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万引き家族・・・・・評価額1750円
2018年06月06日 (水) | 編集 |
生きるために、家族になった。

東京の下町で暮らす、ある大きな秘密を抱えた一家を描く、異色のヒューマンドラマ。
貧しい生活を送る彼らは、家族ぐるみで万引きなどの軽犯罪を繰り返す。
是枝裕和監督は、デビュー作の「幻の光」から昨年の「三度目の殺人」に至るまで、ほぼ一貫して“家族”をモチーフとしてきた。
新生児の取り違えを描いた「そして父になる」で、彼は「家族を形作るのは血のつながりか?それとも共に過ごした時間か?」と問うた。

そして本作では、社会問題と混然一体となった、さらに複雑な問いを観客に投げかける。
今村昌平監督の「うなぎ」以来21年ぶりとなる、カンヌ映画祭の最高賞パルム・ドールの受賞も納得の、期待に違わぬ傑作である。
✳︎核心部分に触れています。

東京の下町。
マンションの谷間にある古びた小さな家に、家主の初枝(樹木希林)とその家族が暮らしている。
治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦と息子の祥太(城桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)の五人家族。
彼らはお金が足りなくなると、食べ物や生活必需品を万引きして調達するという生活を送っている。
冬のある夜、治は近所の団地の吹き曝しの廊下で、寒さに震えながら一人で遊んでいた幼い女の子(佐々木みゆ)に声をかける。
「ゆり」と名乗った女の子を見かね、治は家に連れ帰り体中に虐待の傷跡のある彼女を娘として育てることに。
決して満ち足りてはいない最下層の生活だが、それなりに幸せな日々が続く。
だが、治が仕事現場でケガをして働けなくなり、TVでは「ゆり」が行方不明になったことが報じられる。
そして、祥太の起こしたある事件によって、一家の生活は大きな転機を迎える・・・・


是枝裕和が描く“家族の肖像”は多種多様だ。
1995年の長編デビュー作「幻の光」では、江角マキコが心に深い傷を負った主人公を演じる。
彼女の子供時代に、認知症を患った祖母が失踪し、祖母を止められなかった罪悪感に加えて、数年前に夫を原因不明の自殺によって失ってしまうのだ。
能登の穏やかな日常を背景とした、新しい家族との生活と共に、喪失を抱えた女性の再生のプロセスを描いた秀作だった。
柳楽優弥に日本人初のカンヌ主演男優賞をもたらした「誰も知らない」で描かれたのは、母親にネグレクトされ、子供たちだけで生活する幼い四人の兄妹の物語だ。
それぞれに父親の違う四人が、大人たちの誰にも知られずに、ひっそりと生きて死んでゆく、21世紀の「火垂るの墓」とでも言うべき衝撃作だった。
最近作の「三度目の殺人」は、とある殺人事件の容疑者を担当することになった福山雅治演じる弁護士の視点で、人間の心の持つ複雑な闇、日本の社会の歪みや司法制度の問題にまで踏み込む、ディープな心理ドラマ。
ここでもやはり、家族の在り方が重要な要素となってくる。
そして本作は、上記の三作品を含む過去の是枝作品の全て、1995年から2018年までの24年間を内包する、現時点での集大成と言えるだろう。

リリー・フランキーや樹木希林ら是枝組おなじみの面々、初参加の安藤サクラ、松岡茉優、城桧吏と佐々木みゆ、一家を演じる俳優たちが皆素晴らしい。
特に海のシーンで樹木希林の見せる、なんとも言えない複雑な表情は絶妙だ。 

予告編のナレーションがちょっと誤解を招くのだが、この家族は決して犯罪で生計を立てている訳ではない。
治はケガをする前は建築現場で日雇い労働をしているし、信江はクリーニング工場で、亜紀は風俗店でそれぞれ働いていて、初枝には年金もある。
どうやら亜紀はお金を家に入れないでもいいという取り決めがあるようだが、おそらく月15~25万円程度の世帯収入はあると思う。
もちろん、家族の人数を考えれば典型的なワーキングプアで、貧困層ではあるのだけど、彼らが万引きをするのは、あくまでも生活を補うためだ。
もともと金に対する考え方がルーズな上に雇用形態が不安定で、いつ生活が立ち行かなくなるか分からない。
実際、治が現場でケガをしても労災はおりず、信代は簡単に仕事を切られる。
社会が自分たちを守ってくれないなら、自分たちも社会の決めごとを守る必要もないと、たいして罪悪感なしに犯罪に手を染めるのである。


映画は総尺のほぼ3/4を費やして、この家族の日常をじっくりと描いてゆくのだが、次第に彼らが抱える秘密が明らかになってゆく。
ゆりを含めて三世代六人の家族は、実は誰一人として血がつながっていないのだ。
もともと一人暮らしだった初枝の家に、奇妙な縁で集まって、対外的に家族を装っているだけなのである。
彼らが家族となっていったプロセスは詳しくは語られないが、もともと治と信江が訳ありの恋人同士で、息子の祥太は二人がパチンコ店の駐車場に駐められた車から“救出”したらしい。
亜紀は初枝の別れた夫が、別の女性との間に作った家族の孫で、居づらくなった実家を出てなぜか初枝のもとに身を寄せている。
「そして父になる」で描かれた二組の家族は、息子を取り違えられ、血と時間の間で葛藤するが、本作で描かれる家族には初めから血のつながりなどまったく無いのだ。
彼らを繋ぎ止めているのは、先ずはお金、次に孤独が作り出す縁


本作のエピソードの多くは、貧困と共同体の崩壊がもたらした実際の事件がモデルになっていて、誰もがどこかで「ああ、この話は聞いたことがある」と思えるようになっている。
例えば、親が死んだことを隠して、年金を詐取していた事件が全国で相次いだのは記憶に新しく、親のネグレトで子供が餓死したり、悲惨な状況で保護される事件も後を絶たない。
親が子供に万引きをさせた事件も、しばしば報道されている。
劇中では初枝が亡くなった時、治と信代が年金欲しさに遺体を隠すし、ゆりが行方不明になっても実の親は捜索願を出さない。
治と祥太が釣具店で万引きするシーンは、数年前に大阪で起こった実際の事件がモデルだろう。
これは社会のセーフティネットからこぼれ落ちてしまった人々、あるいはそもそもセーフティネットの存在すら知らない人々の物語であり、映画は決して彼らを擁護しないが、同時に断罪もしない。

群像劇的な構造を持つ物語の、軸となっているのは治と祥太の父子関係だ。
治は「店に置いてある商品は、まだ誰の物でもない(だから盗ってもいい)」と、とんでもない屁理屈を祥太に教えるのだが、祥太もそれを自己正当化のために受け入れている。
しかし、物語の後半になると、治は“誰かのもの”であるはずの車上狙いをするようになり、それまで家族として親しく暮らしていた初枝の遺体を埋めて、彼女が残したへそくりを自分のものにして大喜びする。
自分が属しているのが、普通の家族とは違った、いくつかの理由で一緒にいるだけの集団あり、永遠に続くものではないことを、祥太は少しづつ知ってゆく。
子供の演出に長けた是枝監督らしく、少しずつ変化してゆく祥太の心理描写は、「誰も知らない」の柳楽優弥を思わせて秀逸。
結局、祥太の心に芽生えた小さな正義感が起こした行動によって、一家の様々な犯罪は明るみに出て、偽りの家族は離散することになる。

しかし、この映画は傷ついた彼らを、それ以上痛めつけるようなことはしないのである。
2010年に、親の死亡届を出さずに、遺族が年金を詐取していたことが明るみになった事件は、社会的に大きな怒りを買った。
中央日報紙のインタビューによると、是枝監督は「はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」という。
確かに、あの時はマスコミにもネットにも怒りが沸騰していて、遺族リンチのような有様になっていた。
年金詐取にしろ、万引きにしろ、ぶっちゃけそれほど大した事件ではない。
もちろんお店などの被害当事者にとっては大変な損害だろうし、処罰すること自体は当然のことだ。
だが、直接の被害を受けたわけでもない赤の他人まで、我がことのように怒るのはなぜか。
この映画では、少女を守るという善意による罪を犯した治と信代には罰がくだされ、少女を虐待し、捜索願すら出さなかった実の両親の悪意は、すっかりと忘れられてしまう。
少女は再び、誰も守ってくれない元の環境に戻されてしまうのだ。
登場人物たちにとって、いくつかの問題は解決するが、別のいくつかはそのまま、あるいは悪化したまま。


本作を観ていて、どうしても思い出してしまうのが、先日公開されたアメリカ映画「フロリダ・プロジェクト」だ。
あの映画では住む家を持たず、モーテルに長期宿泊して爪に火をともすようにして暮らす、一組の母娘が描かれるが、実は観ている時に「誰も知らない」を思い出していた。
ドキュメンタリー的な事象へのアプローチ、自然な子供たちの演技というだけでなく、何処へも行けず、未来の展望も無い大人たちの閉塞と、ひどい環境でもどこまでも元気に無邪気な子供たちの日常が作り出す、悲喜劇のコントラストは印象として是枝作品にかなり近い。
「フロリダ・プロジェクト」では、撮影監督のアレクシス・サベによるカラフルなビジュアルが白眉だったが、本作でも是枝監督と初タッグとなる、近藤龍人による画作りが素晴らしい結果を生んでいる。
また両作の最大の共通項が、物語の帰結する先の曖昧さだろう。

人間は本来曖昧な存在で、その行いの何が正しくて、何が間違っているのか、単純に白黒つけられるのは法律で規定されているごく一部だけなのである。
ここにあるのは、確実にこの国のいくつもシーンの縮図であり、物語の中で解決しない問題は、そのまま私たちの心に重く残される。
答えが出せない曖昧さの中から、何を掴み取るのか、誰もが考えることを求められるのだ。
本作に対して、「日本人は万引きを教えない」だとか「犯罪を肯定してるから日本の恥」などとするアンチの思考停止こそが本当の恥。
今の日本がそうやって見たくないものに蓋をして、簡単に切り捨てる社会にだからこそ、この映画が圧倒的な説得力を持つのである。

今回は、やはり東京のお酒を。
清瀬のお隣、東村山の豊島屋酒造の「屋守 純米 中取り 直汲み生」をチョイス。
日本酒の製造プロセスには、もろみを搾って酒と酒粕に分ける上槽という作業があるのだけど、この際に、搾りたてのお酒をその場で瓶に詰めることを直汲みと言う。
直汲みならではの、酒中に残るほのかな微炭酸が柔らかな吟醸香と共に広がってゆく。
純米酒らしい米の旨みと、コクのバランスも良い。
毎年、この時期にしか味わえない、美味しい東京の地酒だ。

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