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1930年代、日本統治下の朝鮮を舞台に、”お嬢さん”の莫大な財産を巡るコンゲームが繰り広げられる。
プレイヤーは狡猾な詐欺師、薄幸の令嬢、成り上がりの富豪、訳ありの侍女。
原作は英国の作家サラ・ウォーターが、ビクトリア時代の英国を舞台に描いた「荊の城」で、2005年にはサリー・ホーキンス主演でテレビドラマ化されている。
複雑怪奇な四つ巴の騙し合いは、倒錯したエロスの館で、先の読めない官能のサスペンスとなって観客を幻惑。
145分の長尺を全く飽きさせない。
文字通り体を張った俳優陣の好演も見もので、韓国映画界きっての映像テクニシャン、パク・チャヌク監督の現時点での集大成といえる大作である。
※ネタバレあり!核心部分に触れています。
1939年、朝鮮。
犯罪グループに育てられた孤児の少女・スッキ(キム・タエリ)は、 ”藤原伯爵”を名乗る詐欺師(ハ・ジョンウ)からある依頼を受ける。
それは、莫大な資産の相続人である華族の令嬢・秀子(キム・ミニ)の侍女として働き、”伯爵”の結婚詐欺を助けること。
秀子は深い森の中にある屋敷で、希少本コレクターである叔父の上月(チョ・ジヌン)とと暮らしている。
”伯爵”の計画は、スッキの助けを借りて秀子を誘惑し、駆け落ちして結婚した後、彼女を日本の精神病院に入院させて財産を奪うというもの。
スッキの献身的な態度に、秀子は次第に心を開いてゆき、計画は順調に進む。
そして、いよいよ駆け落ちの日がやってくるのだが・・・・・
怒涛の面白さである。
天才パク・チャヌクの作品は、しばしば才気迸るテリングのパワーと筋立てのバランスが悪く、勢い余ってつんのめってしまうことがあるが、本作ではチャヌクとチョン・ソギョンによる脚色が非常に上手くいっている。
物語は三部構成となっていて、第一部が主にスッキの視点から見た、秀子との出会いから駆け落ちまでの顛末。
第二部は、同じ時系列を今度は主に秀子の視点で語るネタばらし編。
そして第三部では、四つ巴のコンゲームの末に何が起こったのか、遂に全体像が見える。
第一部、二部はそれぞれに切り欠きのように欠損している描写があり、組み合わせて初めて真相が分かる仕組み。
物語の進行とともに登場人物の実像が少しずつ見えてきて、次第にその心に隠された本当の感情が浮き彫りとなるというわけだ。
第一部で語られる事件の表面は、上記のあらすじ通り伯爵とスッキの共犯による結婚詐欺。
秀子の叔父の上月は、実にところ日本人ではなく、日本の名家と婚姻を結んだ朝鮮出身の成り上がり者だ。
彼の功名心を利用して接近した詐欺師が、”藤原伯爵”と名乗って屋敷に入り込み、秀子の侍女として送り込んだスッキに手伝わせて密会の機会を作り、誘惑する。
首尾よく秀子がその気になり、日本に逃げて彼女を精神病院に入院させようとしたところでどんでん返し。
実はもとから相思相愛の伯爵と秀子は、上月から逃れるためにスッキを秀子の身代わりとして精神病院に監禁し、秀子はスッキに成り代わって生きていくという計画を立てていたのだ。
騙されたスッキは、自分を朝鮮人の侍女だと思い込んでいる、哀れな華族の令嬢として病院に囚われ、伯爵と秀子が逃亡に成功するとことで第一部完。
ここまででも結構意外性のある物語なのだが、第二部になると今度は第一部で起こっていたことが丸ごとひっくり返される。
スッキは計画通り、献身的に秀子に尽くすことで彼女に取り入るのだが、元々素直な性格ゆえに籠の鳥として孤独な人生を送る秀子に深く感情移入してしまう。
ついには、伯爵との初夜のために、秀子に夜の営みを手ほどきするうちに、主人と使用人の関係を超えて情愛を結んでしまうのだ。
二人は愛し合うにようなり、秀子はスッキを自分の身代わりにさせるという伯爵の陰謀を明かし、元の計画を女二人で伯爵と上月を同時に罠に嵌める、逆転の計画に書き換える。
そして、騙し騙され二転三転するコンゲームは、第三部において自由を得た女たちの新たなる旅立ちと、男たちの悲惨な破滅で幕を閉じるのである。
パク・チャヌクといえば代表作である「復讐三部作」を含めて、復讐を作家とのしての根源的なテーマとしているが、本作も端的に言えば女たちによる、男性至上主義への復讐譚と言えるだろう。
この映画に登場する主要な四人の男女のうち、二人の男は基本的に女を将棋の駒としか思っていない。
屋敷の主である上月は、日本領朝鮮にあって支配者である日本の崇拝者として描かれる。
彼は日本人になりたくて日本人と結婚し、日本のエロティックな希少本を集め、日本風と洋風が折衷した屋敷に住んで、日本風の生活をしている。
さらに自分が認められるために、日本人の上流階級の男たちを集め、あられもない内容の稀少本の朗読を秀子にさせて辱めることにより、生粋の華族である彼女を精神的に支配して満足している卑劣な男だ。
もう一人の自称”伯爵”の詐欺師もまた、スッキを犠牲にして秀子の財産を手に入れようとしており、人を思いやる心を持たない冷酷な人物として描かれている。
男たちが権力と金を得るのに必死なのとは対照的に、スッキと秀子はお互いを知ってゆくうちに、邪な考えをぬぐい去り、二人で協力し合って抑圧からの脱出を目指す。
彼女らの境遇も十分に同情を誘うもので、第二部終盤に至って観客はすっかり彼女らにシンパシーを抱いているので、熾烈なコンゲームの末に二人が男たちを出し抜くプロセスは痛快だ。
そして、もはや日の目を見ることの無い男たちの最期と、自由を得た女たちの愛の営みが対照的に描かれるクライマックスは、外連味たっぷりの暴力と官能の描写が組み合わさり、いかにもパク・チャヌクらしい。
秀子とスッキの濃厚なベッドシーンは、秀子が朗読する希少本の春画を思わせるハードかつコミカルな味付けになっており、日本のヘンタイ文化の韓国的解釈としても面白い。
俳優陣は皆熱演だが、かなりの比重を占める日本語演技にはやはり微妙な違和感がある。
ただ日本人の観客から観ると、日本統治下の朝鮮の森に建てられた虚構の館で、日本人のふりをしながら騙し合いをするという、本作のシニカルなメタ的な構造の中では、朝鮮語訛りもある種すっとぼけた演出効果になっている様に思う。
官能描写ゆえR-18指定なので高校生以下は観られないが、大人は必見の大怪作である。
今回は二人のヒロインの物語ということで、Bの頭文字を持つ2つの酒で作るカクテル、「B&B」をチョイス。
リキュールグラスにベネディクティン30mlを注ぎ、その上にブランデー30mlをそっとフローとする。
パッと見は同じ様な茶色の酒だが、比重が異なるので綺麗な層を形作る。
飲んでゆくとブランデーのコクにベネディクティンの甘みが混ざり合って、複雑な味わいとなる。
非常に強いので、そにままめくるめく官能の夢の世界に連れて行ってくれるだろう。
しかし成人映画が製作費12億円、本国だけで動員400万人って凄い。
人口5千万人の国で、どんだけ映画好きなんだ韓国人。
残念ながら日本では成立しない企画だろうな。

![]() ベネディクティン DOM 750ml 【RCP】 |


「ダラス・バイヤーズクラブ」「私に会うまでの1600キロ」など、どん底に落ちた人間たちの逞しい復活劇を得意とするジャン=マルク・ヴァレ監督と、怪優ジェイク・ギレンホールが初タッグを組んだヒューマンドラマ。
ある日突然、それまでの人生が吹き飛んだら、人間はどうなるのか。
ギレンホール演じるディヴスは、妻の父が代表を務めるウォール街の投資銀行にコネ入社して順調に出世し、何不自由ない生活を送っている。
しかしある朝、妻の運転する車に乗っていた二人は交通事故に遭い、ディヴスは助かったものの妻は亡くなってしまう。
突然の事故で妻を亡くしたのに、「悲しくもなんともない」という物語の発端は、去年の「永い言い訳」と一緒。
ただ、起点となる心の状態は同じでも、その理由と物語の展開は全く異なる。
あの映画のモッくんは、妻が事故死した時に愛人を家に引っ張り込んでいるような最悪な奴で、ベースにあるのはタイトルが示唆するように贖罪意識。
対して、本作のギレンホールは別に不貞を働いているわけでも、妻との仲が破綻してるわけでもない。
ただ、いつも当たり前に存在していた妻がいなくなったのに、涙すら流すことが出来ない自分自身に戸惑い、自分は本当に妻を愛していたのか、結婚生活とは何だったのか、それまでの人生の中身を改めて確かめなければ、前へ進めなくなってしまうのである。
そして彼は、人生を文字通りに解体し始める。
生前の妻が「故障しているから直して」と言っていた冷蔵庫を切っ掛けに、会社のパソコン、トイレの個室、ついには自宅まで重機でバラバラにしてしまう。
だから原題は「DEMOLITON(取り壊し)」。
ただこれは、あくまで再生のための破壊。
劇中のセリフにもあるが、全てはメタファーだ。
冷蔵庫は知らなかった妻の心、パソコンは実体のない数字を扱う仕事の中身、そしてトイレの個室は自分自身、家は結婚生活そのもの。
テレビに映し出されるニホンザル、廃棄される予定のメリーゴーランド、妻の残したメモ用紙。
細かく設定されたシャレードの配置と、小道具の使い方の上手さに唸る。
「永い言い訳」のモッくんが、竹原ピストルの家族との関わりを通して心の平穏を取り戻してゆくように、本作でもナオミ・ワッツが好演するカレンと、自分はゲイではないかと悩むジュダ・ルイス演じる息子クリスとの交流が、ディヴスにとって大きな転機となる。
もっとも、竹原ピストルはモッくんとは真逆のキャラクターだったが、カレンとディヴィスはどちらかといえば似た者同士。
だから疑似家族の二人の父親とは異なり、友達以上恋人未満で心のうちを明かせる同士に近く、微妙な距離感を保ったのがいい。
カレンとクリスの精神的な後押しもあって、十分な創造的破壊の後、ディヴスはようやく喪失を実感し、亡き妻のために彼なりの喪の仕事をすることで、人生を前に進めることが出来るのだ。
人間の弱さと、人を想う気持ちの切なさにそっと寄り添う、詩情豊かな佳作である。
突然の人生の転機に心が対応できず、傍目には狂気にも見える破壊衝動に突き動かされるディヴスを演じるジェイク・ギレンホールが相変わらず素晴らしい。
この穏やかだけど、どこかいっちゃってるキャラクターは、彼に合わせて当て書きされたようにピッタリだ。
癖のある俳優の魅力を巧みに引き出すジャン=マルク・ヴァレは、ハイレベルの安定が続く。
今年は「私に会うための1600キロ」のリース・ウィザースプーンと再タッグを組んだ「Big Little Lies」 、エイミー・アダムズ主演の「Sharp Objects」の2本のTVシリーズを手がけるようだが、こちらも楽しみだ。
今回は主人公夫婦がロング・アイランドに住んでいるので、この島の名を持つカクテル「ロング・アイランド・アイスティー」をチョイス。クラッシュド・アイスを入れたグラスに、ドライ・ジン15ml、ウォッカ15ml、ホワイト・ラム15ml、テキーラ15ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース15ml、コーラ適量を注ぎ、ステアする。
お好みでレモンスライスとチェリーを飾って完成。
やたら材料の種類が多いカクテルで、アイスティーと言いつつも紅茶は一切使われていない。
適度に甘口で飲みやすいが、ハードリカーの集合体なのでアルコール度数は高い。

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毎回作品のモチーフ選びがユニークな矢口史靖監督が、今回俎上に上げるのは突然電気が消滅してしまった世界。
全ての都市機能が止まった東京から脱出し、生きるために最果ての田舎を目指すとある一家の冒険を、半分シリアス半分コミカルに描いたサバイバルロードムービーだ。
本作はまた、お父さんは仕事中毒、子供達はスマホが命、お母さんは魚すら捌けない、典型的な現代日本の核家族が、もしも電気の無い世界へ放り込まれたらどうなるのか? というシミュレーションSFでもある。
3.11が垣間見せた、現代文明の源である電気使えない状況の更にその先では、いったい何が起こるのかという意味でも興味深い作品だ。
亭主関白なくせに頼りないお父さん役を小日向文世、お母さん役を深津絵里、息子と娘を泉澤祐希と葵わかながそれぞれ演じる。
※ラストに触れています。
東京のマンションで暮らす鈴木家は、経理の仕事をしてる父親の義之(小日向文世)、専業主婦の光恵(深津絵里)、大学生の賢司(泉澤祐希)、高校生の結衣(葵わかな)の四人家族。
当然のように便利な家電やネットツールに囲まれた生活を送っていたある日、原因不明の電気消失が起こり、あらゆる電化製品が使えなくなってしまう。
停電だけでなく、乾電池すら機能せず、何の情報も無いまま時間だけが過ぎ、東京は次第に荒廃してゆく。
水や食料も手に入り難くなり、少しずつ人々の姿が街から消えてゆく中、義之は家族を連れて光恵の実家がある鹿児島を目指すことを決意する。
なんとか人数分の自転車を手に入れ、一家は西を目指して出発するのだが、それはいつ終わるとも知れない苦難の旅の始まりだった・・・
突然、世界から電気が消える。
まあリアルにシミュレーションすれば、電気が消えた段階で世界中の全原発がメルトダウンして少なくとも北半球は壊滅。
もっと厳密に考えるなら、私たちの脳細胞も電気信号でやりとりしているワケで、その瞬間地球上の高等生物は全て死に絶えるはずなのだが、そこはあくまでも映画。
序盤は、3.11後の混乱を思わせる既視感のある展開。
ただ、コンセントだけでなく電池やバッテリーも使えない設定なので、テレビやラジオ、ネットも不通、自動車も動かないから一切の情報が入らないという点で、震災当時よりも不安感が強いシチュエーションだ。
しかもその状態のまま何日経っても復旧することはなく、物流が完全にストップした都市社会は徐々に崩壊してゆく。
物が届かないのだからハイパーインフレが起こり、次は貨幣が価値を失い、物々交換の原始的経済に逆戻り。
地域のコミュニティが、あくまで地元に留まって自分たちの街を守ろうという意見と、もはや街を捨てて脱出するしかないという意見で対立するのも、3.11で見た風景だ。
鈴木家が、まるで夜逃げするかのようにコソコソと出発するのが、いかにも世間体を重視する日本社会らしい。
もちろん、電気は無いよりもあった方がいいが、消えてしまって見えるものもある。
矢口監督の前作「WOOD JOB! 神去りなあなあ日常」は、都会の若者がど田舎の生活を通して、本当の人生に目覚めてゆく話だったが、本作はもっと極端な状況に都会人の鈴木一家を追い込み、丸裸にする。
家長としてのプライドだけは高く、現実には何も出来ない平凡な男であることを思い知らされる義之は、余裕しゃくしゃくで事態を楽しんでいる様な時任三郎と藤原紀香のサイクリスト一家と出会った時には、まだ見栄を捨てきれない。
しかしその後、幾つもの困難を超える頃には、ちょっと頼りないものの決断力のあるリーダーへと変貌している。
生魚すら触ることを嫌がっていた光恵や結衣、片思いの相手を物陰から見守ることしかできなかったヘタレの賢司も、生きるために動物の命を奪うことにもはや躊躇しない。
彼らは、生と死に直面する極限の旅を通して、時にぶつかり合いながらも次第に結束し、生物として覚醒してゆくのである。
典型的な日本の核家族を主人公として、一家四人でのサバイバルという設定が秀逸。
この映画を観る観客は誰であっても、四人それぞれのキャラクターに感情移入し、自分に置き換えて考えることができるだろう。
偶然だろうが、「この世界の片隅に」に似た描写が多いのも面白い。
戦争と電気消失と原因は異なるが、日常が非日常に塗り替えられてゆく中、最初は何も分からなかった主人公が、他人の助けによって野草の食し方や冷蔵庫の無い時の肉の保存法を学ぶシチュエーションは既視感がある。
電車が動かないので再登板した蒸気機関車に乗車中、トンネル内で煙る描写などもお約束だがほぼ同じ。
電気が戻って街にポツポツと明かりが灯るところも、戦後灯火管制が解かれて呉の街に明かりが広がってゆくシーンを思い出した。
また、どちらの映画も意図して人間を優しく描く。
もし現実に映画のように戦争や文明崩壊が起こったら、自分だけが生き残ろうとしたり、残された物資を力で抑えようとする利己的な人間も出てくるだろう。
しかし「この世界の片隅に」で主人公のすずさんは、戦争という形のない暴力に打ちのめされるものの、彼女の周りには悪意の人はいないし、この映画でも鈴木家は助けられこそすれ、誰かによって苦しめられることはないのである。
どこまで行けば、人間のコミュニティは完全に崩壊するのか。
純粋なシミュレーションと考えれば甘いのだろうが、困難な状況にあっても「人間はこうありたい」という希望のドラマを描くというスタンスならば、私はこれで良いと思う。
しかし後ろに座ってたおっさんが、終わった時にボソッと「東電のCM映画だな」と言ったのには「そういう受け取り方もあるのか」とびっくり。
なぜなら本作は電気文明の恩恵を描いた作品ではなく、電気があることで、普段気付くことが出来ないものを描く作品だからだ。
二年半の電気無し生活の末に、消えた時と同じように突然電気が戻った時、鈴木家の面々の喜ぶでもなく、悲しむでもなく、何とも言えない戸惑いの表情がとても印象的。
失って得たものがあることを知ってしまった以上、現代の消費文明は既に彼らにとって必ずしも100%の肯定すべきものではないのである。
だから、映画の中で一度滅びかけて再生された文明は、ほんの僅かでもベターな方向へ進んでいるはず。
たとえそれが希望的予測だとしても、人間はそうであって欲しい。
エンターテイメントとしてよく出来ているだけでなく、私たちの生き方に対して興味深い問いかけを含む力作である。
今回は鹿児島に到着したら飲みたい酒、鹿児島市に本拠を置く本坊酒造の地ウィスキー「マルス エクストラ」をチョイス。
1949年にブレンド販売を開始し、1960年に山梨にウィスキー蒸留所を開き自社生産に移行、現在では信州蒸留所と薩摩半島南端の津貫蒸溜所を持つ。
一升瓶入りがユニークなエクストラはCPの高いブレンデッドで、比較的ライトで甘みが強いのが特徴。
個人的にはライバルのトリスなどと同じく、ハイボールで飲むのが一番のオススメ。

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南北戦争下のミシシッピ州、ジョーンズ郡。
戦死した甥の遺体を母親に届けるために南軍を脱走し、やがて沼地の奥に脱走兵と逃亡奴隷のサンクチュアリを作った男の物語。
更に彼は貧しい農民たちと手を組んで、収穫物を徴用しようとするアメリカ連合国(南部連合)の命令を拒否。
当然南軍は討伐のために騎兵隊を送り込んでくるのだが、地の利を生かして返り討ちにするばかりか、“ジョーンズ自由州”という半独立国を作り上げてしまう。
なんだか「地獄の黙示録」のカーツ大佐みたいな設定だけど、主人公のニュートン・ナイトは実在の人物だ。
もっとも、この人に関しての記録は虚実が入り乱れて半分神話化しており、どこまでが真実なのかは謎の部分が多く、史実をモチーフにした寓話と見るべきだろう。
異端の白人が迫害された黒人たちを率いるという物語は、一見すると白人の救世主が苦境にある有色人種を解放する、典型的な“White Savior話型”の様にも見える。
しかし、脚本も手掛けるゲイリー・ロス監督は、この人物をもう少し複雑に造形する。
ナイトは逃亡奴隷の庇護者というわけではなく、自らも脱走兵であり、貧しい農民であり、南部連合という国家権力によって搾取される存在。
本来奴隷制度を必要としているのは、広大な農園を持つ金持ちだけであって、僅かな土地を耕す大多数の農民たちにとっては、関係のない戦争に駆り出され命を落とすという理不尽さに対する憤りが原点にある。
誰かに支配される人生ではなく、自由に尊厳を持って生きたいという共通の目標に向かって、逃亡奴隷や農民たちと共闘するうちに、ナイトは白人とか黒人とかの人種を超えた「金持ちに虐げられた土着の農民」という一つの“民族集団”を作り上げるのだ。
だからこの物語の核心は、南北戦争の終わりと同時に彼らが共通の目標を失って、民族集団として瓦解してゆく終盤にある。
終戦は終わりでなく、別種の苦難の始まりにすぎない。
奴隷解放によって生まれた新たな葛藤は、戦争中の様に激しく表に出ない分、弱き者により過酷にのしかかる。
戦争によって一時的に追放されていた既得権層の復活と抵抗、差別感情が地下に潜ったことによるKKKの勃興、巧妙に制度化される人種差別。
映画は1862年から1877年までのニュートン・ナイトの半生と、85年後に彼の子孫の身に起こったある出来事を平行に描く。
歴史の中の二つの点は、映画の物語によって一つの時間軸で結ばれ、一世紀に及ぶ合衆国の長い、長い闘争の歴史を紐解くのである。
しかし貧しい白人たちが反乱を起こし、一旦は勝利したかに見えるが、政治家の二枚舌によってハシゴを外されるってどこかで聞いた話だ。
対立の構図は大きく異なるものの、ニュートン・ナイトの葛藤はいまだ現在進行形。
かなり変則的な筋立てのバランスは良いとは言えないが、アメリカ史を考える上でユニークな視点をくれる力作である。
今回はナイトが生きた時代、1874年にミシシッピ川河口のニューオーリンズのバーテンダー、マーティン・W・ヘロンによって考案されたリキュール「サザンカンフォート」をチョイス。
中性スピリッツに、ピーチをはじめとした数種のフルーツ、ハーブのエキスを加えて作られる。
スカーレット・オハラやシシリアン・キッスなどのカクテルのベースとしても有名だが、ここはシンプルにライムトニック割りで。
トニックウォーターのほろ苦さとライムの酸味が、サザンカンフォートの優しい味わいを引き立ててくれる。
ちなみにナイトの物語は、1948年にも「砂塵」で知られるジョージ・マーシャル監督によって「Tap Roots」として映画化されている。
日本未公開だが、相当に脚色されていて、70年後の本作と観比べると面白い。

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異才ティム・バートン監督の最新作は、特殊能力を持った子どもたちが暮らす屋敷を訪れた孤独な少年が、迫り来る超常の危機に直面し、自らの宿命に立ち向かう物語。
すっかり成長したエイサ・バターフィールドが、主人公のジェイクを好演。
子どもたちの守り手である屋敷の主人、ミス・ペレグリンをエヴァ・グリーンが演じる。
原作は短編映画作家でもあるランサム・リグズが、収集していた古い写真などの遺物から着想したというファンタジー小説「ハヤブサが守る家」だが、設定にはなんとなく既視感が。
そう、「X-MEN」シリーズに出てくる、外の世界では偏見と迫害にさらされるミュータントたちのサンクチュアリ“恵まれし子らの学園”的物語を、バートン流に作るとこうなるのだろう。
※核心部分に触れています。
現在のフロリダに住む孤独な少年ジェイク(エイサ・バターフィールド)は、唯一の理解者だった祖父のエイブ(テレンス・スタンプ)が怪物に殺されるのを目撃。
エイブの残した言葉に従って、彼の思い出の地であるウェールズのケルン島を訪れ、永遠にループする24時間の時空に隠された、奇妙な屋敷を見つける。
そこはハヤブサに変身することが出来るミス・ペレグリン(エヴァ・グリーン)を守護者に、空中浮遊出来る少女や、透明人間の男の子、常に袋を被った双子に、無機物に命を吹き込むことのできる少年、後頭部に鋭い歯を持つもう一つの口がある女の子ら、奇妙な子どもたちが暮らす秘密境。
ここの時間は1943年の9月3日を永遠に繰り返すことで、外の世界から守られているのだが、子どもたちの目を食べようとする怪物”ホローガスト”を率いる、バロン(サミュエル・L・ジャクソン)という男に狙われている。
エイブは少年時代をここで過ごし、やがてホローガストと戦うために、ループを出て行ったという。
実は、普通の人間は時のループを通ることができず、ジェイクもまた自分がエイブから受け継いたある特殊な能力を持った”奇妙な子ども”であることを知る・・・・
ここしばらく原点回帰路線が続いているバートン作品だが、本作もその傾向が強い。
ホラ吹き爺さんの話を追っていったらホントだった!というのは、私的バートンのベスト「ビッグ・フィッシュ」を思わせるし、「シザーハンズ」や「フランケンウィニー」と同じく、一般社会では生きられない優しき異形の者たちへの愛が溢れ出す。
「トイ・ストーリー」のシドが作っていた様な、命を吹き込まれた不気味なオモチャのコマ撮りバトルやら、クライマックスにワラワラと現れるガイコツ兵士など、ハリーハウゼンへの熱いリスペクトを含め、バートンの好きなもの全部入り、大人気ない大人の夢のオモチャ箱といった映画だ。
因みにガイコツ兵士は原作には登場しないのだが、どうしても出したくなって加えてしまったらしい(笑
ミス・ペレグリンの能力によって、24時間の無限ループの中で生きる奇妙な子どもたちを、彼らを狙う悪漢と怪物から守る筋立てに、ジェイクが自分の居場所を見つける成長物語を組み合わせる骨子はシンプル。
だがこれは時間SFの要素もあるので、ディテールは少しややこしい。
設定では、世界のあちこちに時間ループに隠された秘密境が存在していて、それぞれの場所の時間はループが作られた時代に留め置かれる。
ジェイクの生きている基本の時代設定は2016年だが、ミス・ペレグリンの屋敷のループは1943年作られたので、永遠に1943年のまま。
もし何らかの事態が起こりループが閉じると、その時点から時が動き出す。
逆に過去の時代から、未来のループに入ることもできるのだけど、その場合子どもたちは“時間に追いつかれて”年老いてしまうので、未来に留まれるのは僅かな時間のみなのだ。
物語の終盤は、動き出した1943年と2016年に作られたループを行ったり来たりするので、「え―と、いまはどっちの時代の時空?」とちょっと混乱する。
もっとも、パラドックスの部分はかなり強引だけど、世界観がリアルなSFというよりもファンタジーよりなのでそれほど気にはならない。
クライマックスのミス・ペレグリンの救出劇プラス、悪漢バロンとホローガストとの戦いのシークエンスは、それぞれの持つ能力もちゃんと生かされている。
双子の一発芸には笑ったが、彼らが一般社会で暮らせない理由である“不自由な能力”が“自由をもたらす武器”となる展開は胸のすくようだ。
しかしこの映画は、単にバートン好みのフリークスたちが、アドベンチャーを繰り広げるだけの映画ではない。
本作のファンタジー設定の裏側には、巧妙に戦争と迫害にまつわる暗喩が隠されているのである。
物語の発端となるエイブが、ナチスに占領されたポーランドから逃げて、ウェールズにやって来たユダヤ人という設定がキーだ。
記憶に新しいドキュメンタリー映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」で描かれていたように、英国はヨーロッパ大陸で迫害されていたユダヤ人の子どもたちを難民として受け入れていた。
おそらく、エイブもまた英国に逃れることができた、幸運なユダヤの子だったのだろう。
エイブはエイブラハムの短縮形で、旧約聖書でユダヤ人の祖とされるアブラハムの英語読み。
ジェイクも聖書の登場人物でアブラハムの孫、ヤコブの英語読み短縮形だ。
ここまで揃えば、エイブとジェイクにしか見えない怪物ホローガストが、具現化された"ホロコースト”であることは明らかだろう。
つまりエイブとジェイクは全てのユダヤ人の象徴であり、迫害される子どもたちのための隠れ家であるミス・ペレグリンの屋敷の物語は、第二次世界大戦中にユダヤ人の子どもたちを襲った出来ごとの映画的再現であり、メタファーなのである。
ユダヤの教義では、汚れた生き物とされるハヤブサが、子どもたちの守り手であることも、出自に対する不寛容の否定と考えると納得だ。
ちょっとダークなファンタジーを通して、歴史上の悲劇を反転させ、多様性と寛容を語る試みは成功していると思う。
ひとつ引っかかるのは、ケルン島のループの年代設定。
劇中で屋敷に爆弾が落ちるのは1943年の9月3日の夜中。
しかし、この時期にはもうドイツ軍の襲撃はかなり散発的になっていたはずで、東海岸や内陸ならいざ知らず、映画のように何の戦略目標も無さそうなウェールズの西の果ての離島くんだりまで来ることはありえないのではないか?と思って調べてみると原作でループが作られるのは1940年の9月3日じゃないか。
これなら、英国本土上陸を狙ったドイツが英国を猛爆撃したバトル・オブ・ブリテンの真最中だから、まだ可能性がある。
ならばなぜ考証を崩してまで3年も時期をずらしたのか、何か理由があるはずなのだけど、少なくとも映画を観ただけではよくわかない。
何かにまつわる日だとしても、なにしろ戦争中で毎日何かしら起こっているし、この日の最大の事件たる連合軍のイタリア本土侵攻は、映画の内容とはあまり関係ない。
唯一思い至ったのは、ジェイクが1943年に戻るための旅路の途中、1942年に海軍に入ったというエピソードとの整合性を取るためだけど、タイムパラドックスを重視した脚色とは思えないので、その可能性も薄そうだ。
「1943年9月3日」は、とりあえずバートンからの謎かけとして頭の隅に置いておこう。
今回はダーク・ブルーの衣装を纏ったミス・ペレグリンのイメージで、「ブルー・レディ」をチョイス。
ブルー・キュラソー30ml、ドライ・ジン15ml、レモン・ジュース15ml、卵白適量を強くシェイクしてグラスに注ぐ。
卵白の細かい泡が、口当たりをとても柔らかくしている。
ブルー・キュラソーのオレンジ風味とジンの清涼感のマッチングもよく、フルーティで優しい味わいのカクテルだ。
ところで、爆弾が落ちる瞬間に時間を巻き戻し、永遠の無限ループを生きるという設定は萩尾望都の傑作短編「金曜の夜の集会」と同じ。
何度も繰り返すうちに、少しずつ変化が起こるのもよく似ている。
まあ、あっちは1年でこっちは1日だけだし、偶然なんだろうけど。

![]() ボルス ブルー 21度 700ml あす楽 |


いやコレは面白い!
事故で両手の自由を失った外科医スティーヴン・ストレンジが、わらをも掴む想いで、魔術の世界に足を踏み入れる。
そこで、この世界を狙う異次元“ダークディメンション”の力に魅せられた、闇の魔術師たちと戦うことになるのである。
まるでハリポタとジェダイが合体したような世界観で、闇の力を使うとダークサイドに堕ちるあたりもそれっぽい。
しかし全体としては、ちゃんとMCUの一編として違和感なく落ち着くのだから、ディズニーのクオリティ・コントロールは鉄壁だ。
どちらかと言えばホラー畑の印象が強いスコット・デリクソン監督は、意外にもかなりコミカルにこの作品を仕上げている。
原作シリーズは未読だが、物語的にはそれほど新味は無い。
というか映画版の基本要素は、同じMCUの「アイアンマン」の焼き直しだ。
天才で金持ちの傲慢な男が肉体的な挫折を味わい、失った機能を取り戻すために未知の領域に足を踏み入れる。
テクノロジーオタクのトニー・スタークの場合は超科学で、人体を扱う仕事をしていたストレンジの場合は、人間の可能性の中に眠る魔術というワケ。
更にパワードスーツの代わりに、相棒となる“浮遊マント”の存在もある。
「アイアンマン」との一番の違いは、ジェダイ的メンターとしてのティルダ・スウィントンの存在があるから、師匠のおかげでスタークよりは性格が矯正されること(笑
例によってプロットは良い意味である程度大味で、ド素人のストレンジもそれほど苦労せずに魔術をマスターしちゃったりするのだけど、スピーディーな展開は見せ場の釣瓶打ちで飽きさせない。
この映画の最大の魅力は、様々な魔術の映表現の予想を超えた未見性にある。
魔術使いは、肉体と魂を分離した“アストラル体”となったり、現実世界を模した“ミラー次元”を出現させたり、さまざまな超常の力を持つのだが、特にこのミラー次元の描写が凄い。
都市が折れ曲がる描写は「インセプション」にもあったが、こっちではねじれたり、切れたり、合体したり、変形したり、まるで目まぐるしく姿を変える3次元の万華鏡の様な、驚くべき世界が目の前に出現する。
この幾何学的な魅惑の映像を味わうには是非とも3Dで、出来ればIMAXや4DXがおススメだ。
そして、ストレンジがダークディメンションの侵攻を止めるためにとる方法が、究極的な自己犠牲であることも、“ミスター”ではなく、あくまでも“ドクター”と呼ばれることに拘り、他のヒーローと違って敵の命を奪うことにジレンマを感じる、ストレンジの個性を際立たせる。
主演のベネディクト・カンバーバッチは、このユニークなヒーローのキャラに見事なハマりっぷりで、これからソーと共にMCUファンタジーセクションの両輪として活躍してくれるに違いない。
二人の共演がアナウンスされている「ソー/ラグナログ」が今から楽しみだ。
一連のMCU作品の中でも、かなり上位に位置する快作である。
今回は観た人には分かる理由でビール。
ストレンジはニューヨークの人なので「ブルックリン・ラガー」にしよう。
禁酒法以前の、ドイツ系醸造所で作られていたウィンナースタイルをイメージしたビールは、比較的ドライでしっかりとしたコクもある。
フルーティな香りはいかにもアメリカ人好みだ。
のんべえとしては、あの魔術だけでいいからマスターしたい(笑

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元CIA職員のエドワード・スノーデンが、国家権力による大量監視の実態を暴露した、所謂スノーデン事件の顛末を、一貫して反権力の立場で創作活動してきたオリバー・ストーン監督が映画化。
3.11以降、テロとの戦いを名目に、この世界がいかに変貌してしまったのか。
今や現実社会を動かす“エンジン”である目に見えないもう一つの世界、サイバーワールドで何が起こっているのかを描く、骨太の実録スパイサスペンス映画。
ここしばらくはパワーダウンが目立っていた、近年のオリバー・ストーン作品では断トツのベストだ。
トランプの時代を迎えた今、真っ先に観るべき作品である。
※核心部分に触れています。
2005年、怪我で軍人の道を立たれた一人の男が、CIAの門を叩く。
男の名はエドワード・スノーデン(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)。
サイバーセキュリティ技術のスペシャリストであった彼は、瞬く間に重要なポジションに付くが、そこで政府が非合法に全世界の人々の個人情報を収集・監視している実態を知ってしまう。
スノーデンは自らの信条に反する仕事に悩みながらも、諜報の世界で生きてゆくのだが、ある出来事から自分の属している組織に不審を抱き、遂に袂を分かつことを決意する。
ドキュメンタリー作家のローラ・ポイトラス(メリッサ・レオ)と接触したスノーデンは、香港で独占インタビューに応じる。
彼はカメラの前でCIAやNSAといった諜報機関が、非合法に全世界を監視してきた実態を始めて告発。
その衝撃は全世界的な反響を巻き起こし、アメリカ政府から反逆者として手配されたスノーデンはCIAの手が回る前に、香港からの脱出を図るのだが・・・
まさに事実は小説よりも奇なり。
本作は、昨年日本公開されたドキュメンタリー映画「シチズンフォー スノーデンの暴露」の監督であるローラ・ポイトラスと、盟友でジャーナリストのグレン・グリーンウォルドが、香港のショッピングモールでスノーデンと接触するところから始まる。
そして、愛国者の青年がCIAへ入り、徐々に仕事の内容と彼自身の信条との乖離に葛藤を募らせながら諜報のプロとして生きてゆく歳月と、香港のホテルで秘密裏に行われたインタビューの撮影が並行に描かれてゆく。
この時のインタビューでスノーデンが暴露した内容が全世界に報道され、後にポイトラスによって映画として纏められ「シチズンフォー」となるのだが、本作はドキュメンタリー映画と表裏の構造を持つ作品で、両方を鑑賞すると相互補完になっていてより面白い。
歯止めなき政府の監視活動に疑問を持ったスノーデンが、反逆者となることを覚悟の上で、カメラの前で語るのはドキュメンタリーと同じ。
だが、劇映画である本作が描くのは、暴露した内容そのものより、なぜ国に尽くしたいと思っていた彼が、人生を棒に振ってまで危険な告発に至ったのかという変化のプロセスだ。
愛国者であることと、国家のやることを全て黙認することは違う。
特にスノーデンは、基本的に国家が個人に鑑賞することを嫌う、リバタリアン思想の持ち主である。
人民を守るために国家に奉仕することを目標としてきた青年は、仕事についてすぐに諜報機関の実態が彼の理想とするものでないことに気付いてしまう。
サイバーワールドの情報の海の中から、一人の人物を監視対象とすると、自動的にその人物が接触した相手も監視対象となり、その数は鼠算式に増えてゆく。
テロとの戦いを名目に、無害な数百万もの人々が、何も知らないうちに情報を丸ごと国家によって抜き取られることになってしまうのだ。。
「自分のしている仕事は、本当に人々を守ることに繋がっているのだろうか?」
そんな疑問を抱き、彼よりさらにリベラルな恋人リンゼイの影響も受けつつも、彼は何年ものあいだCIAやNSAといった諜報機関の中枢を渡り歩く。
だが、自分が本来バックアップ用に作ったシステムが、いつの間にか監視用に使われているなど、葛藤は深まるばかり。
そして遂に、自分だけでなくリンゼイまでもがCIAに監視されていることを知り、彼は国家権力の志向するものの正体に気付くのである。
告発に至るスノーデンの心境は、「キャプテン・アメリカ/ウインター・ソルジャー」のキャプテンとほぼ同じだろう。
特殊なアルゴリズムを用いたプログラムを使い、テロ思想の持ち主などを事前に察知し、彼らが行動を起こす前に排除する計画を進めているS.H.I.E.L.Dに対し、キャプテンは「それは正義でなく恐怖による支配だ」と反発し、反旗を翻す。
キャプテンは、合衆国憲法修正第二条の「A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed. (規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。)」の本来の理念に従って、人民に害をなす権力と対決する決意を固めるのである。
スノーデンもキャプテンと同じように、諜報機関が人民を守るのではなく、敵視していると考えた非武装の民兵だ。
奉仕すべきは人民であって、権力の装置としての国家ではない。
自らの良心の声に従ったスノーデンは、本来奉仕するはずだった人民に対する背信から抜け出したのである。
オリバー・ストーンは、ズブズブと諜報の世界の泥沼にはまりながら、心の奥底で抗おうとするスノーデンの変化を丁寧に描き出す。
勤務していたハワイの基地から、機密情報を盗み出したスノーデンが脱出するシーンは、ストーンが初のオスカー(脚色賞)を得た「ミッドナイト・エクスプレス」へのセルフオマージュの様。
70年代の政情不安で抑圧的なトルコと、現在のアメリカは重なるということか。
スノーデンの暴露によって、私たちはそれまで半分都市伝説のように囁かれていたエシュロンやらプリズムやらの監視システムが、すべて事実であることを知ってしまった。
この世界は目に見えないサイバーワールドを通して、いつの間にかビッグブラザーの支配する世界、SF映画も真っ青のディストピアになりつつある。
日本での活動のくだりなど、全く人ごとでは無い話で、アメリカという国の底知れぬ周到さはまことに恐ろしい。
映画のラストでは、もはやアメリカには帰れないスノーデン本人が登場し、フィクションとリアルが入れ替わる。
作中でスノーデンが「このままだと起こり得る未来」について語った言葉が、そのままトランプ政権誕生への予言となっているのが怖い。
矢継ぎ早にムチャクチャな大統領令を連発するトランプ政権は、今後外国人入国者にインターネットの閲覧履歴や携帯の連絡先を開示させることも検討しているという。
スノーデン事件は終わっていない。
むしろ、彼がすべての人々に投げかけた問は、これからもっと深い意味を持ってくるだろう。
今回はスノーデンが亡命生活を送る「モスクワのラバ」という意味を持つ、「モスコー・ミュール」をチョイス。
ラバに蹴飛ばされるほど効く酒ということ。
ウォッカ45ml、ライム・ジュース15ml、ジンジャー・エール適量を氷を入れたグラスに注ぎ、軽くステアする。
シチュエーションを選ばない飲みやすいカクテルだが、度数は高い。
ラバ並みかどうかはともかく、効いてくることは確かだ。

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映画の発明者として知られるリュミエール兄弟が残した作品の中に、二人の芸人がアクロバティックな芸を披露している物がある。
この映画に登場しているのが、本作の主人公であるショコラとフティットだ。
2人は19世紀が終わる頃、フランスの小さなサーカスで出会う。
道化師として限界を感じていたフティットは、「アフリカから来た危険な野蛮人」を持ち芸としていたショコラをスカウトし、コンビを結成。
まだフランス本土にアフリカ人が珍しかった時代、異色の二人組は大人気となり、やがてパリの一流サーカスに引き抜かれ大ブレイク。
道化師の芸というよりも、今でいう体を張ったコントの様なスタイルの彼らのステージは新鮮な笑いを誘い、パリ中に知らない人がいないほどの大スターとなるのである。
しかし成り上がり者のお約束。
一発当てたショコラは、浪費と遊びに走り、過去の失敗を知るフティットは、そんな彼を諫めるも耳を貸さず。
彼等の転機は、身分証を持たないショコラが、警察に逮捕された時。
冷たい牢獄に留め置かれたショコラは、どんなに人気者になっても、自分はフランス社会ではよそ者に過ぎないことを思い知らされるのだ。
彼は次第に「白人に蹴飛ばされる愚者の黒人」という自分のキャラクターを疑問に感じるようになり、現実に抗うように酒とギャンブルに逃げこむ。
そんなショコラを、フティットは支え続けるものの、二人の間は次第にギクシャクし、遂にコンビは解消を迎えてしまうのである。
宵越しの金は持たず、来るもの拒まずのプレイボーイ、絵に描いた様な芸人体質のショコラと、ストイックなお笑いバカのフティットの、対照的なキャラクターが良いコントラスト。
お笑いというものは、基本的に他者への攻撃性を内包していて、今でもステロタイプを前提とした差別ギリギリのコントがあるし、いわゆるいじり芸なんて、芸人同士の関係を知らない人が見るといじめじゃないの?と思うものも多い。
2人の芸も、基本的に白人が抱く黒人へのステロタイプを元にしているのだが、それが知らず知らずのうちにショコラに屈辱を与えていることに、フティットは気づかない。
ショコラが成功に浮かれているうちは良かったが、彼が金銭的な成功以上の社会的な承認欲求に目覚めてしまうと二人の関係は崩れてしまう。
フティットと別れたショコラが俳優への転向を模索するも、同じ舞台人とは言っても当然ながら芸人と俳優に求められるスキルは異なり、結局のところ客寄せパンダ。
全力を出し切っても承認されない現実は、見てるこっちも心が痛くなる。
一方のフティットも、ショコラがいなくては、嘗ての様な人気者の地位を保てない。
ショコラとフティットは、自分たちが一心同体であり、二人そろって初めて一つの芸術であったことを、お互いを失って初めて気づく。
軽妙に展開する二人のアーティストのユーモラスな物語は、やがてチャップリンの悲喜劇の様な、ビターな味わいと共に静かに幕を閉じる。
チャップリンの数ある名言の中に「To truly laugh, you must be able to take your pain, and play with it!.(あなたが本当に笑うためには、あなたの痛みを取って、それで遊べるようにならなければなりません。)」という印象的な言葉がある。
ショコラの痛みを取り、遊べるようになるのには、時代が少し早すぎたのかもしれない。
そういえば本作のロシュディ・ゼム監督は「チャップリンからの贈りもの」で喜劇王の遺体を盗み出す、マヌケな泥棒を演じていたっけ。
ビターな物語の後には甘いお酒を。
今回は主人公にちなんで「ゴディバ チョコレート・リキュール」をチョイス。
そのままだとかなり甘いので、氷で満たしたグラスに注いで、オンザロックで飲みたい。
チョコレートの味がしっかりしているので、カクテルにして色々組み合わせても面白いお酒だ。

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