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ゴジラ キング・オブ・モンスターズ・・・・・評価額1700円
2019年06月01日 (土) | 編集 |
怪獣王の覚醒。

レジェンダリー・ピクチャーズの手がける怪獣クロスオーバー企画、モンスターバースの第三弾。
2014年版「GODZILLA ゴジラ」「キングコング:髑髏島の巨神」と世界観を共有する「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は、ゴジラ映画としては日米通算35作目。
実写作品としては、2016年の「シン・ゴジラ」以来3年ぶりとなる。
本作で描かれるのは、小出しにされてきた謎の組織モナークの全貌と、世界各地で目覚めた太古の怪獣たちとゴジラとの死闘。
監督と共同脚本は、アニメーター出身で、「スーパーマン・リターンズ」などの脚本家として知られるマイケル・ドハティが務める。
渡辺謙をはじめ、前作と共通する出演者もいるが、物語は独立性が強く、本作のみ鑑賞しても問題あるまい。
とは言え、オマージュ満載のディテールを見れば、ゴジラ映画のファンほどディープに楽しめる作品なのは間違いないだろう。
※核心部分に触れています。

サンフランシスコを壊滅させた、ゴジラとムトーとの戦いから5年。
巻き添えで息子を失ったモナークの科学者、エマ・ラッセル(ベラ・ファーミガ)は怪獣の生体音を再現する“オルカ”と呼ばれる装置を使い、怪獣とコミュニケーションをとる研究を進めていた。
彼女は孵化したばかりのモスラの幼虫のコントロールに成功するが、直後に環境テロリストのアラン・ジョナ(チャールズ・ダンス)によって娘のマディソン(ミリー・ボビー・ブラウン)と共に拉致され、オルカも奪われてしまう。
芹沢博士(渡辺謙)は、エマの別れた夫、マーク(カイル・チャンドラー)に協力を要請。
彼らは、二人が連行されたと思われるモナークの南極基地へと向かう。
しかしわずかに遅く、エマによって南極の氷に閉じ込められていた三つの頭を持つ最強の怪獣、ギドラが復活。
絶体絶命の窮地に陥るマークたちだが、そこへ突然ゴジラが現れ、ギドラと死闘を繰り広げる。
やがて空へと飛び去ったギドラを追って、ゴジラも姿を消す。
エマがアランに協力していることに驚くマークたちだったが、彼女は人類が汚した自然の調和のために怪獣の復活が必要だと信じていて、オルカの開発もそのためだった。
そしてメキシコの火口からラドンが現れ、世界各地で怪獣たちが覚醒してゆく・・・


自他共に認める怪獣オタク、マイケル・ドハティのゴジラ愛が炸裂。
東宝特撮映画のみならず、平成「ガメラ」シリーズや「ウルトラQ」、宮崎駿的な要素まで取り込んで、怪獣映画全部入り。
132分、ラーメン二郎のマシマシを食べ続けた様な、ゲップが出そうな満腹感だ。
ギャレス・エドワーズの「GODZILLA ゴジラ」は素晴らしい作品だったが、不満点もいくつかあった。
その最大のものが、「怪獣たちの出し惜しみ」だ。
ゴジラもムトーも、なかなか全体像を見せてくれず、出てきたと思ったら、いいところで場面転換してしまう。
まあそんな焦らしも演出的な狙いではあるのだが、ゴジラ映画からウルトラマンに至る、昭和の怪獣プロレスの系譜で育った世代としては、やっぱりもっとバトルシーンが見たかった。

おそらくドハティも同じことを思ったのだろう。
今回は四大怪獣の見せ場がてんこ盛りだ。
前作のエドワーズは、おそらくハリウッド史上初めて、怪獣を単なる生物ではなく自然の化身としてのアニミズム的な“荒ぶる神”として描いた。
その流れは今回、生粋のオタク監督のもとで更に加速し、本作に登場する怪獣たちによるスペクタクルシーンの数々は、まるで黙示録を描く宗教画の様な荘厳で禍々しい美しさと、人類のちっぽけさを感じさせる神秘性に満ちている。
特に怪獣同士が戦っている“足元”からの人間目線のショットは凄まじい迫力で、まったく生きた心地がせず、思わずひれ伏して祈りたくなるほど。
怪獣の巨大感を強調するために、縮尺を無視しているショットも多々ある。
例えばモナークの空中母機アルゴは、搭載機のオスプレイから推察するに、本作では翼長871フィートに設定されたラドンと同じくらいの大きさはあるはずだが、ラドンに迫られるショットでは突然数分の一に小さくなってしまう。

主役はあくまでも怪獣。
怪獣のキャラを立てていこう、という意図は明快。
主役のゴジラはいわゆるギャレゴジのファット、もといマッチョなデザインをベースに、54年版の堂々たる背びれを合体させてブラッシュアップ。
火山から現れるラドンは、まるで溶岩の様な硬質な皮膚をもち、炎の属性を強調。
操演の時代には不可能だった、アクロバティックな空中戦を存分に見せてくれる。
壮麗な美しさを持つモスラは、胴体部分がカマキリを思わせる細身で戦闘的なデザインとなり、他の怪獣と互角に戦えるビジュアル的説得力を獲得。
そして、地球の生態系に属さない宇宙怪獣のギドラは、基本形状は日本版のままだが、翼が西洋のドラゴンを思わせる形となり、より生物的なリアリティと凶暴性が増した。
ラドンを屈服させ、十字架の背後で咆哮をあげる姿は、まさしく偽りの王の称号に相応しい。
三つの頭それぞれに個性があり、向かって右側の頭がいちいちいらんことして、リーダーと思しき真ん中に怒られたり、時には互いに助け合ったりするのも面白い。
番長感漂わせるゴジラは怪獣の王、ギドラはヒール感あふれる外来種、モスラは癒しの使者など、分かりやすい怪獣の性格づけは非常に日本的。
強い者に巻かれるラドンは、スネ夫というかロキだった(笑
戦いの後、ゴジラに睨まれて「やべえ、俺しくじった」的なリアクションを見せるのが可笑しい。

人類が破綻させた地球の生態系を回復させ、世界に調和をもたらす神的な存在として怪獣が現れるという世界観は、いわゆる「アニゴジ三部作」に近い。
もっとも、世界のバランスが崩れたとき、怪獣が現れたり奇妙な事件が起こるというコンセプトは、「ウルトラQ」が元祖。
アニゴジとモンスターバースがどこまですり合わせをしているのかは不明だが、ドハティのオタクっぷりを見ると、モンスターバースの作り手が「ウルトラQ」から影響を受けた可能性は大いにあり得るだろう。
しかし、人類は地球にとって病原菌だから、いっそ怪獣に暴れてもらって半分くらい殺しちゃった方が、幸せな未来が作れるというエマの思想は、つい一月前にも誰かが同じことを言っていた様な(笑

物語のベースとなっているのは、ギドラが初登場した「三大怪獣 地球最大の決戦」だろうが、「GODZILLA ゴジラ」の続編という視点でも、明らかな継続性が見られる。
どちらの作品でも、怪獣たちのスケールとは対照的に、人間ドラマは家族の葛藤が中心の非常に小さな物語になっていた。
本作の場合はゴジラに息子を殺されたことで、怪獣を憎む様になる夫と、息子の犠牲の意味を追求した妻、それぞれにとっての怪獣の存在する意味と、未来への選択の違いがドラマの骨子。
また前作の主人公は軍人で、映画も軍事ミッションを中心としてプロットが構成されていたが、本作の登場人物は大半が怪獣オタクのモナークの科学者だ。
一応、モナークの軍事部門がゴジラを援護するなどの描写はあるものの、基本的には怪獣たちの戦いの足元で必死に駆けずり回っている以上のことはしない、というか出来ない。
地球の運命を決める神々の戦いは、まさに自然のディザスターであって、手出しできる様なものではなく、人類にできるのは観察し、見届けることくらいなのである。
だからあえてその一線を越え、怪獣たちに影響を与え様とする者は、神の領域を侵した報いを受けなければならないのだ。

かように、東宝型の怪獣像を更に純化した様な本作は、日本が培ってきた怪獣文化へのリスペクトが物凄く熱くて、あちこちにオマージュが。
少し違った形ながら、初代ゴジラを葬った“オキシジェン・デストロイヤー”も再登場。
怪獣を科学で操るというエマの考えは、「怪獣大戦争」や「ゴジラ FINAL WARS」のX星人を思わせ、彼女がギドラを“モンスター・ゼロ”と呼んでいるのも、X星人がギドラをそう呼んでいたからだろう。
チャン・ツィイー演じる中国人科学者、チェン博士とリン博士が祖母の代からの双子設定なのは、もちろん小美人へのオマージュで、劇中で彼女が見ている母親たちの写真には「1961年のインファント島で撮影」(初代「モスラ」の公開年)と記されている。
モスラの幼虫が、怒りや恐怖を感じると赤色の攻撃色に光り、落ち着きを取り戻すと青色に光ったり、怪獣たちが蹂躙した跡地に急速に生命が芽吹く設定は、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」と言った宮崎駿のアニメーション映画を思わせる。
神話に語られた地球の守護神としての怪獣たちに、アトランティ文明的な遺跡の存在は、平成「ガメラ」シリーズから。
怪獣の戦いに巻き込まれ、家族を亡くした遺族の怒りは「ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒」に描かれていて、この作品の手塚とおると山咲千里のキャラクターは、本作のエマとアランの原型か。
日本版の音楽を、思いっきり前面に出して使ってくるのも驚いた。
ギドラとの決戦で伊福部昭の「ゴジラのテーマ」、モスラの羽化シーンで古関裕而の「モスラの歌」がかかると、自然にテンションが上がる。

そして何と言っても、今回人間で一番美味しいところを持ってゆくのは、渡辺謙演じる芹沢博士である。
水爆実験の熱線によって焼かれ、ケロイドの皮膚を持つ突然変異した恐竜の生き残りという設定の初代ゴジラは、倫理を忘れた人類の科学によって生まれた、恐怖の象徴だった。
そのゴジラを殺すために、オキシジェン・デストロイヤーを使用した初代芹沢博士は、自らもゴジラと共に海に消えた。
対して本作のゴジラは、疲弊したこの星を救うために復活した荒ぶる神であり、人類にとっては脅威であるのと同時に一縷の希望だ。
本作で二代目芹沢博士は、ゴジラを生かし、人類を救ってもらうために、人類の罪の象徴である核を使う。
殺すためと生かすためと目的は違っても、共に暴走する科学が作り出した悪魔の兵器を使った二人の芹沢博士は、人類の原罪を背負ってその命を差し出さなければならなかったのである。
一方、地球環境の調和を取り戻すために、神である怪獣たちを操ろうとしたエマも、科学者としての自らの傲慢さに気付いておらず、最終的にはその対価を払わされる。
思想の異なる二人の科学者の最期は、初代ゴジラから連なるコントロール不能の科学への懸念と、自然への畏怖の念というシリーズのテーマを体現するものだ。

今年は、木城ゆきとの「銃夢」をジェームズ・キャメロンとロバート・ロドリゲスが映画化した「アリータ:バトル・エンジェル」やポケモン世界の初の実写映画化「名探偵ピカチュウ」など、日本にルーツを持つハリウッド映画の秀作が目立つ。
一昔前のエメリッヒ版「ゴジラ」や「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」などと比べると、決定的に異なるのが、作り手からオリジナルへの熱いリスペクトと作品愛だ。
本作も、全く異なる文化を持つハリウッドの映画人が、ここまで深くゴジラ映画の真髄を理解し、愛情を持って扱ってくれていることに素直に感動。
エンドクレジットで、ゴジラ、ラドン、ギドラが“HImself”、モスラが“Herself”になってたのにはオタクのこだわりと愛を感じた。
ドハティにとって、怪獣は実在しているのだなあ。
「ゴジラ対ヘドラ」の監督であり、2014年版「GODZILLA ゴジラ」の生みの親の一人でもある坂野義光と、ゴジラの中の人こと中島春雄への献辞にもグッときた。
中島春雄は、これで初めて「主役」としてゴジラ映画で顔が映った訳だ。
ちなみにエンドクレジット後のおまけ映像は、来年公開が決まっている「Godzilla vs Kong」のさらにその次に対する布石か。
平成シリーズのアレを期待しちゃうけど、果たして。

今回は怪獣王の話なので、カクテルの王と呼ばれる「マティーニ」をチョイス。
ドライ・ジン45ml、ドライ・ベルモット15mlをステアしてグラスに注ぎ、オリーブを一つ沈める。
ジンの比率が増えると、ドライ・マティーニとなる。
辛口流行りの今はこちらの方がむしろ主流。
非常にシンプルなカクテルだが味わいは奥深く、決して飲み飽きないのは王者の風格。

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