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2017年03月15日 (水) | 編集 |
なぜ海は、彼女を選んだのか?
ディズニーの第二黄金時代を代表する「リトル・マーメイド」「アラジン」から「プリンセスと魔法のキス」に至る、手描きアニメーション時代の多くの名作を手がけたレジェンド、ロン・クレメンツとジョン・マスカー監督の最新作。
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオによる56作目の長編映画である。
前作の「アナと雪の女王」の雪と氷の世界とは対照的に、本作の舞台となるのはどこまでも広がる常夏の海。
南太平洋の島々に伝わる伝説をモチーフに、全能の女神テ・フィティの奪われた心を返すために、海に選ばれた16歳の少女・モアナの冒険を描くファンタジーアドベンチャー大作だ。
モアナ役には、ハワイ先住民の血をひくアウリィ・クラヴァーリョが抜擢され、演技だけでなく天性の歌唱力でも魅せる。
彼女の旅の仲間となる、タトゥーだらけの半神マウイには、ドウェイン・ジョンソン。
ミュージカル・アニメーションとしても聞き応え十分で、春休みにぴったりの娯楽大作だ。
※核心部分に触れています。
平和な島の族長の娘・モアナ(アウリィ・クラヴァーリョ)は、幼少期のある出来事により海との絆で結ばれた少女。
彼女が16歳になった時、島では突然魚が獲れなくなり、ヤシの実にも病気が蔓延。
実は遠い昔、世界の命の源である女神テ・フィティの心の石が半神マウイ(ドウェイン・ジョンソン)によって盗まれ、マウイは逃走の途中に悪魔テ・カァの襲撃に遭い、心の石をなくしてしまう。
以来、少しずつ海は闇の力に蝕まれ、千年の時を経てモアナの島にも影響が及んだのだ。
海によってテ・フィティの心を返す者として選ばれたモアナは、サンゴ礁を超えてはいけないという島の掟を破り、一人大洋に船を乗り入れる。
テフィティの居場所を知るマウイを探すモアナは、流れ着いた島でマウイと出会う。
マウイは、嘗てテ・カァと戦った時に無くした、どんなものにも変身できる魔法の釣り針を取り戻したら、テ・フィティの元へ連れて行ってくれるというのだが・・・
いや〜楽しかった。
カテゴリ的にはディズニー・プリンセスものの最新作となるのだろうが、ここまで思い切った作りにするとは意外。
まあ「アナと雪の女王」でも”真実の愛”は姉妹愛だったし、アナとクリストフのロマンス未満の関係はあるものの、完全にサブエピソード扱いだった。
ところが今回は、遂に恋愛要素すらプロットから完全に消え去り、歴代のディズニー・ピクサーの女性主人公の作品でも、最も冒険アクション色が強い。
本作の印象を簡単に言えば、明るく楽しいディズニー的世界観の中で、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」をやり、ジブリアニメのスパイスを効かせたと言う感じだろう。
ジョージ・ミラーと宮崎駿への愛は、クレメンツとマスカー両監督も公言している。
特に「怒りのデス・ロード」に関しては、前半に分かりやすいオマージュシークエンスがある。
マウイが幽閉されていた島から脱出した二人が、ココナッツの海賊団に襲われるのだけど、ドラムをドンドコ打ち鳴らしながら追ってくるこいつらが、完全にイモータン・ジョーとウォーボーイズなのだ(笑
ディテールだけでなく、モアナをフュリオサ大隊長に、巻き込まれて最初はイヤイヤ彼女を助けることになるマウイをマックスに置き換えると、全体の構造もある程度似ていることがわかわる。
もっとも、クレメンスとマスカーは2011年には歴史学者や言語学者などのスペシャリストと共にポリネシアを訪れ、綿密な考証のもとにストーリー作りを始めていて、時期的に考えると構造的な相似は偶然で、制作途中に「怒りのデス・ロード」にインスパイアを受けて、オマージュ描写を加えたのだろう。
全ての命の源、世界が始まった場所を目指す壮大な貴種流離譚のテーマは、「私は本当は何者か」ということである。
これは、ここしばらくのディズニー映画のヒロインに共通するもので、本作の両監督の前作「プリンセスと魔法のキス」もそう。
あの映画の主人公・ティアナは自分のレストランを開くという夢に邁進している反面、それ以外の生きる楽しみをすっかり忘れてしまっている。
それが魔法でにカエルにされた王子と出会い、うっかり自らもカエルになってしまったことで、人間に戻るための旅を通して、人生で本当に大切なことに向き合い、成長してゆく。
ティアナよりも少し若いモアナの場合、島の族長の娘として生まれ、いつか島を統べる仕事を父親から受け継ぐことを、生まれながらに運命付けられている。
一族が代々になってきた役割の大切さは重々承知しているものの、島の外に広がる海への憧れには抗しがたい。
その衝動が島に定住した一族が封印してきた、大洋の航海者の血によるものであることを知り、ますます自分は何者かという葛藤を募らせる。
そして、降ってわいた島の危機と、最大の理解者である祖母の後押しによって未知の世界へと旅立つことになるのだ。
モアナが選ばれたのは、彼女が島に引きこもった人々を再び海に導く者だから。
しかしそのためには、行く手を阻む闇を討ち払わねばならず、世界の命運がかかった使命に挑むモアナは、滅びの時代に人類の未来を託されたナウシカであり、一つの指輪をオロドルインの火口まで持って行ったフロド・バギンスだ。
人知の及ばぬ運命によって与えられた使命は、同時に恐るべき呪いとして彼女に重くのしかかる。
しかも「私は本当は何者か」という葛藤は、モアナだけではなく、彼女の相方となるマウイや、旅の目的でもある女神テ・フィティにも共通のもの。
人間の子として生まれ、親に捨てられたマウイは、神に拾われて力を授けられることで不死の半神となった。
神と人間、どちらの世界にも属せない彼は、自分を捨てた人間たちから愛されたい、英雄として讃えられたいという、強烈な承認欲求から逃れらない。
だから神しか持たない命を生み出す力を欲して、テ・フィティの心の石を盗んでしまうのだ。
そして、あらゆる存在が持つ二面性は、神とて例外ではない。
心の石を盗んだマウイを襲い、千年後の今もテ・フィティの島にいて、世界に闇を吐き出し続ける溶岩の悪魔、テ・カァこそは心を失って変異したテ・フィティそのもの。
つまりテ・カァはある種の祟り神なのである。
航海者モアナとマウイの旅は、テ・カァをあるべき姿に戻し、世界に調和をもたらすのと同時に、それぞれに自らをの生き方を決める人生の通過儀礼。
モアナの活躍により心を取り戻し、"本当の自分"の姿となったテ・フィティの顔がモアナと似ているのも、この物語構造を裏打ちする。
物語のテーマを、相関する主要登場人物全員の葛藤に組み込み、多重構造にするアイデアはまことに秀逸だ。
ところで、本作にインスパイアを与えていると思われるいくつかの作品の一つに、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作があるのだが、終盤におそらく狙ってやったんじゃないかという、可笑しな符合がある。
女神テ・フィティと悪魔テ・カァが同一の存在だと知らないモアナとマウイは、テ・フィティの島への進入のために、テ・カァの溶岩の防壁を越えるために大変な苦労をし、諦めたマウイは遁走してしまう。
ところが、一人になったモアナがようやくテ・カァの突破に成功した後、鷹に変身したマウイが何事も無かった様に島の反対側の空から戻ってくるのである。
これは一つの指輪をオロドルインの火口に運ぶのに、最初から大鷲のグワイヒア一族の手を借りればいいじゃないか、という「ロード・オブ・ザ・リング」の突っ込みどころと同じ様なもの。
あの映画でも殆どの観客は気にしなかったのだから、こちらでもあえて同じことをやってみたというのは穿ち過ぎか(笑
「モアナと伝説の海」は非常によく出来た娯楽大作だが、女性主人公の作品に対するディズニーの試行錯誤も感じられる。
現在、初代の白雪姫から「メリダとおそろしの森」のメリダまで、ディズニーオフィシャルのプリンセスは11人で、「アナと雪の女王」の2人もまだこのリストには入っていない。
本作でもマウイが冗談めかしてモアナを「プリンセス」と呼ぶのだが、彼女は「私はプリンセスなんかじゃない」と返すのだ。
映画は時代を反映するもので、プリンスのブランドが暴落した様に、ここまで過去の路線と違ってくると、もはやプリンセス括りは要らないのかも知れない。
マーケティング的には今でも重要なんだろうけど、アニメーションが新作の度に変化し続けるのに対して、「シンデレラ」「美女と野獣」と言った実写リメイクシリーズが、むしろ正統派キープなのは面白い。
21世紀のディズニープリンセスは何処へ行くのだろう。
まあどっちの路線も、それぞれ良さがあるのだけど。
同時上映の「Inner Workings」は、言わば「インサイド・ヘッド」の臓器版。
いや、むしろあの映画の元ネタである短編、「理性と感情(Reason and Emotion)」を脳と心臓に置き換えたものと言えるかも。
脳の目覚めと共に、心臓や肺、胃袋といった臓器が擬人化されて活動を始める。
ルーティンに縛られた人間が、心と体を解放するという展開は、テーマ的にも描写的にも「紙ひこうき」と被るのが少々気になるが、結構笑わせてもらった。
いつも尿意に耐えてる膀胱くんがかわいい。
あの気持ち分かるわ(笑
ちなみに、「Inner Workings 」も「モアナと伝説の海」も3GCG作品ながら、一部手描きアニメーションが効果的に組み込まれているのが印象的。
マウイのタトゥーが動くのなんて、手描きならではだもんね。
今回はトロピカルなカクテルの定番の一つ「ブルーラグーン」をチョイス。
ウォッカ30ml、ブルー・キュラソー10ml、レモン・ジュース20mlをシェイクして、アイスを入れたシャンパングラスに注ぐ。
スライスしたレモン、オレンジ、チェリーを飾って完成。
南国の海を思わせるブルーが目に鮮やかで、辛口のウォッカ、レモンの酸味がスッキリとした味わい。
あと、近年のディズニーアニメーションの例に漏れず、エンドクレジット後におまけがあるので最後まで席を立たない様に。
「リトル・マーメイド」を観たことない人は、できれば事前に鑑賞しておくと爆笑できるかも。
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ディズニーの第二黄金時代を代表する「リトル・マーメイド」「アラジン」から「プリンセスと魔法のキス」に至る、手描きアニメーション時代の多くの名作を手がけたレジェンド、ロン・クレメンツとジョン・マスカー監督の最新作。
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオによる56作目の長編映画である。
前作の「アナと雪の女王」の雪と氷の世界とは対照的に、本作の舞台となるのはどこまでも広がる常夏の海。
南太平洋の島々に伝わる伝説をモチーフに、全能の女神テ・フィティの奪われた心を返すために、海に選ばれた16歳の少女・モアナの冒険を描くファンタジーアドベンチャー大作だ。
モアナ役には、ハワイ先住民の血をひくアウリィ・クラヴァーリョが抜擢され、演技だけでなく天性の歌唱力でも魅せる。
彼女の旅の仲間となる、タトゥーだらけの半神マウイには、ドウェイン・ジョンソン。
ミュージカル・アニメーションとしても聞き応え十分で、春休みにぴったりの娯楽大作だ。
※核心部分に触れています。
平和な島の族長の娘・モアナ(アウリィ・クラヴァーリョ)は、幼少期のある出来事により海との絆で結ばれた少女。
彼女が16歳になった時、島では突然魚が獲れなくなり、ヤシの実にも病気が蔓延。
実は遠い昔、世界の命の源である女神テ・フィティの心の石が半神マウイ(ドウェイン・ジョンソン)によって盗まれ、マウイは逃走の途中に悪魔テ・カァの襲撃に遭い、心の石をなくしてしまう。
以来、少しずつ海は闇の力に蝕まれ、千年の時を経てモアナの島にも影響が及んだのだ。
海によってテ・フィティの心を返す者として選ばれたモアナは、サンゴ礁を超えてはいけないという島の掟を破り、一人大洋に船を乗り入れる。
テフィティの居場所を知るマウイを探すモアナは、流れ着いた島でマウイと出会う。
マウイは、嘗てテ・カァと戦った時に無くした、どんなものにも変身できる魔法の釣り針を取り戻したら、テ・フィティの元へ連れて行ってくれるというのだが・・・
いや〜楽しかった。
カテゴリ的にはディズニー・プリンセスものの最新作となるのだろうが、ここまで思い切った作りにするとは意外。
まあ「アナと雪の女王」でも”真実の愛”は姉妹愛だったし、アナとクリストフのロマンス未満の関係はあるものの、完全にサブエピソード扱いだった。
ところが今回は、遂に恋愛要素すらプロットから完全に消え去り、歴代のディズニー・ピクサーの女性主人公の作品でも、最も冒険アクション色が強い。
本作の印象を簡単に言えば、明るく楽しいディズニー的世界観の中で、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」をやり、ジブリアニメのスパイスを効かせたと言う感じだろう。
ジョージ・ミラーと宮崎駿への愛は、クレメンツとマスカー両監督も公言している。
特に「怒りのデス・ロード」に関しては、前半に分かりやすいオマージュシークエンスがある。
マウイが幽閉されていた島から脱出した二人が、ココナッツの海賊団に襲われるのだけど、ドラムをドンドコ打ち鳴らしながら追ってくるこいつらが、完全にイモータン・ジョーとウォーボーイズなのだ(笑
ディテールだけでなく、モアナをフュリオサ大隊長に、巻き込まれて最初はイヤイヤ彼女を助けることになるマウイをマックスに置き換えると、全体の構造もある程度似ていることがわかわる。
もっとも、クレメンスとマスカーは2011年には歴史学者や言語学者などのスペシャリストと共にポリネシアを訪れ、綿密な考証のもとにストーリー作りを始めていて、時期的に考えると構造的な相似は偶然で、制作途中に「怒りのデス・ロード」にインスパイアを受けて、オマージュ描写を加えたのだろう。
全ての命の源、世界が始まった場所を目指す壮大な貴種流離譚のテーマは、「私は本当は何者か」ということである。
これは、ここしばらくのディズニー映画のヒロインに共通するもので、本作の両監督の前作「プリンセスと魔法のキス」もそう。
あの映画の主人公・ティアナは自分のレストランを開くという夢に邁進している反面、それ以外の生きる楽しみをすっかり忘れてしまっている。
それが魔法でにカエルにされた王子と出会い、うっかり自らもカエルになってしまったことで、人間に戻るための旅を通して、人生で本当に大切なことに向き合い、成長してゆく。
ティアナよりも少し若いモアナの場合、島の族長の娘として生まれ、いつか島を統べる仕事を父親から受け継ぐことを、生まれながらに運命付けられている。
一族が代々になってきた役割の大切さは重々承知しているものの、島の外に広がる海への憧れには抗しがたい。
その衝動が島に定住した一族が封印してきた、大洋の航海者の血によるものであることを知り、ますます自分は何者かという葛藤を募らせる。
そして、降ってわいた島の危機と、最大の理解者である祖母の後押しによって未知の世界へと旅立つことになるのだ。
モアナが選ばれたのは、彼女が島に引きこもった人々を再び海に導く者だから。
しかしそのためには、行く手を阻む闇を討ち払わねばならず、世界の命運がかかった使命に挑むモアナは、滅びの時代に人類の未来を託されたナウシカであり、一つの指輪をオロドルインの火口まで持って行ったフロド・バギンスだ。
人知の及ばぬ運命によって与えられた使命は、同時に恐るべき呪いとして彼女に重くのしかかる。
しかも「私は本当は何者か」という葛藤は、モアナだけではなく、彼女の相方となるマウイや、旅の目的でもある女神テ・フィティにも共通のもの。
人間の子として生まれ、親に捨てられたマウイは、神に拾われて力を授けられることで不死の半神となった。
神と人間、どちらの世界にも属せない彼は、自分を捨てた人間たちから愛されたい、英雄として讃えられたいという、強烈な承認欲求から逃れらない。
だから神しか持たない命を生み出す力を欲して、テ・フィティの心の石を盗んでしまうのだ。
そして、あらゆる存在が持つ二面性は、神とて例外ではない。
心の石を盗んだマウイを襲い、千年後の今もテ・フィティの島にいて、世界に闇を吐き出し続ける溶岩の悪魔、テ・カァこそは心を失って変異したテ・フィティそのもの。
つまりテ・カァはある種の祟り神なのである。
航海者モアナとマウイの旅は、テ・カァをあるべき姿に戻し、世界に調和をもたらすのと同時に、それぞれに自らをの生き方を決める人生の通過儀礼。
モアナの活躍により心を取り戻し、"本当の自分"の姿となったテ・フィティの顔がモアナと似ているのも、この物語構造を裏打ちする。
物語のテーマを、相関する主要登場人物全員の葛藤に組み込み、多重構造にするアイデアはまことに秀逸だ。
ところで、本作にインスパイアを与えていると思われるいくつかの作品の一つに、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作があるのだが、終盤におそらく狙ってやったんじゃないかという、可笑しな符合がある。
女神テ・フィティと悪魔テ・カァが同一の存在だと知らないモアナとマウイは、テ・フィティの島への進入のために、テ・カァの溶岩の防壁を越えるために大変な苦労をし、諦めたマウイは遁走してしまう。
ところが、一人になったモアナがようやくテ・カァの突破に成功した後、鷹に変身したマウイが何事も無かった様に島の反対側の空から戻ってくるのである。
これは一つの指輪をオロドルインの火口に運ぶのに、最初から大鷲のグワイヒア一族の手を借りればいいじゃないか、という「ロード・オブ・ザ・リング」の突っ込みどころと同じ様なもの。
あの映画でも殆どの観客は気にしなかったのだから、こちらでもあえて同じことをやってみたというのは穿ち過ぎか(笑
「モアナと伝説の海」は非常によく出来た娯楽大作だが、女性主人公の作品に対するディズニーの試行錯誤も感じられる。
現在、初代の白雪姫から「メリダとおそろしの森」のメリダまで、ディズニーオフィシャルのプリンセスは11人で、「アナと雪の女王」の2人もまだこのリストには入っていない。
本作でもマウイが冗談めかしてモアナを「プリンセス」と呼ぶのだが、彼女は「私はプリンセスなんかじゃない」と返すのだ。
映画は時代を反映するもので、プリンスのブランドが暴落した様に、ここまで過去の路線と違ってくると、もはやプリンセス括りは要らないのかも知れない。
マーケティング的には今でも重要なんだろうけど、アニメーションが新作の度に変化し続けるのに対して、「シンデレラ」「美女と野獣」と言った実写リメイクシリーズが、むしろ正統派キープなのは面白い。
21世紀のディズニープリンセスは何処へ行くのだろう。
まあどっちの路線も、それぞれ良さがあるのだけど。
同時上映の「Inner Workings」は、言わば「インサイド・ヘッド」の臓器版。
いや、むしろあの映画の元ネタである短編、「理性と感情(Reason and Emotion)」を脳と心臓に置き換えたものと言えるかも。
脳の目覚めと共に、心臓や肺、胃袋といった臓器が擬人化されて活動を始める。
ルーティンに縛られた人間が、心と体を解放するという展開は、テーマ的にも描写的にも「紙ひこうき」と被るのが少々気になるが、結構笑わせてもらった。
いつも尿意に耐えてる膀胱くんがかわいい。
あの気持ち分かるわ(笑
ちなみに、「Inner Workings 」も「モアナと伝説の海」も3GCG作品ながら、一部手描きアニメーションが効果的に組み込まれているのが印象的。
マウイのタトゥーが動くのなんて、手描きならではだもんね。
今回はトロピカルなカクテルの定番の一つ「ブルーラグーン」をチョイス。
ウォッカ30ml、ブルー・キュラソー10ml、レモン・ジュース20mlをシェイクして、アイスを入れたシャンパングラスに注ぐ。
スライスしたレモン、オレンジ、チェリーを飾って完成。
南国の海を思わせるブルーが目に鮮やかで、辛口のウォッカ、レモンの酸味がスッキリとした味わい。
あと、近年のディズニーアニメーションの例に漏れず、エンドクレジット後におまけがあるので最後まで席を立たない様に。
「リトル・マーメイド」を観たことない人は、できれば事前に鑑賞しておくと爆笑できるかも。

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