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2016年11月02日 (水) | 編集 |
どっこい、私は生きている。
「夕凪の街 桜の国」で知られる、こうの史代の名作コミックを、「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直監督が、6年越しのプロジェクトとして長編アニメーション映画化。
戦時中の広島県呉市を舞台に、ある一家に嫁いだ少女の目を通した、市井の人々の戦時下の“日常”の物語だ。
同じ時代の広島を描いた「夕凪の街 桜の国」のアナザーストリーとも言える作品で、どこにでもある普通の暮らしが、戦争という暴力によって少しずつ崩れ、誰もが何かを失ってゆく時代の情景となって、緻密な考証に裏打ちされた美しくリリカルなアニメーションで描かれる。
充実したボイスキャスト、特に語り部でもある主人公・すずさんに魂を吹き込んだ能年玲奈改め、のんの演技が圧倒的に素晴らしい。
全ての作り手の想いがスクリーンに結実した、珠玉の傑作である。
※核心部分に触れています。
浦野すず(のん)は、広島市の南端に位置する江波で育った絵が得意な少女。
昭和19年の初春、18歳になった彼女は、故郷から20キロ離れた軍港の街、呉に暮らす北條家の長男で、軍法会議の事務官をしている周作(細谷佳正)の元に嫁ぐ。
すずは周作を知らなかったが、ずっと以前の子供時代に、周作がすずを見初めたのだという。
港を見下ろす山裾にある北條家は、すず夫婦と足の悪い義母・サン(新谷真弓)、海軍工廠で働く義父の円太郎(牛山茂)、出戻りの義姉・径子(尾身美詞)とその娘・晴美(稲葉菜月)のにぎやかな六人家族。
若き主婦となったすずは、次第に物資が不足してゆく中、工夫を凝らして一家を盛り立てる。
しかし、やがて戦火は激しさを増し、帝国海軍の拠点である呉は、連日米軍の猛爆撃にさらされ、毎日眺めていた軍艦の群れは炎に包まれ、街は焦土と化してゆく。
そして昭和20年8月6日の朝、すずは故郷広島の空に閃光が走り、見た事もない巨大な雲が立ち上がるのを目撃する・・・・
これは太平洋戦争中、18歳で広島から軍都・呉に嫁いだ平凡な少女・すずさんと二つの家族、彼女の人生に関わる沢山の人々の物語。
こうの史代の原作は全三巻。
脚色は原作に極めて忠実に成されているが、若干削られた部分もあれば、逆により細かく考証が深められた所もあり、基本よりすずさんに寄り添う内容になっている。
情報量が多いこともあって、物語の展開するテンポは非常に早く、全くダレる間が無い。
それでいて、ひとつひとつのシーン、カットにはゆったりとした空気が流れ、画面の隅々まで極めて丁寧に描写されているのである。
制作チームは貴重な資料写真に写っていた店や物だけでなく、そこにいた人物までをも突き止め、話を聞ける者には直接取材したという。
本作が描くのは“戦争”だけではない。
たとえ世界中に狂気が蔓延し、何百万の兵士たちが殺し合っていたとしても、人間が暮らしている限り、生活があり、日常がある。
ここにあるのは、戦争を含めた時代そのものであり、市井の人々のリアルな生活の記憶なのだ。
すずさんは今でいうところのちょっと天然な人なのだが、人の好い北條家の家族とともに、ごく自然に新婚生活をスタートする。
物語の前半となる昭和18年から19年半ばにかけては、後にB-29の基地となるサイパン島はまだ陥落しておらず、戦局は急速に悪化しつつあるものの、庶民の生活を大きく脅かす程には至っていない。
凶悪な暴力は、その姿を南方の島々や中国大陸に留め置かれ、銃後の人々はその本当の恐ろしさを未だ知らないのである。
それでも、次第に物資の供給が減ってゆく中、すずさんは野草を献立に盛り込むなど不器用ではあるものの工夫を凝らし、貧乏なら貧乏なりに、物が無いなら無いなりに毎日を楽しんでいて、北條家には笑いが絶えない。
彼女には、初恋の相手である水原哲という幼馴染がおり、映画版では原作から役割が変わっているが、周作にも嘗て関係があったらしい白木リンという女性がいる。
まだ若い二人の、お互いに対する嫉妬心も人が人を想う心の複雑さを感じさせ、また夫婦の絆を深める重要なアクセント。
重巡青葉に乗組む海軍の水兵である哲は、すずに「ずっとこの世界で普通で、まともでおってくれ」と言うのだが、彼女はどんな時代にあっても、普通に生きることを諦めない人なのだ。
しかし、物語の後半になると、世界は徐々に変貌する。
重要な軍事目標が集中する呉には、米軍機がひっきりなしに来襲し、“明日”は確実にある物ではなくなってゆく。
吹き荒れる戦争の嵐は、普通でいることをもはや許さない。
昭和20年6月、すずさん目の前で炸裂した爆弾は、姪の晴美の幼い命を奪い去り、彼女自身も爆風で右手を失う。
そして、その年の8月6日、広島の空に閃光と共に巨大な雲が立ちあがり、15日には玉音放送が流れ、遂に戦争は終わる。
信じていた日常はまやかしで、暴力で支配した世界が、別の暴力によって打ちのめされただけであることを思い知らされた時、すずさんは悔しさから泣き崩れるしかない。
誰もが何かを、誰かを喪失し、もう戻らないと知りつつ、探している時代。
すずさんの右手だけでなく、広島の実家の両親は原爆で亡くなり、子どもの頃、鬼いちゃんと恐れていた兄も戦死し、ただ一人生き残った妹にも原爆症の症状が出ている。
それでも、すずさんは生きている。
原作に「私たちは記憶の器」と言う台詞がある。
絵が好きなすずさんは、帰郷した際に広島の風景をスケッチブックに残すのだが、その街は絵を描いた彼女の右手と同じく、永遠に失われてしまった。
だが、すずさんをはじめ生き残った者たちの心の中に、嘗て存在していた人や物の記憶は残り続ける。
そんな人々の姿が描かれた本作もまた、正に現在へと繋がる記憶の器だ。
驚くほど緻密に作り込まれた生活描写を背景に、リアリティ溢れる登場人物の心の機微が伝わってくる。
まるでこの時代にタイムトラベルして、映画に登場する人たちと出会い、しばし生活を共にしたかのような、不思議な感覚。
実写でなく、原作のタッチを生かしたアナログ感のある詩的なアニメーション表現が、より“器”としての普遍性を増している。
爆弾と砲弾の破片が降り注ぐ、恐ろしくリアルな戦争描写がある一方、漫画的なキャラクターの豊かな表情には、誰もがほっこりとさせられ感情移入を拒めない。
人間界の争いなど関係なく存在する豊かな自然の描写は、アニメーション界のマリックと言っても過言ではないだろう。
もしもすずさんが実在して、生きていれば今91歳。
私はこの映画を観て、彼女より少しだけ上の世代の、今は亡き祖父母にとても会いたくなった。
彼らは戦争中のことは殆ど語らなかったけど、いったいどんな記憶を心の内に秘めていたのだろう。
もう時間は多く残されていないかも知れないが、あの時代を生きた人々は間違いなく今もこの世界に存在しているということを、本作から改めて実感させられた。
せめて、晴美と同い年の父母から、僅かでも記憶を受け継ごう。
深く長い余韻を引くラストカットから、原作のその先を描くエンドクレジットロール、日本映画史上最高額を記録したクラウドファンディングのサポーターロールに至るまで、スクリーンに映し出される全てがきちんと作品として表現されているのも素晴らしい。
原作の、消えてしまった右手が語るという描写を、コトリンゴの歌に置き換えるというアイディアも秀逸。
破壊された広島の街で、周作と再会したすずは言う。
「周作さん、ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて」
この世界の片隅で、小さな宝石のような映画と出会った。
作ってくれて本当にありがとう。
この映画は、ヒットさせねばならない。
今回は、戦後のすずさん夫婦にエールを贈りたく、福井県鯖江の加藤吉平商店の「梵(ぼん) 純米大吟醸 プレミアムスパークリング」をチョイス。
日本酒スパークリングは他にもあるが、アルコール度数の低い甘ったるい飲み物で、正直美味しいとは思えない物が大半。
しかし、これは完全に別格だ。
シャンパーニュと十分と渡り合える傑作で、値段もこの内容なら十分納得できる。
精米歩合20%の生原酒を、酵母と共にシャンパン瓶で二次発酵させたもの。
やわらかな吟醸香が微細な泡と共にはじけ、スッキリとした喉ごしとふくよかな味わいは、飲む喜びとなって至福の時を演出してくれる。
それにしても、驚異的に充実している今年の邦画。
実写だけでなく、8月の「君の名は。」、9月の「聲の形」、そして本作と、長編アニメーションにも映画史級の傑作がほぼ月替わりで現れているのは、まことに驚くべき事だ。
本当に隕石でも落ちるんじゃなかろうか。
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「夕凪の街 桜の国」で知られる、こうの史代の名作コミックを、「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直監督が、6年越しのプロジェクトとして長編アニメーション映画化。
戦時中の広島県呉市を舞台に、ある一家に嫁いだ少女の目を通した、市井の人々の戦時下の“日常”の物語だ。
同じ時代の広島を描いた「夕凪の街 桜の国」のアナザーストリーとも言える作品で、どこにでもある普通の暮らしが、戦争という暴力によって少しずつ崩れ、誰もが何かを失ってゆく時代の情景となって、緻密な考証に裏打ちされた美しくリリカルなアニメーションで描かれる。
充実したボイスキャスト、特に語り部でもある主人公・すずさんに魂を吹き込んだ能年玲奈改め、のんの演技が圧倒的に素晴らしい。
全ての作り手の想いがスクリーンに結実した、珠玉の傑作である。
※核心部分に触れています。
浦野すず(のん)は、広島市の南端に位置する江波で育った絵が得意な少女。
昭和19年の初春、18歳になった彼女は、故郷から20キロ離れた軍港の街、呉に暮らす北條家の長男で、軍法会議の事務官をしている周作(細谷佳正)の元に嫁ぐ。
すずは周作を知らなかったが、ずっと以前の子供時代に、周作がすずを見初めたのだという。
港を見下ろす山裾にある北條家は、すず夫婦と足の悪い義母・サン(新谷真弓)、海軍工廠で働く義父の円太郎(牛山茂)、出戻りの義姉・径子(尾身美詞)とその娘・晴美(稲葉菜月)のにぎやかな六人家族。
若き主婦となったすずは、次第に物資が不足してゆく中、工夫を凝らして一家を盛り立てる。
しかし、やがて戦火は激しさを増し、帝国海軍の拠点である呉は、連日米軍の猛爆撃にさらされ、毎日眺めていた軍艦の群れは炎に包まれ、街は焦土と化してゆく。
そして昭和20年8月6日の朝、すずは故郷広島の空に閃光が走り、見た事もない巨大な雲が立ち上がるのを目撃する・・・・
これは太平洋戦争中、18歳で広島から軍都・呉に嫁いだ平凡な少女・すずさんと二つの家族、彼女の人生に関わる沢山の人々の物語。
こうの史代の原作は全三巻。
脚色は原作に極めて忠実に成されているが、若干削られた部分もあれば、逆により細かく考証が深められた所もあり、基本よりすずさんに寄り添う内容になっている。
情報量が多いこともあって、物語の展開するテンポは非常に早く、全くダレる間が無い。
それでいて、ひとつひとつのシーン、カットにはゆったりとした空気が流れ、画面の隅々まで極めて丁寧に描写されているのである。
制作チームは貴重な資料写真に写っていた店や物だけでなく、そこにいた人物までをも突き止め、話を聞ける者には直接取材したという。
本作が描くのは“戦争”だけではない。
たとえ世界中に狂気が蔓延し、何百万の兵士たちが殺し合っていたとしても、人間が暮らしている限り、生活があり、日常がある。
ここにあるのは、戦争を含めた時代そのものであり、市井の人々のリアルな生活の記憶なのだ。
すずさんは今でいうところのちょっと天然な人なのだが、人の好い北條家の家族とともに、ごく自然に新婚生活をスタートする。
物語の前半となる昭和18年から19年半ばにかけては、後にB-29の基地となるサイパン島はまだ陥落しておらず、戦局は急速に悪化しつつあるものの、庶民の生活を大きく脅かす程には至っていない。
凶悪な暴力は、その姿を南方の島々や中国大陸に留め置かれ、銃後の人々はその本当の恐ろしさを未だ知らないのである。
それでも、次第に物資の供給が減ってゆく中、すずさんは野草を献立に盛り込むなど不器用ではあるものの工夫を凝らし、貧乏なら貧乏なりに、物が無いなら無いなりに毎日を楽しんでいて、北條家には笑いが絶えない。
彼女には、初恋の相手である水原哲という幼馴染がおり、映画版では原作から役割が変わっているが、周作にも嘗て関係があったらしい白木リンという女性がいる。
まだ若い二人の、お互いに対する嫉妬心も人が人を想う心の複雑さを感じさせ、また夫婦の絆を深める重要なアクセント。
重巡青葉に乗組む海軍の水兵である哲は、すずに「ずっとこの世界で普通で、まともでおってくれ」と言うのだが、彼女はどんな時代にあっても、普通に生きることを諦めない人なのだ。
しかし、物語の後半になると、世界は徐々に変貌する。
重要な軍事目標が集中する呉には、米軍機がひっきりなしに来襲し、“明日”は確実にある物ではなくなってゆく。
吹き荒れる戦争の嵐は、普通でいることをもはや許さない。
昭和20年6月、すずさん目の前で炸裂した爆弾は、姪の晴美の幼い命を奪い去り、彼女自身も爆風で右手を失う。
そして、その年の8月6日、広島の空に閃光と共に巨大な雲が立ちあがり、15日には玉音放送が流れ、遂に戦争は終わる。
信じていた日常はまやかしで、暴力で支配した世界が、別の暴力によって打ちのめされただけであることを思い知らされた時、すずさんは悔しさから泣き崩れるしかない。
誰もが何かを、誰かを喪失し、もう戻らないと知りつつ、探している時代。
すずさんの右手だけでなく、広島の実家の両親は原爆で亡くなり、子どもの頃、鬼いちゃんと恐れていた兄も戦死し、ただ一人生き残った妹にも原爆症の症状が出ている。
それでも、すずさんは生きている。
原作に「私たちは記憶の器」と言う台詞がある。
絵が好きなすずさんは、帰郷した際に広島の風景をスケッチブックに残すのだが、その街は絵を描いた彼女の右手と同じく、永遠に失われてしまった。
だが、すずさんをはじめ生き残った者たちの心の中に、嘗て存在していた人や物の記憶は残り続ける。
そんな人々の姿が描かれた本作もまた、正に現在へと繋がる記憶の器だ。
驚くほど緻密に作り込まれた生活描写を背景に、リアリティ溢れる登場人物の心の機微が伝わってくる。
まるでこの時代にタイムトラベルして、映画に登場する人たちと出会い、しばし生活を共にしたかのような、不思議な感覚。
実写でなく、原作のタッチを生かしたアナログ感のある詩的なアニメーション表現が、より“器”としての普遍性を増している。
爆弾と砲弾の破片が降り注ぐ、恐ろしくリアルな戦争描写がある一方、漫画的なキャラクターの豊かな表情には、誰もがほっこりとさせられ感情移入を拒めない。
人間界の争いなど関係なく存在する豊かな自然の描写は、アニメーション界のマリックと言っても過言ではないだろう。
もしもすずさんが実在して、生きていれば今91歳。
私はこの映画を観て、彼女より少しだけ上の世代の、今は亡き祖父母にとても会いたくなった。
彼らは戦争中のことは殆ど語らなかったけど、いったいどんな記憶を心の内に秘めていたのだろう。
もう時間は多く残されていないかも知れないが、あの時代を生きた人々は間違いなく今もこの世界に存在しているということを、本作から改めて実感させられた。
せめて、晴美と同い年の父母から、僅かでも記憶を受け継ごう。
深く長い余韻を引くラストカットから、原作のその先を描くエンドクレジットロール、日本映画史上最高額を記録したクラウドファンディングのサポーターロールに至るまで、スクリーンに映し出される全てがきちんと作品として表現されているのも素晴らしい。
原作の、消えてしまった右手が語るという描写を、コトリンゴの歌に置き換えるというアイディアも秀逸。
破壊された広島の街で、周作と再会したすずは言う。
「周作さん、ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて」
この世界の片隅で、小さな宝石のような映画と出会った。
作ってくれて本当にありがとう。
この映画は、ヒットさせねばならない。
今回は、戦後のすずさん夫婦にエールを贈りたく、福井県鯖江の加藤吉平商店の「梵(ぼん) 純米大吟醸 プレミアムスパークリング」をチョイス。
日本酒スパークリングは他にもあるが、アルコール度数の低い甘ったるい飲み物で、正直美味しいとは思えない物が大半。
しかし、これは完全に別格だ。
シャンパーニュと十分と渡り合える傑作で、値段もこの内容なら十分納得できる。
精米歩合20%の生原酒を、酵母と共にシャンパン瓶で二次発酵させたもの。
やわらかな吟醸香が微細な泡と共にはじけ、スッキリとした喉ごしとふくよかな味わいは、飲む喜びとなって至福の時を演出してくれる。
それにしても、驚異的に充実している今年の邦画。
実写だけでなく、8月の「君の名は。」、9月の「聲の形」、そして本作と、長編アニメーションにも映画史級の傑作がほぼ月替わりで現れているのは、まことに驚くべき事だ。
本当に隕石でも落ちるんじゃなかろうか。

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