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2016 unforgettable movies
2016年12月30日 (金) | 編集 |
2016年は、端的に言えば「日本映画奇跡の年」だった。
例年なら1、2本あれば良いというレベルの傑作が、ほとんど月替わりで現れる、しかもメジャーからインディーズ、内容もアニメ、怪獣、ホラーからハードな人間ドラマまで、まんべんなく揃っているのだから凄い。
あまりに良作が多すぎるのでハードルが上がり、例年なら確実に入れている幾つかの作品はこのリストから漏れてしまった。
願わくば、この傾向が来年も続くと良いのだけど。
海外へ目を向けると、世界中でポピュリズムの嵐が荒れ狂った年らしく、世界各国から政治的・風刺的な秀作が多くやって来た。
それでは、今年の「忘れられない映画たち」を、ブログでの紹介順に。
例によって順位はなし。

「ブリッジ・オブ・スパイ」冷戦たけなわの50年代末、スパイの引き渡しを巡る米露交渉を任されてしまった弁護士の物語。前半は、アメリカで逮捕されたソ連スパイの裁判劇。後半は、東ベルリンを舞台にしたソ連とアメリカの捕虜交換を巡る、丁々発止の交渉劇。非常に端正な映画で、ハリウッドの超一流の仕事を堪能できる。

「消えた声が、その名を呼ぶ」第一次大戦中のトルコ軍によるアルメニア人虐殺をモチーフにした壮大な叙事詩。突然憲兵に連行された主人公は、声を失いながらも虐殺を生き残り、行方不明となった家族を探して砂漠から海へ、新大陸の大平原へと長い長い旅に出る。荒野の放浪者の物語は、中東史から現代アメリカ史へと繋がっている。

「サウルの息子」今まで作られた、どのホロコースト映画とも異なる異色作。ユダヤ人でありながら、絶滅収容所の労役を担う“ゾンダーコマンド”が主人公。長まわしのカメラは、殆どウエストショット以上で主人公に張り付き、被写界深度の浅いスタンダードの狭い画面は、観客の意識を主人公に同一化させ、この世の地獄を体験させるのである。

「ザ・ウォーク」極限の縁を歩く、ワイヤーの上のアーティストの夢と狂気の物語。今はもう存在しない、WTCの二つの塔の間を渡った男に、人々はいつしか憧憬を抱き、彼の企てる「クーデター」の共犯者となってゆく。今では死と破壊の象徴となったWTCは、この映画では若々しくとても美しい。人生と芸術に関する、ロマンチックでスペクタクルな物語だ。

「キャロル」社会が今より同性愛に不寛容だった50年代のニューヨークを舞台に、エレガントな大人の女性キャロルと、まだ初々しい蕾のテレーズの愛を描く。偽りの人生への圧力が二人の愛を翻弄する中、ついに彼女たちは魂の牢獄から自らを解き放つ。同じ時代のニューヨーク移民社会を描く「ブルックリン」も心に残る佳作だった。

「オデッセイ」火星にたった一人で取り残された男と、彼を救出しようとする人々を描くSFドラマ。植物学者の主人公が、残された物を使って生きるための環境とNASAとの通信手段を作り上げるプロセスは、宇宙版「ロビンソン・クルーソー」の様。物語を盛り上げる70年代ディスコサウンドの使い方が絶妙で、全編に渡ってスリリングでファニー!

「リップヴァンウィンクルの花嫁」残酷で切なく美しい、3時間の大作。厳しい現実によって人生どん底にまで追い詰められた主人公は、奇妙な便利屋の導きによって、不思議な世界へと足を踏み入れる。人はどうしたら幸せになれるのか?幸せはどこにあるのか?主人公の再生のドラマに、3.11以降の“ニッポンのリアル”を濃縮した、独創のシネマティックワールドだ。

「オマールの壁」分離壁で囲まれたパレスチナ自治区に暮らす、ある青年の物語。イスラエル兵射殺事件で検挙された青年は、一生を刑務所で送るか、スパイになるかを迫られる。敵味方、登場人物の誰がどんな嘘をついているのか分からない。巨大な分離壁は、閉塞した世界の象徴だ。衝撃的なラストには、全く言葉が出ない。

「父を探して」ある日列車に乗って去って行った父を探して、旅に出る少年を描くブラジル発の長編アニメーション。子どもの落書きを思わせるカラフルな絵はとても可愛らしいのだけど、少年の辿る旅路は、絵柄からは想像もつかない高度な社会風刺となっている。少年の遠大な冒険は、そのままブラジルという国の歴史でもある。

「レヴェナント:蘇えりし者」アメリカ創成期を舞台とした、壮大な映像神話。圧倒的な存在感で世界を支配するのは、シネスコ画面いっぱいに広がる大自然。互いに敵対するいくつものエスニックグループが入り乱れ、見えざる手によって主人公の運命に絡み合う。限りなく厳しい自然の中で生きることの意味を求める、神話的流離譚だ。

「ズートピア」全世界的にポピュリズが猛威を振るった2016年に、ディズニーが送り出したパワフルな政治風刺劇。多種多様な動物たちが暮らすズートピアは、現代アメリカのカリカチュアであり、描こうとしているモチーフはズバリ「差別」だ。しかも表層的な部分だけでなく、かなり踏み込んで描いているのには唸った。好調ディズニー・ピクサーは「アーロと少年」「ファインディング・ドリー」も素晴らしいクオリティ。

「アイアムアヒーロー」安っぽさゼロ、ハリウッド映画とタイマン張れるゾンビホラーの大快作だ。予告編はコメディタッチを予感させるものだったが、本編はR15+指定なのを良いことに、人体破壊の限りを尽くす凶悪っぷり。ダサかっこいい主人公vs迫り来るゾキュン軍団の大バトルは息つく暇もない。

「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」人知を超越した強大な力を一部の人間が持つことを、果たして人類は容認できるのか。力は国家に帰属させるのか、それとも個人に委ねられるべきなのか。二つの正義の対決は、アメリカが建国以来抱えてきた重要なイッシューだ。「アベンジャーズ」「ウィンター・ソルジャー」と共にMCUのベスト。

「ちはやふる 上の句&下の句」競技かるたに明け暮れる高校生たちの青春を「上の句」「下の句」と題した二部作で描く。和のスポコン+控えめなラブストーリーに、思春期のワクワクドキドキが加速する。二部作の話のたたみ方も見事で、まさにお手本のような熱血青春映画。本当の完結編となるという、「ちはやふる」第三部が今から待ちきれない。

「殿、利息でござる!」江戸時代、百姓たちが藩にお金を貸して利息をとったという、実話ベースの物語。印象深いのは、古の日本人たちの驚くべき公共性、パブリックな意識の高さ。利息は全て村人に分配されるので、出資を申し出た者には一銭も戻らない。ユーモラスではあるがコメディではなく、現在の社会にも十分通じるお金を巡る真面目な寓話だ。

「神様メール」どこかモンティパイソンを思わせるシュールでシニカル、それでいて詩的なファンタジー。癇癪持ちでサディストの神様に虐げられた娘が反乱を起こす。キリストの妹は、全ての人類に余命を告知するメールを送信すると、新・新約聖書を作るために人間界への旅に出のだが、やがて彼女の行動は世界の”リセット”に繋がってゆく。

「ヒメアノ〜ル」日本映画史に類を見ない大怪作。お話はごく単純、でも簡単には語れない。前半の気持ち悪いラブコメが、ある瞬間に世界が反転、日常の裏側にあった闇が前面に出てくる。ヒメアノールとは小さなトカゲのことだそうだが、無害な動物を暴走するシリアルキラーに変異させたのは何か。怪物に共感は出来ないが、なんとも言えない憐れみを感じさせる。

「エクス・マキナ」歴史上、数々の名作SFがモチーフとしてきた人間とAIの関係を描く。人間から生まれ、人間を超える知性を、支配することは許されるのか。AIはその地位に甘んじるのだろうか。思考する機械という、ありえなかった存在が現実になろうとする時代。絵空事というには、このテーマはあまりにもリアルすぎる。

「帰ってきたヒトラー」死の直前に現代のドイツにタイムスリップしたヒトラーと、仕事をクビになったTVディレクターがコンビを組み、ユーチューバーとして大人気となる。観た当時よりも、後から重みを増した映画だ。まさかのブレクジットにトランプの当選と、現実が映画に追いついてしまった。私たちはもう、この映画を笑えない。

「日本で一番悪い奴ら」四半世紀の長きに渡って北海道の裏社会と癒着しながら、道警のエースと呼ばれた悪徳刑事の半生を描く、実話ベースの異色のピカレスク大河ドラマだ。やりたい放題、怒涛の勢いで成り上り、今度はノンストップで破滅に向かって突っ走る主人公を通して、日本型組織のあるあるネタがカリカチュアされて見えてくる。

「シング・ストリート 未来へのうた」80年代のダブリンを舞台に、年上の彼女にアピールするべくバンドを始めた高校生の物語。社会は大不況、家では両親の不和という幾重の葛藤の中で、少年は恋と音楽に突き進む。やがて彼は、小さな閉塞した世界を超えて、無限の可能性が待つ未来へと歩み出すのだ。

「死霊館 エンフィールド事件」10年代オカルトホラーのベスト。霊現象に関わった、あるいは“ギフト”として能力を与えられた者それぞれの葛藤に、一貫した答えが与えられている。絶望を抱えた人間を救えるのは、結局信頼と愛に支えらえれた行動なのである。今年は「イット・フォローズ」「ライト/オフ」「ドント・ブリーズ」など、ワンアイディアを生かし切ったホラーの秀作が目立ったが、王道の一本はやはりこれだ。

「シン・ゴジラ」これは怪獣出現というシチュエーションで、日本という国家の中枢で何が起こるのかの徹底的なシミュレーション。本作が3.11にインスパイアされているのは明らかで、我々=日本=現実はあの時失敗したが、「本来はこうあるべきだった、こう出来たはずだった」という理想形を、ゴジラという虚構との対立を通して見せてくれるのが本作であり、未曾有の危機を背景に、この国の人間のあり方を希望的に描いた物語なのである。

「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」灯台守りの子として、孤島で暮らす幼い兄妹の大冒険とそれぞれの成長物語。世界観を形作るアイルランドの精神世界が、自然に子供達の流離譚に組み込まれている。キャラクターや美術は丸と環をベースにデザインされ、それが背景となる神話の世界観を表してるのだが、アニミズム色が強いアイルランド神話は日本人には馴染みやすい。

「君の名は。」色々な意味で今年を代表する大ヒット作。これも「シン・ゴジラ」同様、3.11の現実に抗った先にある希望を描いているが、アプローチは真逆。シミュレーションに徹し、巨大なチームとしての日本を描いた「シン・ゴジラ」に対して、本作は徹底的に個人のエモーションに寄り添い、誰かを想う人の心が、宇宙の法則をも変えてしまう世界を描く。2016年夏は、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」によって映画史に永遠に刻まれるだろう。

「レッドタートル ある島の物語」隔絶された理想郷で展開する、生命のサイクルの物語。台詞なしで描かれる、リリカルな異種婚姻譚の魅力に抗うのは難しい。物語はそのまま主人公の心情と見ることもできるし、愛に関するこの世界の縮図と捉えることもできるだろう。モチーフ的に「ソング・オブ・ザ・シー」に通じるものがあるのが面白い。

「聲の形」幼さゆえに取り返しのつかない罪を犯した少年が、命の意味に向き合い、世界を取り戻すまでの物語。聾唖の少女への虐めから始まる物語は、相当に痛くて苦しい。登場人物の誰もが傷つき、大なり小なり罪を抱えて生きてる。観客も、登場人物と共に苦しみながらも、彼らの一員となった感覚で、自らも葛藤せざるをえないのである。

「怒り」凄惨な殺人事件の1年後、忽然と現れた3人の男と共に、全く異なる三つの愛と罪の物語が描かれる。人を信じることの難しさと尊さ、そして恐ろしさ。二つの物語には許し、あるいは癒しがもたらされるが、唯一沖縄の物語にだけは、なんの救いも無いまま。ラストカットの誰にも届かない魂の叫びは、この世界の不条理と残酷さを象徴している。

「SCOOP!」芸能スキャンダル専門のパパラッチと新人記者の、快作バディムービー。メディアのあり方などの社会的テーマも内包するモダンな人間ドラマと、見たいもんを見せてやる的などこか昭和なプロクラムピクチュアの猥雑さ。都会の裏側に蠢く人間たちのいかにもありそうなリアリティと、いい意味で予想を裏切る虚構性のバランスも良かった。

「PK ピーケー」様々宗教が混在する、インドの今を映し出すユニークな風刺劇。とある重要なモノを失くしてしまった主人公は、人々が宗教に縋るのを見て、自分も神に祈ってみる。ところが探し物は一向に出て来ず、独特の感性を持つ主人公の神への問いかけが、徐々に周りの人々を動かしてゆく。2時間半を超える長尺を全く飽きさせない、作劇の見事さが光る。

「何者」就職活動の苦闘の中で、自分が”何者”なのかを模索する5人の大学生を通し、等身大の若者たちのリアルを描く。彼らのSNSに渦巻く焦り、妬み、恋、不安。青春の終章にある若者たちが、学生という守られた存在から、社会の中で独立した何者かになってゆく物語は、生みの苦しみ。希望はあるが、精神的に相当にキツイ映画だ。

「永い言い訳」不倫相手の密会中、交通事故で妻を失った小説家の主人公が、同じ事故で亡くなった妻の親友の家族との交流を通して、自らの人生を見つめ直す。妻はもう死んでいるのだから、主人公の「罪」は永遠に償えない。虚勢を張った男の弱さを赤裸々に描きながら、心の奥底にある後悔と愛情を丁寧に掘り起こす繊細な心理劇だ。

「とうもろこしの島」2年前のTIFF上映作がようやく公開。舞台は、独立を巡りグルジアと戦争状態にある旧ソ連のアブハジア。対立する両陣営の間を流れるエングリ川の中州に、一人の老人が孫娘と共に現れ、小屋を建てトウモロコシを植え、開拓を始める。シネスコ画面いっぱいに広がる大自然が圧倒的で、対照的に愚かな争いは矮小化されるしかない。

「ヒトラーの忘れもの」こちらは去年のTIFF上映作。デンマークはナチスが埋めた220万個もの地雷処理に、投降したドイツ軍人を徴用。その多くが少年兵で、徴用された半数が死傷したという事実の映画化。人は憎しみと言う燃料さえあれば、誰でも子供すら殺すモンスターに成り得る。真摯に作られた大変な力作だ。

「この世界の片隅に」ムービー・オブ・ザ・イヤー、そして私的21世紀ベスト・ワン。太平洋戦争中、18歳で広島から呉に嫁いだすずさんの物語。どこにでもある普通の暮らしが、戦争という暴力によって少しずつ崩れ、誰もが何かを失ってゆく時代の情景となって、緻密な考証に裏打ちされた美しくリリカルなアニメーションで描かれる。本作はこの時代に生きた人々の想いを現在へと繋げる記憶の器だ。作り手の想いが余すところなくスクリーンに結実した珠玉の傑作である。

「湯を沸かすほど熱い愛」余命宣告された主人公が、残された時間でバラバラだった家族の抱える問題を総解決。家族だけでなく、関わった人々全てに愛を注ぐスーパーお母ちゃんの物語。なぜ彼女はそれ程までに人を愛すのか。秘められていた家族の真実の姿が明らかになる終盤には、主人公の苦しくも熱い想いに涙腺決壊。

「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」究極の選択を迫られた人々を通して、21世紀の戦争を描く問題作。テロリストを殺害するために、無垢な少女を巻き添えにすることが許されるのか。現場から遠く離れた会議室で、延々と繰り返される議論。これが遺作となった、アラン・リックマンの最後の台詞が、鋭く突き刺さる大力作だ。

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストリー」ファンが予想もつかなかった、まさかの物語。間違いなくお馴染みの世界観だが、そこで繰り広げられるのは、ハードなスパイ映画で、壮絶な戦争映画。見せ場を畳み掛ける終盤15分は、映画史上屈指の名クライマックス。ここに夢一杯の宇宙冒険物語は無いが、希望は確かにあるのだ。

以上、絞りに絞ってようやく選んだ38本。
日本映画が16本もあるのがその要因だけど、例年の調子で選んでいたら、50本くらいにはなってしまっただろう。
さて、来年はどんな映画に出会えるのか。

それでは皆さん、良いお年を。

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ショートレビュー「14の夜・・・・・評価額1600円」
2016年12月28日 (水) | 編集 |
そこに、おっぱいがある限り。

80年代中坊あるあるに爆笑。
昨年、「百円の恋」の脚本でセンセーションを巻き起こした足立紳の長編監督デビュー作は、14歳の田舎の中学生、タカシの夏休みの24時間を描いた青春映画。
作者自身が73年の生まれなので、87年が舞台の本作は彼自身のリアルなのだろう。
この映画で面白いのは、タカシに超カッコ悪い父さんがいること。
もう中年なのにマザコンで、一次審査すら通らない小説の賞に投稿し続け、交通事故を起こして勤務先から謹慎を申し付けられ、暇なものだから息子のエロビデオを拝借して真昼間からお楽しみ。
むっちゃ情けないダメ父さんと、そんな彼を侮蔑するタカシのコントラストがいい。
父さんを嫌いつつ、主にエロくてダサいところに、血の繋がりを感じちゃう。
この年齢の頃ってまだ世界が狭くて、どうしても自分の未来を身の周りの大人を透かして見るから、限りなく情けない父さんを筆頭に、めんどくさい家族の面々をウザがる一方で、「オレの将来ももしかして・・・」と思ってしまうのだ。

家族を通して見える漠然としたアイデンティティの不安を、街のビデオ屋でサイン会をやるという噂の、AV女優のおっぱいを揉みたいという物凄く本能的な欲望と結びつけたのが上手い。
14歳の男の子の世界では、どのくらいホンモノのおっぱいに近いポジションにいるかが、勉強よりもスポーツよりも重大な関心事。
だから自分では遠目に眺めることしか出来ない女の子に、物怖じしせず接する不良たちは、恐怖の対象であると同時に憧れなのである。
性への興味と妄想は、そのまま学園ヒエラルキーの中の今の立ち位置の確認と、まだ見ぬ将来への仄かな指針となる。
家の揉め事に嫌気がさして、ビデオ屋に向かってからのタカシの一夜の冒険は、少々濃すぎる青春のビジョンクエスト
不良の暴力の洗礼を受け、友だちの秘密を知り、幼なじみのおっぱいを揉もうと暴走族と闘う。
そして彼の獲得する"ビジョン"、ビデオ屋の女店員に妄想を炸裂させるシーンの、物凄く幸せそうな表情は演技賞物だった(笑

真夏の一夜の刺激的な体験を通して、タカシはちょっとだけ成長する。
もっとも、14歳は本格的な思春期への入り口だから、物語の行き着くところは彼の抱える葛藤の解消じゃなくて、悶々の正体を見つけたりという程度。
これからタカシは幾つもの壁にぶち当たりながら、いつかカッコ悪い父さんを超えて、大人になってゆくのだろう。
しかし、河原や駅のトイレに捨ててあるエロ本を探した、アナログな時代のおっぱいへの渇望は、ネットで世界中のエロにアクセスできる現在の十代にはピンと来ないかも知れないな。
まあバーチャルはともかく、リアルに関してはいつの世も同じか。

ちょっと気になったのはレンタルビデオの値段で、87年はもう過当競争の時代で旧作は300円位じゃなかったか?
田舎は競争が少なくて事情が違ったのだろうか。
あとこれはこの映画に限らない限らないけど、特定の時代を舞台とした作品は「車」を写し込むことにもっと気を使って欲しい。
車は日常接する物だし、デザイン性が高く存在感が大きい。
遠景ならともかく、明らかに21世紀の車がデカデカと映り込むと、一気に現実に引き戻されてしまうし、せっかく他を考証して作っていても水の泡。
こんなのは撮り方の工夫でだいぶ誤魔化せるはずなので、無頓着な作品が多いのは理解に苦しむ。

今回は87年繋がりで、この年の初春に発売され爆発的な大ヒットとなり、日本のみならず世界のビールシーンに大きな影響を与えた「アサヒ スーパードライ」をチョイス。
従来のビールの特徴であった苦味とコクを抑え、淡麗でキレのある味わいを目指したところ、高温多湿の日本の夏にピッタリのビールが出来上がった。
今ではすっかりお馴染みの老舗ブランドだが、初めて出た時は驚きだったの味だったのだ。
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ショートレビュー「ドント・ブリーズ・・・・・評価額1650円」
2016年12月23日 (金) | 編集 |
息を潜め気配を消せ。奴が、通り過ぎるまで。

リメイク版「死霊のはらわた」で脚光を浴びた、フェデ・アルバレス監督の最新作は、小粒だがピリリと辛い秀作ホラーだ。
女1人男2人の3人組の貧困層の若者たちが、盲目の老人が大金を家に隠しているという噂を聞きつけ強盗に入るも、実は老人の正体は圧倒的な戦闘力をもつ元軍人だった。
しかも彼は、若者たちを生きて帰せない、ある秘密を抱えているのである。
1人は秒殺され、残り2人の命も、わずかでも音立てれば消される風前の灯。
抜き足差し足、必死に家からの脱出を試みるが、ドアには何重もの鍵、窓には鉄格子。
侵入に使った小窓も直ちに塞がれ、若者たちは迷宮と化した家で、出口を探して逃げ回るしかない。

「アバター」のクライマックスで、サム・ワーシントンと死闘を繰り広げるクオリッチ大佐役で知られるスティーヴン・ラングは、ちょいサイコ入った軍人役が似合い過ぎ。
ど素人の若者たちvs歴戦の軍人の対決が一方的にならないのは、盲目という設定を上手く生かしてるから。
視覚以外の感覚が鋭敏に研ぎ澄まされているとは言え、老人には侵入者が何人いるのか分からない。
自分が殺した男だけなのか、それとも複数なのか、生き残った二人にとっては、彼の視覚情報の欠落が付け入る隙となる訳だ。
一方、迷路のような地下室で、完全に光を絶たれた状態では、若者たちになす術は無く、神出鬼没な老人に、徹底的にボコられるしかない。
盲目設定はある時は老人に有利に、ある時は若者たちに有利に働き、緊張感のある攻防戦が最後まで途切れないのである。

今年は、本作の様にワンアイディアを生かし切ったホラーが目立った。
特に、1月に公開された「イット・フォローズ」は、人から人へと感染し、確実に死をもたらす"それ"にとり憑かれたハイティーンの少女の物語で、本作とはジャンル映画の表と裏の様な好対照を形作る。
人の姿をしているが人ではなく、ただただひたすら真っ直ぐ歩いて追ってくる"それ"は、究極の不条理であり恐怖の具現化なのだが、この映画の舞台は本作と同じデトロイト
ひと昔前のアメリカンホラーといえば、南部の田舎の印象が強かったが、これには南北戦争以来東部や西部に比べると経済的に遅れ、人種差別が根強く、宗教保守派の多い南部に対するイメージが根底にあった。
対して21世紀では、経済破綻によって急速に人口が減少し、生活圏のすぐ隣に広大な廃墟が広がるデトロイトが、新たな恐怖が生まれる街に相応しい。
「イット・フォローズ」は、若者たちに蔓延する漠然とした不安を、”それ”という超常現象にメタファーさせた訳だが、本作では逆に恐怖の対象は極めて現実的だ。

今もこの街に暮らす者は、出て行きたくても仕事の当てもなく、引越しの資金にすらこと欠く白人貧困層、いわゆる"トランプを当選させた者たち"だ。
本作の主人公に当たるロッキーも、どん底の生活を送る親元を離れ、幼い妹と二人でカリフォルニア行きを夢見ているが、その手段は男友達との強盗稼業。
3人の仕事のターゲットとなる老人も、湾岸戦争で失明し、唯一の心の拠り所だった愛娘を交通事故で失い、家にあるという大金は、事故の示談金として金持ちの加害者が支払ったもの。
裕福な者は罪を犯しても刑務所に行かず、貧しい者は生きてゆくために罪を犯すしかない。
恐怖を生み出すのは、幽霊でも悪魔でもなく、ただただ追い詰められた人間。
格差を巡る合衆国の葛藤が、本作の真のテーマであり、単なる怖がらせを超えた深みである。
アルバレスによると、本作のヒットを受けて続編が決定しているそうで、あのラストからどう広げてゆくのか、非常に楽しみだ。

今回は大金を狙って始まる物語なのでカクテルの「ミリオン・ダラー」をチョイス。
ドライ・ジン45ml、スイート・ベルモット15ml、パイナップル・ジュース15ml、グレナデン・シロップ1tsp、卵白1個分を氷と共にシェイクしてグラスに注ぐ。
最後にカットしたパイナップルかレモンピールを飾って完成。
爽やかな香りを卵白がまろやかにまとめ上げる。
名前が名前だけになんとなくリッチな気分になれる一杯だ。

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ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー・・・・・評価額1750円
2016年12月17日 (土) | 編集 |
ここに夢はない、だが希望はある。

「エピソード7/フォースの覚醒」で幕を開けた、新生「スター・ウォーズ」シリーズ第二弾は、「エピソード4/新たなる希望」の直前、銀河帝国の覇権を決定的なものにするデス・スターの設計図を盗み出し、レイア姫に届けた者たちの物語。
暗黒が支配する銀河に希望をもたらし、壮大なサガの礎になったのは何者だったのか。
「スター・ウォーズ」のスピンオフは、過去にもTVムービーとして作られ、日本では劇場公開された「イウォーク・アドベンチャー」や「エンドア/魔空の妖精」、いくつものTVアニメシリーズがあったが、ナンバリングされた”正史”と絡む劇場用作品はこれが初めて。
ジェダイ無き時代、正史ではその他大勢扱いで、決して前面に出ることのなかった、フォースの使い手でない、普通の人間たちの戦いを描く。
いかにして、絶望の銀河に新たなる希望は生まれたのか、「エピソード4」の10分前までの言わば「エピソード3.9」は、「スター・ウォーズ」であって「スター・ウォーズ」でない、シリーズに新たな風を吹き込む傑作である。
※結末に触れています。鑑賞後にお読みください。

お尋ね者のジン・アーソ(フェリシティ・ジョーンズ)は、帝国軍の護送車から反乱軍によって救い出され、ヤヴィンの反乱軍司令部に連行される。
帝国が秘密裏に建造していた究極の兵器、”デス・スター”に関する情報が反乱軍の過激派ソウ・ゲレラ(フォレスト・ウィテカー)にもたらされ、その発信者がジンの父・ゲレイン(マッツ・ミケルセン)だというのだ。
帝国の技術者だったゲレインは、一度は帝国と袂を別ったものの連れ戻され、ジンは父の協力者だったソウによって育てられた。
ジンと反乱軍のスパイ、キャシアン・アンドー(ディエゴ・ルナ)は、父からのメッセージを預かっている帝国軍の脱走パイロット、ボーディー・ルック(リズ・アーメット)に会うために、惑星ジェダのソウの元に向かうが、ジェダの聖都は完成したデス・スターによって完全に破壊されてしまう。
ジンとキャシアン、ボーディーは、ジェダイ無き時代にフォースを信奉するウィルズの守護者だったチアルート・イムウェ(ドニー・イェン)とベイズ・マルバス(チアン・ウェン)と共に辛くも脱出に成功するが、デス・スターの破壊力を知った反乱軍は、降伏派と抗戦派にわかれて意思統一もままならない。
業を煮やしたジンは、キャシアンら志を共にする者たちと、ゲリラ部隊”ローグ・ワン”を結成し、デス・スターの設計図が隠されている惑星スカリフへの潜入を試みるのだが・・・


本作には心底驚かされた。
J.J.エイブラムスの「エピソード7」は、ある意味究極のファンメイド・ムービーだった。
ジョージ・ルーカスによるプリクエル三部作に、コレジャナイ感を募らせていた古くからのファンにとって、旧三部作から抽出した要素を満載にし、21世紀の作品らしくモダナイズした「エピソード7」は、まさに観たかった「スター・ウォーズ」であり、期待通りという点で完璧な一本と言える。
一方、今回ギャレス・エドワーズが作り上げたのは、ファンが全く想像も出来なかった、まさかの作品だ。
「スター・ウォーズ」というタイトルだが、このシリーズはハードSFと言うより、どちらかというとファンタジー要素が強く、「ウォーズ」の部分は良くも悪くもある程度緩かった。
だが、ファンタジーの魔法使いに当たるジェダイが消えた本作は、世界観こそ共有しているものの、作品のトーンはグッとリアルに、ハードになっていて、このシリーズが「戦争」を描いていたことに改めて気づかされる。
物語の前半は、デス・スターの開発者の一人であるゲレインから密かにもたらされた情報を巡るスパイ映画、そして後半は孤立無援のならず者部隊”ローグ・ワン”によるゲリラ戦から始まる壮絶な戦争映画という構造になっている。

本作にジェダイはいないが、シスの暗黒卿はいる。
圧倒的な闇の力が支配する銀河で、それでも希望をもたらすために悪戦苦闘する登場人物は、「エピソード7」に輪をかけて多様化している。
デス・スター計画の責任者であるクレニック長官を始め、帝国側の主要人物がアングロ・サクソンの男性で占められているのに対し、ローグ・ワン側は女性、ヒスパニック、アジア人にドロイドとハリウッドSF大作にあってはマイノリティー集団
役柄的にも犯罪者にスパイに脱走兵にその他と、正規軍ですらないごった煮のゲリラ部隊で、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のシリアス版といったところ。
彼らが、抑圧に抗い希望をもたらすという信念のみで団結している、なんの特殊能力も持たない普通の人間たちだからこそ、正史、特にこの物語の直後にあたる「エピソード4」との対比が際立つ。

物語が始まってしばらくは、今までのシリーズとの差異は目立たない。
それぞれのシーンの空気に生真面目さはあるものの、これは「モンスターズ/地球外生命体」や「GODZILLA ゴジラ」にも見られたギャレス・エドワーズのカラーだろう。
ジンが登場して、ジェダでの捜索、惑星イードゥーでのゲレインとの再会までは、筋立ては正攻法だが、やや冗長さを感じさせ、キャラクター造形を含めて全体に硬い印象。
今までの作品では描かれなかった反乱軍サイドの闇、仲間内での対立や、暗殺ミッションなどが描かれるのは新しいが、まあ戦争やってるんだから、それはあって当然なので新鮮味は薄い。
前半の白眉は、やはりジェダの聖都壊滅のシークエンスだ。
デス・スターから放たれた光線が、多くの人々が暮らす街を焼き尽くし、その衝撃波によって文字どおり天地がひっくり返り、周辺一帯が完全に破壊されるプロセスが、地上からの視点によってジワジワと描かれるのだが、これは本当に恐ろしい。
「エピソード4」でも「エピソード7」でも、破壊される惑星は宇宙からの視点であっさりと描写されるだけだったが、ここではその時地上で起こっている地獄絵図が目の前に広がり、デス・スターの大量破壊兵器としての力を、強烈に印象付ける。

そして、この映画が本当に観客を驚かせるのは、ローグ・ワンが設計図奪取のため惑星スカリフに侵入してからだ。
ジンとキャシアン、ドロイドのK-2SOはデータセンターのある基地に向かい、残りのメンバーはゲリラ戦を仕掛けて帝国軍の注意を引きつける。
ぶっちゃけ、この時点でも私は、物語の帰着点は過去のシリーズのパターンを踏襲するのだろうと思っていた。
犠牲は出すものの、少なくとも主要登場人物は危機一髪で脱出するのだろうなと。
しかし、戦闘の火蓋が切られ、設計図は「転送できる」つまり誰かが物理的に届けなくても良いという設定が明かされると、ようやく物語がどこに行こうとしているのか予感して身震い。
やがて、圧倒的な戦力差の中で、主要登場人物がバタバタと死んでゆくのを見て確信した。
ローグ・ワンのメンバーは、以降のシリーズに誰一人として登場しない。
つまり、彼らは銀河に新たなる希望を残して、全滅するのである。
この展開は、過去の「スター・ウォーズ」というよりも、むしろ「皆殺しの富野」こと、富野由悠季の「無敵超人ザンボット3」や「伝説巨人イデオン」に近い。
あるいは、本作で棒術の達人チアルートを演じているドニー・イェンの代表作の一つ、「孫文の義士団」か。
これは孫文という希望を守るために犠牲となり、全滅する寄せ集め集団の物語で、ドニーのキャスティングを含めて影響を与えているのかもしれない。
新たなる希望を体現する、ルーク・スカイウォーカーの華やか活躍の裏に、無名の人々の多大な犠牲があり、それが正史では忘れ去られてしまうのは、おそらく現実の世界でも同じだろう。

スカリフで激しい戦いが繰り広げられている最中、地平線の向こうからデス・スターが忽然と巨大な姿を表す。
計画の責任者であるクレニック長官は、自ら作り上げた恐怖の象徴によって、自分もまた滅ぼされることを悟り、それまで孤独に生きてきたジンとキャシアンはお互いを求めて抱擁する。
やがて光が走り、彼らの背後に全てを消し去る終末の爆炎が立ち上がる瞬間は、畏怖の念すら感じさせる荘厳な美しさ。
そしてローグ・ワンが命をかけて届けた設計図を奪い返すために、ダース・ヴェーダーが登場し、圧倒的な力で兵士たちを薙ぎ倒して行くシークエンスは、このキャラクターが映画史上屈指のスーパーヴィランであることを改めて証明する大迫力だ。
赤いライトセーバーの光と共に、ヴェーダーの呼吸音が背後に迫る絶望感。
もはや死を免れない反乱軍の兵士が、わずかなドアの隙間から設計図の入ったカードを仲間に渡そうとするシーンは、ホラー映画並みに心臓に悪い。
畳み掛ける様に見せ場が続く、ラスト15分間ほどのクライマックスは、間違いなく映画史上の語り草となるだろう。

「スター・ウォーズ」の裏側を描いた本作は、おそらく長年のファンほど衝撃を受けると思う。
旧三部作をリアルタイムで知る人には、ある種のアンチテーゼとして受け取られる可能性があり、賛否両論になるだろう。
しかし、本作が作られたことによって、「スター・ウォーズ」の世界観が深化したことは事実。
私はこの映画を観て、すぐに「エピソード4」を観直したくなったが、これから正史の映画を観るたびに、「ローグ・ワン」を思い出すことになるのだろう。
ジンたちローグ・ワンの世界は滅びたが、父の想いは娘へと渡り、多くの人々の力によってレイアへ、ルークへ、そして新シリーズのレイへと受け継がれてゆく。
「反乱軍は希望を信じて戦う」は本作のキーワードだが、原語では「Rebellions are built on hope」。
希望は或る日突現れるのではなく、無数の絶望の中で生み出される小さな断片が寄り集まって、ようやく形になる。
今まで沢山の映画を観てきたが、これほどスピンオフという位置付けを生かし切った作品は観たことがない。
異彩を放つ、孤高の傑作である。

今回は、主人公がジンなので、スペルは違うけど名前繋がりでジン・ベースのカクテル、「ホワイト・レディ」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、ホワイト・キュラソーまたはコアントロー15ml、レモン・ジュース15mlをシェイクして、グラスに注ぐ。
ジンはどちらかというと黒っぽい衣装だったが、こちらは白い貴婦人という名の通り、半透明の白が美しい。
味のバランスのとれたスッキリとしたカクテルだ。

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世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜
2016年12月15日 (木) | 編集 |
後期旧石器時代のヨーロッパにいたクロマニョン人は、多くの洞窟壁画を残したが、その中でも最も有名なのが、1940年に地元の少年たちによって偶然発見されたラスコーの壁画だろう。
フランス西南部、ヴェゼール渓谷の洞窟に描かれた、数百点もの生き生きとした動物たちの壁画は、人類の映像表現の原点とも言える。

壁画の動物たちの中には、足が実際よりも多く描かれているものもあり、これは動きの表現と考えられている。
赤塚不二夫のギャグマンガなどにみられる、走っている人間の足を残像として描く技法が、既にクロマニョン人によって考案されていたのだ。
今日の「アニメーション」という言葉は、ラテン語で命や魂を意味する「ANIMA」が語源であり、古代の洞窟壁画は止まった絵に再び命を与え、動かしたいという人類の表現のチャレンジの第一歩。
また真っ暗な洞窟の中では、灯りが無いと何も見えない。
獣脂ランプのぼんやりとした灯りによって照らされた壁画は、炎の揺らぎによって少しずつイメージを変える。
マーティン・スコセッシが映画の創生期を描いた、「ヒューゴの不思議な発明」でも触れられているように、洞窟壁画は暗闇の中で光によって創造の神秘を共有体験する、太古の映画館だったのかもしれない。

現在ラスコー洞窟を始め、ほとんどの洞窟壁画は保護のために非公開。
今回展示されるのは、代表的な壁画部分を忠実に再現した「ラスコー3」と呼ばれるレプリカだが、その出来栄えは見事なもの。
壁画だけでなく、洞窟全体の縮小模型や、顔料や線刻に使われた石器など、数々の出土品なも同時に展示されていて、古代のアーティストたちの仕事を垣間見られる。
一部展示以外は写真撮影も可能。
「世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜」は、東京の国立科学博物館にて、2017年2月19日まで。
その後は東北歴史博物館(宮城)、九州国立博物館(福岡)に巡回予定。
公式サイト:http://lascaux2016.jp/

ちなみに、2012年に公開された「世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶」は、ウェルナー・ヘルツォークが、南仏にあるショーヴェ洞窟内の、約3万年のクロマニョン人の壁画を3D立体映像で記録したドキュメンタリーだ。
ソフトは残念ながら2D版だが、こちらも見応えのある内容なので、「ラスコー展」と合わせて鑑賞するのがおすすめ。

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アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場・・・・・評価額1700円
2016年12月14日 (水) | 編集 |
それは、ごく簡単な作戦のはずだった。

ナイロビの反政府武装勢力の支配地域に潜伏するテロリスト。
地球上の遠く離れた数カ所から、彼らの拘束作戦を見守る人々がいる。
全体を指揮するイギリス軍の司令部、上空から監視するドローンをコントロールするネバダの米軍基地、現地に展開する地上エージェント、そして作戦の最終的な許認可権を持つ、英国の政治家と官僚たちの会議室。
シンプルな拘束作戦は、ターゲットの予期せぬ行動により、ドローンによる殺害作戦へとエスカレートするのだが、ドローンのカメラはミサイルの殺傷範囲でパンを売る幼い少女の姿を捉える。
これは究極の選択を迫られた人々を通して、21世紀の戦争を描く問題作。
ヘレン・ミレンがイギリス軍のベテラン女性指揮官キャサリン大佐を演じ、上官のベンソン中将役は1月に亡くなったアラン・リックマン。
メガホンをとるのは、「ツォツィ」「エンダーのゲーム」のギャビン・フッドだ。
※結末に触れています。鑑賞後にお読みください。

イギリス、ロンドン。
キャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、6年間追い続けたアル・シャバブのテロリストたちが、ナイロビに潜伏することを突き止め、彼らの拘束作戦を立案。
イギリス軍が指揮をとり、現地のエージェントとアメリカのドローンを使って現場を監視、ケニア軍の特殊部隊が隠れ家を急襲する手はずだった。
ドローンの鮮明な映像は、作戦司令部だけでなく、フランク・ベンソン中将(アラン・リックマン)とイギリス政府の大臣、次官たちが見守る会議室にも映し出される。
しかし、テロリストたちは突然潜伏場所から別の隠れ家に移動し、彼らが大規模な自爆テロを起こそうとしていることが発覚。
指揮官のキャサリンは拘束作戦を諦め、ドローンからヘルファイアミサイルで隠れ家を攻撃しようとする。
しかし、ドローンのカメラは隠れ家のすぐ横でパンを売る幼い少女を映し出す。
彼女が巻き添えで死ぬ可能性が生じたため、米英軍の軍人や政治家の間でも議論が始まり、作戦は中に浮いてしまう。
もしもテロリストたちが街に出れば、大惨事は免れない。
キャサリンは、少女を犠牲にしてでも、攻撃を強行しようとするのだが・・・・


目の前にミサイルの引金がある。 

引けば数人のテロリストのグループと、巻き添えで一人の少女が死ぬ。 

だが引かなければ、テロリストの爆弾で数十人、あるいはもっと多くの命が失われる。 
映画に登場するのは、即時攻撃を主張する指揮官、動揺を隠せないドローンのパイロット、地上で情報を送り続ける現地エージェント、そして突然責任を突き付けられる政治家たち。
一発のミサイルを巡り、延々と繰り返される議論。
この夏の大ヒット作「シン・ゴジラ」には、ゴジラと対峙した自衛隊が逃げ遅れた市民を発見し、最高指揮官である総理大臣が「どうします、撃ちますか⁉︎」と決断を迫られる重要なシーンがある。 
これは言わば、あのシチュエーションだけを抽出して、1時間42分かけてじっくり描いた様な作品だ。
ほぼリアルタイムで進行する物語を通し、観客はそれぞれの立場で「正論」を説く登場人物たちにに目まぐるしく身を置き換え、「あなたならどうする?」と問いかけられる。

唯一確定している真実は、引金を引いても引かなくても、罪の無い市民が犠牲になるということだけだ。 

本作のキャッチコピーの一つは「戦争は会議室で起きている」というものだが、これはなにも現在に限った話ではない。
人類が有線・無線の高速通信手段を手に入れてからは、ほぼ一貫して戦場の運命は現場から遠く離れた会議室で決められてきた。
この映画が真に現在的なのは、いくつものカメラとネットワークを介して、”標的”の状況が作戦に関わる世界各地でリアルタイムに共有されていることだ。
軍人も政治家も同じものを見ていて、知らぬは生殺与奪を握られたカメラの向こうの人々のみ。
全員が目の前で起こっていることを共有しているからこそ、誰一人としてその結果がもたらす責任から逃れることは出来ないのだ。

ヘレン・ミレンとアラン・リックマンが味わい深く演じるベテランの軍人たちは、最初から覚悟を決めている。
いくつもの修羅場を見てきた彼らのファースト・プライオリティーは、可能な限り小さな犠牲によって、更に大きな被害を防ぐことだから、今どうすべきかに議論の余地はないのである。
一方、実際に引き金を任された米軍の若いドローン・パイロットは、今まで監視任務だけで攻撃経験がない。
人生を豊かにするためのステップという意識で選んだ仕事だが、自分の指先ひとつで人が死ぬという事実に初めて直面し、葛藤を募らせる。
唯一現場にいる地上の現地エージェントは、モニター越しに見ている人々とは状況の捉え方が異なる。
少女を、”今そこに生きている人”として間近に感じている彼は、危険を冒しても彼女を救おうと奔走するのだ。
そして、攻撃の最終的な許認可権を持つ政治家たちは、突然の状況の変化によって戦場のジレンマに陥り、心を決められない。
もし攻撃を中止させれば、確実に多くの市民が死ぬが、それを自分たちが知っていたことを公にする必要はない。
だが、もし攻撃の巻き添えで少女が犠牲になれば、作戦を承認したことで世間の非難を浴びるかもしれない。
最終判断は会議室から始まって外遊中の外務大臣、遂には首相にまでたらい回しにさせられ、結局最初の会議室に戻ってくる。


とりあえず、民主主義というのは世界のどこでも面倒臭いもので、だからこそ最後に下される決断は重い。 
面白いのはこれがイギリス映画で、英米共同作戦を描きながら、アメリカとの考え方、政治・軍事の手法の違いを明確にしていること。
テロリストグループの中にはアメリカ人もいて、英国が勝手に殺害したら国際問題になりかねないと心配する英国の政治家たちは、必死にアメリカの国務長官と連絡をとるのだけど、アメリカ側の反応は「今さら何言ってんの?」という肩透かし。
アメリカ国籍だろうがなんだろうが「アメリカに害をなすテロリストは敵だ。ゆえに殺していい」というのが米国側の基本的なスタンス。
むしろ少女の存在ゆえに躊躇するイギリス側に、攻撃実行を迫ったりするのは、世界一強固な絆で結ばれた同盟国に対する、英国社会の複雑な感情を表しているようで興味深い。


同じモチーフの「ドローン・オブ・ウォー」が、日々淡々と攻撃任務を繰り返すパイロットの心にフォーカスしていたのに対し、こちらは群像劇とすることで、より俯瞰した寓話的視点を獲得していて、物語の構造的には多分に舞台的でもある。 

非常に印象的なのが、パン売りの少女の父親が、過激派の支配地域にあって、かなりリベラルな人物として造形されていること。
彼は暴力で街を支配するアル・シャバブの男たちを「狂信者」と呼んで蔑んでいる。
だが、結果として狂信者たちを狙ったミサイルは、最愛の娘を吹き飛ばし、泣き叫ぶ父親の姿を見たアル・シャバブの戦闘員たちは、直ちに車両の武装を外しスペースを作ると少女を病院に運ぶ。
黒澤明の「羅生門」の様に、あらゆる出来事には多面性がある。
ドローンのミサイルは、起こるはずだったテロを防ぎ、多くの人々の命を救ったかもしれない。
だが娘を失った父親は、狂信者に対する嫌悪よりも、娘を殺した英米に対する憎しみを募らせるのだろう。
負の連鎖は、ここでは途切れないことが示唆されている。
1時間42分の間、全ての登場人物の迷いと葛藤が重なった末に起こった結果を見届けた観客に、本作が遺作となった名優アラン・リックマンの最後の台詞が鋭く突き刺さる。
ガイ・ヒバートによるの緻密な脚本が素晴らしい、ヘビー級ポリティカル・サスペンスの傑作である。 

緊張感が途切れず、観ていて非常に喉が乾く映画。
今回は舞台となるケニアの代表的なビール、「タスカー」をチョイス。
1922年創業と1世紀近い歴史を持つ老舗ブランドだ。
アルコール度は4%と低めだが、暑い国のビールらしく炭酸がしっかりしていて喉越しが爽やか。
タスカーとは牙の生えた動物の意味で、いかにもアフリカを感じさせるゾウさんのラベルも可愛い。

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ショートレビュー「アズミ・ハルコは行方不明・・・・・評価額1650円」
2016年12月08日 (木) | 編集 |
彼女が、突然消えたワケ。

「私たちのハァハァ」の松居大悟監督が放った本作は、ある意味今年の日本映画の層の厚さを象徴する怪作だ。 

主人公の安曇春子は、地方都市の実家暮らしの27歳。
映画は、蒼井優演じる春子の日常を軸に、二人の男友達と関係を持ちながら、ストリートグラフィティをする尻軽なショップ店員の愛菜、どこからともなく現れて、男たちを狩り立てる女子高生ギャング団のエピソードを描く。 

物語の時系列が複雑にシャッフルされていることもあり、最初は話の内容が把握出来ず作品世界に入り難い。 
始まってしばらくは「いったい何の映画なの?」と、戸惑いが広がってゆく。


しかし、これは恐らく狙いだろう。
バラバラになったパズルのピースが揃ってくると、映画は魔法にかかったように、急速に魅力を帯びてくるのである。
春子と愛菜、そして女子高生ギャングたちは、点と点で接点はあるものの、基本的に無関係なまま物語は進行する。
ある時点で“行方不明”となる春子の顔写真は、愛菜たちのグラフィティとなって、 ストリートにネットに拡散されてゆくのだけど、名前の無い単純化された女性の顔となったグラフィティは何を意味するのか。


痴呆症の祖母を抱える実家暮らしの春子は、家に居場所がなく、会社ではセクハラ、パワハラ上司に愛想笑いを浮かべ、好きになった男にも裏切られる。
生まれ育ったのが狭い地方都市ゆえに、どこへ行っても知り合いだらけで、真に自由になれる時間すらない閉塞感。

そして奔放に生きているはずの愛菜もまた、この社会で女であることの不自由から逃れられないことを知る。
 
現実を知ってしまった彼女たちに対し、身体能力高過ぎの女子高生ギャング団は、まだ大人の社会の外にある存在だから、何者も恐れないし、縛られない。

彼女らの超ハイテンションなはしゃぎっぷりは、ハーモニー・コリンの「スプリング・ブレイカーズ」を思わせる。
どちらも現実からのエクソダスの物語であり、映し出されているものが虚構なのか現実なのかをあえて曖昧にし、映画全体を構成したのも似ているかも知れない。
虚実の境界に現れる女子高生ギャング団は、抑圧する男社会を成敗するヒットガールだ。 
単純化されたグラフィティとなった春子の顔写真は、女たちのシュールな反乱劇のシンボルとなるのである。

これは日本の地方社会の断面を垣間見る、ユニークかつパワフルな現代の寓話。
ただ、本作の物語そのものは女性によって書かれた女性目線の作品だが、映画のテリングは「スプリング・ブレイカーズ」と同じく、良くも悪くも男性作家を感じさせる。
まあ、それを含めて、個性豊かな映画的イメージは一見の価値があると思う。

本作のロケ地は、近年多くの映画の舞台となっている足利。
今回は足利にあるココファーム・ワイナリーの微発泡スパークリング「あわここ」をチョイス。
梨や青りんご、柑橘類などを思わせる複雑かつフレッシュな香りと味わいは、若々しく生き生きしたエネルギーを感じさせる。
普段飲みのワインで財布にも優しいので、師走のパーティでも重宝しそう。

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ショートレビュー「五日物語 ー3つの王国と3人の女ー・・・・・評価額1650円」
2016年12月02日 (金) | 編集 |
美しく残酷な、御伽話の真の姿。

夢のある異世界ファンタジーっぽいキービジュアルだが、騙されてはいけない。
これは「ゴモラ」「リアリティー」で知られる、異才マッテオ・ガローネ監督による大怪作であり、御伽話に浸るのではなく、御伽話の夢から覚める物語なのである。
ストーリーの元になっているのは、17世紀のイタリアで書かれた民話集、「ペンタメローネ(五日物語)」だ。
この民話集は、50話のエピソードと全体の枠となるエピソードの全51話から構成されているのだが、本作では三つの物語が一つの世界観の中で平行に語られている。
舞台となるのはロングトレリス国、ストロングクリフ国、ハイヒルズ国、三つの王国の三つの王宮。
それぞれの物語で主人公となる3人の女の、女性ならではの欲望が悲劇を生む。
※核心部分に触れています。

ロングトレリス国では、「母になりたい」という王妃の願いが、魔力を持つ海の怪物の心臓を食すことでかなえられる。
怪物との戦いで命を落とした王に代わって、彼女は最愛の王子を手にいれるのである。
だが母性の力を過信し厳しく束縛する王妃から、いつしか我が子の心は離れてしまう。
王宮から消えた王子を取り戻すために、彼女は大き過ぎる代償を支払うことになるのだ。

絶倫王が支配するストロングクリフ国では、王宮の隣のあばら家に住むアニメ声の老婆姉妹が、国王に若い娘と勘違いされる。
魔法によって若く美しい肉体を手に入れた姉は、王の寝室に招き入れられ王妃の地位を与えられるが、取り残された妹の嫉妬と欲望は、自らの肉体と精神を傷つけ、破滅させてゆく。

三つ目の物語は、大人の世界にあこがれ、理想の夫との結婚を望む王女の物語だ。
娘の結婚に乗り気でないハイヒルズ国の王は、結婚を望む男たちを競わせるあるアイディアを思いつくのだが、結果的にこの策略の失敗によって、王女は断崖の洞窟に住むオーガ(鬼)と結婚させられてしまうのである。
恐らくは「美女と野獣」と同根と思われるこのエピソードだが、オーガの正体が心優しい王子だったりはしないし、彼女を救出しようとする親切な人々はあっさりと返り討ちにあう。
父親の失策によって身を売られ幽閉された王女は、遂に自らの決意と行動でのみ、運命から解放されることを悟るのである

「アナと雪の女王」の大ヒット以来、「マレフィセント」や昨年の実写版「シンデレラ」など、ディズニーによって御伽話のプリンセスの“モダナイズ”が進められているが、本作はその流れを民話の故郷であるヨーロッパで、よりダークに突き詰めたものと言える。
三つの物語のうち、ロングトレリス国、ストロングクリフ国のエピソードは、どちらの主人公も魔法的な力で欲望を叶えるが、所詮それは偽りの幸せであり、魔力はいつかその効力を失う。
しかし、ハイヒルズ国の王女にだけは、何の魔法も奇跡も起こらない。
恋に恋するティーンエイジャーだった彼女は、残酷な現実に覚悟を決めて抗い、脱出に成功する。
だから映画のラストで、帰還を果たしたハイヒルズの王女の戴冠式には、三つの国の登場人物が勢ぞろいするも、そこにロングトレリスの王妃の姿は無く、ストロングクリフの王妃は華やかな宴から出て行かざるを得ない。
なぜならそこは、もうすでに幻想の御伽話の世界では無いからだ。

また元が民話ゆえか、現在のファンタジーに比べると本作のプロットは相当に歪。
だが、この作品の場合それが奇妙な味わいに繋がっている。
なぜかノミちゃんを愛してしまうハイヒルズの王とか、ゲーテの「ファウスト」でメフィストフェレスが唄う「蚤の唄」っぽいが、たぶんこれも同根なのだろう。
イタリアに現存する三つの城のロケーションと、ゴージャスな美術、衣装はそれだけでも見応えはあり。
一言で言えば、ジム・ヘンソンの「ストーリー・テラー」のダークな親戚という感じで、この種の怪異譚好きにはたまらない。
しかしトラウマ描写満載で、間違っても子供向けではないので、家族で鑑賞とかしちゃうと悲劇だ。

今回は、イタリア産のスプマンテ「ロヴェ・スプマンテ・ロゼ エクストラ ドライ」をチョイス。
やや辛口で、スッキリ爽やかな後味。
澄んだピンクも目に鮮やかで、華やかな気分を演出してくれる。
スプマンテは、シャンパーニュなどと比べると圧倒的にCPが高いのも嬉しい。

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