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2017年09月14日 (木) | 編集 |
“真実”の正体とは。
てっきり原作ものだと思っていたら、オリジナルだとは。
二度目の強盗殺人で逮捕され、すぐに自供するもコロコロと供述を変える容疑者・三隅と、彼に振り回される敏腕弁護士・重森。
最初から死刑確実、「負け」が決まった単純な裁判のはずが、事件の背景を調査するうちに、重森の中で少しずつ有罪の確信が揺らいでゆく。
なぜ三隅は殺したのか?彼は本当に犯人なのか?なぜ供述をかえるのか?
是枝裕和監督の新境地と言って良いだろう。
ここ数年の彼は、主に“家族の在り方”をモチーフとして、「色々問題はあるけど、やっぱり希望はあるよね」的な、影はあるもののポジティブで、良い意味で分かりやすい映画を作ってきた。
ところが本作は、安易な感動要素を排し、表層に隠された人間社会のダークサイドを容赦なく抉ってくる。
しかも物語の輪郭は形を変え続け、124分の間観客の思考を常に揺さぶってくるのだ。
本作も“家族の在り方”は重要な要素になっているのだが、今までの作品からぐるっとカメラ位置を反転させて、裏側から撮ったような味わいが印象的。
文書で魅力を表現するのが非常に難しい作品だが、普通のミステリと思っていると、予想もしない所に着地する問題作だ。
※ここから核心部分に触れています。鑑賞後にお読みください。
役所広司が怪演する三隅は、掴みどころのない謎めいたペルソナを持つ。
言ってることは二転三転して無茶苦茶なのに、その言葉の底には確信的な何かがあると感じさせるのだ。
何よりも勝ちにこだわり、“依頼人の利益”だけを重視している重森は、拘置所の接見室で三隅となんども言葉を交わすうちに、この男の底知れぬ闇に取り込まれ、本来彼にとって興味の無いはずの“真実”を求めざるを得なくなる。
そして、それは私たち観客も期待しているものだ。
だがこれは、作者によるかなり意地悪なミスリードで、普通のミステリでは最重要となる“真実”は、この映画では全く重きを持たない。
映画「ゾウを撫でる」のタイトルにもなった、インドの説話がここでも引用される。
王様が盲人たちにゾウを触らせるが、脚を触った者、鼻を触った者、耳を触った者、それぞれに語るゾウの“真実”は全て異なる。
ならば本作の観客が、最後に目にする象の姿とは何か。
この映画は、最初から事件の“真実”を描こうとはしていない。
三隅は自分のことを「空っぽの器」だと言う。
日本の司法制度は、“真実”が明らかになる場ではなく、誰もが空っぽの三隅の中に、都合のいい人物像をあてはめ、そこに浮かび上がるストーリーに、“真実”と思いたいものを見ているだけ。
判決が出た後、重森が三隅と接見するシーンで、二人を隔てるアクリルガラスに三隅の顔が映り込み、重森の顔と重なる描写がある。
鬼畜に等しい殺人者なのか、人生を狂わされた犠牲者なのか、彼が何者なのかを決めているのも、実は彼自身ではないと言うことを、重森はようやく理解するのである。
事件の被害者の一人娘であり、三隅に対して特別な感情を抱く咲江は、裁判で自ら証言する機会を奪われ、「ここでは誰も本当のことを話さない」とつぶやく。
タイトルの「三度目の殺人」=「死刑」は、最後まで正体が見えない曖昧な意思によって決定され、物語のラストで重盛は、自ら身を置く法曹社会における“真実”の不在を知ってしまう。
そう、“真実”があると思っていた場所に、それは無いということが、本作が突きつける“真実”なのである。
ずっと重森と共に、フィクションとしての事件の“真実”を求めてきた観客は、虚構と現実の垣根を唐突に外され、もはや指針となる“真実”の存在しない世界の四つ筋で、どこにも行くことが出来ずに立ちすくむだけ。
これはいわば、裁判劇に比喩した「内容的にも感情的にも、分りやすいストーリー」を求める観客に対する、映画作家・是枝裕和からの挑戦状。
単純な殺人事件から始まって、人間の心の持つ複雑な闇、日本の社会の歪みや司法制度の問題にまで踏み込む、懐の深い心理ドラマだ。
福山雅治と役所広司、火花を散らしぶつかり合う二人の名優の狭間で、キーパーソンとなる広瀬すずが素晴らしく良い。
ぼーっと観ていれば理解できる類のイージーな作品ではなく、観客に真剣な思索を要求する。
観終わると、誰かと語り合いたくなる映画だ。
今回は、福島県の豊国酒造のその名も「真実 吟醸酒」をチョイス。
実は蔵元の御嬢さんの名前から取られたそうだが、丁寧に作られた日本酒らしい端正な酒。
ふわりとした米の吟醸香と、まろやかな口当たり、スッキリとした喉ごしが楽しめる辛口の一本だ。
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てっきり原作ものだと思っていたら、オリジナルだとは。
二度目の強盗殺人で逮捕され、すぐに自供するもコロコロと供述を変える容疑者・三隅と、彼に振り回される敏腕弁護士・重森。
最初から死刑確実、「負け」が決まった単純な裁判のはずが、事件の背景を調査するうちに、重森の中で少しずつ有罪の確信が揺らいでゆく。
なぜ三隅は殺したのか?彼は本当に犯人なのか?なぜ供述をかえるのか?
是枝裕和監督の新境地と言って良いだろう。
ここ数年の彼は、主に“家族の在り方”をモチーフとして、「色々問題はあるけど、やっぱり希望はあるよね」的な、影はあるもののポジティブで、良い意味で分かりやすい映画を作ってきた。
ところが本作は、安易な感動要素を排し、表層に隠された人間社会のダークサイドを容赦なく抉ってくる。
しかも物語の輪郭は形を変え続け、124分の間観客の思考を常に揺さぶってくるのだ。
本作も“家族の在り方”は重要な要素になっているのだが、今までの作品からぐるっとカメラ位置を反転させて、裏側から撮ったような味わいが印象的。
文書で魅力を表現するのが非常に難しい作品だが、普通のミステリと思っていると、予想もしない所に着地する問題作だ。
※ここから核心部分に触れています。鑑賞後にお読みください。
役所広司が怪演する三隅は、掴みどころのない謎めいたペルソナを持つ。
言ってることは二転三転して無茶苦茶なのに、その言葉の底には確信的な何かがあると感じさせるのだ。
何よりも勝ちにこだわり、“依頼人の利益”だけを重視している重森は、拘置所の接見室で三隅となんども言葉を交わすうちに、この男の底知れぬ闇に取り込まれ、本来彼にとって興味の無いはずの“真実”を求めざるを得なくなる。
そして、それは私たち観客も期待しているものだ。
だがこれは、作者によるかなり意地悪なミスリードで、普通のミステリでは最重要となる“真実”は、この映画では全く重きを持たない。
映画「ゾウを撫でる」のタイトルにもなった、インドの説話がここでも引用される。
王様が盲人たちにゾウを触らせるが、脚を触った者、鼻を触った者、耳を触った者、それぞれに語るゾウの“真実”は全て異なる。
ならば本作の観客が、最後に目にする象の姿とは何か。
この映画は、最初から事件の“真実”を描こうとはしていない。
三隅は自分のことを「空っぽの器」だと言う。
日本の司法制度は、“真実”が明らかになる場ではなく、誰もが空っぽの三隅の中に、都合のいい人物像をあてはめ、そこに浮かび上がるストーリーに、“真実”と思いたいものを見ているだけ。
判決が出た後、重森が三隅と接見するシーンで、二人を隔てるアクリルガラスに三隅の顔が映り込み、重森の顔と重なる描写がある。
鬼畜に等しい殺人者なのか、人生を狂わされた犠牲者なのか、彼が何者なのかを決めているのも、実は彼自身ではないと言うことを、重森はようやく理解するのである。
事件の被害者の一人娘であり、三隅に対して特別な感情を抱く咲江は、裁判で自ら証言する機会を奪われ、「ここでは誰も本当のことを話さない」とつぶやく。
タイトルの「三度目の殺人」=「死刑」は、最後まで正体が見えない曖昧な意思によって決定され、物語のラストで重盛は、自ら身を置く法曹社会における“真実”の不在を知ってしまう。
そう、“真実”があると思っていた場所に、それは無いということが、本作が突きつける“真実”なのである。
ずっと重森と共に、フィクションとしての事件の“真実”を求めてきた観客は、虚構と現実の垣根を唐突に外され、もはや指針となる“真実”の存在しない世界の四つ筋で、どこにも行くことが出来ずに立ちすくむだけ。
これはいわば、裁判劇に比喩した「内容的にも感情的にも、分りやすいストーリー」を求める観客に対する、映画作家・是枝裕和からの挑戦状。
単純な殺人事件から始まって、人間の心の持つ複雑な闇、日本の社会の歪みや司法制度の問題にまで踏み込む、懐の深い心理ドラマだ。
福山雅治と役所広司、火花を散らしぶつかり合う二人の名優の狭間で、キーパーソンとなる広瀬すずが素晴らしく良い。
ぼーっと観ていれば理解できる類のイージーな作品ではなく、観客に真剣な思索を要求する。
観終わると、誰かと語り合いたくなる映画だ。
今回は、福島県の豊国酒造のその名も「真実 吟醸酒」をチョイス。
実は蔵元の御嬢さんの名前から取られたそうだが、丁寧に作られた日本酒らしい端正な酒。
ふわりとした米の吟醸香と、まろやかな口当たり、スッキリとした喉ごしが楽しめる辛口の一本だ。

![]() 豊国酒造 吟醸酒 真実 720ml |
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