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2019年07月21日 (日) | 編集 |
「アイ」は全てを凌駕する。
日本映画史上歴代二位の250億円の興行収入を記録し、全世界では400億円近くを稼ぎ出したメガヒット作「君の名は。」から3年。
新海誠の最新作「天気の子」は、大成功後の萎縮など全く見られず、むしろエネルギー全開、開き直ったかの如く、やりたい放題の大怪作だ。
天候が狂い出し、異常気象が猛威を振るう東京で、路頭に迷った地方出身の家出少年と、局地的に晴天を呼ぶことができる特殊能力を持った少女が出会い、生きることに迷い、初恋の衝動に葛藤する青春スペクタクルファンタジー。
かなり作家性の強いトリッキーな作品なので、賛否両論になりそうな気はするが、物語は前作以上に先を読ませず、緻密の極地と言えるビジュアルはそれはそれは美しい。
前作に引き続き音楽を担当するRADWIMPSの楽曲も、ボーカルの三浦透子の歌声が耳に新しく、マッチングはバッチリだ。
夏休みのエンターテイメント大作として見応えたっぷりで、映画通りの異常な長梅雨の続くこの夏、心の雨を一気に晴らすパワフルな作品である。
✳︎核心部分に触れています。
16歳の森嶋帆高(醍醐虎汰朗)は、離島の閉塞した生活から逃れ、東京へと家出してきたものの、生活はすぐに困窮。
ようやく見つけた仕事は、フリーライターの須賀圭介(小栗旬)が経営する、怪しげな編集プロダクションの雑用係。
オカルト雑誌向けの記事のネタを探していたある日、帆高はどんな雨の日でも晴れを呼べるという不思議な少女・天野陽菜(森七菜)と出会い、彼女の驚くべき能力を目の当たりにする。
両親を亡くし、アパートで小学生の弟・凪(吉柳咲良)と二人暮らししている陽菜のために、帆高は晴れの日を呼ぶビジネスを思い付く。
顧客は順調に増えてゆくが、その頃から陽菜の体に異変が起こり始める。
同じ頃、須賀のプロダクションでアシスタントをしている夏美(本田翼)は、世界中の文化に見られる天気の巫女の存在を取材していた。
長雨に晴れを、干ばつに雨を呼ぶ巫女たちには、ある共通した運命があった・・・・
全体の構造は、「君の名は。」によく似ている。
彗星の衝突という天変地異は、永遠に続く雨という異常気象となり、時空を超えて体が入れ替わる現象は、天気を操ることのできる特殊能力に。
組紐や口噛み酒といったアニミズムを背景とした伝統文化は、都会の廃ビルの屋上に鎮座する小さな社と、天気の巫女の存在となった。
これらの要素を、思春期の熱い恋心で一気にまとめあげるという点では、「君の名は。」からの延長線上にある作品だが、本作ではさらに新海誠の作家性が純化されている。
彼の作品世界では「アイ」に勝る価値のあるものは無く、そのためならどんなことでも許される。
前作では、異なる時空と死によって、永遠に別たれた運命の恋人たちを結びつけるため、「時間の巻き戻し」という禁じ手を使ったが、スクリーンからほとばしるキャラクターのエモーションによって納得させられてしまった。
そして、故郷の町を彗星から救うために疾走した少女にかわって、愛する人を取り戻すべく水没した東京を少年が疾走する本作の展開は、ある意味でさらに強引だ。
「君の名は。」で起こることには、一応それぞれに理屈付けはされていた。
瀧と三葉の体が入れ替わるようになるのは、瀧が宮水神社の御神体の中で、三年前に三葉が持ってきた口噛み酒を飲んで“結び”と出会ったから。
しかも宮水の女たちは、代々同じ能力を持っていたことが示唆される。
鶏が先か卵が先かという時間のパラドクスはあるものの、何がどうしてこうなったというロジックは抜かりなく構築されていた。
ところが、本作ではあらゆる現象が説明なしに展開する。
なぜ陽菜が天気の巫女に選ばれたのか、あの天空の世界は一体なにか、なぜ帆高は彼女の元へと行けたのか、物理法則でないなら、天気を司っているのはなんなのか、そもそも東京の天気はなぜおかしくなってしまったのか。
本作は、歴史上多くの文化に天気の巫女がいて、それはある種の人柱だという以外、一切の説明を放棄する。
力を使いすぎた陽菜が忽然と消えると、帆高の「もう一度、陽菜に会いたい」という願いだけを、唯一の燃料にして突っ走るのである。
物語のバックボーンとなっているのは「世界は最初から狂っている」の一言だけ。
いやいや、少なくともこの映画の世界においては、狂わせたのは新海監督、貴方やんか(笑
おそらく、この展開と世界観が受け入れられるかどうかで本作の評価は別れそうだが、私はここまで来たら唯一無二の作家性として積極的に肯定したい。
本作で特徴的なのは、主要登場人物が揃って社会から弾き出されたアウトローだということだ。
主人公の帆高は家出少年で、東京に来てからはホームレス寸前の生活を送り、ひょんなことから拳銃を手に入れてしまい、結果警察に追われることに。
陽菜は母を亡くし、小学生の弟と二人暮らしで、どうやら学校へも行かず、年齢を隠してアルバイトに明け暮れていて、児童相談所にマークされている。
帆高を雇うことになる圭介も、怪しげなライター稼業で細々稼ぎ、亡き妻の母と暮らしている娘ともなかなか会わせてもらえない。
圭介のアシスタント的な仕事をしている夏美は、本職は大学生で、圭介の事務所には見切りをつけているものの、就活はことごとく落ちてばかり。
皆、「世界」と対立することで、閉塞した「セカイ」に生きざるを得ない人々なのだ。
帆高がなぜそれほど故郷を出たかったのか、陽菜の周りには頼る大人はいないのか、圭介の過去に起こったことなど、登場人物の背景は世界観のロジック同様最低限しか描きこまれていないが、これはあくまでの“今”の葛藤にフォーカスし物語を走り抜けるためだと思う。
陽菜が天気を操る能力を得る社がある他、クライマックスの舞台となるなど、重要なロケーションとなる廃ビルが、実在する代々木会館なのも象徴的。
このビルは、1970年代を代表する大ヒットドラマ、「傷だらけの天使」に登場するエンジェルビルとしても知られる。
あのドラマで萩原健一と水谷豊が演じたはみ出し者の探偵、小暮修と乾亨のキャラクターは、本作の圭介と夏美、そして帆高にも投影されているし、小暮修はエンジェルビルの屋上にあるペントハウス(というか小屋)に住んでいた。
圭介が妻の実家に子供を預けているのも、小暮と共通だ。
70年代の怒れる若者たちと同様に、本作の登場人物は皆、ベターな明日を渇望しながら、一般の社会の規範にいまひとつ適応できずに、抗っている人たちなのである。
しかし、本作の東京は少しずつ狂っていき、世界は本来あるべき姿を失ってゆく。
この映画における異常気象や超自然的な現象は、主人公の「セカイ」と「世界」を相対化させる装置。
当たり前の規範がもはや崩れ、混沌が覆う時、対立する二つの概念はついに帆高の中で一つとなる。
たとえ半分壊れた世界だとしても、思春期の主人公にとって「アイ」よりも大切なものは存在しないのだ。
だから、どうしょうもないこの世界を背負うことなんて考えず、自分たちでできることをしながら、そこで生きてゆく。
物語の主人公としては恐ろしく青臭い結論だが、だからこそこの映画はどこまでもピュアで、圧倒的に美しい。
天気がモチーフだけに、濃厚な空気の存在を感じさせる映像は相変わらず素晴らしいクオリティで、細部までリアルに再現されたよく知った東京の風景が、永遠の雨によって滅びてゆく様はなかなかのスペクタクル。
代々木会館は新たな聖地になりそうだけど、残念ながら来月には解体が始まっちゃうとか。
消えゆく代々木の名物も、スクリーンの中で永遠になった。
「君の名は。」のキャラクターが、チラチラと登場するセルフオマージュも楽しい。
2021年が舞台の本作は、ちょうど瀧と三葉が再開した頃だと思うと、三葉のセリフも余計に染みる。
まあ、あの映画では雨は降ってなかったからパラレルワールドだろうけど。
もともと「君の名は。」が「言の葉の庭」のパラレルワールだったから、新海誠の世界はどんどんマルチバース化しているな。
そのうちMCUみたいに、クロスオーバーしたりしても面白いかも(笑
それにしても、彗星の衝突に続いて永遠の雨で東京沈没とか、新海誠は「アイ」を語るアニメーション版のエメリッヒだな。
今回は、雨の映画だから「M-30 レイン」をチョイス。
ウォッカ60ml、パンペルムーゼ15ml、ライム・ジュース15ml、ブルー・キュラソー1/2tspを氷と共にシェイクし、グラスに注ぐ。
奇妙な名前だが、名バーテンダーの植田和男氏が、坂本龍一の「ラスト・エンペラー」のために作曲した44曲のうち30番目「レイン」にインスパイアされて考案し、彼にプレゼントしたもの。
淡いブルーが美しく、パンペルムーゼのちょっとビターな味わいが心に染みる。
ところで観てるうちに、前作の長澤まさみと同じように、本田翼の「夏美さん」にだんだんとハマってしまった。
すっかり思春期男子の目線になってるので、大人っぽい大学生のお姉さんにはドキドキしちゃう。
東京では映画通りの長雨の中、公開初日にホントに晴れ間がのぞいたのには驚いたけど、100パーセントの晴れ男は、新海誠じゃないの。
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日本映画史上歴代二位の250億円の興行収入を記録し、全世界では400億円近くを稼ぎ出したメガヒット作「君の名は。」から3年。
新海誠の最新作「天気の子」は、大成功後の萎縮など全く見られず、むしろエネルギー全開、開き直ったかの如く、やりたい放題の大怪作だ。
天候が狂い出し、異常気象が猛威を振るう東京で、路頭に迷った地方出身の家出少年と、局地的に晴天を呼ぶことができる特殊能力を持った少女が出会い、生きることに迷い、初恋の衝動に葛藤する青春スペクタクルファンタジー。
かなり作家性の強いトリッキーな作品なので、賛否両論になりそうな気はするが、物語は前作以上に先を読ませず、緻密の極地と言えるビジュアルはそれはそれは美しい。
前作に引き続き音楽を担当するRADWIMPSの楽曲も、ボーカルの三浦透子の歌声が耳に新しく、マッチングはバッチリだ。
夏休みのエンターテイメント大作として見応えたっぷりで、映画通りの異常な長梅雨の続くこの夏、心の雨を一気に晴らすパワフルな作品である。
✳︎核心部分に触れています。
16歳の森嶋帆高(醍醐虎汰朗)は、離島の閉塞した生活から逃れ、東京へと家出してきたものの、生活はすぐに困窮。
ようやく見つけた仕事は、フリーライターの須賀圭介(小栗旬)が経営する、怪しげな編集プロダクションの雑用係。
オカルト雑誌向けの記事のネタを探していたある日、帆高はどんな雨の日でも晴れを呼べるという不思議な少女・天野陽菜(森七菜)と出会い、彼女の驚くべき能力を目の当たりにする。
両親を亡くし、アパートで小学生の弟・凪(吉柳咲良)と二人暮らししている陽菜のために、帆高は晴れの日を呼ぶビジネスを思い付く。
顧客は順調に増えてゆくが、その頃から陽菜の体に異変が起こり始める。
同じ頃、須賀のプロダクションでアシスタントをしている夏美(本田翼)は、世界中の文化に見られる天気の巫女の存在を取材していた。
長雨に晴れを、干ばつに雨を呼ぶ巫女たちには、ある共通した運命があった・・・・
全体の構造は、「君の名は。」によく似ている。
彗星の衝突という天変地異は、永遠に続く雨という異常気象となり、時空を超えて体が入れ替わる現象は、天気を操ることのできる特殊能力に。
組紐や口噛み酒といったアニミズムを背景とした伝統文化は、都会の廃ビルの屋上に鎮座する小さな社と、天気の巫女の存在となった。
これらの要素を、思春期の熱い恋心で一気にまとめあげるという点では、「君の名は。」からの延長線上にある作品だが、本作ではさらに新海誠の作家性が純化されている。
彼の作品世界では「アイ」に勝る価値のあるものは無く、そのためならどんなことでも許される。
前作では、異なる時空と死によって、永遠に別たれた運命の恋人たちを結びつけるため、「時間の巻き戻し」という禁じ手を使ったが、スクリーンからほとばしるキャラクターのエモーションによって納得させられてしまった。
そして、故郷の町を彗星から救うために疾走した少女にかわって、愛する人を取り戻すべく水没した東京を少年が疾走する本作の展開は、ある意味でさらに強引だ。
「君の名は。」で起こることには、一応それぞれに理屈付けはされていた。
瀧と三葉の体が入れ替わるようになるのは、瀧が宮水神社の御神体の中で、三年前に三葉が持ってきた口噛み酒を飲んで“結び”と出会ったから。
しかも宮水の女たちは、代々同じ能力を持っていたことが示唆される。
鶏が先か卵が先かという時間のパラドクスはあるものの、何がどうしてこうなったというロジックは抜かりなく構築されていた。
ところが、本作ではあらゆる現象が説明なしに展開する。
なぜ陽菜が天気の巫女に選ばれたのか、あの天空の世界は一体なにか、なぜ帆高は彼女の元へと行けたのか、物理法則でないなら、天気を司っているのはなんなのか、そもそも東京の天気はなぜおかしくなってしまったのか。
本作は、歴史上多くの文化に天気の巫女がいて、それはある種の人柱だという以外、一切の説明を放棄する。
力を使いすぎた陽菜が忽然と消えると、帆高の「もう一度、陽菜に会いたい」という願いだけを、唯一の燃料にして突っ走るのである。
物語のバックボーンとなっているのは「世界は最初から狂っている」の一言だけ。
いやいや、少なくともこの映画の世界においては、狂わせたのは新海監督、貴方やんか(笑
おそらく、この展開と世界観が受け入れられるかどうかで本作の評価は別れそうだが、私はここまで来たら唯一無二の作家性として積極的に肯定したい。
本作で特徴的なのは、主要登場人物が揃って社会から弾き出されたアウトローだということだ。
主人公の帆高は家出少年で、東京に来てからはホームレス寸前の生活を送り、ひょんなことから拳銃を手に入れてしまい、結果警察に追われることに。
陽菜は母を亡くし、小学生の弟と二人暮らしで、どうやら学校へも行かず、年齢を隠してアルバイトに明け暮れていて、児童相談所にマークされている。
帆高を雇うことになる圭介も、怪しげなライター稼業で細々稼ぎ、亡き妻の母と暮らしている娘ともなかなか会わせてもらえない。
圭介のアシスタント的な仕事をしている夏美は、本職は大学生で、圭介の事務所には見切りをつけているものの、就活はことごとく落ちてばかり。
皆、「世界」と対立することで、閉塞した「セカイ」に生きざるを得ない人々なのだ。
帆高がなぜそれほど故郷を出たかったのか、陽菜の周りには頼る大人はいないのか、圭介の過去に起こったことなど、登場人物の背景は世界観のロジック同様最低限しか描きこまれていないが、これはあくまでの“今”の葛藤にフォーカスし物語を走り抜けるためだと思う。
陽菜が天気を操る能力を得る社がある他、クライマックスの舞台となるなど、重要なロケーションとなる廃ビルが、実在する代々木会館なのも象徴的。
このビルは、1970年代を代表する大ヒットドラマ、「傷だらけの天使」に登場するエンジェルビルとしても知られる。
あのドラマで萩原健一と水谷豊が演じたはみ出し者の探偵、小暮修と乾亨のキャラクターは、本作の圭介と夏美、そして帆高にも投影されているし、小暮修はエンジェルビルの屋上にあるペントハウス(というか小屋)に住んでいた。
圭介が妻の実家に子供を預けているのも、小暮と共通だ。
70年代の怒れる若者たちと同様に、本作の登場人物は皆、ベターな明日を渇望しながら、一般の社会の規範にいまひとつ適応できずに、抗っている人たちなのである。
しかし、本作の東京は少しずつ狂っていき、世界は本来あるべき姿を失ってゆく。
この映画における異常気象や超自然的な現象は、主人公の「セカイ」と「世界」を相対化させる装置。
当たり前の規範がもはや崩れ、混沌が覆う時、対立する二つの概念はついに帆高の中で一つとなる。
たとえ半分壊れた世界だとしても、思春期の主人公にとって「アイ」よりも大切なものは存在しないのだ。
だから、どうしょうもないこの世界を背負うことなんて考えず、自分たちでできることをしながら、そこで生きてゆく。
物語の主人公としては恐ろしく青臭い結論だが、だからこそこの映画はどこまでもピュアで、圧倒的に美しい。
天気がモチーフだけに、濃厚な空気の存在を感じさせる映像は相変わらず素晴らしいクオリティで、細部までリアルに再現されたよく知った東京の風景が、永遠の雨によって滅びてゆく様はなかなかのスペクタクル。
代々木会館は新たな聖地になりそうだけど、残念ながら来月には解体が始まっちゃうとか。
消えゆく代々木の名物も、スクリーンの中で永遠になった。
「君の名は。」のキャラクターが、チラチラと登場するセルフオマージュも楽しい。
2021年が舞台の本作は、ちょうど瀧と三葉が再開した頃だと思うと、三葉のセリフも余計に染みる。
まあ、あの映画では雨は降ってなかったからパラレルワールドだろうけど。
もともと「君の名は。」が「言の葉の庭」のパラレルワールだったから、新海誠の世界はどんどんマルチバース化しているな。
そのうちMCUみたいに、クロスオーバーしたりしても面白いかも(笑
それにしても、彗星の衝突に続いて永遠の雨で東京沈没とか、新海誠は「アイ」を語るアニメーション版のエメリッヒだな。
今回は、雨の映画だから「M-30 レイン」をチョイス。
ウォッカ60ml、パンペルムーゼ15ml、ライム・ジュース15ml、ブルー・キュラソー1/2tspを氷と共にシェイクし、グラスに注ぐ。
奇妙な名前だが、名バーテンダーの植田和男氏が、坂本龍一の「ラスト・エンペラー」のために作曲した44曲のうち30番目「レイン」にインスパイアされて考案し、彼にプレゼントしたもの。
淡いブルーが美しく、パンペルムーゼのちょっとビターな味わいが心に染みる。
ところで観てるうちに、前作の長澤まさみと同じように、本田翼の「夏美さん」にだんだんとハマってしまった。
すっかり思春期男子の目線になってるので、大人っぽい大学生のお姉さんにはドキドキしちゃう。
東京では映画通りの長雨の中、公開初日にホントに晴れ間がのぞいたのには驚いたけど、100パーセントの晴れ男は、新海誠じゃないの。

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