酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー・・・・・評価額1700円
2018年06月30日 (土) | 編集 |
冒険は、ここから始まる。

スター・ウォーズ世界から生まれた屈指の人気キャラクター、ハン・ソロの若き日を描く実写スピンオフ・シリーズ第二弾。
当初メガホンを取っていたフィル・ロードとクリス・ミラーの降板劇と、予想外の興行的不振でケチが付いたが、さすがロン・ハワードだ。
一度ぶっ壊れたプロジェクトを立て直し、最終的に見事なクオリティに持ってきた。
「帝国の逆襲」「ジェダイの帰還」「フォースの覚醒」と、シリーズ三作を手がけたローレンス・カスダンが息子のジョン・カスダンと組んだシナリオは、明らかな西部劇風味に終盤ノワールも加えて、最後には完全にスター・ウォーズ世界に回帰する。
主要登場人物が全滅する「ローグ・ワン」や、選ばれし救世主としてのジェダイを否定した「最後のジェダイ」の様に、世界観を揺さぶるほど驚かされる要素はなく、シリーズとしてはむしろ保守本流の正統派。
「これぞ観たかったスター・ウォーズだ!」という人も多いのではないか。

惑星コレリアで、犯罪組織の仕事をさせられている若者ハン(オールデン・エアエンライク)は、恋人のキーラ(エミリア・クラーク)と逃亡を図るも失敗。
帝国軍の兵士として前線に送られ、最愛のキーラとは離れ離れになってしまう。
3年後、ある戦場で二丁拳銃を操るアウトロー、トバイアス・ベケット(ウッディ・ハレルソン)の一味と出会ったハンは、帝国軍に囚われていたウーキーのチューバッカ(ヨーナス・スオタモ)と共に脱走して彼らに合流。
帝国軍の施設のある惑星ヴァンドアで、宇宙船の燃料となる超高価なコアキシウムの強奪を試みるも、敵対するギャング団エンフィス・ネストの妨害でコアキシウムは爆発して失われてしまう。
釈明のために雇い主である犯罪シンジケート、クリムゾーン・ドーンのドライデン・ヴォス(ポール・ベタニー)の船にトバイアスと共に向かったハンは、そこでシンジケートの副官となっていたキーラと再会する。
損害の埋め合わせを迫るドライデンに、ハンは惑星ケッセルの鉱山から、精製前のコアキシウムを盗み出すというプランを提案するのだが・・・・


「新たなる希望」の10年前、造船の星コレリアの裏社会で閉塞感を募らせ、いつか銀河最速のパイロットになることを誓う若きハンの姿は、タトゥーインの農場でくすぶりながら、やはりパイロットとなる未来を夢見るルーク・スカイウォーカーに重なる。
これは若者が生き方を定める物語であり、「新たなる希望」の裏返しの構造を持つ作品だ。
ストーム・トルーパーの襲撃で育ての親を失ったルークが、オビ=ワン・ケノービの導きでジェダイの騎士となったように、本作では恋人キーラと引き離されたハンが、強盗団を率いるトバイアス・ベケットからアウトローとしての生き様を学んでゆく。
主演のオールデン・エアエンライクは、ぶっちゃけハリソン・フォードには全く似てないのだが、キャラクター造形がしっかりしているので、見ているうちに違和感は無くなるだろう。

本作の基本コンセプトは、宇宙版の西部劇
40年前にハンが初登場したカンティーナの酒場シーンは、西部劇風に仕上げられており、黒のベストにブラスターを腰に下げたキャラクタールックスも、西部劇のガンマンのイメージだった。
本作は、その延長線上に作品全体を構築。
西部劇の主人公が南北戦争の元兵士という設定は多いが、本作でもハンは最初帝国軍の兵士として明日をも知れぬ戦場に送られ、そこから脱走してアウトローとなる。
ヴァンドアでのコアキシウムの強奪作戦はまんま列車強盗だし、ランド・カルリジアンとのギャンブル勝負、悪漢に仕切られた鉱山も西部劇ではおなじみのシチュエーション。
後に正史で伝説となる「ケッセル・ランを12パーセクで飛んだ」シークエンスは、幌馬車と馬の追撃戦の置き換えだ。

加えて、戦争の混乱に乗じて犯罪シンジケートが羽ぶりを聞かせる時代という設定から、ノワール映画のテイストもプラス。
かつて愛した女が、組織のボスの愛人(?)になっていたりするのはいかにもだし、互いの利害が入り混じり、誰が裏切り者だかわからないという終盤の展開も、多くのノワールで描かれてきた定番。
もともとルーカスが作り上げたのは、神話をベースに西部劇から時代劇まで、古き良き時代の映画を換骨奪胎した世界だから、本作の方向性はスター・ウォーズとしてまことに正しい。

もちろん、「フォースの覚醒」以降の新時代のカラーもきちんと反映されている。
女性キャラクターが重要なポジションにいるのはもちろん、フェミニスト・ドロイドにしてドロイド平等主義を訴えるL3-33の存在は、以前のシリーズではちょっと考えられなかっただろう。
自分たちの行いが銀河に災いをもたらす行為で、敵だと思っていた存在が実は正しいことをしていたという終盤の立場の逆転も、従来の価値観が激しく揺さぶられる最近のシリーズの潮流に沿ったものだ。
ルーカス時代の「新たなる希望」から「シスの復讐」までの遺産をしっかりと活かしながら、現代的な要素も加えて、最終的には「これぞスター・ウォーズ」というところに落とし込んでくるのだから、カスダン親子とロン・ハワードの仕事は職人的に見事なものだと思う。

一方で、ルーカスの離脱後のサプライズ続きだった過去三作とは異なり、「これは新しい」という部分はあまりない。
カスダンに加えて、かつてルーカスの「アメリカン・グラフィティ」で俳優としてスターダムを駆け上がり、監督として「ウィロー」を作った盟友ハワードの参加により、良くも悪くも既視感の強い作風になったことは確かだ。
この辺りを「好ましい」と捉えるか、「物足りない」と思うかが、本作の評価の別れ目だろう。
今となっては無い物ねだりだが、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」並みにポップだったらしい、フィル・ロードとクリス・ミラー版も観たかったなあ。

ところで、ファンとしてはニヤニヤが止まらない正史のオマージュ満載はさておき、テレビアニメーション版の「クローン・ウォーズ」「反乱者たち」の要素まで統合してきたのには驚いた。
特に、終盤のある人物の登場は、今までの実写劇場版しか知らないと「???」だろう。
確実に死んだはずで、以降の劇場版には登場していない人物が唐突に現れるのだから。
おそらく、これも今後のスピンオフ作品のための布石だったのだろうが、本作の興行的不振で今後のスピンオフ企画が正式に白紙になってしまったのは大きな皮肉だ。
そもそもナンバリングされた正史ではなく、傍流のスプピンオフ作品に2億5千万ドルという常軌を逸した巨費をつぎ込んでしまったのが間違い。
ルーカスフィルムは、これで「ローグ・ワン」「エピソードⅨ」と三作続けて監督の降板劇があったわけで、明らかにプロデュースチームに問題を抱えている。
ロードとミラーが撮った映像の7割以上を撮り直すとか、映画二本作るの同じことで、これでは長続きしないだろう。

40年来のファンとしては、DC化を避けるためにもMCU並みのクオリティコントロールを願いたい。
まあディズニーとルーカスフィルムもいろいろ考えてはいるのだろうけど、基本的にスター・ウォーズは“サガ”であり“群像劇”であるという基本に立ち返った方がいいと思う。
今回も一応ハン・ソロが主人公ではあるものの、様々なキャラクターがそれぞれに葛藤しているのは過去のシリーズと同じスタイル。
マーベルの様に一人ひとりのキャラクラーがそう強いわけではないので、やっぱ単体ヒーロー推しではなく、神話的な歴史観と世界観に裏打ちされたスター・ウォーズらしさを追求すべきなのではないか。
その意味で今回もタイトルは「Solo」じゃなくても良かったのかも知れない。

今回は、キーパーソンとなるキーラのイメージで、テキーラ・ベースのカクテル「エル・デュアブロ」をチョイス。
氷を入れたタンブラーにテキーラ30ml、クレーム・ド・カシス15mlを注ぎ、軽くステアする。
ライム1/2個を絞り入れ、冷やしたジンジャーエールを加えて完成。
クレーム・ド・カシスのダークレッドが名前の通り悪魔をイメージさせるが、実はすっきりしていて飲みやすいカクテルだ。

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ショートレビュー「世界でいちばん長い写真・・・・・評価額1700円」
2018年06月26日 (火) | 編集 |
青春を、長〜く焼きつける。

あー・・・若さがキラキラしてる。

高杉真宙演じる、引っ込み思案で人との関わりが苦手な高校写真部の幽霊部員・内藤宏伸が主人公。
当然人物写真を撮るのも苦手で、部長の三好奈々恵に怒られてばかり。
そんな彼が、従姉の温子が切り盛りするリサイクルショップで、360度を写す古いパノラマカメラと出会ったことから、世界が変わってゆく。
普通の写真と違って、まるでそこにある時間そのものを写し取るような不思議な写真。
なんとなく生きてきて、写真も惰性で続けていた宏伸は、初めて夢中になれるものを見つけ、やがて自分たちの卒業記念に、世界一長いパノラマ写真を撮影することになる。
スマホのカメラで、お手軽に撮れるショボいパノラマとはとは桁が違う。
専用に改造された、一人では持ち運び出来ないほどの巨大なフィルムカメラを使い、撮影できる写真の長さ、実に145メートル!

原作は誉田哲也の同名小説なのだが、アイディアのベースとなっているのは、実際に世界最長の写真としてギネス認定された「クラブ活動の一日」という作品。
パノラマカメラを手作りした山本新一氏が、2000年12月18日に愛知県の日本福祉大学付属高等学校で、直径36mのサークル状に並んだ約650人の生徒たちの中心にカメラを置き、12回転させて撮影したという。
映画はこの話の続編的な設定になっていて、事実にリスペクトをささげながら、高校生たち自身の頑張りによって、世界一の写真を撮るというイベントが再び成し遂げられるという、王道の成長物語として昇華されている。



これは是非劇場で確認していただきたいのだが、モチーフのパノラマ写真を生かすシネスコサイズの画面に、この特別な写真の魅力を伝えるべく様々な工夫がなされた映像表現は大きな見どころ。
アナログの魅力を、ちゃんと知っている人たちが作っているのが伝わってくるのだ。
クライマックスの撮影シークエンスも、“写真を撮る”という地味な行動が、映像的な演出と登場人物の心理をリンクさせたアイディアによって、驚くべきダイナミズムを持ったパワフルな見せ場になっているのが素晴らしい。

リリカルな青春の風景に、“イケメンのもちぐされ”こと高杉真宙、この夏の連続ドラマ版「この世界の片隅に」ですずさんを演じることが決まっている、部長役の松本穂香ら、若い俳優たちが生き生きと躍動している。

そんな中で、宏伸をパノラマカメラと出会わせる、従姉の温子を演じる武田梨奈がいい。
ワイルドできっぷの良い姉さんには、思わず惚れてしまいそうだ。

キャリアベストの好演を見せる彼女の結婚式シークエンスを、冒頭と終盤に持ってきて、世界一長い写真が撮られた四年前の出来事を、括弧で閉じる作劇も上手い。

成人した宏伸が、現在から過去を振り返ることで、なかなか明かされない温子のお相手が誰なのか、そして式を撮影するために呼ばれた“カメラマン”の謎も興味を引っ張り飽きさせないのだ。
もちろん、これもキャラクター造形が魅力的で、出てくる人ほぼ全員に感情移入ができるがこその作り。
パノラマカメラという未知の存在との出会いによって、引っ込み思案だった宏伸の周りには少しずつ人が集まるようになり、その分笑いと喜びも増えてゆく。
あの人はどうなったんだろう?あの人は幸せになれたのだろうか?とついつい、登場人物たちの行く末が気になってしまう。
そう、102分のちょっとノスタルジックな青春体験が終わった時、この映画の愛すべき登場人物たちは、確実に観客の心の中で生きている。
モチーフが持つアナログな手作り感覚を見事に生かした、瑞々しい青春映画の傑作だ。

今回は愛知のご当地ビール、その名も「金しゃち 青ラベル(ピルスナー)」をチョイス。
母体となっている盛田株式会社はあのソニーの盛田昭夫の実家で、一時ソニーの筆頭株主だったこともあるという。
元々明治時代に三ツ星麦種としてビールを手がけていたのだが、2008年に盛田金しゃちビールとして復活。
青ラベルは正統派のピルスナーで、フルーティーな香りに、軽やかな喉越しが楽しめる。
これからの暑いに夏に、ぴったりの一本だ。

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30年後の同窓会・・・・・評価額1700円
2018年06月22日 (金) | 編集 |
人生とは、割り切れないものだけど。

「6才のボクが、大人になるまで。」など、個人史を描く数々の秀作で知られるリチャード・リンクレイター監督が、ダリル・ポニックサンの小説を原作に、30年ぶりに再会したベトナム帰還兵たちの人生の道行を描いたロードムービー。
イラク派兵中だった海兵隊員の息子を失ったドクと、場末のバー店主として酒浸りの生活を送るサル、破天荒だった過去を捨て、牧師となったミューラーを、スティーヴ・カレル、ブライアン・クランストン、ローレンス・フィッシュバーンという、いぶし銀の名優たちが演じ、見応えたっぷり。
ドクの息子の遺体を引き取り埋葬するため、彼らはハプニング続出のアメリカ北東部を巡る長い旅に出ることになる。
30年前に起こったある事件で、それぞれに人生を狂わされた三人は、予期せぬ旅を通して過去と向き合い、人生の欠落を取り戻してゆく。

小ネタの効いた笑いと、じんわりとした涙、リンクレイターならではの味わい深い秀作である。

2003年。
バージニア州ノーフォークで、バーを営むサル(ブライアン・クランストン)の元へ、ベトナム戦争の戦友で30年間音信不通だったドク(スティーヴ・カレル)が現れる。
飲み明かした二人は、過去を捨て今は牧師となったもう一人の戦友・ミューラー(ローレンス・フィッシュバーン)を訪ね、ドクは最愛の妻に先立たれたこと、一年前に出征した海兵隊員の息子ラリーが、2日前にイラクで戦死したことを告げ、息子の遺体を受け取り埋葬する旅に、二人の同行を依頼する。
ノーフォークからワシントンDCへ、そこから遺体が到着するデラウェア州ドーバー空軍基地へ。
息子との対面を果たしたドクは、軍の公式発表に嘘があることを知り、国立アーリントン墓地への埋葬を拒否し、故郷のポーツマスへ埋葬することを決める。
しかし、トラック会社でテロリストに間違えられて、やむなくラリーの戦友で軍のお目付け役チャーリー・ワシントン(J・クイントン・ジョンソン)と共に列車で遺体を運ぶことに。
やがて、30年前に起きたある事件によって、人生が変わってしまった三人の心に変化が訪れ、彼らは封印してきた記憶に向き合おうとするのだが・・・・


アメリカ市民であり、同時に軍人であることのジレンマを、これほどウィットに富んだ表現で描いた作品があっただろうか。
2005年に出版されたダリル・ポニックサンの原作「Last Flag Flying」は、ハル・アッシュビー監督の映画でも知られる、「さらば冬のかもめ(The Last Detail)」の30年後を描く続編小説だ。
「さらば冬のかもめ」はベトナム戦争末期の時代を背景に、ジャック・ニコルソンとオーティス・ヤング演じる海軍下士官バダスキーとマルホールが、ランディ・クエイドが好演する罪を犯した新兵のメドウズを軍刑務所まで護送するロードムービー。
ベテラン下士官が、ちょっとオバカな新兵に抱いた奇妙なシンパシーと友情を描き、ニコルソンとクエイドがアカデミー主演男優賞・助演男優賞へのダブルノミネートを果たした、アメリカン・ニューシネマの名作である。

当初リンクレイターは、既に亡くなっていたヤングを除くニコルソンとクエイドの出演を想定し、「さらば冬のかもめ」の正式な続編として本作を構想していたようだが、結局実現するまでに30年どころか45年が経過し、ニコルソンは歳をとりすぎて事実上引退してしまった。
そこでリンクレイターとポニックサンは、キャラクター名と過去の事実関係を若干変更して脚色し、“精神的続編”として再構成したのだが、キャラクター造形などには依然強い影響が見られ、クランストンがニコルソンで、フィッシュバーンがヤング、カレルがクエイドの役の30年後の姿だということは容易にイメージできる。
ちなみにヤングは、晩年俳優から牧師に転身し聖職者として活動していたので、本作でフィッシュバーンが演じるミューラーが牧師設定なのは、このあたりから来たアイディアなのかもしれない。


なぜドクは、長い間疎遠だった二人を誘ったのか。
歳月が変えたようで変わっていない三人のお笑い珍道中を通して、次第に彼らの中にある葛藤が顕在化してくる構図。

浮かび上がるのは、国家の戦争と個人の戦争の乖離だ。
アメリカの40年代は第二次世界大戦、50年代は朝鮮戦争、60、70年代はベトナム戦争、90年代の湾岸戦争、ゼロ年代から今は終わりなき対テロ戦争。
大きな戦争の無かった80年代も、グレナダ侵攻やパナマ侵攻といった小規模の戦争があった。
真珠湾攻撃による孤立主義の終焉後、ほとんど途切れなく何らかの戦争を遂行してきたアメリカ。
劇中の「すべての世代に戦争がある」という台詞は、リアルな現実なのである。

しかし、ファシズムの脅威があり、大日本帝国による本土攻撃にも晒された第二次世界大戦を除けば、その他の戦争の大義は曖昧だ。
三人が戦ったベトナム戦争も、ドクの息子が命を落としたイラク戦争も、アメリカの安全が直接脅かされた訳ではない。
ベトナム派兵はフランスが手を引いたインドシナ半島が、共産勢力に飲み込まれるのを防ぐためだったし、イラク戦争の大義とされた大量破壊兵器は結局存在しなかった。
国家の戦略上何らかの意味はあっても、派遣された軍人個人にとっては何ら意義を持たない戦争
アメリカ人であり、兵士である登場人物たちは、平和に暮らすことを願う一市民としての立場と、命令されれば世界の何処へでも戦いに行く兵士としての立場の違いが生み出すジレンマに、どこかで折り合いをつけねばならない。

多くの人が「何のために?」と疑問に思う戦争でも、軍は「あなたの息子は犬死でした」と言う訳にはいかないので、英雄を作りたがる。

たとえ、それが嘘だったとしてもだ。
軍が息子の死の真相を隠蔽しようとしていることを知ったドクは、名誉ある英雄としてアーリントン墓地に葬ることを拒否し、愛する息子として故郷の地に埋葬することを選ぶ。
ドーバーからポーツマスへ、嘗ての「さらば冬のかもめ」の道程を辿りながら、三人は戦場で失われる命の意味と改めて向き合うこととなる。
ちょうど彼らの旅の間に、逃亡していたサダム・フセインが拘束されるのだが、ドクが同じ息子を失った父親として、フセインの心に思いを巡らせるのが印象的。
戦場で殺しあっているのは、同じように家族を持つ人間なのだ。

そして三人の心の奥底に、30年間棘のように突き刺さっているある事件の記憶が蘇ってくる。
この事件の詳細に関してはあえて語られないのだが、三人の思慮を欠いた行動によって、死ななくてもよかった一人の兵士が命を落としたということらしい。
そして真相を告白するために、亡くなった兵士の母親を訪ねた三人は、母親が軍の発表した“嘘”を信じ、息子が英雄として死んだと思っていることを知り、何も言えなくなってしまう。
親として軍の隠蔽に激怒したドクも、立場を取り替えれば自らの中にも同じ思考があり、それを否定することができないことを知る。
人間誰しも裏表があるように、人間が作る国家にも本音と建前のジレンマがある。
その戦争に本当に意味があるのか、為政者が戦死者に捧げる哀悼の意はどこまで本物なのか、愛国心は本当に国家のためになるのか。

リチャード・リンクレイターは、国家と個人のあり方に様々な疑問を投げかけながらも、家族への愛、長年の友情といった個に立脚した価値観は最大限肯定する。
思えば、彼は自らの人生で経験した様々なプロセスを映画に織り込むことで、私小説的な自分史を語ってきた。
集大成的な「6歳のボクが、大人になるまで。」で、子供が親元を離れて独立するまでを描き上げてたリンクレイターだが、本作は一歩引いた視点で、一人の成熟した大人として、子供の未来を案じる親として、全ての世代に伝えたい想いを強く感じさせる。
アメリカ人として、子を愛する心と国を愛する心が、悲しみと矛盾を抱えなくて済むにはどうすればいいのか、トランプの時代に対する大きな問いかけを含む、思慮深い寓話である。
喪失の深い悲しみを繊細に表現するスティーヴ・カレルが素晴らしく、ローレンス・フィッシュバーンとブライアン・クランストンの、丁々発止の掛け合いは最高に楽しい。
彼らの円熟の演技を見るだけでも、十分に価値に価値のある秀作だ。

しかし2003年には、これが戦争が戦争を呼ぶ終わり無き戦争の時代のはじまりだとは、誰も知らなかったんだなあ。

今回は、サルの店で飲みたい「ワイルドターキー」の13年をチョイス。
オースチン・ニコルズ社は、1855年創業。
元々野性の七面鳥狩りに訪れるハンターたちが顧客だったことから、この名を付けたという。
同社は元々蒸留所を持たず、購入した原酒をブレンドしていたのだが、1971年にバーボン・ウィスキーの聖地、ケンタッキーの伝統ある旧リピー蒸留所を買収して以来、一貫して自社生産している。
オーク樽で熟成された13年ものは、フルーティな香りと繊細な甘みを伴う深いコク、独特のスパイシーな後味が特徴。
比較的安価なので、二日酔いするまで飲んでも財布が痛まないのも嬉しい。

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ショートレビュー「ファントム・スレッド・・・・・評価額1700円」
2018年06月18日 (月) | 編集 |
二人で、愛と狂気を縫い上げる。

異才ポール・トーマス・アンダーソンの最新作は、まさにこの人にしか作り得ない、驚くべき怪作である。
イギリスの社交界を彩る女性たちのために、ゴージャスなドレスをデザインする、レイノルズ・ウッドコックと、彼のミューズとなるアルマの、奇妙で狂おしいサスペンスフルな愛の物語だ。
レイノルズのモデルとなっているのは、20世紀の伝説的オートクチュールデザイナー、チャールズ・ジェームズ。
ファッションの世界には全く疎いので、超がつく高級服ばかり作っているこの人のことは全然知らなかった。
映画はイギリスが舞台だが、実在のジェームズはこの時代はニューヨークで活動していて、48歳の時に、20歳以上年下のナンシー・リー・グレゴリーと結婚しているので、映画はこのあたりの出来事を引用しつつ、フィクションとして構成している様だ。

例によって登場人物は相当にエキセントリック。

いい歳をして独身のレイノルズは、仕事は超一流だが、とにかく面倒くさい男で、自分の世界を邪魔されるのが絶対に嫌。
付き合う女性はいるのだが、彼女が自分の領域を侵す様になると、躊躇なく別れてしまう。
ちょっと発達障害があるのではないかと思わされるほど、気難しい彼をコントロールできるのはビジネスを取り仕切る姉のシリルだけ。
この役を演じるために一年間ドレス作りを勉強したという、ダニエル・デイ・ルイスはいつもながら文句なしの名演だ。
徹底的な人物造形によって、驚くべき説得力で天才レイノルズを演じきった。
一応、本作で俳優引退するらしいが、この人以前も靴職人になったりしてたから、またやりたい役があれば復帰するのだろう。

ある日、田舎の別荘に向かったレイノルズは、食事に入った店でウェイトレスとして働いていたアルマに理想の体型を見出し、ロンドンへと連れ帰る。
出会っていきなり、彼女の体を採寸しはじめるシーンの何と官能的なことか。
レイノルズは、アルマをモデルとして、上流階級の女性たちを夢中にさせる傑作を次々に作り出してゆき、彼女もまた彼との仕事を通して未知の世界を知り、洗練されてゆく。
二人はデザイナーとモデルの関係を超えて、愛し合うようになるのだが、周りに自分のルーティンを崩さないように厳格な配慮を要求するレイノルズの態度は、アルマに対しても同じ。

まだ若いアルマは自分の愛を拒絶されている様に感じ、当然反発するのだが、レイノルズは全く変わろうとせず、二人の間には次第に冷たい空気が漂う様になる。

都会の上流階級の中で生きてきたレイノルズと、素朴な田舎の環境で育ったアルマ。
ジェネレーションギャップにプラスして、カルチャーギャップがぶつかり合い、これだけだと典型的な年の差恋愛の失敗例に見えるのだけど、さすがポール・トーマス・アンダーソン、男女の間も一筋縄ではいかないのだ。
以前のモデル兼恋人であれば、このあたりで手切れ金を払って終わらせる関係なのだが、ファムファタールであるアルマは違う。
傲慢な王を籠絡し、手のひらに留め置くため、彼女はとんでもなく過激な手段を取る。
てっきりこのまま愛はぶっ壊れてゆき、レイノルズとアルマは悲劇的な結末を迎えるのだと思い込んでいたのだが、葛藤の末に二人が導き出したソリューションには、驚きすぎて思わず「え゛っ(゚o゚;;!」っと声出しそうになった。
奇妙に捻じれた縁で繋がった二人の、破綻ギリギリ、いや破綻しながらの驚くべき愛と支配の構造。

正直、分かる様な分からん様な・・・
。
まあ愛のカタチは人それぞれだし、本人たちが幸せなら良いのだろうけど。

殆ど鳴りっぱなしのジョニー・グリーンウッドの優美で格調高く、どこか陰鬱な音楽。
まるで塔の様な構造を持つロンドンの自宅兼作業場と、アルマが陰謀を巡らす田舎の別荘のコントラストが面白い心理効果を上げている。

「Phantom Thread」は直訳すれば「幽霊の糸」だが、Threadという単語には他にも「捻じれたもの」だったり「人間の寿命」や「(話の)脈略」などの意味があり、映画を見ると幾つもの含意を感じ取れる粋なタイトル。
いかにもこの作家らしい、実にトリッキーで味わい深い秀作だ。

今回は、その名もずばり「ファントム」をチョイス。
スペインのリキュール、リコール43を30ml、アブソルート・ウォッカ30ml、適量のミルクを氷で満たしたタンブラーに注ぐ。
リコール43独特のフルーティな甘みとウォッカとの相性は良く、ミルクが全体をマイルドにまとめ上げる。
これからの季節にはアイスクリームを溶かして、大人のミルクセーキにするという裏技で味わってもいい。

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ショートレビュー「ゲティ家の身代金・・・・・評価額1650円」
2018年06月15日 (金) | 編集 |
母が戦う相手は、巨大な“帝国”だった。

リドリー・スコット久々の非SF作品は、作家の特質にぴったり合ってなかなかの手応え。

1973年に、アメリカの石油財閥、ゲティ家の孫である17歳のジョン・ポール・ゲティ三世がイタリアで誘拐され、1700万ドルという巨額の身代金を要求された実際の事件の映画化。
もっとも、誘拐事件の身代金としては巨額だとしても、当時世界一の大富豪と言われたゲティ家からすれば大した額ではない。
さっさと支払って、解放されるはずだった。
ところが、ジョンの祖父で当主のジャン・ポール・ゲティは支払いを拒否。
「私には孫が14人いる。もし身代金を払えば、他の孫たちも誘拐されるかもしれない」という理由だったが、実はこの男もの凄いケチなのである。
見返りのない支出である税金と身代金は、彼の価値観ではどちらも払うべきでない無駄金という訳だ。

いやー、もちろん人にもよるのだろうけど、金持ちのメンタルってメチャクチャ面倒くさい。
トランプを相手にする世界の政治家が、勝手が違って苦戦する理由もこの映画を観るとよく分かる。
徹底的な利己主義をテーゼとする彼らにとって、この世はすべて損得勘定で成り立っていて、原則的には利他を前提とする政治とは、最初から水と油なのだ。
ジョンは確かにゲティ家の孫だが、ミッシェル・ウィリアムズ演じる母親のアビゲイルは、夫のジョン・ポール・ゲティ二世と、財産分与を求めない代わりに息子の親権を持つ条件で既に離婚済み。
彼女には1700万ドルもの身代金はとても払えないが、享楽に溺れジャンキー状態の元夫は全く頼りにならず、関係の良くない元舅に助けを求めざるを得ない。
ところがゲティは孫の危機にも支払いを渋り、代わりに犯人と交渉して身代金を値切るためのネゴシエイターを送り込んでくるのだ。


浮かび上がるのは、様々な形で人間を狂わせる金の恐ろしさ
実際にジョンを誘拐し、身代金を要求する犯罪者たちのやっていることは当然悪なのだが、それでも彼らはワルを自認している分単純。
誘拐も、生活のために日銭を稼ぐことの延長線上に過ぎない。
原題の「ALL THE MONEY IN THE WORLD」の通り、この世の金すべてが欲しいゲティ爺さんの心の闇の方がより暗く、より深く感じる。
何しろこの男、孫の身代金は渋る一方で、もっと高い美術品は躊躇いもなく買い漁る。
ゲティにとってはたとえ使えなくても、使い道がなくても、ため込むこと自体が目的であり、生きがいになっていて、まさに金を支配し、金に支配された男なのだ。
誰に見せるのでもなく、膨大な美術品をコレクションしているのも、資産をカタチとして残しつつ、所有を実感する一つの方法。
金持ちは一度手に入れたものは何としても手放したくなく、だからこそ金が溜まるというが、ゲティはその典型だ。

この常軌を逸した業突く張りに、いかにして身代金を出させ、孫を救い出すのか。
誘拐犯とドケチ舅、同時に二つの敵と戦わざるを得ないアビゲイルの葛藤を軸に、物語はスリリングに展開する。

三つのプロットが絡み合い、金に翻弄される悲しき人間たちが描き出されるクライマックスは、スコット節が冴え渡り、事件の顛末を知っていても手に汗握る。
実際に起こったこととは時系列を変えてある様だが、映画的脚色として成功していると思う。
最終的にゲティは、大幅に値切った身代金を出すことに合意はするのだが、それすら所得から控除させて節税に使い、控除できない分は息子のジョン二世に借金として貸し付けるのだから、その執念は凄まじい。

文字通りの金の亡者であるジャン・ポール・ゲティを、憎たらしくも味わい深く演じるクリストファー・プラマーが素晴らしい。
セクハラ騒動でケビン・スペイシーが降板した後、わずか9日で撮り直したそうだが、にわかには信じがたいクオリティだ。
最終的に、「お天道様は見ていた」的な、庶民が溜飲を下げる展開になるのもホッとさせる。

劇中でゲティが計画している古代ローマ風の大邸宅は、現在は彼の膨大なコレクションを展示するJ・ポール・ゲティ美術館として公開されているので、こちらを観覧したことのある人には、より感慨深い作品だと思う。


今回は金に狂わされた人間たちの話なので、「ゴールドラッシュ」をチョイス。
アクアヴィット30mlとドランブイ20mlを、氷を入れたグラスに注ぎ、ステアして完成。
非常に強く、個性の違う二種類の酒で作るのだから、口に含んだ瞬間ガツンとくる。
ドランブイの甘みと香りがいいアクセント。
しかし、いつも窒息寸前の身としては、「金は空気と同じだ。いくらでもある」なんて一生に一度くらいは言ってみたいものだ。

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ショートレビュー「メイズ・ランナー:最期の迷宮・・・・・評価額1550円」
2018年06月13日 (水) | 編集 |
友を救うか、世界を救うか。

謎の巨大迷路に挑む若者たちの冒険を描く、ジェイムズ・ダシュナー原作、ウェス・ボール監督のSF三部作の完結編。
主演のディラン・オブライエンの怪我で現場が一旦バラしになったらしく、一年遅れての完成。
おかげで2作目の記憶がちょっと怪しかったのだが、観てると直ぐに大筋は思い出してきた。
もともと割と雑なプロットだし、ぶっちゃけ細かいところは覚えてなくても問題ない。

第1作の「メイズ・ランナー」では、名前以外の記憶を失った若者たちが、朝になると入り口が開き、夜になると閉じられ、刻々とその構造を変化させる迷路の内側に閉じ込められている。
この世界に新たに送り込まれたトーマスは、仲間を率いて謎を解き、死の迷宮を突破する。
第2作「メイズ・ランナー2:砂漠の迷宮」では、迷路がWCKDという組織の管理下にあり、世界に蔓延するフレアウィルスの抗体を持つ若者たちを被験者とした実験であったことが明かされる。
連行された施設から逃れたトーマスたちは、砂漠に住む反乱軍ライトアームと合流するも、WCKDに攻撃される。
そして最終章の第3作は、フレアウィルスをキュアする 血清の“原料”として連れ去られた仲間のミンホを追って、トーマスと決死隊がWCKDの本拠地“ラスト・シティ”に潜入。
まるで「進撃の巨人」に出てくるような、巨大な壁に守られた人類最後の都市が最後の舞台だ。

前作のラスト直後から始まるノンストップ活劇は、シリーズベストと言っていい。
ミンホが乗った列車を空と陸から追撃するという、「ワイルド・スピード」シリーズを思わせるダイナミックなアクションシークエンスで、まずは心を掴まれる。
しかし、巨大な迷路の謎解きが全てだった第1作、その解がさらなる世界観の謎を呼んだ第2作に対して、本作では既に全ての謎は解けていて、ナゾナゾの連続で興味を保つ手はもう使えない。
はたしてどう展開させるのかと思っていたが、本作の作り手はここまでじっくり描きこんで来たキャラクターたちの、本格的なドラマを見せてくれる。
主人公トーマスの最大の葛藤は、前作までは生き残ることだった。
仲間を率いて、ステージの謎を解き明かし、追いすがる敵を出し抜けばそれでいい。
しかし今回、彼は自らの意思で友を救うため死地に赴くのだ。

トーマスとWCKDに寝返った元カノのテレサが、愛憎相半ばしながらテーゼとアンチテーゼを体現。
たった一人も見捨てぬトーマスと、人類全体のためなら犠牲もやむなしとするWCKDは、マクロとミクロで視点を入れ替えれば、どちらも“正しいこと”をしようとしているだけ。
一体どちらが正しいのか、自分のなすべきことは何か、特別な宿命を背負ったヒーローのジレンマがトーマスの信念を揺さぶり、ドラマチックに苦悩する。
もっとも立場の違う利他的な善玉が右往左往しているだけでは盛り上がらないので、とことん外道な敵役は腐れ縁のジャンソンが担当。
ターミネーター並みのしつこさで、戦いをサスペンスフルに盛り上げる。

前半若干停滞する時間もあるし、ディテールの雑さは相変わらずだが、前作までの遺産も効果的に伏線化し、複数のエピソードが重層的に同時進行するクライマックスはスリリングで、人間ドラマとしても見応えがある。
大きな犠牲をはらった結果、導き出されるビターな結末も納得できるもの。
第1作の巨大迷路から第2作のトラップが待ち受ける砂漠、そして本作の未来都市と、トーマスたちが実際に“メイズ・ランナー”だったのは一本目だけだったが、手を替え品を替えて楽しませてくれた。
さすがに世界観のインパクトは薄れたが、活劇としてもドラマとしても、“有終の美”と言っても良いのではないか。
星を受け継ぎ、人類を救うものの物語だ。

今回はランナー繋がりでメイズ・ランナーならぬ「ロード・ランナー」をチョイス。
ウォッカ30ml、ディサローノ・アマレット15ml、ココナッツ・ミルク15mlをシェイクし、グラスに注ぎ、ナツメグを軽くふりかける。
ドライなウォッカを、ディサローノ・アマレットとココナッツ・ミルクが甘酸っぱくてまろやかな味わいに演出。
ナツメグの甘い香りが、文字通り良いスパイスになっている。

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ワンダー 君は太陽・・・・・評価額1700円
2018年06月10日 (日) | 編集 |
小さな勇気が、世界を変えてゆく。

穏やかな春の太陽に照らされるような、ほっこりした気持ちになれる一本だ。
遺伝子の異常で起こるトリーチャー・コリンズ症候群という難病により、顔が変形してしまった少年オギーが主人公。
生まれてから入退院と手術を繰り返してきた彼は、10歳にしてようやく容体が安定し学校へ通える様に。
ジュリア・ロバーツとオーウェン・ウィルソンが演じる両親は、オギーがいじめのターゲットになるのではないかと苦悩するが、彼のこれからの人生を考えて決断する。
R・J・パラシオの小説「ワンダー Wonder」を映像化したのは、自作の小説を自ら映画化した「ウォールフラワー」で注目を集め、ディズニーの実写版「美女と野獣」の脚本家としても大ヒットを飛ばしたスティーブン・チョボスキー。
下手をすれば安っぽいお涙ちょうだいに陥ってしまいそうな題材だが、チョボスキーはこの困難を抱えた一家に優しく寄り添って繊細に描き、非常に優れた感動作に仕上げている。
これは、オギーが初めて学校へ通い、大きな成長を遂げる一年間の物語だ。

オーガスト(オギー)・プルマン(ジェイコブ・トレンブレイ)は、ニューヨークのノース・リバー・ハイツに住む10歳の少年。
先天性の遺伝子疾患により、27回ものの手術を受けなければならなかったオギーは、両親のイザベル(ジュリア・ロバーツ)とネイト(オーウェン・ウィルソン)から、ホームスクールで教育を受けてきたので、生まれてから一度も学校へ行ったことがない。
ようやく治療が一段落し、両親は中等部入学の時期が近づいているオギーを、私立学校の5年生に入学させることにする。
しかし、オギーの顔は病によって変形してしまっていて、彼の姿を見た生徒たちはショックを受け、なかなか仲間として受け入れてもらえない。
そんな中、ジャック・ウィル(ノア・ジュプ)という少年と友達になったオギーは、少しずつ学校生活に馴染んでいく。
だがハロウィンの日に、オギーはジャックがいじめっ子のジュリアン(ブライス・ガイザー)に言ったある言葉を聞いてしまう。
それはオギーにとって、大きな裏切りに他ならない言葉だった・・・・


原作者のR・J・パラシオがこの小説を書いたのは、彼女が体験したある事件が切っ掛けになったと言う。
パラシオが三歳の息子とアイスクリームを買うために並んでいると、その列に顔面が大きく変形した少女がいて、息子が怖がって泣き出してしまった。
彼女は事態を悪化させまいと息子を連れ出したのだが、結果的に少女を傷つけてしまったと考えたのだ。
その夜、偶然ラジオから流れてきた、先天性疾患を持つ子供たちのことを歌ったナタリー・マーチャントの楽曲、「Wonder」からもインスパイアを受けた彼女は、特別視される側からの視点で、勇気ある少年オギーの物語を執筆。
2012年に出版されると、高い評価を得て数々の児童文学賞を受賞することになる。

たとえ三歳の幼児でなくても、感情がストレートに行動に表れる子供たちの世界は純粋で、時に残酷だ。
「スター・ウォーズ」が大好きで、宙飛行士に憧れているオギーは、いつもおもちゃの宇宙飛行士のヘルメットを被っている。
度重なる整形手術によって“普通”に近づいたとは言え、彼は自分の顔が他の子供たちとは違うこと、自分を見た彼らがどんな反応をするのか、十分に理解しているのだ。
実際、ヘルメットを脱いだオギーに生徒たちは驚き、好奇心を剥き出しにし、じろじろと遠巻きに眺める。
やがて生徒たちは「ペスト菌がうつる」と、彼と関わることを避けるようになってしまうのだ。
オギーを拒絶するのは子供たちだけでなく、一部の保護者まで理不尽な反応を示す。

だが一方で、彼のことを見た目は変わってるけど面白い奴だと思って、ジャックのように受け入れる生徒もだんだんと増えてゆく。
学校に行けない息子を愛情たっぷりに教育した両親によって、オギーはウィットに富んだ知性を持つ、勇敢な少年に育っていたのだ。
どんな困難な時でも、必要なのは小さな勇気と諦めない行動力。
一年に渡るオギーの学校生活は、両親の危惧どおりイジメに走るものも出てくるが、彼は周りの人々の愛を背に受け少しずつ状況を変えてゆく。
見た目ではなく内面の魅力を武器にして、オギーは自らの力で学校での居場所を作り出してゆくのである。

本作のユニークな点は、全体の中盤部分が登場人物の名前を章題とする、幾つかのパートに分かれていること。
先ずは初めて学校に通うオギーと両親の葛藤を軸にしながら物語が進むが、今度は周りの人々の視点で物語が語られるユニークな構成。
難病の弟を育てる両親の前で、ずっと良い子を演じ続けてきた姉の“ヴィア”、いつしか疎遠になってしまったヴィアの親友の“ミランダ”、そしてオギーの初めての友達となり、ある言葉で彼を傷つけてしまう“ジャック・ウィル”。
オギーという石の立てた波紋が、子供たちの小さな世界から始まって、徐々に彼を取り巻く世界に波及し、人々の内面に隠されていた様々な感情が見えてくる。
そして、それによってオギーのキャラクターとしての魅力もさらに深まってゆく。
徐々に重層化する筋立ての妙と、さりげなく丁寧な心象描写の積み重ねは、「ウォールフラワー」にも通じるチョボスキー監督の特質だろう。

キャラクター造形も、主要な登場人物は全員がどこか感情移入出来るようになっていて、「ルーム ROOM」で脚光を浴びたジェイコブ・トレンブレイはじめ、子供たちのナチュラルな演技も素晴らしい。
寓話的物語の中で、それぞれが果たすべき役割を持っているのだけど、単純なステロタイプには決して陥らないのだ。
オギーとの出会いによって誰もが何かしらの影響を受けて、人生を変えてゆく。
それは彼の家族や友達だけでなく、いじめっ子のジュリアンもそうだし、周りの大人たちだって例外ではない。
そして、子供たちと充実した一年を共に過ごし、観客もまた成長してゆく

アメリカでは五万人に一人の子供たちが、トリーチャー・コリンズ症候群に冒されていて、原作小説と映画は患者の子供たちや親たちに大きな勇気を与えているだけでなく、学校での啓蒙にも使われているそう。
実際、オギーの持つ“特別な顔”は、国籍や肌の色、体型、性的指向、体や心の病など、他の事象に置き換えて考えることができるので、人と違うことを理由とした陰湿ないじめや差別にどう対応するべきなのか、大きなヒントになるのではないだろうか。
子供のいる親御さんには、是非親子でこの映画を鑑賞することをおすすめする。
偏見を取り除いて、その人の本当の姿を見れば、私たちはお互いにもっと親切に、優しくなることができるはず。
日本でもなるべく多くの人たちに観ていただきたい、示唆に富む愛すべき作品である。

ところで、本作でも「レディ・バード」と同じく、ヴィアとミランダの通う学校の演劇クラスが重要な役割を果たす。
採点競技に近い日本の“演劇部”とは違い、誰もが自分を少し変える勇気を持てる場としての演劇。
教えられる教師がなかなかいないのだろうけど、こういうのは日本の学校でも授業の一環としてやれば良いのに。

今回は、舞台となる「マンハッタン」の名を持つカクテルをチョイス。
カナディアン・ウィスキー45ml、スウィート・ベルモット15ml、アンゴスチュラ・ビターズ1dashミキシンググラスでステアし、カクテルグラスに注いだ後ピンに刺したマラスキーノチェリーを沈めて完成。
この美しいカクテルの起源に関しては諸説あるが、あの英国首相ウィンストン・チャーチルの母、ジェロニー・ジェロームが発案者だという説もある。
1876年にマンハッタン・クラブで開かれた民主党大統領候補の応援パーティで、即興で作ったカクテルで、後に会場の名前からマンハッタンと呼ばれる様になったのだそうな。
本当かどうかは分からないが、その名の通り華やいだ大人のカクテルだ。

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デッドプール2・・・・・評価額1700円
2018年06月08日 (金) | 編集 |
デップー、男の純情。

20世紀FOXが権利をもつ「X-MEN」シリーズのスピンオフ、神をも恐れぬ無責任ヒーロー「デッドプール」の第二弾。
タイトルロールを演じるのは、もちろん“カナダ人”のライアン・レイノルズ。
コロッサスやネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッド、タクシー運ちゃんのドーピンダーら続投組に加えて、新キャラクターも続々登場して賑やかだ。
前作で予想外の大ヒットを飛ばしたティム・ミラー監督は、ジェームズ・キャメロンが復活させる「ターミネーター」の新作の方に行ってしまったので、今回は「ジョン・ウィック」で犬を殺したヤツことデヴィッド・リーチが監督を務める。
R指定なのをいいことに、冒頭のまさかのシチュエーションから悪ノリ全開、下ネタ、バイオレンス、ブラックジョークが次々と炸裂する。
でも、今回は以外といい話だぞ。
※核心部分に触れています。

エイジャックスとの戦いから2年。
デッドプールことウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)は、ガールフレンドのヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)と暮らしながら、世界各国のマフィアやヤクザ組織と戦い続けている。
ある日、ウェイドはコロッサス(ステファン・カピチッチ)とネガソニック(ブリアナ・ヒルデブランド)と共に、手から炎を放つことができるミュータントの孤児・ラッセル(ジュリアン・デニソン)が養護施設で大暴れする事件に出動。
ウェイドはラッセルを制圧するものの、彼が施設の職員に虐待されていたことを知り、職員を射殺したことでラッセル共々ミュータント専用の刑務所“アイス・ボックス”に送られる。
ここではミュータントの能力が封じられ、ウェイドの癌も再活性化し、彼の命も風前の灯。
そんな時、ラッセルの命を狙い、未来からやって来たサイボーグの傭兵・ケーブル(ジョシュ・ブローリン)がアイス・ボックスを急襲。
ウェイドはケーブルと戦い、共にアイス・ボックスの外へと落下する。
実はラッセルは未来の世界ではヴィランとなっていて、ケーブルは彼が悪の道に染まる前に殺しに来たのだ。
ウェイドはラッセルを救い出すため、独自のチーム“X-Force”を結成するのだが・・・


いやー大いに笑かしてもらった。
軽々と前作を超えてきたな。
色んな映画のパロディを組み合わせて、全然とっ散らかった感無しに、ここまでちゃんとした話が作れるのが凄い。
前作はかなり面白かったのだけど、テンポの悪さが気になっていた。
脚本チームがほぼ同じなのに、今回はずっと軽快なのは、やはり監督が交代したからか。
とはいえ、デヴィッド・リーチがメガホンを取った「アトミック・ブロンド」も、それほどいいテンポではなかったし、アメリカのことだから編集の交代の方が大きいのかも。

ある意味で宿命のライバルであるローガンへの恨み節から始まり、そこからもう「007」から因縁のDCヒーローまで、ヤバ目の大ネタ小ネタがノンストップのつるべ打ち。
将来ヴィランになる男を子供のうちに殺すため、未来から暗殺者がやって来るという設定からして、「ターミネーター」の完全な裏返しなのだが、後述する様に半分身内の“あの映画”にも被ってくる。
スプラッタなアクションやきわどい下ネタも含めて、メジャーのスーパーヒーロー映画で、ここまで自由にやりたい放題な作品も無いだろう。
ネガソニックを突然レズビアン設定にしただけじゃなく、デップー自身にもちょいバイセクシャルっぽさを出しといて、ポリコレ対策も抜かりはない(笑
例によって、デップーが演劇用語で言うところの“第四の壁”を超えて、スクリーンのこっちに色々ネタを振ってくるのも面白い。
曰く、本作は子供には見せられないけど、ファミリー映画なのだそう。

確かに、本作では子供と家族の存在が重要なファクターとなっている。
デップーは悪漢の復讐によって、序盤でいきなり愛するヴァネッサを失う。
この世に絶望したデップーは、なんとか死んで彼女の元へ行こうとするのだが、いかんせん彼は不死身ゆえに、体を引き裂かれようが、爆発しようが再生してしまう。
天国で待つヴァネッサに「心が正しい所にない。子供は私たちを成長させてくれる」という謎めいた言葉を投げかけられたデップーは、その“子供”こそがラッセルのことだと考える。
ラッセルは自分を虐待した養護施設の院長に対する復讐心に駆られ、ダークサイドの淵に立って今にも落ちそうな状態。
一番大切な人を失ったデップーが、再び彼女に会う(死ぬ)ために、ラッセルを救おうとするが本作の骨子だ。
一方のケーブルは、未来の世界でヴィランとなったラッセルに妻子を殺されて、それを阻止するために子供時代のラッセルを殺そうとしている。
これは、愛するものを失った二人の異形の傭兵の物語でもあり、ケーブルはデップーと同じ傷を抱えた鏡像なのだ。
デップーが命をかけて負の連鎖に陥ったラッセルとケーブルを救い、二人もまたそれに応えるあたりは、ぶっちゃけいい話過ぎてちょっとウルっと来てしまったぞ。
まあ、最終的にはこのキャラクターらしい、チャラけたところに落とすのだけど。

前作では丸刈りの野球少年風だったネガソニックが、急に綺麗になってて驚いたが、新キャラクターも皆いい感じに立っている。
全員お笑い要員の“X-Force”は、戦いではほとんど役に立たなかったけど、とことんラッキーな女、ドミノのノリは最高だし、何の特殊能力もないおっさんとか、もう存在自体が可笑しい。
「X-MEN ファイナルデシジョン」に出てきた時は、完全に見た目が名前負けしていたジャガーノートも、今回はふさわしいビジュアルを手に入れた。
忽那汐里演じるネガソニックの恋人・ユキオは、もしかすると「X-MEN」系でも出番があるかも。
果たして「デッドプール3」はあるのか?それともそれはライアン・レイノルズが示唆した様に、新シリーズ「X-Force」になるのだろうか?

ところで、本作で哀愁の未来戦士・ケーブルを演じるのは、先日公開された「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」で最強の敵サノスの中の人だったジョシュ・ブローリン。
このキャスティングは偶然かと思っていたのだが、本作を観るとやっぱりあっちをかなり意識しているのではないか。

※ここからは「フィンフィニティ・ウォー」の原作ネタバレあり。

「インフィニティ・ウォー」では、アベンジャーズの主要キャラクターの大半が、サノスの指パッチンによって消滅してしまう。
構成が異なるので映画の続編がどうなるかは不明だが、原作の「インフィニティ・ガントレット」では、サノスからガントレットを奪ったネビュラによって、時間が巻き戻る描写がある。
本作のエンドクレジット中のエピローグではサノス、もといケーブルが放棄したタイムマシンをデップーが直して時間を巻き戻してしまうのだから、これはある意味「インフィニティ・ガントレット」のパロディだろう。
同じマーベルでもスタジオが違うので、ディズニーの「アベンジャーズ」チームと完全に情報がツーカーとは思えないのだが、先にこのネタやられちゃって、向こうは「インフィニティ・ウォー」の続編をどうするんだろ。
デップーにかなりハードルあげられちゃったぞ。
しかし、ヴァネッサの救出はともかく、ついでにあの二人も亡きものにしちゃうとか、レイノルズにとっては本当に葬り去りたい黒歴史なんだな(笑

今回はデップーが“名前を言いたくない”カクテル「シーブリーズ」をチョイス。
氷を入れたシェイカーでウォッカ30ml、グレープフルーツジュース30ml、クランベリージュース30mlをシェイクし、氷を入れたグラスに注ぐ。
ピンク色も美しく、ドライなウォッカにフルーツの甘さと爽やかな酸味が加わり、清涼感を演出する。
デップーには似合わない、特に女性に人気のあるカクテルだ。

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万引き家族・・・・・評価額1750円
2018年06月06日 (水) | 編集 |
生きるために、家族になった。

東京の下町で暮らす、ある大きな秘密を抱えた一家を描く、異色のヒューマンドラマ。
貧しい生活を送る彼らは、家族ぐるみで万引きなどの軽犯罪を繰り返す。
是枝裕和監督は、デビュー作の「幻の光」から昨年の「三度目の殺人」に至るまで、ほぼ一貫して“家族”をモチーフとしてきた。
新生児の取り違えを描いた「そして父になる」で、彼は「家族を形作るのは血のつながりか?それとも共に過ごした時間か?」と問うた。

そして本作では、社会問題と混然一体となった、さらに複雑な問いを観客に投げかける。
今村昌平監督の「うなぎ」以来21年ぶりとなる、カンヌ映画祭の最高賞パルム・ドールの受賞も納得の、期待に違わぬ傑作である。
✳︎核心部分に触れています。

東京の下町。
マンションの谷間にある古びた小さな家に、家主の初枝(樹木希林)とその家族が暮らしている。
治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦と息子の祥太(城桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)の五人家族。
彼らはお金が足りなくなると、食べ物や生活必需品を万引きして調達するという生活を送っている。
冬のある夜、治は近所の団地の吹き曝しの廊下で、寒さに震えながら一人で遊んでいた幼い女の子(佐々木みゆ)に声をかける。
「ゆり」と名乗った女の子を見かね、治は家に連れ帰り体中に虐待の傷跡のある彼女を娘として育てることに。
決して満ち足りてはいない最下層の生活だが、それなりに幸せな日々が続く。
だが、治が仕事現場でケガをして働けなくなり、TVでは「ゆり」が行方不明になったことが報じられる。
そして、祥太の起こしたある事件によって、一家の生活は大きな転機を迎える・・・・


是枝裕和が描く“家族の肖像”は多種多様だ。
1995年の長編デビュー作「幻の光」では、江角マキコが心に深い傷を負った主人公を演じる。
彼女の子供時代に、認知症を患った祖母が失踪し、祖母を止められなかった罪悪感に加えて、数年前に夫を原因不明の自殺によって失ってしまうのだ。
能登の穏やかな日常を背景とした、新しい家族との生活と共に、喪失を抱えた女性の再生のプロセスを描いた秀作だった。
柳楽優弥に日本人初のカンヌ主演男優賞をもたらした「誰も知らない」で描かれたのは、母親にネグレクトされ、子供たちだけで生活する幼い四人の兄妹の物語だ。
それぞれに父親の違う四人が、大人たちの誰にも知られずに、ひっそりと生きて死んでゆく、21世紀の「火垂るの墓」とでも言うべき衝撃作だった。
最近作の「三度目の殺人」は、とある殺人事件の容疑者を担当することになった福山雅治演じる弁護士の視点で、人間の心の持つ複雑な闇、日本の社会の歪みや司法制度の問題にまで踏み込む、ディープな心理ドラマ。
ここでもやはり、家族の在り方が重要な要素となってくる。
そして本作は、上記の三作品を含む過去の是枝作品の全て、1995年から2018年までの24年間を内包する、現時点での集大成と言えるだろう。

リリー・フランキーや樹木希林ら是枝組おなじみの面々、初参加の安藤サクラ、松岡茉優、城桧吏と佐々木みゆ、一家を演じる俳優たちが皆素晴らしい。
特に海のシーンで樹木希林の見せる、なんとも言えない複雑な表情は絶妙だ。 

予告編のナレーションがちょっと誤解を招くのだが、この家族は決して犯罪で生計を立てている訳ではない。
治はケガをする前は建築現場で日雇い労働をしているし、信江はクリーニング工場で、亜紀は風俗店でそれぞれ働いていて、初枝には年金もある。
どうやら亜紀はお金を家に入れないでもいいという取り決めがあるようだが、おそらく月15~25万円程度の世帯収入はあると思う。
もちろん、家族の人数を考えれば典型的なワーキングプアで、貧困層ではあるのだけど、彼らが万引きをするのは、あくまでも生活を補うためだ。
もともと金に対する考え方がルーズな上に雇用形態が不安定で、いつ生活が立ち行かなくなるか分からない。
実際、治が現場でケガをしても労災はおりず、信代は簡単に仕事を切られる。
社会が自分たちを守ってくれないなら、自分たちも社会の決めごとを守る必要もないと、たいして罪悪感なしに犯罪に手を染めるのである。


映画は総尺のほぼ3/4を費やして、この家族の日常をじっくりと描いてゆくのだが、次第に彼らが抱える秘密が明らかになってゆく。
ゆりを含めて三世代六人の家族は、実は誰一人として血がつながっていないのだ。
もともと一人暮らしだった初枝の家に、奇妙な縁で集まって、対外的に家族を装っているだけなのである。
彼らが家族となっていったプロセスは詳しくは語られないが、もともと治と信江が訳ありの恋人同士で、息子の祥太は二人がパチンコ店の駐車場に駐められた車から“救出”したらしい。
亜紀は初枝の別れた夫が、別の女性との間に作った家族の孫で、居づらくなった実家を出てなぜか初枝のもとに身を寄せている。
「そして父になる」で描かれた二組の家族は、息子を取り違えられ、血と時間の間で葛藤するが、本作で描かれる家族には初めから血のつながりなどまったく無いのだ。
彼らを繋ぎ止めているのは、先ずはお金、次に孤独が作り出す縁


本作のエピソードの多くは、貧困と共同体の崩壊がもたらした実際の事件がモデルになっていて、誰もがどこかで「ああ、この話は聞いたことがある」と思えるようになっている。
例えば、親が死んだことを隠して、年金を詐取していた事件が全国で相次いだのは記憶に新しく、親のネグレトで子供が餓死したり、悲惨な状況で保護される事件も後を絶たない。
親が子供に万引きをさせた事件も、しばしば報道されている。
劇中では初枝が亡くなった時、治と信代が年金欲しさに遺体を隠すし、ゆりが行方不明になっても実の親は捜索願を出さない。
治と祥太が釣具店で万引きするシーンは、数年前に大阪で起こった実際の事件がモデルだろう。
これは社会のセーフティネットからこぼれ落ちてしまった人々、あるいはそもそもセーフティネットの存在すら知らない人々の物語であり、映画は決して彼らを擁護しないが、同時に断罪もしない。

群像劇的な構造を持つ物語の、軸となっているのは治と祥太の父子関係だ。
治は「店に置いてある商品は、まだ誰の物でもない(だから盗ってもいい)」と、とんでもない屁理屈を祥太に教えるのだが、祥太もそれを自己正当化のために受け入れている。
しかし、物語の後半になると、治は“誰かのもの”であるはずの車上狙いをするようになり、それまで家族として親しく暮らしていた初枝の遺体を埋めて、彼女が残したへそくりを自分のものにして大喜びする。
自分が属しているのが、普通の家族とは違った、いくつかの理由で一緒にいるだけの集団あり、永遠に続くものではないことを、祥太は少しづつ知ってゆく。
子供の演出に長けた是枝監督らしく、少しずつ変化してゆく祥太の心理描写は、「誰も知らない」の柳楽優弥を思わせて秀逸。
結局、祥太の心に芽生えた小さな正義感が起こした行動によって、一家の様々な犯罪は明るみに出て、偽りの家族は離散することになる。

しかし、この映画は傷ついた彼らを、それ以上痛めつけるようなことはしないのである。
2010年に、親の死亡届を出さずに、遺族が年金を詐取していたことが明るみになった事件は、社会的に大きな怒りを買った。
中央日報紙のインタビューによると、是枝監督は「はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」という。
確かに、あの時はマスコミにもネットにも怒りが沸騰していて、遺族リンチのような有様になっていた。
年金詐取にしろ、万引きにしろ、ぶっちゃけそれほど大した事件ではない。
もちろんお店などの被害当事者にとっては大変な損害だろうし、処罰すること自体は当然のことだ。
だが、直接の被害を受けたわけでもない赤の他人まで、我がことのように怒るのはなぜか。
この映画では、少女を守るという善意による罪を犯した治と信代には罰がくだされ、少女を虐待し、捜索願すら出さなかった実の両親の悪意は、すっかりと忘れられてしまう。
少女は再び、誰も守ってくれない元の環境に戻されてしまうのだ。
登場人物たちにとって、いくつかの問題は解決するが、別のいくつかはそのまま、あるいは悪化したまま。


本作を観ていて、どうしても思い出してしまうのが、先日公開されたアメリカ映画「フロリダ・プロジェクト」だ。
あの映画では住む家を持たず、モーテルに長期宿泊して爪に火をともすようにして暮らす、一組の母娘が描かれるが、実は観ている時に「誰も知らない」を思い出していた。
ドキュメンタリー的な事象へのアプローチ、自然な子供たちの演技というだけでなく、何処へも行けず、未来の展望も無い大人たちの閉塞と、ひどい環境でもどこまでも元気に無邪気な子供たちの日常が作り出す、悲喜劇のコントラストは印象として是枝作品にかなり近い。
「フロリダ・プロジェクト」では、撮影監督のアレクシス・サベによるカラフルなビジュアルが白眉だったが、本作でも是枝監督と初タッグとなる、近藤龍人による画作りが素晴らしい結果を生んでいる。
また両作の最大の共通項が、物語の帰結する先の曖昧さだろう。

人間は本来曖昧な存在で、その行いの何が正しくて、何が間違っているのか、単純に白黒つけられるのは法律で規定されているごく一部だけなのである。
ここにあるのは、確実にこの国のいくつもシーンの縮図であり、物語の中で解決しない問題は、そのまま私たちの心に重く残される。
答えが出せない曖昧さの中から、何を掴み取るのか、誰もが考えることを求められるのだ。
本作に対して、「日本人は万引きを教えない」だとか「犯罪を肯定してるから日本の恥」などとするアンチの思考停止こそが本当の恥。
今の日本がそうやって見たくないものに蓋をして、簡単に切り捨てる社会にだからこそ、この映画が圧倒的な説得力を持つのである。

今回は、やはり東京のお酒を。
清瀬のお隣、東村山の豊島屋酒造の「屋守 純米 中取り 直汲み生」をチョイス。
日本酒の製造プロセスには、もろみを搾って酒と酒粕に分ける上槽という作業があるのだけど、この際に、搾りたてのお酒をその場で瓶に詰めることを直汲みと言う。
直汲みならではの、酒中に残るほのかな微炭酸が柔らかな吟醸香と共に広がってゆく。
純米酒らしい米の旨みと、コクのバランスも良い。
毎年、この時期にしか味わえない、美味しい東京の地酒だ。

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ショートレビュー「恋は雨上がりのように・・・・・評価額1650円」
2018年06月01日 (金) | 編集 |
一人の雨降り、二人で雨上がりへ。

ここしばらくの漫画原作恋愛系映画の中で、ダントツに面白い。
小松菜奈演じる女子高校生が、バイト先の45歳のファミレス店長に恋をする。
この話のポイントは、基本的に恋をするのは女性側だけということ。
正直、映画がスタートしてしばらくは、あまり感心しなかった。
キャラクターの背景に関して説明的な描写が目立ち、特に大泉洋が好演するファミレス店長が、いかに冴えないおっさんなのかのネガティブイメージを、説明要員と化したベテランウェイトレス役の濱田マリに、全部台詞で喋らせてしまったのはあまりに安直。
尺の関係もあるだろうが、開始から10分くらいは、「こりゃあ期待できないかな」と思っていた。
しかし、この説明パートが終わると、映画は急速に魅力を帯びて立ち直ってくるのである。

当て書きされたかのように、絶妙に演者にフィットする登場人物の造形がいい。
女子高校生・橘あきらは、将来を嘱望された陸上選手だが、アキレス腱断裂の大怪我を負ってしまい、心が折れてしまった。
部活にも顔を出さなくなった彼女は、ファミレスでアルバイトを始めるのだが、そこの店長が大泉洋演じる近藤正己。
何かに依存的に夢中になっている人は、それが断たれると別の何かに依存するというが、あきらにとっては、近藤への恋だったと言うワケだ。
厳密に言えば、二人の間に流れている感情、というかあきらがほとんど一方的に募らせている思慕の念は、本当の恋じゃないかも知れない。
もちろん恋にも色々あるだろうが、彼女の場合は突然居場所を失った時に、暖かく受け入れてくれた包容力のある優しい大人に、癒しを求めたという面もあるだろう。
ともあれ、あきらは自分の気持ちを近藤へと思い切ってぶつける。

この物語が素晴らしいのは、子供のストレートな気持ちにおっさんが真摯に向き合って、大人としての対応をすること。
最近、山口メンバーやら日大アメフト部やら、現実の大人があまりにも大人げなく、子供の信頼を平然と裏切ることに幻滅していたので、フィクションの中でも近藤が本来あるべき大人としての行動をすることに救われた気分。
近藤はあきらの気持ちを受け止めて真摯に葛藤し、彼女にとっての最良の道へと導いてゆく。
まあ、この映画で一番のファンタジーは、実はこの近藤のキャラクター造形かなと思う。
現実に小松菜奈から突然告白されたら、あそこまで相手の気持ちを思いやりながら、自分の心をコントロールできる大人は少ないだろう。
私なら、少なくとも一瞬はドキマギして舞い上がる(笑
本作は、原作者も脚本家も女性。
このキャラクターは、ある意味女性目線で造形された理想のおっさんであり、世の男たちが目指すべき大人の姿なのかも知れない。

巧みなのは、単に子供を導くだけでなく、近藤もまたあきらの若いエネルギーに背中を押され、小さな一歩を歩みだす展開になっていること。
彼はもともと本の虫で小説家志望だが、ずっと芽が出ずに半ば諦めてしまっている。
そんな時にあきらとの交流が刺激となり、眠っていた情熱を再び動かされるのだ。
近藤の旧友で、成功した小説家役に、大泉洋の大学時代からの盟友にして、現在もTEAM NACSで活動を共にする戸次重幸をキャスティングするという、遊び心溢れるセンスがいい。
二人の再会のシークエンスは、小説を他のものに置き換えれば、かつて何かに情熱を捧げていて、今はもう忘れようとしている全ての大人たちにとって、暖かいエールとなるだろう。
物語の最後に、あきらが近藤に語りかける台詞が印象的。
これは映画の序盤のあきらと近藤とのやり取りの対となる台詞で、ちょっぴり切ない経験を通して、彼女もまた少しだけ大人に近づき、相手を思いやり歩み寄れるようになっていることを示す秀逸な描写。
人と人との縁がポジティブに作用し、皆が少しだけ幸せになる、とても気持ちのいい作品だ。

今回は、人生を変える「友だち」の話なので、「ゴールデン・フレンド」をチョイス。
アマレット20ml、ダーク・ラム20ml、レモン・ジュース20mlをシェイクし、氷を入れたタンブラーに注ぎ、適量のコークを追加して軽くステアする。
最後にスライス・レモンをのせて完成。
作者の中河宏昭氏によると、「 特別な友に、生涯の友に、唯一の友に贈るカクテル」という意味で命名したという。
ダーク・ラムとアマレットの組み合わせが、甘口の濃厚な味わいと香りを演出するが、タンブラーの大きさとコークの量でだいぶ印象が変わる。

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