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2017年04月23日 (日) | 編集 |
伝説が、再び生まれる。
ディズニー手描きアニメーションの最高峰を、単に実写化しただけの作品ではない。
限りなく完璧に近かったオリジナルのドラマをさらに補完し、その先を見せてくれるのだ。
ベル父娘は、なぜあの退屈な村に住んでいるのか。
なぜ野獣は、冷酷な青年に育ってしまったのか。
そして、二人はなぜ惹かれあい、お互いを愛する様になったのか。
オリジナルの84分から、40分以上伸びた尺はドラマを確実に深化させている。
リンダ・ウールヴァートンの脚本を元に、自著の「ウォールフラワー」を自ら映画化したことで知られる、作家のスティーヴン・チョボスキーと、「ティンカーベルと月の石」のエヴァン・スピリオトポウロスが新たに脚色を担当。
監督は「ドリームガールズ」「ゴッド・アンド・モンスター」のビル・コンドン。
アラン・メンケンと故ハワード・アッシュマンが手がけた名曲の数々はそのままに、メンケン自身とティム・ライスのコンビによって、新たな楽曲も書き下ろされている。
俳優陣はベルを演じるエマ・ワトソンをはじめ、ほぼ全編CGの野獣と召使いたちも含めて、錚々たるオールスターキャストが揃った。
これは、名作アニメーションの実写化という枠を超えて、全てのファンの夢を最高の形で叶えた、「シン・美女と野獣」である。
※核心部分に触れています。
フランスの片田舎ヴィルヌーブ村に、カラクリ芸術家の父モーリス(ケヴィン・クライン)と暮らすベル(エマ・ワトソン)は、本が大好きで夢見がち。
保守的な村人からは父娘共に変人扱いされているが、ベルの美貌は誰が見ても村一番で、村のリーダー的存在のガストン(ルーク・エヴァンス)からは熱烈に求婚されている。
だが教養のカケラもないガストンとの結婚など、彼女にとっては考えたくもないこと。
ある日、モーリスが作品を売りに町へ行くことになり、ベルは土産としてバラを一輪所望する。
ところが、彼は森の中で道に迷ってしまい、永遠の冬に隠された不思議な城にたどり着く。
ここで喋るティーカップに驚いたモーリスは、城を逃げ出すのだが、ベルの言葉を思い出し、庭のバラを一輪折る。
その瞬間、巨大な野獣(ダン・スティーブンス)が姿を現す。
この城では、バラを盗むことは極刑に値する罪であり、モーリスは囚われの身となってしまう。
馬のフィリップが無人で家に帰って来たことで、父の身に何かが起こったと確信したベルは、フィリップの導きで野獣の城に赴き、父を釈放するかわりに自分がこの城に止まると申し出るのだが・・・
80年代末から90年代にかけての、ディズニー第二黄金期を代表する傑作であり、アニメーション映画として史上初のアカデミー作品賞ノミネートをはじめ、数々の栄冠に輝いたオリジナルの「美女と野獣」は、現在に至る新時代のディズニーアニメーションの雛形となった作品だ。
この作品の大きな特徴は、ヴィルヌーブ夫人版の原作からの脚色の段階で、大きな葛藤を抱えて成長すべき人物が、ベルから野獣に入れ替わっていること。
原作の野獣は彼女の美しさに魅せられてかなり早くから求婚するのだが、ベルの方は彼の醜さに恐れおののいて拒絶、次第に彼女が見かけではなく心の大切さに気づいてゆく物語で、過去の多くの映画化作品もこの点は踏襲している。
だが、女性脚本家のリンダ・ウールヴァートンは、ベルを保守的な時代の風潮にとらわれない聡明で先進的な女性と造形し、むしろ自らの醜さから城に引きこもり、すっかり性格が歪んでしまった野獣が、彼女の優しさに絆されて成長する物語となっているのだ。
四半世紀前に颯爽と登場したベルは、「アナと雪の女王」や「モアナと伝説の海」に通じる、自らの才覚でしっかりと地に足をつけ、安易に男の助けを必要としないディズニープリンセスの先駆者で、彼女に過酷な運命から救われる野獣は、その後ブランド力が凋落してゆくプリンスの最初の一人だったのである。
本作は、多くのファンを持つオリジナルを最大限リスペクトし、極力そのイメージを損なわない様に作られており、物語はもちろんのこと、ロココ調のプロダクションデザインから衣装、ミュージカルシークエンスの構成に至るまで、オリジナルと音楽的、映像的なイメージが一致する様に作られている。
ただ、どんなに丁寧に作っても、アニメーションを忠実に再現するだけなら、それは単なるコスプレショーでしかない。
本作が素晴らしいのは、オリジナルのプロットを改めて分析し、実写化した場合弱くなる部分に綿密に手が入れられていて、その結果物語にさらなる深みが生まれていることだ。
アニメーションならではのカリカチュア表現が封じられた分、各キャラクターはそれぞれの背景を含めじっくりと描きこまれていて、行動原理は全員が強化されている。
これは、やはり評価の定まったアニメーション作品を、忠実に実写化して成功した「シンデレラ」の考え方と、基本的には同じだ。
モーリスとベルはなぜ父子家庭なのか、なぜ変人呼ばわりされながら、あの村に住んでいるのか。
アニメーション版では全く言及が無かった部分だが、本作では家族でパリに暮らしていた頃に、母親が不治の流行病だった黒死病にかかり、生まれたばかりのベルを病気から守るために、モーリスがやむなく母親を見捨て、田舎に疎開してきたという新たな設定がプラス。
"冷酷な王子"という以外に背景が描かれなかった野獣も、やはり幼い頃に最愛の母親を亡くし、残忍な父親に育てられたために、性格がねじ曲がってしまったことが描かれる。
共に母親の愛を失った過去という同根を見ることによって、二人がお互いに感情移入しやすくなるという訳だ。
また、屋敷を逃げ出したベルが狼の群れに襲われ、後を追った野獣に救われたことで二人の間が急接近するのは同じだが、本作では野獣も本好きという設定にして、恋心が生まれる理由付けを強化。
オリジナルでは、野獣はベルの気を引こうとして、屋敷の書庫を開放するだけなのが、こちらではお互いに好きな本を朗読したり語らったりする。
これはオタク部屋に招き入れたら、実は同好の士で思いのほか気が合ってしまった様なもので、表裏がなく実直なベルと、ちょい捻くれていてツンデレの野獣という、対照的な様でどこか似た者同士の二人をよりリアルに愛らしく見せている。
キャラクターが強化されているのは主役の二人だけではない。
ルーク・エヴァンスが最高のパフォーマンスで演じるガストンは、オリジナルでは猟師だったが、こちらでは帰還兵となっていて、英雄願望に取り憑かれた愚かなナルシストっぷりが際立つ。
彼はある意味、戦争の犠牲者なのだ。
何かと話題になった相方ル・フウの同性愛者設定は、実際の描写としては殆ど意識させないマイルドなものだが、彼はなぜ酷い扱いをされながら、ガストンの元を離れないのかという動機が明確となった。
彼の想いはガストンに届かなかったが、終盤の戦いのシークエンスの、マダム・ド・ガルドローブの女装攻撃で、その道に目覚めちゃた三銃士の一人と、ラストでビビッときちゃってたのは笑った。
この辺りは、自らもゲイであることをカミングアウトしている、ビル・コンドン流のさりげないモダナイズ。
さらに、原作やオリジナルでは野獣に呪いをかけただけで、後は知らんとばかりに物語から消えてしまう魔女が、本作ではその後もヴィルヌーブ村の近くの森に住み続けて、推移を見守っていることになっているのも脚色の大きな特徴。
無機物に変えられた召使いたちも元々村の住人で、村には記憶を消された家族が残されているのだが、これによってオリジナルでは曖昧だった、いつ呪いがかけられたのかという点も、それ程昔ではないことが分かる。
バラの花びらが全て落ちると、野獣が元に戻れないだけでなく、召使いたちも魂を失い、固まってしまうのも新設定。
魔女の呪いは、単に王子の冷酷さを諌めるためだけでなく、彼の行いを止めなかった召使いや村人全てに対し、愛する者から分かたれるという形でかけられているのである。
面白いのは、本作にはオリジナルのアニメーション版だけでなく、1946年のジャン・コクトー版の影響を節々に感じること。
元々アニメーション版自体がコクトーの影響下にあって、城の無機物が生きているという設定はもちろん、ガストンに当たるアヴナンというキャラクターもいて、彼がベルの兄(原作のベルには兄と姉がいる)といつも連んでいるのはガストンとル・フウのコンビの原型と言える。
本作で、城の入り口脇に配された、手の形のブロンズが持っているランプも、コクトー版の生きているランプの意匠を模したものだ。
さらに、アニメーション版ではモーリスは城に入っただけで、不法侵入として囚われてしまうが、今回はコクトー版(と原作)と同様に、庭のバラを折ったことで野獣の怒りをかう。
これにより、バラの持つ特別な意味を改めて印象付けている。
また中盤で、念じた場所に行ける魔法の地図帳が出てきて、ベルが母の死の真相を知るために、野獣と共にパリの生家に移動するという、アニメーション版には無いシークエンスがあるが、これもコクトー版の何処にでも瞬間移動できる魔法の手袋に符合する。
ディズニーがアニメーション映画を作る以前は、「美女と野獣」と言えばコクトーだった訳で、これらは実写ならではのリスペクトを込めたオマージュなのだろう。
肝心のミュージカルは、オリジナルの全てのシークエンスがキープされていて、ドラマの深化分新たな楽曲が増えているが、これがまた素晴らしいのである。
特にポッド夫人の歌うテーマ曲にのせて展開する、ボールルームでのダンスシーンは、伝説的なアニメーション版に輪をかけて煌びやかで、官能的なまでに美しい。
このシーンは単に綺麗なだけでなく、ダンスによって二人の気持ちが初めて一つになる象徴的なモーメントであり、湧き上がるエモーションによって、ここから涙が止まらなくなった人も多いのではないだろうか。
ちなみに1990年頃のディズニーは、ピクサーの開発したCAPSと呼ばれるデジタル彩色システムを導入していて、アニメーションにおけるデジタル技術の研究を急速に進めていた時代。
オリジナルのボールルームの背景美術には、CGIスーパーバイザーのジム・ヒリン率いるチームによって、ディズニーの手描きアニメーションとして、史上初の本格的な3DCGが使われている。
手描きのキャラクターとの合わせ技で、本作でも再現されている流麗なカメラワークを実現しているが、ほぼ全てのディズニーアニメーション作品が3DCGで作られる現在から思うと、ディズニー史、いや映画史においても記念碑的な名場面だった。
21世紀に実写映画として蘇った「美女と野獣」は、映像は途轍もなくゴージャス、音楽は最高にエモーショナル、役者たちも超一流、物語は元から素晴らしいかったものを更にブラッシュアップ。
アニメーション版とコクトー版、二つの映画的記憶にも裏打ちされ、ラストのカーテンコールに至るまで徹底的に作り込まれた、これ以上は望むべくもない、極上のエンターテイメント超大作である。
そして、何よりも本作の成功を決定付けたのは、主人公ベルを演じたエマ・ワトソンの存在だ。
10年続けたハーマイオニー・グレンジャー役のインパクトが強烈だったので、今までは「『ハリー・ポッター』の」だったが、これからは「『美女と野獣』の」が彼女の代名詞となるだろう。
それ程までに、完璧なベルだった。
彼女の笑顔を想えば、野獣でなくても「待ち続けよう、ここで永遠に!」って歌い上げたくなるわ(笑
今回は野獣イメージのコニャックと迷ったが、やはりベルをイメージしてシャンパーニュ。
ローラン・ペリエの「キュヴェ ロゼ ブリュット」をチョイス。
ピノ・ノワール100%、バラを思わせる淡いピンクの美しい色合い。
苺の香りが細かな泡と共に立ち上がり、スッキリとした喉ごし。
アペリティフとしてだけでなく、食中酒としても楽しめる。
英国のウィリアム王子の、結婚式晩餐会でも振舞われたというから、まさに本作にはぴったり。
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ディズニー手描きアニメーションの最高峰を、単に実写化しただけの作品ではない。
限りなく完璧に近かったオリジナルのドラマをさらに補完し、その先を見せてくれるのだ。
ベル父娘は、なぜあの退屈な村に住んでいるのか。
なぜ野獣は、冷酷な青年に育ってしまったのか。
そして、二人はなぜ惹かれあい、お互いを愛する様になったのか。
オリジナルの84分から、40分以上伸びた尺はドラマを確実に深化させている。
リンダ・ウールヴァートンの脚本を元に、自著の「ウォールフラワー」を自ら映画化したことで知られる、作家のスティーヴン・チョボスキーと、「ティンカーベルと月の石」のエヴァン・スピリオトポウロスが新たに脚色を担当。
監督は「ドリームガールズ」「ゴッド・アンド・モンスター」のビル・コンドン。
アラン・メンケンと故ハワード・アッシュマンが手がけた名曲の数々はそのままに、メンケン自身とティム・ライスのコンビによって、新たな楽曲も書き下ろされている。
俳優陣はベルを演じるエマ・ワトソンをはじめ、ほぼ全編CGの野獣と召使いたちも含めて、錚々たるオールスターキャストが揃った。
これは、名作アニメーションの実写化という枠を超えて、全てのファンの夢を最高の形で叶えた、「シン・美女と野獣」である。
※核心部分に触れています。
フランスの片田舎ヴィルヌーブ村に、カラクリ芸術家の父モーリス(ケヴィン・クライン)と暮らすベル(エマ・ワトソン)は、本が大好きで夢見がち。
保守的な村人からは父娘共に変人扱いされているが、ベルの美貌は誰が見ても村一番で、村のリーダー的存在のガストン(ルーク・エヴァンス)からは熱烈に求婚されている。
だが教養のカケラもないガストンとの結婚など、彼女にとっては考えたくもないこと。
ある日、モーリスが作品を売りに町へ行くことになり、ベルは土産としてバラを一輪所望する。
ところが、彼は森の中で道に迷ってしまい、永遠の冬に隠された不思議な城にたどり着く。
ここで喋るティーカップに驚いたモーリスは、城を逃げ出すのだが、ベルの言葉を思い出し、庭のバラを一輪折る。
その瞬間、巨大な野獣(ダン・スティーブンス)が姿を現す。
この城では、バラを盗むことは極刑に値する罪であり、モーリスは囚われの身となってしまう。
馬のフィリップが無人で家に帰って来たことで、父の身に何かが起こったと確信したベルは、フィリップの導きで野獣の城に赴き、父を釈放するかわりに自分がこの城に止まると申し出るのだが・・・
80年代末から90年代にかけての、ディズニー第二黄金期を代表する傑作であり、アニメーション映画として史上初のアカデミー作品賞ノミネートをはじめ、数々の栄冠に輝いたオリジナルの「美女と野獣」は、現在に至る新時代のディズニーアニメーションの雛形となった作品だ。
この作品の大きな特徴は、ヴィルヌーブ夫人版の原作からの脚色の段階で、大きな葛藤を抱えて成長すべき人物が、ベルから野獣に入れ替わっていること。
原作の野獣は彼女の美しさに魅せられてかなり早くから求婚するのだが、ベルの方は彼の醜さに恐れおののいて拒絶、次第に彼女が見かけではなく心の大切さに気づいてゆく物語で、過去の多くの映画化作品もこの点は踏襲している。
だが、女性脚本家のリンダ・ウールヴァートンは、ベルを保守的な時代の風潮にとらわれない聡明で先進的な女性と造形し、むしろ自らの醜さから城に引きこもり、すっかり性格が歪んでしまった野獣が、彼女の優しさに絆されて成長する物語となっているのだ。
四半世紀前に颯爽と登場したベルは、「アナと雪の女王」や「モアナと伝説の海」に通じる、自らの才覚でしっかりと地に足をつけ、安易に男の助けを必要としないディズニープリンセスの先駆者で、彼女に過酷な運命から救われる野獣は、その後ブランド力が凋落してゆくプリンスの最初の一人だったのである。
本作は、多くのファンを持つオリジナルを最大限リスペクトし、極力そのイメージを損なわない様に作られており、物語はもちろんのこと、ロココ調のプロダクションデザインから衣装、ミュージカルシークエンスの構成に至るまで、オリジナルと音楽的、映像的なイメージが一致する様に作られている。
ただ、どんなに丁寧に作っても、アニメーションを忠実に再現するだけなら、それは単なるコスプレショーでしかない。
本作が素晴らしいのは、オリジナルのプロットを改めて分析し、実写化した場合弱くなる部分に綿密に手が入れられていて、その結果物語にさらなる深みが生まれていることだ。
アニメーションならではのカリカチュア表現が封じられた分、各キャラクターはそれぞれの背景を含めじっくりと描きこまれていて、行動原理は全員が強化されている。
これは、やはり評価の定まったアニメーション作品を、忠実に実写化して成功した「シンデレラ」の考え方と、基本的には同じだ。
モーリスとベルはなぜ父子家庭なのか、なぜ変人呼ばわりされながら、あの村に住んでいるのか。
アニメーション版では全く言及が無かった部分だが、本作では家族でパリに暮らしていた頃に、母親が不治の流行病だった黒死病にかかり、生まれたばかりのベルを病気から守るために、モーリスがやむなく母親を見捨て、田舎に疎開してきたという新たな設定がプラス。
"冷酷な王子"という以外に背景が描かれなかった野獣も、やはり幼い頃に最愛の母親を亡くし、残忍な父親に育てられたために、性格がねじ曲がってしまったことが描かれる。
共に母親の愛を失った過去という同根を見ることによって、二人がお互いに感情移入しやすくなるという訳だ。
また、屋敷を逃げ出したベルが狼の群れに襲われ、後を追った野獣に救われたことで二人の間が急接近するのは同じだが、本作では野獣も本好きという設定にして、恋心が生まれる理由付けを強化。
オリジナルでは、野獣はベルの気を引こうとして、屋敷の書庫を開放するだけなのが、こちらではお互いに好きな本を朗読したり語らったりする。
これはオタク部屋に招き入れたら、実は同好の士で思いのほか気が合ってしまった様なもので、表裏がなく実直なベルと、ちょい捻くれていてツンデレの野獣という、対照的な様でどこか似た者同士の二人をよりリアルに愛らしく見せている。
キャラクターが強化されているのは主役の二人だけではない。
ルーク・エヴァンスが最高のパフォーマンスで演じるガストンは、オリジナルでは猟師だったが、こちらでは帰還兵となっていて、英雄願望に取り憑かれた愚かなナルシストっぷりが際立つ。
彼はある意味、戦争の犠牲者なのだ。
何かと話題になった相方ル・フウの同性愛者設定は、実際の描写としては殆ど意識させないマイルドなものだが、彼はなぜ酷い扱いをされながら、ガストンの元を離れないのかという動機が明確となった。
彼の想いはガストンに届かなかったが、終盤の戦いのシークエンスの、マダム・ド・ガルドローブの女装攻撃で、その道に目覚めちゃた三銃士の一人と、ラストでビビッときちゃってたのは笑った。
この辺りは、自らもゲイであることをカミングアウトしている、ビル・コンドン流のさりげないモダナイズ。
さらに、原作やオリジナルでは野獣に呪いをかけただけで、後は知らんとばかりに物語から消えてしまう魔女が、本作ではその後もヴィルヌーブ村の近くの森に住み続けて、推移を見守っていることになっているのも脚色の大きな特徴。
無機物に変えられた召使いたちも元々村の住人で、村には記憶を消された家族が残されているのだが、これによってオリジナルでは曖昧だった、いつ呪いがかけられたのかという点も、それ程昔ではないことが分かる。
バラの花びらが全て落ちると、野獣が元に戻れないだけでなく、召使いたちも魂を失い、固まってしまうのも新設定。
魔女の呪いは、単に王子の冷酷さを諌めるためだけでなく、彼の行いを止めなかった召使いや村人全てに対し、愛する者から分かたれるという形でかけられているのである。
面白いのは、本作にはオリジナルのアニメーション版だけでなく、1946年のジャン・コクトー版の影響を節々に感じること。
元々アニメーション版自体がコクトーの影響下にあって、城の無機物が生きているという設定はもちろん、ガストンに当たるアヴナンというキャラクターもいて、彼がベルの兄(原作のベルには兄と姉がいる)といつも連んでいるのはガストンとル・フウのコンビの原型と言える。
本作で、城の入り口脇に配された、手の形のブロンズが持っているランプも、コクトー版の生きているランプの意匠を模したものだ。
さらに、アニメーション版ではモーリスは城に入っただけで、不法侵入として囚われてしまうが、今回はコクトー版(と原作)と同様に、庭のバラを折ったことで野獣の怒りをかう。
これにより、バラの持つ特別な意味を改めて印象付けている。
また中盤で、念じた場所に行ける魔法の地図帳が出てきて、ベルが母の死の真相を知るために、野獣と共にパリの生家に移動するという、アニメーション版には無いシークエンスがあるが、これもコクトー版の何処にでも瞬間移動できる魔法の手袋に符合する。
ディズニーがアニメーション映画を作る以前は、「美女と野獣」と言えばコクトーだった訳で、これらは実写ならではのリスペクトを込めたオマージュなのだろう。
肝心のミュージカルは、オリジナルの全てのシークエンスがキープされていて、ドラマの深化分新たな楽曲が増えているが、これがまた素晴らしいのである。
特にポッド夫人の歌うテーマ曲にのせて展開する、ボールルームでのダンスシーンは、伝説的なアニメーション版に輪をかけて煌びやかで、官能的なまでに美しい。
このシーンは単に綺麗なだけでなく、ダンスによって二人の気持ちが初めて一つになる象徴的なモーメントであり、湧き上がるエモーションによって、ここから涙が止まらなくなった人も多いのではないだろうか。
ちなみに1990年頃のディズニーは、ピクサーの開発したCAPSと呼ばれるデジタル彩色システムを導入していて、アニメーションにおけるデジタル技術の研究を急速に進めていた時代。
オリジナルのボールルームの背景美術には、CGIスーパーバイザーのジム・ヒリン率いるチームによって、ディズニーの手描きアニメーションとして、史上初の本格的な3DCGが使われている。
手描きのキャラクターとの合わせ技で、本作でも再現されている流麗なカメラワークを実現しているが、ほぼ全てのディズニーアニメーション作品が3DCGで作られる現在から思うと、ディズニー史、いや映画史においても記念碑的な名場面だった。
21世紀に実写映画として蘇った「美女と野獣」は、映像は途轍もなくゴージャス、音楽は最高にエモーショナル、役者たちも超一流、物語は元から素晴らしいかったものを更にブラッシュアップ。
アニメーション版とコクトー版、二つの映画的記憶にも裏打ちされ、ラストのカーテンコールに至るまで徹底的に作り込まれた、これ以上は望むべくもない、極上のエンターテイメント超大作である。
そして、何よりも本作の成功を決定付けたのは、主人公ベルを演じたエマ・ワトソンの存在だ。
10年続けたハーマイオニー・グレンジャー役のインパクトが強烈だったので、今までは「『ハリー・ポッター』の」だったが、これからは「『美女と野獣』の」が彼女の代名詞となるだろう。
それ程までに、完璧なベルだった。
彼女の笑顔を想えば、野獣でなくても「待ち続けよう、ここで永遠に!」って歌い上げたくなるわ(笑
今回は野獣イメージのコニャックと迷ったが、やはりベルをイメージしてシャンパーニュ。
ローラン・ペリエの「キュヴェ ロゼ ブリュット」をチョイス。
ピノ・ノワール100%、バラを思わせる淡いピンクの美しい色合い。
苺の香りが細かな泡と共に立ち上がり、スッキリとした喉ごし。
アペリティフとしてだけでなく、食中酒としても楽しめる。
英国のウィリアム王子の、結婚式晩餐会でも振舞われたというから、まさに本作にはぴったり。

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