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判決、ふたつの希望・・・・・評価額1700円
2018年09月12日 (水) | 編集 |
なぜ「謝罪」を求めるのか。

二人の男の些細な喧嘩から始まる裁判劇。

きっかけはアパート2階のバルコニーに撒いた水が、下の工事現場の現場監督にかかったトラブルだが「謝れ!」「いやだ!」の繰り返しが暴力沙汰を呼び裁判に。

原告のアパートの住民は右派政党を支持するキリスト教徒のレバノン市民、被告の現場監督はパレスチナ難民。

単純な事件を裁くだけの小さな裁判は、文字通りの水掛け論から、やがて国を二分する大騒動になってゆく。
本作は第90回アカデミー賞の外国語映画部門にレバノンの作品として初めてノミネートを果たし、ベネチア国際映画祭では、被告のパレスチナ難民を演じたカメル・エル・バシャが最優秀男優賞に輝いた。
ジアド・ドゥエイリ監督はベイルートに生まれ、内戦を逃れて映画を学ぶために渡米、タランティーノ作品の撮影部などハリウッドで活動した後に帰国。
四作目の長編監督作品となる本作が、初めての日本公開作品となった。

ベイルートで自動車修理工場を営むキリスト教徒のトニー(アデル・カラム)は、間もなく臨月を迎える妻のシリーン(リタ・ハーエク)と職場近くのアパートに暮らしている。
ある日、バルコニーの植物に水を撒いていると、その排水が壊れた樋から道路で工事をしていたパレスチナ難民の現場監督のヤーセル(カメル・エル・バシャ)に降りかかり、口論となる。
ヤーセルから「クズ野郎!」と罵られたトニーは、工事会社に謝罪を求めて抗議。
住人とのトラブルを恐れる上司にとりなされ、ヤーセルも一度は謝罪に同意するのだが、パレスチナ難民排斥を主張するキリスト教右派政党「レバノン軍団」を支持するトニーから「シャロンに抹殺されていればな!」と罵声を浴びせられ、こらえ切れずに暴力を振るってしまう。
トニーは「謝罪」を求めてヤーセルを提訴。
裁判では、なぜヤーセルがトニーを殴ったのか、その動機が争点となるのだが、やがて裁判は世間の注目を集め、双方の支援者を巻き込む形で、キリスト教徒とパレスチナ難民を含むスンニ派イスラム教徒の対立へと発展してゆく・・・


イスラエル建国に伴い、1948年に勃発した第一次中東戦争によって発生したパレスチナ難民の数は、おおよそ70万人。
その後のイスラエルの占領と、度重なる戦争によって、自治政府のあるヨルダン川西岸地区、ハマスが支配するガザ地区の他にも、レバノンをはじめとする周辺国に難民が移り住み、自治区外に暮らすパレスチナ人は現在では500万人以上と言われる。
難民キャンプは自治され、事実上の治外法権で、劇中に描かれたようにレバノンの治安機関も原則として手が出せない。
いわば国の中に別の国がある状態ながら、難民は経済的にはレバノン社会に依存しており、不満を募らせるレバノン市民との慢性的な対立構造が形作られている。
ジアド・ドゥエイリ監督は、自分がパレスチナ難民の配管工とトラブルになった体験からこの映画を着想したというが、直接のきっかけはそうだったとしても、この映画全体が内戦の時代に多感な十代を送り、事実上の難民として国外に出ざるを得なかった自らの人生を、色濃く反映させていることは間違いないだろう。

映画の序盤は、パレスチナ人への憎しみを募らせる原告トニーの傲慢さが強調され、より弱い立場の被告に感情移入。
何しろこの人、ヤーセルに水をかけて謝りもしないだけでなく、せっかく彼が取り付けてくれた新品の雨樋までバッキバキに叩き壊してしまうのだ。
そりゃヤーセルでなくても「クズ野郎!」と言いたくなるし、お前が先に謝れと思ってしまう。

しかし、二人の極めてパーソナルな争いは、裁判となったことでレバノン社会の内部分断の象徴となってくる。
レバノン人キリスト教徒、パレスチナ人の多くが属するスンニ派イスラム教徒、双方の支援者による対立が過熱し、遂には大統領までもが仲裁に入る事態に発展しても、二人は戸惑いながらも和解を拒否し、最後まで裁判を戦い抜く。
大統領府に呼び出された後、故障したヤーセルの車をトニーが無言で直す描写がある。
この時点で二人とも内心ではお互いを許しても良いと思っているのだが、それぞれが背負っている歴史とメンツが邪魔をする。

なぜトニーは、ここまで執拗にパレスチナ人を憎むのか。
隠していた彼の過去を知った弁護人は、法廷である映像を見せる。
それは1976年に、トニーの故郷であるダムールで起こった虐殺の記録
レバノン社会では人口の40%を占める多数派キリスト教徒とイスラム教徒、イスラム教徒間でもスンニ派とシーア派の対立があり、さらに影響力を行使しようとするイスラエルやイラン、シリアといった周辺国の思惑も絡み対立構造が非常に複雑でセンシティブ。
70年代には宗教間の衝突から報復の連鎖が起こり、ダムールではパレスチナ人を含むイスラム系民兵によってキリスト教徒の住民が虐殺され、当時6歳のトニーは虐殺の数少ない生き残りだったのだ。

レバノン・フランス合作作品である本作の仏語タイトルは「L'insulte(侮辱)」
「中東こそ“侮辱"という言葉の故郷です」とトニーの弁護士は言う。
対立する人種・宗教が拮抗するこの国では、立場はある日突然変わる。
“侮辱"されたからと、昨日平和な暮らしを送っていた市民が今日には命からがら難民となり、今日笑いあっていた隣人が明日には自分の命を奪いにくる。
見えてくるのは、不安定な中東情勢に翻弄され、長年にわたり内戦が続いた多民族国家レバノンの悲しい歴史だ。
トニーにはパレスチナ難民を憎む理由があるが、一方でイスラエルの軍人・政治家としてパレスチナ抑圧を進めたシャロンを引き合いに出して罵声を浴びせるのは、ユダヤ人に「ヒトラーに抹殺されてればな!」と言うのと同じくらいの侮辱行為。

観客はスクリーンを通して裁判を傍聴しているうちに、双方の背負っているもの、何が彼らにとっての“侮辱"なのかを知り、自分だったらこの危険で難しい裁判をどうジャッジするかを考える。

実際に映画が導き出す判決は、日本の常識からはちょっと違ったもの。

これはあくまでもフィクションのドラマだが、微妙な均衡のもとに成り立っているレバノン社会では、言葉の暴力もまた物理的暴力と同じくらい危険なもので、見過ごすことは出来ないということだろう。
血で血を洗う内戦状態を脱してから、まだたったの四半世紀。
不安定な安保状況は今も続く。
ちょっとした火種も大きな悲劇に繋がりかねない特殊性故の結論ではあるものの、多様性の社会に必要なのは他者への尊重とリスペクトで、基準の線引きが難しいが何よりも他人を侮辱しないことというのは、基本的には世界のどこでも当てはまる得る普遍的な教訓だ。

感情に突き動かされ、理念に凝り固まった男たちに対し、女たちが総じて柔軟なのが印象深い。
とことんまで謝罪にこだわるトニーを諌める妻シリーン、難民の権利を守るためにヤーセルの弁護を買って出るナディーンは、それぞれのペアとなる男性との対比で、より理知的なキャラクターが強調されている。
レバノン市民、パレスチナ難民、男と女、色々な立場で考えたくなる知的な秀作だ。

中東にあってキリスト教徒の多いレバノンは、古代からのワインどころ。
今回は1857年創立の現存するレバノン最古のワイナリー、シャトー・クサラから「ブラン・ド・ロブセルヴァトワール」をチョイス。
フルーティで辛口、クセのないニュートラルな一本。
ロブセルヴァトワールとは仏語で「天文台」の意味。
天空に広がる星空を見上げながらワインを共に飲めば、地上のちっぽけな争いなどどうでもよくなってくる。

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