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■TITLE INDEX
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ジャスティン・リンはブレない。
稀代のリブート職人、J・J・エイブラムスが最高の形で復活させた大人気シリーズを委ねられ、相当なプレッシャーの中で作り上げた作品だと思うが、これはまるで宇宙を舞台にした「ワイルド・スピード」だ!
宿敵カーンとの戦いを制した「イントゥ・ダークネス」から3年後、カークはエンタープライズの艦長として、嘗てのTVシリーズで描かれた深宇宙を巡る5年の大航海の真っ只中。
だが、そろそろ中年に差し掛かかろうとする今、彼は早くもミドルエイジ・クライシスの崖っぷちにいるのである。
父を追って宇宙艦隊に入ったものの、なぜ自分は宇宙にいるのか、艦を率いることへの迷いを抱き、一度はエンタープライズを降りようとする。
今回テーマ的にはこの葛藤の解消がメインとなるのだが、例によって予期せぬ危機に陥ったカークやクルー達の絶対の行動原理、ファースト・プライオリティーが「仲間のため」「仲間は絶対見捨てない」なのだ。
これは「ワイルド・スピード」シリーズのドミニクたちの、「ファミリー(仲間)のため」とほぼ同じニュアンスで、観ている内にだんだんクリス・パインがヴィン・ディーゼルに見えてくるという(笑
彼等の行動がテーゼとなり、見捨てられた過去を持つ今回の敵役が体現するアンチテーゼと分かりやすい対立を形作り、ジンテーゼを導き出すシンプルな構図。
SFなのに結構凝ったバイクアクションもあるし、宇宙戦闘もビーム兵器の類は殆ど活躍せず、基本宇宙船同士のぶつけ合い!どつき合い!
特に目立つのはエンタープライズ崩壊などの、大迫力の破壊描写の凄まじさ。
さすがスーパーカーから巨大なアントノフ輸送機まで、色んなものをぶっ壊してきたアクション野郎の面目躍如だ。
半面、物語は過去2本のエイブラムス作品、特にシリーズ物の娯楽映画作りのお手本と言える傑作、「イントゥ・ダークネス」に比べると明らかに弱い。
悪役の正体を明かすのは遅すぎるし、彼の心情はある程度理解できるものの、行動と展開はかなり強引な感は否めない。 広大なはずの宇宙も、未知の星雲が宇宙基地の真横にあるが如くで距離感に乏しく、妙に箱庭的なのも気になる。
まあ他にも色々突っ込みたくなる部分は多いのだが、とりあえずジャスティン・リンはこの世界観の中で、エイブラムスとは違った持ち味を出し切ったと思う。
もちろんこれが「スター・トレック」の一作であることは、レナード・ニモイの死去を物語に組込み、終盤整合性を危うくしてまで胸アツのシーンを入れてくるなど、最大限の配慮を示す。
スールーが同性愛者設定になっているのは、長年ゲイであることをオープンにしてきたジョージ・タケイへのリスペクトだろう。
もっとも、今回の設定変更にはタケイ本人は納得いかない様だけど。
本作の公開前にはアントン・イェルチンの事故死という悲劇も起きたが、なんでもカークとボーンズがチェコフが隠していた酒を酌み交わすシーンは、イェルチンが亡くなった後に急遽追加撮影されたものだという。
役柄以上の仲間への熱い想いに、思わず涙が。
今回は、世界で最も売れているウォッカ、スミノフの少量生産バージョン「スミノフ ブラック」をチョイス。
アントン・イェルチンはロシア生まれで、両親と共に難民としてアメリカに移住した過去を持つ。
スミノフも同じ様に元々ロシアの皇室御用達でありながら、ロシア革命によって国を追われ、まずはフランス、そしてアメリカへと亡命し、現在はイギリス企業の傘下にあるという数奇な運命を辿ったブランドだ。
ブラックはストレートやカクテルベースにしても良いが、冷凍庫でキンキンに冷やして、シャーベット状にして飲むのと美味しい。 今は亡きレナード・ニモイとアントン・イェルチンに献杯。

![]() スミノフ ブラック 700ml 40度 kawahc |


「とうもろこしの島(TIFF上映時:コーン・アイランド)・・・・・評価額1700円」
既に古典の風格を持つ大力作だ。
舞台は、独立を巡りグルジアと戦争状態にある旧ソ連のアブハジア。
対立する両陣営の間を流れるエングリ川の中州に、一人の老人が孫娘と共に現れ、小屋を建てトウモロコシを植え、開拓を始める。
両軍が行き来し、しばしば銃声が響く危険な土地だが、老人は黙々と働き続ける。
冒頭20分は台詞無し。 以降も必要最低限しか喋らないが、その分映像が雄弁に物語る。
シネマスコープ一杯に広がる、大河が生み出す大自然の存在感は圧倒的だ。
この風景の中で老人と孫娘が見せる原初的な労働、“人間の暮らし”に目が離せず、対照的に愚かな争いは矮小化されるしかない。
そして孫娘が思春期で、素朴ながらかなりの美少女である事が、人間ドラマとして見応えある葛藤を作り出し、先の読めない心理劇としても一級の仕上がり。
更に驚くべきは、クライマックスのハリウッド映画も真っ青の一大スペクタクルである。
CGではなく、スタジオにロケと同じセットを組み直しているのだろうが、そこまでが地味なのでより効果的。
是非とももう一度観てみたいので、本公開を望みたい秀作である。
「ヒトラーの忘れもの(TIFF上映時:地雷と少年兵)・・・・・評価額1800円」
戦争が終わっても、負の連鎖は止まらない。
第二次大戦後、デンマークはナチスが埋めた220万個もの地雷処理に、投降したドイツ軍人を徴用。
その多くが少年兵で、徴用された半数が死傷した。 この話は、デンマークでも殆ど知られてないという。
これは命懸けの任務につく少年兵部隊と、彼らの指揮官となるデンマーク軍人の物語。
濃密な時間を共有するうちに、彼らは次第に愛憎半ばする不思議な絆を育んでゆく。
モンスター=ナチスではない。
人は憎しみと言う燃料さえあれば、誰でも子供すら殺すモンスターに成り得る。
これも戦後70年の歴史再検証が生んだ作品だろうが、連合国側が自国のダークサイドを描く作品は珍しい。
真摯に作られた大変な力作だ。
実際にこの撮影準備中、現場の海岸で不発地雷が発見されたらしい。
「戦後」は永遠に終わらないのである。



2012年の「夢売るふたり」以来となる西川美和監督の最新作は、直木賞候補となった自作の小説の映画化。
交通事故で妻を失った小説家の主人公が、同じ事故で亡くなった妻の親友の家族との交流を通して、自らの人生を見つめ直す。
虚勢を張った男の弱さを赤裸々に描きながら、心の奥底にある後悔と愛情を丁寧に掘り起こす繊細な心理劇。
主人公に「おくりびと」から8年ぶりの映画主演となる本木雅弘、彼の心を支配し続ける妻に深津絵里、一見強面の泣き虫父ちゃんを演じる竹原ピストルと、味わい深い演技陣が揃った。
人間、誰もが美しい部分と醜い部分を合わせ持っている。
スクリーンに映しだされた“もう一人の自分”を目撃するかのような、ちょっと痛くてささやかな希望をもらえる充実の2時間4分。
人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(本木雅弘)は、愛人の智尋(黒木華)との密会中、一本の電話を受ける。
美容院を経営している妻の夏子(深津絵里)が、スキーバスの事故で亡くなったというのだ。
既に夫婦間の愛情は失われており、幸夫は突然の喪失にも泣くことすらできない。
やり場のない葛藤を抱えて悶々としていたある日、幸夫は夏子の親友で同じ事故で命を落とした大宮ゆき(堀内敬子)の夫で、長距離トラック運転手をしている陽一(竹原ピストル)と出会う。
仮面夫婦だった自分たちとは対照的に、妻を失った哀しみを隠さない陽一と、屈託のない笑顔の下に傷を抱えた子供たち。
次第に親しくなってゆくうちに、幸夫は仕事で家を空けがちな陽一の代わりに、子供たちの面倒を見るようになるのだが・・・・・
なるほど「長い」ではなく「永い」か。
これは絶妙なタイトル。
冒頭からネガティブパワー全開で、「嫌な奴」を見せつける本木雅弘が良い。
突然の事故で妻を亡くし、なぜか同じ事故の犠牲になった妻の親友の子供たちのベビーシッターになるという、現実にはありそうでなさそうなシチュエーションをリアリティたっぷりに演じている。
広島のレジェンドと漢字違いの同姓同名がコンプレックスで、津村啓というペンネームを使っている幸夫は、ぶっちゃけかなりダメな大人である。
ナルシストで嫌味たっぷり、傲慢な態度も実は自分に自信が無い裏返し。
不倫相手との密会中に妻を失って罪悪感に苛まれるが、どんなに謝りたくても彼女はもう死んでいるので、幸夫の犯した「罪」は永遠に償えない。
だから彼の「言い訳」は、「永く」なるほかないのだ。
やり場のない内なる葛藤を抱えた幸夫は、愛情あふれる家庭を築いていた陽一とゆきの子供たちと疑似家族となることで、もしかしたら自分と夏子の間にもあったかもしれない「可能性の過去」を生き、無意識のうちに贖罪を求めているのかもしれない。
しかし、「子育ては男の免罪符」とはなかなか言い得て妙であるが、現実の人生はそんなに上手くいかない。
壊れた携帯に残されていた、知りたくなかった妻のホンネ。
自分も愛情が無いと感じていたのだから、相手も同じでも当たり前なのだけど、いざそれを文字として見せられると、「愛されていない」ことに耐えられない。
さらには仮想の「家族」の変化によって、幸夫は再びどん底に落とされる。
陽一と良い感じになる女性が現れ、家族の中に入り込んでくると、幸夫は一方的に疎外感を募らせて、自分から彼らと疎遠になってしまうのだ。
幸夫のダメっぷりと足掻きっぷりは、西川監督の師匠の是枝裕和監督作品を思わせる。
ただ、是枝作品に登場する大人に成りきれない男たちが、たぶんに男性作家の自虐的な自己投影であるのに対して、幸夫を見つめる西川監督の目はもう少し客観的というか、男の愚かさと弱さを愛でる女性の視線なのだと思う。
過去の西川作品も、偽医者だったり結婚詐欺師だったり、どこか問題を抱えた男性キャラクターは多かったが、本作はそんな男が隠したい自分、知られたくない自分を前面に出してくるので、男性観客は心をチクチク刺される様でかなり居心地が悪い(笑
もっとも、残酷な現実を描きながら、最後には人間を信じているあたりも、この師弟は共通なのである。
物語の終盤で起こる事件によって、陽一の家族との絆を取り戻した幸夫は、新しい本を執筆中に、ふと「人生は他者だ」と書き綴る。
どんなに強がっても、人は決して一人では生きていけない。
妻を亡くしてすぐエゴサーチしてしまうくらい自意識過剰で、悶々とした気持ちを一人で抱え込んでいた孤独な男は、陽一家族との時間を通し誰かのために生きる喜びを知り、自らの内面の弱さと向き合い、ついに人生の全ては他人との関わりによって出来ているということに思い当たるのである。
他者のいないところに人生は無く、誰かを想うことで人生のストーリーが紡がれてゆく。
16ミリフィルムによる粒子の粗い、それでいて優しい質感の映像が物語の詩情を高め、手嶌葵の歌う挿入歌がグッと涙腺を刺激する。 じんわりとした余韻が永く残る秀作である。
今回は「おくりびと」の舞台でもある山形の地酒、亀の井酒造の「くどき上手 辛口純米吟醸」をチョイス。
辛口な映画だけに、純米吟醸としてはかなり辛口できりりとした味わい。
かわりに旨味はやや弱いが、飲みやすいので杯が進む。
幸夫はダメ男だったけど、くどき上手な所は見習いたいものである(笑

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ある意味日本のハネケ、まことにおそろしい映画である。
古舘寛治と筒井真理子が演じる利雄と彰恵は、ほとんど二人だけで回しているような、小さな町工場を経営している夫婦。
二人には、エレクトーンを習っている10歳の一人娘・蛍がいる。
両親と娘一人がつつましく暮らすごく平凡な家族に、ある日異分子が侵入する。
父親と因縁があるらしい、その男の介入によって、家族の間に少しずつ亀裂が入り、平和な日常は破断点に向かって動き出すのだ。
謎の男・八坂草太郎を演じる浅野忠信が良い。
彼の、「人の姿をしているけど人じゃない感」を、始めて見出したのは「寄生獣」だったか。
昨年の「岸辺の旅」の幽霊役も印象的だったが、温和な表情の内に得体のしれない激しい感情を抱えた草太郎は、利雄一家と同じ空間にいても、全く異なる精神世界を生きていることを強く感じさせる。
草太郎は嘗て人を殺める罪を犯したのだが、共犯者である利雄をかばって一人だけ服役し、出所後に利雄の元を訪ねてきたのだ。
単に困って頼ってきたのか、それとも自分が服役している間に、のうのうと幸せを享受していた利雄に復讐しにきたのか。
利雄は草太郎の真意を測りかねるのだが、事情が事情だけに断れず、家族に真相を語ることも出来ない。
彼等の奇妙な同居生活は、草太郎が関わったことが示唆される、ある悲劇によって終わる。
しかし、後半画面に登場しないにも関わらず、終始物語を支配するのはこの男なのである。
そして悲劇から8年後、以前とは違った「日常」を生きる一家の元に、別の異分子が出現。
利雄の工場で地方出身の若者が働くことになり、彼の発した何気ない一言によって、8年前の傷が再び抉られ、罪と罰の物語は連環する。
私たちは、近しい人の事を本当に知っているのか。
一見暖かな家族の裏に隠された、秘密と孤独。
平凡な人生を生きていると思っていても、気付いたら淵に立っているのかもしれない。
因果応報に巻き込まれた形の妻と娘が、「原罪」を前提とするキリスト教徒なのが象徴的だ。
浅野忠信の場違いな白シャツなどの視覚的表象性、メトロノームの音、町工場の機械音、細かな生活音の重なりなど音響演出が不安感を掻き立てる。
登場人物がドンと突き放される感覚は、原発事故によって滅びゆく日本という、ペシミスティックな寓話的世界観のなか、生と死の意味を伝えた前作「さようなら」同様。
好みは分かれると思うが、ズシリと見応えのある「ファミリーもの」の力作である。
本作はカンヌ受賞作だが、深田晃司監督の作風はいかにもヨーロッパの映画人が好みそうなビターなテイストで、こういう既成概念の裏側を覗き込むような作家は日本映画には希少なタイプかもしれない。
今回は守られなかった家族の物語なので「屋」を「守る」と書いて「おくのかみ」と読ませる、東京都東村山の地酒、豊島屋酒造の「屋守 雄町 純米吟醸 瓶火入れ 無調整 原酒」をチョイス。
ふわりと広がる吟醸香の良さと、キレがありながら、原酒の濃厚な旨みを堪能できる。
食欲を刺激する酒である。

![]() 【27BY限定品!】屋守 雄町 純米吟醸 瓶火入れ 無調整 原酒 1.8L |


「桐島、部活やめるってよ」の衝撃再び。
原作は、就職活動の苦闘の中で自分が「何者」なのかを模索する5人の大学生を通し、等身大の若者たちのリアルを描く浅井リョウの直木賞受賞作。
ここにあるのは友情、恋愛、そして裏切り。
本来ならば絶対に明かしたくないホンネが、SNSによって浮かび上がり、登場人物たちの秘めたる葛藤が交錯する。
三浦大輔監督は、いかにも演劇畑出身らしいトリッキーな構成・演出で、激突する感情の嵐を極めて映画的に昇華し、圧巻の仕上がりだ。
それぞれの持ち味が生かされた、旬の若手演技派俳優陣の好演も十分に見ごたえあり。
※核心部分に触れています。
就職活動まっただ中の5人の大学生。
嘗て演劇サークルで脚本を書いていた拓人(佐藤健)、学生バンドのボーカルだった光太郎(菅田将暉)、光太郎の元カノでアメリカ留学から帰国した瑞月(有村架純)、やはり留学経験者で「意識高い系」の理香(二階堂ふみ)、そして社会のルールには乗らないと言いながらも、密かに就職を意識する隆良(岡田将生)。
理香と隆良が同棲する部屋を「就活対策本部」にすることになった彼らは、情報収集のために頻繁に集まるようになる。
着実に内定に近づいていく者、なかなか結果が出ない者、それぞれの考えていることをツイートするのがルーティン。
人間分析が得意な拓人は、そんな彼らのことを冷静に観察する。
しかし、遂に「内定者」が出た時、5人の間にある奇妙な均衡は崩れ、それぞれの焦りと嫉妬は、隠された裏の顔をむき出しにしてゆく・・・
この映画、ツイッターのTLでは絶賛しか流れてこないのに、オフラインでは結構酷評も耳にするのだが、その理由がよく分かった。
これSNS、特にツイッターをやったことのない人には、登場人物の中でSNSの持つ精神的な重さが実感できないのだ。
ネットジャンキーにとって、オンとオフの境は限りなく曖昧。
特に実名アカウントと裏アカを使い分けている人にとって、SNS上の自分は本来不可分な本音と建て前、ライトサイドとダークサイドだ。
SNSとは、知られたくない自分を誰かに知ってもらいたいという矛盾した欲求、心のアンバランスが具現化する場所なのである。
だからSNS世代にとって、この物語は自身の内面をグイグイとえぐられるとんでもなく怖い心理ホラーとなり、不気味極まりない音楽の使い方などを見ると、作り手も明らかにそっちを狙っている。
ある意味、「桐島」の数年後とも言える5人の就活生の中で、本作の視点であり主人公となるのが佐藤健演じる拓人だ。
ひょんなことから就職戦線で戦う「同士」となった彼らは、はじめのうちはお互いに情報提供で協力しあったり、息抜きの飲み会を開いたりと仲良くやっている。
だが、それぞれの心の中には焦り、妬み、不安などが渦巻いており、交錯する諸々の感情を、嘗て演劇サークルで脚本を書いていた拓人が冷静に観察してゆく。
原作者の朝井リョウと交流があるという佐藤健が、TVで拓人は彼に似ていると言っていたが、まあ作家とはそういうものなのだろう。
青春の終章にある若者たちが、学生という守られた存在から、社会の中で「人生」をスタートさせるまでの物語は、生みの苦しみ。
就活の長い道程を通して、5人の旅の仲間の運命は別れる。
「好きだった人に再会したいから」と、分かりやすくもポジティブな思考で出版社に絞った光太郎。
父と別れ自分を頼ってきた母を養うためという、こちらはやむを得ない理由で志望の外資系を諦め、大手通信社という安定を目指した瑞月。
明と暗、それぞれに明確な理由を持って就活に挑んだ2人は内定を掴み、他の3人は最後まで内定を得られない。
プライドが高く、経験値をひけらかすものの、結局自分が何を出来るのか、したいのかを語れない理香。
自称クリエイターで、世間のルールを馬鹿にしながらも、実際には何も作り出していない隆良。
この二人は「意識が高い人」と「俺はまだ本気出してない人」の典型的なステロタイプだが、就活生じゃなくてもこういうちょいイタな人は珍しくないので、観客は彼らのダメっぷりを見て「ア~、こういうウザい人いるいる」と共感する仕組み。
では、拓人はどうなのか。
実はある時点で、拓人に関して衝撃の事実が明らかになる。
彼は皆を応援するふりをしながら、実はツイッターの裏アカで仲間たちを見下して、笑い飛ばしているのである。
しかも、そのことは既にバレバレになっていて、本人だけが気づかれていないと思っているめっちゃイタ過ぎの奴だったのだ。
この事実が分かった時、彼の視点で物語を辿ってきた観客は思わず息をのむ。
なぜなら、私たちも心の中で他の4人をウザがって、散々馬鹿にしていたから。
拓人は自分自身であることに気づいた時、他の登場人物に放った刃はスクリーンから跳ね返り、自分の心にグサリと刺さるのだ。
同期入学なのに、留学していた瑞月と理香と同じ年に就活している時点で、カンの良い人は気づくだろうが、拓人は実は就職浪人している。
光太郎と隆良はそれぞれ留年と休学しているので、それぞれ卒業が一年遅れ。
だから拓人だけはこれが二年目の就活なのである。
なぜ自分には内定が出ないのか。
なぜ自分は「何者」にもなれないのか。
最後まで顔がはっきりと写らないある人物、拓人が就活に明け暮れている間に、さっさと「何者」かになってしまったこの男が物語のキーだ。
彼は拓人の合わせ鏡であり、自ら否定したもう一人の自分であり、実はなりたかった自分なのである。
ツイッターの140文字の表裏が反転するクライマックスは、拓人が演劇を志していたという設定が存分に生かされ、リアルとバーチャルの表裏一体を、現実とシームレスとなった劇中劇の形で表現してゆくユニークなもの。
「桐島」の、“火曜日の屋上”に匹敵する、怒涛の映像スペクタクルは圧巻だ。
隠されたホンネが赤裸々に語られるこのシークエンスは、わき腹をジワジワとえぐられる様で、精神的に相当にキツイ。
実際に就活生で、裏アカで毒を吐いている様な人が観たら、立ち直れないくらいにショックを受けるかもしれないが、既に自分の中に拓人がいることを知ってしまった私たちは、この痛みから逃れる術がない。
途轍もなく苦しく、残酷な映画である。
ゴールに向かって走っているつもりで、実はスタートから一歩も動けていなかった拓人が、本当の自分と向き合い、改めてスタートを切るところで映画は終わる。
なんでも原作には、それぞれのキャラクターをフィーチャーした「何様」というアナザーストーリーもあるらしいから、 今度は映画からTVドラマに展開させても面白そうだ。
私は大学出てからはずっと海外で暮らしていたので、自分では就活の経験がないのだけど、青春の通過儀礼として一度はやってみたかったな。
今回は佐藤健がCMに出演していた「サントリーウィスキー知多」をチョイス。
知多半島にある知多蒸留所はサントリーが国内に所有する3蒸留所の一つ。
ここで作られるグレーンウィスキーをブレンドして作られるのがこちら。
風味は軽めで口当たり良く、適度な甘みも感じる。
サントリーの推奨はハイボールで、確かにスッキリとした風味が合っている。
しかし「君の名は。」からはじまって「怒り」、次いで本作と、今年の下半期は川村元気プロデューサーが傑作を連発し、全部持ってく勢いだ。
名前の通りに元気一杯だな。

![]() 知多ウイスキー 43度 700ml あす楽 |


2013年に日本でもクリーンヒットを飛ばした、「きっと、うまいく」の監督ラージクマール・ヒラーニ、主演アーミル・カーンのコンビ、再びの傑作。
奪われたある物を返してもらうために、神様を探しているという、「PK ピーケー」と呼ばれる謎めいた男の素朴な、しかし本質を突いた問いかけが、あらゆる宗教の神々が混在するインド社会を揺さぶってゆく。
前作同様にエンタメ要素てんこ盛りの楽しい映画だが、描かれているテーマは非常に深い。
しかも多民族、多宗教のインド独特の問題を扱っているように見えて、その実世界のどこにでもあてはまる普遍的なテーマを導き出すのだから見事だ。
本作でもアラフィフとは思えない見事な肉体を披露するアーミル・カーンが、ギョロッとした目でこの世を見通すPKを怪演し、ひょんなことから彼と関わることになるキュートなヒロインを、アヌシュカ・シャルマが演じる。
ベルギーに暮らすインド人留学生のジャグー(アヌシュカ・シャルマ)は、ひょんなことから知り合ったパキスタン人留学生と大恋愛の末の大失恋。
失意のうちに帰国した彼女は、デリーのテレビ局で記者として働きはじめる。
ある日、ジャグーは地下鉄の中で黄色いヘルメットをかぶり、大きなラジカセを持って、全身に様々な宗教のおまもりを身に付け、「神様は行方不明」と描かれたチラシを配っている奇妙な男(アーミル・カーン)と出会う。
“PK”と呼ばれるその男に興味をひかれた彼女は、宗教ネタはタブーだと渋る上司を説き伏せて、彼を取材することに。
「あなたは何者?なぜ神を探しているの?」
ところが、彼女の問いに対して彼が語り始めた身の上話は、にわかには信じられない奇妙奇天烈なものだった・・・・
予告編には騙されたよ。
まさかそっち系ジャンルの映画だとは、夢にも思わなかった。
「PK」は俗語で「酔っ払い」の意味だそうだが、タイトルがアルファベット2文字なのは、たぶんあの大ヒット映画へのオマージュも入っているのだろう。
エネルギッシュでハチャメチャな大学生活から、現代インド社会の矛盾を鋭くあぶり出した前作に対し、今回俎上に上るのは“宗教”だ。
あるところから現代のインドにやって来て、帰るのに必要な重要なモノを失ってしまった主人公は、人々が宗教に縋るのを見て、自分も神に祈ってみる。
ヒンズーの神に祈って効果が無ければキリスト教会へ、それでダメなら今度はモスクへ行き、シーク教やジャイナ教の神にも願いを唱える。
ところが探し物は一向に出て来ず、常人とは異なる感性を持つPKの神々への問いかけが、徐々に周りの人々のカチコチの既成概念を溶かしてゆく。
ボリウッド映画の例にもれず、ミュージカルはもちろん、ラブストーリーからSF まであらゆる娯楽要素を満載する怒涛の展開ながら、物語の軸をぶらさずにテーマを深く掘り下げているのはさすがだ。
ヒロインのジャグーの留学先がベルギーであるのも、おそらく理由がある。
昨年からの難民問題とブリュッセルのテロ事件で改めてクローズアップされたが、欧州の中央に位置し、EU本部が置かれるベルギーはいまや人種のるつぼ。
特にイスラム圏から多くの移民が流入し、やがてベルギスタンというイスラム教国になるのではないかと言われているくらいだ。
ベルギーを舞台に、本作とは別の観点から宗教を俯瞰したのが、神の娘が主人公の「神様メール」だったのは記憶に新しい。
物語の本筋が始まる前に、ジャグーはこの国で、インドとパキスタン、ヒンズーとイスラムという対立構造により失恋の悲劇を味わっており、それが後々物語のテーマを描き出す過程で重要な意味を持ってくる。
しかし、人口の8割弱を占めるヒンズー教をはじめ、無数の宗教がひしめき合うインドの映画が、「えーと、それ言っちゃって大丈夫?」とびっくりする程に、宗教の本質にズバズバと切り込んでゆくのには驚かされる。
しかも主演のアーミル・カーンは、スーパースターとはいえ、宗教的にはマイノリティのムスリムなのだ。
たぶん彼の今までの人生でも、言いたいことは沢山あったのだろうが、ヒンズーの悪徳導師を凹ます展開など、タブーを恐れない展開にはちょっとヒヤヒヤさせられた。
まあ本作はインド映画の興行記録を書きかえるほど大ヒットしており、こちらが考える以上に彼の国の人々は宗教議論に寛容なのかもしれないし、列車テロのエピソードに象徴的な様に、特定の宗教を揶揄する作品ではないことはしっかり強調されている。
しかしPKの語っていることは、ある意味ヒンズー、イスラムを含む既存の宗教の全否定ともとれるのだから相当に刺激的だ。
「神様二人いる」とは、PKの見たこの世界の宗教観。
一人は本当の創造主で、信じる者は心の中で祈れば良いだけ。
もう一人の神様は、人間が作ったもので、良くも悪くも人間に似ている。
偽りの神々は業突く張りで、恐怖をビジネスにして人々を支配し、搾取していると言うのだ。
信仰をもつことは大切だし、人生を豊かにしてくれる。
だが、それは決して盲信であってはならない。
人々が信心深くあればあるほど、その縋る心を利用して利益を得ようとする者、偽りの神の名を語ろうとする者が出てくる。
そもそも人間は神に会えないし、神の言葉を届けられない。
ましてやテロリストが主張するように「神を守る」など、ちっぽけな私たちには決してできない。
本作は、PKという特異なキャラクターを通して、極めてロジカルにこの世界における宗教の存在を観察し物語ることで、自らの内なる神を感じ、心の声を聞くという本来の意味での信仰のあり方を、観る者に実感させるのである。
それにしても、2時間半を超える尺を全く飽きさせず、描いたエピソードは全て伏線として最後には完璧に回収してゆく作劇の妙が光る。
宗教の本質をディープに突きながら、同時に宗教を理由にした偏見や差別は、創造主に祝福された真実の愛の前に全く力を失うことを、PKとジャグーとパキスタン人の元彼の奇妙な三角関係から導き出し、クライマックスに全てを収束させる巧みさには思わず唸った。
おなじみミュージカルシークエンスも多くはないが、ノリノリな上にキャラクターも振り付けも可愛くて、サントラが欲しくなる。
マサラ風味も適度に抑えられ、尺もインドのエンタメ作品としては比較的短めなので、ボリウッド映画デビューにもオススメ。
あとこれ、覚えておいていつか使いたい名言の嵐だから、是非とも劇場パンフに「PK語録」を入れて欲しいものだ。
今回は、インドの代表的なビール「キングフィッシャー ストロング」をチョイス。
キングフィッシャーは世界的な銘柄で、日本で売られているものはイギリス産とインド産がある。
こちらのストロングはインド産で、定番のプレミアムと比べるとアルコール度数が7.5°と高めなのだが、本国ではこれが一番人気だとか。
あっさりテイストはスパイシーなインド料理を引き立てるが、基本南国のビールらしく、喉越しスムーズで飲みやすいので、日本人にも好まれると思う。

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![]() キングフィッシャー ストロング プレミアム ビール【KINGFISHER STRONG PREMIUM BEER】【BEER】【インドビール】【RCP】-330ML |


主人公の都城静は、嘗てはスクープを連発する敏腕カメラマンだったのだが、今では落ちぶれて芸能人のスキャンダルを専門にする中年パパラッチ。
社会のゴキブリと自分を卑下する男だが、なりゆきで素人同然のド新人記者・行川野火とコンビを組む事となり、若い彼女の良くも悪くもピュアなマインドに影響されて、少しずつ仕事への情熱を取り戻してゆく。
都会的で洗練されたイケメンのイメージを覆す、ダーティーな無頼漢を演じる福山雅治が良かった。
意外なハマリ役であり、彼の代表作の一つとなるだろう。
試写を観た方に、「主人公がまるで原田芳雄の様だった」と聞いていたのだが、確かにこの役は一昔前なら原田芳雄がぴったりな印象。
だが、エンドクレジットで驚いた。
これ原田眞人のテレフューチャー、「盗写1/250秒」のリメイクじゃないか!
85年に一度しか放送されていないので、私も記憶が曖昧になっていたが、あの作品ではルーキー野火を当時売り出し中だった斉藤慶子が演じ、原田芳雄が静役だったはず。
なるほど、これは完全に意識した役作りというわけだ。
対照的な二人による王道のバディものの構造だが、キャラクターだけでなく、映画を構成する様々な要素に対照性が仕込まれている。
メディアのあり方などの社会的テーマも内包するモダンな人間ドラマと、見たいもんを見せてやる的などこか昭和なプロクラムピクチュアの猥雑さ。
都会の裏側に蠢く人間たちのいかにもありそうなリアリティと、いい意味で予想を裏切る虚構性。
登場人物も静とリリー・フランキー演じるチャラ源はある意味表と裏だし、野火と吉田羊の副編集長は静を間に挟んだ合わせ鏡だ。
映画はこれら対照性のヤジロベエの支点を時に右に、時に左にずらしながら、物語を奥深く展開されせてゆく。
大根監督ならではのトリッキーな外連味もパワーアップ。
前作の「バクマン。」ではプロジェクションマッピングなどを使って、マンガ的表現を映像に移し替える試みが面白かったが、本作は特にファーストカットと実質的なラストカットの「イニャリトゥかよ!」と突っ込みたくなる作り込みが印象的。
基本パパラッチの仕事は有名人のスキャンダルを狙うことだから、前半やや重複要素が多いのが気になるものの、筋立てもテリングもテンポよく飽きさせない。
やぐされても、セクハラしても福山雅治はモテるが、彼のスターっぷりを受ける二階堂ふみ、吉田羊の芝居は相変わらず上手い。
2人との恋愛要素が、それぞれの恋が経てきた時間を反映して、ウェット&ドライとこれも対照的なのもいい。
ちなみに静の元上司役で塚本晋也が出ていたが、これはもしかして「野火」つながりのダジャレなのか(笑
しかし、今回の役者陣の中では、リリー・フランキーが美味しすぎるだろう。
彼の演じるチャラ源は、基本アンダーグラウンドな本作の世界観の中でも、明らかに異質なヤバさを持っていて、彼が終盤どう絡むのかと思っていたが、この過激な弾け具合は予想外だった。
それまでに描かれるパパラッチの日常が、刺激的ながら地味な世界ゆえ、後半の突然の事件発生とその後の意外な展開が生きる。
いやあ最初から最後まで、大いに楽しませてもらった。
本作の場合は「続編」はもう作れないだろうが、せっかくだからチャラ源と静の過去を描く「ビギニング」はどうだろうか⁉︎
パワフルな作品の熱気を冷ますのに、福山雅治もCMに出演していた「アサヒ スーパードライ」をチョイス。
本格ビール好きからは邪道と揶揄されながら、世界にドライブームを巻き起こしたこの銘柄も来年で発売30周年を迎える。
辛口を強調した喉越しスッキリテイストは、なんだかんだ言いつつも日本の夏を象徴する存在になった。
蒸し蒸しする夜には、これが飲みたくなる。

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アメリカの人気オーディション番組、「アメリカン・アイドル」のアラブ版、その名も「アラブ・アイドル」という番組があって、汎アラブ的に盛り上がっていることを初めて知った。
パレスチナの異才ハニ・アブ=アサド監督の最新作は、2013年にこの番組で優勝し、一躍人気歌手となったガザ出身の青年、ムハンマド・アッサーフを描く実話ベースの物語。
自爆テロに向かう若者たちを描いた「パラダイス・ナウ」や、分離塀に囲まれたヨルダン川西岸を舞台に、イスラエルのスパイとなる事を強要される青年の悲劇「オマールの壁」など、ハードな社会派ドラマで知られるアブ=アサド監督としては、紛争地の過酷な境遇が背景にあるとは言え、新境地と言える作品だろう。
✳︎ラストに触れています。
映画の前半はムハンマドの子供時代、後半は青年時代という構成。
おてんばな姉のヌールと二人の幼馴染みと共に、子供バンドを組むムハンマドの夢は「スターになって世界を変える」ことで、弟の声が「最高だ」と信じるヌールの立てた目標は、「いつかエジプトのオペラハウスに出る」という遠大なもの。
練習と資金稼ぎを兼ねて、結婚式のパーティーでステージを披露したり、貧しい中でもたくましく生きてゆく子供の時代のエピソードの数々は、コミカルな味付けでテンポよく軽快に物語を紡いでゆく。
だがある時、ムハンマドに子供時代の終わりを告げる転機が訪れる。
演奏中にヌールが突然倒れ、重い腎臓病に侵されていることが明らかとなるのだ。
彼女を救うには腎臓移植が必要だが、イスラエルによる長年の封鎖と攻撃によって困窮するガザでは皆生きることに精一杯で、ムハンマドの家にもそんな金は無い。
彼は姉を救うために必死に金を集めようとするが間に合わず、ヌールは幼くしてこの世を去ってしまう。
最愛の理解者を失ったショックと、救えなかったという贖罪の意識から、ムハンマドは一度音楽を諦めるのである。
そして長い歳月が流れ、青年となったムハンマドは、悪化する一方のガザの閉塞を打破し、自らの夢を叶えヌールとの約束を果たすため、エジプトで行われる「アラブ・アイドル」の予選出場を目指す。
ただし、彼の前には封鎖された国境という危険が立ちはだかっている。
ムハンマドの夢を理解し、背中を押してくれるのは、彼の才能を信じる家族、音楽の師匠、そして幼馴染たちだ。
前作「オマールの壁」は、政治的な謀略によって幼馴染みが引き裂かれ、破滅してゆく物語だったが、こちらは対照的に子供時代の絆が政治的立場の違いを超えて、若者の挑戦を助けるのである。
アブ=アサド監督は公式サイトのインタビューでこう述べている。
「パレスチナではこの60年間、敗北の物語しかありません。勝利の物語もなければ、サッカーで勝てるチームもなく、1960年代の革命も失敗に終わりました。しかし今、我々パレスチナ人が待ちに待った、成功の物語を手にしたのです。興味深いのは、ムハンマド・アッサーフの物語は、勝利の物語ということなのです。」
全てのパレスチナ人の希望をのせて、重すぎるプレッシャーと闘いながらムハンマドは歌う。
物語の終わりで、フィクションはスルリとリアルと入れ替わり、本物のムハンマドがスクリーンに現れる。
人間は残酷で醜いことをたくさんするけれど、同時に音楽のような美しいものも作り出すことが出来る。
不屈の心と希望があれば、夢は世界を変えうるということを、我々は彼の歓喜の瞬間から教えられるのである。
今回は天使の様な歌声から「エンジェルズ・デイライト」をチョイス。
グラスにグレナデン・シロップ、パルフェ・タムール、ホワイト・キュラソー、生クリームの順番で、15mlづつ静かに重ねてゆく。
スプーンの背をグラスに沿わせて、そこから注ぐようにすれば崩れにくく、虹を思わせる美しい四色の層が比重の違いで生まれる。
味の違う層が口の中で一つに溶け合う様に、今は分かたれた人々もいつか平和に混じり合えることを祈りたい。

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