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シェイプ・オブ・ウォーター・・・・・評価額1800円
2018年03月05日 (月) | 編集 |
水に包まれた愛のカタチ。

映画館の上のアパートに住む、声を失った孤独な女性が、政府の研究所に囚われた大アマゾンの半魚人と恋をする。
2017年度のベネチア国際映画祭金獅子賞、本年度アカデミー賞でも作品賞・監督賞ほか4部門を制した話題作だ。
サリー・ホーキンスが主人公イライザを好演、彼女と恋に落ちる半魚人の"彼"に、「ヘルボーイ」でも半魚人のエイブ・サピエンを演じていたダグ・ジョーンズ。
マイケル・シャノン、リチャード・ジェンキンス、オクタビア・スペンサーら、実力者が脇を固める重厚な布陣。
どこまでも優しく残酷で美しい、大人のためのメロウな童話だ。
ギレルモ・デル・トロ監督は、自身の最高傑作を作り上げた。
※核心部分に触れています。

1963年、 ボルティモア。
政府の研究所に掃除婦として務めるイライザ(サリー・ホーキンス)は、ラボに半人半魚の不思議な生き物が運び込まれるのを目撃。
アマゾンの奥地で、現地の人々から神として崇められていたという"彼"(ダグ・ジョーンズ)に心惹かれたイライザは、人目を避けて会いに行くようになる。
声を出せない障がいを持つイライザだったが、"彼"との間に声は不要。
音楽や手話でコミュニケーションをとり、次第に距離を縮めてゆく。
"彼"の研究をしているホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)は、イライザの行動に気づくが、なぜか黙認する。
ある日、警備主任のストリックランド(マイケル・シャノン)とホフステトラー博士が激しく言い争っているのを見たイライザは、"彼"が間もなく解剖されることを聞いてしまう。
イライザは、隣人のイラストレーターのジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)の助けを借り、研究所から"彼"を脱出させようと計画するのだが・・・

ベースとなっているプロットそのものは、邪悪な権力に囚われた特別な生物を、善意の主人公が救い出すという、過去何十本作られたのか分からないほど、ごくごくありきたりな話。
しかし魅力的なキャラクターと、様々な物語の話型をごちゃ混ぜにしたディテール、デル・トロの作家性全開のテリングによって、驚くほど未見性のある映画に仕上がっている。
全体の印象は、アンデルセンの「人魚姫」をジャック・アーノルド監督の古典モンスター映画「大アマゾンの半魚人」と結合させ、「パンズ・ラビリンス」と「ヘルボーイ」のテイストで仕上げたようなイメージだ。
切ないラブストーリーであり、ユニークなモンスタームービーでもあり、優れたサスペンス映画でもある。
これ自体が、水のように常に形を変えるジャンル横断的な映画であり、本作の魅力を言葉で説明するのはとても難しい。

米ソ冷戦下の1962年という設定が絶妙で、時代性が物語の背景としてうまく生かされている。
核を突きつけ合う国家間の対立で世界は不安定、この年には核戦争をギリギリで回避したキューバ危機が起こり、アメリカ国内ではベトナム戦争への反発と公民権運動の高まりによって、それまでの社会が大きく動きつつある時代。
冷戦の終結から時代がぐるっと一巡して、世界は再び内向きに回帰し、社会の分断が深まる現在とは、似ているのだけど少し異なる、合わせ鏡としての舞台設定だ。

映画の冒頭は、「むかしむかし、あるところ」に暮らすイライザの日常を描く。
アメリカの怪奇幻想文学の源流、エドガー・アラン・ポーが終生暮らした町としても知られる、メリーランド州ボルティモアにある研究所で清掃員として働く彼女は、昼夜逆転の生活を送っている。
毎夜同じ時間に起きて、バスルームでササっとマスターベーションし、バスで職場に向かい、仕事を終えると帰ってくるの繰り返し。
彼女の家は、映画館という"聖地"の上のアパートだが、華やかな映画のような人生とは対照的な地味な生活。
交流関係も、隣室に住むイラストレーターで同性愛者のジャイルズと、仕事仲間のゼルダくらい。
障がいを持つ主人公と、性的マイノリティ、アフリカ系女性と皆当時の社会では傍流の人々で、それぞれに問題を抱えてハッピーとは言えない日々を過ごしている。
現在を詳細に描写する反面、イライザの過去に関しては、ほとんど描かれない。
彼女の姓のエスポジートは、もともとは捨て子や孤児を意味する言葉だが、実際に彼女が孤児だったのかどうかも、なぜ声が出せないのかも詳細は不明なまま。
これは後記する物語の仕掛けの、重要な伏線にもなっている。

そんなイライザが、恋におちる。
しかも"彼"は人間ではなく、研究所に実験体として囚われた奇怪な半魚人だ。
なんとなく鯉っぽい顔を含め、よく見るとデザインは大分異なるのだが、アマゾンの奥地で捕まったという設定からも、ユニバーサルの古典モンスターの中でも、今も高い人気を誇る「大アマゾンの半魚人」を強く意識しているのは間違い無いだろう。
あの映画では、テリトリーに侵入してきた科学者たちに怒った半魚人は、ヒロインを誘拐するも、追跡してきた科学者の銃弾に倒れ、水の中に沈んでゆく。
本作は、半魚人が殺されずに捕らえられた、"if"の世界を描く物語なのかもしれない。
ひょんなことから、この奇妙な生物に出会い心惹かれたイライザは、食べ物で気を引くとジェスチャーと音楽とダンスで急速に距離を縮める。
姿形も、種の違いも関係なく、大切なのは心が繋がるということ。
この愛の形は、いわば「美女と野獣」の美女が普通のおばさんで、野獣が王子に戻らない、よりピュアなバージョン。
やがてイライザは、死する運命の"彼"を救うべく、研究所からの救出を決意する。

恋するイライザを演じる、サリー・ホーキンスが抜群に良い。
時に"彼"を見つめるまっすぐな少女のような眼差し、時に中年女性のくたびれた表情。
ホーキンスに当て書きされたというイライザは、シーンによって、ショットによって、いくつもの異なる顔を見せる、不思議で魅力的なキャラクターになっている。
彼女の前に立ちはだかるのが、サディスティックに"彼"を虐待する、マイケル・シャノン演じるストリックランドだ。
異形の"彼"を救おうとする、イライザとマイノリティの仲間たちが体現するのが、愛と寛容だとすれば、ストリックランドは傲慢と不寛容の塊だ。
だが、デル・トロは彼を単純な悪役には描かない。
ストリックランドは、今風に言えば成功者を気取る社畜の様なもので、どんなに辛くても国家の官僚機構の中で出世を目指す生き方しか知らないのである。
もう一人、実は研究所に送り込まれたソ連のスパイであるホフステトラー博士は、研究者として"彼"を生かしたいという願いと、アメリカの手に落ちるくらいなら殺してしまえという本国からの指令の板挟みとなる。
自由な意志で動くイライザたちと、組織の歯車であり、イデオロギーの奴隷でしかない二人の男は対照的に描かれるが、私はこの悲しき男たちにすっかり感情移入してしまった。
自ら危険を冒して、純粋な目的を遂げようとするイライザたちの行動は尊い。
しかし私たちの多くは、どちからかと言えばストリックランドの側で生きているのである。

そして、追う者と追われる者、登場人物たちの運命が雨の中で交錯するクライマックス、全編に仕込まれた伏線と暗喩、その一つ一つが回収され、きちんと意味を持ってくるストーリーテリングのカタルシス。
あの傑作「パンズ・ラビリンス」を超える、映画のたたみ方が実に見事だ。
この映画を観る観客は、「どこからどこまでが現実なんだろう?」と感じるかもしれない。
しかし、本作は夢の中の様な水中のビジュアルと、ジャイルズの"語り"から始まる。
「あのことについて語るなら、何を話そう?そうだな、いつの話かって?あれはハンサムな王子の時代が、終わりに近づいたころ・・・・」
つまりこの映画は、最初から彼の語る"物語"なのである。
ハンサムな王子の時代とは、翌年に暗殺されたジョン・F・ケネディの比喩だろう。
これは、アメリカの理想主義の時代と、激動の60年代の狭間で語られるささやかな御伽噺。

アン・リー監督の「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」で、海難事故からただ一人生き残った主人公は、保険会社の調査員に二つの体験談を語る。
一つは船が難破して、生き残った人間たちが一艘のボートに乗り合わせ、殺し合いの末に自分だけが残ったというもの。
もう一つは、ボートに乗り合わせたのは、主人公と何頭かの動物たちで、その中の気高く美しいベンガルトラ、リチャード・パーカーが残りの動物を食い、自分はなんとかトラとの共生関係を作り上げて生き残ったと。
"真実"を聞く調査員に、主人公は問いかける。
どちらの話でも結果は同じ、ならばどちらが"語られるべき物語か?"と。
ジャイルズ=デル・トロの物語で何が起ころうとも、それは語られるべき出来ごとであり、物語としての真実なのである。
イライザはきっと、遠い昔に誰かに恋をして、声と引き換えに陸に上がった人魚姫。
"彼"と出会い、忘れていた感情を思い出した。
常に形を変え続ける水の中で、二人は永遠に幸せになったのだろう。
切なく愛おしい、珠玉の傑作である。

今回は深い海の様に青い、フランスのスパークリング「ラ・ヴァーグ・ブルー」をチョイス。
青は聖母マリアのシンボルカラーである事から、縁起物としてパーティでよく供される定番のスパークリングだ。
ソーヴィニヨン・ブランで作られるこちらは、やや辛口で口当たりも良く、柑橘系の爽やかな香りと適度な酸味を持つ使い勝手の良い一本。
ブルーのボトルの深淵に、水の中に消えていった二人の姿が見えるかもしれない。

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