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2019年02月11日 (月) | 編集 |
彼は、月で何を見たのか。
20世紀の神話となった、アポロ11号の月面着陸。
おそらく世界中のほとんど誰もがその顛末を知っていて、展開の意外性など作りようがない話を、若き鬼才デミアン・チャゼルはどう料理したのか。
アポロ11号船長であり、月面に人類最初の足跡を残したニール・アームストロングを、「ラ・ラ・ランド」に続いてチャゼルとタッグを組むライアン・ゴズリングが演じ、妻のジャネットをクレア・フォイが好演。
エグゼクティブ・プロデューサーをスティーブン・スピルバーグが務め、ジェイムズ・R・ハンセンの同名ノンフィクションを元に、「スポットライト 世紀のスクープ」「ペンダゴン・ペーパー/最高機密文書」など、実録物を得意とするジョシュ・シンガーが脚色を担当した。
原作はアームストロングの人生を少年時代から描いているのだが、映画はテストパイロット時代の1961年からアポロ11号の帰還までの9年間に絞られている。
※ラストに触れています。
国立航空諮問委員会(NACA)でテストパイロットを務めるニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)は、幼い娘のカレンを脳腫瘍で亡くし、悲しみを引きずったままNASAの宇宙飛行士選抜試験を受けることになる。
ジェミニ計画の宇宙飛行士に選抜されたアームストロングは、妻のジャネット(クレア・フォイ)と二人の息子と共にヒューストンへ赴任。
ジェミニ8号の船長に選ばれ、初の宇宙空間でのドッキングという大役を担うことに。
宇宙で予期せぬトラブルに襲われるも、冷静な判断で危機を脱し、無事帰還したアームストロングは、NASAの信頼を得て月を目指すアポロ計画にも携わることとなる。
巨大なサターンロケットの開発も着々と進み、最終地上試験を残すのみとなっていた頃、ワシントンでパーティに出席していたアームストロングは、NASAからの一本の電話を受ける。
それは、試験中のアポロ1号で火災が発生し、友人のエド・ホワイト(ジェイソン・クラーク)ら三人の宇宙飛行士が死亡したというものだった・・・
映画はNACAのテストパイロット時代、アームストロングが極超音速実験機ノースアメリカンX-15のテストに挑むシーンから幕を開ける。
X-15は最大速度マッハ6.7、到達高度は107キロという、友人機としては未だ破られていない記録を持つ、スペースプレーンのパイオニアである。
この時、母機のNB-52から発進したロケット機は、高度14万フィートで大気層に押し返されて機体を下げることが出来なくなるバルーニングという現象を起こし、目標地点を大幅に通り過ぎてなんとか着陸に成功する。
カメラはほぼアームストロングのアップと、彼の見ている視界、ごく僅かな機体のディテールしか描写しない。
要するに、観客が得られる情報もアームストロングと同じであり、テストパイロットの緊張感をそのまま体験。
一気に作品世界に引き込まれる。
この後、アームストロングはNASAの宇宙飛行士選抜に合格し、中盤ではジェミニ8号でのミッションが描かれるのだが、ここでも映し出されるのはアームストロングのアップと彼の視界、あとは「カメラがあってもおかしくない場所」からのディテール映像に限られ、引いた客観ショットは全く使われないのである。
その分、音楽映画で名を馳せたチャゼルだけあって、音響演出が凄い。
心臓に悪い宇宙船の軋み音、体を芯から揺さぶるロケットの爆音など、視覚情報が制限されている分、映像と音響の相乗効果で宇宙飛行士の感じている世界を存分に体感できる。
宇宙空間でのドッキング技術を確立するため、ターゲット衛星のアジェナとドッキングを成功させた後、ジェミニ宇宙船が突如として予期せぬスピンロール状態に陥る辺りでは、観客はもうアームストロングに感覚的に同化しているから、心底恐ろしい。
視界の狭さをこれほど生かしきった恐怖演出は、過去に観たことが無い。
チャゼルは、ライアン・ゴズリングが寡黙に演じる、アームストロングの人生にピタリと寄り添う。
冒頭のX-15、中盤のジェミニ8号、そして終盤のアポロ11号。
彼の人生における三つの大イベントの他にも、仕事に追われる日々と、ジャネットや子供たちとの家庭生活を交互に描いてゆく。
家庭の描写は、まるでアームストロング家の日常を覗き見るような、ハンディ風のカメラワークが印象的。
カメラは終始アームストロングの心象を追い、内に閉じているのである。
しかし、終盤に差し掛かりアポロ11号の冒険が始まると、チャゼルは一気に演出的なアプローチを変え、アームストロングの内面を神秘的な宇宙の光景へと開いてゆくのだ。
X-15のエピソードの後、アームストロングは幼い娘のカレンを脳腫瘍で失う。
心の傷を抱えたまま、彼は未知なる宇宙に挑戦することで自分と家族の環境を変え、悲しみを紛らわせようとするのである。
だが、ヒューストンへ移っても、死の影はアームストロングから離れない。
ジェミニ9号の船長を務めるはずだった同僚のエリオット・シーが事故死し、彼の葬儀の場でアームストロングは娘の幻影を見る。
直後のジェミニ8号のミッションでは、自らが命を落としそうになり、次いでアメリカ宇宙開発史上で最悪の悲劇となるアポロ1号の火災事故で、一度に三人の仲間を失う。
家族のドラマとしてのクライマックスは、打ち上げの直前になって、アームストロングが二人の息子をダイニングに呼び「月へ行く」と告げるシーンだろう。
彼はこの時代の多くの男たちと同じように、仕事に打ち込むことで、「最も嫌なイメージ=死」に背を向けているのだが、ジャネットに「息子たちに、父親が帰らない時の覚悟をさせて」と言われ、ようやく自分が死ぬ可能性を吐露するのである。
多くの喪失の記憶を引きずりながらも、自ら死に向き合うことで、アームストロングの心はようやく解放されるのだ。
月面のシークエンスは、一瞬ロケかと錯覚するくらいリアリティ満点。
未知の星に、第一歩を踏み出したアームストロングは、生死の境界を越えて、荘厳なる無音の世界に亡きカレンを感じる。
そして、イーグル着陸船から少し離れたクレーターに歩み寄った彼は、「ある物」を月に置いてくるのだ。
時系列の前後はあれど基本的に史実に沿った本作で、アームストロングがクレーターの縁に立つまでは事実だが、この「ある物」の描写だけはフィクション。
宇宙飛行士は、プライベートな記念品を一定重量以下なら月に持ってゆくことが許されていて、アームストロングは実際に何を持っていたのか、詳細は目録が残っていないとして、記憶以上のことは語らなかったという。
ただ、それはあくまでも記念品に「一緒に月へ行った」という付加価値を付けるためなので、置いてくるのはまた別の話。
極めて映画的な「ある物」の描写は、娘の死を起点として、伝説的な宇宙飛行士の心の内を描いたデミアン・チャゼルならではの、心象的な解釈なのだろう。
月面を歩いた二人は、当然帰還後にスーパースターとなるのだが、映画はそこまでは描かない。
検疫のために隔離中のアームストロングが、ジャネットとガラス越しの再会を果たすラストは、本作のスタンス、描きたいことを象徴する、味わい深い名シーン。
アームストロングは月からの帰還以降は、職務以外であまり人前に出ることもなく、2年後にはNASAを退官し、ビジネスマンとして活動した後、晩年はファンからのサインの求めも断り半隠遁生活を送っていたという。
アポロ計画以来半世紀、宇宙開発が次第に商業的になってゆく中で、人類に新たなフロンティアを開いたアームストロングは、メディアによって偶像化されてゆき、逆にその実像は歴史の霧の中でぼやけていった。
これは、アメリカの世紀の栄光の神話に、「英雄」として閉じ込められていたアームストロングを、心に深い悲しみを抱えた一人の父親、一人の夫、一人の人間として解き放った作品かもしれない。
アメリカ宇宙開発史をモチーフとした、新たな傑作である。
今回は「ブルー・ムーン」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、クレーム・ド・バイオレット(パルフェ・タムール)15ml、レモンジュース15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
幻想的な紫が美しいカクテル。
ビターなジンにレモンの酸味の組み合わせが、サッパリとしたクールさを演出する。
ブルー・ムーン本来の意味は、暦の関係で3ヶ月間に4度の満月がある場合の、3番目の満月の事。
歴史的には凶兆の月とされてきたが、珍しいことなので、現在では見ると幸せになれる吉兆の月とされているのだそうな。
ところでアポロ11号のシークエンスは、演出アプローチが違うので、結構客観ショットがあるのだけど、ヒコーキ好きとしては、X-15の飛んでる姿も見たかったな・・・。
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20世紀の神話となった、アポロ11号の月面着陸。
おそらく世界中のほとんど誰もがその顛末を知っていて、展開の意外性など作りようがない話を、若き鬼才デミアン・チャゼルはどう料理したのか。
アポロ11号船長であり、月面に人類最初の足跡を残したニール・アームストロングを、「ラ・ラ・ランド」に続いてチャゼルとタッグを組むライアン・ゴズリングが演じ、妻のジャネットをクレア・フォイが好演。
エグゼクティブ・プロデューサーをスティーブン・スピルバーグが務め、ジェイムズ・R・ハンセンの同名ノンフィクションを元に、「スポットライト 世紀のスクープ」「ペンダゴン・ペーパー/最高機密文書」など、実録物を得意とするジョシュ・シンガーが脚色を担当した。
原作はアームストロングの人生を少年時代から描いているのだが、映画はテストパイロット時代の1961年からアポロ11号の帰還までの9年間に絞られている。
※ラストに触れています。
国立航空諮問委員会(NACA)でテストパイロットを務めるニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)は、幼い娘のカレンを脳腫瘍で亡くし、悲しみを引きずったままNASAの宇宙飛行士選抜試験を受けることになる。
ジェミニ計画の宇宙飛行士に選抜されたアームストロングは、妻のジャネット(クレア・フォイ)と二人の息子と共にヒューストンへ赴任。
ジェミニ8号の船長に選ばれ、初の宇宙空間でのドッキングという大役を担うことに。
宇宙で予期せぬトラブルに襲われるも、冷静な判断で危機を脱し、無事帰還したアームストロングは、NASAの信頼を得て月を目指すアポロ計画にも携わることとなる。
巨大なサターンロケットの開発も着々と進み、最終地上試験を残すのみとなっていた頃、ワシントンでパーティに出席していたアームストロングは、NASAからの一本の電話を受ける。
それは、試験中のアポロ1号で火災が発生し、友人のエド・ホワイト(ジェイソン・クラーク)ら三人の宇宙飛行士が死亡したというものだった・・・
映画はNACAのテストパイロット時代、アームストロングが極超音速実験機ノースアメリカンX-15のテストに挑むシーンから幕を開ける。
X-15は最大速度マッハ6.7、到達高度は107キロという、友人機としては未だ破られていない記録を持つ、スペースプレーンのパイオニアである。
この時、母機のNB-52から発進したロケット機は、高度14万フィートで大気層に押し返されて機体を下げることが出来なくなるバルーニングという現象を起こし、目標地点を大幅に通り過ぎてなんとか着陸に成功する。
カメラはほぼアームストロングのアップと、彼の見ている視界、ごく僅かな機体のディテールしか描写しない。
要するに、観客が得られる情報もアームストロングと同じであり、テストパイロットの緊張感をそのまま体験。
一気に作品世界に引き込まれる。
この後、アームストロングはNASAの宇宙飛行士選抜に合格し、中盤ではジェミニ8号でのミッションが描かれるのだが、ここでも映し出されるのはアームストロングのアップと彼の視界、あとは「カメラがあってもおかしくない場所」からのディテール映像に限られ、引いた客観ショットは全く使われないのである。
その分、音楽映画で名を馳せたチャゼルだけあって、音響演出が凄い。
心臓に悪い宇宙船の軋み音、体を芯から揺さぶるロケットの爆音など、視覚情報が制限されている分、映像と音響の相乗効果で宇宙飛行士の感じている世界を存分に体感できる。
宇宙空間でのドッキング技術を確立するため、ターゲット衛星のアジェナとドッキングを成功させた後、ジェミニ宇宙船が突如として予期せぬスピンロール状態に陥る辺りでは、観客はもうアームストロングに感覚的に同化しているから、心底恐ろしい。
視界の狭さをこれほど生かしきった恐怖演出は、過去に観たことが無い。
チャゼルは、ライアン・ゴズリングが寡黙に演じる、アームストロングの人生にピタリと寄り添う。
冒頭のX-15、中盤のジェミニ8号、そして終盤のアポロ11号。
彼の人生における三つの大イベントの他にも、仕事に追われる日々と、ジャネットや子供たちとの家庭生活を交互に描いてゆく。
家庭の描写は、まるでアームストロング家の日常を覗き見るような、ハンディ風のカメラワークが印象的。
カメラは終始アームストロングの心象を追い、内に閉じているのである。
しかし、終盤に差し掛かりアポロ11号の冒険が始まると、チャゼルは一気に演出的なアプローチを変え、アームストロングの内面を神秘的な宇宙の光景へと開いてゆくのだ。
X-15のエピソードの後、アームストロングは幼い娘のカレンを脳腫瘍で失う。
心の傷を抱えたまま、彼は未知なる宇宙に挑戦することで自分と家族の環境を変え、悲しみを紛らわせようとするのである。
だが、ヒューストンへ移っても、死の影はアームストロングから離れない。
ジェミニ9号の船長を務めるはずだった同僚のエリオット・シーが事故死し、彼の葬儀の場でアームストロングは娘の幻影を見る。
直後のジェミニ8号のミッションでは、自らが命を落としそうになり、次いでアメリカ宇宙開発史上で最悪の悲劇となるアポロ1号の火災事故で、一度に三人の仲間を失う。
家族のドラマとしてのクライマックスは、打ち上げの直前になって、アームストロングが二人の息子をダイニングに呼び「月へ行く」と告げるシーンだろう。
彼はこの時代の多くの男たちと同じように、仕事に打ち込むことで、「最も嫌なイメージ=死」に背を向けているのだが、ジャネットに「息子たちに、父親が帰らない時の覚悟をさせて」と言われ、ようやく自分が死ぬ可能性を吐露するのである。
多くの喪失の記憶を引きずりながらも、自ら死に向き合うことで、アームストロングの心はようやく解放されるのだ。
月面のシークエンスは、一瞬ロケかと錯覚するくらいリアリティ満点。
未知の星に、第一歩を踏み出したアームストロングは、生死の境界を越えて、荘厳なる無音の世界に亡きカレンを感じる。
そして、イーグル着陸船から少し離れたクレーターに歩み寄った彼は、「ある物」を月に置いてくるのだ。
時系列の前後はあれど基本的に史実に沿った本作で、アームストロングがクレーターの縁に立つまでは事実だが、この「ある物」の描写だけはフィクション。
宇宙飛行士は、プライベートな記念品を一定重量以下なら月に持ってゆくことが許されていて、アームストロングは実際に何を持っていたのか、詳細は目録が残っていないとして、記憶以上のことは語らなかったという。
ただ、それはあくまでも記念品に「一緒に月へ行った」という付加価値を付けるためなので、置いてくるのはまた別の話。
極めて映画的な「ある物」の描写は、娘の死を起点として、伝説的な宇宙飛行士の心の内を描いたデミアン・チャゼルならではの、心象的な解釈なのだろう。
月面を歩いた二人は、当然帰還後にスーパースターとなるのだが、映画はそこまでは描かない。
検疫のために隔離中のアームストロングが、ジャネットとガラス越しの再会を果たすラストは、本作のスタンス、描きたいことを象徴する、味わい深い名シーン。
アームストロングは月からの帰還以降は、職務以外であまり人前に出ることもなく、2年後にはNASAを退官し、ビジネスマンとして活動した後、晩年はファンからのサインの求めも断り半隠遁生活を送っていたという。
アポロ計画以来半世紀、宇宙開発が次第に商業的になってゆく中で、人類に新たなフロンティアを開いたアームストロングは、メディアによって偶像化されてゆき、逆にその実像は歴史の霧の中でぼやけていった。
これは、アメリカの世紀の栄光の神話に、「英雄」として閉じ込められていたアームストロングを、心に深い悲しみを抱えた一人の父親、一人の夫、一人の人間として解き放った作品かもしれない。
アメリカ宇宙開発史をモチーフとした、新たな傑作である。
今回は「ブルー・ムーン」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、クレーム・ド・バイオレット(パルフェ・タムール)15ml、レモンジュース15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
幻想的な紫が美しいカクテル。
ビターなジンにレモンの酸味の組み合わせが、サッパリとしたクールさを演出する。
ブルー・ムーン本来の意味は、暦の関係で3ヶ月間に4度の満月がある場合の、3番目の満月の事。
歴史的には凶兆の月とされてきたが、珍しいことなので、現在では見ると幸せになれる吉兆の月とされているのだそうな。
ところでアポロ11号のシークエンスは、演出アプローチが違うので、結構客観ショットがあるのだけど、ヒコーキ好きとしては、X-15の飛んでる姿も見たかったな・・・。

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