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リバーズ・エッジ・・・・・評価額1750円
2018年01月30日 (火) | 編集 |
誰もが、ギリギリの縁に立っている。

閉塞した日常を送る6人の高校生の物語。
彼らが抱える葛藤は、同性愛、摂食障害、不通の愛、暴力衝動、予期せぬ妊娠、etc。
孤独と焦燥の中で生きる10代の若者たちを鮮烈に描く、岡崎京子の代表作の一つ「リバーズ・エッジ」が原作出版からほぼ四半世紀を経て映像化された。
メガホンを取るのは、これが初の漫画原作作品となる行定勲。
「アズミ・ハルコは行方不明」が記憶に新しい、演劇畑の瀬戸山美咲が脚色を担当し、二階堂ふみ、吉沢亮ら旬の俳優たちが文字どおりに体を張った熱演を見せる。
6人それぞれが抱える、痛々しい青春の衝動が事件を引き起こし、”生きる”とはどういうことかをナイフのような鋭さで突きつけてくるのである。

高校生の若草ハルナ(二階堂ふみ)は、恋人の観音崎(上杉柊平)から激しい虐めを受けていた山田一郎(吉沢亮)を助けたことから、彼と親しくなる。
ある日、ハルナは一郎からある秘密を打ち明けられる。
それは学校近くの河原に放置された死体のことだった。
彼は死体を見ることで、生きる元気をもらっていると言うのだ。
ハルナの後輩で、大量の過食と嘔吐を繰り返すモデルの吉川こずえ(SUMIRE)も、一郎と秘密を共有し、この死体を心の拠り所にしていた。
一方、田島カンナ(森川葵)は、同性愛者であることを隠している一郎への一方通行の愛を募らせ、ハルナの友人でありながら観音崎との逢瀬を重ねる小山ルミ(土居志央梨)は、父親のわからない子を妊娠する。
淀んだ日常の中、若者たちの間に少しづつ不協和音が増幅し、やがて彼らの人生を永遠に変える運命の夜がやってくる・・・


なんとヴィヴィッドな!
岡崎京子の傑作を、色々な意味でよくぞここまで見事に映像化した。
驚くほど忠実でありながら、極めて映画的なのである。
原作が書かれたのは1993年から94年にかけてだが、下手に話を現在に移し替えなかったのがよかった。
のちに"失われた20年”と呼ばれることになる、バブル崩壊からの急速な景気後退で、それまでのイケイケムードとは打って変わって、若者たちにとって希望的な未来の見えない時代が到来する。
スタンダードの狭いアスペクト比が、世界の閉塞を象徴して印象的。
映画は、あえてここが何年と言う時代設定に言及はないものの、原作を踏襲したセリフの内容などから、基本的には原作と同じ93〜94年頃と捉えていいのだろう。
90年代の後半から本格的に普及が始まった携帯電話の類は出てこず、それ故にお互いの想いがすれ違う構造。
これが現在なら、劇中の幾つかの"事件”は起こらない(起こせない)のだから、やはり時代を反映した物語なのだ。

面白いのは劇中の登場人物が、一人ずつインタビューを受けるというアイディア。
あくまでも登場人物であって、演じる役者のインタビューでは無いのだけど、ここだけは2018年に生きる素の彼・彼女らが透けて見える。
基本的に本作に描かれる青春の痛みはどれも普遍的なもので、それ自体に四半世紀のズレは感じない。
だけど、日頃から10代の若者たちと濃密に接する仕事をしていると、葛藤する状況に置かれた時の反応や考え方はやはり少し違うと感じる。
上だけ見ていればよかったバブル時代が終わり、いきなりハシゴを外された90年代の若者たちは、五里霧中の時代に相当に迷い、抗ったと思う。
対して、最低限満ち足りてはいるものの、生まれてからずっと不況で、低成長の時代に生きている現在のティーンエイジャーは、ある意味達観していると言うか、自分に対しても他人に対しても現状をありのまま受け入れる傾向が強い。
もちろん個人によっても違いはあるが、端的に言えば世代全体として丸いのだ。
本作は、性格の違う6人のインタビューのシーンがあることによって、時代を跨いだ物語の同質性と同時に、現在からあの時代を俯瞰する視点を獲得しているのである。

一郎は同性愛と虐め、観音崎は抑えられない暴力衝動、こずえは摂食障害、カンナはあまりにも一途すぎる一郎への愛、ルミは父親の分からない妊娠と、登場人物はそれぞれにハードな問題を抱えているが、物語の軸であり、実質的な語り部のポジションにいるハルナだけは、特に大きな葛藤を抱えていない。
いや彼女の場合は、葛藤がないのが葛藤とも言える。
"二つ目の死体”が消えた後、こずえがハルナを指して「あの人は何でも関係ないんだもん」とうそぶくシーンがある。
彼女はいわば底の無い箱のようなもので、色々な感情が入ったとしても、すぐに抜け落ちて空っぽになってしまうのだ。
だから、観音崎とのベッドシーンでも全くの無気力、いわゆるマグロ状態で、セックスに感じるどころか艶っぽさの欠片もなく、関心はいつも見ているテレビ番組に飛んでいる。
観音崎とルミの、欲望のみで繋がっていた激しいベッドシーンとは、あらゆる意味で対照的。
性衝動と食べ物の関連性演出は、ちょっと「アデル、ブルーは熱い色」を思い出した。

悶々とした葛藤を抱え、常に心の痛みに突き動かされている一郎やこずえたちにとって、そんな風に全てをさらっと流してしまうハルナは、つかみどころのないタイプの人間で、だからこそ彼女のことが知りたくなってしまうのだろう。
エキセントリックな登場人物たちそれぞれが抱える青春の衝動が事件を起こし、生きることの意味を終始問いかけてくるドラマにあって、ニュートラルなポジションのハルナはそのまま観客の目となり、観客も彼女と共に考える。
そして、いくつかの出来事を経験することで、ハルナも少しづつ変わってゆく。
ある事件によって初めて感情を爆発させると、その次は人生を変える生と死のドラマが彼女を待っている。
これは、ただ生まれて漠然と時間を過ごしているハルナが、生きることの意味を考え、生きたいと思うようになるまでの物語。
物語の終わりには、青春のイニシエーションを経験し、成長したハルナの世界観を象徴するように、窮屈だったスタンダードの画面も、少しだけ広くなるのである。

覚悟を決めた渾身の演技を見せる、若い俳優たちが素晴らしい。
それぞれにベストアクトであり、今までのキャリアを超えた、新しい一面を表現している。
ハルナの内面を繊細に表現する二階堂ふみはもちろんだが、優しげな仮面の下にフツフツと沸き立つ怒りを隠した吉沢亮のあるショットの表情はゾッとさせられたし、森川葵なんて雰囲気がいつもと全く違うからクレジット見るまで本人と確信できなかった。
漫画の映画化といってもコスプレ系の作品ではないのに、キャラクターの再現度も恐ろしく高く、どの登場人物も画面に登場した瞬間に、記憶の中にいる漫画のキャラクターと完全に一致するのだから凄い。
若者たちのリアルな生と性を引き出し、四半世紀前の原作を現在に作る意味を明確に描き出した行定監督にとっても、本作は新たな代表作になったのではないだろうか。
近年の作品ではメランコリックな叙情性を持ち味としていたが、ここでは初期作品を思わせるギラギラした生っぽさが加わった。
岡崎京子の原作のファンとしてもこれは納得、作り手の情念を感じさせる傑作である。

今回は、川繋がりでウィスキーベースのカクテル「ムーン・リバー」をチョイス。
バーボンウィスキー40ml、コアントロー10ml、グレープフルーツジュース10mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
1985年に上田和男氏が考案したカクテルで、その名は映画「ティファニーで朝食を」で、オードリー・ヘップバーンが歌った主題歌にちなむ。
バーボンのコクとコアントローの甘みを、グレープフルーツの酸味が引き立てる。
鮮やかな黄色が川に映った満月を思わせる、美しい一杯だ。

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