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DCコミックを代表する二大ヒーローが激突した、「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」から1年。
2007年に企画がスタートして以来、全世界のアメコミファンが首を長くして待っていたドリームチームが遂に出陣する。
これはDCコミックのスーパーヒーローチーム、「ジャスティス・リーグ」の結成と、彼らの最初の戦いを描くアクション超大作だ。
今年の5月に、追加撮影中のザック・スナイダー監督が愛娘の急逝を理由に降板し、急きょ「アベンジャーズ」のジョス・ウェドン監督が代役を務める波乱があった。
結果的にかなりウェドンのカラーが強くなり、良くも悪くも二人の作家のハイブリッドを感じさせる作品に仕上がっている。
※核心部分に触れています。
クリプトンの怪物を倒すため、スーパーマン(ヘンリー・カヴィル)は我が身を犠牲にして死んだ。
バットマンことブルース・ウェイン(ベン・アフレック)は、スーパーマン亡き後の地球を守るため、特殊能力を持った超人たちでチームを結成することを決意。
その頃、超常の力を秘め、アマゾン、アトランティス、人間界に分割して封印された“マザーボックス”が起動し、その力に召喚された邪悪な侵略者、ステッペンウルフが地球に到来。
アマゾン、アトランティスのマザーボックスは奪われ、残るは人間界の一つのみ。
バットマンの元には、ワンダーウーマン(ガル・ガドット)、超速の男フラッシュ(エズラ・ミラー)、アトランティスの王アクアマン(ジェイソン・モモア)、機械の体を持つサイボーグ(レイ・フィッシャー)が結集したが、強大な力を持つステッペンウルフと戦うために、バットマンは人間界に残されたマザーボックスを使い、スーパーマンを復活させようとする。
しかし、死の世界から目覚めたスーパーマンは、以前とはどこか違っていた・・・・
DC版「アベンジャーズ」というより、印象としてはむしろオリジナルの「パワーレンジャー」に近い。
2008年の「アイアンマン」以来、一貫したベースのコンセプトのもとに一連の作品が作られているマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)と異なり、良く言えば作家性重視、悪く言えばやりたいことが一作毎にぶれるDC・エクステンデッド・ユニバース(DCEU)だが、本作は今までで一番間口を広げて、低年齢層まで取り込もうとしている。
ストーリーも単純で、端的に言えば地球を狙う悪の宇宙人をチームで撃退する、それだけだ。
ジョス・ウェドンが手掛けた「アベンジャーズ」第1作の上映時間が144分だったのに対し、本作は120分。
しかも主要キャラクターが単体作品で登場済みだった「アベンジャーズ」と異なり、こちらはアクアマンとフラッシュが初出ということを考えると、いかにシンプルな作りなのかが分かるだろう。
実際サブプロットの類はステッペンウルフの襲撃が何度か描かれる他は殆ど存在せず、上映が始まってからの1時間はほぼチーム集め。
それからの30分はスーパーマンをいかに復活させるか、そして心を失って蘇った彼をチームにどう迎え入れるか。
最後の30分が超人大集合のバトルシークエンスという、教科書通りの分かりやすい展開だ。
この単純な話を持たせるのは、やはりキャラクターの力。
DCヒーローの特徴なのかも知れないが、「ジャスティス・リーグ」に集った6人全員が、そろいもそろってコミュ障気味なのが可笑しい。
「レゴバットマン ザ・ムービー」でもいじられていた、孤独大好きバットマンは言わずもがなだが、その根暗男に「100年も心を閉ざしていた女に言われたくない」と突っ込まれたワンダーウーマンは、初恋の人スティーブ・トレバーの喪失の傷がいまだ癒えず。
フラッシュは友達がおらず、機械の体を嫌悪するサイボーグは人目を避けて暮らし、アクアマンは家族との関係に問題を抱えている模様。
スーパーマンに至っては、心がリセットされちゃった上に、バットマンとは前回の因縁がある。
まあそれぞれの描写は僅かなのだけど、拗らせ気味の彼らの心の傷がヒーローに限った特殊なものではなく、誰もが共感できる葛藤であるのは大きい。
ちょっとずつ欠点を抱えた超人たちが、力をあわせて一つの目標に向かう時、1+1のイコールは2でなく、何倍にもなり得るというのはこの種の物語の王道だ。
6人の中でも一番若いフラッシュが、MCUのスパイディ的なコミックリリーフで、かなり美味しいポジション。
ただ、バットマンとの“金持ち+ギーク”の組み合わせは、ちょっとアイアンマンとスパイディの師弟コンビに印象が似すぎている気もするが。
準娯楽映画としてはなかなか楽しめる本作だが、残念なポイントも多い。
映像至上主義者を自認するザック・スナイダーは、ストーリーとキャラクター、特に台詞への拘りが弱く、その分毎回圧倒的にエモーショナルなビジュアルで魅せる。
「バットマンvsスーパーマン」は、二大ヒーローがなぜそんなに憎み合って、戦うことになるのかよく分からず、悪役のレックス・ルーサーも結局何がやりたいのか意味不明という、シナリオの根本が破綻した映画なのだが、スナイダー一流のパワフルでアーティスティックな映像の力で、強引にねじ伏せてしまった。
対照的に、本作の代打を引き受けたジョス・ウェドンは、突出したビジュアルイメージよりも、キャラクターの掛け合いとシチュエーションへのリアクションで紡いでゆく印象が強い。
この異なる個性の演出家のコラボレーションの結果はというと、驚くほどスナイダーっぽくないのである。
本作も途中降板したとは言え、大半のシーンは撮り終わっていたはずなので、スナイダー色は十分残っているだろうと予想していたので、これは驚きだ。
おそらく、ウェドンによる追加撮影部分よりも、編集と音楽を含めた仕上げの影響が大きいと思う。
スナイダーは典型的な切れない、もとい切らない人で、「バットマンvsスーパーマン」の上映時間は152分、アルティメット・エディションに至っては183分もある。
遥かに要素の多い本作を、もしスナイダーが仕上げていた場合、少なくとも同じくらいか、それ以上の長さになっていただろう。
第三者が仕上げたことによって、スナイダーの意図した繋がりとしての映像の力は失われ、短い分サクサク観られるものの、限りなく普通の映画、もっと言えば露骨にMCUを意識した作品になってしまった。
しかも元から拘りの弱い筋立てはほぼそのままだから、無限のパワーを秘めた三つのマザーボックとステッペンウルフの関係などのディテール部分は、「バットマンvsスーパーマン」の様な根本の破綻してはいないものの、説明不足でかなり雑なのが目立つ。
もう一つ、今回はDCEUの大きな欠点が明確になった。
それはスーパーマンが、あまりにも強大過ぎること。
DCEU以前の作品を含めても、スーパーマンに直接的な脅威を与えられるのは、基本クリプトン人かクリプトンに由来する物だけで、むしろルーサーの様な頭脳系の地球人の方が良い勝負をしていた。
今回のステッペンウルフは力で押すタイプだけに、スーパーマンが参戦した瞬間負けは決まった様なもので、ぶっちゃけショボく感じてしまった。
最後の6対1の対決とかは正直イジメに見えてしまい、そんなところも昔イジメ批判があったパワーレンジャーを思わせるところ。
今後のシリーズでは、いかにしてスーパーマンに枷を嵌めるかがポイントとなってくるだろう。
まあいろいろ問題は多く、追いかけるMCUの背中は依然遠いものの、間口の広いお祭り映画としてはまずまず楽しめる。
とりあえず、例のあの人とあの人が登場するらしい次回作に期待。
いつの日かスナイダー版も観られると良いのだけど、米国で興行的に微妙らしく、お金出なさそう。
基本陽性でコスチュームも原色が目立つMCUのヒーローたちに対し、DCEUはダークなカラー。
という訳で、今回はベルギーのダークビール「ロシュフォール10」をチョイス。
世界に11あるトラピスト修道会の醸造所の一つ、サン・レミ修道院で作られる、トラピストビールの代表格。
果実を思わせる甘味と渋みが交錯する、濃厚なフルボディの味わいだ。
ロシュフォールは10の他に8と6もあり、10はもっともアルコール度が高い。
肉料理などにも合うが、何気にこの種のビールはチョコレート系などの濃いめのスイーツとの相性が良いのである。

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前作「リアリティのダンス」のラストからはじまる、アレハンドロ・ホドロフスキーの自分語り第二章。
12歳までの幼少期を過ごした、故郷トコピージャから首都サンチアゴへ。
サディスティックなまでに抑圧的な父・ハイメに支配され、なぜか全ての台詞がオペラ調の歌唱になっている母・サラに溺愛される日々に葛藤を抱え、何者かになろうと抗うアレハンドロの極彩色の思春期。
やがて彼は従兄のリカルドに連れられて、とある芸術家姉妹の家を訪れる。
そこは彫刻家や画家やダンサーなど、新しい何かを作ろうとする、若きアーティストたちが共に暮らす梁山泊の様なシェアハウスで、アレハンドロも実家を飛び出し、ここに入り浸って詩作をはじめる。
本作はマグマのような熱を心に秘め、アーチストとしての胎動の時代が描かれる、アレハンドロの少年-青年編だ。
物語の舞台は40年代から50年代にかけての凡そ10年間だが、視点は現在のホドロフスキーに置かれている。
これは彼の心象であり、描き割りに再現された幻影としての過去=映画なのだ。
本作を鑑賞することは、老年期を迎えた作者本人が、彼の中にある過ぎ去った時間を新たな芸術として再生するプロセスを、共に体験することなのである。
今でなければ決して作り得ない過去。
ホドロフスキーの内面にある小宇宙を、映画として外側に組み立ててゆくのだが、さらにその中に本人が入って行く得意な多重構造。
まだ行くべき道を探す若きアレハンドロの前に、ひょいと現在のホドロフスキーが現れて語り出し、過去を"修正"したりするのだから面白い。
老いた異才は映画の中で70年前の自分と向き合いながら、現在の自分が映画を作る意味を改めて見出しているかの様だ。
例によって、エキセントリックにカリカチュアされたキャラクターたちが強烈だが、映画が描かんとしていることの解釈そのものは、過去のホドロフスキー作品に比べても格段に分かりやすいのでないか。
過去は今を形作り、今は過去に想いを馳せる。
そこにある喜びも悲しみも、その時は否定的に思えたことすら、皆愛おしい。
若きアレハンドロの旅路は、まだ見ぬ未来によって明るく照らされているのである。
ところで本作は「リアリティのダンス」の完全な続編なので、前作の鑑賞は必須。
それにラストを観ると、物語はまだまだ続きそうな雰囲気だ。
今回が第二次イバニェス政権が出来て、渡仏するまでの話だから、若きアレハンドロはまだ23歳くらいか。
次はパリ、そしてメキシコで演劇人・カルト映画監督として開花する時代?
そしてその次は、幻の「DUNE」を経過して名声が世界に広まり、コミック原作者としても活躍する壮年期だろうか。
前作に続き強烈な遺作感が漂うが、もしこのままシリーズが続き、現実と虚構の狭間にある心象としての過去が、ホドロフスキーの今に追いついた時、いったいどんな化学反応、もといミラクルが起こるのだろう。
世界を驚かせてきた異才もすでに88歳、是非とも新たな映画の可能性を見せて欲しいが、時は待ってくれるだろうか。
今回はワインどころとしても知られるチリ、カサブランカバレーのヴィーニャ・コノスルから「シャルドネ 20バレル」をチョイス。
20樽、6000本限定のリミテッドシリーズは辛口のフルボディ。
すっきりとした酸味と豊かな果実香を備え、シャルドネらしい柔らかで芳醇なワインに仕上がっている。
貧乏人としては、チリ産ワインのCPが抜群に高いのも嬉しい。

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前評判は散々だったが、面白いじゃないか。
これだから映画は観るまで分からない。
20世紀最後の夏から、突如として未知の巨大生物“怪獣”が大挙して世界を襲う。
カマキラス、ラドン、アンギラス、ドゴラ・・・そして、それら怪獣たちをも駆逐し、人類に引導を渡すラスボスとして現れたのが、本作におけるゴジラ。
その圧倒的な破壊の力に、それぞれの理由で故郷の星を失い、密かに地球を観察していた人型異星人たちが加勢を申し出るも、彼らの科学力をもってしてもゴジラを倒すことは出来ず、生き残った人類は異星人と共に宇宙へと敗走する。
だが、移民に適した惑星は見つからず、20年後にやむなく地球へと帰還するのだ。
この特異な世界観は昭和・平成の東宝「ゴジラ」シリーズとも、昨年大ヒットしたリブート作「シン・ゴジラ」とも違う。
メタボな体型は明らかに“ギャレゴジ”として知られるハリウッド版の系統で、人類が怪獣に星を奪われるという設定は、レジェンダリー・ピクチャーズが展開している“モンスター・バース”と合わせているのかと思ったが、これも少し異なる様だ。
ある日突然怪獣たちが世界各地を襲いはじめ、人類と戦うという設定はむしろ「パシフィック・リム」を思わせる。
まあいかにも虚淵玄の脚本らしい展開だが、従来のゴジラ映画に対する愛着の強い人ほど、この世界観には戸惑いそう。
前半は放浪の人類が地球に帰るまで、後半は地球奪還をかけた対ゴジラ撃滅作戦の構成。
主人公となるのは4歳の時にゴジラに両親を殺され、強い憎しみを持つ青年・ハルオ。
宇宙船の中で、延々と仇敵の研究をしていた彼は、無敵と思われていたゴジラにも弱点があることを発見し、反転攻勢の実質的な指揮官となる。
面白いのは、人類が地球を離れていた20年の間に、ウラシマ効果により地球では2万年の歳月が過ぎていて、生態系が全く変わってしまっていること。
人類と同盟者の異星人たちは、事実上未知の惑星で最強の敵と戦わざるを得ないのである。
日本のこの種のSFの例にもれず、前半部分はやや説明過多に感じるが、三部作の一作目ということもあり、本作で回収されなかった細かな設定も、後々伏線として効いてきそうなので、とりあえず良しとしよう。
後半、地球に降りてからのアクションシークエンスは、怪獣ものとして十分なクオリティだ。
宇宙船にパワードスーツ、「AKIRA」に出てきたようなホバーバイクが、機動性を生かして巨大なゴジラに襲い掛かるビジュアルは迫力満点。
「名探偵コナン」シリーズの瀬下寛之と、「BLAME!」が記憶に新しい静野孔文の両監督は、デジタルアニメーションの特質を生かし、人類のメカのスピード感とゴジラの巨体の重厚さのコントラストで魅せる。
それにしてもゴジラの無双っぷりたるや、途中までは地球全体にゴジラ一頭、それならいない場所で暮らせば?と思うのだけど、クライマックスまで観ると、そりゃ地球ごと滅びるわなと納得。
ドラマの軸となるハルオのキャラクター造形が、やや一本調子なのが気になるが、この辺りも次回作以降の成長に期待ということにしておこう。
そして、細やかな歓喜の後の、さらなる絶望の大きさ・・・。
続きものの構成ながら、単体でもある程度の"オチた"感があるのもいい。
ところで本作も、「シン・ゴジラ」以上に巴啓祐の「神の獣」の影響を色濃く感じる。
日本映画界もオマージュばっかり捧げてないで、いい加減あの傑作を誰か本気で映画化しないか。
四半世紀前にはまず無理だったけど、今なら技術的には可能だろう。
長らく絶版だったが、電子書籍版が出たので未読の人にはぜひ読んでほしい。
今回はイギリスのグリーンキング・ブルワリーの「ダブルホップ モンスター IPA」をチョイス。
レイト・ホッピングにより、煮沸の終了間際まで二段階に分けてホップを投入。
名前からは強烈なホップ感を想像するが、確かに強いものの、思いのほかマイルド。
パンチを効かせつつ、むしろ芳醇なまろやかさが前面に出る。

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"AV女優"をモチーフにした、オムニバス的な人間ドラマ。
原作は紗倉まなの同名短編小説集で、元々四話だったものを、一話を除いて三話で再構成。
それぞれの物語の主人公は、夫との関係に悩みAVに出演する主婦・美穂、親バレした現役のAV女優・綾乃、嘗てAV女優だった母親に反発する女子高生・あやこ。
世代の違う三人の女性たちと、彼女らを取り巻く人々の物語は、肌触りも生々しくリアリティたっぷりだ。
三つの独立した物語が、キャラクターのエモーション、あるいはアクションのシンクロで細かく切り替わってゆくスタイルは、橋口亮輔監督の「恋人たち」にちょっと近い。
孤独を抱えた三人の主人公と、AVとの関わりにはそれぞれに異なる理由がある。
子どもを作ろうとしない夫との夫婦関係に悩み、閉塞した日常に閉じ込められた美穂は、現状から抜け出す“救い”としてAVを選ぶ。
鉄のアソコを持つ女を自認する綾乃には、そこは自らの才覚でのし上がれる“居場所”だ。
自由奔放な元AV女優の母親に振り回されるあやこにとっては、AVは自らに課された運命的な“呪縛”といえるだろう。
誰もがある日突然AVに出るわけではない。
本作にはそこに至るまでの物語、至った後の物語、そしてそのことが及ぼす影響に関する物語が、私たちの日常とのしっかりとした地続き感を持って語られていて、血の通ったキャラクターたちの人生の葛藤がある。
人前で裸になり、セックスを見せてそれを売ると言う仕事内容は確かに特殊かも知れないが、この映画はAV女優という生き方を、肯定も否定もしない。
世の中の多くの事象と同じく、特殊な中にも普通があり、日常の中にも非日常が、良いことがあれば悪いこともある。
私たちの社会はなにかにつけて白黒つけたがり、“あちら”と“こちら”の二元論で物事を語ろうとするが、実際にはほとんどの人がどちらでもないグレーの存在であり、生きることの喜びと悲しみを抱え、揺れ動きながら細やかな幸せを探している。
ふんばって毎日を生きて、そしていつか今よりも良い明日へ。
だからこそ三人の人生が僅かに交錯し、まだ多くの迷いを残したまま、少しだけ前へと進む物語は、私たち観客の心にも生の実感をもって染み渡るのだ。
女優たちの体を張った演技は素晴らしく、裸体が葛藤を物語る。
瀬々敬久監督は「(この映画に)金は無いが、自由はあった」と仰ってたが、邦画で遠慮のないセックスシーンがキチンと意味を持って演出されていたのは、最近では本作と「あゝ、荒野」くらい。
悩める美穂の心情を繊細に演じたファーストロールの山口彩乃が、彼女のキャスティングを知ってエステを予約したという、アンパンマンこと佐々木心音は特に強い印象を残す。
AVビギナーである美穂や、AVとは間接的な関係であるあやこと違って、現役としてガッツリ心を決めた綾乃の、ちょっと危うさを感じる不器用な生き方には思わず感情移入。
これが映画初出演となるあやこ役の山田愛奈も、青春の痛みを感じさせて良い。
映画オリジナルだというラストは、物語に余白を感じさせ、三人のその後に想像が広がる。
彼女たちのこれからの人生を想い、実りある未来を願う。
そんな風に思える本作は、とても幸せな映画である。
今回は、愛に関する物語でもあるので、「ピュアラブ」をチョイス。
ジン30ml、フランボワーズ・リキュール15ml、ライムジュース15mlをシェイクし、氷を入れたグラスに注ぐ。
適量のジンジャーエールを加えてステアし、スライスしたライムを添えて完成。
バーテンダーの上田和男さんが、1980年に日本バーテンダー協会のカクテルコンペティション用に考案し、優勝した作品。
美しいオレンジ色のカクテルは、爽やかだけどちょっと酸っぱい恋の味だ。

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1920年代、日本統治下の朝鮮と上海租界を舞台に、ソン・ガンホ演じる刑事のイ・ジョンチュルと、独立運動組織・義烈団を描く異色のスパイ映画だ。
朝鮮人でありながら、日本の警察に属する主人公は、日本の支配に一矢報いようとする義烈団へのシンパシーと、刑事としての職務の板挟みとなる。
自己保身か、自己犠牲か、英雄とは真逆の位置に立つ男は、図らずも直面することになる人生の岐路にどちらの道を選ぶのか。
監督はアーノルド・シュワルツェネッガーの復帰作、「ラストスタンド」でハリウッド進出も果たしたキム・ジウン。
ユン・ユ、ハン・ジミン、イ・ビョンホンら主役級の実力者がガッチリと脇を固める。
世界観の作り込みも素晴らしく、時代感のある美術や衣装は、名手キム・ジヨンのカメラによって細部に至るまで写し取られ、ゴージャスなビジュアルとしてスクリーンに結実。
韓国映画界の底力を実感できる秀作である。
京城の警察に所属するイ・ジョンチョル(ソン・ガンホ)は、上司のヒガシ(鶴見辰吾)から、上海を拠点に独立運動を展開している義烈団を監視しろとの命を受ける。
ジョンチョルは、義烈団の京城でのリーダーと目され、写真館を営むキム・ウジン(ユン・ユ)に近づき、懇意となる。
ウジンから上海での”仕事”に誘われたジョンチョルは、組織の全貌を掴むチャンスと考えて上海行きを決めるが、実はそれは義烈団の団長チョン・チェサン(イ・ビョンホン)が、ジョンチョルを組織に引き込むための餌だった。
次第に義烈団の面々に惹かれてゆくジョンチョルだったが、義烈団は京城でことを起こすために、上海から列車で爆弾を朝鮮に持ち込もうとしていた。
誰が敵で誰が味方なのか、本当の密偵は誰なのか、義烈団と警察が腹を探り合う。
同僚のハシモト(オム・テグ)の目が光る中、列車に乗り込んだジョンチョルに決断の時が迫る・・・
本作はフィクションだが、義烈団そのものは実在した組織で、朝鮮総督府への爆弾攻撃や、日本軍幹部への狙撃事件などを起こしている。
本作の直接の元ネタになっているのは、おそらく2013年に公開された、当時の英国情報部が作成した義烈団に関しての報告書。
それによると、青島に住むドイツ人が作成した爆弾160個のうち100個が、義烈団により朝鮮に持ち込まれたとあり、基本プロットはこの報告書に上海天長節爆弾事件を始めとする、朝鮮独立派の組織が日本側の官司を狙って起こした幾つかの事件を組み合わせた感じだ。
ここ数年の韓国映画には、日本統治時代の独立運動を描く”愛国的”な作品が目立ったが、これは多分に朴槿惠政権下で起こった、いわゆるチェ・スンシルゲートの影響がある模様。
映画会社を傘下に持つ財閥各社が、影の大統領に支配された保守政権のご機嫌とりに走った結果というわけだ。
この波に乗って作られた作品は、かなり無理のある作品が多く、例えばホ・ジノ監督の「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女」など、朝鮮王族が日本でレジスタンスしちゃったり、朝鮮戦争ものの「オペレーション・クロマイト」では、本来アメリカ人だったはずの人物を韓国人に改変していたり、トンデモ設定だらけでほとんど歴史ファンタジー化してしまっていた。
本作はその種の作品とは一線を画し、最初からフィクションであることを前提に、史実との乖離も比較的少なく、なかなかの仕上がり。
ユニークなのは主人公のジョンチュルを、朝鮮人でありながら日本の警察に勤務し、日々独立派を取り締まるという、アイデンティティに迷った"裏切り者"に設定したこと。
とは言っても別に悪人というわけではなく、併合後10年以上を経た日本統治下の社会を生き抜くために、長いものに巻かれてる人物に過ぎない。
彼にとって義烈団などの独立運動組織は、その理想は理解するものの、帝国主義の時代に到底不可能な夢を追っているだけにしか思えないのだ。
ソン・ガンホがキャスティングされている時点で、キャラクター造形の方向性は想像がつくが、基本的にジョンチュルは情に厚く、頼られると断れない。
だから実際に信念を持った義烈団のメンバーと接すると、その心情は簡単に揺れ動く。
アイデンティティの葛藤を抱えたジョンチュルが義烈団を探る工作と、ミイラ取りをミイラにとばかり、逆に彼を二重スパイとして組織に引き込む工作とが絶妙に絡み合う。
基本”裏切り者が正しい道に戻る”話なので、最終的に行き着く所に驚きはないのだが、他にも組織に送り込まれた密偵がいる状況で、駆け引きはどんどん複雑化してゆく。
キム・ジウン監督は、緻密に構成された物語を、ベテランらしく正攻法かつ骨太の演出できっちりと魅せる。
特筆すべきは、上海から朝鮮に向かう列車上のシークエンスで、義烈団のメンバー、彼らを追う警察、そして板挟みのジョンチュルという、三つ巴のサスペンス。
本当の裏切り者は誰か、敵味方とも疑心暗鬼の状況で、熾烈な騙し合いの推移に手に汗握り、ハラハラドキドキ。
爆弾運搬を担う義烈団のリーダーがユン・ユなので、密室の列車内を行き来しての展開は、ちょっと「新感染 ファイナル・エクスプレス」を連想した。
前記した「ラスト・プリンセス」やチェ・ドンフン監督の「暗殺」など、朝鮮独立運動を描いた作品は、悪の日本人を愛国者たちが成敗する話かと思わせておいて、実はどの作品もかなり自虐的。
日本の支配という枠組みの中で、分断された朝鮮人同士が殺し合い、自滅してゆく話しになっている。
朝鮮半島は常に中国をはじめとした外部勢力の影響を受け、内部の理念対立が伝統的に激しい。
今でも韓国のメディアなどに「韓国人は身内同士で争ってばかり」という論調の記事をよく見るが、そんな民族的メンタルが映画にも確実に影響を与えていて、実は日本人が観てもあまり悪役にされている感は少ないのだ。
ところが、本作には珍しく鶴見辰吾演じる日本人の悪漢がいる。
裏切り者がなすべきことを見つけ、人生をやり直す展開には、やはり動機となる明確な敵対者が必要だからだ。
このキャラクターがまた、わざとらしい悪役でなく、ジョンチュルの上司として、あくまでも冷静に仕事として酷いことをする、典型的な官僚に造形されているのも良い。
敵役の突き放したキャラクター造形が、映画が過度にエモーショナルになるのを避け、主人公の心に灯った暗く冷たい炎を感じさせるのである。
日本円にして15億円をかけたこの作品を成功させたことで、キム・ジウン監督は念願の押井守原作、沖浦啓之監督のアニメーション映画、「人狼 JIN-ROH」の実写リメイクのプロジェクトに入ったそうだ。
日英同盟が独伊枢軸に敗戦したという架空の”戦後”を舞台に、いくつもの勢力が入り乱れる超分断社会を描く「人狼 JIN-ROH」は、なるほど韓国で映画化するのにピッタリな題材。
いかにしてキム・ジウンが料理するのか、楽しみに待ちたい。
今回は、大陸の列車で飲みたい「青島ビール」をチョイス。
青島は1898年にドイツの租借地となり、ドイツ人投資家が1903年に醸造所を開設しビール生産をスタート。
その後第一次世界大戦後には日本資本に買収されたり、第二次世界大戦後には共産党に国営化されたり、改革解放で民営化されたり、激動の中国史の中でしぶとく生き残ってきた中国最古のビール銘柄の一つ。
血統はドイツだが、味わいとしてはむしろアメリカンビールに近く、しっかりしたビールらしさを残しながら、非常にマイルドかつクリア。
スムーズな喉越しと清涼感のある口当たりは、中華料理の脂っこさを中和し、何杯でも飲めてしまう。

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なかなかに良く出来た娯楽映画だ。
二宮和也が好演する主人公の佐々木満は、一度食べた味を決して忘れず、どんな料理でも再現してしまう“麒麟の舌”と呼ばれる絶対味覚の持ち主。
嘗て経営していた店の借金を返すため、富裕層のために高額なギャラで思い出の味を再現する、料理版ブラックジャックみたいな主人公が、天皇の料理番が作り70年前の満州で行方不明となった究極のレシピ、その名も“大日本帝国食彩全席”を探す、というのがプロットの骨子。
料理映画でありながら、探偵ものとしても楽しめるジャンルレスムービーだ。
腕は抜群だが心に問題を抱えた傲慢な天才料理人・満が、西島秀俊演じる歴史の闇に消えたもう一人の天才・山形直太郎と彼のレシピの行方を追ううちに、料理を大陸侵略の道具として使おうとする関東軍と、戦争の時代に抗おうとした人々の想いが浮かび上がってくる。
日本人、漢人、満州人、朝鮮人、蒙古人の“五族協和”をスローガンに掲げる新しい国、満州国に天皇を迎えるため、直太郎は様々な民族の食文化を融合させた究極のレシピを作ろうとするが、その実彼を雇った関東軍は、建前にしか過ぎない五族協和ではなく、自分たちによる満州支配を進めるために、レシピを利用したある陰謀を巡らせてゆく。
直太郎もまた満と同じく絶対味覚の持ち主で、料理を極めることを全てに優先し、周りの人間を信じない。
そんな男が、数年に及ぶ全112品目のレシピ作りを通して少しずつ変わってゆき、料理と人間への愛に生きたことを、彼を知る人々との出会いによって満が追体験してゆくのである。
原作の田中経一は90年代に一世を風靡し、世界的な大ヒット作となった料理バラエティ「料理の鉄人」を手掛けた演出家。
料理を格闘技に見立てたあの番組を思わせる部分もあるが、やはりキャラクター相関も含め本作に強い影響を与えているのは、“究極のメニュー”を探してウン十年の「美味しんぼ」だと思う。
やはり頑なな拗らせキャラクターだった主人公の山岡士郎が、料理の持つ物語とそこに込められた人の想いを学ぶことで、深みのある人間となっていったように、当初非共感キャラクターである満もまた、レシピの行方を探す旅を通し、そもそも料理とは何かという根本に立ち戻ることで、殻を破り大きく成長してゆく。
滝田洋二郎の演出は、キャラクターの感情の機微を丁寧に見せ、料理人の所作などの描写も魅力的。
全編に渡って登場する、数々の豪華料理のシズル感はなかなかのものだ。
プロットは全体的に非常にロジカルに構成されており、違和感のある部分はきっちり伏線として回収される。
ただ、おそらくは原作由来だと思うが、林民夫による脚本はまるでコース料理の様に、ピタッ、ピタッとパズルのピースがハマってゆき、あまりに綺麗にまとまり過ぎて、ちょい出来過ぎに感じてしまう所もある。
これは30年代を描く過去の物語が、関東軍の陰謀によって、レシピを探す満を描く現在の物語も、別の見えざる手によって導かれており、本来の主人公たち、特に満の主体性が希薄なことも影響していると思う。
はじめから結論ありきなのが全体を縛っているのだが、この構造こそ本作の核心なので、悩ましいところ。
物語のあり方として好みは別れるだろうが、端正な娯楽映画として十分な見応え。
継承されるスピリットを具現化した、エンドクレジットの工夫も素敵だ。
あれは撮影後にスタッフが美味しくいただいたのだろうか。
出番は短いものの、山形直太郎の妻を演じる宮崎あおいが、凛としたキャラクターで強い印象を残す。
やっぱりこの人上手いわ。
今回は中国の酒宴に欠かせない高級白酒「貴州茅台酒(キシュウマオタイ酒)」をチョイス。 300年以上の歴史を持ち、本作にもチラッと登場する日中国交回復の式典でも振舞われた、中国を代表する蒸留酒だ。
酒を買うとついてくる小さなグラスで一気にグイッと飲むのが一般的。
独特の香りと濃厚なコクがある非常に強い酒だが、この飲み方だと意外とどんどんいけてしまう。
量を飲んでも悪い良いし難いのも嬉しい。

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3DCG全盛のこのご時世に、100年を超える歴史を持つストップモーション技法による作品を作り続けている拘りのアニメーションスタジオ、ライカの最新作「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」は、古の日本を舞台にしたオリジナルの貴種流離譚だ。
月の魔王の娘サリアツと人間の侍ハンゾウとに間に生まれた運命の少年クボが、魔王を倒すために長い旅に出る。
それはクボがにとって家族のルーツを辿り、自分が何者なのかを知る道程ともなるのだ。
監督はライカの現CEOであり、「コララインとボタンの魔女」や「パラノーマン ブライス・ホローの謎」などのリードアニメーターとして活躍したトラビス・ナイト。
幼い頃に、父の仕事の関係で日本を訪れて以来、日本文化に魅了されているというアニメーションの名手が、見事な監督デビューを飾った。
むかしむかしの物語。
少年クボ(アート・パーキンソン)は、心を病んだ母サリアツ(シャーリーズ・セロン)と共に、村はずれの岩山にある洞窟に住んでいる。
サリアツは、冷酷な月の魔王ライデン(レイフ・ファインズ)の娘。
人間の侍ハンゾウ(マシュー・マコノヒー)との結婚が父の逆鱗に触れ、ハンゾウは殺され、人間界に逃げたサリアツは幼いクボが魔王に見つからないように、ひっそりと隠れて暮らしてきたのだ。
月の魔力の及ばない日中、クボは三味線片手に村に出て、生まれ持った魔術で折り紙を自在に動かし、父ハンゾウの物語を語る。
しかしやがて、二人の存在は魔王の知るところとなり、クボを守るために双子の姉カラスとワシ(ルーニー・マーラー)と対決したサリアツは倒されてしまう。
クボは、母が最後の力を振り絞って命を与えたサルの置物と、嘗て父の配下にあり、呪いで姿を変えられてしまった巨大なクワガタを”保護者”に、ハンゾウの物語に登場する、魔力を持った三つの武具を探す摩訶不思議な旅に出るのだが・・・
例によって、映像的なクオリティは圧巻だ。
冒頭の嵐の海のダイナミックな描写で、もう既に驚愕するしかない。
3Dプリンターの出現によって、ストップモーション・アニメーションの可能性は劇的に広がった。
もやは、3DCG並みに描くシチュエーションを選ばず、顔のパーツを入れ替えるパペトゥーンの技法で表現されるキャラクターの感情は、驚くほど豊かだ。
カメラのブレが起こらないことによるフリッカーなど、ストプモーションならではの味わいは残るものの、技術が洗練されればされるほど、CG表現との境界が薄れてゆくのは皮肉な気もするが。
とは言っても素材が物理的に存在している分、他のアニメーション表現と比べ、より多くの工夫と作り手の情熱が必要とされる、非常に贅沢な手法なのは間違いない。
日本人にとって一番興味深いのは、本作がアニメーションで描かれるアメリカ製の時代劇という点だろう。
封建時代の日本を舞台としたハリウッド映画というと、21世紀に入ってからの作品では、渡辺謙を一躍世界のスターにした「ラスト・サムライ」、キアヌ・リーヴス版の「忠臣蔵」という触れ込みの「47RONIN」あたりが記憶に新しい。
どちらも映画として面白いかどうかは別として、やはり日本人からすると違和感を禁じえない描写が多々あるのも事実(後者の場合、もはや日本であるかどうかも怪しい)。
フィクションである以上、考証として正しい日本よりイメージとして正しい日本が求められるのだからある程度は致し方ないし、日本映画で描かれるアメリカだって相当に変なので、人のことばかりは言えないのだけど。
ところが、アニメーションという表現で作られた本作は、最初からリアリティラインが実写とは大きく異なる。
数多の実写作品には到底作り得ない、入念にデザインされ作り込まれた、アニメーションならではの世界を見せてくれるのだ。
何時でもなく、何処でもない、ファンタジー映画の舞台としての日本は極めて魅惑的。
手法は違えど、70年代にNHKで放送されていた人形劇「真田十勇士」や「笛吹童子」に夢中になっていた世代としては、妙な懐かしさも感じる。
幾つもの時代や場所、さらには「ロード・オブ・ザ・リング」など西洋のファンタジーが融合したような世界観は、既成概念に縛られた我々日本人には、なかなか発想出来ない大胆でユニークなものだが、三味線や折り紙を始め、随所に滲み出る日本文化へのリスペクトが熱い。
こんな風に、折り紙を魔術と絡めて使うアイディアなんて思いもよらなかった。
折り紙の作り出す直線的でシャープなイメージは、衣装や美術のデザインにも及んでいる。
衣装デザインはイッセイミヤケのプリーツや着物の折りの技術を参考にし、美術は伝統的な浮世絵や20世紀の版画家、斎藤清からもインスパイアされているという。
特に斎藤清の版画は、ビジュアルイメージ全体のコンセプトに影響を及ぼしているのが一目で分かるほどだ。
アクションやキャラクターの所作は、黒澤明の映画を参考に実際に人間が演じ、それを最終的にパペットに置き換えていったそうで、入念な制作プロセスはきちんと映像として結実している。
感情を知らず永遠の命を持つ月の者と、有限の命ながらも溢れんばかりの情熱をもつ人間との、真実の愛の結晶であるクボの旅は、設定的にもテーマ的にも、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」のアクションファンタジー版といった趣。
クボが三味線片手のストーリーテラー設定ゆえ、そこに物語論も組み込まれているのが面白い。
本作における物語の本質とは、語り継がれる誰かの命の記憶だ。
月の魔王ライデンは、不浄なこの世のを見せないために生まれたばかりのクボから片目を奪い、残ったもう一つの目をも奪おうとしているが、クボの曇りなき目に映るこの世界は美しい愛で満ちている。
人間は不完全で滅びる存在ゆえに、愛する者の記憶の中で物語として昇華されることではじめて永遠となり、ここに根底を貫くわびさびの心が浮かび上がるのである。
ところで、古の日本のストーリーテラーと言えば、先ず琵琶法師が思い浮かぶが、本作はあえて比較的時代の新しい三味線を選んだ。
なぜ三味線でなければならなかったのか?
原題が「Kubo and the Two Strings(クボと二本の弦)」であることの、本当の意味が明かされる瞬間には、思わず涙腺が決壊。
シャーリーズ・セロン、マシュー・マコノヒーのオスカー俳優コンビ、さらにはルーニー・マーラー、レイフ・ファインズにジョージ・タケイまで、やたらと豪華な声優陣の演技も聞き応えたっぷりだ。
アニメーション・スーパーバイザーのブラッド・シフ曰く、「私たちは撮影に使ったパペットをリトル・ヴァンパイアと呼んでいます。撮影するたびに私たちの生命力を吸うんです」。
世界最高峰のストップモーションアニメーションスタジオが作り上げた、まほろばの日本に酔いしれる魅惑の103分は、文字どおり作り手たちが命を吸わせて作った魂の結晶。
スリルあり笑いあり涙ありの冒険譚は、万人にオススメできる、娯楽ファンタジーの傑作だ。
少し残念なのは、かなり3Dを意識した演出がなされているのだけど、日本公開ではどうやら3D版が用意されないということ。
比較的小規模な公開だから仕方がない点もあるが、これは是非とも劇場の大スクリーンで3D鑑賞したかった。
今回は、日本をイメージしたカクテル、その名も「ジャパニーズ」をチョイス。
1860年にアメリカを訪れたサムライの使節団は大きな話題になり、特に通訳を務めた当時16歳の立石斧次郎は全米の女性を虜にし、”トミー”のニックネームでアイドル並みの人気だったという。
このフィーバーに目を付けた伝説のバーテンダー、ジェリー・トーマスによって考案されたのがこのカクテル。
コニャック60ml、オルゲート・シロップ15ml、アンゴスチュラ・ビターズ3dashを、氷と共にミキシンググラスでステアし、冷やしたグラスに注ぐ。
最後に捻ったレモンピールを飾って完成。
アンゴスチュラ・ビターズの苦味がアクセントとなる、甘口のカクテル。
洋酒ライターの石倉一雄氏の説では、紹興酒をイメージしたのではないかということだが、確かに味わいは通じるものがある。
今の日本ではあまり知られていないカクテルだが、海外ではビンテージカクテルとしてそこそこ目にする。
ちなみに主人公の名前のクボは、「久保?それとも公方?」と疑問だったのだが、どちらでもなく原案のシャノン・ティルドンの日系の友人のニックネームだそう。

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ジワジワ締め付けられる、オトナの心理スリラーだ。
トム・フォード監督、演出だけかと思っていたら脚本も自分で書いているとは驚き!
本当に天から二物も三物も貰った人はいるのだなあ。
こんなにも完成度の高く、映像的にもパンチのあるスリラーを、二作目の異業種監督が撮ってしまうのだから凄い。
何しろファーストショットからインパクト抜群である。
ブクブクに太った裸の女たちが奇妙なダンスを踊る映像から、彼女たちが“オブジェ”として横たわる展覧会の会場へ。
あえて嫌悪感を抱かせる退廃的な世界観は、そのまま作品が描こうとするテーマを示唆する。
※以降、なるべく予備知識無しで観ることをお勧めします。
この展覧会の主催者であるエイミー・アダムス演じるスーザンは、アートディーラーとして成功し、ハンサムな夫とロサンゼルスの豪邸で暮らしていのだが、その実夫のビジネスは火の車で、夫婦関係にも秋風が吹いている。
そんなある日、突然スーザンの元に、19年前に別れた元夫のエドワードから一冊の小説が送られてくるのだ。
彼女との別れから着想を得たという小説のタイトルは、「ノクターナル・アニマルズ(夜の獣たち)」で、これは結婚していた当時、エドワードが不眠症のスーザンに付けたあだ名。
しかし、小説の内容は結婚生活とは何の関係もなく、嘗て二人が暮らしたテキサスの田舎を舞台にした暴力的な犯罪ものなのである。
小説の主人公のトニーは、ある夜ハイウェイで交通トラブルに巻き込まれ、三人の男たちに妻と娘と誘拐され、自分は荒野に置き去りにされる。
やがて、妻と娘は無惨な遺体で見つかり、トニーはマイケル・シャノンがいぶし銀で演じる刑事のボビーと共に犯人を捜し始める。
この小説で“夜の獣”たちが指すのは、犯人の男たちだろう。
ならば何故、エドワードは元妻の呼び名を、凄惨な犯罪小説の悪役に使ったのか。
虚構と現実が、相似するビジュアルイメージによってシンクロするなど、全編に渡って画的なセンスが抜群にいい。
読み進めるうちに、えも言われぬ不安に襲われるスーザンの精神を、何時しか小説の物語が浸食し、徐々に彼女の中の過去の記憶が呼び起こされてゆく。
映画の中盤、彼女は巨大な文字で「REVENGE」と描かれた美術作品から目が離せなくなるが、実は自分で買い付けたことを忘れている。
この描写を含め、トム・フォードは過度な説明を避けつつ、秘められたスーザンの心の中を巧みに暗喩してゆく。
小説のパートでトニーを演じるジェイク・ギレンホールが、過去パートのエドワードと一人二役を演じているのがキーだ。
スーザンは無意識のうちに、小説の主人公がエドワードだと感じ取っているのである。
ならば小説で描かれる犯罪と復讐は、エドワードとスーザンの過去の比喩なのか。
俗っぽく刺激的な小説部分が映画をグイグイ引っ張り、現在と過去とのコントラストにより、スーザンの本当の内面が見えてくる。
この作品を端的に言えば、現在にも過去にも問題を抱えている主人公が、自分がいったい何者なのかを知る物語だ。
そしてそれは、彼女自身が決して認めたくない自分でもある。
作家志望のエドワードと付き合い始めた頃、保守的でブルジョワな母親から、先の分からない彼との結婚を反対されたスーザンは、「私は母さんとは違う」と反発するのだが、母親は嘲笑しながらこう言うのだ。
「みていなさい、娘はいずれ母親の様になるのよ」と。
その言葉通り、彼女はわずか1、2年の結婚生活でエドワードの才能に見切りをつけ、最も残酷な形で彼を裏切り、分かりやすい成功への道を選んだものの、その心は未だ満たされない。
小説「ノクターナル・アニマルズ」に、19年前には感じなかった非凡さを感じとったスーザンが、エドワードとの会食に出かける時、胸の空いたセクシーな服を選びながら、土壇場でリップをふき取るあたりに、彼に対する複雑な心境が感じ取れる。
だが、この時点で彼女はまだ、既にプライドの鎧を内側からはぎ取られていること、エドワードが小説に込めた真の意図に気付いていないのである。
限りなく完璧な映像設計と、名優たちの怪演に彩られた、最も恐ろしい復讐譚にして、純粋過ぎる愛の物語。
トム・フォード恐るべし、この才能はホンモノだ。
今回は、“夜の獣たち”に引っかけて「レッド・アイ」をチョイス。
夜通し飲み通した後の迎え酒として知られるビアカクテルで、そのまま寝不足の充血した目が名前の由来。
トマト・ジュースをタンブラーの四割ほどまで注ぎ、ビールを同分量注いで、軽くステアする。
ビール風味のトマト・ジュースという感覚で、トマトの味わいが強い。
持たれた胃には炭酸ののど越しと、トマトの酸味が効いてスッキリ飲める。

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スティーヴン・キングの代表作の一つ、「IT -イット-」の二度目の映像化。
80年代の終わり、アメリカ片田舎の小さな町・デリーに、子供たちに恐怖を届ける謎のピエロ、ペニーワイズが現れる。
立ち向かうのは、“それ”の存在に気付いた七人の子供たち、“ルーザーズ・クラブ”の面々だ。
それぞれの内面の恐怖を乗り越え、ペニーワイズを倒して街と自分たちを守るため、夏休みの大冒険がはじまる。
監督は、ギレルモ・デル・トロに見出され、長編デビュー作の「MAMA」でクリーンヒットを放ったアンディ・ムスキエティ。
ちょっとビターでノスタルジックな思春期の情景と、ワクワクゾクゾクのホラー要素がバランス良く融合した快作だ。
※核心部分に触れています。
1988年、メイン州デリー。
子供たちの失踪事件が多発する中、大雨の日に幼いジョージー・デンブロウが忽然と姿を消し、二度と戻らなかった。
翌89年の夏、ジョージーの兄ビル(ジェイデン・リバハー)、ベン(ジェレミー・レイ・テイラー)、ベバリー(ソフィア・リリス)、スタンリー(ワイアット・オレフ)、マイク(チョーズン・ジェイコブス)、リッチー(フィン・ウルフハード)、エディ(ジャック・ディラン・グレイザー)の七人は、赤い風船と共にピエロが出てくる生々しい幻影を見る。
大人たちには姿の見えないピエロは、ペニーワイズと名乗り、子供たちを攫って食べると言う。
“ルーザーズ・クラブ”を結成し、ペニーワイズの正体を探り始めた子供たちは、デリーの街では過去に27年ごとに子供の大量失踪が相次いでいたことを突き止める。
ペニーワイズはただのまぼろしではなく、1年間だけ活動し腹を満たしたら次の27年間眠る悪魔だったのだ。
だが、こんなことを大人たちに話しても、一笑に付されるだけ。
七人は、ペニーワイズの住処を突き止め、自分たちだけで戦うことを決意するのだが・・・・
平凡な街で暮らす子供たちの前に、突然非日常の異物・異常が現れる。
それが善なる存在であれば友情を育み、悪であれば力を合わせて抗うことで、子供たちは成長してゆく。
これは70年代から80年代にかけて、アメリカの若者向けの映画・小説によく見られたパターンだ。
これを映画でやったのがスティーヴン・スピルバーグであり、小説のフィールドの代表格がスティーヴン・キングと言って良いと思う。
「E.T.」や「グーニーズ」、そして嘗てのスピルバーグ映画にオマージュを捧げた、J・J・エイブラムスの「SUPER8/スーパーエイト」などと本作の香りはごく近い。
キングが1982年に発表した中編集「恐怖の四季」に収録された「The Body」では、少年たちが夏休みの冒険として死体探しの旅にでる。
この作品が、「スタンド・バイ・ミー」として映画化された1986年に発表された「IT -イット-」は、「The Body」をグッと膨らませ、キング一流の恐怖要素とミックスしたようなリリカルな青春ホラーストーリーだ。
ベストセラーとなったこの小説が、TVのミニシリーズとして最初に映像化されたのが1990年。
ちょうど27年前である。
TV版ではペニーワイズが現れるのは30年ごと、しかし原作と映画では27年ごとなので、おそらく狙って企画しているのだろう。
旧作もなかなか良い出来だったが、今回の映画版は数段上をゆく素晴らしい仕上がりだ。
原作は1985年の、大人になった主人公たちの現在を起点に、子供時代の1958年との二つの時代を描く。
現在と過去は平行に語られてゆくのだが、基本的に原作の構造を踏襲していたTV版と異なり、本作は子供時代のみに絞った構造になっているのが大きな特徴で、この脚色によって強化された部分と、弱くなった部分両方がある。
出版から31年が経過し、物語は一世代分時代がずれて子供時代が80年代末の設定。
“ルーザーズ・クラブ”の七人は、それぞれに秘密のコンプレックスと葛藤を抱えている。
リーダー格のビルは、弟が消えた原因を作ったという贖罪の意識に苦しめられ、元々吃音気味だったのもひどくなっている。
肥満児のベンは、経済的に困窮した母と共に、親戚の家に居候しており、ビルたちに出会う前は友達がおらず、孤独を常とした生活を送っている。
父親と二人暮らしのベバリーは、男たらしという噂のせいで女子たちからは嫌われ、父親からは虐待を受けているが、誰にも相談できていない。
異常に息子を溺愛する母親と暮らすエディは、彼を常に手元に置きたい母親によって、喘息の持病を持っていると思い込まされていて、ユダヤのラビの息子であるスタンリーは、父親から落ちこぼれの烙印を押され、屠畜場で働くマイクは、実の両親を謎の火事で亡くしている。
そして最後にペニーワイズの幻想を見るリッチーは、何よりもピエロが苦手なのだ。
子供の恐怖を象徴するピエロ、ペニーワイズは、実在の殺人鬼ジョン・ウェイン・ゲイシーをモデルにしている。
アメリカの正義を象徴する、西部劇のスーパースターの名を付けられながら、この男は猟奇的な性衝動を抑えられず、少年たちを誘い出しては強姦して殺した。
犠牲者の数は実に33人に及び、チャリティー活動などでピエロに扮していたことから、キラー・クラウンの名で知られる様になる。
本当の表情が見えず、時に不気味に感じられるピエロは、この人物によって殺人者のイメージと結びつけられ、ピエロの姿で子供たちを誘い出す恐怖のアイコン、ペニーワイズとなったのである。
ペニーワイズは、子供たちが心の中で恐ろしいと思っているモノやシチュエーションを作り上げ、精神的に締め上げて殺す。
怪優ティム・カーリーが演じたTV版のペニーワイズは、普通に牙の生えたピエロだったが、今回は子供を喰う時に顎がエイリアンの様に変形し、よりおぞましいデザインに。
この異界の怪物に勝つために、子供たちは勇気を持って内面の恐怖を克服しなければならず、それが成長という青春映画の永遠のテーマと結びつく。
だが原作小説のユニークな点は、ペニーワイズとの対決によって一旦は葛藤を解消した子供たちが、大人になると新たな葛藤を抱えていて、それが絶妙に子供時代と結びついていることにある。
例えばビルは、いくつかのキングの小説の主人公と同じく作家になっていて、しかも子供時代を引きずってホラー小説を書いているのだ。
父親の虐待から脱したベバリーは、今度は夫からのドメスティックバイオレンスに悩まされている。
彼らは恐怖の呪縛から完全には逃れられてはおらず、葛藤を心の奥底で燻らせているからこそ、再びデリーに集わねばならないのだ。
この土地に蓄積された負の力によって、人々が宿命的に結び付けられるあたり、実にキング的なのだけど、二つの時代がリンクする面白さは、明確に時代を分割するという本作のスタイルによって無くなっている。
まあこのロジックは、文庫版で2000ページ近い大長編の小説なら無理なく成立するが、時間が限られる映像作品では表現が難しいのも事実。
187分もあるTV版でもあちこち端折った感があるのだから、劇映画化に当たって子供時代のみに割り切った作りは正解だろう。
構造がシンプルになった分、TV版と比べると少年少女たちの青春ストーリーとしてはより純化され、それぞれが子供の時点の葛藤をいかにして乗り越えるかが物語のキモとなった。
特に、病的な親の愛によって支配されているベバリーとエディの、精神的な独立の瞬間は子供目線ではとても痛快だ。
ホラー映画としての見せ場もグッと増加し、ペニーワイズが子供たちに見せる手を変え品を変えの恐怖の幻影は映像技術の進化と共に大幅にグレードアップ。
最近のハリウッドのホラー映画はJホラーの影響が強く、ジワジワと精神的にくる恐怖演出が流行りだが、本作はピエロらしく伝統的なビックリ系なのもいい。
腕を噛み千切ったりする描写があるものの、人体破壊描写はそれぐらいなので、ホラー耐性があまり無い人でも大丈夫だろう。
幽霊屋敷から地下迷宮へと続くクライマックスの戦いでは、「グーニーズ」的な冒険のワクワクと、正統派ホラーのゾクゾク、さらに紅一点のベバリーを巡る初恋のドキドキ感もミックスされ、ゴージャスに楽しい。
1988年から89年の子供時代を描く本作が「チャプターⅠ」なのだから、2年後の公開を目指し既にプリプロダクションがスタートしている「チャプターⅡ」は、2015年から16年のデリーを舞台とした大人編になるはず。
続投予定のアンディ・ムスキエティ監督は、大人になったベバリーの候補に「MAMA」で組んだジェシカ・チャステインを上げているそうだが、年齢的に今大人編を作るなら、TV版の子供時代を演じたキャストがピッタリなのではと思って、ちょっと彼らのその後を調べてビックリ。
主人公のビルを演じたジョナサン・ブランディスは、2003年に自殺していたのだ。
しかもその時の彼の年齢は27歳・・・。
スティーヴン・キングの創造した恐怖の街・デリーの呪いは、現実世界へも広がっているのだろうか。
今回は、子供たちが見せられる恐怖のイメージから「ナイトメア・オブ・レッド」を。
ドライ・ジン30ml、カンパリ30ml、パイナップル・ジュース30ml、オレンジ・ビターズ2dashを氷で満たしたグラスに注ぎ、ステアする。
カンパリとビターズの異なる苦みが、ドライ・ジンの清涼感とパイナップルの甘さを引き立てる。
仄かにピンクで、ちょい辛口のアペリティフは、“悪夢”というよりは明日の希望を感じさせる“吉夢”の様な気がするが。
ところで、友だちと観に来ていたらしき少年が、「チャプターⅡではあいつ増えてITSになんじゃね?」と言っていたが、増えないから!
そもそもITSはITの複数形じゃないからね ( ;´Д`)

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神々の世界の覇権を巡る、ソー+ロキVS死の女神ヘラの姉弟対決は、シリーズベストと言ってよい面白さ。
原題の「ラグナログ」とは、北欧神話における神々と巨人、魔物の最終戦争のこと。
その結果、神々も巨人も世界と共に滅びる「神々の黄昏」という豪快なオチへと繋がって行く。
今回は、地球で隠遁生活を送っていた主神オーディンの死と共に、その強すぎる野望ゆえに封印されていたオーディンの長女ヘラが解放される。
ケイト・ブランシェットがトナカイみたいな角を生やして、楽しそうに演じているヘラは、手始めに破壊不可能なはずのソーのムジョルニアを粉砕し、邪魔な弟たちを辺境の惑星サカールへと吹き飛ばす。
映画の大半はこのサカールで展開し、ジェフ・ゴールドブラムの変な独裁者によって、囚われの身になったソー、例によって言葉巧みに取り入って客人として迎えられているロキが、いかにしてこの星から脱出し、ヘラが着々と支配を進めるアスガルドへ帰還するかが物語の骨子となり、いわばオーディンソン兄弟のズッコケ宇宙脱出記だ。
サカールにはなぜかハルクも流れ着いていて、独裁者主催の格闘大会のチャンピオンになっていたりする。
地球が重要な舞台となっていた前二作とは雰囲気が大きく異なる宇宙SFで、サカールのやたらとカラフルでチープなビジュアルデザイン、以前よりもコメディ色の強い軽妙なノリも含めて、「マイティ・ソー」シリーズの三本目というよりも、まるで「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の姉妹篇の様だ。
サイカ・ワイティティ監督自ら演じる、ソーの仲間となる宇宙人のコーグなどのサブキャラクターは、どちらの作品に出ていても全く違和感がない。
世界観の一致は、“ガーディアンズ”と“アベンジャーズ”のクロスオーバーへの布石とも思えるが、まあこのスタイルの作品が今一番アメリカでウケるということだろう。
「ドクター・ストレンジ」のオマケ繋がりの魔術師先生は、本当にゲスト出演という感じだったが、色々こじらせちゃってるハルクは上手く物語の流れに組み込まれ、マーベルらしくチームもの的な作り。
ソー、ロキ、ハルク、そしてテッサ・トンプソン演じるミッシェル・ロドリゲス風女戦士ヴァルキリーで結成された、アベンジャーズならぬ“リベンジャーズ”のメンバーが、仲良くいがみ合うところまでも“ガーディアンズ”っぽい。
物語の終盤で、ようやくサカールを脱出した四人が、ヘラと死者の軍団に立ち向かうクライマックスは、それまでのギャグ中心の小芝居とのコントラストが際立つ、まさに“ラグナログ”に相応しいスペクタクルな大バトルだ。
レッド・ツェッペリンの「移民の歌」が鳴り響く中、キャラクターごとに工夫を凝らしたいくつもの見せ場が平行に進み、スーパーヒーロー映画として大いに盛り上がる。
本作は派手なアクションやギャグだけでなく、オーディンの庇護を失ったソーが、気楽なプリンス家業からアスガルドの民のために、真の王となる成長物語としてもなかなか良く出来ていて、娯楽映画としてとてもバランスがいい。
米国ではシリーズ最高の出足だったようだが、そりゃこれはヒットするだろう。
何気にカール・アーバン演じる裏切り者のスカージが、凄く美味しい役。
まさか“デス”と“トロイ”に胸アツになるとは思わなかった(笑
今回は、北欧スウェーデンの代表的ウォッカ「アブソルート」をチョイス。
これからの季節はちょっと躊躇するが、私は冷凍庫でキンキンに冷やし、半シャーベット状のパーシャルショットにして飲むのが好み。
チェイサーはこれまた冷えたビールで。
雷神ソーなら何杯でもいけそう。

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映画はどれもとても良かったのだが、毎年繰り返されるチケット購入のトラブルはいい加減なんとかして欲しい。
公式ページのチケットページに、購入につながるリンクが無く、抗議が殺到してから慌てて当日追加するとか、プロとしてはありあえないお粗末さ。
この映画祭のチケット発売日は、私が一年に一番「無能」という言葉をツイートする日になってしまった。
怪怪怪怪物!・・・・・評価額1650円
ギデンズ・コーのヨン・サンホ化。
学園のリアリティはこの人らしいが、登場人物が殆ど全員徹底的な非共感キャラ。
イジメ大好きのムナクソ悪いガキ共が、人喰いの小鬼を捕まえる。
最初はビビっていたのが、日光という弱点を見つけると執拗にいたぶりだす。
ところが、小鬼には遥かに強い姉ちゃんがいて、消えた妹を探しにやってくる・・・という話。
この映画の怪物はそれ自体が恐怖の対象ではなく、人間の中の悪を浮き立たせる存在。
彼女らは人を食うが、それは生きるための手段でしかない。
対して、クソガキたちは"楽しいから"躊躇なく人を傷つける。
しかも彼らの嗜虐性は、人の様だけど人でない小鬼の存在によってエスカレートしてしまうのだ。
主人公を一番中途半端で、悪にも善にもなり切れない優柔不断な乳揉み男にしたのが上手い。
ガキ共に鉄槌をと、怪物を応援したくなるが、物語の幕引きはこれ以上ない見事なものだった。
生徒と向き合わす、宗教に逃げる女教師など、ハリウッド映画では結構見るタイプのキャラだけど、アジア映画で仏教なのが面白い。
キョンシーの血統というか、ゾクッとするユーモアがいいアクセントになっている。
グレイン・・・・・評価額1600円
「息吹か?穀物か?」
限られた人間だけが遺伝子組換え作物に頼った都市に住み、残りの人々は疫病が蔓延する荒野に放逐されたディストピア。
遺伝子組換え作物に深刻な問題が発生し、種子学者の主人公は事態を予見していた元学者を探し、荒野に足を踏み入れる。
色のない世界で進行する、生きることの真理に関する哲学的なロードムービー。
モノクロのスコープ画面に広がるロケーションが圧巻で、淡々としたテリングはタルコフスキーを思わせる。
「息吹か?穀物か?」という印象的な台詞は、現代トルコ語の起源となった、詩人ユヌス・エムレに由来するそう。
ここで言う息吹とは、すなわち精神のこと。
これは穀物=物質文明を担っていた主人公が、メンターとなる元学者との旅を通して、人類の再生に真に必要な、この世界の生命の神秘に対する畏怖の念を取り戻し、遂に息吹を選ぶまでの物語。
なかなかに見応えのある暗喩劇だ。
KUBO/クボ 二本の弦の秘密・・・・・評価額1700円
古の日本を舞台に展開する、貴種流離譚。
月の魔王の娘と人間の侍とに間に生まれたクボが、魔王を倒せる三つの武具を捜し求める。
冒頭の海の描写にもう驚愕。
もはやCG並みにシチュエーションを選ばず、ストップモーション技法の究極形か。
設定的にもテーマ的にも、「かぐや姫の物語」のアクションファンタジー版といった趣き。
主人公がストーリーテラー設定なので、そこに物語論も組み込まれている。
クボが使うのは三味線のはずなのに、サブタイが「二本の弦」の理由には思わず涙が。
いつでもない、どこでもないファンタジーとしての日本。
しかし折り紙を重要な要素にしたり、随所に滲み出る日本文化へのリスペクトが熱い。
アクションやキャラクターの所作は黒澤映画を参考に、きちんと殺陣師をよんで動きを作っているそう。
万人に受け入れられる、ファミリーエンタメの傑作だ。
ちなみにかなり3Dを意識した演出がなされているのだけど、劇場公開時には3D版は用意されるのだろうか?
ビオスコープおじさん・・・・・評価額1650円
タイトルが気になって、何となくチケットを買ったインド映画だが、これは大正解。
子供の頃懐いていたビオスコープ(携帯型キネトスコープ)の行商人に、25年ぶりに再会した女性ドキュメンタリストが主人公。
彼は痴呆症になり、殺人事件の加害者としてずっと服役していたという。
温厚だったはずのおじさんの身に、いったい何が起こったのか。
主人公は彼の過去を調べはじめ、バラバラのピースは少しずつ形を見せる。
浮かび上がるのは、インドとアフガニスタンを結ぶ悲しい歴史。
アフガニスタン出身のおじさんが、ビオスコープを仕事にしている訳に涙。
主人公は、おじさんの真実を探る過程で、同時に疎遠だった亡き父の本心も知ることになる。
おじさんの家族を探すアフガンへの旅の終わりに、真実を撮るドキュメンタリストの彼女がついた切なく優しい嘘。
これは映画と物語に関する寓話であり、もう一つの「ニューシネマパラダイス」だ。
普遍的な物語だし、例によって控えめなミュージカルはあるが、尺も90分強と短くとても観やすい。
これは是非正式公開を望みたい秀作。
シネスイッチ系とかピッタリじゃないか。
それまでに、原案になってるタゴールの「カブリワラ」は読んでおこう。
MUTAFUKAZ・・・・・評価額1600円
タイトルは仏語で「マザーファッカー」の意。
バンデシネの原作を、日仏合作体制でスタジオ4℃がアニメーション化し、ポスプロはフランス。
しかも舞台はルーザーたちの住むカリフォルニアの街(仏語劇だけど)という超異色のジャンルレスムービー。
一応、内容的には宇宙人が人間になりすましてて、ある秘密を抱えた主人公を追い回すのだから、侵略SFのバリエーションか。
しかしこの作品、成り立ちの通りもの凄くフリーダム。
何しろ主人公のキャラデザはほぼ黒いボールに胴体と手足をくっ付けた様だし、相方なんて頭が燃えてる骸骨だ。
友だちキャラなんて、犬だか猫だかなんだかよく分からない動物化してる。
監督が、どんな風に感情表現したらいいのか戸惑ったと言ってたが、そりゃそうだろうw
そんな不思議なメインキャラたちが、普通の人間に混じってる画だけでもシュールで、未見性は文句無し。
スタジオ4℃らしいビジュアルの出来は素晴らしく、縦横無尽に動き回り、冒険活劇として見事な仕上がり。
まあ、かなり特殊な手触りの作品なので客層は限られるだろうが、公開して欲しい。
最低。・・・・・評価額1650円
瀬々監督の本領発揮。
"AV女優"をモチーフにした、オムニバス的な人間ドラマ。
親バレした現役のAV女優、夫と疎遠になりAVに出演する主婦、母親が嘗てAV女優だった女子高生。
世代の違う三人の女性たちと、彼女らを取り巻く人々の物語は生々しく、リアリティたっぷり。
三つの独立した物語が、登場人物のエモーション、あるいはアクションのシンクロで切り替わってゆくスタイルは、「恋人たち」にちょっと近い。
孤独を抱えた三人の主人公と、AVの関わりにはそれぞれに理由があるのだ。
女優たちの体をはったエロスは素晴らしく、裸体が葛藤を物語る。
瀬々監督は「金は無いが自由はあった」と仰ってたが、邦画で遠慮のないセックスシーンがキチンと意味を持って演出されていたのは、最近では本作と「あゝ、荒野」くらい。
こちらの作品も物語に余白があり、三人のその後に想像が広がる。
タイトルとは違って、出来は"最低"どころではない。
大熱演の女優陣は皆魅力的だったが、ファーストロールの山口彩乃が、彼女のキャスティングを知ってエステを予約したという、アンパンマンこと佐々木心音無双w
Q&Aで酷い質問が出たのだが、彼女の返しも最高だった。
Have a Nice Day・・・・・評価額1500円
整形に失敗した彼女を助けるため、主人公はヤクザのボスの金に手を出す。
現代中国の一夜、アニメーションで描かれるクライムドラマ。
大金の入ったカバンを巡り、有象無象の輩が争奪戦を繰り広げ、全員にとって最悪の夜になってゆく。
多くのキャラクターが入り乱れる、凝った四章構造の映画は75分ほど。
なかなか面白いが、タランティーノやコーエン兄弟が実写で似たようなことをやってるから、あんまり新鮮味はない。
時たまアニメーションならではの、ぶっ飛んだ表現は入るんだけど。
この種の写実的ドラマをアニメーションで作るというのは、日本ではあんまり出てこない発想だが、カリカチュアが効くので全然アリ。
リウ・ジエン監督も、ヨン・サンホくらい作家性が出てくると面白い存在になりそう。
シリアにて・・・・・評価額1600円
舞台は内戦下のシリア。
とあるアパートの1日を描く密室劇。
外では激しい戦闘が続いているが、アパートの中では不自由ながらも日常が営まれている。
元々この家に住んでいた家族、ベイルートへの脱出を決めた若い夫婦、娘のボーイフレンドらが身を寄せる。
皆、どこにでもいる様な、ごく普通の人々。
実質的な家長である一家の母親を軸に、映画は緊張感を持ってある日の出来事を描いてゆく。
彼女が絶対に守りたいと思っている、やっと手に入れた我が家。
しかしそこは、いわば戦場に浮かぶ無防備な孤島。
ある瞬間に、外の世界のおぞましい暴力は容赦無い残酷さで侵入してくる。
日常をベースとして戦争を描くスタンスは、「この世界の片隅に」を思い出す。
だが、この映画は既に壁一枚隔て銃弾が飛び交う状況にあり、あの映画にあったようなユーモアは望むべくもない。
現在進行形の絶望に、胸が締め付けられるような焦燥感を感じさせる力作だ。
花筐 HANAGATAMI・・・・・評価額1750円
二度目の鑑賞。本レビュー執筆中。
