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2017年11月13日 (月) | 編集 |
瞬きをやめ、全てを見届けよ。
3DCG全盛のこのご時世に、100年を超える歴史を持つストップモーション技法による作品を作り続けている拘りのアニメーションスタジオ、ライカの最新作「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」は、古の日本を舞台にしたオリジナルの貴種流離譚だ。
月の魔王の娘サリアツと人間の侍ハンゾウとに間に生まれた運命の少年クボが、魔王を倒すために長い旅に出る。
それはクボがにとって家族のルーツを辿り、自分が何者なのかを知る道程ともなるのだ。
監督はライカの現CEOであり、「コララインとボタンの魔女」や「パラノーマン ブライス・ホローの謎」などのリードアニメーターとして活躍したトラビス・ナイト。
幼い頃に、父の仕事の関係で日本を訪れて以来、日本文化に魅了されているというアニメーションの名手が、見事な監督デビューを飾った。
むかしむかしの物語。
少年クボ(アート・パーキンソン)は、心を病んだ母サリアツ(シャーリーズ・セロン)と共に、村はずれの岩山にある洞窟に住んでいる。
サリアツは、冷酷な月の魔王ライデン(レイフ・ファインズ)の娘。
人間の侍ハンゾウ(マシュー・マコノヒー)との結婚が父の逆鱗に触れ、ハンゾウは殺され、人間界に逃げたサリアツは幼いクボが魔王に見つからないように、ひっそりと隠れて暮らしてきたのだ。
月の魔力の及ばない日中、クボは三味線片手に村に出て、生まれ持った魔術で折り紙を自在に動かし、父ハンゾウの物語を語る。
しかしやがて、二人の存在は魔王の知るところとなり、クボを守るために双子の姉カラスとワシ(ルーニー・マーラー)と対決したサリアツは倒されてしまう。
クボは、母が最後の力を振り絞って命を与えたサルの置物と、嘗て父の配下にあり、呪いで姿を変えられてしまった巨大なクワガタを”保護者”に、ハンゾウの物語に登場する、魔力を持った三つの武具を探す摩訶不思議な旅に出るのだが・・・
例によって、映像的なクオリティは圧巻だ。
冒頭の嵐の海のダイナミックな描写で、もう既に驚愕するしかない。
3Dプリンターの出現によって、ストップモーション・アニメーションの可能性は劇的に広がった。
もやは、3DCG並みに描くシチュエーションを選ばず、顔のパーツを入れ替えるパペトゥーンの技法で表現されるキャラクターの感情は、驚くほど豊かだ。
カメラのブレが起こらないことによるフリッカーなど、ストプモーションならではの味わいは残るものの、技術が洗練されればされるほど、CG表現との境界が薄れてゆくのは皮肉な気もするが。
とは言っても素材が物理的に存在している分、他のアニメーション表現と比べ、より多くの工夫と作り手の情熱が必要とされる、非常に贅沢な手法なのは間違いない。
日本人にとって一番興味深いのは、本作がアニメーションで描かれるアメリカ製の時代劇という点だろう。
封建時代の日本を舞台としたハリウッド映画というと、21世紀に入ってからの作品では、渡辺謙を一躍世界のスターにした「ラスト・サムライ」、キアヌ・リーヴス版の「忠臣蔵」という触れ込みの「47RONIN」あたりが記憶に新しい。
どちらも映画として面白いかどうかは別として、やはり日本人からすると違和感を禁じえない描写が多々あるのも事実(後者の場合、もはや日本であるかどうかも怪しい)。
フィクションである以上、考証として正しい日本よりイメージとして正しい日本が求められるのだからある程度は致し方ないし、日本映画で描かれるアメリカだって相当に変なので、人のことばかりは言えないのだけど。
ところが、アニメーションという表現で作られた本作は、最初からリアリティラインが実写とは大きく異なる。
数多の実写作品には到底作り得ない、入念にデザインされ作り込まれた、アニメーションならではの世界を見せてくれるのだ。
何時でもなく、何処でもない、ファンタジー映画の舞台としての日本は極めて魅惑的。
手法は違えど、70年代にNHKで放送されていた人形劇「真田十勇士」や「笛吹童子」に夢中になっていた世代としては、妙な懐かしさも感じる。
幾つもの時代や場所、さらには「ロード・オブ・ザ・リング」など西洋のファンタジーが融合したような世界観は、既成概念に縛られた我々日本人には、なかなか発想出来ない大胆でユニークなものだが、三味線や折り紙を始め、随所に滲み出る日本文化へのリスペクトが熱い。
こんな風に、折り紙を魔術と絡めて使うアイディアなんて思いもよらなかった。
折り紙の作り出す直線的でシャープなイメージは、衣装や美術のデザインにも及んでいる。
衣装デザインはイッセイミヤケのプリーツや着物の折りの技術を参考にし、美術は伝統的な浮世絵や20世紀の版画家、斎藤清からもインスパイアされているという。
特に斎藤清の版画は、ビジュアルイメージ全体のコンセプトに影響を及ぼしているのが一目で分かるほどだ。
アクションやキャラクターの所作は、黒澤明の映画を参考に実際に人間が演じ、それを最終的にパペットに置き換えていったそうで、入念な制作プロセスはきちんと映像として結実している。
感情を知らず永遠の命を持つ月の者と、有限の命ながらも溢れんばかりの情熱をもつ人間との、真実の愛の結晶であるクボの旅は、設定的にもテーマ的にも、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」のアクションファンタジー版といった趣。
クボが三味線片手のストーリーテラー設定ゆえ、そこに物語論も組み込まれているのが面白い。
本作における物語の本質とは、語り継がれる誰かの命の記憶だ。
月の魔王ライデンは、不浄なこの世のを見せないために生まれたばかりのクボから片目を奪い、残ったもう一つの目をも奪おうとしているが、クボの曇りなき目に映るこの世界は美しい愛で満ちている。
人間は不完全で滅びる存在ゆえに、愛する者の記憶の中で物語として昇華されることではじめて永遠となり、ここに根底を貫くわびさびの心が浮かび上がるのである。
ところで、古の日本のストーリーテラーと言えば、先ず琵琶法師が思い浮かぶが、本作はあえて比較的時代の新しい三味線を選んだ。
なぜ三味線でなければならなかったのか?
原題が「Kubo and the Two Strings(クボと二本の弦)」であることの、本当の意味が明かされる瞬間には、思わず涙腺が決壊。
シャーリーズ・セロン、マシュー・マコノヒーのオスカー俳優コンビ、さらにはルーニー・マーラー、レイフ・ファインズにジョージ・タケイまで、やたらと豪華な声優陣の演技も聞き応えたっぷりだ。
アニメーション・スーパーバイザーのブラッド・シフ曰く、「私たちは撮影に使ったパペットをリトル・ヴァンパイアと呼んでいます。撮影するたびに私たちの生命力を吸うんです」。
世界最高峰のストップモーションアニメーションスタジオが作り上げた、まほろばの日本に酔いしれる魅惑の103分は、文字どおり作り手たちが命を吸わせて作った魂の結晶。
スリルあり笑いあり涙ありの冒険譚は、万人にオススメできる、娯楽ファンタジーの傑作だ。
少し残念なのは、かなり3Dを意識した演出がなされているのだけど、日本公開ではどうやら3D版が用意されないということ。
比較的小規模な公開だから仕方がない点もあるが、これは是非とも劇場の大スクリーンで3D鑑賞したかった。
今回は、日本をイメージしたカクテル、その名も「ジャパニーズ」をチョイス。
1860年にアメリカを訪れたサムライの使節団は大きな話題になり、特に通訳を務めた当時16歳の立石斧次郎は全米の女性を虜にし、”トミー”のニックネームでアイドル並みの人気だったという。
このフィーバーに目を付けた伝説のバーテンダー、ジェリー・トーマスによって考案されたのがこのカクテル。
コニャック60ml、オルゲート・シロップ15ml、アンゴスチュラ・ビターズ3dashを、氷と共にミキシンググラスでステアし、冷やしたグラスに注ぐ。
最後に捻ったレモンピールを飾って完成。
アンゴスチュラ・ビターズの苦味がアクセントとなる、甘口のカクテル。
洋酒ライターの石倉一雄氏の説では、紹興酒をイメージしたのではないかということだが、確かに味わいは通じるものがある。
今の日本ではあまり知られていないカクテルだが、海外ではビンテージカクテルとしてそこそこ目にする。
ちなみに主人公の名前のクボは、「久保?それとも公方?」と疑問だったのだが、どちらでもなく原案のシャノン・ティルドンの日系の友人のニックネームだそう。
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3DCG全盛のこのご時世に、100年を超える歴史を持つストップモーション技法による作品を作り続けている拘りのアニメーションスタジオ、ライカの最新作「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」は、古の日本を舞台にしたオリジナルの貴種流離譚だ。
月の魔王の娘サリアツと人間の侍ハンゾウとに間に生まれた運命の少年クボが、魔王を倒すために長い旅に出る。
それはクボがにとって家族のルーツを辿り、自分が何者なのかを知る道程ともなるのだ。
監督はライカの現CEOであり、「コララインとボタンの魔女」や「パラノーマン ブライス・ホローの謎」などのリードアニメーターとして活躍したトラビス・ナイト。
幼い頃に、父の仕事の関係で日本を訪れて以来、日本文化に魅了されているというアニメーションの名手が、見事な監督デビューを飾った。
むかしむかしの物語。
少年クボ(アート・パーキンソン)は、心を病んだ母サリアツ(シャーリーズ・セロン)と共に、村はずれの岩山にある洞窟に住んでいる。
サリアツは、冷酷な月の魔王ライデン(レイフ・ファインズ)の娘。
人間の侍ハンゾウ(マシュー・マコノヒー)との結婚が父の逆鱗に触れ、ハンゾウは殺され、人間界に逃げたサリアツは幼いクボが魔王に見つからないように、ひっそりと隠れて暮らしてきたのだ。
月の魔力の及ばない日中、クボは三味線片手に村に出て、生まれ持った魔術で折り紙を自在に動かし、父ハンゾウの物語を語る。
しかしやがて、二人の存在は魔王の知るところとなり、クボを守るために双子の姉カラスとワシ(ルーニー・マーラー)と対決したサリアツは倒されてしまう。
クボは、母が最後の力を振り絞って命を与えたサルの置物と、嘗て父の配下にあり、呪いで姿を変えられてしまった巨大なクワガタを”保護者”に、ハンゾウの物語に登場する、魔力を持った三つの武具を探す摩訶不思議な旅に出るのだが・・・
例によって、映像的なクオリティは圧巻だ。
冒頭の嵐の海のダイナミックな描写で、もう既に驚愕するしかない。
3Dプリンターの出現によって、ストップモーション・アニメーションの可能性は劇的に広がった。
もやは、3DCG並みに描くシチュエーションを選ばず、顔のパーツを入れ替えるパペトゥーンの技法で表現されるキャラクターの感情は、驚くほど豊かだ。
カメラのブレが起こらないことによるフリッカーなど、ストプモーションならではの味わいは残るものの、技術が洗練されればされるほど、CG表現との境界が薄れてゆくのは皮肉な気もするが。
とは言っても素材が物理的に存在している分、他のアニメーション表現と比べ、より多くの工夫と作り手の情熱が必要とされる、非常に贅沢な手法なのは間違いない。
日本人にとって一番興味深いのは、本作がアニメーションで描かれるアメリカ製の時代劇という点だろう。
封建時代の日本を舞台としたハリウッド映画というと、21世紀に入ってからの作品では、渡辺謙を一躍世界のスターにした「ラスト・サムライ」、キアヌ・リーヴス版の「忠臣蔵」という触れ込みの「47RONIN」あたりが記憶に新しい。
どちらも映画として面白いかどうかは別として、やはり日本人からすると違和感を禁じえない描写が多々あるのも事実(後者の場合、もはや日本であるかどうかも怪しい)。
フィクションである以上、考証として正しい日本よりイメージとして正しい日本が求められるのだからある程度は致し方ないし、日本映画で描かれるアメリカだって相当に変なので、人のことばかりは言えないのだけど。
ところが、アニメーションという表現で作られた本作は、最初からリアリティラインが実写とは大きく異なる。
数多の実写作品には到底作り得ない、入念にデザインされ作り込まれた、アニメーションならではの世界を見せてくれるのだ。
何時でもなく、何処でもない、ファンタジー映画の舞台としての日本は極めて魅惑的。
手法は違えど、70年代にNHKで放送されていた人形劇「真田十勇士」や「笛吹童子」に夢中になっていた世代としては、妙な懐かしさも感じる。
幾つもの時代や場所、さらには「ロード・オブ・ザ・リング」など西洋のファンタジーが融合したような世界観は、既成概念に縛られた我々日本人には、なかなか発想出来ない大胆でユニークなものだが、三味線や折り紙を始め、随所に滲み出る日本文化へのリスペクトが熱い。
こんな風に、折り紙を魔術と絡めて使うアイディアなんて思いもよらなかった。
折り紙の作り出す直線的でシャープなイメージは、衣装や美術のデザインにも及んでいる。
衣装デザインはイッセイミヤケのプリーツや着物の折りの技術を参考にし、美術は伝統的な浮世絵や20世紀の版画家、斎藤清からもインスパイアされているという。
特に斎藤清の版画は、ビジュアルイメージ全体のコンセプトに影響を及ぼしているのが一目で分かるほどだ。
アクションやキャラクターの所作は、黒澤明の映画を参考に実際に人間が演じ、それを最終的にパペットに置き換えていったそうで、入念な制作プロセスはきちんと映像として結実している。
感情を知らず永遠の命を持つ月の者と、有限の命ながらも溢れんばかりの情熱をもつ人間との、真実の愛の結晶であるクボの旅は、設定的にもテーマ的にも、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」のアクションファンタジー版といった趣。
クボが三味線片手のストーリーテラー設定ゆえ、そこに物語論も組み込まれているのが面白い。
本作における物語の本質とは、語り継がれる誰かの命の記憶だ。
月の魔王ライデンは、不浄なこの世のを見せないために生まれたばかりのクボから片目を奪い、残ったもう一つの目をも奪おうとしているが、クボの曇りなき目に映るこの世界は美しい愛で満ちている。
人間は不完全で滅びる存在ゆえに、愛する者の記憶の中で物語として昇華されることではじめて永遠となり、ここに根底を貫くわびさびの心が浮かび上がるのである。
ところで、古の日本のストーリーテラーと言えば、先ず琵琶法師が思い浮かぶが、本作はあえて比較的時代の新しい三味線を選んだ。
なぜ三味線でなければならなかったのか?
原題が「Kubo and the Two Strings(クボと二本の弦)」であることの、本当の意味が明かされる瞬間には、思わず涙腺が決壊。
シャーリーズ・セロン、マシュー・マコノヒーのオスカー俳優コンビ、さらにはルーニー・マーラー、レイフ・ファインズにジョージ・タケイまで、やたらと豪華な声優陣の演技も聞き応えたっぷりだ。
アニメーション・スーパーバイザーのブラッド・シフ曰く、「私たちは撮影に使ったパペットをリトル・ヴァンパイアと呼んでいます。撮影するたびに私たちの生命力を吸うんです」。
世界最高峰のストップモーションアニメーションスタジオが作り上げた、まほろばの日本に酔いしれる魅惑の103分は、文字どおり作り手たちが命を吸わせて作った魂の結晶。
スリルあり笑いあり涙ありの冒険譚は、万人にオススメできる、娯楽ファンタジーの傑作だ。
少し残念なのは、かなり3Dを意識した演出がなされているのだけど、日本公開ではどうやら3D版が用意されないということ。
比較的小規模な公開だから仕方がない点もあるが、これは是非とも劇場の大スクリーンで3D鑑賞したかった。
今回は、日本をイメージしたカクテル、その名も「ジャパニーズ」をチョイス。
1860年にアメリカを訪れたサムライの使節団は大きな話題になり、特に通訳を務めた当時16歳の立石斧次郎は全米の女性を虜にし、”トミー”のニックネームでアイドル並みの人気だったという。
このフィーバーに目を付けた伝説のバーテンダー、ジェリー・トーマスによって考案されたのがこのカクテル。
コニャック60ml、オルゲート・シロップ15ml、アンゴスチュラ・ビターズ3dashを、氷と共にミキシンググラスでステアし、冷やしたグラスに注ぐ。
最後に捻ったレモンピールを飾って完成。
アンゴスチュラ・ビターズの苦味がアクセントとなる、甘口のカクテル。
洋酒ライターの石倉一雄氏の説では、紹興酒をイメージしたのではないかということだが、確かに味わいは通じるものがある。
今の日本ではあまり知られていないカクテルだが、海外ではビンテージカクテルとしてそこそこ目にする。
ちなみに主人公の名前のクボは、「久保?それとも公方?」と疑問だったのだが、どちらでもなく原案のシャノン・ティルドンの日系の友人のニックネームだそう。

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