会の非米活動委員会に積極的に協力していた。
彼らはブックリストに載った「共産主義者と疑われる人々」をハリウッドから追放するためにスタジオに圧力をかけ、結果トランボたちは出所してからも公の仕事に就くことが出来なくなってしまうのである。
余談だが、今でこそ「ズートピア」や「ファインディング・ドリー」で、寛容と多様性の世界の伝導者のようになっているディズニー・スタジオの創始者、ウォルト・ディズニーがMPAの設立メンバーであることはなんとも皮肉だ。
本作のトランボは、プロデューサー的な能力に長けた人として描かれており、彼はこの逆境を乗り切るため、次々とアイディアを出し実行に移す。
名前を出せないなら偽名を使えばいい。
自分と同じようにブラックリストに載って仕事を失った脚本家を集め、それぞれの得意分野を生かしたチームを結成。
そしてMPAの息のかかったハリウッドメジャーとは一線を画す、小規模なスタジオに売り込みをかける。
重要なのは、どんな逆境でも書き続けること。
天下のハリウッドといえど、優れた人材は限られている。
仕事を続けていれば、必ず業界の人間の耳に入るし、良い映画を作り、ヒットさせる能力に長けた自分たちを雇いたいという欲求に、ハリウッドの映画人たちが抗い続けるのは難しい。
友人の名を借りた「ローマの休日」、そして「黒い牡牛」での相次ぐオスカーは、天才トランボの健在を改めて印象付け、ついには政治的圧力を跳ね除け実名での復帰を果たすのである。
もちろん、ベトナム反戦運動や公民権運動とリンクした、リベラリズムの台頭という時代の移り変わりが大きかったことは確かだが、同時に彼らが書き続けていなければ、名前を取り戻すことも叶わなかったはず。
稀代の脚本家の闘争を”書くこと”に集約させたのは、極めて象徴的で物語のテーマとも直結して面白い。
トランボの名誉は事実上回復したものの、いわば米国社会における究極のリベラルである彼の人生が、最後まで時の権力・政治のあり方に大きく影響されたのは変らない。
唯一の監督作品である「ジョニーは戦場へ行った」はトランボ自身が執筆し1939年に出版された反戦小説を原作にしているが、第二次世界大戦中に発禁処分を受け、映画化もベトナム戦争真っ只中の1971年だったため、ヨーロッパではカンヌ国際映画祭グランプリの栄誉を受けたものの、本国アメリカではほとんど黙殺され、長らく忘れられた映画となっていた。
この作品がアメリカで再び注目を浴びることになるのは、トランボの没後の1988年、映画にインスパイアされたメタリカが、「ワン」のPVにフッテージを利用してから。
トランボの作品がいかに時代に求められ、時代に翻弄されたのかがよく分かる。
ちなみに、「ワン」のPVはこの時代の傑作の一つなので、観たことのない方にはオススメだ。
本作は今の日本にも色々と示唆するところの多い映画で、不屈の男の評伝としても見応えある力作。
ただ、あの闘い方は天才トランボだから出来たことでもあり、姿勢は尊敬出来ても、なかなか真似するのは難しい。
トランプ旋風とか、日本の改憲問題とか、社会が危うい岐路に立っている現在、表現者の端くれとしては、やはりこんな時代の再来を阻止するのを第一と考えたい。
今回は、夜中に脚本を書くときのお供に、「カフェ・コレット」をチョイス。
カップにホットコーヒー100ml、ウイスキー10mlを注ぎ、ホイップクリームをのせて完成。
飲みすぎない限りで、コーヒーのカフェインと適量のアルコール、そして糖分のコンビネーションが頭を活性化させてくれる。
暑い夏の夜には、アイスにしても美味しい。
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1940年代から50年代にかけて全米で吹き荒れた、いわゆる“赤狩り”に抵抗し、社会から抹殺された名脚本家・ダルトン・トランボが、長きに渡る闘争の末に、“奪われた名”を取り戻すまでの物語。
華やかな黄金時代を代表するハリウッドの寵児が、その思想ゆえに仕事を奪われ投獄され、それでも彼は彼ならではのやり方で、表現することを決してあきらめない。
ブルース・クックの原作を、「アクエリアス 刑事サム・ホディアック」などで知られるテレビ畑のジョン・マクナラマが脚色。
「オースチン・パワーズ」や「ミート・ザ・ペアレンツ」など、コメディ系の作品で知られるジェイ・ローチ監督が、一転して重厚な人間ドラマとして仕上げている。
トランボのことを知っていた方が理解しやすいが、普遍的な話を丁寧に紡いでいるので、全く知らなくても楽しめるだろう。
✳︎核心部分に触れています。
1940年代末。
ハリウッドの売れっ子脚本家、ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)に議会の非米活動委員会からの召喚状が届く。
冷戦の開始によって、アメリカ国内では共産主義排斥の動きが強まり、共産主義者と疑われたハリウッドの有力者にも次々と召喚状が届くようになっていた。
共産党員であることを公言していたトランボら10人の映画人、いわゆるハリウッド10は、思想の自由を脅かすとして議会での証言を拒否。
議会侮辱罪で投獄されただけでなく、映画業界から事実上追放されてしまう。
しかし、トランボは名前を出さずに仕事を再開、友人のイアン・マクラレン・ハンター(アラン・デュディック)に名義を借りた「ローマの休日」でアカデミー賞を受賞。
更には同じようにブラックリストに載ったハリウッド10の仲間たちとチームを組み、偽名で脚本を量産し始める。
例え名前を出せなくても、自分たちの実力を証明し続ければ、いずれ向こうから首を垂れてくる。
そして、ロバート・リッチ名義で書いた「黒い牡牛」で再びアカデミー賞に輝いたトランボの元に、大スターのカーク・ダグラス(ディーン・オゴーマン)がある作品の脚本を依頼してくるのだが・・・
私がダルトン・トランボという人物に興味を持ったのは、30年ほど前の高校生の頃に、週刊ヤングジャンプで連載されていた「栄光なき天才たち」という一話完結もの評伝マンガで、彼のエピソードを読んだ時だった。
この漫画の中で、ハリウッドを追われたトランボは、昼は肉体労働して日銭を稼ぎながら、夜の間に密かに脚本を書き続けていて、「黒い牡牛」でのオスカー受賞がクライマックスになっていた。
本作を観るかぎり、肉体労働する暇など無さそうだったが、どっちが真実に近いのだろう?
ともかく、当時の私は「ローマの休日」や「スパルタカス」そして、私的トラウマ映画No.1の「ジョニーは戦場へ行った」の作者自身に、映画よりも映画的な人生のドラマがあったことを知り、マッカーシズムやアメリカ共産党の歴史などを調べたものだった。
この映画はたぶん、先日公開されたコーエン兄弟によるメタ的ハリウッド狂想曲、「ヘイル、シーザー!」とセットで鑑賞するとより面白い。
というのも、この2本はほぼ同じ時代を舞台にしたハリウッドの内幕ものという点では共通するのだが、その視点は真逆なのである。
「ヘイル、シーザー!」では、ジョージ・クルーニー演じる大スターが、共産主義者の脚本家グループに誘拐され、ジョッシュ・ブローリン演じるスタジオの偉い人が探し回る。
共産主義者の脚本家たち、即ちハリウッド10であり、名前は出ないもののトランボそっくりなキャラクターも出てくる。
コーエン兄弟の描くハリウッド10は、どちらかというと無邪気に共産主義の理想を信じ込んだ人々として、皮肉たっぷりにパロディ化されていたが、対するこちらはとことん真面目に彼ら信念の人に寄り添う。
同じ事象に対するアプローチの違いは面白いが、本作では逆に主人公が凄い人すぎて、歴史批評的に見れば両方の視点がある方がベターだっただろう。
その意味で、2本とも鑑賞するとより多角的な視点でトランボとその時代を捉えることが出来るのである。
まあ、そこまで凝った見方をしなくても、とことんブレない策士トランボの闘争は見応え十分。
彼のスタンスは一貫していて、「脚本家は書くことで勝負する」というもの。
赤狩りの時代、ハリウッドはジョン・ウェインやロナルド・レーガン、本作でヘレン・ミレンが怪演するゴシップ・コラムニストのヘッダ・ホッパーら、保守派の映画人で組織された「アメリカの理想を守るための映画同盟(MPA)」が大きな力を持ち、議会の非米活動委員会に積極的に協力していた。
彼らはブックリストに載った「共産主義者と疑われる人々」をハリウッドから追放するためにスタジオに圧力をかけ、結果トランボたちは出所してからも公の仕事に就くことが出来なくなってしまうのである。
余談だが、今でこそ「ズートピア」や「ファインディング・ドリー」で、寛容と多様性の世界の伝導者のようになっているディズニー・スタジオの創始者、ウォルト・ディズニーがMPAの設立メンバーであることはなんとも皮肉だ。
本作のトランボは、プロデューサー的な能力に長けた人として描かれており、彼はこの逆境を乗り切るため、次々とアイディアを出し実行に移す。
名前を出せないなら偽名を使えばいい。
自分と同じようにブラックリストに載って仕事を失った脚本家を集め、それぞれの得意分野を生かしたチームを結成。
そしてMPAの息のかかったハリウッドメジャーとは一線を画す、小規模なスタジオに売り込みをかける。
重要なのは、どんな逆境でも書き続けること。
天下のハリウッドといえど、優れた人材は限られている。
仕事を続けていれば、必ず業界の人間の耳に入るし、良い映画を作り、ヒットさせる能力に長けた自分たちを雇いたいという欲求に、ハリウッドの映画人たちが抗い続けるのは難しい。
友人の名を借りた「ローマの休日」、そして「黒い牡牛」での相次ぐオスカーは、天才トランボの健在を改めて印象付け、ついには政治的圧力を跳ね除け実名での復帰を果たすのである。
もちろん、ベトナム反戦運動や公民権運動とリンクした、リベラリズムの台頭という時代の移り変わりが大きかったことは確かだが、同時に彼らが書き続けていなければ、名前を取り戻すことも叶わなかったはず。
稀代の脚本家の闘争を”書くこと”に集約させたのは、極めて象徴的で物語のテーマとも直結して面白い。
トランボの名誉は事実上回復したものの、いわば米国社会における究極のリベラルである彼の人生が、最後まで時の権力・政治のあり方に大きく影響されたのは変らない。
唯一の監督作品である「ジョニーは戦場へ行った」はトランボ自身が執筆し1939年に出版された反戦小説を原作にしているが、第二次世界大戦中に発禁処分を受け、映画化もベトナム戦争真っ只中の1971年だったため、ヨーロッパではカンヌ国際映画祭グランプリの栄誉を受けたものの、本国アメリカではほとんど黙殺され、長らく忘れられた映画となっていた。
この作品がアメリカで再び注目を浴びることになるのは、トランボの没後の1988年、映画にインスパイアされたメタリカが、「ワン」のPVにフッテージを利用してから。
トランボの作品がいかに時代に求められ、時代に翻弄されたのかがよく分かる。
ちなみに、「ワン」のPVはこの時代の傑作の一つなので、観たことのない方にはオススメだ。
本作は今の日本にも色々と示唆するところの多い映画で、不屈の男の評伝としても見応えある力作。
ただ、あの闘い方は天才トランボだから出来たことでもあり、姿勢は尊敬出来ても、なかなか真似するのは難しい。
トランプ旋風とか、日本の改憲問題とか、社会が危うい岐路に立っている現在、表現者の端くれとしては、やはりこんな時代の再来を阻止するのを第一と考えたい。
今回は、夜中に脚本を書くときのお供に、「カフェ・コレット」をチョイス。
カップにホットコーヒー100ml、ウイスキー10mlを注ぎ、ホイップクリームをのせて完成。
飲みすぎない限りで、コーヒーのカフェインと適量のアルコール、そして糖分のコンビネーションが頭を活性化させてくれる。
暑い夏の夜には、アイスにしても美味しい。

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