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2017 Unforgettable Movies
2017年12月30日 (土) | 編集 |
世界が騒がしかった2017年も、もうすぐ終わり。
2016年は、歴史的な傑作が続出した“日本映画奇跡の年”だったが、やはり二年連続で奇跡は起こらない。
もちろん良い日本映画は多かったが、昨年の様に突出した作品が月替わりで出るようなサプライズは無かった。
変わって傑作を連発したのは韓国映画。
386黄金世代のパク・チャヌクらも気を吐いたが、ナ・ホンジンやヨン・サンホと言ったその次の世代の活躍が目立った。
もっとも日本公開は今年だが、本国ではほとんどが去年公開済みなので、2016年は日本映画と韓国映画が共に奇跡の年だった訳だ。
それでは、今年の「忘れられない映画たち」を、ブログでの紹介順に。
評価額の高さや作品の完成度は関係なく、あくまでも12月末の時点での“忘れられない度”が基準。

「メッセージ」エイリアンとの意思疎通を託された、言語学者の物語。未知なる訪問者とのコミュニケーションに刺し挟まれる、主人公と娘との思い出の映像のフラッシュバック。一見関係ない二つは実は密接にリンクしていて、その本当の意味を知った時、観客は深い思念の海に沈んでゆくだろう。 哲学SFの新たな金字塔だ。

「MERU/メルー」ヒマラヤ奥地にそびえる未踏峰、切り立ったナイフの刃の様なメルーの頂きに挑む、三人のクライマーを描くドキュメンタリー。ベテランのメンターから若者へ技術と精神を伝えてゆく、まるでジェダイの騎士の様な彼らの文化が興味深い。数ある山岳ドキュメンタリーの中でも、最高峰の一本。

「ゾウを撫でる」一本の映画がクランクインするまでの、映画に関わる様々な人を描く群像劇。単に映画愛を語るのではない。不条理劇と多面性の構造を持つ本作では、3.11の記憶を背景に、フィルム映画の終焉からデジタル時代の映画再生のプロセスを比喩、更にそこから今という時代を俯瞰し、映画のあり方をも描こうとしてる。


「沈黙 -サイレンス-」遠藤周作の傑作小説に、巨匠スコセッシががっぷり四つに組んだ。日本という“信仰の沼”で、神を求め続けたカトリックの司祭たちの心に、いったい何が起こったのか?信仰の本質と人間のあり方を問う、ヘビー級の力作である。アンドリュー・ガーフィールドは、「ハクソー・リッジ」で再び日本の地で信仰を問われた。

「お嬢さん」日本統治下の朝鮮を舞台とした大怪作。“お嬢さん”の莫大な財産を巡り、コンゲームの幕が上がる。複雑怪奇な四つ巴の騙し合いは、倒錯したエロスの館で、先の読めない官能のサスペンスとなって観客を幻惑。外連味たっぷりの性と暴力の愛憎劇は、パク・チャヌクの現時点での集大成と言える。

「ラ・ラ・ランド」そこは、青春の記憶の中の幻想のハリウッド。この街で懸命に生きる二人の夢追い人の出会いから恋の熱情と葛藤、そして青春の終わりまでを描くパワフルな音楽映画だ。クライマックス、描き割りの背景で演じられる7分間の”if”の人生劇場は、観るもの誰もを魅了するだろう。

「哭声/コクソン」いかにも韓国的な土着性を表に出しながら、実はキリスト教が重要なモチーフとなる、21世紀に作られた最も恐ろしいオカルトホラーだ。謎の日本人は何者か?呪っているのは誰か?何かがおかしい、と気づいた時には、我々は既に"惑わす者"ナ・ホンジンの術中に、どっぷりと嵌っているのである。

「キングコング:髑髏島の巨神」これぞ怪獣映画!南海の未知の孤島で展開する、人間vs怪獣vs怪獣の大活劇。ヘリコプターとの空中戦から巨大怪獣同士の死闘まで、迫力満点の見せ場のつるべ打ちにお腹いっぱい。レジェンダリーのモンスターバース、2019年の「Godzilla: King of the Monsters」への期待が一気に高まった。

「美女と野獣」伝説的な傑作アニメーションの、アメイジングな実写映画化。オリジナルのイメージを崩さずに、四半世紀の時の流れの分、ディテールをモダンにブラッシュアップ。「モアナと伝説の海」などのアニメーション作品が、従来のプリンセスカテゴリを脱してゆくのに対し、本作を含めた実写化作品の方がオリジナルの香りを残しているのが面白い。エマ・ワトソンは完璧なベルだった。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」風光明媚な港町を舞台にした、珠玉の人間ドラマ。兄の死によって、生まれ故郷に戻ってきた主人公と残された甥っ子との関係を軸に、隠されていた大きな悲劇が明らかになる。人生には、一度失えば決して取り戻せないものもある。そのことを否定しない、この映画の厳しさと優しさが心に染みる。

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」マーベルコミックのスペオペチームの最新作は、前作に輪をかけた面白さ。怒涛のビジュアルとユーモアだけで無く、父性を巡る葛藤をベースとした物語もドラマチックに盛り上がる。来年遂に、アベンジャーズとのコラボが実現するのが今から楽しみだ。

「夜空はいつでも最高密度の青色だ」最果タヒの詩集を原作に、東京の街で邂逅を繰り返す男女を描くリリカルな人間ドラマ。原作の詩を引用しつつ、あらゆる表現を駆使し、映像言語に置き換えている。これは世界の縮図としての大都会・東京の物語であり、この街に暮らすあらゆる人に向けた、ビターでパワフルな讃歌なのである。


「夜明け告げるルーのうた」鬼才・湯浅政明の13年ぶりの劇場用長編アニメーションは、心を閉ざした少年と人魚の少女との、一夏の出会いと別れを描くファンタジー。話はオーソドックスだが、テリングは例によって唯一無二のスタイルで、音楽と融合した独創のビジュアルは圧巻。連続公開となった「夜は短し歩けよ乙女」もユニークな力作だ。

「LOGAN ローガン」ヒュー・ジャックマンが、17年間演じ続けた孤高の"X"が有終の美を飾った。ウルヴァリン三部作の完結編にして最高傑作。ジェームズ・マンゴールドは得意の西部劇の構造を換骨奪胎し、燻し銀の傑作を作り上げた。今年はアメコミ映画大豊作の年で、同じマーベルからは「スパイダーマン: ホームカミング」「マイティ・ソー バトルロイヤル」苦戦のDCからも「ワンダーウーマン」という快作が生まれた。

「カーズ/クロスロード」原点回帰しながら、新たなステージへ。意思を持ったクルマたちを描くシリーズ第三弾は、“老いと継承”をテーマとするオトナのドラマ。どんなに頑張っても、工夫しても、若者に勝てなくなった時、老いたる者はどうしたら良いのか。邦題通り、人生(クルマ生)の分岐点を描く味わい深い秀作である。

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」ある意味今年一番の問題作。教科書的な捉え方をするなら、むしろ失敗作と言えるかも知れない。しかし、“忘れられない映画”としては、これほどのインパクトある作品もない。まるでつかみ所のない本作そのものが、どこから見るかによって変幻自在の、この映画の花火の様ではないか。

「ベイビー・ドライバー」エドガー・ライトによる、センス・オブ・ワンダーに溢れる最高傑作。超絶ドラテクをもつ“逃がし屋”が、奪われた人生を取り戻す物語。この作品では映し出される全てのアクションが音楽とシンクロし、ミュージカルじゃないのにミュージカルを観ている様な、驚くべき未見性に満ちている。

「新感染 ファイナル・エクスプレス」私的ムービー・オブ・ザ・イヤー。異才・ヨン・サンホは、300キロで突っ走る高速列車を舞台に、ジャンル映画の枠を超えた驚くべき密度の人間ドラマを作り出した。これはいわば陸上版の「タイタニック」だ。制作と公開順が逆になった前日譚、「ソウル・ステーション/パンデミック」とのコントラストも面白い。

「ダンケルク」英国人、クリストファー・ノーランによる、“現代英国の神話”としてのダンケルク大撤退の再解釈。一週間、一日、一時間、三つの時系列がパズルの様に組み合わせられる構成は独創的で面白い。ブレクジットの影響なのか、この頃英国のアイデンティティを問い直す様な作品が目立つ。

「ドリーム」今よりも遥かに差別が激しかった時代、NASAの宇宙計画に参加し、新たな道を切り開いたアフリカ系女性たちの物語。肌の色と性別、二重のガラスの天井に閉じ込められた彼女らはしかし、米ソ宇宙開発競争のなりふり構わぬ状況において、地道な努力により、少しずつ自らの実力を男性社会に認めさせて行く。

「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」時の輪を旧シリーズへと繋げる、シーザー三部作の堂々たる完結編。なぜ人類は滅び、地球は猿の惑星となったのか。過去半世紀の遺産を受け継いだマット・リーヴス監督は、一つの種の滅びと別の一つの種の勃興を、英雄シーザーの物語として見事に昇華し、神話的風格を持つ骨太の傑作に仕上がった。

「我は神なり」ダムに沈む村を舞台に、住人の心を弄ぶ悪徳教会と、一人真実に気づいた嫌われ者の粗野な男の闘い。人間がいかに簡単に惑わされて、レッテルを信じ込んでしまうのか、信仰をモチーフにした物語は、予定調和を全て拒絶して、この世界の現実を突きつける。ヨン・サンホの旧作だが、「新感染」に合わせてようやくの日本公開。

「あゝ、荒野 前編/後編」近未来の新宿を舞台に描かれる、対照的な二人のボクサーの刹那的青春。半世紀前に書かれた寺山修司唯一の長編小説の年代設定を、2020年の東京オリンピック後に移し替えるという奇策が大当たり。これにより現在日本社会を俯瞰した、昭和的未来という秀逸な世界観が生まれた。菅田将暉とヤン・イクチュンが素晴らしい。

「ブレードランナー2049」20世紀の伝説のSF映画の続編も、新たな伝説となった。35年間のテクノロジーの進歩を盛り込みつつ、テーマや世界観など映画として確実に深化させた。自らが殉じるもの、偽りの記憶でない人生の大義を見出し、雪の中に横たわる主人公の姿に、前作のロイ・バッティの最期が重なり、無いはずの魂に涙が止まらない。

「花筐/HANAGATAMI」大林宣彦の遺言的戦争三部作の最終作。太平洋戦争直前の唐津を舞台とした青春群像劇は、前二作よりもぐっとパーソナルになり、戦争という巨大な流れに抗う若者たちの生と性を浮き上がらせる。老いてますますパワフルに、アバンギャルドになる、元祖映像の魔術師に脱帽だ。

「スター・ウォーズ / 最後のジェダイ」シリーズ史上、最も衝撃的な「スター・ウォーズ」。あくまでもアンソロジーの枠をはみ出さなかった前作と異なり、ライアン・ジョンソンの手による本作は、タイトル通りにルーカスの作り上げた宇宙を"神話"として葬り去る。そして姿を現わすのは、創造主の手を離れた新たな世界だ。

「バーフバリ 伝説誕生/王の凱旋」映画大国インドが生み出した、実写なのに漫画もアニメも超える、作り手の想像力が大爆発する超大作。アクション、ロマンス、サスペンス、そしてもちろんミュージカル!前後篇305分はあっという間に過ぎてゆく。古代インドを舞台とした貴種流離譚は、驚くべき未見性と熱狂的なエネルギーに満ちている。

「勝手にふるえてろ」脳内妄想こじらせ系のイタタな青春。恋の理想と現実に葛藤する主人公を描く物語かと思いきや、映画は驚くべき方向に舵を切る。映像で語られていることが、ある瞬間グルリと反転する見事なロジックに唸った。私を含むオタク脳の観客にはかなり辛い、しかしリアルな映画だ。

「希望のかなた」カウリスマキの描く“難民”。戦乱のシリアからフィンランドへたどり着いた青年と、老いらくの人生をやり直そうとする男。共に人生の岐路にある二人を描く作者の視線は、優しく切なくユーモラス。しかし、その裏側には自国社会の不寛容に対する、フツフツとした怒りが湧き立っている。

番外 「オクジャ」今年は、邦洋共にネット配信作品が大きくクローズアップされた年で、デジタル時代の映画のあり方が問われた。私は映画という芸術の核心は、同一空間での共有体験だと思っているし、本ブログも映画祭などを含めて原則劇場にかかった作品を取り上げている。しかし、日本では劇場公開のなかった本作は、クオリティという点では文句無しだ。新しい映画のカタチをどう捉えるべきなのか、観る側作る側双方にとって大きな課題である。

以上、独断と偏見の29+1本。
上記した以外では、一人の男の人生の三つの時代を描いた「ムーンライト」、異才ホドロフスキーの遺言的作品「エンドレス・ポエトリー」、古の日本を舞台としたストップモーション・アニメーションの大労作「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」、邦画では荻上直子監督の新境地「彼らが本気で編むときは」、是枝裕和監督の挑戦的な人間サスペンス「三度目の殺人」なども迷った。
さて、来年はどんな映画に出会えてるのだろう。

それでは皆さん、良いお年を。

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ショートレビュー「希望のかなた・・・・・評価額1750円」
2017年12月27日 (水) | 編集 |
希望の国のリアル。

一年の最後にこんな傑作と出会えるとは。
2011年の「ル・アーヴルの靴みがき」以来となるアキ・カウリスマキの長編最新作。
物語の主人公は二人いる。
内戦の続くシリアのアレッポで家族を失い、トルコへ脱出後にヨーロッパを転々として、フィンランドに流れ着いた難民の青年カーリド。
もう一人は、衣料品のセールスマン稼業に嫌気がさし、アル中の妻とも別れた初老の男ヴィクストロム。
年齢も国籍も境遇も異なる二人だが、閉塞した今を変え、未来に希望を見出したいという心情は共通している。

前半はフィンランドで難民申請し、旅の途中で生き別れとなった妹を探すカーリドと、新たにビジネスを始めるヴィクストロム、人生の転換期にある二人の物語を並行に描く。
この二人は、持てる者と持たざる者でもある。
ヴィクストロムは、衣料品の在庫を売却した金をギャンブルにつぎ込み、運良く一攫千金。
その金でゴールデン・パイントというレストランを居抜きで買い取って、第二の人生を始める。
わらしべ長者とまでは行かなくても、それなりに恵まれたリスタートだ。
一方のカーリドは、街を歩けばスキンヘッドのネオナチ集団に襲われ、入管当局には難民申請を不条理に却下され、強制送還されそうになる。
当局が「アレッポで戦闘は行われていない」ことを理由に、申請を却下した直後に、TVからアレッポ爆撃のニュースが流れてくる皮肉。
初めから持てる者の人生はベターになってゆくが、持たざる者の運勢はとことん悪い。

だが、ある瞬間から、全く接点のない二人の人生は奇妙に絡み合うのだ。
収容施設を脱走したカーリドが、ゴールデン・パイントの裏で寝ていたところヴィクストロムと出会い、一悶着の末に境遇に同情され店に雇われることに。
ここから、二人は水も甘いも人生のある程度の領域を共有する様になる。
モチーフは、欧州を揺るがす難民問題とどストレート。
カウリスマキの視点は、いつもと同じ様に切なく優しくユーモラスだ。
歌唄いたちの詩が、寡黙な登場人物の心情を代弁する。
客の減少に悩んだヴィクストロムが、付け焼き刃で店をスシバーに改装するシークエンスは笑った。
あのニシンの塩漬けにぎりはちょっと食べてみたい(笑
しかし一見すると穏やかなテリングの裏側には、作家の自国社会の不寛容に対する沸々とした怒りが沸き立っているように感じる。

前作の「ル・アーヴルの靴みがき」は、フランスの港町を舞台に、病を患った貧しくも慎ましい靴みがきの男と移民たちの物語だ。
あの作品でも様々な葛藤はあれど、物語全体を覆うトーンは優しさと善意が優っていた。
ならば、母国フィンランドの港町を舞台とした本作ではどうか。
フィンランドには戦争がない。
正確には、1944-45年に駐留ドイツ軍との間で行われたラップランド戦争以来、国内が戦場になったことは一度もない。
それだけで、銃弾飛び交う故郷を捨てざるを得なかったカーリドにとっては、希望の国

しかし現実は残酷だ。
身長171センチのカーリドは、北欧にあってはかなり小柄。
その子供の様に小さく弱い彼を、執拗に排撃しようとする巨漢のネオナチたちは、難民の背景にあるものなど全く関心が無い、社会の不寛容の象徴と言える。
妹と再会し、兄としての責務を果たしたカーリドを襲う、余りにも理不尽な運命からは、作者の平和への深い祈念と静かな怒りが伝わってくる。
たどり着いたはずの希望は、まだ遥か先だった。
振り返って、難民認定率僅か1パーセント未満にも関わらず、偽装難民ばかりが「問題」として取り上げられる我が国にも、はたして「希望」はあるのだろうか。

フィンランドというと、蒸留酒のイメージが強いが、実はビール大国。
劇中でも登場人物たちがビールを飲んでいた。
今回はフィンランドの代表的な銘柄の一つ、ハートウォール社の「ラピン・クルタ」をチョイス。
「ラップランドの黄金」を意味し、その名のとおり最北部の北極圏の水を使った、喉越しスッキリ、清涼なピルスナー・ラガー。
日本の冬の幸との相性も抜群だ。

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ショートレビュー「勝手にふるえてろ・・・・・評価額1700円」
2017年12月27日 (水) | 編集 |
オタク系絶滅危惧種の恋。

人間の想像力、もとい妄想力は凄い。
幼い頃、イマジナリーフレンドがいた人は多いだろう。
自分にしか見えない空想の友だちは、やがて世界が家の外に広がり、現実の友だちが増えるにつれて消えてゆく。
しかし、思春期を迎え日々の生活が社会的になると、新しいタイプの妄想が湧き上がってくる。
それが、“理想の自分”だ。
コンプレックスに苛まれる現実の自分とは異なり、あるべき自分、ありたい自分を作り出し、心の中のパラレルワールドに住まわせる。
この妄想のドッペルゲンガーは、うまく付き合えば自分を高めてゆける燃料にもなり得るが、しばし現実を食い尽くしそうになるので厄介だ。
※核心部分に触れています。

綿矢りさの原作は未読。
主人公の江藤良香は、都内の会社で経理の仕事をしている。
彼女は自分のことを語るのが大好きで、行きつけのカフェのウエイトレスから釣り人のオッさんに至るまで、出会う人行き交う人に自分語りする一見社交的なキャラクターだ。
彼女には中二で出会ってからずっと好きな初恋の人、一宮がいるのだが、ある日突然ウザ系同僚の霧島にコクられてしまう。
本命の一宮が“イチ”で、成り行きで友だち付き合いすることになった霧島が“ニ”の序列。
日常でニの比重が重くなってくると、良香は焦り始める。
「これで良いのか」と。
同窓会を画策した彼女は10年ぶりに理想の王子、イチと再会を果たすのだが、映画はここからガラリと様相を変えてくる。

冒頭から描かれてきたことの大半は、リアルな良香ではなく、妄想の良香の世界
彼女はカフェのウエイトレスとも、釣り人のオッさんとも話したことが無く、会社で隣の席の来留美の他は親しい友だちもいない。
そして10年間恋し続け、自分は彼の思い出に刻み込まれていると思っていたイチには、名前すら覚えられていなかったという痛恨の真実。
それまでの世界観をグルリと反転させ、主人公の人物像を浮き立たせるとともに、作品世界をイタタな心象として成立させる秀逸なロジック。
この辺りは実に映画的な表現で、原作ではどの様に表現されているのか気になる。
しかし妄想こじらせ系のメンタルを、ここまでリアルに描いちゃうとか。
良香に負けず妄想力の強い私としては、まるで若い頃の自分を観てる様で非常にツライ映画である( ;´Д`)

妄想でなくリアルな恋が始まる時、良香は否が応でも現実と向き合わねばならない。
脳内の虚構を通して見てた世界とは違って、現実は切なくて、悲しくて。
恋には破れ、友情にも裏切られ、そんな現実の自分が惨めで、化石のアンモナイトみたいに絶滅させたくなって、それでも永遠に妄想の世界には住めない。
脚色も担当する大九明子監督のテリングはテンポ良く、突然のミュージカル調など外連味を効かせつつ、意外にも単独初主演だという松岡茉優を見事に生かし切る。
ボロボロになった良香の、ラストショットの“リアル”には心を撃ち抜かれた。

本作は、主人公を自分の中に感じられるかどうかで、かなり評価が変わってくるだろう。
妄想癖のあるオタク脳の人ほど、共感するのは間違いない。
私が妄想の自分を作り出したのも、多分中二くらいの時。
さすがにこの歳になると妄想に自分を支配されてはいないけど、現実に打ちのめされるとヤツはしっかり顔を出す。
自分が絶滅する時までに、せめてもうちょっと一致出来れば良いのだけど。

今回は、現実に疲れた時に思わず手が出てしまう伝統のカップ酒、「ワンカップ大関」をチョイス。
安酒だけに、ぶっちゃけ大して美味しくはない。
しかし心が弱っている時に飲むと、妙に肝臓にしみるのである。
悪酔いしやすいので、量はほどほどにしよう。

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バーフバリ 伝説誕生/王の凱旋・・・・・評価額1700円
2017年12月22日 (金) | 編集 |
王を讃えよ!

古代インドを舞台とした、叙事詩的貴種流離譚二部作。
タイトルの英雄バーフバリは二人いて、一人はお家騒動で赤ん坊の時に逃がされ、秘密郷で育てられた息子マヘンドラ・バーフバリ、もう一人は民衆の絶大な支持を受けながら、狡猾な従兄弟の罠によって暗殺された父アマレンドラ・バーフバリ。
彼ら親子二代に渡る、壮大な物語が紡がれる。
マッチョな男たちと、絶世の美女たちが繰り広げる異郷の冒険、アクション、ロマンス、宮廷の陰謀、そしてお約束のミュージカルまで、前後篇合わせて怒涛の305分はあっという間。
これはまさに、娯楽映画の満漢全席だ。インドだけど。
ギャングに殺されハエに生まれ変わった男が、愛する人のために戦う奇天烈な冒険映画、「マッキー」を放ったS・S・ラージャマウリ監督は、今回もまた観客の度肝を抜く破天荒な超大作を作り上げた。
「一体どうしてこんなことを思いついたんだ?」と驚愕必至、未見性の塊の様なビジュアルの数々はインド映画でしか作り得まい。
スペクタクル性と単純に面白さで言えば、この冬ピカイチの娯楽超大作だ。
※核心部分に触れています。

滝壺の村に暮らす若者シヴドゥ(プラバース)は、天空にそびえる滝の上の世界に憧れを募らせ、幾度もの挑戦の結果遂に登り切り、美しい女戦士アヴァンティカ(タマンナー)と出会う。
彼女は一帯を支配するマヒュシュマティ王国の暴君、バラーラデーヴァ王(ラーナー・ダッグバーティ)に立ち向かい、25年もの間監禁されているデーヴァセーナ妃(アヌシュ・セッティ)を救い出そうとしていた。
アヴァンティカを助けることになったシヴドゥは、自分を見た敵の兵士たちが「バーフバリ」と呼んで恐れ慄くことを不思議に思う。
実はシヴドゥこそ、暗殺されたアマレンドラ・バーフバリ王子(プラバース二役)の子、マヒュシュマティ王国の正統な後継者、マヘンドラ・バーフバリだったのだ。
数十年前、マヒュシュマティの国祖ヴィクラマデーヴァ王が亡くなり、国務は王兄ビッジャラデーヴァの妃シヴァガミ(ラムヤ・クリシュナ)が代行することになった。
後継者候補はヴィクラマデーヴァの子バーフバリと、ビッジャラデーヴァの子バラーラデーヴァ。
シヴァガミは「二人の王子のうち、より優れた者を王とする」と宣言。
成長した二人は蛮族との戦争で共に武功を立てるが、シヴァガミは味方の犠牲を厭わないバラーラデーヴァではなく、徳の高いバーフバリを選ぶ。
ところが、バーフバリと隣国のデーヴァセーナ姫の結婚を巡り、バーフバリとシヴァガミの関係が悪化、そこに漬け込んだバラーラデーヴァとビッジャラデーヴァの陰謀により、バーフバリは反逆者として暗殺されてしまう・・・


本作は、古代ヒンズー教の叙事詩「マハーバーラタ」に強くインスパイアされているという。
原作というわけではなく、キャラクター設定や構成要素をばらばらに借りてきているのだが、ありとあらゆるエンタメ要素を、満遍なくストーリーラインに敷き詰めた様な驚くべき密度。
二部作となったのは、あまりにてんこ盛りの物語を、どうやっても一本に納められなくなってしまったからだそうだ。
構成としては、マヒシュマティ王国の奪還を目指す息子バーフバリの物語を括弧とし、王家の忠実な家臣カッタッパの語る回想として、父バーフバリの生涯の物語が描かれるという二重構造。
父バーフバリの物語は、王位継承を巡る幼少期から続くバラーラデーヴァとの競い合い、冒険旅行とデーヴァセーナ姫とのロマンス、マヒュシュマティの宮廷での陰謀による暗殺まで、思いのほかじっくり描かれており、上映時間のボリュームで言えば、過去の方が現在の物語よりだいぶ長い。
普通に考えればちょっとバランス悪く感じるところだが、バーフバリ父子を演じているのが、プラバースの二役ということもあり、観ているうちに段々と現代と過去が感覚的に融合し、父子がいわばバーフバリver.1とパワーアップしたバーフバリver.2と言った感じに見えてくる。
完全な続き物で、二本で一本の作品なので、後編を観るのに前編の鑑賞は必須だ。

変則的な前後編という点を別にすれば、物語そのものは非常にオーソドックスな貴種流離譚であり、ラブロマンスや戦争スペクタクルのエピソードも、展開自体には特に奇をてらった部分はない。
だがこれはやはりインド映画、筋立ては普通でもテリングが普通でないのだ(笑
まずは前後編に一つずつある、バーフバリ父子のロマンス絡めたミュージカルのシークエンスが凄い。
前編のマヘンドラとアヴァンティカのディズニーアニメばりの描写にも目を奪われるが、後編のアマレンドラとデーヴァセーナの白鳥型の帆船を舞台にしたミュージカルは、誰も予想だにしない驚きのギミックを含めて、必見の出来である。
それにしてもミュージカルって、どんなに唐突な展開でも許せてしまうから実に便利。
初めて出会った男女だって、一曲歌って踊ってしまえば、永遠の恋人たちになってしまうのだから。
もっとも、印象的ではあるものの、ミュージカルは必要最小限に抑えられているので、インド映画はこれが苦手という人でも大丈夫だろう。

そして、本作の最大にして最高の見せ場が、手を替え品を替え、全編に渡ってたっぷり配されたアクションシークエンスだ。
アジアの古代戦争スペクタクルでは、三国志を描いた中国映画「レッド・クリフ」二部作が記憶に新しい。
あの映画も相当に豪快かつ工夫を凝らしたアクションが売りだったが、本作の場合もはや想像の遥か斜め上、成層圏あたりを行く。
バーフバリ父子は、華麗に強くカッコよく、ライバルたるバラーラデーヴァも含め、その身体能力はもはやアメコミヒーローも真っ青の超人っぷり。
劇中に明言はされてないが、「マハーバーラタ」繋がりならヒンズーの神様が転生した姿という設定なのかも知れない。
王位の行き先を決める前編の蛮族との戦争シークエンス、数の劣勢を補う父バーフバリのトンチの効いた戦術の数々vsバラーラデーヴァの戦車の先に刃物のプロペラが付いてる凶悪な新兵器のコントラスト。
これを超えなければならない後編では、息子バーフバリ率いる反乱軍vs城に立てこもるバラーラデーヴァ軍の戦いで、誰も見たことのない驚きの戦法が登場する。
椰子の木のカタパルトで、盾を持った兵士を六人まとめて打ち出すと、空中で樽状にクルクルっと合体して、そのまま城壁を超えて着地すると分離って・・・・いやまだ超人バーフバリだけなら分かるけど、彼以外はみんな普通の兵士のはずなんだが(笑

以前、「ロボット」を観た時も思ったが、真面目なんだかギャグなんだか分からない、インド映画独特の人間アクロバット的な発想は一体どこから来るのだろうか。
そういえば軍事パレードなどで、インド軍のバイク部隊が披露する、一台のバイクに組体操みたいに人間ピラミッドが乗っかっている映像にも通じるものがある。
TVやYouTubeなどですっかりお馴染みになったが、アレは他の国の軍隊では見たことがないし、そもそも最も実利的な組織であるはずの軍隊が、意味不明なアクロバットをやる必然性がどこにあるのか(笑
あの発想のルーツがどこから来ているかは分からないが、インド人のDNAには、外国からは想像もできない、悠久の歴史が作り出した不思議が広がっているのかも知れない。
まあ、彼らの奇想天外な世界観のおかげで、他の国の映画ならまず受け入れられないであろう、ぶっ飛んだリアリテイラインも全然気にならないのだけど。

「バーフバリ 伝説誕生/王の凱旋」二部作は、驚くべき密度を持った娯楽映画であり、老若男女全てにお勧めできる傑作だ。
前編は既にDVD販売と配信がスタートしているので、年末に家でゆっくり鑑賞し、正月に後編を劇場で観る。
新年の景気付けにこれ程相応しい映画もあるまい。
しかし全体通してみると、事件の元はバラーラデーヴァの陰謀だとしても、火を煽ったのはシヴァガミさまとデーヴァセーナの、むっちゃ気の強い二人の嫁姑問題な気がするよ。
とりあえずインドの女傑はコワイ(´Д`lll)

とことんスカッとする本作に合うのは、ビール。
今回は代表的なインドビールの「キングフィッシャー プレミアム・ラガー」をチョイス。
暑い国のビールらしく、スッキリした喉越しで、雑味のないクリアな味わい。
タイのシンハービールなど、東南アジア系のビールに近いテイストで、淡麗好きの日本人の好みにもピッタリだ。
映画の後はキングフィッシャーとインドカレーで余韻を噛みしめたい。

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スター・ウォーズ / 最後のジェダイ・・・・・評価額1750円
2017年12月18日 (月) | 編集 |
ジェダイとは何者だったのか?

新生「スター・ウォーズ」三部作第二弾。
前作で共和国が破壊され、わずかに残ったレジスタンスにもファースト・オーダーの脅威が迫る。
一方、伝説のジェダイ・マスター、ルーク・スカイウォーカーを発見したレイは、自らのメンターとなりレジスタンスを救ってほしいと懇願するが、ルークはなぜか受け入れない。
いったい、ルークの過去に何があったのか?
最強リブート職人、J・J・エイブラムスが作った「フォースの覚醒」は、保守的な中に新しい風を吹き込んだ「スター・ウォーズ・アンソロジー」として完璧な一本であった。
対して、バトンを受け継いだライアン・ジョンソンは、エイブラムスが世界観に開けた風穴を極大化する。
本作は前作のメインであった三人の若者たち、レイ、カイロ・レン、フィンをそれぞれフィーチャーしながらも、物語の主役は旧三部作以来のルーク・スカイウォーカーその人であり、シリーズの根幹をなす”ジェダイ”とは”フォース”とは何なのかを明確化。
それは即ち、40年前にジョージ・ルーカスが作り上げた世界を、リスペクトを捧げながらも"神話"として葬り去ることなのである。
※核心部分及びラストに触れています。

惑星オクトーの最古のジェダイ寺院を訪れたレイ(デイジー・リドリー)は、隠遁生活を送っていたルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)と会い、危機にあるレジスタンスを助け、フォースを覚醒した自分を導いて欲しいと求めるが、ルークは頑なに拒否。
彼は、嘗て愛弟子だったベン・ソロがダークサイドに堕ち、”ダース・ヴェーダーを継ぐもの”カイロ・レン(アダム・ドライバー)となるのを止められず、新ジェダイ・オーダーの壊滅を招いたことを深く後悔し、この忘れられた惑星でただ死を待っていた。
その頃、ファースト・オーダーの攻撃によって、指揮官のレイア(キャリー・フィッシャー)が意識不明の重傷を負う。
代行を任されたホルド提督(ローラ・ダーン)の無策に焦ったポー・ダメロンは、フィン(ジョン・ボイエガ)とローズ(ケリー・マリー・トラン)と共に、ファースト・オーダーの追跡装置を無力化すべく作戦を練るが、それには彼らのコードを破れるプロフェッショナルが必要。
フィンとローズは、”マスター・コードブレイカー”を探して、惑星カントニカにあるカジノ都市カント・バイトへ潜入するのだが、ひょんなことから現地の当局によって拘束されてしまう。
レジスタンス艦隊の燃料が尽きるまであとわずか。
一方のレイも、一向に動かないルークに業を煮やして、カイロ・レンをダークサイドから救い出すために動き始める・・・・


予告や宣伝のミスリードが巧みだったので、すっかり騙された。
てっきり道に迷ったレイがダークサイドに堕ちかける、もしくはルーク自身が自責の念に耐えかねて裏切るのかと思っていたのだが、予想はことごとく外れ、いい意味で全く先の読めない驚くべき作品になっていた。
確かにこれは「衝撃のスター・ウォーズ」で、観客の立場から言えば、本作のMVPはディズニーの宣伝部だろう。
巷では見事なまでに賛否両論になっている様だが、端的に言えば本作は重大な欠点を内包した大傑作であると思う。

特に大きな欠点は二つ。
これは本作に限ったことではないが、このシリーズでは世界観のベースとなるフォースの能力に、全く”枷”が嵌められていない。
よくできたファンタジーやSFでは、その世界観独自の能力には何ができて何ができないのか枷が設定されているものだ。
例えば「ハリー・ポッター」シリーズでは、各キャラクターの使える魔法、苦手な魔法が設定されていて、それが見せ場や危機演出に生かされている。
逆にこの種の能力に枷がないと、どんな状態に陥っても何でも出来ることになってしまい、サスペンスが生まれない。
今回は特に、幽体のはずのヨーダが杖でルークをコツコツしちゃったり、雷雲を読んでジェダイ寺院を燃やしちゃったりする。
アレができるのであれば、ジェダイは死んでも現世に物理的な影響を及ぼせることになり、そもそも死の意味が無くなってしまう。
同じ文脈で、クライマックスのルークが自らの幽体を作り出すことや、ファースト・オーダーの攻撃で宇宙空間に放り出されたレイアが、突然フォースを発動して生還する描写にも、過去のフォースの描写を大きく逸脱する違和感が拭えない。
ちなみに、NASAの見解では、宇宙空間に生身の人間が放り出されても、1、2分程度であれば生存できるというから、そこは問題でない。

もう一つ、作劇上の大きな問題点が、1時間近くの尺をかけて描いたポー、フィン、ローズの行った作戦が、最終的に全く意味が無いどころか、ベニチオ・デル・トロの裏切りを招き、無傷で脱出できるはずだった輸送船の大半を撃沈されるという惨事を招いていること。
これはホルド提督が一言告げておけば良かっただけの話で、いくらなんでもホウレンソウが無さすぎるぞレジスタンス。
まあホウレンソウ不足はファースト・オーダーも同じようなもので、どうやって鉄の規律を維持しているのかも謎なのだけど。
一応、このエピソードは、弱いながらもポー・ダメロンのリーダーとしての成長をもたらす役割を負っているので、「失敗こそが大切」というヨーダの言葉にもかかるのだけど、終わってから振り返ってみて気づくのではなく、観ている間に「これやっていることに意味が無いんじゃ・・・」と観客に思わせてしまう展開はやはり問題だろう。
何より、魅力的なキャラクターたちを愚かに見せてしまう
他にも、超科学兵器同士が宇宙空間で戦ってるのに、レジスタンスの爆撃機が装備しているのが、まさかの第二次世界大戦型の自由落下爆弾だったり、出来るのは知ってたけど今まではあえてやらなかったハイパードライブによる特攻とか、突っ込みどころと禁じ手が満載である。

しかし、ライアン・ジョンソンは、この辺りの欠点を十分認識しつつ、あえて無視しているような気がする。
まあ「LOOPER/ルーパー」で、タイム・トラベルの仕組みを問われたブルース・ウィリスに「めんどくさいから説明しない」という強引な回答をさせた人だから、ただ単に整合性にはあんまり興味がないのかもしれないが。
このシリーズが、基本なんでもありだったのは、ルーカスの創造した世界が、リアルなSFというよりも神話的なファンタジーだったからで、本作の大きな目的がその構造からの脱出だからだ。
思えば本作に至る「フォースの覚醒」と「ローグ・ワン」で、布石は既に打たれていた。
ギリシャ神話で言えば、選ばれしデミ・ゴッドであるルーク・スカイウォーカーの神話的冒険譚は、より未熟で人間的に葛藤する若者たちによる「フォースの覚醒」によって置き換えられ、無敵のヒーローの活躍の裏側に、無数の名も無き人々による犠牲があったことは、主要登場人物が銀河に”希望”を繋ぐために全員戦死する「ローグ・ワン」によって鮮烈に描かれた。
新時代の「スター・ウォーズ」は、現在では陳腐化してしまった「ヒーローズ・ジャーニー」の世界観に留まってはいられず、古びた世界を壊し、新たに構築する必要がある。

そのために、再登板するのが旧シリーズの代表者たるルーク・スカイウォーカーなのだ。
本作のルークの役割は、「ヒーローズ・ジャーニー」の主人公ではなく、悩めるキリストのメタファーであることが色濃い。
ギリシャ、ローマの神々をキリスト教が駆逐したように、ここではルーク自らが古のジェダイへの信仰を自ら否定するのである。
十二人の弟子を連れて、荒野にジェダイ寺院を立てる時点で、彼らがキリストと十二人の使徒であることを隠そうとする意図は無い。
そしてキリストが「汝のなすべきことをせよ」とユダが裏切り者であることを示した瞬間、彼の中にサタンが入ったのと同様に、ベン・ソロがダークサイドに堕ちると、誰にも告げず死を待つためにオクトーへと隠遁するのは、十字架にかけられるのと同義。
そして、幽体となって戻ってくるのは、三日の後に復活する描写と符合する。
キリストが復活したのは、神の言葉の真実を示し、信仰が死をも超越することを伝えるためだが、ルークの場合は遠い昔に自らが体現した”希望”の火を再び灯すと共に、人々の頭の中にある神話の救世主としてのジェダイを消し去るためだ。

ルークは、カイロ・レンに「私は最後のジェダイではない」という。
しかし、やはり彼は最後のジェダイなのだ。
取り返しのつかない失敗を悔い、ジェダイを否定しつつも自分がジェダイの象徴であることの葛藤から逃れられないルークに、嘗ての師ヨーダは「失敗こそ大切だ。失敗を教えて、弟子に自分を超えさせろ。それこそ全ての”マスター”の使命だ」と諭す。
本来、宇宙のあらゆるものの間に存在する、”バランス”を意味する言葉だったフォース。
その秘密に気づき、コントロールすることができた古のジェダイたちは、集団を能力を持つ特別な"血"に基づき宗教化した。
ところが、ルークが懺悔するように、ジェダイはその組織の性格ゆえ絶頂期に驕り高ぶり、狡猾なダース・シディアスによって滅ぼされ、そんなオリガーキー集団に安全保障を託していた旧共和国も脆くも崩壊。
ジェダイの失敗を救ったルーク自身も、その後のジェダイ・オーダー再編の時点で同じ轍を踏む。

私は前作の時点で、レイも結局ジェダイの誰かの娘なのだろうと考えていたが、このシリーズが「ヒーローズ・ジャーニー」の構造から完全に決別するとは思わなかった。
本作で彼女の親は、ジェダイでもなんでもない、金のために娘を捨てた放蕩者であったことが明かされる。
苗字が明かされず”誰でもない存在”だったレイ、名前どころか番号で呼ばれていたフィン、そして本作のラストシーンでフォースで箒を引き寄せる少年によってさりげなく示唆されるように、今後の「スター・ウォーズ」の世界は、権威によって選ばれし者たちによる物語ではなく、フォースを持っていないか、たまたまフォースを持っている”誰でもない人々”による物語へと舵を切ってゆくのだろう。
あくまでも宇宙のバランスを取るために、自然に生まれるのがフォースの使い手、これはむしろ「機動戦士ガンダム」のニュータイプに近い。
光があれば常に闇があり、ダークサイドの脅威と戦うのは、フォースの能力の有無にかかわらず、あくまでも普通の人。
この世界観への大転換こそ、ディズニー傘下でこれからますます広がってゆくであろう「スター・ウォーズ」の新たな宇宙へと繋げるために、新三部作に課された使命であり、最後に立ちはだかる旧世界の象徴が、ジェダイ、そしてシスの血統であるカイロ・レンとなる構図なのだろう。
だからこそ本作では、フォース無き人々の銀河大戦を描く「ローグ・ワン」と同じように、嘗てのナンバリングされた”正史”の作品では顧みられなかった、その他大勢の犠牲に対して初めて深い痛みを感じさせる。

ライアン・ジョンソンの出世作の「LOOPER/ルーパー」は、ウロボロスの輪に閉じ込められたジョセフ・ゴードン=レヴィットが、究極の決断によって蛇の腹を食い破る話だった。
本作のルークもまた、スカウォーカー一族の運命を自ら断ち切る。
マーク・ハミルは、ある意味ルーク・スカイウォーカーの呪縛によって俳優としてのキャリアを殺された。
初めてルークを演じてからちょうど40年後の本作により、彼は見事に時の輪を閉じ、フィクションとリアルの両方で、同時にウロボロスの輪から脱出してみせた。
最後の最後まで、青春の日と同じ眼差しで、水平線の向こうの二つの太陽を見つめ続ける姿は、やはり最後の希望にして最後のジェダイにふさわしい。
おそらく幽体となって次回作にも出演するのだろうが、一つの時代の終わりと新しい時代の始まりを予感させる見事な幕切れ。
今回もヨーダが現れて、ルークに「会いたかったよ」と言うシーンで懐かしすぎて思わず涙が出たが、いろいろいなくなった人が多くなってきたシリーズ、次回も葛藤するレイかカイロ・レンの元にルークが出てきたら泣いてしまうかも知れん。

ところで、ルークとは対照的に、シスのボスの運命を最も間抜けな形で体現しちゃったのが最高指導者スノーク。
見くびっていたレンの本心も読めず、スッパリ真っ二つとは最高指導者の名がすたる。
まあ確かに「奴の修行」は師匠殺しで完結したんだろうし、ボスキャラの最後があっけないのは、ガッちゃんビームでルークをいたぶるのに夢中になって、真横にいるダース・ヴェーダーの葛藤に気づかなかったダース・シディアスからの伝統でもあり、オマージュなのだろうけど。
まあこっちではトホホな結末だったが、スノークを演じたアンディ・サーキスには「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」のシーザーという素晴らしい仕事があった。
来年のオスカーの授賞式では、是非ともマーク・ハミルとアンディ・サーキスが、主演男優賞にノミネートされている光景が見たい。

そして、”In Memory of Our Princess:CARRIE FISHER.”
フォースと共に安らかにあらんことを。

今回は、銀河の彼方の物語から「ミルキー・ウェイ」をチョイス。
ジン30ml、アマレット30ml、ストロベリー・リキュール10mlとストロベリー・シロップ10mlをシェイクしてタンブラーに注ぎ、パイナップル・ジュース80mlを注いでステアする。
作者は岸久氏で、1996年のインターナショナル・カクテル・コンペティションのロング部門の優勝作。
星型のレモンピールと、月に見立てたカットアップルを飾って完成。
とても飲みやすく、目でも舌でも味わえる、甘口でロマンチックなカクテルだ。

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ショートレビュー「否定と肯定・・・・・評価額1650円」
2017年12月14日 (木) | 編集 |
歴史は司法で裁けるのか。

1996年、英国の歴史研究家デヴィッド・アーヴィングが、自分のことをホロコースト否定論者だと自著で中傷したとして、現代ユダヤ史を専門とする歴史学者、デボラ・リップシュタット教授と出版社のペンギンブックスを名誉毀損で訴えた実際の裁判、「アーヴィングvsペンギンブックス・リップシュタット事件」の映画化。
面白いのは英国の司法制度では、日本やアメリカなどとは逆に、被告側に事実関係の立証責任があるという点。
第二次世界大戦中のヨーロッパで何が起こり、何が正しいのかはリップシュタットも判事も知っている。
本来、”ホロコーストの真実”は、この裁判の争点ではないのだ。
ポイントは、アーヴィングが真摯な研究の結果としてホロコースト否定してるのではなく、真実を知りながら自分の政治的信条に都合のいい歴史を広めるため、嘘をついているのを立証しなければならないこと。
仮にアーヴィングが学術的な証拠に基づいてホロコーストを否定しているのであれば、それは純粋に学問の問題であり、一歩間違えれば言論封殺になってしまう。

しかし、「あなたは嘘つきですか?」と聞かれてアーヴィングが「Yes・No」で答えるわけもなく、文字通り他人の心の中を暴露しなければならないのだから、これは相当に困難だ。
リップシュタットにはスピルバーグをはじめ多くの支援者がいて、故ダイアナ妃の離婚裁判を担当した一流の弁護団が組まれているのに、アーヴィング側が自信満々な態度を崩さないなのには、この特異な裁判の構図がある。
名誉毀損で訴えて、ホロコーストがあったかどうかが裁判の争点なのだという印象を世間に刷り込めればそれで良し、勝てればさらに良し。
忘れられた存在になりつつあった彼にとってみれば、リップシュタットが裁判に食いついた時点で半分勝利した様なものなのだ。
映画の前半おおよそ1時間が裁判までの準備期間、後半1時間弱が裁判本番。
資料を集め、実際にアウシュビッツの遺構を訪れ、膨大なアーヴィングの日記・著書の中から、彼が意図的に嘘をついている証拠を探し出す。
相手は誰が聞いても人種差別だという言動をしながら、「自分は差別主義者ではない」と嘯く様な人物だから、証拠は言い逃れの出来ない客観的かつ決定的なものでなければならない。

仮に名誉毀損を問う裁判で負けても、歴史的事実は変わらないが、それは根強く存在するホロコースト否定論者に力と場を与えることになり、ユダヤ人研究者としてホロコースト被害者に精神的に寄り添うリップシュタット教授には耐え難い屈辱。
実はこの揺れ動く彼女の感情こそが、裁判の帰趨するする先を決める鍵を握っているのだ。
自分が証言することはもとより、実際のアウシュビッツの生存者も証言台に立たせようとする彼女に、弁護団はアーヴィングに嘘八百で反対尋問され、生存者に恥をかかせるだけだと強硬に反対。
裁判の焦点はホロコーストの真実ではなく、アーヴィングの嘘なのだから、これは相手の計算に乗らない至極真っ当な方針で、リップシュタットは裁判の当事者でありながら、沈黙を維持する。
彼女は感情を抑え黙して裁判に勝利することによって、否定論者の復権を抑え、結果として自説の強化を成し遂げるのである。
久々に名前を聞いたミック・ジャクソン監督は、リップシュタットの著書をもとにしたデヴィッド・ヘアのシンプルな構成の脚本を手堅く纏めた。
あくまで事実関係を淡々と描き、エンターテイメントとして面白みには欠けるものの、映画の性格を考えると、本作のスタンスはこれで良いと思う。
イギリスの司法制度では実際に法廷に立つ法廷弁護士と、裏方としてチームをまとめる事務弁護士が分かれていて、二人のキャラクターの違いも生きていたし、リップシュタットが毎朝ジョギングコースで見る、裁判の行方を告げるタブロイド紙の看板など、細かな工夫も凝らされている。

本作は大前提としてリップシュタット教授が裁判を受けて立つべきだったのか、そもそもの問題として歴史を司法で裁けるのか、裁いて良いものなのかを含めて、極めて示唆に富む話である。
世界のどこでも脛に傷を持たない社会はなく、この種の諍いはどの国でも起こり得るだろう。
論点は違えど、韓国で現在進行形の「帝国の慰安婦」裁判との符号と相違など実に興味深い。
私はもちろん、この種の学問のイシューを司法に委ねるのは反対だ。

今回は、詭弁をふるうアーヴィングを見事敗訴させた話なので「ノックアウト」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、ドライ・ベルモット20ml、ペルノ10ml、ペパーミント・ホワイト1tspをステアし、グラスに注ぐ。
最後にマラスキーノ・チェリーを一つ沈めて完成。
1927年のボクシングのヘビー級防衛戦で、ジャック・デンプシーを倒したジーン・タニーの祝勝会で登場したと言われている。
ベルモットとペルノとペパーミントが作り出す香草のアンサンブルを、清涼なドライ・ジンが受け止める。
芳醇な香りに包まれる、幸せな一杯だ。

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花筐/ HANAGATAMI・・・・・評価額1750円
2017年12月09日 (土) | 編集 |
あゝ、幻想の青春、幻想の時代よ。

大林宣彦監督による、遺言的"古里三部作"にして"戦争三部作"の最終章。

新潟県長岡、北海道芦部に続いて舞台となるのは、玄界灘を望む佐賀県の唐津。
太平洋戦争開戦直前の時代、若者たちの群像劇が繰り広げられる。

本作が「この空の花 長岡花火物語」「野のなななのか」の延長線上にあるのは明らかだが、昭和の文豪・檀一雄の短編小説から脚色された物語は、幻想青春映画としてのカラーが強い。

例によってここでは生と死も、過去も現在も、男も女も作家の脳内シネマティック・ワンダーランドで混沌と溶け合い、一つの宇宙を形作る。
癌に冒され余命宣告を受けた作者が、死と向き合いながら完成させた本作は、2017年に生まれるべくして生まれた、まさに執念の塊としての映画。

疾風怒濤のテリングに圧倒され、一度観ただけではとてもじゃないが咀嚼し切れず、映画の全体像を掴めるのは二度目の鑑賞からだろう。

1941年春。
17歳の榊山俊彦(窪塚俊介)は、アムステルダムに暮らす両親のもとを離れ、戦争未亡人の唐津の叔母(常盤貴子)の元に身を寄せる。
大学予備校での新学期は、アポロンのように逞しい肉体を持つ鵜飼(満島真之介)、虚無僧のような佇まいの吉良(長塚圭史)、お調子者の阿蘇(柄本時生)ら学友と賑やかな日々。
肺病を患ういとこの美那(矢作穂花)に想いを寄せ、女友達のあきね(山崎紘菜)と千歳(門脇麦)らも巻き込んで、青春を謳歌する。
しかし、美那の病状は少しずつ悪化し、世の中は戦争の巨大な渦に吸い込まれてゆく。
「青春が戦争の消耗品だなんて、まっぴらだ!」
自らの心に火をつける若者たちだが、運命の12月8日がやってくる。
その夜、皆は叔母の屋敷に集い、晩餐会を開くのだが・・・・


CMディレクター、自主制作映画作家として活躍していた大林宣彦監督が、長編商業映画第一作として1977年に発表したのが、サイケデリックなホラーファンタジー映画「HOUSE / ハウス」だ。
現在では日本のみならず、米国でもカルトシネマ化して人気を博している作品だが、実は本作の初稿は「HOUSE / ハウス」以前に書かれており、本来ならば40年前に「花かたみ」として映画化されているはずだった。
なぜそうならなかったかについて、作者自身は「時代」だと語っている。
戦後30年が経過した70年代には、日本人は戦争の時代を積極的に振り返らなくなっていた、忘れたがっていた。
だからその時代の、刹那的青春を描く幻のデビュー作は実現しなかった。
それから40年の歳月が流れ、戦争の記憶は更に遠くなり、忘却の彼方に消え去りそうな今、本作を含む戦争三部作が作られたのは、やはり時代の求めと作家の強烈な創作欲求が合致したと言うことなのだろう。

とはいえ、基本現在に物語の起点を置き、その土地の持つ遠大な記憶を取り込んで、時空を巡る壮大な映像クロニクルとした前二作と本作は、映画の構造もテリングのスタイルもだいぶ異なったものとなった。
唐津くんちの祭やキリシタンの歴史など、土地の特色は効果的に取り込まれているが、何よりも本作には窪塚俊介演じる俊彦=檀一雄=大林宣彦という明確な主人公がいて、終始彼の視点で物語は語られる。
檀一雄の小説では、物語の冒頭に「その町はまず架空の町であってもよい」と書かれていて、これは前二作の様に舞台となる土地の記憶ではなく、その時唐津にいた若者たちの記憶を宿した主人公の個人史であり、彼の抱いた葛藤は最終的には映画を見ている私たち自身への問いかけとなるのである。

この極めてパーソナルでありながら、無限の広がりを持つ作品世界は、1938年生まれの最後の軍国少年世代である作者の人生に、深く根ざしていることは明らかだ。
大林家は代々続く医師の家系で、当時研究医であった大林少年の父は、彼が1歳の時に軍医として出征し、終戦までの6年間一度も帰還することなく戦地で過ごしている。
本作のテーマを象徴する「青春が戦争の消耗品だなんて、まっぴらだ!」という印象的な台詞は、撮影台本では「戦争が青春だなんて、まっぴらだ!」で、現場で作者自身によって書き換えられたもの。
本来映像で語るスタイルの作者が、あえて台詞をより分かりやすくしてまで言いたいことを強調したのは、研究者として一番大切な時間を戦争に奪われた、若かりし頃の父や当時の若者たちの気持ちを明確にしたかったからだろう。
ここに浮かび上がるのは、戦争という圧倒的な力による死に抗い、切実に自由を求め刹那的に突き進む若者たちの生と性。
自らの生殺与奪の権を権力に握られ、理不尽な戦争へと追い立てられた世代の無念と、親世代の真実を知らず、軍国少年として図らずも彼らの死を後押ししてしまった、作者の世代の自責の念が複雑に入り混じった魂の遺言。
まさに、人生これだけは言わずに死ねないという、映画作家・大林宣彦の命をかけた執念の一人語りなのである。

もちろん、映画はエンターテイメント。
圧倒的な情報量を持つ作家のシネマティック・ワンダーランドに遊べば、169分の長尺も一気呵成。
私小説的スタンスと、40年前に書かれた脚本を基にしたことで、本作は老いてなおアヴァンギャルドな大林宣彦と、野心に溢れた若き頃の大林宣彦のハイブリッドの様な面白さがあるのだ。
この作品は、「この空の花 長岡花火物語」「野のなななのか」に続く三部作の最終作であるのと同時に、「EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ」をはじめとした自主制作時代の大林映画と、初の商業映画「HOUSE / ハウス」の間に入る作品としてもしっくりとくる。
常盤貴子が妖艶に演じる、皆の憧れの叔母さまは本作のキーパーソンであり、彼女と肺病を患った薄幸の美少女・美那の、生命の象徴たる"血"を介した関係は、ロジェ・ヴァディムの「血とバラ」にオマージュを捧げた「EMOTION〜」とイメージが重なる。
また「HOUSE / ハウス」の本当の主役たる人食いの家は、南田洋子演じるおばちゃまが、戦争に行ったまま戻らなかった愛する人を何十年も待ち続けた結果、妖怪化したものだ。
「HOUSE / ハウス」がオリジナルの「花かたみ」の企画が頓挫した後に作られたことを考えると、本作の叔母さまの戦争未亡人という設定の符合は偶然とは思えない。
テリングのスタイルも、あえて合成であることを隠さないコンポジットや、原色を強調したカラー効果、クローズアップの多用などは、前二作よりむしろ自主制作時代や「HOUSE / ハウス」からテレビのスペシャルドラマ「麗猫伝説」あたりまでの初期の作品のテイストに近く、映画作家・大林宣彦の古きと新しきが同居する集大成としてもユニークな作品だ。


作者が本作を「観てもらいたい」と語る若者世代ど真ん中、19歳で美那役を演じた矢作穂香は、東京国際映画祭のQ&Aセッションで、「最初観た時は何が何だかよく分からなくて、理解するのに時間がかかったのだけど、何度も観るうちにどんどん違う魅力が出てきた」と正直過ぎる感想を述べていたが、私も同感。
こちらが映画文法に慣れ過ぎているのもあると思うが、近年の大林映画は、情報量が凄いのとフリーダムが加速し、面白いのだけど一回観ただけでは表層を捉えるのがやっと。
前二作も初見より二度目の方が遥かに面白かったが、今回も二回目の鑑賞でようやくデイープな作品世界に浸ることが出来た。
これほど純粋で、切なく美しい青春映画はちょっと無い。

ちなみに、テーマは異なるのだが、本作と少し似た印象を抱いたのが、アレハンドロ・ホドロフスキーのこちらも遺言的自分語り「エンドレス・ポエトリー」だ。
既存の約束ごとに縛られない、自由なスタイルももちろんだが、次第に濃さをます死の香りがどちらの作品でも異様な緊張感を作り出す。
東西の元祖映像の魔術師が、齢80にして老いと若さを同時に感じさせる新たな代表作を作り上げているのは、長年のファンとして非常に感慨深い。
大林監督の癌は幸いにも進行が止まった状態とのことで、両巨匠には是非とももう一本は撮っていただきたい。

12月8日の最後の晩餐で、登場人物たちはアペリティフにベルモットを選んでいた。
白ワインベースに香草を配合して作られるベルモットには、イタリアで多く作られる甘口のスイート・ベルモットとフランス発祥の辛口のドライ・ベルモットがあるが、甘いノスタルジイの中に辛口のテーマを含む本作には、辛口の代表格「ノイリー・プラット ドライ」をチョイス。
まろやかな風味でストレートでも美味しいが、マティーニやカールソーなど様々なカクテルにも欠かせない、名バイブレイヤーだ。

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ショートレビュー「火花・・・・・評価額1600円」
2017年12月02日 (土) | 編集 |
“火花”は”花火”に成れるのか。

純文学作家・又吉直樹を誕生させた、同名芥川賞小説の映画化。
菅田将暉演じる、お笑いコンビ”スパークス”の徳永が、大阪から来たお笑いコンビ”あほんだら”の神谷と衝撃的出会いをする。
徳永は弟子入りを志願し、神谷は「自分の伝記を書くこと」を条件に受け入れる。
人当たりの良い神谷に徳永は心酔してゆき、神谷もまた徳永を可愛がり、彼の考える笑いの真髄を伝授しようとするのだが、どちらも芽が出ないまま時は残酷に過ぎてゆく。
これは若き徳永が、お笑い芸人として生きることに葛藤する10年間の物語。

冒頭の破裂しないままの打ち上げ花火と、スパークスの二人の会話が、物語の行く先を暗示する。
本作の内容は何も芸人の世界だけに限らず、まだ見ぬ何かを作ろうと、夢を追う人全てに当てはまる物語だ。
自分の頭の中以外、世界のどこにも存在しないものの魅力を知ってもらうのは難しい。
心底自分がオモロイと思ったものと、世間の反応とのギャップに苦悩する徳永の姿を見て、嘗ての自分を思い出して身につまされた人は多いだろう。
ある程度割り切って方向性を定め磨き上げると、それはそれでプロフェッショナルな技術になるのだけど、それを妥協として認めたくない自分もいる。
最初はただ神谷に憧れ、突っ走るだけだった徳永にも、やがて”時間”という若い時には気にもしなかったプレッシャーがのしかかってくるのだ。

純文学作品を、2時間の娯楽映画にするのは難しい。
個人的には廣木隆一が手掛けたTV版の方が好きだったし、明確な三幕構造を持たないこの作品の映像化には、連ドラがベストのメディアだったと思う。
それでもスクリーンに映し出される青春の情熱と喪失の物語は切なくて、後半徳永が追い込まれてゆくと急速に面白くなってゆく。
特に、クライマックスの逆転漫才は凄かった。
笑わせるはずの漫才で泣かせる。
それは10年の歳月の積み重ねがあって初めて成立する、特別な漫才。
お笑いコンビを描きながら、それまで漫才そのものは殆ど描かず、タメを作っていたのも効いている。

徳永を演じる菅田将暉も相変わらず良いが、天才ながら途中からブレまくる、神谷を演じる桐谷健太が素晴らしい。
芸人の世界には先輩が後輩に奢るという暗黙のルールがあるらしく、神谷も売れてないのに徳永に奢る。
その実、金はヒモ状態の彼女に貢がせて悪ぶれず、自らのお笑いが世間に受け入れられなくても気にしない。
この自らの状態に気づかない、いや気づかないフリをしている浮雲のようなキャラクターとのコントラストで、生真面目な徳永の心情がぐっと浮き上がる。

おそらく、この映画にどこまで感情移入できるかは、徳永あるいは神谷の様な時間を過ごしたことがあるか、それとも無いかによってだいぶ違うだろう。
神谷の言う、夢破れた者も含め、全ての存在に意味があるというのは、切実な願いであり、真理でもある。
今何かを成し遂げようともがいている人たちは、先人たちの夢の残骸の上で現実に抗い、やがて自らもその残骸となってゆくのだ。
徳永たちに10年の積み重ねは、日本のお笑いの歴史を1000ページの本だとすると、ほんの数行かもしれないが、重要なのは確かにそこに存在していて、その数行が無ければ本全体も完璧には成り得ないということなのである。

今回は、弾け切れなかったスパークスから弾ける国産スパークリングワイン、マンズワインの「甲州 酵母の泡 セック・キューブクローズ」をチョイス。
きめ細かな泡と適度な酸味、フレッシュな味わいのやや辛口。
和食との相性が良く、アペリティフとしてだけでなく食中酒としても楽しめる。
伊勢志摩サミットで供されたことでも話題になった。
CPが高いのも嬉しい。

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マンズワイン 甲州 酵母の泡 セック キューブクローズ 720ml
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