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サバイバルファミリー・・・・・評価額1700円
2017年02月19日 (日) | 編集 |
世界から“電気”が消えたなら。

毎回作品のモチーフ選びがユニークな矢口史靖監督が、今回俎上に上げるのは突然電気が消滅してしまった世界
全ての都市機能が止まった東京から脱出し、生きるために最果ての田舎を目指すとある一家の冒険を、半分シリアス半分コミカルに描いたサバイバルロードムービーだ。
本作はまた、お父さんは仕事中毒、子供達はスマホが命、お母さんは魚すら捌けない、典型的な現代日本の核家族が、もしも電気の無い世界へ放り込まれたらどうなるのか? というシミュレーションSFでもある。
3.11が垣間見せた、現代文明の源である電気使えない状況の更にその先では、いったい何が起こるのかという意味でも興味深い作品だ。
亭主関白なくせに頼りないお父さん役を小日向文世、お母さん役を深津絵里、息子と娘を泉澤祐希と葵わかながそれぞれ演じる。
※ラストに触れています。

東京のマンションで暮らす鈴木家は、経理の仕事をしてる父親の義之(小日向文世)、専業主婦の光恵(深津絵里)、大学生の賢司(泉澤祐希)、高校生の結衣(葵わかな)の四人家族。
当然のように便利な家電やネットツールに囲まれた生活を送っていたある日、原因不明の電気消失が起こり、あらゆる電化製品が使えなくなってしまう。
停電だけでなく、乾電池すら機能せず、何の情報も無いまま時間だけが過ぎ、東京は次第に荒廃してゆく。
水や食料も手に入り難くなり、少しずつ人々の姿が街から消えてゆく中、義之は家族を連れて光恵の実家がある鹿児島を目指すことを決意する。
なんとか人数分の自転車を手に入れ、一家は西を目指して出発するのだが、それはいつ終わるとも知れない苦難の旅の始まりだった・・・



突然、世界から電気が消える。
まあリアルにシミュレーションすれば、電気が消えた段階で世界中の全原発がメルトダウンして少なくとも北半球は壊滅。
もっと厳密に考えるなら、私たちの脳細胞も電気信号でやりとりしているワケで、その瞬間地球上の高等生物は全て死に絶えるはずなのだが、そこはあくまでも映画。

序盤は、3.11後の混乱を思わせる既視感のある展開。
ただ、コンセントだけでなく電池やバッテリーも使えない設定なので、テレビやラジオ、ネットも不通、自動車も動かないから一切の情報が入らないという点で、震災当時よりも不安感が強いシチュエーションだ。

しかもその状態のまま何日経っても復旧することはなく、物流が完全にストップした都市社会は徐々に崩壊してゆく。
物が届かないのだからハイパーインフレが起こり、次は貨幣が価値を失い、物々交換の原始的経済に逆戻り。
地域のコミュニティが、あくまで地元に留まって自分たちの街を守ろうという意見と、もはや街を捨てて脱出するしかないという意見で対立するのも、3.11で見た風景だ。
鈴木家が、まるで夜逃げするかのようにコソコソと出発するのが、いかにも世間体を重視する日本社会らしい。


もちろん、電気は無いよりもあった方がいいが、消えてしまって見えるものもある。

矢口監督の前作「WOOD JOB! 神去りなあなあ日常」は、都会の若者がど田舎の生活を通して、本当の人生に目覚めてゆく話だったが、本作はもっと極端な状況に都会人の鈴木一家を追い込み、丸裸にする。
家長としてのプライドだけは高く、現実には何も出来ない平凡な男であることを思い知らされる義之は、余裕しゃくしゃくで事態を楽しんでいる様な時任三郎と藤原紀香のサイクリスト一家と出会った時には、まだ見栄を捨てきれない。
しかしその後、幾つもの困難を超える頃には、ちょっと頼りないものの決断力のあるリーダーへと変貌している。
生魚すら触ることを嫌がっていた光恵や結衣、片思いの相手を物陰から見守ることしかできなかったヘタレの賢司も、生きるために動物の命を奪うことにもはや躊躇しない。
彼らは、生と死に直面する極限の旅を通して、時にぶつかり合いながらも次第に結束し、生物として覚醒してゆくのである。

典型的な日本の核家族を主人公として、一家四人でのサバイバルという設定が秀逸。

この映画を観る観客は誰であっても、四人それぞれのキャラクターに感情移入し、自分に置き換えて考えることができるだろう。


偶然だろうが、「この世界の片隅に」に似た描写が多いのも面白い。
戦争と電気消失と原因は異なるが、日常が非日常に塗り替えられてゆく中、最初は何も分からなかった主人公が、他人の助けによって野草の食し方や冷蔵庫の無い時の肉の保存法を学ぶシチュエーションは既視感がある。
電車が動かないので再登板した蒸気機関車に乗車中、トンネル内で煙る描写などもお約束だがほぼ同じ。
電気が戻って街にポツポツと明かりが灯るところも、戦後灯火管制が解かれて呉の街に明かりが広がってゆくシーンを思い出した。
また、どちらの映画も意図して人間を優しく描く
もし現実に映画のように戦争や文明崩壊が起こったら、自分だけが生き残ろうとしたり、残された物資を力で抑えようとする利己的な人間も出てくるだろう。
しかし「この世界の片隅に」で主人公のすずさんは、戦争という形のない暴力に打ちのめされるものの、彼女の周りには悪意の人はいないし、この映画でも鈴木家は助けられこそすれ、誰かによって苦しめられることはないのである。
どこまで行けば、人間のコミュニティは完全に崩壊するのか。
純粋なシミュレーションと考えれば甘いのだろうが、困難な状況にあっても「人間はこうありたい」という希望のドラマを描くというスタンスならば、私はこれで良いと思う。


しかし後ろに座ってたおっさんが、終わった時にボソッと「東電のCM映画だな」と言ったのには「そういう受け取り方もあるのか」とびっくり。

なぜなら本作は電気文明の恩恵を描いた作品ではなく、電気があることで、普段気付くことが出来ないものを描く作品だからだ。
二年半の電気無し生活の末に、消えた時と同じように突然電気が戻った時、鈴木家の面々の喜ぶでもなく、悲しむでもなく、何とも言えない戸惑いの表情がとても印象的。
失って得たものがあることを知ってしまった以上、現代の消費文明は既に彼らにとって必ずしも100%の肯定すべきものではないのである。
だから、映画の中で一度滅びかけて再生された文明は、ほんの僅かでもベターな方向へ進んでいるはず。
たとえそれが希望的予測だとしても、人間はそうであって欲しい。
エンターテイメントとしてよく出来ているだけでなく、私たちの生き方に対して興味深い問いかけを含む力作である。

今回は鹿児島に到着したら飲みたい酒、鹿児島市に本拠を置く本坊酒造の地ウィスキー「マルス エクストラ」をチョイス。
1949年にブレンド販売を開始し、1960年に山梨にウィスキー蒸留所を開き自社生産に移行、現在では信州蒸留所と薩摩半島南端の津貫蒸溜所を持つ。
一升瓶入りがユニークなエクストラはCPの高いブレンデッドで、比較的ライトで甘みが強いのが特徴。
個人的にはライバルのトリスなどと同じく、ハイボールで飲むのが一番のオススメ。

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