2018年04月07日 (土) | 編集 |
“政治屋”の孤独。
おそらく、20世紀の世界史で最も有名な人物の一人だろう、第二次世界大戦下のイギリスを率いた、ウィンストン・チャーチルを描く重厚な歴史ドラマ。
ナチス・ドイツの脅威がドーバー海峡に迫り、国論が対ドイツ融和派と強硬派の真っ二つに割れる中、政権を託されたチャーチルはいかにして国をまとめ上げたのか。
ここに描かれるのは、闇が世界を覆い尽くそうとする時、時代の趨勢に抗った政治のプロフェッショナルの孤独と苦悩だ。
「博士と彼女のセオリー」のアンドリュー・マクカーテンが脚本を担当し、監督は「つぐない」「アンナ・カレーニナ」のジョー・ライトが務め、スタイリッシュかつ暗喩的な映像で魅せる。
細身のゲイリー・オールドマンが、辻一弘の特殊メイクによって、恰幅の良いチャーチルに大変身。
無冠の帝王の称号を、初のオスカー戴冠で返上したのも納得、圧巻の名演だ。
イギリス政界の嫌われ者、ウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)に、運命の瞬間が迫っていた。
戦争の拡大を受けて、チェンバレン首相は辞職を表明、挙国一致内閣を成立させられるのは、野党労働党の支持を受けられるチャーチルしかいなかったのだ。
国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)の組閣要請を受けたチャーチルは首相に就任するも、同盟を組むフランス政府は既に戦意そう失し、英仏の陸軍はダンケルクへと追い詰められつつある。
しかも、党内バランスを重視して組閣したため、戦争内閣も対独融和派と強硬派が拮抗し、決して一枚岩ではない。
ドイツ軍がダンケルクを包囲し、刻々とタイムリミットが迫る中、チャーチルは民間船を徴用してダンケルクへと向かわせる“ダイナモ作戦”を発動。
一方、融和派のチェンバレン前首相(ロナルド・ピックアップ)と外相のハリファックス伯爵(スティーヴン・ディレイン)は、チャーチル降ろしを画策するのだが・・・
1939年の9月、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。
ドイツは翌40年4月に、デンマーク、ノルウェーを攻略し、5月には遂にフランスとベネルスク3国への電撃戦を開始する。
機械化された機甲師団と航空支援により、迅速に展開するドイツ軍のスピードに、第一次世界大戦の経験に囚われいたフランスは対抗できず、瞬く間に国土を蹂躙され陥落寸前。
仏国内に駐留していたイギリス軍と一部フランス軍の40万人は、フランス北部のダンケルクへと追い詰められる。
イギリスのチェンバレン首相は、ドイツに対して融和政策をとり、状況判断を誤ったとして、批判が高まり辞任。
誰が首相になっても荊の道が待っている難局に、チェンバレン内閣の海軍大臣だったウィンストン・チャーチルが、担ぎ出されたという構図。
この時点で65歳の古参政治家だったチャーチルは、失敗と成功を行ったり来たり。
世論に乗っかって保守党を離党して自由党に所属し、その後また保守党に舞い戻るなど政界渡り鳥でもあったので、当然敵も多い。
劇中で何度も言及されるガリポリの戦いは、チャーチルがアスキス内閣の海軍大臣だった第一次世界大戦中、オスマントルコのガリポリ半島への上陸に失敗し、15万人にのぼる膨大な死傷者を出した作戦。
もっとも、これは艦隊を直ちに差し向けよというチャーチルの命令に、海軍卿のジャッキー・フィッシャーらが反対したことで、結果的に中途半端な体制での上陸となり、トルコの猛反撃を許したもので、一概にチャーチルの責任とは言い難いのだが。
ガリポリの戦いの悲惨さは、若き日のメル・ギブソンが主演し、ピーター・ウィアーが監督したオーストラリア映画、「誓い(原題:Gallipoli)」を見るとよく分かる。
本作の原題は「Darkest Hour」。
功罪あるチャーチルにとって“最も暗い時間”、1940年5月10日の首相就任直前から、ダンケルクの英仏両軍を成功裏に撤退させたダイナモ作戦後の、有名な庶民院での“We shall never surrender.”の演説までの四週間を描く。
昨年大ヒットしたクリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」は、ダイナモ作戦の現場を時系列の異なる三つのパートに分けて描いた。
「防波堤」パートは救出を待つ陸軍兵士たちの1週間、「海」は救出に赴く小型船の1日、そして「空」は救出を妨害するドイツ空軍と空中戦を繰り広げる、スピットファイア戦闘機隊の1時間だ。
ノーランは徹底的に現場で起こった事象に拘ってこの構成にしたのだが、実際に戦争の現場の命運を決めるのは会議室での出来事だ。
ヒットラーを忌み嫌う対ドイツ強硬派のチャーチルは、最初から全面戦争の覚悟を決めているが、その前に国内、いや閣内の融和派との闘争に勝利しなければならない。
党内基盤の弱いチャーチルは、国王の信頼を得ると、彼の助言を受けて庶民の生の声を求めて初めて地下鉄に乗る。
階級社会のイギリス国会は非公選の貴族院と、公選の庶民院の二院制。
チャーチルは庶民院議員とはいえ、貴族の血を引く二代目政治家と言うエスタブリッシュメントゆえに、普段は運転手付きの高級車で送迎され、公共交通機関など乗り方も知らない。
地下鉄に向かう前に、車から窓の外の市井の人々の日常を見つめるシーンは、映画の序盤の同様のシーンの対となっていて、平和が急速に失われ、戦争の惨禍が迫っていることを街の様子から端的に感じさせる秀逸な描写。
決意したチャーチルは、地下鉄に乗り込んで、居合わせた人々の声を直接聞くのだが、面白いのはその直後の国会での演説シーンだ。
彼は、たった今地下鉄で聞いてきたことと称して、自党の議員たちに向けて主戦論を支持する人々の言葉を豪快に盛って、と言うか捏造して語り、拍手喝采を浴びるのである。
良くも悪くも生まれ付いての“政治屋”の気質と言うか、自分の目的を達成するためなら手段は選ばず。
この部分はフィクションが入っている様だが、こうして社会は覚悟を決めた少数のラジカルな人物によって、強引に動かされてゆくのだなと実感させられる名シーンだ。
本作はノーランの「ダンケルク」には存在しない、もう一つの時系列、政治家たちの1ヶ月を描く「会議室」の物語であり、歴史の同じ事象を異なる視点から描いた二つの映画は、相互補完的な関係にある。
「ダンケルク」が、大撤退の奇蹟を現代イギリスの神話として再構築した作品だとすれば、ジョー・ライトはその裏側で何が起こっていたのか、ダンケルクに向かうドイツ軍を牽制して捨て石となったカレーの部隊の犠牲を含め、神話の実像を綿密に描き出すのだ。
もっとも、映画を見ているとまるで全滅したようにも見えるカレーの部隊は、実際には多大な犠牲を出した後、5月26日に降伏している。
これはチャーチルの政治的ウソに通じる映画的ウソで、だから歴史を描く劇映画は、どんな作品であろうとも、まるまる信用してはいけないのだけど。
ライトの作品では、「つぐない」もダイナモ作戦が重要なモチーフとなっていたが、やはり英国の作家にとってダンケルクの記憶とは、かくも重要なものなのだろう。
そして、前評判通り圧巻の名演を見せるゲイリー・オールドマンは、文句なしに本作のMVP。
チャーチルが今の時代にいたらパワハラ・セクハラ爺さんだろうが、攻撃的でパワフルな表の顔と繊細な裏の顔を見事に表現していて素晴らしい。
その思想や政治手法など、手放しでは賛同できない部分も含めて、複雑な人間性を演じ切った。
リリー・ジェームス演じる秘書のエリザベスを、物語の案内役兼観客の感情移入キャラクターにしたのが上手く、最初は横柄な非共感キャラクターのチャーチルが、だんだんと可愛く見えてくる。
テリングでは、凝った映像表現に定評があるライトらしく、光と影のコントラスが特徴的。
映画全体を“舞台”に閉じ込めるという奇策を使った「アンナ・カレーニナ」ほどではないが、国会などはまるで舞台の様にスポットライトが当たっている。
「Darkest Hour」の原題通り、エレベーターや専用トイレの狭い空間、ドアの窓枠などで切り取られチャーチルが闇に囲まれているショットの数々が印象的。
国王ジョージ6世との会食シーンでも、柔らかな光に包まれた王の前で、彼だけが逆光で闇の中にいる。
漆黒に閉ざされた専用トイレから、アメリカのルーズベルト大統領に電話をかけ、援助要請を断られるシーンは、追い詰められたチャーチルの孤独と焦燥を強く感じさせ、本作の白眉だ。
独裁色の強い、ストロングマン・タイプのリーダーが各国に次々と現れる現在、本作もある意味、非常にタイムリーな作品と言えるだろう。
ここでチャーチルの見せるリーダシップは、現在の世界に置き換えるとどうなるのか?
もしもこの時代の英国人だったら、支持するのはチャーチルかチェンバレンか?
人間的な好き嫌いは別として、求めたいのはどのようなリーダーだろうか?
80年近く前の“最も暗い時間”と、そこに光を導いたチャーチル像から見えてくるのは、実は現在の世界の比喩的な鏡像なのかもしれない。
チャーチルは酒豪であり、様々な愛飲酒が知られているが、今回はアルメニアのエレバンブランデー社が、白ワインを原料として作るブランデー「アララット アフタマール」をチョイス。
ラム酒に近い独特の甘い香りがあり、ブランデーとワインの中間的な味わいだ。
第二次世界大戦中にクリミア半島で行われたヤルタ会談時に、チャーチルが当時ソ連領だったアルメニアブランデーをいたく気に入り、スターリンに年間数百本を送らせたという逸話が残っている。
まあこの人の場合、飲めればなんでもよかったと言う気がしないでもないけど(笑
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おそらく、20世紀の世界史で最も有名な人物の一人だろう、第二次世界大戦下のイギリスを率いた、ウィンストン・チャーチルを描く重厚な歴史ドラマ。
ナチス・ドイツの脅威がドーバー海峡に迫り、国論が対ドイツ融和派と強硬派の真っ二つに割れる中、政権を託されたチャーチルはいかにして国をまとめ上げたのか。
ここに描かれるのは、闇が世界を覆い尽くそうとする時、時代の趨勢に抗った政治のプロフェッショナルの孤独と苦悩だ。
「博士と彼女のセオリー」のアンドリュー・マクカーテンが脚本を担当し、監督は「つぐない」「アンナ・カレーニナ」のジョー・ライトが務め、スタイリッシュかつ暗喩的な映像で魅せる。
細身のゲイリー・オールドマンが、辻一弘の特殊メイクによって、恰幅の良いチャーチルに大変身。
無冠の帝王の称号を、初のオスカー戴冠で返上したのも納得、圧巻の名演だ。
イギリス政界の嫌われ者、ウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)に、運命の瞬間が迫っていた。
戦争の拡大を受けて、チェンバレン首相は辞職を表明、挙国一致内閣を成立させられるのは、野党労働党の支持を受けられるチャーチルしかいなかったのだ。
国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)の組閣要請を受けたチャーチルは首相に就任するも、同盟を組むフランス政府は既に戦意そう失し、英仏の陸軍はダンケルクへと追い詰められつつある。
しかも、党内バランスを重視して組閣したため、戦争内閣も対独融和派と強硬派が拮抗し、決して一枚岩ではない。
ドイツ軍がダンケルクを包囲し、刻々とタイムリミットが迫る中、チャーチルは民間船を徴用してダンケルクへと向かわせる“ダイナモ作戦”を発動。
一方、融和派のチェンバレン前首相(ロナルド・ピックアップ)と外相のハリファックス伯爵(スティーヴン・ディレイン)は、チャーチル降ろしを画策するのだが・・・
1939年の9月、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。
ドイツは翌40年4月に、デンマーク、ノルウェーを攻略し、5月には遂にフランスとベネルスク3国への電撃戦を開始する。
機械化された機甲師団と航空支援により、迅速に展開するドイツ軍のスピードに、第一次世界大戦の経験に囚われいたフランスは対抗できず、瞬く間に国土を蹂躙され陥落寸前。
仏国内に駐留していたイギリス軍と一部フランス軍の40万人は、フランス北部のダンケルクへと追い詰められる。
イギリスのチェンバレン首相は、ドイツに対して融和政策をとり、状況判断を誤ったとして、批判が高まり辞任。
誰が首相になっても荊の道が待っている難局に、チェンバレン内閣の海軍大臣だったウィンストン・チャーチルが、担ぎ出されたという構図。
この時点で65歳の古参政治家だったチャーチルは、失敗と成功を行ったり来たり。
世論に乗っかって保守党を離党して自由党に所属し、その後また保守党に舞い戻るなど政界渡り鳥でもあったので、当然敵も多い。
劇中で何度も言及されるガリポリの戦いは、チャーチルがアスキス内閣の海軍大臣だった第一次世界大戦中、オスマントルコのガリポリ半島への上陸に失敗し、15万人にのぼる膨大な死傷者を出した作戦。
もっとも、これは艦隊を直ちに差し向けよというチャーチルの命令に、海軍卿のジャッキー・フィッシャーらが反対したことで、結果的に中途半端な体制での上陸となり、トルコの猛反撃を許したもので、一概にチャーチルの責任とは言い難いのだが。
ガリポリの戦いの悲惨さは、若き日のメル・ギブソンが主演し、ピーター・ウィアーが監督したオーストラリア映画、「誓い(原題:Gallipoli)」を見るとよく分かる。
本作の原題は「Darkest Hour」。
功罪あるチャーチルにとって“最も暗い時間”、1940年5月10日の首相就任直前から、ダンケルクの英仏両軍を成功裏に撤退させたダイナモ作戦後の、有名な庶民院での“We shall never surrender.”の演説までの四週間を描く。
昨年大ヒットしたクリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」は、ダイナモ作戦の現場を時系列の異なる三つのパートに分けて描いた。
「防波堤」パートは救出を待つ陸軍兵士たちの1週間、「海」は救出に赴く小型船の1日、そして「空」は救出を妨害するドイツ空軍と空中戦を繰り広げる、スピットファイア戦闘機隊の1時間だ。
ノーランは徹底的に現場で起こった事象に拘ってこの構成にしたのだが、実際に戦争の現場の命運を決めるのは会議室での出来事だ。
ヒットラーを忌み嫌う対ドイツ強硬派のチャーチルは、最初から全面戦争の覚悟を決めているが、その前に国内、いや閣内の融和派との闘争に勝利しなければならない。
党内基盤の弱いチャーチルは、国王の信頼を得ると、彼の助言を受けて庶民の生の声を求めて初めて地下鉄に乗る。
階級社会のイギリス国会は非公選の貴族院と、公選の庶民院の二院制。
チャーチルは庶民院議員とはいえ、貴族の血を引く二代目政治家と言うエスタブリッシュメントゆえに、普段は運転手付きの高級車で送迎され、公共交通機関など乗り方も知らない。
地下鉄に向かう前に、車から窓の外の市井の人々の日常を見つめるシーンは、映画の序盤の同様のシーンの対となっていて、平和が急速に失われ、戦争の惨禍が迫っていることを街の様子から端的に感じさせる秀逸な描写。
決意したチャーチルは、地下鉄に乗り込んで、居合わせた人々の声を直接聞くのだが、面白いのはその直後の国会での演説シーンだ。
彼は、たった今地下鉄で聞いてきたことと称して、自党の議員たちに向けて主戦論を支持する人々の言葉を豪快に盛って、と言うか捏造して語り、拍手喝采を浴びるのである。
良くも悪くも生まれ付いての“政治屋”の気質と言うか、自分の目的を達成するためなら手段は選ばず。
この部分はフィクションが入っている様だが、こうして社会は覚悟を決めた少数のラジカルな人物によって、強引に動かされてゆくのだなと実感させられる名シーンだ。
本作はノーランの「ダンケルク」には存在しない、もう一つの時系列、政治家たちの1ヶ月を描く「会議室」の物語であり、歴史の同じ事象を異なる視点から描いた二つの映画は、相互補完的な関係にある。
「ダンケルク」が、大撤退の奇蹟を現代イギリスの神話として再構築した作品だとすれば、ジョー・ライトはその裏側で何が起こっていたのか、ダンケルクに向かうドイツ軍を牽制して捨て石となったカレーの部隊の犠牲を含め、神話の実像を綿密に描き出すのだ。
もっとも、映画を見ているとまるで全滅したようにも見えるカレーの部隊は、実際には多大な犠牲を出した後、5月26日に降伏している。
これはチャーチルの政治的ウソに通じる映画的ウソで、だから歴史を描く劇映画は、どんな作品であろうとも、まるまる信用してはいけないのだけど。
ライトの作品では、「つぐない」もダイナモ作戦が重要なモチーフとなっていたが、やはり英国の作家にとってダンケルクの記憶とは、かくも重要なものなのだろう。
そして、前評判通り圧巻の名演を見せるゲイリー・オールドマンは、文句なしに本作のMVP。
チャーチルが今の時代にいたらパワハラ・セクハラ爺さんだろうが、攻撃的でパワフルな表の顔と繊細な裏の顔を見事に表現していて素晴らしい。
その思想や政治手法など、手放しでは賛同できない部分も含めて、複雑な人間性を演じ切った。
リリー・ジェームス演じる秘書のエリザベスを、物語の案内役兼観客の感情移入キャラクターにしたのが上手く、最初は横柄な非共感キャラクターのチャーチルが、だんだんと可愛く見えてくる。
テリングでは、凝った映像表現に定評があるライトらしく、光と影のコントラスが特徴的。
映画全体を“舞台”に閉じ込めるという奇策を使った「アンナ・カレーニナ」ほどではないが、国会などはまるで舞台の様にスポットライトが当たっている。
「Darkest Hour」の原題通り、エレベーターや専用トイレの狭い空間、ドアの窓枠などで切り取られチャーチルが闇に囲まれているショットの数々が印象的。
国王ジョージ6世との会食シーンでも、柔らかな光に包まれた王の前で、彼だけが逆光で闇の中にいる。
漆黒に閉ざされた専用トイレから、アメリカのルーズベルト大統領に電話をかけ、援助要請を断られるシーンは、追い詰められたチャーチルの孤独と焦燥を強く感じさせ、本作の白眉だ。
独裁色の強い、ストロングマン・タイプのリーダーが各国に次々と現れる現在、本作もある意味、非常にタイムリーな作品と言えるだろう。
ここでチャーチルの見せるリーダシップは、現在の世界に置き換えるとどうなるのか?
もしもこの時代の英国人だったら、支持するのはチャーチルかチェンバレンか?
人間的な好き嫌いは別として、求めたいのはどのようなリーダーだろうか?
80年近く前の“最も暗い時間”と、そこに光を導いたチャーチル像から見えてくるのは、実は現在の世界の比喩的な鏡像なのかもしれない。
チャーチルは酒豪であり、様々な愛飲酒が知られているが、今回はアルメニアのエレバンブランデー社が、白ワインを原料として作るブランデー「アララット アフタマール」をチョイス。
ラム酒に近い独特の甘い香りがあり、ブランデーとワインの中間的な味わいだ。
第二次世界大戦中にクリミア半島で行われたヤルタ会談時に、チャーチルが当時ソ連領だったアルメニアブランデーをいたく気に入り、スターリンに年間数百本を送らせたという逸話が残っている。
まあこの人の場合、飲めればなんでもよかったと言う気がしないでもないけど(笑

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