酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ワンダーウーマン・・・・・評価額1700円
2017年08月29日 (火) | 編集 |
愛で、世界を救う。

6月の米国公開時の絶賛の嵐も納得、これは期待に違わぬ面白さ。
「マン・オブ・スティール」から始まる、同一世界観のDCエクステンデット・ユニバース(DCEU)は、「バットマン vs スーパーマン ジャスティの誕生」「スーサイド・スクワット」の3作が公開済み。
ガル・ガドット演じるワンダーウーマンも、既に「バットマン vs スーパーマン」でゲスト出演的に登場しているが、本作では女だけの秘密郷・セミッシラで生まれ育った若きプリンセス、ダイアナが初めて外の世界を知り、ワンダーウーマンとなるまでを描いたビギニングだ。
舞台は一気に100年遡って、第一次世界大戦下の欧州。
歴史上最悪の戦争の惨禍の中で、人類の愚かさを思い知らされたダイアナが、それでも人類を救う愛の救世主となったのはなぜか。
これはスーパーヒロイン誕生の物語であるのと同時に、実に切ないファーストラブストーリーでもある。
監督は悲しき連続殺人犯を描いた傑作、「モンスター」以来14年ぶりの劇場用長編作品となるパティ・ジェンキンス。
作品のクオリティは、批評的な苦戦が続くDCEUダントツのベストで、まさにシリーズの救いの女神となった。

女だけの島、セミッシラで育ったアマゾン族の王女ダイアナ(ガル・ガドット)は、勇壮な戦士に憧れる少女。
戦争の恐ろしさを知る母ヒッポリタ(コニー・ニールセン)は、彼女が戦いの訓練に参加することを許さないが、島一番の戦士として知られる叔母のアンティオペ(ロビン・ライト)から密かに教えを受け、やがてアンティオペにも負けない強さとなる。
そんなある日、外界との境界を超えて、一機の戦闘機がセミッシラの海に墜落。
ダイアナは、パイロットのスティーブ・トレバー(クリス・パイン)を救出するが、彼を追ってきたドイツ軍とアマゾン族の間で戦闘になり、アンティオペが戦死してしまう。
ヒッポリタが真実の投げ縄を使って、トレバーを尋問すると、島の外では世界中を巻き込む大戦争が起こっていること、ドイツ軍のドクター・ポイズンが、人類を破滅させる毒ガスを開発していることを聞き出す。
戦いの神アレスの関与を確信したダイアナは、アレスを倒すために、母の反対を押し切ってトレバーと共にロンドンへ向かう。
ダイアナは、初めて目にする大都会に戸惑いつつも、アレスを探し毒ガス計画を阻止するためにトレバーたちと前線に赴くが、そこは想像を絶する地獄の戦場だった・・・


私の世代にとって、ワンダーウーマンのイメージは、70年代に放送されていたリンダ・カーター主演のテレビドラマ版
トレードマークの星条旗コスチュームがやたらセクシーで、小学生男子としてはちょっとドキドキしながら観ていた。
対して21世紀の超大作映画は、主人公の名とコスチュームデザインの由来となるダイアナ・トレバーの存在が無くなり、現行のコミックよりも更にモダーンで、メタリックなコスチュームにイメージチェンジ。
本作ではダイアナのヘアスタイルが2パターンあり、髪をアップにしている時がちょっと野暮ったい雰囲気なのも、おそらくは狙いだろう。
戦闘モードになった彼女が、結んだ髪をフワッと下ろして、あのコスチュームで初めて登場する瞬間は文句無しにカッコよく、劇伴の盛り上がりと共に、こちらのテンションもダダ上がり。
このコスチュームは、ガル・ガドットの抜群のスタイルにフィットして、長い手足を振り回してのアクションは、DECUの一番バッター、ザック・スナイダーのスタイルを意識した、激しい動きの中の一瞬のスローを生かしたもの。
細切れの編集ではなく、しっかりと美しい画を見せてくれる、見応えのあるアクション演出だ。

アメコミ映画としての見せ場は十分に抑えつつ、本作は第一義的には本人も知らない宿命を背負ったダイアナが、人類を救うワンダーウーマンとなるまでの成長物語である。
「バットマン vs スーパーマン」で、マザコン男子ヒーローたちの「僕のママがー!」って不毛な争いをさらっと救った時のワンダーウーマンは、クールな大人の雰囲気を漂わせていたが、100年前に初めてこの世界に現れた彼女は、ずっと理想主義的で世間知らずの、未熟な少女の様なキャラクターだ。
勇猛な戦士しかいない女だけの島で育ったダイアナは、会議ばっかりやっていて前線の兵士をチェスの駒のように扱う将軍に呆れ、力なき民を見捨てようとする兵士に怒る。
彼女は、すべての戦争は戦いの神アレスが糸を引いており、彼を殺せば自動的に戦いは終わると考えているのだが、終盤意外な人物の姿で現れるアレスは、人間は愚かな存在で戦争こそが彼らの本質であり、自分と手を組んで人類を滅ぼすことが、真に理想的な世界を再構築することに繋がると説く。
それまでの物語で、戦争の惨禍を目の当たりにし、人類の残酷さと悲しさを身をもって知ったダイアナは、一瞬その言葉に心を動かされる。
ではなぜ彼女は、最終的にアレスに懐柔されず、人類を救うに値すると考えたのか。

それはスティーブ・トレバーと仲間たちによって、自分たちの持つ内面の悪に負けじとする、人間一人ひとりの善なる部分を十分に教わったからだ。
隔絶された世界で純粋培養されたダイアナにとって、トレバーは最初に親しくなった男性であり、人間社会で彼女を導くメンターであり、初めての恋人。
カルチャーギャップに戸惑いながら、ロンドンで身支度を整えるコミカルなシークエンスは、ちょっと「ローマの休日」を思わせ、戦争とのコントラストが二人の間を深める感情の緩急として作用している。
ダイアナの少女の様なピュアな正義感に、職業スパイとして人間のダークサイドばかりを見てきたトレバーも心を動かされ、二人は相互に影響を与えながら、クライマックスにおけるそれぞれの決断に向かって感情を変化させてゆく。
映画全体を通してパティ・ジェンキンスの演出のテンポは、早過ぎず遅過ぎず、キャラクターの心の機微をしっかりと演技で見せる。
アクション映画でありながら、古典的風格を持つ戦争メロドラマとしても見応えありだ。

面白いのは、物語が進行すると共に、ダイアナのキャラクター造形がジェンキンス監督の前作「モンスター」のシャーリーズ・セロンと、表裏の様な関係になってくること。
どちらも未熟な女性が何者かになろうとするが、片方は英雄に、片方は怪物になってしまう。
内容的には対照的な二本には、共通するドラマツルギーと作家性が見て取れる。

しかし、非常に良く出来た映画だけに、どうしても気になってしまうのが、第一次世界大戦という舞台を用意しながら、ダイアナが戦争を無くすための戦いには最後まで躊躇を見せないことだ。
アメコミ映画では、「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」が第二次世界大戦という現実の戦場を舞台としていたが、あの映画のヴィランはレッドスカルという、性格もビジュアルも如何にもコミックというキャラクターだった。
ところが、本作で世界の直接的な脅威となっているのは、実在の人物をモデルとしたドイツ軍のルーデンドルフ将軍と、戦争で自らも顔に深い傷を負ったドクター・ポイズンことマル博士。
どちらも現実の世界にいてもおかしくない、アメコミ映画というエクスキューズ不要のリアリティあるキャラクターだ。
実はスーパーマンが誕生したのは1938年、バットマンは1939年、キャプテン・アメリカが1941年、そしてワンダーウーマンも1941年。
アメコミヒーローの多くは、第二次世界大戦の期間に生まれている。
ナチスドイツに大日本帝国、ファシズムと言う非常に分かりやすい悪役を得たことで、相対的に単純化されて造形された正義が、初期のコミックヒーローなのである。
ちなみに、原作ではマル博士はナチスの科学者として登場し、その正体は日本人のプリンセスなのだが、映画では時代背景を含めてまるごと変更されている。

本作は、コミックヒーローによって正義と悪が単純化される前の時代を、あえて選んでいるのに、争いを別の争いでしか止められない矛盾に対するアプローチが見られない。
これは物議を醸したガル・ガドットのイスラエル軍擁護発言にも通じ、長年にわたって多くのヒーロー物が避けて通ってきたテーマ。
しかし、現在ではコミックや映画化作品を含めて、ヒーローが戦うことの影を描く作品が増えてきたのも事実だ。
もちろん簡単に結論を出せるテーマではないが、訓練しか知らないピュアなプリンセスから、実戦と大きな喪失を経験して大人になったダイアナの中に、一つ葛藤が見えても良かった気がする。
まあその辺りを含めて、既ににパティ・ジェンキンスの続投がアナウンスされているワンダーウーマンの単独主演の第二弾で、ダイアナのさらなる成長に期待しよう。

今回はワンダーウーマンのイメージで、南仏ドメーヌ・タンピエの「バンドール・ロゼ」をチョイス。
桜を思わせる透き通ったピンクの色合いも美しく、ピーチやローズの繊細な果実香、ほんのりとしたスパイシーさを残したフィニッシュ。
ミディアムボディのロゼとして、完成度はとても高い。
間もなくやってくる食欲の秋に、美味しいものと合わせて食べるのにピッタリな、バランスの良いワインだ。

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ベイビー・ドライバー・・・・・評価額1750円
2017年08月24日 (木) | 編集 |
ベイビーは、本当は何から逃げているのか?

犯罪者を車で逃走させる、プロの逃がし屋を描く異色のクライムムービー。
常に耳鳴りの症状に悩まされている主人公は、音楽を聴くことで外の世界から遮断され、天才的なドライビングテクニックを発揮することができるのだ。
この映画ではアクションと音楽は融合し、驚くべき相乗効果を見せる。
「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」などで知られるエドガー・ライトは、持ち味のコミカルさを適度に織り交ぜながら、斬新でスタイリッシュな自身の最高傑作を作り上げた。
冒頭の度肝を抜くカーチェイスと、続くワンシチュエーション=ワンカットのオープニングタイトルバックでもう観客の心を鷲掴み。
アクションであり、ノワールであり、シニカルなコメディであり、青春映画であり、ラブストーリー。
まさに娯楽映画全部入りの傑作である。
※ラストに触れています。

幼い頃の事故の後遺症で、耳鳴りに悩まされているベイビー(アンセル・エルゴート)は、プロの逃がし屋。
彼はイヤホンで音楽を聴いている時だけは、耳鳴りから解放され、驚異的なドライビングテクニックを駆使して、どんな追跡からも逃れてみせる。
強盗たちの元締めであるドク(ケビン・スペイシー)に負った巨額の借金の返済のため、嫌々ながら仕事を引き受けているベイビーは、ある日ダイナーで働くデボラ(リリー・ジェームズ)に恋心を抱く。
あと一回仕事をすれば、借金もなくなりカタギの世界に戻れる。
そうしたら、デボラと新しい人生を始められる。
だがドクは、有能すぎるベイビーを手放す気などなかった。
再び裏社会へ戻らざるを得ない状況に追い込まれたベイビーだったが、彼のある行動を切っ掛けに、新たな仕事のメンバーの間に疑心暗鬼が生まれ、強盗計画は思いもよらない方向に転がりだす・・・


ハリウッド映画には、犯罪者を現場から車で逃走させる、プロのドライバーを描いたカテゴリがある。
近年ではニコラス・ウィンディング・レフンを知らしめた「ドライヴ」、荒唐無稽っぷりがウリの「トランスポーター」シリーズなどがあるが、このカテゴリの源流は、ウォルター・ヒルが凄腕の逃がし屋と狂気の刑事の戦いをスリリングに描いた、「ザ・ドライバー」だろう。
監督のエドガー・ライトも、「ザ・ドライバー」の影響は公言しており、タイトルの「ベイビー・ドライバー」も、「ザ・ドライバー」の若い版という意味もあるのかも知れない。
寡黙な主人公のキャラクターも、どこか共通している。

この映画の主人公は、天才的なドライビングテクニックを持つが、まだあどけない少年の面影を残す若者、通称"ベイビー"
幼い頃に両親を失い、里親の元で育つが、ひょんなことから、強盗たちの元締めで暗黒街に大きな力を持つドクに借金を負ってしまい、その返済のためにやむなく仕事をしている。
年若いベイビーが、どこでそんなテクニックを習得したかという点はちょっと気になるが、まあ某とうふ店の息子みたいに、天性の走り屋が無茶しているうちに覚えてしまったと思えば、それほど問題は無いだろう。
映画の前半は、借金の完済を目前としたベイビーが、最後の仕事を遂行し、つかの間の平和をデボラと楽しむまで。
ところが、縁が切れたはずのドクにとって、ベイビーは成功を約束するラッキーチャームであり、彼を手放す気など初めから無かったのである。

後半になると、愛するデボラや養父のジョーを守るために、ベイビーは再び逃がし屋をする羽目に陥るのだが、問題は仕事のメンバーだ。
ジェイミー・フォックスが外連味たっぷりに演じるバッツは、とりあえず何かにつけて人を殺したがる超危険人物。
ジョン・ハムとエイザ・ゴンザレス演じるバディとダーリンは、ぶっ放すのが大好きなボニー&クライドばりのカップルの強盗犯。
ベイビーは、この危ない犯罪者たちを、なんとかデボラやジョーに近づけないようにしたいのだが、彼のちょっとした行動によって、事態は全ての人間を巻き込む形で推移してしまう。
その凄腕ゆえに、裏社会に絡め取られてしまった人生を、ベイビーが愛する人と共にいかにして取り戻すかが、先の読めないサスペンスフルな物語の骨子となる。

本作の大きな特徴が、際立って高い音楽性だ。
ベイビーは、両親を亡くした事故の後遺症で、常に耳鳴りに悩まされているが、音楽を聴いている時だけはその症状を抑えることができる。
だから彼は誰かと会話している時以外は、ほとんど常にイヤホンで耳を塞ぎ、映像も物語も常に音楽とシンクロしているのである。
この映画ではカーアクションも銃撃戦も、ベイビーの聞く音楽のリズムに乗って進行し、物語そのものも音楽によって牽引される。
その場に流れている曲が何なのか、イヤホンのピースで誰と共有しているのか、全てに意味が生まれていて、映像と音楽と物語は完全に三位一体
全ての描写がリズミカルで、ミュージカルじゃないけど、まるで極上のミュージカル映画を観たような気分になる。

そして、この映画において、音楽はベイビーの心情であり、行動の燃料、そして彼のトラウマ。
ベイビーは、自分の周りの人たちの声を密かに録音しては、サンプリングしてカセットテープに保存しているのだが、膨大なコレクションを収めたケースは言わば彼の心の地図であり、その中心に置かれているのは、「MOM(ママ)」と書かれた黄金色のカセット。
スカイ・フェレイラが演じる亡くなった母親は、若きシンガーでもあり、母の歌を収めたカセットは、彼にとっては誰にも触れられたくない心の聖域だ。
ある意味、ベイビーの時間は母が死んだ事故の瞬間に止まっており、彼は体は大人になっても、心は文字通りナイーブなベイビーのままなのである。
だから彼は、母が働いていたダイナーにずっと通い、どこか母に似た面影を持つデボラに恋をする。
主人公の密かなトラウマを背景に仕込み、表面的なサスペンスドラマの集束点に向けて、ナチュラルに浮かび上がるように組み込んであるのは非常に巧妙。

本作はまた、全編に渡ってエドガー・ライトの映画的な記憶に満ちた作品でもあり、上記した「ザ・ドライバー」以外にも、例えばアクションと笑いと音楽の融合したクライムムービーという点では「ブルース・ブラザーズ」だし、一癖も二癖もある犯罪者たちが疑心暗鬼から自滅してゆくのは「レザボア・ドッグス」を思わせる。
しかし、そこから観客が想像するであろう物語の予定調和から、微妙な"ハズし"を仕掛けてくるのだから上手すぎて小憎らしい。
ビジュアルとサウンドで掴んでおいて、ベイビーの心の奥底に秘められた本当の葛藤が、現実世界の物理的な危機と徐々に一体化する、心理劇としての構成の妙。
彼の最大の脅威になると思われた、バッツの片付け方も意外性があるし、バッツに「株屋」と呼ばれて反論できなかったバディを、愛の復讐鬼として、愛する人を守るベイビー自身の合わせ鏡にするとは、全然想像できなかった。

この映画、デボラとジョー以外の登場人物は、コードネームで呼ばれているが、二転三転する映画のラストで、遂にベイビーの本当の名前が明かされる。
人生を束縛する力を自ら排除し、誰よりも愛する人と新しい道を走りだそうとする大人の男に、もはや"ベイビー"の名は相応しくないのだ。

今回はカクテルの「ベイビー・ムーン」をチョイス。
ブランデー(レミーマルタン)20ml、チンザノ・オランチョ20ml、ホワイトキュラソー10ml、巨峰ジュース10ml、クレーム・ド・ミルティーユ1tspをシェイクして、グラスに注ぐ。
満月をイメージして円形にカットしたドレンドオレンジピールをグラスに沈める。
ブランデーとオレンジフレーバーのチンザノ・オランチョがメインのため、かなりコクのある甘口のカクテル。
巨峰ジュースとブルベリーのクレーム・ド・ミルティーユがいいアクセントとなっている。

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ショートレビュー「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?・・・・・評価額1600円」
2017年08月20日 (日) | 編集 |
青春は、何度でもループする。

なるほど、こう来たか。
オリジナルは、1993年にフジテレビのオムニバス形式のTVドラマ「if もしも」の一編として放送された作品だが、好評すぎて2年後の95年には劇場公開され、”映画監督”岩井俊二の出世作となった伝説的な名作だ。
「if もしも」は、人生の分岐点でもしも別の選択をしたら?という所から、枝分かれした2つの物語がそれぞれ描かれるのが番組のルール。
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の分岐点は、小学生の典道が親友の祐介に水泳の競走で負けた瞬間だ。
二人が共に想いを寄せる同級生のなずなは、家庭の事情で引っ越すことが決まっているが、親に反発して二人のうちの勝った方と”駆け落ち”しようと考えていたのだ。
ところがいきなり憧れの美少女から告白された祐介は、ビビってなずなとの約束を破り、彼女の計画は失敗し、家に連れ戻されてしまう。
そこから、典道が勝ったifの物語がスタートするのである。
ちなみに、ドラマ原作の作品が長編アニメーション映画化されるのは、日本映画史上初なのだとか。
※以下、核心部分に触れています。

今回のアニメーション版では、元々45分だった尺は倍の90分に、小学生だった主人公たちの設定年齢は中学生に変更されているが、前半はなずなの家庭描写と情景描写が増えている程度で、オリジナルにリスペクトを捧げ、極めて忠実に進行してゆく。
多くのシーンで、台詞や画のレイアウトまで踏襲しているほどだ。
ところが中盤、オリジナルとは異なる典道のある決断を切っ掛けに、映画はそれまでの岩井俊二の世界から、急速に脚本の大根仁、あるいは総監督の新房昭之的世界へと舵を切り、世界観は劇的に変貌する
オリジナルでは、もしもの分岐は一回だけ。
ifの世界で、なずなの”駆け落ち”の共犯者となった典道が、真夏の夜の一瞬の奇蹟を噛みしめる物語だった。
ところが、今回は岩井俊二がアイディアを出したという「もしも玉」というアイテムが登場し、この玉を投げることによって時間は何度でも巻き戻り、なずなへの恋心は典道の暴走するエンジンとなり、彼は奇蹟の夜が終わることを全力で拒否するのだ。

オリジナルでは、ドラマのルールという意外に、なぜ2つの世界が別れたのかの説明はなく、ホンモノとニセモノという区別もしていない。
どちらも思春期のある瞬間を切り取った、情緒溢れる物語だった。
しかし本作の場合は、もしも玉の存在によって最初の世界以外は、典道が明らかな意思を持って選択した世界になっている(いや、もしかしたら最初の世界も既に)。
さらに、ドラマ版では水泳競争に参加しないなずなも、本作では泳者であり、最初にもしも玉を見つけるのも彼女。
基本、典道のifであったオリジナルと違って、本作のifは典道となずな二人の世界なのである。
オリジナルでは、典道との奇蹟の夜の終わりに、なずなは「今度会えるの二学期だね。楽しみだね」と言って去って行くが、この台詞は来ないことが分かっている典道の未来に視点が置かれているようで、ニュアンスはとてもノスタルジック。
対してリメイクでのなずなの最後の言葉は、「今度会えるのどんな世界かな。楽しみだね」に変わっている。
どの世界であっても、ifの奇蹟は掴み取るものであるという視点は、青春の”今”を強く意識させるもので、まるで別物という所への着地は、オリジナルのファンの賛否を呼びそうだ。

正直、私も本作はオリジナルを超えていないと思う。
岩井俊二と大根仁、新房昭之のコラボレーションは、美しいハーモニーと言うよりは、強い個性のぶつかり合いで、どこか歪さを感じさせる。
新房昭之作品としても、やはり「魔法少女まどか☆マギカ」のインパクトに及ばない。
ずいぶんセクシーになったなずなは、広瀬すずのアンニュイで小悪魔チックなボイスアクトと、キャラクターデザインの山村洋貴によるアニメーションならではの表情表現と相まって、なかなかに魅力的だが、ぶっちゃけオリジナルの奥菜恵の超絶美少女っぷりには、どんな二次元キャラクターも絶対に敵わない
それでも私は、典道となずなの揺れ動く感情にシンクロする様に、不器用に物語の予定調和をはみ出して、世界の歪みを深めて行く、この外連味たっぷりのファンタジーワールドが、とても好きだ。
まるでこの映画そのものが、どこから見るかによって変幻自在の、この映画の花火の様ではないか。

川村元気プロデュースの本作は、題材にしても公開時期にしても、明らかに「君の名は。」の路線を狙ったものだろう。
だが、あの作品が彗星の”火”がもたらした、途轍もないエモーションに満ちた、生と死の物語だとしたら、こちらは冒頭のビジュアルが示唆する様に、循環する”水”の中で、現実とifの虚構が溶け合う青春の幻想譚と、どこまでも対照的。
エモーションはあくまでも静的で、分かりやすく噴出したりはしないから、「君の名は。」の様に熱狂をもって受け入れられることはないだろう。
しかし、そもそも去年の今の時点で、新海誠と新房昭之の認知度は似た様なものだった訳で、強い作家性を持つアニメーション作家の個性を生かしつつ、ある程度の一般性を持たせて目標興収15億という企画コンセプトはブレてないのだろう、たぶん。

今回は、千葉県の地ビール、「九十九里オーシャンビール IPA」をチョイス。
IPAと言っても、ガンガンにポップが効いているというよりは、適度なホップ感でバランスの良い味わいなので飲みやすい。
キレもよく、日本の夏向きのビールだ。
オリジナルのロケ地は千葉県の飯岡町だったが、本作では自治体合併で現在は存在しない飯岡町の町名が踏襲され、花火大会は架空の茂下(もしも)神社のお祭りと言うことになっている。

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KAAT キッズ・プログラム「アルヴィン・スプートニクの海底探険」&「ひつじ」
2017年08月16日 (水) | 編集 |
神奈川芸術劇場KAAT キッズ・プログラム 海外招待2作品。

「アルヴィン・スプートニクの海底探険」は、オーストラリアに本拠を置き、新しい演劇の形に挑戦しているザ・ラスト・グレート・ハントによる冒険譚。
作・演出はティム・ワッツ、出演はサム・ロングリー。
日本では2012、13年にも上演されたが、首都圏では今回が初。



舞台は、温暖化で陸地が水没した地球。
生き残ったわずかな人々は、加藤久仁生監督の「つみきのいえ」の様に、海に突き出した家で暮らしている。
主人公のアルヴィンは、小さな家で愛する妻のアリーナとささやかながら幸せな人生を送っていたが、妻は病気で死んでしまう。
この世界では死者たちは天国ではなく、原初の生命が生まれた海の底に帰ってゆく。
アルヴィンは亡き妻の魂を追いながら、地球の奥底にあるという未知の空洞を解放し、世界を救うために、一人海底深く潜ってゆくのである。

地球を模しているのであろう、丸いスクリーンに映し出される可愛いアニメーションが物語を進行させ、そこに演劇、パペットのパフォーマンスがシームレスに融合し、ミニマルでユニークな演劇空間が生み出される。
たった一人のパフォーマーと、お世辞にも金がかかっているとは言えない最小限のギミックだけで、観客の頭の中には豊かな世界観が投影される。
潜水服を着たアルヴィンの二頭身のパペットは、日本人にはどうしても目玉のオヤジに見えてしまうのだけど、この単純なフェイスレスなパペットが、驚くほど豊かに感情を伝えてくるのだ。
音楽にダニー・エルフマンが使われてることもあって、ピュアなラブストーリーはちょっとティム・バートンの初期の映画を思わせる。
どこまでも一途なアルヴィンの想いが、昇華されるラストには思わず涙。

気になったのは、子供向けのプログラムなのに、字幕の漢字の多さ。
歌詞やセリフはスクリーンに映し出されるのだけど、あれは小さい子は読めないぞ。
この種の公演ではひらがなを増やすとか、日本語版での上演を検討してほしい。

KAATのロビーで劇団コープスの「ひつじ」のパフォーマンスも上演。
コレも非常にシュールで面白かった。
物語がある訳でなく、四頭のひつじとひつじ飼いの日常が描かれる。
要するに、人間がひつじに成り切っているだけなのだが、これが実に上手くて、だんだん本物に見えてくるから凄い。
毛刈りや搾乳、おしっこや餌やりなど、工夫たっぷりリアルに再現されたひつじあるあるを見てるだけで、けっこう飽きないのだ。
大人ですらいつの間にか本物のひつじを見てる感覚になっているのだから、 子供たちは完全に動物を観察してる感覚で、餌やりタイムには落としたキャベツを与えている子も(笑
パフォーマーさんも大変だ。
終いにゃ交尾までしてたけど、あれ子供に「何やってるの」と聞かれたら親は困るだろうな(笑

両作とも今回は明日8月17日が最終。
とても素晴らしい作品なので、是非再演をお願いしたい。



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ショートレビュー「海底47m・・・・・評価額1650円」
2017年08月16日 (水) | 編集 |
限りなく遠い47メートル。

サメ映画、というか海洋スリラーの新たな快作だ。
仲のいいリサとケイトの姉妹は、メキシコでのバカンス中に知り合った地元の男たちに誘われて、巨大なサメを間近で観察できるケージダイブ挑戦する。
ところが、姉妹がケージに入って水中に降りた時に、ワイヤーを支えるクレーンが折れ、姉妹はケージごと47メートルの海底に落下してしまう。

シンプルだが、これはまことに秀逸なアイデアだ。
たった47メートルだが、パニックに陥って急浮上すれば減圧症を起こしてしまうために、ゆっくりと時間をかけて浮上しなければならない。
しかし海底と船との間には、撒き餌を狙って集まってきたサメの群れがいるのだ。
スキューバのボンベが持つ時間は、せいぜい30分から1時間程度。
水深が深いところで脱出のために活動すれば、エアーの消費はさらに加速する。
彼女たちには、単に人食いザメの襲撃だけでなく、刻々と減ってゆくエアー、潜水病の恐怖、さらには素性をよく知らない船上の男たちに、自分たちが見捨てられるのではないかという疑心暗鬼など、複合的な危機が一気に襲ってくるのだ。
まずはこの絶望的な状況から、いかにして脱出するかという興味で観客の心を掴み、その後ほぼリアルタイムで進行する物語は、時間的余裕が失われてゆく中、ますますマズイ状況に彼女たちを追い込んでゆく。
発端のアイディアこそ単純だが、これは非常によく考えられたプロットである。

全編危機また危機の連続だが、実は人間ドラマとしてもなかなかの仕上がりだ。
二人の姉妹の対照的なキャラクター造形がキモである。
好奇心旺盛でアクティブなケイトに対して、リサは臆病で地味なキャラクターで、バカンス直前に失恋した傷心の身。
本来ならば、ケージダイブなどやりそうもない人物なのだが、自分を「つまらない女」と言った元カレを見返したくて、スキューバの経験もないのに危険に足を踏み入れてしまうのだ。
だから映画の前半部分はリサに比重が置かれていて、極限状態の中で最初は何もできなかった彼女が、徐々に物語の主導権を握ってゆく展開はオーソドックス。

ところがヨハネス・ロバーツ監督は、ここから実にトリッキーな罠を仕掛けてくるのである。
映画も佳境にに差し掛かった頃、ある緊急事態が起こり、物語の主役は突然リサからケイトに入れ替わるのだ。
だがそこまでの流れで、観客にはこの物語の主役はリサだという印象が刷り込まれている。
なぜなら姉妹のうち、より大きな葛藤に直面しているのはリサであり、ケイトは自分の人生に大きな問題は抱えておらず、映画はリサの成長物語であることを強く示唆していたからだ。
ここからの展開はネタバレになるので自粛するが、そこまでの海底版「ゼロ・グラビティ」的な展開を大きく裏切ってくる。
実際のところ「ゼロ・グラビティ」のあるシーンを思わせる描写もあり、おそらくはあの映画をうまくベンチマークしながら、筋立てを構築していったと思われる。
必要最小限のキャラクター設定を、こんな風に生かしきるとはお見事だ。

「海底47m」は完全に一本道のプロットながら、90分間手を替え品を替えたスリルで盛り上げ、伏線をキッチリと回収するオチのつけ方まで、最後まで意外性のある展開で飽きさせない。
この夏、納涼を求めるのならピカイチの作品ではないか。
ずいぶん地味に公開されているが、全く注目されていなかったにもかかわらず、全米5週連続トップ10入りは伊達じゃない。
コレは見逃すと損をする!

今回は、海つながりで涼しげなカクテル「ディープ・ブルー」をチョイス。
ウォッカ30ml、ブルー・キュラソー10ml、シャンパン又はスパークリングワイン20mlを氷を入れたグラスに注ぎ、軽くステア。
最後にマラスキーノチェリーを沈める。
南国の海を思わせる水色が美しい、夏向けのさっぱりとしたカクテルだ。

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スパイダーマン;ホームカミング・・・・・評価額1700円
2017年08月14日 (月) | 編集 |
青春だよ、スパイディ!

昨年の「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」で先行デビューした、新生スパイダーマンの単独主演第一作。
大ヒットしたサム・ライミ版三部作と、その後を受けたマーク・ウェブの「アメイジング・スパイダーマン」とは違って、ディズニー主導のMCUとの連携を前提に作られているのが特徴で、全員が修羅場をくぐり、一癖も二癖もあるオトナの集団のアベンジャーズの面々に対して、ピュアなハートのヤングヒーローとして造形されている。
異色のスリラー「COP CAR コップ・カー」で注目された俊英ジョン・ワッツは、見事にライミともウェブとも違う、ポップでコミカルな新しいスパイディ像を作り上げた。
「スパイダーマン:ホームカミング」のタイトル通り、過去作に比べると学校生活の比重が高く、コンプレックスを抱えた学園のギークによる、ズッコケ青春ヒーロー映画の趣きだ。
※核心部分に触れています。

ベルリンでアベンジャーズの"シビル・ウォー"に参戦し、キャプテン・アメリカのシールドを奪ったスパイダーマンの素顔は、15歳の高校生ピーター・パーカー(トム・ホランド)。
ニューヨークに戻った彼は、トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)からもらった特製スーツを着て、放課後に地元クィーンズ地区でヒーロー活動に勤しみ、アベンジャーズの正式メンバーになる日を夢見ている。
そんなある日、ピーターは謎の犯罪集団によるハイテク武器の取引現場を目撃。
彼らの正体を暴いてスタークに認めてもらおうと、奪った武器の一部をギーク仲間でスパイダーマンの正体を知るネッド(ジェイコブ・バタロン)と共に分析しようとする。
ところが、敵の首領はスタークに深い恨みを持つ、ヴァルチャーことエイドリアン・トゥームス(マイケル・キートン)だった。
一人でヴァルチャーを捕らえようとして、市民を巻き込む大騒動を引き起こしてしまったピーターに、スタークはヒーロー失格を言い渡す。
失意のピーターだったが、高校生活の一大イベントであるホームカミングに、憧れのリズ(ローラ・ハリヤー)を誘ってOKをもらい、元気を回復。
ところが、ホームカミング当日、パーカーは思わぬ形でヴァルチャーの正体を知ってしまう・・・


サム・ライミ版のトビー・マグワイア、マーク・ウェッブ版のアンドリュー・ガーフィールドは、共にピーター・パーカーを20代後半で演じた。
対して、「シビル・ウォー」の撮影中にようやく20歳を迎えたトム・ホランドのピーターは、前任の二人が演じたキャラクターよりもずっと幼く、15歳のギークな高校生というキャラクターにリアリティを与えている。
ピーターだけではなく、マリサ・トメイ演じるメイおばさんも、ライミ版のローズマリー・ハリスに比べれば二十歳以上若いのだ。
本作が過去のシリーズと大きく異なるのは、スパイダーマンが孤独なヒーローではなく、数多くのヒーローが活躍するMCUの世界観に組み込まれていること。
大企業の社長であるトニー・スタークや、第二次世界大戦中から活躍しているキャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャースなど、ベテランのセンパイたちが存在するのである。
ヒーローが当たり前に活躍してる世界だから、ピーターがスパイダーマンになった詳細な顛末とか、ベンおじさんが殺されるお馴染みのエピソードはスルー。
とりあえず彼は、頭は抜群に良いが容姿には自信がないどこにでもいる少年で、クモに噛まれてスーパーパワーを手に入れたことから、放課後にご近所で覆面ヒーロー活動をして、ギークの頂点であり、憧れのトニー・スタークに自分を認めてもらいたがっている。
本作を端的に表すならば、アベンジャーズにちょっと呼ばれたので、思いっきり浮き足立ってしまった若きスパイディが、ヒーロー活動の責任と高校生活の楽しみの間で葛藤しながら、ローカルヒーローとしての地に足をつけたポジションを固めるまでの青春ストーリーだ。

今年はなぜかジョン・ヒューズが来ているらしく、彼の代表作の一つ「ブレイクファスト・クラブ」にリスペクトを捧げた「パワー・レンジャー」に続いて、本作もヒューズの青春映画に大いに影響を受けていることを隠さない。
監督のワッツは、役作りのアプローチの助けとして、若いキャストにヒューズの作品を何本も鑑賞させたそうだ。
実際、本作のピーターとネッドのギークコンビは、過去のシリーズよりも、むしろ「ときめきサイエンス」っぽい。
ちなみにこの映画には、若き日のロバート・ダウニー・Jrも出ていたっけ。
面白いのはワッツや「パワー・レンジャー」のディーン・イズラライトといった、リアルタイムにはヒューズの作品を知らないはずの30代の監督が、熱心なフォロワーとなっていることだが、自分が幼かった時代の青春映画は、10代になってから観ると、微妙な世代の違いがツボにはまり、憧憬を抱かせるのかもしれない。
私はもろに青春時代=ヒューズ映画のリアルタイム世代だけど、同じ頃に観た「アメリカン・グラフィティ」や「ビッグ・ウェンズデー」と言った一世代前の青春映画には、過ぎ去った時代の神話性みたいなものを感じていた気がする。
ジョン・ヒューズの映画的記憶を受け継ぐ若いフィルムメーカーによって、21世紀のMCUの世界に蘇ったヒューズ的青春映画、それが本作なのだ。

だから物語の軸足は、ピーター少年の十代ならではの葛藤を描くハイスクールコメディにあり、ヒーロー映画としてのスケールは比較的小さい。
ヴァルチャーの正体が、実はピーターが恋するリズの父親だったという衝撃の展開は、そんな本作の構造を象徴する。
敵も味方もご近所にいる小さな世界こそが、ローカルヒーローとしてのスパイダーマン本来の魅力であり、いい意味での世界観の狭さは、ヴァルチャーのキャラクター造形にも当てはまる。
マーベルのヴィランは、悪にも理由があるとばかりに、その動機を綿密に設定されているキャラクターが多いが、本作のヴァルチャーはその中でも最も分かりやすく、感情移入しやすい。
元々彼は、アベンジャーズの戦いで生じた瓦礫の撤去作業を請け負っていた、零細企業の社長
ところが、宇宙人の残した残骸の価値に気づいたスタークと政府は、突如として彼らを締め出して瓦礫を独占してしまう。
ヴァルチャーは、巨大な権力によって理不尽に排除され、生活の糧を奪われた哀れな庶民なのだ。
だから彼はコソコソと宇宙人の遺物を盗み出しては、それを武器に仕立て上げて犯罪者に売りつけることで、生計を立てるのと同時にスタークにささやかな復讐を続けているが、決してアベンジャーズとは戦おうとはしないし、他のアメコミヴィランのように、大それた野望を持っている訳でもない。
本作は全体に軽妙なタッチだが、ヴァルチャーはピーターから見ると、資本主義の力学によって生まれた裏スターク的なキャラクターだったり、機械の翼で再起を図るこの"バードマン"にマイケル・キートンをキャスティングするセンスは結構シニカルだ。
ちなみに本作のキートンは、トニー・スタークにチャンスを奪い取られるのだけど、同時公開中の「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」では、逆に無慈悲に奪い取る男を演じているので、この2作は同じ俳優が資本主義の両面を演じた映画としても面白い。

対するピーターも、一人前のヒーローと言うには若過ぎて色々未熟で、ホンモノのヒーローに対する憧れとリズに対する恋心という、二大承認欲求に突き動かされ頑張ってはみるものの、結局自分で起こした問題をなんとかしようと、どんどん深みにハマってゆく。
本作のキービジュアルの一つは、黄色いジャケットを羽織ったスパイダーマンが、ビルの屋上で寝そべっているものだが、イースト川を隔てた背景のマンハッタンにはアベンジャーズのマークを付けたスターク・タワーが聳え立っている。
世界を股にかけるヒーローのチームに入りたいという大志を抱いているものの、本作の舞台はあくまでも川のこちら側。
「アベンジャーズ」シリーズの様に、宇宙人やら神様やら人知を超えた力が激突する、グローバルなカタストロフィーを描くのではなく、超人たちの足元でうごめく、ちょっとだけ特別な力を手に入れた市井の人間たちの世界なのである。

「スパイダーマン:ホームカミング」は、少年スパイディの青春の悲喜交交とヒーローとしての成長を描き、素晴らしいリブートとなった。
冒頭の60年代のテレビアニメ版「スパイダーマンのテーマ」から始まって、「デッドプール」ネタや、次回作への布石であろう意外なキャラクターの登場など、マーベルファンをニヤリとさせるディテールも豊富。
「シビル・ウォー」でシールドを奪ったことから始まる、キャプテンとの"教育的因縁"も可笑しい。
ただし、本作には欠点が一つあって、それはヒーロー映画として、カタルシスのあるアクションの見せ場が相対的に少ないということ。
主な舞台が高層ビルの回廊のないクィーンズなので、ダイナミックなスパイダースウィングがほとんど見られないのは、逆手にとってギャグに転化しているのでまあいいとして、正直ジョン・ワッツのアクション演出はあまり上手くない。
特に輸送機の上で展開する、クライマックスの空中戦では問題が顕著に出た。
夜なので暗い上に、あの機体表面のチカチカ光る迷彩(?)が余計に見難さを助長させてしまっていて、ヴァルチャーとの間で何が起こっているのかよく分からない。
ハイスクールコメディとしての魅力がアクションの欠点を補って余りあるのだけど、できれば次回作までにもう一段上を目指して研究してほしいところだ。

今回は、まだ何色にも染まっていない若々しいスパイディのイメージで「ホワイト・スパイダー」をチョイス。
スティンガーのベースをブランデーからウォッカに変えたバージョンで、冷やしたウォッカ40mlとペパーミント・ホワイト20mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
涼しげな見た目と、ミントの香りがすっきりとした清涼感を演出する。
アルコール度数は相当に高いカクテルなので、高校生のスパイディには当然まだ早い。

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ショートレビュー「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ・・・・・評価額1650円」
2017年08月12日 (土) | 編集 |
なぜ彼は、1個15セントのハンバーガーで帝国を築くことが出来たのか?

異色のアメリカンドリームの展開に、目が離せない。
「マクドナルド」という店名が創業者兄弟の名前なのはよく知られているが、これは兄弟が作り上げた斬新なシステムを持つハンバーガー店を、年間15億食を売り上げる世界最大のファーストフードチェーンに育て上げた、もう一人の"創業者(ファウンダー)"レイ・クロックの物語。
名作ミュージカル「メリー・ポピンズ」の誕生秘話「ウォルト・ディズニーの約束」で、原作者のトラヴァース夫人とプロデューサーのディズニーの間の葛藤を、人はなぜ物語るのか、作者にとって作品とは何なのか、という普遍的物語論に昇華したジョン・リー・ハンコック監督は、ここでもマクドナルド兄弟とレイのコントラストから、見応えのあるドラマを構築している。

マックとディックのマクドナルド兄弟が、飲食業の前にハリウッドでの成功を志し、映画館の経営をしていたという話は初めて知った。
大恐慌の煽りを食って映画館を閉めた後に、庶民の食べ物だったホットドッグ屋に転身し、やがてハンバーガー専門店へ。
テニスコートに厨房の実物大青写真を描き、徹底的に効率的な動線を研究。
メニューを絞り込み、厨房機器も特注し、クオリティの高いハンバーガーを、注文からわずか30秒で提供する驚異のシステムを創造し、大人気店となる。
一方、若い頃から様々な職を転々としながら、何かを成し遂げることを追い続けているレイは、マクドナルドの存在を知ると、この画期的なハンバーガー店を全国展開することを思いつく。
マクドナルド兄弟と契約し、フランチャイザーの権利を得るが、最初のうちは出店希望者を見つけては、ノウハウとライセンスの販売のみ。
しかし飲食業は、実は不動産業でもあるという助言を聞き入れ、全米に土地を買い、出展希望者から家賃をとって支配する手法を取り入れることで、瞬く間に莫大な資金力を持つ巨大チェーンの立役者となる。

半世紀後の現在、世界中に展開するファーストフードチェーンのコンセプトは、マクドナルド兄弟とレイ、両方のアイディアが揃ってはじめて成立したものだ。
しかし両者は、売っている物は同じでも、見ている世界が最初から違うのである。
職人肌で規模の拡大を望まない兄弟と、目的のためなら手段を選ばない脂ギッシュな野心家のレイは、やがて衝突を繰り返す様になる。
羊の柵に狼を招き入れれば、結果は明らか。
誰も気づかなかったアイディアをヒットさせた企業が大きくなり、創業者が後から参画した者に追い出される話は、アップルのジョブズとスカリーなど、他にもありがちな話だが、レイが特異なのは自らが創業者を名乗り、企業の”オリジン"を奪い取ってしまったことだろう。
マクドナルド兄弟は、自社の持つ無尽蔵なポテンシャルに気づかず、また拡大の意志も無い。
だから、巨大企業としてのマクドナルドの創業者は自分だということなのだろうが、結果的に彼は自らの野望を実現させるために、他人が大切にしてるものを無慈悲に奪い取った。

アメリカ資本主義が生んだ、ある種のダーティーヒーローを演じる、マイケル・キートンが素晴らしい。
52歳からの逆転人生を成し遂げた、レイ独特の人生哲学と、マクドナルドという名の持つヒミツに気づいたセンス。
ただ単に強欲なだけでなく、自分の店と商品のクオリティに対しては、創業者兄弟と尺度が異なるとは言え、一定の拘りを持ち、やる気のある社員やフランチャイジーに対しては責任ある態度を貫く。
観客は、結果的に"ルーザー"となってしまったマクドナルド兄弟へ同情を感じつつ、沸々と煮えたぎる欲望に突き動かされ、欲しいものは全て手に入れるレイの、自分には出来ない行動力に憧れに近い感情を抱く。
良くも悪くも弱肉強食の資本主義の世界にうごめく、人間たちの生き様を活写した快作である。

ヨーロッパやアジアの一部の国では、アルコールを置いているマクドナルドもあるそうだが、日本では無し。
ならばマクドナルドと同じく、アメリカ資本主義のもう一つの象徴、コカ・コーラを使ったカクテル「キューバ・リブレ」をチョイス。
タンブラーにライム1/2を絞り、クラッシュドアイスを入れ、ラム45mlを注ぎ入れた後でコーラで満たし、ライムを一切れ飾って完成。
名前の由来は、19世紀末のキューバで、独立派支援のために駐留していた米軍将校がレシピを考案し、独立派の愛言葉だった「ビバ・キューバ・リブレ(キューバの自由万歳)」がそのままカクテル名として定着したという。
これがまた、食欲を増進させる酒なんだよなあ。

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metro公演「二輪草〜「孤島の鬼」より」
2017年08月09日 (水) | 編集 |
ゴールデン街劇場にて。
天願大介演出/脚本、月船さらら主演。
これは期待以上の傑作だった。
原作となっているのは、乱歩文学の最高峰とも評される長編小説「孤島の鬼」だ。
昭和4年に雑誌連載という形で発表された原作は、美しい婚約者・初代を何者かに殺された主人公・簑浦金之助が、同性愛者で金之助への愛を隠さない諸戸道雄と共に事件の謎に迫り、ある孤島に隠された恐るべき秘密にたどり着くという物語。
乱歩らしく、推理小説でありながら冒険譚であり、怪奇趣味に同性愛にエログロと、時代を考えれば相当にアナーキーな怪作である。

これを全部舞台化したら、おそらく5、6時間はかかる超大作になってしまうが、本作は小説の中で重要な鍵となる、「秀ちゃんの日記」の部分だけを抜き出して、70分の独白劇に仕立て上げている。
何時何処だか分からない土蔵の中に、聡明な美少女の秀ちゃんともう一人の男の子が閉じ込められていて、二人は物心ついた時から土蔵の外へは出たことがなく、世話をしてくれる老人も詳しいことは教えてくれない。
実は二人にはある秘密が隠されているのだが、秀ちゃんは鉄格子のはまった小さな窓から見える海と山、老人が差し入れてくれた数冊の本から世界を想像し、外に出ることが出来ない我が身の不幸を日記に書き綴るのである。

基本、土蔵の中だけで展開するワンシチュエーションで、登場人物もたった4人。
舞台美術も土蔵の三方の壁と畳、わずかな小物。
観客との距離感が限りなくゼロの、ゴールデン街劇場独特のアングラ感も、絶妙な場の演出効果となっている。
ミニマルな劇的空間に、月船さららの妖艶に円熟した演技が誘う。
この人は華やかな宝塚出身だけど、天願監督との初タッグとなった「世界で一番美しい夜」から昨年の大珍品「変態だ」、舞台「なまず」や出口結美子との演劇ユニットmetroの活動など、インディーズ作品の印象が強い。
本作も含めて、演じることへの愛が伝わってきて、その熱は確実に観客にも伝播する。
70分のうち、だいたい95パーセントは彼女の独白で、客席間近で演じられる異形の悲しみに、何時しかどっぷりと感情移入。
可能な限り要素を削り落とした結果生まれる、芝居への没入感こそ、本作の最大の魅力だろう。
4月の初演を見逃したが、思いのほか早く再演を鑑賞できて良かった。

ゴールデン街劇場で8月13日まで。

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ショートレビュー「東京喰種 トーキョーグール・・・・・評価額1600円」
2017年08月04日 (金) | 編集 |
こんな世界は、間違っているー!

人間と人間を捕食する"喰種(グール)"という二つの種族が住む、もう一つの東京を描くSFホラー。
石田スイの原作漫画は、途中までしか読んでいなかったのだけど、映画は丁度既読箇所までで終わっていた。
人と人外、世界を共有しながらも敵対する「寄生獣」、もっと遡れば「デビルマン」バリエーションの一作だが、本作の特徴は主にあちら側の視点で描いていることだ。
窪田正孝演じる主人公のカネキは、内気で平凡な大学生だったが、ある時偶然にもグールの臓器を移植されたことから、肉体が変化し、グールと化してしまう。
「寄生獣」や「デビルマン」でも、主人公は二つの種族の中間の存在だが、基本的には人間の側にいて、愛する者たちを守ろうとしていた。
しかし、本作のカネキはそれが出来ないのである。

グールの肉体は、人間の肉(とコーヒー)以外の食べ物を受け付けない。
否応無しに自分がもう人間でないことを思い知らされたカネキは、"仲間"としてグールたちに助けを求めざるを得ないのだ。
楠野一郎の脚色は、突然平穏な日常が終わりを告げ、未知の世界へ足を踏み入れるカネキを軸に、丁寧にプロットを構成している。
似た設定の「亜人」では、なぜ人間が亜人を駆り立てるのか理解できなかったが、こっちは「寄生獣」同様に人間が被食者なのだから分かりやすい。
グールは人間を捕食する一方で、野に放たれた猛獣として、狩られる者たちでもある。
主人公をグールの社会にどっぷりと浸からせたことにより、この種の物語としては例外的に、人間と敵対する種族の方が人間的に描かれ、観客もカネキと同様にグールの仲間たちに感情移入しつつ、喰われる人間としてのジレンマを感じるという、クロスした視点を持つのが本作の最大のポイントだ。
根源的に対立する二つの種族の狭間で、最初はオドオドして何もできなかったカネキが、やがてお互いにとって「間違った世界を正す」決意を固めるまでの成長物語として良く出来てる。

グールごとに個体差がある、赫子と呼ばれる武器のビジュアルも素晴らしい。
体術と組み合わせてのバトルシーンは、なかなかに迫力があり、画的な作り込みも相当なハイレベルだ。
ある意味、漫画から想像できるイメージを超えた部分もあると思う。
ただ、一応完結してはいるが、おそらくは続編ありきの作品ゆえに、全体のテーマが確定して終わりという作りになっていて、単体の作品としては、やや物語としての盛り上がりに欠く。
この点は、親殺しというドラマチックなクライマックスを用意した、「寄生獣」 前編がいかに見事だったか良く分かる。
もっとも、アレは完全に完結した話の、二部作が決まっていたから可能だった力技。
その点こちらは、一応一本でも完結の形を取らなきゃならなかったので、諸々の制約という不利がある。
それでも十分アベレージ以上なので、続編が作られることに期待したい。
少なくとも、一見一本で完結しそうに宣伝しておいて、実は続編ありきで途中でブチっと終わってる詐欺的商法の作品より、遥かに誠実な良作なのは間違いない。

主演の窪田正孝以下、俳優陣は皆好演しているが、中でも一番良かったのは、ヒロインのトーカを演じる清水富美加だ。
本人的にはお気に召さなかった様だが、ぶっちゃけこれがキャリアベストだと思う。
続編が作られても、出てもらえなさそうなのは勿体無い。
あと全ての発端となるグール、大食らいのリゼを蒼井優が演じているのだけど、彼女の演技が凄すぎてムッチャこわい。
あんなのに夜中出会ったら、確実におしっこ漏らすぞ。

今回は、東京のダークな夜の物語なので、よなよなエールのクラフトビール「東京ブラック」をチョイス。
英国流の伝統製法で作られた、本格的なポータースタイルの黒ビール。
適度なホップの苦味、強烈なモルト風味、そしてフルーティさがバランスした非常にコクのあるフルボディ。
飲み応えがありすぎて、ジメジメした夏の夜にはちょっと暑苦しいが、涼しくなってきたらオススメだ。

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君の膵臓を食べたい・・・・・評価額1650円
2017年08月01日 (火) | 編集 |
君に本当に伝えたかったこと。

ラスト、このホラーなタイトルに涙した。
膵臓の病で余命僅かな少女と、他人に関心が持てない内向的な少年。
あることがきっかけで親しくなった二人は、やがて特別な絆で結ばれる。
ギョッとさせるタイトルは、昔の人は体を悪くすると、肝臓なら肝臓、膵臓なら膵臓と、患部と同じ部位の肉を食べたという話からで、決してカリバニズムの話ではない。
住野よるの同名小説を、「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の吉田智子が脚色、「君と100回目の恋」の月川翔が監督を務める。
設定だけなら古典的な難病ものラブストーリーだが、これは自分ではどうすることも出来ない運命に葛藤し、恋の先にある生きることの意味を問う、なかなかに深い青春ドラマだ。
※核心部分に触れています。

母校の教師となった「僕」(小栗旬/北村匠海)は、解体される図書館の蔵書の整理を任される。
そこは12年前に、自分が図書委員として毎日を過ごしていた場所だった。
手伝ってくれる生徒たちと話しているうちに、「僕」は今はもういない山内桜良(浜辺美波)と過ごした数ヶ月の出来事を思い出す。
膵臓の病を患う彼女の日記帳、題して「共病文庫」を、「僕」がひょんなことから読んでしまったことから、二人は一緒に過ごすことが多くなる。
やがてお互いに、単なる友だち以上の感情を抱いてゆくが、彼女との日々はある日突然に終わりを告げる。
同じ頃、大人になった「僕」と同じように、桜良の親友だった恭子(北川景子/大友花恋)もまた、結婚を控えて彼女との日々を思い出していた。
そして、図書館の整理作業も大詰めとなったある日、「僕」は一枚の図書カードに目を留める。
それは、12前の桜良から届いた時を超えたメッセージだった・・・・・


作品世界を構成する全てが儚く、美しい。
映像表現として突出したイメージがある訳ではないが、丁寧に紡がれた一つ一つのエピソードが、ジワジワと心に染み込んでくるのである。
物語は終始主人公である「僕」こと志賀春樹の視点で語られ、基本的には内気で他人との関係を築けない孤独な春樹が、山内桜良との数ヶ月の体験を通して、殻を破り成長してゆくというものだ。
基本的には原作に極めて忠実な作りなのだけど、一点だけ大きな改変をしている。
原作は高校時代だけで完結しているのだが、映画では過去の高校時代とその12年後の現在が、並行して語られる二重構造になっているのだ。
元々「共病文庫」の巻末に書かれていた、春樹と恭子に当てた遺書は、図書館のある本の間に隠されていて、それが12年後に、図書カードに書かれたヒントから始まる"宝探し"によって発見されるという仕掛け。

この改変は構造上、若干のご都合主義を生じさせていると思う。
まず、引っかかったのが、小栗旬演じる現在の春樹が、嘗ての自分と似たところのある生徒に、高校時代の思い出を語るという設定だ。
いくら成り行きとは言え、自分の中でも消化しきれていない大切な思い出を、教師が自分から生徒に明かすだろうか。
例えば、生徒の側の話を聞いていて、そこから過去の思い出が導き出されるといった、もうワンステップの説得力が欲しかった。
あとはなぜ桜良は、こんなややこしい方法で遺書を残したのかという点。
「頑張って探した方が楽しいでしょ。宝探しみたいで」とは言っていたけど、結果そのせいで春樹も恭子も12年も引きずってしまった訳で、"大切な人たち"に対する最後の言葉の渡し方としていかがなものかと。
まあこれは、彼女の命が本人も予想だにしないことで、唐突に断ち切られてしまったから、と言うエクスキューズは出来るのだけど。

しかし、上記のような欠点があっても、原則的に私はこの脚色を支持する。
感傷的な経験は、時が過ぎれば過ぎるほど純化され、思い出の宝石として、心の中の一番大切な引き出しにしまわれる。
本作で描かれる高校時代は、現在の春樹を起点の視点に、現在から過去を俯瞰する構造とすることにより、圧倒的にリリカルで、ノスタルジックな世界観を獲得していて、本作の最大の魅力になっている。
特に原作には存在しない、後者の情感が生み出すエモーションに抗うのは、誰であれ難しいだろう。
もちろん第一義的には、興行力のあるスターを出したいという狙いだろうし、青春真っ只中では無いオトナ世代としては、こっちの方が入りやすいという理由もあるのだけど。

静かな熱情に突き動かされる、主人公二人のキャラクター造形も非常に良く出来ている。
奇妙なタイトルに惹かれて原作を読んだ時、「住野よる」という中性的なペンネームの作者は、多分男性なんだろうなあと思った。
全体に、語り部である春樹のキャラクターに非常にリアリティがあり、感情のディテールまで繊細に描きこまれている反面、桜良の方は人物関係も含めてやや類型的に思えたからだ。
だが、脚色によって、小説の男性作家目線に女性脚本家の視点が加わり、原作よりも登場人物の心理描写に深みが出た。
特に桜良に対する恭子の複雑な想いは、映画の方が説得力がある。

文章の人物像に肉体を与えた、浜辺美波と北村匠海も素晴らしい。
とりあえず、本作の浜辺美波は可愛すぎるだろう。
この人はドラマ版「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のめんま役や、「妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!」のカナミ役など、ちょっと影のあるキャラクターで生きる。
本作もそうだが、ぱっと見快活そうなルックスと、内面のギャップが魅惑的なキャラクターを生み出しているのだ。
高校生の春樹を演じる北村匠海の、ネガティヴな非リア充っぷりとも良いコントラスト。
彼は日本版「怪しい彼女」の、多部未華子の孫役が印象に残っているが、本当ティーンエイジャーはちょっと見ない間に肉体も技術も凄く成長する。

春樹が「共病文庫」を読み、桜良の秘密を知ったことから始まる共犯関係は、ごく短い期間に二人の見ている世界を変えてゆく。
自分たちが出会ったのは偶然じゃないと、桜良は言う。
病院で春樹が共病文庫を拾ったのも、読んだのも選択だし、その後二人が親しくなったのも選択であって、人生は無意識の選択で出来ているのだと。
他人と関係を持てない春樹は、誰とでも仲良くなれ、心の内に秘密を抱える桜良に興味を持ち、逆に常に他人との関係の中で自分を位置付けている桜良は、単独で自我を確立させている春樹にほのかな憧れを抱く。
対照的な二人が、磁石のS極とN極の様に惹かれ合うのは必然だ。

ところが結局、物語の中で二人は恋人同士にはならない
何度かドキドキする瞬間はあるけど、キスすらしないのだ。
でも二人の間にあったのは、やはり大きな意味での愛で、これは二人が結ばれないからこそ、最も切ないラブストーリーになったのだと思う。
失われることが分かっているから、お互いを恋人という存在にするのは怖い。
逆その距離感が、二人を単純な恋人関係を超えた、魂の次元で結びつかせ、ソウルメイトにまで昇華させてしまうのである。
喪失を超える愛という心の有り様は、ちょっと「メッセージ」を思い出した。
これは、普通でない出会い方をした二人が、お互いとの関わりを通してただ一人の自分を見出す、優れた青春心理ドラマ。
一生に一度だけの、心を震わせるファーストラブストーリーだ。

今回は、桜良つながりで、富士桜高原麦酒の白ビール「ヴァイツェン」をチョイス。
フルーティな香りが爽やか、苦味も少ないスッキリタイプなので、ジメジメした夏にぴったり。
クセのない味わいは、ビアカクテルのベースとしてもオススメだ。
ピーチ、オレンジなどのフルーツジュースを、5:1の割合でそっとビールに流し込むと、ビールが苦手な人でも楽しめる美味しいビアカクテルが出来上がる。

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