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アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場・・・・・評価額1700円
2016年12月14日 (水) | 編集 |
それは、ごく簡単な作戦のはずだった。

ナイロビの反政府武装勢力の支配地域に潜伏するテロリスト。
地球上の遠く離れた数カ所から、彼らの拘束作戦を見守る人々がいる。
全体を指揮するイギリス軍の司令部、上空から監視するドローンをコントロールするネバダの米軍基地、現地に展開する地上エージェント、そして作戦の最終的な許認可権を持つ、英国の政治家と官僚たちの会議室。
シンプルな拘束作戦は、ターゲットの予期せぬ行動により、ドローンによる殺害作戦へとエスカレートするのだが、ドローンのカメラはミサイルの殺傷範囲でパンを売る幼い少女の姿を捉える。
これは究極の選択を迫られた人々を通して、21世紀の戦争を描く問題作。
ヘレン・ミレンがイギリス軍のベテラン女性指揮官キャサリン大佐を演じ、上官のベンソン中将役は1月に亡くなったアラン・リックマン。
メガホンをとるのは、「ツォツィ」「エンダーのゲーム」のギャビン・フッドだ。
※結末に触れています。鑑賞後にお読みください。

イギリス、ロンドン。
キャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、6年間追い続けたアル・シャバブのテロリストたちが、ナイロビに潜伏することを突き止め、彼らの拘束作戦を立案。
イギリス軍が指揮をとり、現地のエージェントとアメリカのドローンを使って現場を監視、ケニア軍の特殊部隊が隠れ家を急襲する手はずだった。
ドローンの鮮明な映像は、作戦司令部だけでなく、フランク・ベンソン中将(アラン・リックマン)とイギリス政府の大臣、次官たちが見守る会議室にも映し出される。
しかし、テロリストたちは突然潜伏場所から別の隠れ家に移動し、彼らが大規模な自爆テロを起こそうとしていることが発覚。
指揮官のキャサリンは拘束作戦を諦め、ドローンからヘルファイアミサイルで隠れ家を攻撃しようとする。
しかし、ドローンのカメラは隠れ家のすぐ横でパンを売る幼い少女を映し出す。
彼女が巻き添えで死ぬ可能性が生じたため、米英軍の軍人や政治家の間でも議論が始まり、作戦は中に浮いてしまう。
もしもテロリストたちが街に出れば、大惨事は免れない。
キャサリンは、少女を犠牲にしてでも、攻撃を強行しようとするのだが・・・・


目の前にミサイルの引金がある。 

引けば数人のテロリストのグループと、巻き添えで一人の少女が死ぬ。 

だが引かなければ、テロリストの爆弾で数十人、あるいはもっと多くの命が失われる。 
映画に登場するのは、即時攻撃を主張する指揮官、動揺を隠せないドローンのパイロット、地上で情報を送り続ける現地エージェント、そして突然責任を突き付けられる政治家たち。
一発のミサイルを巡り、延々と繰り返される議論。
この夏の大ヒット作「シン・ゴジラ」には、ゴジラと対峙した自衛隊が逃げ遅れた市民を発見し、最高指揮官である総理大臣が「どうします、撃ちますか⁉︎」と決断を迫られる重要なシーンがある。 
これは言わば、あのシチュエーションだけを抽出して、1時間42分かけてじっくり描いた様な作品だ。
ほぼリアルタイムで進行する物語を通し、観客はそれぞれの立場で「正論」を説く登場人物たちにに目まぐるしく身を置き換え、「あなたならどうする?」と問いかけられる。

唯一確定している真実は、引金を引いても引かなくても、罪の無い市民が犠牲になるということだけだ。 

本作のキャッチコピーの一つは「戦争は会議室で起きている」というものだが、これはなにも現在に限った話ではない。
人類が有線・無線の高速通信手段を手に入れてからは、ほぼ一貫して戦場の運命は現場から遠く離れた会議室で決められてきた。
この映画が真に現在的なのは、いくつものカメラとネットワークを介して、”標的”の状況が作戦に関わる世界各地でリアルタイムに共有されていることだ。
軍人も政治家も同じものを見ていて、知らぬは生殺与奪を握られたカメラの向こうの人々のみ。
全員が目の前で起こっていることを共有しているからこそ、誰一人としてその結果がもたらす責任から逃れることは出来ないのだ。

ヘレン・ミレンとアラン・リックマンが味わい深く演じるベテランの軍人たちは、最初から覚悟を決めている。
いくつもの修羅場を見てきた彼らのファースト・プライオリティーは、可能な限り小さな犠牲によって、更に大きな被害を防ぐことだから、今どうすべきかに議論の余地はないのである。
一方、実際に引き金を任された米軍の若いドローン・パイロットは、今まで監視任務だけで攻撃経験がない。
人生を豊かにするためのステップという意識で選んだ仕事だが、自分の指先ひとつで人が死ぬという事実に初めて直面し、葛藤を募らせる。
唯一現場にいる地上の現地エージェントは、モニター越しに見ている人々とは状況の捉え方が異なる。
少女を、”今そこに生きている人”として間近に感じている彼は、危険を冒しても彼女を救おうと奔走するのだ。
そして、攻撃の最終的な許認可権を持つ政治家たちは、突然の状況の変化によって戦場のジレンマに陥り、心を決められない。
もし攻撃を中止させれば、確実に多くの市民が死ぬが、それを自分たちが知っていたことを公にする必要はない。
だが、もし攻撃の巻き添えで少女が犠牲になれば、作戦を承認したことで世間の非難を浴びるかもしれない。
最終判断は会議室から始まって外遊中の外務大臣、遂には首相にまでたらい回しにさせられ、結局最初の会議室に戻ってくる。


とりあえず、民主主義というのは世界のどこでも面倒臭いもので、だからこそ最後に下される決断は重い。 
面白いのはこれがイギリス映画で、英米共同作戦を描きながら、アメリカとの考え方、政治・軍事の手法の違いを明確にしていること。
テロリストグループの中にはアメリカ人もいて、英国が勝手に殺害したら国際問題になりかねないと心配する英国の政治家たちは、必死にアメリカの国務長官と連絡をとるのだけど、アメリカ側の反応は「今さら何言ってんの?」という肩透かし。
アメリカ国籍だろうがなんだろうが「アメリカに害をなすテロリストは敵だ。ゆえに殺していい」というのが米国側の基本的なスタンス。
むしろ少女の存在ゆえに躊躇するイギリス側に、攻撃実行を迫ったりするのは、世界一強固な絆で結ばれた同盟国に対する、英国社会の複雑な感情を表しているようで興味深い。


同じモチーフの「ドローン・オブ・ウォー」が、日々淡々と攻撃任務を繰り返すパイロットの心にフォーカスしていたのに対し、こちらは群像劇とすることで、より俯瞰した寓話的視点を獲得していて、物語の構造的には多分に舞台的でもある。 

非常に印象的なのが、パン売りの少女の父親が、過激派の支配地域にあって、かなりリベラルな人物として造形されていること。
彼は暴力で街を支配するアル・シャバブの男たちを「狂信者」と呼んで蔑んでいる。
だが、結果として狂信者たちを狙ったミサイルは、最愛の娘を吹き飛ばし、泣き叫ぶ父親の姿を見たアル・シャバブの戦闘員たちは、直ちに車両の武装を外しスペースを作ると少女を病院に運ぶ。
黒澤明の「羅生門」の様に、あらゆる出来事には多面性がある。
ドローンのミサイルは、起こるはずだったテロを防ぎ、多くの人々の命を救ったかもしれない。
だが娘を失った父親は、狂信者に対する嫌悪よりも、娘を殺した英米に対する憎しみを募らせるのだろう。
負の連鎖は、ここでは途切れないことが示唆されている。
1時間42分の間、全ての登場人物の迷いと葛藤が重なった末に起こった結果を見届けた観客に、本作が遺作となった名優アラン・リックマンの最後の台詞が鋭く突き刺さる。
ガイ・ヒバートによるの緻密な脚本が素晴らしい、ヘビー級ポリティカル・サスペンスの傑作である。 

緊張感が途切れず、観ていて非常に喉が乾く映画。
今回は舞台となるケニアの代表的なビール、「タスカー」をチョイス。
1922年創業と1世紀近い歴史を持つ老舗ブランドだ。
アルコール度は4%と低めだが、暑い国のビールらしく炭酸がしっかりしていて喉越しが爽やか。
タスカーとは牙の生えた動物の意味で、いかにもアフリカを感じさせるゾウさんのラベルも可愛い。

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