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美しい星・・・・・評価額1650円
2017年05月31日 (水) | 編集 |
あなたは、本当は何星人?

ある日突然、内なる宇宙人に目覚めた家族を描く、ユニークなSF寓話劇。

火星人、水星人、金星人、そして一人だけ地球人のままの四人家族。
彼らはなぜ突然、自分は宇宙人だという意識を持ったのか。
半世紀以上前に発表された三島由紀夫の同名小説を、「桐島、部活やめるってよ」の異才・吉田大八監督が映画化。
リリー・フランキー、亀梨和也、橋本愛、中島朋子が、宇宙人家族を演じる。
昭和の異色SFは、平成の現在に何を語りかけてくるのだろうか。
※核心部分に触れています。

予報が当たらないことで有名な気象予報士の大杉重一郎(リリー・フランキー)は、妻の伊余子(中島朋子)、フリーターをしている息子の一雄(亀梨和也)、大学生の暁子(橋本愛)の四人家族。
多少の心配ごとはあるものの、概ね平穏な人生を送っている。
そんなある日、UFOと遭遇した重一郎の中に、「自分は火星人。この世界を救うために地球にやってきた」という意識が目覚める。
同じ頃、一雄は彗星人、暁子は金星人として次々に覚醒。
使命に駆られた三人は、世界を救うべく、それぞれの手段で奔走。
一方、自分だけ目覚めない伊余子は、マルチ商法にハマってゆくのだが・・・


三島由紀夫の原作が出版されたのは、1962年10月。
同じ月には、米ソが開戦寸前まで対立を深めたキューバ危機が起こっていて、核戦争が“今そこにある危機”だった、冷戦真っ只中の時代の作品だ。
暴力の連鎖による自滅へと突っ走る人類を救うべく、主人公一家が宇宙人に覚醒。
ところが、人類は不完全だから核戦争によって滅びるべきと考える、白鳥座方面の惑星の三人の宇宙人も存在し、人類を生かすべきか殺すべきか、重一郎との討論に突入するのである。

原作の出版から55年が経った現在でも、人類は相変わらず殺し合っているし、核の危機も去ったわけでは決してないが、少なくとも人類を絶滅に追いやるレベルの全面核戦争の可能性からは、一歩後退したのは間違いないだろう。
時代の変化に合わせて、原作の基本骨格は維持しながらも、変更点は少なくない。
大杉一家が宇宙人に目覚め、人類を救おうとするのは同じだが、それぞれの目的はより明確に差別化されて象徴性は高められている。
火星人の重一郎は、小説では金持ちの無職だったが、映画ではTVの気象予報士。
地球と同じハビタブルゾーンに属しながら、乾燥した赤い大地が広がる火星人故に、環境問題に覚醒。
愛と美の女神ヴィーナスの名を持つ、金星人に目覚める暁子は、ミスコンに出場することで、人類に蔓延する間違った美の概念を正そうとする。
フリーターの一雄は自転車のメッセンジャーをしているが、水星の英語名のマーキュリーはローマ神話の神々のメッセンジャーで、雄弁家を意味する。
両性偶有のマーキュリーは、液体でありながら金属でもある水銀に象徴され、対立する二つの要素が同時に合同を成し遂げる、政治によって未来を模索するのである。
まずは核戦争の阻止という、二元論的なシンプルさがあった冷戦期の危機に対して、現在の人類が抱えている問題はより複雑だということか。

三人はそれぞれに、自分の変化に戸惑いながら、人類を救うために地球人の出来ない役割を果たそうとするのだが、原作では木星人だった妻の伊余子だけは、なぜか地球人のまま。
彼女は好き勝手に生きる家族に翻弄されながら、「美しい水」という偽のミネラルウォーターを売るマルチ商法にのめり込み、それが生きがいになってゆく。
ここで伊余子は、人間同士で騙し合い、自然に優しい、体に優しいと言いながらも中味は虚構、しかし足掻きながらも繋がろうとする、矛盾した地球人の象徴としての役割を担うのである。
伊余子の役割の変化にともなって、家族ものとしての要素が大きくなったことも、脚色のポイントだろう。
冒頭の会食シーンから既に、一見平穏なこの家族が、内側では壊れかけているのが伝わってくる。
重一郎は後輩の女性予報士と不倫中で、就職せずにフリーター生活を続ける一雄のことも苦々しく思っている。
暁子は内向的な性格で大学で孤立、伊余子は家族の乖離を感じながらも成すすべが無い。

大杉家そのものが、大きな問題を抱えた人類社会のメタファーなのだ。

原作のキリスト教的な要素は、基本的にそのまま生かされている。
破滅へと突き進む人類を憂う重一郎は、原作では自らが人類全体の罪を背負って苦しまねばならないと考えていて、末期ガンとなって帰還を告げる宇宙からの声を聞く。
また暁子は金沢に住む同じ金星人を名乗る竹宮を訪ね、彼と共にUFOに遭遇した後に妊娠が分かり、自分が処女懐妊したと考える。
重一郎が現在の人類の罪を背負って昇天し、聖母となった暁子から次なる救世主=宇宙人が生まれてくるというキリストのループが意味するところは、人類救済のプロセスはまだまだ先が長いということ。
しかし、それほど気が長くない白鳥座方面の宇宙人は、元々三人だったのが、佐々木蔵之介演じる怪しげな議員秘書・黒木に集約される。
人類の未来に関する原作の討論は、テレビ局での重一郎と黒木の激しい論戦に置き換えられ、黒木が人類を終わらせる"ボタン”(原作のモチーフである核のボタンをイメージしたものだろう)を示すのだが、ここはキリスト教の一部が主張する人間の罪と終末を巡る決定論的と非決定論の対立を思わせる。
この論戦のシーンや、金沢の海岸で暁子と竹宮がUFOと交感するシーンの独特のグルーヴ感は、「桐島、部活やめるってよ」の"火曜日の屋上"と同様で、静かに沸き立つ熱量は吉田監督らしい。

地球が美しいのは、美しいと感じる人間がいるからだが、人間はその美しい自然に自分たちを含めない。

では我々自身は美しいのか?美しい地球に人類は必要なのか?というマクロ的壮大なテーマを掲げつつ、崩壊寸前の家族の再生という、ミクロな物語に収束させるのは面白い。
彼らが本当に宇宙人だったのか、それとも宇宙人だと思い込んでいる人たちだったのかは、ぶっちゃけどうでもいい。
問題は、宇宙人の視点を持つことが出来るかなのだ。
人類絶滅を願う黒木を同僚設定にしたことで、一雄の中で政治の持つ意味が曖昧になってしまったし、それぞれの宇宙人としてのテーマが、家族の中の自分に落とし込まれる終盤の展開もやや熟れてない気もするが、人間じゃない視点で人間を眺めたら、自分たちの姿がよく見えたというコンセプトは上手く表現されていると思う。
四人家族のキャスティングが絶妙で、怪優
リリー・フランキーのハイテンションな火星人っぷりには思わず引きこまれるし、亀梨和也はキャリアベストの好演。
中嶋朋子はいかにも身近にいそうなリアルな地球人で、橋本愛は一見して金星人っぽい。
映画を観た後、私は何星人だろうと考えたが、惑星ですらなくなった冥王星人な気がする(笑

今回は、鹿児島の神酒造が円谷プロとコラボして作った、その名も「宇宙焼酎 ゼットン」をチョイス。
ネタのネーミングではなく、実際にスペースシャトルで宇宙までいった麹と酵母が使われている。飲んだからと言って、宇宙人に目覚める訳ではなく、普通にまろやかで美味しい芋焼酎だ。
姉妹品として「ジャミラ」や「レッドキング」などもあり、ラベルもインパクト大なのでコレクションしても楽しいかもしれない。

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ショートレビュー「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ・・・・・評価額1650円」
2017年05月26日 (金) | 編集 |
そのオッサン、スーパーヒーロー。

1975年に放送された日本のTVアニメ、「鋼鉄ジーグ」をモチーフにしたガブリエーレ・マイネッティ監督による、ユニークなイタリア製ヒーロー映画。

ひょんなことから、超常の力を手にした街のチンピラのエンツォが、クスリの取引の失敗で兄貴分を殺され、図らずも精神疾患のある彼の娘、アレッシアの世話をする羽目に。
彼女は「鋼鉄ジーグ」の熱烈なファンで、現実世界とアニメの世界を混同してる。
嫌々ながらも自分を助けてくれるエンツォを、妄想の中でアニメの主人公の司馬宙と同一視する様になるのだ。
そして、すっかり人生を諦めていた自己中なダメ男も、次第にアレッシアのことを愛する様になり、初めて誰かのために行動する喜びを知る。

ヒーローが行動する根源の原理は、いつだって"愛"だ。

全編に渡って、オリジナルのアニメへのリスペクトがにじみ出る。
イタリアでは1979年に放送され、絶大な人気を博したそうだが、リアルタイムで観ていた世代としては、スクリーンにドーンと日本語のタイトルが映し出される瞬間に、思わず胸アツ。
「鋼鉄ジーグ」は、サイボーグ化され、巨大ロボット鋼鉄ジーグと合体する青年・司馬宙と、現代に蘇った超古代国家・邪魔大王国との戦いを描いたSFアクションだ。
家族思いの宙は、知らないうちに実の父によって、自分がサイボーグ化されていたことにショックを受け、戦う理由に葛藤を抱えるも、次第に自らに課せられた使命を受け入れてゆく。
このヒーロー誕生のプロセスが、本作では愛を知らない孤独なチンピラが、アレッシアを守るために、善なる行動に目覚めてゆく過程に置き換えられている。

主人公がマッチョでもイケメンでもなく、見た目全然強そうに見えないメタボなオッサンで、登場人物全員が人生どん底の負け組なのがいい。
超人になったからといって、いきなり生活を変えるわけでもない。
何しろこの男、力を手に入れて最初にやったことがATM泥棒である。
食べるものはパック入りの安物のヨーグルトだけの偏食で、趣味はDVDでポルノ鑑賞というダメっぷり。
そんな男の心が、アレッシアとの出会いによって少しずつ変化してゆき、アニメのヒーローという虚構が、徐々にリアルな世界に引き寄せられるプロセスは説得力十分だ。
この二人の関係はアニメの宙と妹のまゆみにも似ているが、私はなんとなくフェデリコ・フェリーニの傑作「道」を思い出した。
粗野で暴力的な旅芸人・ザンパノと、頭は弱いが心優しいジェルソミーナの物語。
もしかするとマイネッティ監督は、日本のアニメにリスペクトを捧つつ、同じ国の大先輩への密かなオマージュを仕込んだのかも知れない。

ナポリのカモッラとローマの下っ端組織の抗争を絡めて、ヒーローと同根のヴィラン誕生を描くサブプロットも良く出来ていて、エンツォの宿敵となるジンガロのキャラクターも魅力的だ。
悪事のファーストプライオリティが、ネットで目立つことというアホらしさ。
とにかく悪いことして目立ちたい!というはっちゃけ具合は、知能を大幅に下げたプチジョーカーという感じだ。
本作の基本構造はほぼギャング映画のそれなのだが、ヒーローとヴィラン、それぞれのキャラクターが役割に目覚めると、しっかりとヒーローものとしてあるべき所に着地する。
全盛期を迎えているハリウッド製のアメコミヒーロー映画と比べたら、予算もスケールも小さな作品だが、本作にあって超大作が描かないもの、それはドラマの出発点としての、底辺に生きる人々の悲哀とリアリティ
手編みのマスクを被ったエンツォ改め鋼鉄ジーグは、スーパーマンの様な高潔さも、アイアンマンの様な権力も持っていないが、だからこそリアルなオッサンのカッコよさに痺れる。
主人公自ら歌う、「鋼鉄ジーグ」のイタリア語版バラード曲は泣ける仕上がり。

アメコミ超大作へのアンチテーゼと考えると、ある意味で「スプリット」と対になるような話になっていて、両方観るとかなり面白いと思う。

しかしこの良い意味でアンバランスで奇怪な映画が、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、最多16部門にノミネートされ、演技賞4部門を独占した他、新人監督賞など最多7部門を受賞したそうな。
これって日本アカデミー賞で、「シン・ゴジラ」が作品賞とったのと同じくらい凄いことじゃないのだろうか。

今回は口当たりのいいイタリアのビール「モレッティ」をチョイス。
1859年に創業したイタリア最古のビールメーカー。
広く飲まれている大衆の酒らしく、クセがなくてどんな料理にも合う。
苦味が弱くフルーティかつライトで、とても飲みやすい。
ラベルのダンディなおじさまは、1942年に当時の社長がブランドイメージにぴったりだと見つけてきた人物で、以来銘柄の顔となっている。

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ショートレビュー「夜空はいつでも最高密度の青色だ・・・・・評価額1750円」
2017年05月24日 (水) | 編集 |
この街は、無数の色の集まりだ。

未見性に満ちた、驚くべき作品である。

現時点での、今年の邦画ベストと言える傑作だ。

日雇いの建設作業員として働く池松壮亮と、昼は看護師、夜はガールズバーの店員の二重生活を送る石橋静河が、1000万人が暮らす巨大都市・東京で邂逅を繰り返す。

本作の原作となっているのは、最果タヒの同名詩集。
詩の映像化自体はそれほど珍しくない。
「ベオウルフ」や「トロイ」の様に古代の叙事詩を基にした作品は毎年のように作られているし、特定の詩やその一節から脚色される例もある。
何度も映画化された「大鴉」の原作はポーの物語詩だし、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」は、ティム・バートンが若き日に書いた詩が大元だ。
芭蕉の句を複数のアニメーション作家が連作してゆく、「連句アニメーション 冬の日」というユニークな企画もあった。
物語が詩にインスパイアされた、あるいは引用している程度の作品ならば、それこそ無数に存在するだろう。
詩集の映画化というコンセプトも、原節子主演の「智恵子抄」という前例がある。

しかし本作が特異なのは、元の詩集には特定の主人公がいないということである。
小説や戯曲に比べて、詩は読み手による解釈の範囲が広い。
言葉の意味するところの曖昧さは、言わばハッキリしたストーリー構造を持たないアートフィルムの様なもの。
言いたいことが明瞭でないから、詩は嫌いという人もいるだろうが、特に最果タヒの詩は、その分からなさこそが魅力になっている。
突然ズバッと心を突き刺される様な痛みを感じたかと思うと、次の瞬間にはほのかな優しさに包まれる。
むき出しの感情と独特の世界観が結合し、まるでうごめく細胞の様に、言葉が進むごとにカタチを変えてくるのである。
変幻する幾つもの詩を読み手として受け、自分の中で解釈した上で一本の物語として再構成し、最終的に映像作品としてアウトプットするというのは、小説の脚色とは全く異なる非常に面白い試みだと思う。

「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。夜空はいつでも最高密度の青色だ(「青色の詞」より)」

映画は原作の詩を引用しつつ、あらゆる表現を駆使し、映像言語に置き換えている。

冒頭の逆さまの街からはじまって、片目が不自由な池松壮亮の見た半分の世界、水の中から写した様な揺らめくビジョン、スプリットスクリーンに、極めつけは突然のアニメーション。
異様なまでにブルーな月、星に代わって空を埋め尽くす、赤い航空障害灯の明滅と言った色彩設計の妙。
繁華街の喧騒に神経をすり減らし、個人の空間の静かさに戸惑う。
ある意味で、この作品の主役は東京の街そのもの
感情が映し出される世界に影響を与え、普段とは違う視点によって良く知る街が切り取られていて、非常に新鮮だ。

石橋静河の役は看護師であり、その日暮らしの池松壮亮は仕事仲間と隣人を突然死で亡くす。

生と死のイメージの対比に象徴されるのは、未来への不安と僅かな希望。
家賃の心配や友人の死といった身近な事柄から、オリンピック、テロ、安保法案にまでアンテナを広げる物語は、これが世界の縮図としての大都会・東京の物語であり、この街に暮らすあらゆる人に向けた、ビターでパワフルな讃歌であることを示している。
そして、主役の二人はキスすらしないが、これはとても心に残るラブストーリーでもある。
無数の人々が行きかう大都会で、奇跡の様に出会った二人は、それぞれの理由で閉塞した日常の中で、ぶつかり合いながらも少しずつ絆を深めてゆく。

少々エキセントリックなキャラクターを演じた池松壮亮は、キャリアベストの好演。
これが初主演だという石橋静河は、衝撃と言って良い素晴らしさだった。
それにしても若くしてオーソドックスに纏まるかに見えていた石井裕也監督が、ここまで挑戦的なスタイルで挑んでくるとは正直言って驚きだ。
先の見えない時代に、狂騒の東京で何度も転びそうになりながらも、前を向いて生きようとする人々の物語は、一編の鮮烈な映像詩として、観た人の心に永く残るだろう。

今回は、影の主役とも言うべき東京の名をもつ「トーキョー・ジョー」をチョイス。
ウォッカ150mlとメロン・リキュール10mlを氷を入れたグラスに注ぎ、ステアする。
このカクテルは、ハンフリー・ボガード主演で1949年に作られた映画、「東京ジョー」から名付けられたという。
美しいエメラルド色が印象的な甘口のカクテルは、映画のデザートにぴったり。
ただしウォッカベースで、アルコール度数はボギーらしくハードボイルなのでご注意を。

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夜明け告げるルーのうた・・・・・評価額1700円
2017年05月22日 (月) | 編集 |
夜明け告げるうたは、少年に何をもたらしたのか。

先日、13年ぶりとなる劇場用長編「夜は短し歩けよ乙女」が公開されたばかりの、湯浅政明監督による、完全オリジナルの長編アニメーション。
年に二度もこの人の映画が公開されるだけでも驚きだが、「夜」の次が「夜明け」とは、なにか狙って作っている?
心を閉ざした少年と、人魚の少女との一夏の出会いと別れを描く。
共同脚本に「聲の形」の吉田玲子、キャラクターデザインに漫画家のねむようこ、音楽は「思い出のマーニー」の村松崇継と、スタッフも実力者揃い。
ポップな音楽に乗って、躍動感あふれるパワフルなアニメーションが疾走する!
※ラストと核心部分に触れています。

そびえ立つ巨大な岩によって太陽が遮られた港町、日無町(ひなしちょう)。
人魚伝説のあるこの街に暮らす、無気力な中学生男子・カイ(下田翔大)は、東京で生まれ育ったが、両親の離婚によって父の実家があるこの街に越してきた。
鬱屈した想いを抱えたカイは、学校生活にも馴染めず、唯一の趣味は打ち込みで作った曲をネットにアップすること。
ある時、カイの曲を聴いた同級生の遊歩(寿美菜子)と国夫(斉藤壮馬)から自分たちのバンド、“セイレーン”にはいらないかと誘われ、渋々ながら参加することになる。
岩の向こうにある無人の人魚島で練習していると、音楽好きの人魚の女の子・ルー(谷音花)が現れ、三人と友だちになりたいと言う。
天真爛漫なルーと過ごすうちに、少しずつ明るくなってゆくカイ。
だが日無町には、人魚は災いをもたらすという言い伝えがあった・・・・


テレビを含めた今までの湯浅作品が、変幻自在な変化球だとすれば、これはどストレート
冒頭に“貝の砂抜き”のエピソードがあるのだが、主人公のカイは名前の通り、貝のように心を閉ざし全てに後ろ向きな少年だ。
両親の離婚やUターン家庭に対する街の人の冷たい目、そして何よりも“別れ”への恐怖から、人とコミュニケーションして仲良くなることを諦めてしまっているのである。
そんなネガティブな中学生男子が、ルーや仲間たちとの冒険を通して少しずつ殻を開き、自分の人生を自分で切り開いてゆく王道の成長ストーリー
人魚伝説ベースのプロットは、比較的シンプルだ。
「E.T.」や「となりのトトロ」に代表される、人間の少年少女と超常の世界から来た異種の交流を描くファンタジーの典型的な話型で、人魚は災いをもたらすという古い言い伝えに踊らされた大人たちが、同調圧力をもってルーを排斥しようとするのもお約束。
とは言っても、登場人物の行動原理などはかなりエキセントリックで、この作家独特のリアリティラインを知らないと、しばし置いていかれそうになる。

まあ元々「クレしん」の人だと思えば、驚きはないだろうが。

しかし、話はオーソドックスだが、テリングは例によって唯一無二の独創のスタイル
独特のパース感覚で切り取られる、本作の世界観は極めて魅力的だ。
建物の一階は海に突き出した船のガレージで、二階に住居スペースがある変わった建物のモデルは、丹後半島の東にある伊根町の舟屋だろうか。
外洋と街の間に立つ巨大な岩の風景は、何となく山形の山寺を思わせ、アニメーション作品ならではの、リアリティを保ちながらも非日常感あふれる舞台が構築されている。
このどこか懐かしくもファンタジックな世界で、リズミカルな音楽に乗って動き続ける色と形の洪水は、まさに未見性のカタマリだ。
フラッシュの技法で制作された長編アニメーションは、ヨーロッパで作られた「TOUT EN HAUT DU MONDE(LONG WAY NORTH)」など他にもあるが、“流体”を描く本作とモーフィング機能のあるフラッシュとのマッチングの良さは予想以上で、より洗練された高度なアニメーション表現が楽しめる。

それにしても、昨年あたりから日本のアニメーション映画には、明らかに新しい波が来ているのではないかと思う。
スタジオジブリという国民的ブランドが消えて4年。
(また復活するみたいだが)巨人・宮崎駿の影に隠されていた(隠れていた、ではない)、アニメーション作家たちに、光が当たるようになったのは確かだろう。
去年旋風を巻き起こした「君の名は。」「聲の形」「この世界の片隅に」の三作は、それぞれに実験的なまでの強烈な作家性を持ち、テリングのスタイルは極めて独自性が高い。
しかもどの作品も、日本のアニメの保守本流からは離れた文脈で作られ、観客にもそのように受け取られたからこそ、大ヒットに繋がった。
これらはテレビにルーツを持つ“アニメ”ではなく、“アニメーション”なのである。
表現の自由さという意味では、最も実験アニメーションに近い、湯浅政明がここへ来て二本も撮ったということも、ようやく時代がアニメーションの多様性に目を向けたということなのかもしれない。

もっとも、新海誠が作家性を保ったまま大衆性を獲得した様に、おそらくはターゲットであるティーンの観客を意識した、本作の意外なまでのストレートさは、作家にとっては大きな変化だと思う。
それはストーリーの分かりやすさだけでなく、今までの湯浅作品ではあまり前面に出てこなかった、オマージュがにじみ出ていることにも感じられる。
本作は人魚という題材や絵面からも、「崖の上のポニョ」を連想させるが、ルーのパパのキャラクターなどは「トトロ」の大トトロ、あるいは「パンダコパンダ」のパパンダっぽい。
街が水没する終盤の展開も、視覚的イメージだけでなく、地上の生の世界に対し人魚の暮らす海の世界が常世であり、水没が再び生まれるための胎内回帰であるという、意味的な部分も符合する。
しかし、全てが無邪気に丸く収まる「ポニョ」に対して、本作では夜明けと共に現世と常世は太陽によって別たれ、二度と交わることはないのである。
少年の成長と共に変わってゆく世界と、変わらない想い。

「子ども映画」に対する「青春映画」として、相応しい決着のつけ方を含め、結構意識してると思うので、比較して観ても面白いと思う。

キャラクターでは猫派のジブリに対して、こちらでは犬ちゃんたちが大活躍。
人魚に噛まれると人魚になり、太陽に当たると燃えてしまうという、吸血鬼みたいな設定も物語の展開にうまく生かされていた。

今回は、ルーの不思議な髪の毛のようなグリーンのカクテル、「マーメイド」をチョイス。
メロン・リキュール20ml、ティフィン・ティー・リキュール10m、生クリーム30mlをシェイクし、氷を入れたシャンパングラスに注ぎ、最後にマラスキーノ・チェリーを添える。
かなり甘口で、生クリームが全体を優しくまとめている。
夏の夜に、海を見ながら飲みたい一杯だ。

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ショートレビュー「マンチェスター・バイ・ザ・シー・・・・・評価額1750円」
2017年05月18日 (木) | 編集 |
ふたたび、海からはじまる。

心に染み入る、極上のヒューマンドラマ。
古都ボストンから北東へ30マイル。
マサチューセッツ湾を望むマンチェスター・バイ・ザ・シーは、風光明媚な港町だ。
兄ジョーの急死をきっかけに、この街に戻って来た弟のリーと、彼が後見人を務めることになる16歳の甥っ子パトリックの関係を軸に、大きな葛藤を抱えた人々の人生模様が描かれる。
なぜリーは美しい故郷を捨て、一人ボストンに出て便利屋をやっていたのか。
彼の名前を聞いた時に、街の人たちが腫れ物に触るように接するのはなぜか。
人の心に潜むミステリー。
故郷での日々は、リーの心に封印されていた記憶を、ランダムに差し挟まれる回想の形で少しずつ紐解いてゆく。

やがて見えて来る、数年前に起こった大きな悲劇。

妻と三人の子供に恵まれたリーの幸せな日々は、たった一度の過ちによって、彼の人生から永遠に奪い去られてしまったのである。

人は生きてゆく中で、色々大切なものを失うが、いつかは乗り越えてゆく。
喪失と再生はある意味で物語の永遠のテーマであり、今年だけでも「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」「レゴバットマン ザ・ムービー」あるいは「メッセージ」など、ジャンル横断的に数々の作品が取り上げている。
だが、本作のリーの支払った代償、喪失の度合は大きすぎるのだ。

青春真っ只中のパトリックの場合、父の死は哀しみではあるものの、バンド活動やホッケーや二人の彼女とのちょっとゲスな関係など、楽しいこととのバランスの中で克服しようとしている。
しかしリーの場合は、今現在の問題に向き合うことで、悲劇の記憶と同時に悔恨と懊悩たる思いをも呼び起こしてしまうのである。
あまりに大きなものを失った時、人の心は完全に壊れてしまうこともある。

この物語は、そんな脆い人間にそっと寄り添う。


故郷で兄の喪の仕事をする中で、ずっと避けてきた人々と邂逅し、言葉を交わすことで解けてゆくわだかまりもあれば、逆に自分の中でますます強固になる後悔もある。
全てを無くしてしまった街から、一刻も早く逃れたいリーと、生まれてから人生の全てがこの街にあり、是が非でも残りたいパトリックの、未来を巡るせめぎ合いは、一歩前進しては二歩戻るの繰り返しだが、それでも二人は無意識に家族として支え合う。
物語には、ドラマチックな盛り上げも、意外性も無い。

ただ常に疼く心の傷に抗い、僅かでも前を向こうとして、何度も打ちのめされる人間がいるだけだ。

一度失った人生は、決して元には戻らない。

そのことを否定しない、この映画の厳しさと優しさが、私はとても好きだ。
ケネス・ロナーガン監督は、ケイシー・アフレックという素晴らしい演者をえて、至高のドラマを作り上げた。

本作の隠し味は地域性だろう。

マサチューセッツは非常に歴史の古い土地で、文化的風土は言わばアメリカの京都。
プロデューサーを務めたマット・デイモンと主演のケイシー・アフレックは、兄のベンを含めて地元民で、好んで故郷を舞台として映画を作るいわば“ボストン派”。
今回もエセックスの美しい風景と、都会過ぎず田舎過ぎない絶妙な距離感のコミュニティの存在が、ドラマの味わい深い背景となっている。
冬の厳しいマサチューセッツの、曇天のロケーションが、主人公の心象としても機能しており、兄の残したクラッシックな船などの、細部の描写も象徴性が高い。
凍てつく季節もやがて暖かな春になるように、人生の冬も永遠とは限らない。
冒頭とループする船の上でに魚釣りは、仄かな希望のサインだと信じたいものだ。

今回はマサチューセッツを代表する地ビール銘柄、サミュエル・アダムスから、ビールではなく「アングリー・オーチャード・ハード・サイダー」をチョイス。
酸味と甘みのバランスが絶妙な、白ワインを思わせるフルーティ&フレッシュなハード・サイダー。
元々この地に入植した初期の移民たちは、飲み水の衛生上の問題で林檎の醸造酒を日常的に飲んでいたという。
これもまた、この地の歴史に根ざした文化なのだ。

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スプリット・・・・・評価額1600円
2017年05月16日 (火) | 編集 |
何が「スプリット(分裂)」するのか?

M・ナイト・シャマランによる、異色のサイコ・スリラー。
ひとつの体に23もの人格を宿す男と、彼に拉致・監禁された3人の女子高生。
なぜ男は彼女らをさらったのか?
密室からの脱出の方法はあるのか?
やがて、男の中から現れる、想像を絶する24番目の人格とは何者か?
謎の男をジェームズ・マガヴォイが演じ、複数の人格を相手に、丁々発止の腹の探り合いを仕掛ける女子高生ケイシーにアニヤ・テイラー-ジョイ。
僅か900万ドルで作られた低予算映画ながら、シャマラン監督作品としては「シックス・センス」以来となる、全米三週連続一位を記録する大ヒットとなった。
※ラストと核心部分に触れています。

高校生のケイシー(アニヤ・テイラー-ジョイ)は、クラスメイトのクレア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の誕生日パーティに招かれ、帰りにクレアの親友のマルシア(ジェシカ・スーラ)と共に、車で送ってもらうことになる。
ところが、駐車場で見知らぬ男(ジェームズ・マカヴォイ)が突然車に乗り込んできて、彼女らの顔にスプレーを吹きかける。
三人は眠らされ、気づいた時には窓の無い密室に監禁されていた。
拉致した男の奇妙な言動に恐怖した三人は、何とか脱出するために頭をひねる。
すると、扉の向こうでさっきの男と女性の話声がする。
声の限りに叫び、助けを求める三人だったが、扉を開けて入ってきたのは女装し、全く別人の雰囲気を纏った男だった。
しばらくすると、男は子供の様な屈託のない笑顔を見せ「ボク、ヘドウィック。9歳だよ」と話しかけてくる。
彼は、その心にいくつもの人格を宿す多重人格者だった・・・・


前作「ヴィジット」に続いて、M・ナイト・シャマランの作家性が生かされた、ウェルメイドな佳作だ。
この人の持ち味は、B級映画の題材を、思わせぶりにA級っぽいテイストで撮って、「なんだかよく分からないけど、凄そう」と思わせてしまうこと。
「レディ・イン・ザ・ウォーター」の様に外連味を重視しすぎて自滅したり、「アフター・アース」など、雇われ監督として撮った作品はただただ空虚だったりするが、素直に独特のB級感覚を発揮した時のシャマランは面白い。

誘拐された3人の女子高生、ケイシー、クレア、マルシアと、ジェームズ・マカヴォイが怪演する一つの体に23もの人格を持つ男。
まあ、実質的にはほぼ4人格しか出てこないのだが、これは尺を考えると致し方あるまい。
多重人格は「サイコ」の昔から、ホラーやサスペンスではおなじみの要素だが、女子高生たちが如何にして男を出し抜いて脱出するのかというスリルと、謎の24番目の人格への興味で引っ張る。
超自然的な要素も、やり過ぎずにいい塩梅だ。

「スプリット」というタイトル通りに、本作では様々な要素がスプリットされる。
まずは元人格のケヴィン以下、23の別人格に分裂した男の心。
それぞれの人格は主導権を巡ってけん制し合い、原則的にある人格が現出している時に起こったことは、他の人格には悟られないが、協力し合っている人格同士は同時に現出して話し合ったりすることも可能なようだ。
来年公開される「X-MEN」の新シリーズで、“マジック”を演じる事が決まっている、アニヤ・テイラー-ジョイ演じるケイシーは、多重人格のこの仕組みを使って、男にだまし合いを仕掛けるのである。
またケイシーら誘拐された女子高生は、幾つもの扉によって外界からスプリットされている。
僅かな隙間から見える断片的な情報は、希望と絶望の両方を彼女らにもたらす。
やがて脱出を図ったクレアとマルシアは、それぞれケイシーとは別の部屋にスプリットされ、お互いの生死すら分からなくなる。
彼女たちが閉じ込められている、迷路のような地下施設のデザインもいい。
物語のラストでその場所がどこだかが分かるのだが、施設の正体そのものもメタファーとして機能している。
ビジュアルでは、精神科医のフレッチャーのアパートの螺旋階段も印象的だ。
自分が誰と対峙しているのか分からなくなる、ミステリアスな心の迷宮への導入・脱出として効果的に使われている。

物語的には、現在進行形のメインプロットと、ケイシーの過去を描くサブプロットが並行して語られ、二つの話の関連性と集束のさせ方も上手い。
マカヴォイのキャラクターは、幼少期の虐待によって、いくつもの人格を作り出したのだが、多重人格を進化の一形態だと考えるフレッチャーとのセラピーによって、ある種の優生思想を持つようになっている。
彼の心に住む何人かの人格は、24番目の人格が現れることによって、肉体をも進化を遂げ、人類を超えるミュータントとして生まれ変わると信じているのだ。
そのための生贄として、何の苦労も知らない怠惰な女子高生が選ばれたというワケ。
もっとも、彼が狙っていたのは、以前イタズラされたクレアとマルシアであって、ケイシーはたまたま巻き込まれただけ。
実は彼女自身も心に大きな傷を抱えていて、彼女の過去を描くことによって、二人の間にある同根の関係が徐々に明らかになり、クライマックスで24番目の出現における肉体的な覚醒と、それまで対立関係にあった両者が、共に精神的に解放されるという意外な展開に繋がっている。

もっとも、この辺りはB級をB級のまま終わらせない、シャマラン映画に慣れ親しんだ観客には驚きは少ないだろう。
本作のユニークさは、24番目の人格とその目指す先が示唆するように、サイコ・スリラーの構造に、アメコミヒーローものの世界観を裏返して内包していることにある。
マーベルやDCに代表されるアメコミヒーローは、マスクを被ることによって普段とは別人格となるが、彼らの多くはミュータント、あるいは肉体改造や機械の力を借りて進化した人間で、特に「X-MEN」シリーズにおけるミュータントは本作の多重人格と同じく差別の対象だ。
ならば鋼の肉体を持つ24番目の人格は、新たな進化の方程式によって出現した「X-MEN」の裏返しであり、アンチヒーローなのである。
そして、シャマランの本当の狙いは、物語の最後に明確になる。
ダイナーで事件を伝えるニュースが流れ、客の一人が「15年前の事件を思い出す。あの犯人、だれだっけ?」と言うと、カウンターにいた男が答える。
「ミスター・グラスだ」と。
しかもこの男、ブルース・ウィリスではないか!

15年前に公開された「アンブレイカブル」は、シャマラン流のアメコミヒーローの再解釈であった。
ブルース・ウィリスの役は、どんな事故にあってもかすり傷すら追わない男・ディヴィッド。
ある時彼は、サミュエル・L・ジャクソンが演じる極端に体が弱いミスター・グラスと出会い、自分がコミックに出てくるようなヒーローだと教えられる。
最初は信じないディヴィッドも、次第にヒーローとしての使命に目覚め、自分を導いてくれたミスター・グラスに感謝するのだが、実は不死身の人間を探し出すために、ミスター・グラス自身が数々の重大事故を引き起こしていたことが明らかになる。
ヒーローとヴィランは表裏一体で、同じ存在が運命の悪戯によって両極端に“スプリット”されただけ。
見方によっては、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」の構造を先取りした作品であり、アメコミではないものの、「ダイ・ハード」シリーズで、絶対死なない男を演じていたブルース・ウィリスを不死身の男役に当てるという、茶目っ気のあるキャスティングを含めて、なかなかに斬新な作品だった。
しかし、15年目にして突然の続編とは。
そう言えばシャマランは、「アンブレイカブル」公開時に、三部作構想があると語っていたような。

シャマランが、長くほったらかしだった三部作を、いつ再開させようと考えたのかは分からないが、サミュエル・L・ジャクソンが、マーベル作品でヒーローを次々スカウトするニック・フューリー役を演じたあたりなのではないかと推測する。
フューリーはまさにミスター・グラスの再反転版のキャラクターだし、既にアナウンスされている次回作「グラス」は、拡大を続けるマーベル・シネマティック・ユニバース、あるいはDCエクステンデッド・ユニバースに対するシニカルなアンチテーゼとして、なかなか面白そうだ。
そう考えると、アニヤ・テイラー-ジョイの出演も、「X-MEN」とどっちが決まるのが早かったのか気になる。

今回は「スプリット」ならぬ「スピリット」にしよう。
ジェームズ・マガヴォイの出世作といえば「ナルニア国物語」のタムナスさん。
タムナスさんはしばしば羊の姿で描かれる牧神フォーン。
という訳で、スペルは違うけどラム酒の「レモン・ハート デメララ」をチョイス。
古谷三敏の漫画「BAR レモン・ハート」のタイトルでも知られる、1804年創業のラムの老舗だが、一時閉鎖され、現在はカナダのハイラム・ウォーカーから発売されている。
バリエーションも豊富だが、デメララは濃い褐色のダークラム。
黒糖の香は豊だが、甘味はそれほど強くなく、比較的すっきりとした風味。
CPも高く、カクテルベースとしても使い勝手が良いが、おススメはロックだ。

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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス・・・・・評価額1700円
2017年05月13日 (土) | 編集 |
アイ・アム・ユア・ファーザー!

マーベル・ユニバースの”ローリングストーンズ”こと、銀河のはみ出し者集団「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の活躍を描くシリーズ第二弾。
「アベンジャーズ」に代表される、主に地球を舞台とした正統派スーパーヒーローものとは毛色の違った、一癖も二癖もあるアンチヒーローたちによるお笑いスペースオペラは、大ヒットした前作に勝るとも劣らないパワフルな快作だ。
ガーディアンズのメンバー他、主要なキャスト、ジェームズ・ガン監督以下スタッフもほぼ続投。
新たなキャラクターも登場して、ドラマとしてぐっと深化した。
マニアックなディティールはそのままに、世界観も広がり、シリーズとしての魅力はますます増していっている。
※核心部分に触れています。

スター・ロードことピーター・クィル(クリス・プラッド)と仲間たちは、ソヴリン人に雇われて、彼らの高価な電池を宇宙怪獣から守る任務に成功。
対価として、囚われていたガモーラ(ゾーイ・サルダナ)の妹ネビュラ(カレン・ギラン)の身柄を引き取る。
しかし、ロケット(ブラッドリー・クーパー)がどさくさに紛れて電池を盗み出したことがバレ、ソヴリンの艦隊に追い回されることに。
絶体絶命に陥った時、彼らの前に謎の宇宙船が現れて危機から救う。
宇宙船の主は、エゴ(カート・ラッセル)。
実は彼こそがクィルの実の父で、何十年も行方不明の息子を探していたという。
エゴの招待を受けたクィル、ガモーラ、ドラックス(ディヴ・バウティスタ)はエゴの星へと向かい、ロケット、ネビュラ、ベイビー・グルート(ヴィン・ディーゼル)は船の修理をしながら待つことに。
しかし、ソヴリンの依頼を受けたヨンドゥ(マイケル・ルーカー)たちの襲撃を受けて捕虜になってしまう。
一方、すっかりエゴを信頼する様になったクィルだが、彼の星には恐るべき秘密があった・・・


一作目の印象から、コレは4DX案件だと確信していたのだが、まさにドンピシャ。
ライド感覚でムッチャ楽しかった。
前回で世界観とキャラクターの紹介は終わっているので、最初から飛ばしまくる。
全てが金ピカの惑星ソヴリンで、宇宙タコ怪獣から貴重な”電池”を守るバトルシークエンスから始まって、あとはアクションと小ネタのギャグのつるべ打ちに、何度も腹抱えて笑った。
適度な緩急はもたせてあるが、完全に流れが止まる部分が全くなく、4DXもほぼ動きっぱなし。
過去のSFで見たようなシークエンスも沢山あるのだけど、微妙なハズしを仕掛けてくるので、未見性も高い。
例えば電池を盗まれたソヴリンの宇宙船が大挙として追いかけてきて、宇宙空間で入り乱れての戦闘となる、というシチュエーション自体は、前作でも散々やっていたことだ。
だが、実はソヴリンの船は全てがドローンで、でっかいゲーセンみたいなところでみんなが操縦している。
”ゲームっぽい”ビジュアルを、実際にゲームにしてしまってギャグに昇華し、ついでにソヴリン人の尊大かつ間抜けなキャラクーを、ステロタイプ的に描写しているのである。

物語的には、父性を巡る葛藤を軸にキャラクターを掘り下げ、ドラマチックに展開する。
前作で描かれたように、クィルの母親は彼が8歳の時に亡くなった地球人だが、父親は謎の宇宙人ということになっていた。
今回、カート・ラッセル演じるエゴがクィルの前に姿を現し、父親の名乗りを上げる。
彼は自我を意識した時には宇宙空間を漂っていた、つまり親を持たずに忽然と出現した”α”であり、神的な存在である。
星間物質を集めて、やがて自らが意志を持つ惑星となり、他の生命を探すために、人の形をしたアバターを作って、いろいろな星を渡り歩き、地球で出会ったのがクィルの母。
自分と母を捨てたことから、初めは疑念を抱いていたクィルも、次第にエゴの力に魅せられ、ガモーラの忠告も聞かず、カメハメ波でキャッチボールして「お前は神の子だ」とおだてられると、すっかり籠絡されてしまう。

だがSFの世界で、突然現れて「私がお前の父だ」とか言うのはろくな奴じゃないのはお約束。
しかも分かりやすく、名前が”エゴ”である(笑
彼の本当の目的は、自分自身の種を銀河中の惑星に植え、宇宙全体を自分と同化してしまうこと。
各惑星の生物と子供を作り、手伝わせようとするも、クィル以外は自分の力を受け継げなかったので、皆殺し。
計画の邪魔になるクィルの母を病気にして殺し、息子の回収をヨンドゥに依頼するも、裏切られてしまって今に至るというワケ。
エゴとクィル親子だけでなく、本作ではプロットのあちこちに家族の確執と絆が組み込まれている。
ガモーラと妹のネビュラは、冷酷な養父サノスによって暗殺者として育てられ、姉との勝負に負けるたびに体の一部を機械にされていった妹は、ガモーラへの愛憎と、サノスへの強烈な復讐心に突き動かされている。

一方で、ガーディアンズのドラックスは、嘗て最愛の家族を殺された父親であり、ロケットは赤ちゃんに戻ってしまったグルートを子育て中。
実の家族との確執が、ガーディアンズという新しい”ファミリー”との絆を際立たせる仕組みだ。
けれども、本作で一番美味しいのは、クィルの育ての父だったヨンドゥだろう。
クィルをエゴに届けなかったのは、「子供なら自分たちが入れない、狭いとこに忍び込んで盗みを働けるから」と嘯きつつも、実は自分の子供を回収しては殺しているエゴから守る為だったことが示唆される。
ヨンドゥとエゴが対照的な父親像として機能し、最後までドラマを盛り上げるのだ。
このシリーズの特徴の一つが、クィルの母が好きだったという設定の7〜80年代のヒットソングの数々で、第一作では「Awesome Mix Vol. 1」、今回は「Awesome Mix Vol. 2」というカセットテープが出てくる。
ところが、テープはウォークマンごとエゴに壊されてしまったので、次はどうするんだろうと思ったら、育ての父から息子への意外な形のプレゼントとして復活。
まさか、登場した時には間抜けな小悪党という感じだった、ヨンドゥに泣かされるとは思ってもみなかったよ。
ある意味これは、マイケル・ルーカーとカート・ラッセルの映画だ。

ファミリーを巡る物語を軸に物語を深化させつつ、スペースオペラらしいド派手な見せ場の数々、若い人には「デビッド・ハッセルホフって誰だよ?」と突っ込まれるだろう、オヤジ世代のマニアックなギャグも満載し、笑いとスリルでお腹いっぱい。
エンドクレジットを挟んで5回もあるオマケも含め、満足度は非常に高い。
すでにアナウンスされている第三弾がどういう展開になるのか、アベンジャーズ・チームとの融合の可能性も含めて今から楽しみだ。
しかし、ヴィン・ディーゼルにプラスしてカート・ラッセルまで参戦し、ガーディアンズのメンバーに「ファミリーは見捨てない」とか言わせちゃうし、お笑い要素の強い宇宙版「ワイルド・スピード」の趣も出てきた。
次回でスタローンが絡んでくると、「エクスペンタブルズ」要素も入ってくるのだろうか。
内容とは関係ないが、ヴィン・ディーゼルが、可愛い過ぎるベビーグルートの声の演技してるところを想像すると、それだけで吹きそうになる。
是非レコーディング風景をメイキングに入れてほしい。

今回は、”魚雷”の名を持つ刺激的なビールを。
1979年に設立された地ビール銘柄、シエラネバダ・ブリューイングが2009年より醸造している「トルピード エクストラIPA」をチョイス。
名前の通り攻撃的なホップ感は、一度飲んだら忘れられない。
口当たりは軽やかでクリーミー、フレーバーは複雑だがキャラクターがはっきりしていて切れ味がいい。
宇宙の彼方で活躍するガーディアンズも、地球に立ち寄った時には飲みたくなるだろう。

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ショートレビュー「帝一の國・・・・・評価額1650円」
2017年05月09日 (火) | 編集 |
ボクが、ボクの国を欲しいワケ。

意外と言っては失礼ながら、こりゃあ実に面白い。

政界直結の超エリート高の生徒会長選挙を巡る学園コメディなのだけど、日本型政治のカリカチュアとして凄く分かりやすいのだ。
舞台となるのは、帝国海軍の士官養成学校をルーツに持つ、全国屈指の名門・海帝高校。
この学校の卒業生は政官財に巨大な学閥ネットワークを持ち、海帝生徒会のトップ、生徒会長を務めることは、そのまま日本国総理大臣への最速道となる。
大きな野心を持つ優秀な生徒たちは、入学すると、まず担任によってルーム長に任命されることを目指す。
ルーム長になると、自分で任命する福ルーム長と共に生徒会へ参加し、生徒会長候補となっている二年生の中から支持する人物を選び、きたる生徒会長選挙を共に戦うのである。
要するに、これは一年生議員たちが、派閥のボスたちの中で誰が出世しそうか、誰が自分を引っ張ってくれそうかを勘考しながら選び、いつかは自らが派閥のボス、ひいてはトップを目指す構図と同じ。

主人公の赤羽帝一の夢は、「総理大臣になって、自分の国を作る」こと。
付属中学時代から学年トップだった彼は、当然のごとく一年生でルーム長となると、一年後には自らが生徒会長候補となる事を前提に、派閥を選ぶ。
生徒会長候補になるためには、生徒会長になる人物の派閥にいなければならない。
もし、支持した人物が落選すれば、自分が生徒会長候補になる可能性は限りなくゼロに近づく。
勝負は、一年生の時点から始まっているのだ。
帝一が入学した時点で、次期生徒会長の有力候補は二人。
保守本流で強い統率力を持ち、目的のためならしばし手段を択ばない氷室ローランドと、中道リベラルで生徒会の改革をめざし、理知的で温厚なキャラクターの森園億人。
この時点で、帝一は迷わず氷室の“忠犬”となる道を選ぶのだが、政治の世界は高校生であっても一筋縄ではいかない。
熾烈な選挙戦が繰り広げられる中、帝一は自分ではどうにもならない運命の悪戯に苦しめられ、総理大臣までの鉄壁の人生戦略の、抜本的な仕切り直しを余儀なくされるのだ。

投票権を持つのは、生徒会メンバーと、各部活の代表者。
絶対不利な状況から、自分の支持する候補を当選させるためには、どうすればいいのか。
権謀術数渦巻く選挙戦は、友情と裏切り、王道と奇策のシーソーゲーム
学園の権力闘争に風刺された日本型エスタブリッシュメントの社会では、どの様な人物が好まれて、どういった行動が票を決定付けるのか。
ホンモノの選挙も、程度の差はあれど、実際の人々の行動原理は映画と大して変わらないんじゃないかと思わされる。

有利不利が二転三転し、なるほどという所に帰結する物語の構造も良く出来ているが、ピュアなのか黒いのかよく分からん帝一のキャラクターも魅力的。
彼の「自分の国を作りたい」意外な動機は、建前と本音の、更に奥に隠されているのだけど、政治をやる者は、良くも悪くも必ず捻くれるという訳か。
主人公をはじめとした登場人物が、そろって昭和レトロテイストなのはいかにも古屋兎丸の作品らしいが、漫画的カリカチュアによって下がったリアリティラインが、風刺性を際立たせる。

息子たちのバトルロワイヤルが、いつの間にか親たちの因縁に波及するあたりも、いかにも狭い“政治村”の物語っぽくていい。

男の園の話だから、女性キャラの出番は殆どないのだけど、ほとんど紅一点の永野芽郁が、ハイキックとエンディングの可愛すぎるダンスで美味しいところを持って行った。

今回は、王者の酒ということで「クルボアジェ ナポレオン」をチョイス。
ナポレオンはコニャックの熟成度を表す言葉で、V.S.O.P.とX.O.の間の熟成度のもの。
特にクルボアジュはナポレオン本人が愛飲していたことでも知られ、ナポレオンのナポレオンといえるかも。
味わいは比較的ストレートで、複雑さにはやや欠けるものの、輪郭のはっきりした酒で飲みやすい。
正規輸入品は高いが、平行輸入が沢山出回っているので、コスパを考えればそっちの方がだいぶお得だ。
まあ、そんなセコイことを考えている庶民には、「ボクの国」など作れないのだろうが。

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ワイルド・スピード ICE BREAK・・・・・評価額1650円
2017年05月04日 (木) | 編集 |
“ファミリー”は、壊れない。

2021年に公開予定の第十作をもって、一応の完結がアナウンスされている、「ワイルド・スピード」シリーズ最終三部作の第一部
そして、ヴィン・ディーゼルと共にシリーズの看板であった、ポール・ウォーカー亡きあとの、最初の一本でもある。
レティと結婚したばかりのドムが、突然最愛のファミリーを裏切り、謎めいた女と共に失踪。
ホブスやレティは、ことの真相を探り、ドムを取り戻すために世界を駆ける。
監督は前作のジェームズ・ワンから、80年代のギャングスタ・ラップの勃興を描いた傑作、「ストレイト・アウタ・コンプトン」のF・ゲイリー・グレイへとバトンタッチ。
2001年の第一作からはや16年目の第八作、もうすっかりシリーズのカラーは出来上がっているので、手堅い作りで十分楽しい。
ウォーカーの抜けた穴は、新にファミリーに合流する意外なキャラクターが補い、敵キャラがシャーリーズ・セロンとなったことで、華やかさにもこと欠かない。

ドム(ヴィン・ディーゼル)とレティ(ミッシェル・ロドリゲス)は、キューバでバカンスを楽しみ、リラックスした日々を過ごしていた。
ある日、サイファーと名乗る女(シャーリーズ・セロン)が、ドムにある写真を見せ、「自分の部下になって働いてほしい」と要求する。
その後、ドムとファミリーは、ホブス(ドウェイン・ジョンソン)と共に、電気回路を破壊する電磁パルス砲を、武器商人から奪還するミッションを遂行。
無事に成功したものの、ドムが突如としてファミリーを裏切り、一人で電磁パルス砲を持って姿を消す。
ドムが世界最強のハッカー、サイファーの仕事をしていることを突き止めたミスター・ノーバディ(カート・ラッセル)は、服役していたデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)とファミリーを組ませ、情報収集システム「ゴッド・アイ」を使ってドムを探す。
しかし、逆にドムとサイファーの襲撃を受けて、「ゴッド・アイ」を持ち去られてしまう。
サイファーの次の計画は、ニューヨーク滞在中のロシアの国防相から、核ミサイルの発射コードを奪うこと。
ドムとファミリーは、ニューヨークのストリートで再び対峙するのだが・・・・



冒頭、ドムとレティがキューバへハネムーン中、ドムの従弟のトラブルに巻き込まれてストリートレースに出場するのだけど、過去半世紀以上の断交から、アメリカとキューバの国交が劇的に回復したのが2015年の7月20日。
その僅か数か月後には、キューバに大規模なロケ隊を送り込んでいるのだから、さすがハリウッドは仕事が早い。
アメリカによる経済制裁が長年続いていたキューバでは、今も革命前に輸入された沢山のアメ車が、時には魔改造を施されながらも大切に乗り続けられている、4~50年代の希少なアメ車の天国なのだ。
国交回復後はアメリカから大挙としてバイヤーが入っている様で、実情を即プロットに盛り込む時代の捉え方は相変わらず鋭い。
しかも、この明らかに急ごしらえの部分が、後から伏線としても機能するのだから畏れ入る。

今回は、ドムが突如としてファミリーと袂を分かち、シャーリーズ・セロン演じる悪のハッカー、サイファーと組むのだけど、ワケありなのは最初から分かっているので、テーマ的には今までと変わらない。
幼少期に父を失ったトラウマから、誰よりもファミリーの絆を大切にしてきたドムが、ファミリーを裏切る理由もまた、ファミリーしかないのである。
本作の基本構造は、ある人物を人質にとられたドムと、ドムを奪還しようとするファミリー、サイファーを捕らえるためにはドムと組まれると困るミスター・ノーバディ、悪の計画遂行のためにドムを利用するサイファーと、ドムを中心にした四つ巴の構図
このうちサイファー以外の三者の利害は共通しているので、「ゴッド・アイ」を手に入れ、全世界の情報網を握るサイファーの鉄壁の計画をいかにして崩し、ドムを自由にするのかが物語の帰結するポイントとなる。

一時的とは言え、最強の男を敵に回すことになったファミリーとホブスは、前作で敵だったジェイソン・ステイサム演じるショウと手を組む。
今では準ファミリーでシリーズの中核メンバーのホブスも、「MEGA MAX」で登場した時はドムを捕まえることに命を懸けていた訳で、嘗ての敵を次々と取り込んでゆくのはいかにも少年漫画的。
そもそも、第一作の段階ではドムとブライアンの二人も敵同士だったのだから、「殴り合った相手と友になる」展開は、もはやお約束なのだ。
このシリーズは、一応一話完結ではあるものの、「007」などと比べると、どの話も前作あるいは前々作から受け継いでいる要素が多いのが特徴で、全体像を理解するためには一作目から観るしかない。
ショウとファミリーの関係や、物語のキーになる情報収集システム「ゴッド・アイ」の件も含めて、今回も出来れば前々作の「EURO MISSION」、少なくとも前作の「SKY MISSION」は観ておくのが無難。
単体で観て、分からないところはスルーしても問題ないようにはなっているが、やはり知っているのと知らないのとでは面白さに差が出てくる。

お腹いっぱいテンコ盛りのアクションシークエンスは、ほとんどサイファーがらみのハッキングから起こるのだが、ハリウッド映画にありがちなハッカー万能論もここに極まれり。
サイバー空間から世界征服を目指す、このコネリー時代のスペクターのモダンな継承者は、殆どあらゆるものをハッキングで遠隔操作していしまうのだ。
無数の自動車はドライバーの意図とは関係なく暴走し、はては原子力潜水艦までもが勝手に動き出す。
まあ真っ直ぐ暴走させるくらいは出来る車種も多かろうが、自動運転車じゃあるまいし、ドライバーが乗っている様に走らせるのは、現実にはまだ無理だろう。
通信機能すらなさそうな、古いミニバンとかイエローキャブも暴走していたし。
原子力潜水艦なんて、遠隔操作でドローンみたいに操縦して、戦闘まで出来ちゃったら、そもそも乗員などはじめから要らないじゃないか(笑
まあぶっちゃけムチャクチャなのだが、突っ込みどころ満載の設定が許せてしまうのも、このシリーズの持ち味。

設定の強引さに目を瞑れば、無数のクルマの群れが「ワールド・ウォーZ」のゾンビ軍団の様に街を蹂躙し、立体駐車上から雨の様に降り注ぐという映像の迫力と未見性は文句なし。
戦車、巨人機アントノフときて、遂に潜水艦相手となったクライマックスの氷上バトルは、なんか脳みそから変な汁が出そうなくらいに楽しい。
英国特殊部隊出身のショウ兄弟が、ジェットパックを背負って、サイファーの秘密基地である輸送機に潜入するシークエンスは、本家「007」へのオマージュか。
しかし毎度のことながら、よくこんなアクションのアイディアを考えつくものだ。
魚雷を手で方向転換とか、お前らはホントに人間なのか(笑

元々このシリーズは、90年代に西海岸のアジア系の若者たちの間で、派手なエアロを纏った日本製スポーツカーが流行したことが企画の原点にあり、第三作以来監督もアジア系が務めてきた。
今回、アフリカ系のF・ゲイリー・グレイが監督すると聞いて、前作の「ストレイト・アウタ・コンプトン」の印象が強かったものだから、最初ちょっと意外な人生の気がしたが、実はこの人リメイク版「ミニミニ大作戦(The Italian Job)」のメガホンを取っているのだ。
思い出してみると、裏切り者に奪われた1トンの金塊を、当時発売されたばかりのミニ・クーパーで奪還する、という設定自体が「MEGA MAX」の元ネタっぽい。
しかも、裏切り者への復讐に燃えるヒロインをシャーリーズ・セロン、最速の逃走スペシャリストをジェイソン・ステイサムが演じていたのだ。
この映画はそこそこヒットしたので、続編として「The Brazilian Job」が企画されるも、皮肉なことに出演者たちが全員ビッグになってしまったことでバジェットが肥大化し、何度も企画に手をいれているうちに自然消滅してしまった。
つまり、F・ゲイリー・グレイにとっては、本作は幻となった「The Brazilian Job」の主要キャストが参加した仇討合戦。
そして、見事に結果を出したと言って良いのではないか。
ファミリー最大の危機を描く本作のラストで、ドムの最後のセリフに思わず胸アツ。
この調子であと二本、有終の美を飾って欲しい。

前回はコロナだったので、今回はベルギービールの「デュベル」をチョイス。
当初、第一次世界大戦の戦勝を記念して「ビクトリー・エール」と名付けられていたそう。
ところが、発売前の試飲会で飲んだ靴屋ヴァン・デ・ワウワーが「このビールはまさに悪魔だ」と言ったことから、悪魔を意味する「Duvel」に銘柄が変更されたとか。
きめ細かな泡立ちと、スッキリとしたスムーズなのど越しが特徴。
適度な苦味としっかりしたホップの香りは、まさに魔力として作用する。

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ショートレビュー「イップ・マン 継承・・・・・評価額1700円」
2017年05月01日 (月) | 編集 |
誰のために、闘うのか。

中国武術・詠春拳葉問派宗師、葉問(イップ・マン)の活躍を描くシリーズ第三弾。
監督のウィルソン・イップ、脚本のエドモンド・ウォン、音楽の川井憲次ら主なスタッフは続投。
1930年代、日本軍占領下の仏山から始まった物語は、前作で終戦直後の香港に移り、今回は10年後の1959年。
イギリス領香港では、マイク・タイソン演じる悪徳外国人が、警察上層部とも結託し街を牛耳り、チンピラを使って小学校の地上げ買収を画策。
放火や誘拐をもいとわない彼らに対して、イップ一門が立ち上がる。
このいかにも勧善懲悪なストーリーが、いつの間にか詠春拳の継承を巡る同門対決に展開するのだが、この作品のバックボーンとなっているのは、イップと妻ウィンシンの夫婦愛の物語なのだ。
これにより、プライドがぶつかり合う男たちの物語がグッと深みを増し、シリーズ最高傑作と言って良い出来栄えとなった。


近年では「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」や「トリプルⅩ:再起動」などのハリウッド映画でも大活躍だが、ドニー・イェンが一番輝くのはやっぱりこの役。
ウォン・カーウァイの「グランド・マスター」で、トニー・レオンが演じた寡黙なイップ・マンも魅力的だったが、ドニーのクールだけど愛嬌のあるキャラクターは、良い意味で昔ながらの香港映画の味わいがある。

今回は、第一作から四半世紀分の年齢を重ねた故か、人物や物語も含めて、色々な意味で丸くなっているのだが、そこがいい。
前二作のクライマックスは、VS日本人、VSイギリス人と戦争と占領の時代にあって、中国人としての誇りを賭けた闘いだったが、今回は違う。
マイク・タイソンとの一戦は、ド迫力だが中盤の山場にとどまり、本当のボスキャラは我こそは詠春拳の正統な後継者だと名乗る、一回り若い同門の武術家チョン・ティンチだ。
だが、彼の挑戦をイップは受けない。


実は、時を同じくして妻のウィンシンが末期癌に侵され、イップは彼女のために残された時間を使うと決めたからだ。
今まで、多くの敵を持つ夫に、人生を振り回されてきたウィンシン。
そんな妻と最後に一緒に踊りたいと、不慣れなダンスを習い、痛みに耐える彼女を、甲斐甲斐しく介護するイップの姿がなんだか可愛い。
しかし、妻のためにとチョンとの勝負を回避した夫の背中を押すのは、やはり彼女なのである。
夫に悔いを残させたまま、死ぬことは出来ない。

困難な時代に、武術家として開花したイップを支え続けたウィンシンにも、彼女なりの矜持がある。
気高く美しいリン・ホンの演技は、間違いなくキャリアベストだ。
観ているこちらも、最強の男が闘う理由、闘わない理由に思わず涙。

夫婦で本懐を遂げるために、ウィンシンの立ち会いのもと始まる、イップVSチョンのお互いに武術家として全てを出し切る功夫決戦は、質量ともに圧巻の仕上がり。
アクションシークエンスは、他にも大小テンコ盛りで、特にマイク・タイソンとの3分限定異種格闘技戦は凄い。
拳が空を切るだけでヘビー級チャンピオンのパンチの重さが伝わって来て、こりゃあイップ・マンじゃなきゃ、一発受けるだけで死ぬわと思わされる。
アクションシーンの編集も、最近ありがちな細切れではなく、きちんと技の流れを見せてくれるのも嬉しい。
功夫映画の場合、これはとても大事なことだ。


ちなみに邦題の「継承」って、ブルース・リーのことかと思っていたが、違った。

彼は出てくるのだけど、結構コミカルなアクセントという感じ。

仕草とはかちょいやり過ぎではあったけど(笑


今回は紹興酒を使ったカクテル「香港フィズ」をチョイス。
氷をいれたタンブラーに紹興酒60mlとジンジャーエール120mlを注ぎ、ステアする。
スライスレモンを飾って完成。
ソフトドリンクライクな、気軽に飲めるライトなカクテルで、中華料理との相性もいい。
紹興酒は独特な味わいから結構好みが分かれるが、カクテルベースとするとなかなか面白い酒だ。

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