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ショートレビュー「ホテル・ムンバイ・・・・・評価額1650円」
2019年09月26日 (木) | 編集 |
本当の悪魔は誰か?

2008年11月26日、インド最大の都市ムンバイで、鉄道の駅や病院、ホテルなどが武装集団に襲撃され、400人以上の死傷者を出す同時多発テロ事件が起こった。
本作は、事件当日に多くの人々が取り残された、タージマハル・ホテルを舞台とした群像劇。
凄まじい緊張感が2時間ずっと持続する、とてつもなく恐ろしい擬似体験映画だ。
監督はオーストラリア出身で、キプロス紛争をモチーフとした短編映画「The Palace」などで国内外で高い評価を受けたアンソニー・マラス。
豪印合作の本作で長編デビューを飾り、見事な結果を出した。

圧倒的で身の毛もよだつ暴力に直面した時、抵抗する手段を持たない人はどう行動するのか、すべきなのか。
突然の出来事に取り残された数百人の宿泊客たちの極限の生き様と、彼らを守り通そうとするホテルマンたちの矜持、そして事件の実行犯となった若者たちの背景にあるもの。
100年以上の歴史を持つタージマハル・ホテルは、インドを代表する高級ホテルゆえに外国人の宿泊客も多く、世界に“恐怖”を植えつけたいテロリストにとっては格好の標的。
彼らの目的は身代金ではなく、一人でも多くの異教徒を殺すこと。
最初から死を覚悟した実質的な自殺攻撃なので、解放を交渉することも出来ない。
見つかれば確実に殺されるという状況下で、ただひたすら迷路のような巨大なホテルの中で、犯人たちの目を逃れ、隠れるしかない絶望感。

デーヴ・パテルやアーミー・ハマーと言ったスター俳優も出ているが、実話ベースの映画ゆえ、いわゆる“フラグ”も容赦なく裏切ってくる。
ここでは生と死をわけるのは単なる偶然に過ぎないので、1秒たりとも気を抜けるところが無く、観終わってどっと疲れた。
映画では一晩の話に見えるが、実際に特殊部隊の突入によってホテル全体が制圧されたのは、最初の襲撃から3日が経った11月29日のことだったという。
いつどこで犯人と出くわすか分からず、1分先の生すら保証されない、凄まじい惨禍の中に3日!
このシチュエーション、もし自分だったらどうするかと思うと、背筋が凍る。
耐えられずに精神崩壊して、フラフラと犯人の前に出て射殺されそう。

11年が経過した今も、事件の全貌は明らかになっておらず、生きて捕まった実行犯は、鉄道駅などで72人を殺害したとして死刑判決を受けたパキスタン人一人だけ。
劇中でも犯人グループの若者が、ホテルで初めて水洗トイレを見て驚く描写があるが、貧しさゆえにやり場のない怒りを抱いた無学な若者たちを、過激思想で洗脳し、チェスの駒のように操って死に追いやり、自分は楽しんだ挙句に逃げおおせた「声だけの黒幕」が一番おぞましい。
貧困とそれを利用する者こそが、本当の悪魔であり、悪魔の仕掛けだということがよく分かる。

それにしても、劇中でもかなりショボかったが、インド警察ちょっと貧弱すぎだろう。
都市圏の人口が2000万を超える世界有数の大都会なのに、対テロ特殊部隊も無く、デリーから呼び寄せてもいつまで経っても現場に到着しない。
実際、この事件が起こる前には多くの警告や前兆があったのに、防ぐことが出来なかった。
行き当たりばったりの対応が、インドっぽいといえばそんな気もするが、過去にもテロ攻撃はあったんだからもうちょっと出来ることはあったはず。
今では対策も強化されていると信じたいものだ。

今回は、舞台となるホテルと同じ名を持つビールを。
インドの国民的銘柄、キングフィッシャーで有名なUBグローバルが生産する「タージマハル プレミアム ラガービール」をチョイス。
基本的な味わいは、キングフィッシャーと似たスッキリとライトなテイスト。
事件で大きな被害を受けたタージマハル・ホテルは、今はすっかり修復されて賑わいを取り戻しているそうだが、いつかタージマハルでタージマハルを飲んでみたいものだ。

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見えない目撃者・・・・・評価額1750円
2019年09月23日 (月) | 編集 |
もう二度と失わない。

これは凄い映画だ。
事故で失明し、心に傷を抱えた元女性警官が、図らずも事件の“目撃者”となり、残虐な殺人犯と対決する、アン・サンフン監督のサスペンススリラー、「ブラインド」の日本版リメイク。
普通リメイク映画は、元の話を知っているとどうしても新鮮味が落ちるもの。
ところが本作は、オリジナルの韓国版も中国リメイク版も軽々と超え、ぶっちゃけはるかに面白い。
主人公の女性が、もう一人の若い男の目撃者と共に犯人に迫るプロットのアウトラインは同じだが、ディテールの密度が桁違いに濃いのだ。
犯人像の日本ならではのローカライズ要素、新たに設定された伏線など、プロットのあらゆる部分が強化され、オリジナルを観ていても充分以上にに楽しめる。
オリジナルでキム・ハヌル、中国版ではヤン・ミーが演じた主人公を、吉岡里帆がキャリアベストの好演で魅せる。
監督と脚色は、「リトル・フォレスト冬春夏秋」四部作が素晴らしかった森淳一。
共同脚本の藤井清美と共に、見事な仕事をしている。
※核心部分に触れています。

警察学校を首席で卒業した浜中なつめ(吉岡里帆)は、卒業式の日に交通事故を起こし、同乗していた弟の大樹を死なせ、自らも視力を失い、警察官としての将来を断たれる。
それから三年が経ったが、なつめは今も弟の死を乗り越えられないでいた。
ある日、スケボーと自動車の接触事故の現場に居合わせたなつめは、停止した車の後部座席から窓を叩く音と、「助けて」という若い女性の声を聞くが、ドライバーは走り去ってしまう。
誘拐事件を疑ったなつめは警察に通報。
刑事の木村(田口トモロヲ)と吉野(大倉孝二)が捜査に当たるも、該当するような失踪捜索願は出ていない。
そんな時、車と接触したスケボーの高校生、国崎春馬(高杉真宙)が特定される。
事情を聞かれた春馬は、後部座席に女性はいなかったと証言し、事件は終わったかに思われた。
しかし、納得できないなつめは、春馬に協力させて独自に調べはじめ、最近行方が分からなくなった家出人の女子高生がいること、彼女が“救さま”と呼ばれる謎の人物と接触していたことを突き止めるのだが・・・


21世紀のサスペンススリラーの本場、韓国の御株を奪うかのごとき傑作だ。
2011年に公開された「ブラインド」は、まずまず面白い映画だったが、色々目に付く欠点があって、正直手放しで絶賛できる仕上がりではなかった。
アン・サンフンが自ら手がけた中国版のリメイクでも、ある程度のローカライズや改良はやっているものの、プロットの根本的な問題はそのまま放置されていたので、やはり今ひとつな印象のまま。
最大の欠点は、早々に顔出しされる犯人のキャラクターに、単なる変態さんを超える魅力が無く、行動原理が不明瞭なまま進行してしまうことだろう。

オリジナルで主人公が事件と接する起点は、彼女がタクシーと間違えて女を漁る犯人の車に乗ったこと。
ところが犯人は途中で交通事故を起こし、瀕死の被害者を拉致すると、主人公を置き去りにして逃走するのである。
だから主人公も、ただのひき逃げ事故として警察に届けるのだが、この時点では世間を騒がせている女性失踪事件の犯人だとは誰も思っていない。
問題は、失踪事件とひき逃げが結びついた訳でもないのに、犯人が多大なリスクを冒して主人公ともう一人の目撃者を執拗に追い回し、結果として全てが明るみ出てしまうことだ。
犯人は性犯罪者の医師という設定だが、後先考えない行動があまりにも愚かすぎるのである。
その他にも登場人物の行動に疑問符がつく描写が多々あり、全体として“目の見えない目撃者”というワンアイディアに頼りすぎて強引に展開させている印象。

対して日本版では、最初から主人公に誘拐事件だと認識させることで、被害者生存率が72時間を経過すると低下するタイムリミットを意識させ、展開をスピーディーかつスリリングに。
犯人像も最初から見せずに、徐々に正体に迫る構造としてミステリとしての魅力を追求。
さらにオリジナルで犠牲者の遺体が発見されるのは、事件の全貌が明らかになった後だったが、こちらは中盤で手、鼻、口、耳が切り取られた4人の遺体が発見され、犯行の目的を単純な快楽殺人から、過去の事件と関連する宗教的な儀式殺人として猟奇性を高めると共に犯行動機を強化。
終盤になって明かされる犯人の正体も、意外性と共に説得力があり、キャラクターとしてより魅力的で恐ろしい存在になっている。
R15指定でスプラッター描写はかなりキツ目だが、悪趣味になってしまうギリギリで寸止めしているので、ホラー耐性がそれほどない人でもなんとか大丈夫だろう。
また、あまり意味のなかった主人公の孤児設定をやめて、母親との感情の対比で弟の喪失の意味を深め、拳銃や弟の形見の品といったアイテムも、緻密に配された伏線によって、主人公のエモーションを強化する形で生かされているのが素晴らしい。

キャラクターの関係性でも、オリジナルでは単なる証人にすぎない主人公が、まるで刑事とバディのように行動を共にしていたのが不自然だったが、こちらではなつめと春馬の市民コンビと、木村と吉野の公僕コンビが、それぞれのルートで事件の真相に迫るマルチトラック構成。
終盤に全ての要素が事件の真相へと収束し、ミステリならではの謎解きのカタルシスを感じられる様になった。
なつめを演じる吉岡里帆という役者さんは、過去の作品からなんとなく生真面目で堅いイメージがあったのだが、本作では心に傷を抱えた元エリート警察官という役柄にピタリとハマる。
事件の捜査は、なつめが3年前の悲劇から立ち直るための、段階を踏んだ復活のプロセスにもなっていて、クライマックスで犯人と直接対決するシーンでは、一度はなすすべなく全てを失ったが、二度目は絶対に失わないという決意が、熱いパッションとなってスクリーンから迸る。
喪失と再生のドラマを見事に演じきり、間違いなく彼女の代表作となるだろう。

犯人の設定変更とあわせて、被害者たちを親に見捨てられた子供たち、ある種のインビジブルピープルとして共通する社会性を持たせたのも良かった。
たまたま通りかかった誰かよりも、ずっと興味深く、感情移入出来る設定だ。
森淳一と藤井清美の脚色は、例えば地下鉄駅での手に汗握る追跡劇など、オリジナルの優れたエンターテイメント要素を最大限生かしながら、プロット上の欠点を徹底的に潰した上で、日本ならではのローカライズを加え、驚くべき未見性のある作品に仕上げている。
もちろん、オリジナルの土台があっての作品なのは間違いないが、リスペクトを捧げつつ、的確な脚色とオリジナリティを追求した制作スタンスによって、トンビがタカどころかオオワシを産んだ稀有な例となった。
リメイク映画のお手本のような作品だが、個人的に嬉しかった改変点は、とても愛らしい犬ちゃんを殺さなかったこと。
あれはオリジナルで一番キツイ描写だったから。
関係ないけど、國村隼は韓国のスリラー絡みだと「哭声/コクソン」の印象が強すぎて、真犯人かと疑ってしまった(笑

吉岡里帆は日本映画の聖地、京都は太秦の生まれだそう。
今回は京都の地酒、増田徳兵衛商店の「月の桂 純米酒」をチョイス。
米の香りと甘み、適度な酸味も感じられ、キリッと澄んだ仕上がり。
今の季節は冷酒が美味いが、寒くなれば燗でもいけそう。
シチュエーションを選ばない、クセの無いナチュラルなお酒だ。

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アド・アストラ・・・・・評価額1700円
2019年09月21日 (土) | 編集 |
その旅の終わりに、答えはあるのか?

「アド・アストラ」とは、ラテン語で「星々へ」の意味。
ブラッド・ピットが自身初の本格SFで近未来の宇宙飛行士を演じ、29年前にある計画のため宇宙探査に出て行方不明となった父を探して、43億キロの遠大な旅に出る。
死んだと思われていた父は、なぜ今行動を起こしたのか?
失われた父性に向かう旅路の果てに、主人公は何を見つけるのか?
「リトル・オデッサ」「エヴァの告白」などで知られる、ジェームズ・グレイ監督とイーサン・グロスによるオリジナル脚本。
今なおロイの心を支配する父クリフォードをトミー・リー・ジョーンズが演じ、ロイの別れた妻をリブ・タイラー、クリフォードの元同僚にドナルド・サザーランドといういぶし銀の布陣。
SF大作ではあるが、フィーチャーされるのは一人の男の内面であり、主人公の心の機微を繊細に演じるブラッド・ピットの演技が最大の見ものだ。
※核心部分に触れています。

近い未来。
宇宙軍のロイ・マクブライド少佐(ブラッド・ピット)は、地球外生命の存在の証拠を求め、深宇宙への冒険の旅の途中で消息を絶った父の後を追って、自らも宇宙飛行士の道を選んだ。
ある日、ロイは成層圏に聳えるアンテナの作業中、サージ電圧による事故に遭遇し地上へ落下するも、冷静な対応で一命を取り留める。
軍に呼び出されたロイは、衝撃の事実を知らされる。
世界規模で大混乱を引き起こしたサージは、海王星で起こった現象が波及したもので、その原因を作り出しているのが、死んだと思っていた父のクリフォード(トミー・リー・ジョーンズ)だと言うのだ。
ロイが10代だった29年前に地球を出発し、13年前に通信が途絶した父の宇宙船は今も海王星軌道上にいて、目的不明の反物質反応を引き起こして、太陽系全体を危機に陥れている。
宇宙船の正確な位置を特定するために、ロイはサージの影響を免れた火星基地へ向かい、父に向けた音声メッセージを送ることに同意する。
しかし、メッセージを送った後に動揺をきたしたロイに、地球への帰還命令が下る。
彼は父のいる海王星へと向かう核爆弾を積んだ宇宙船に、なんとか乗り込もうとするのだが・・・・


物語の自由度の高いSFには、様々なアプローチの作品が存在する。
例えばスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」は、徹底的に現象のみを描くことで、宇宙における人間の存在の意味を哲学的に思考しようとした。
対照的なのが、宇宙の無限の虚空の中で、人間のエモーションに深く踏み込んだ作品で、ロバート・ゼメキスが天文学者のカール・セーガンの小説を映画化した「コンタクト」や、その強い影響を受けたクリストファー・ノーランの「インターステラー」が記憶に新しい。
これらは宇宙を人間の心を浮かび上がらせる舞台装置として捉えた作品で、本作もこの系譜に連なる一本と言っていいだろう。
違いは、「コンタクト」と「インターステラー」が共に父と娘の関係を軸にしていたのに対し、こちらは父と息子だということ。
同性同士ゆえに、より互いを鏡像として見る意味が強くなっている。

“近い未来”となっている、世界観設定が絶妙。
おそらく今後100年以内くらいのイメージなんだろうけど、宇宙は現在ほど遠くはなく、火星まではアクティブな人類の活動圏となっていて、ちょうど「2001年宇宙の旅」で描かれたのと同じくらいの技術レベル。
月面の居住区内だと、なぜか1/6の重力の差が全く反映されない辺りまで、あの映画をベンチマークしないで良かったと思うが、何か特別な技術が開発されているということにしておこう。
いずれにしても現実との地続き感は強く、充分にリアリティを感じられるレベル。
国境のない月面が資源争奪で無法状態だったり、動物実験が宇宙でも行われている描写も、本作のテーマを導き出す伏線としてうまく機能している。
「インターステラー」をはじめとするノーラン作品で知られる撮影監督、ホイテ・ヴァン・ホイテマがそのノウハウを注ぎ込んだ、ザラッとした硬質な手触りのフィルム撮りの映像も、画面に映っているものの実在感を高めて秀逸だ。

ブラッド・ピットが好演する宇宙飛行士ロイ・マクブライドは、どんな時でも心拍数が80を超えず、常に冷静沈着。
冒頭のサージ事故の際も、成層圏からの落下中に姿勢を整え、リスクを最小限に抑えてパラシュートを開き、帰還に成功する。
宇宙飛行士として優秀な反面、他者との関係はうまく築けず、妻のイヴとは離婚し子供もいないお一人さま。
本人は危険な仕事だから他人の人生を巻き込みたくないと嘯くが、多感な十代の時に父が失踪した影響は明らかで、コミュニケーションの姿勢に問題を抱えている。
そんな主人公が、アイデンティティの原点とも言える、父を探す旅を通して自らとも向き合ってゆくのが本作の骨子。
物語の構造は、いわば宇宙を舞台とした「闇の奥」であり、ロイを映画版「地獄の黙示録」の主人公ウィラード、クリフォードをカーツ大佐に当てはめればピタリとハマる。
これは自らの殻を破る為のメンターを求める、ちょっと遅めの“ビジョンクエスト”であり、中年男性版の“自分探しの旅”でもあるのだ。

宇宙軍の組織を守るため、オフィシャルには単に行方不明となり、任務に殉じた英雄ということになっているクリフォード。
息子のロイもそれを信じ、偉大な父の背中を追ってきたが、隠蔽されていた真実は、旅の途中で地球外生命探しを諦め、地球への帰還を求める者と、続行を主張する者の対立が生じ、クリフォードが帰還派を“粛清”したというもの。
利己的に争う人類の愚かしさとは無縁と思ってきた父の実像に、冷静沈着を信条とするロイも動揺せざるを得ない。
クリフォードの男性原理的な傲慢さの罪と直接向き合うために、強引な手段で宇宙船に乗り込んだことで、ロイ自身も大きな過ちを犯す。
二人のマクブライドの行動と罪が重なってくることで、ロイは否が応でも自分の中に父と同じ面があることを突きつけられるのである。
主人公は魅力的に造形されているが、ジェームズ・グレイの演出は、キャラクターへの過度の感情移入を求めず、適度な距離を置くことでより客観的にテーマ的な追及を深めているように思える。

私たち人類は、この宇宙で本当に孤独な存在なのだろうか?
この答えを見つけ出すためのクリフォードの旅と、29年後に彼の後を追ったロイの二世代に渡る遠大な旅の果てに、父と息子は現象としては同じ答えにたどり着くが、そこに全く逆の意味を見出す。
クリフォードは、「知的生命体は見つからなかったから、旅は失敗だった」と言うが、ロイは「失敗していない。(他の生命が見つからなかったこそ)私たちはお互いの関係が全てだ」と答えるのである。
人類が宇宙でも唯一無二の存在だとしても、それは孤独であることを意味しない。
私たち自身がお互いに寛容に共感し合い、心を開いて愛し合うことで、世界はより良き場所へとなってゆく。
この時点で彼は、名誉と実利的な結果をファーストプライオリティとする、男性原理的な父の罪から解放されているが、一方のクリフォード自身はそうではない。
地球から43億キロの物理的な旅と、内なる父と対話するロイの心の旅が絡み合い、人生に一つの答えを出す。
あまりに強引な宇宙船への帰還の方法とか、突っ込みたくなるディテールはあるものの、宇宙という虚空に浮かんだ人間性の根源を浮かび上がらせた、ウェルメイドなヒューマンドラマだ。

今回は宇宙飛行士を意味する「アストロノート」をチョイス。
ラム20ml、ウォッカ20ml、レモン・ジュース20ml、パッション・フルーツ・ジュース1dashをシェイクしてグラスに注ぐ。
半透明のイエローが月光を思わせ、美しい。
アルコール度数は高いが、レモンの酸味がスッキリとした味わいを演出する、華やかなカクテルだ。

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ショートレビュー「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ・・・・・評価額1700円」
2019年09月18日 (水) | 編集 |
どうして「イイネ」が欲しいのか。

ミドルスクールの最終学年、「エイス・グレード(8年生)」の卒業までの最後の2週間を描く瑞々しい傑作。
昨年、サンダンス映画祭でワールドプレミアを迎えると、ロッテントマトで肯定99パーセント、アベレージ8.9/10というハイスコアを叩き出し、数々の映画賞に輝いた愛すべき小品がようやくの日本公開。
主人公は、内向的でネット中毒気味の少女ケイラ・デイ。
四六時中スマホいじりし、 YouTuberとして活動していて、「なりたい自分になる」など自己啓発的なテーマで積極的に発信しているが、ほとんど誰も見ていない。
「レディ・バード」の様な、後先考えない猪突猛進型とは違った意味で、かなりイタタな女の子だ。

未知なるハイスクール進学まであと僅か。
漠然とした期待と不安を抱え、まだ何者にもなっていないケイラは、今のうちになんとかイケてない自分を変えたい。
リア充になって、イケてる誰かに自分を知ってほしい、見てほしいのだが、現実には対人関係がうまく築けない。
孤独なうちに承認欲求を抱えたティーンが、こぞってSNSに走るのは時代の必然。
面と向かっては、何かを言う勇気を持てない内向的なケイラでも、SNS、それも不特定多数に向けたYouTubeなら、相手の顔が見えないゆえに、気兼ねなく発信できる。
いつか山盛りの「イイネ」がつく日を夢見て、ケイラは今日もそれほど面白くない番組を配信し続ける。
決め台詞は「Gucci!」(笑

ケイラの家はお父さんのマークとの父子家庭で、独立心が芽生えてきて親に心配をかけたくない彼女と、お年頃で精神不安定な娘が心配でたまらない父との関係が物語の縦軸。
そこにクラスメイトとのぎこちない関係や、おバカな男子へのビターな初恋、背伸びした挙句の手痛いしっぺ返しなど、中学生あるあるの日常が横軸として絡んでゆく。
これ今だからモチーフになるのはSNSだけど、同じような承認欲求に突き動かされ、大人ぶって色々やらかした記憶は、世代を問わずに誰もが持っているはず。
だから、イタイなあとは思っても、誰もケイラのことを嫌いになれない。
タイムカプセルに入っていた2年前の自分からのビデオレターとか、非常に使い方が上手くて思わずグッとくる。
特別な事件は起こらないが、厨二病を患ったことのある誰もが共感できる、普遍性のある青春ドラマなのだ。

主人公を演じるエルシー・フィッシャーが素晴らしい。
日本だと芦田愛菜の吹替の方が馴染みがあるが、「怪盗グルー」シリーズの三女アグネス役をはじめ、今までのキャリアではどちらかと言うと声優として知られる若手女優。
可愛いんだけど、ちょいぽっちゃり体型とニキビ面が、普通の中学生のリアリティを醸し出す。
お父さん役のジョシュ・ハミルトンを含めて、有名過ぎないキャスティングが成功要因の一つだろう。
本作を観ていると、まるで「近所に住んでいるデイさんの家の話」に思えてくる。
そのぐらい実在感があって、キャラクターを身近に感じるのだ。

コメディアンでもあるボー・バーナム監督は、青春の悲喜こもごもの中にある人生の真実を、味わい深く描き出した。
本国公開ではミドルスクールの話なのにR指定になって、主人公世代が観られないのが物議を醸したそうだが、幸い日本では誰でも入場可のG指定。
これは是非とも、リアルな中学生に観てもらいたい作品だ。
自分自身に抗うケイラを通して、きっと色々な感情が湧き上がってくるだろう。

ケイラにはお酒はまだ早いけど、未来の彼女をイメージして「ホワイトレディ」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
半透明のホワイトが美しく、フルーティな味わいを辛口のジンがまとめ上げる。
いつの日か、ケイラもこんなカクテルが似合う、洗練された大人の女性になれる・・・かも知れない(笑

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高畑勲展ー日本のアニメーションに遺したもの “Takahata Isao: A Legend in Japanese Animation”
2019年09月17日 (火) | 編集 |
18年4月に亡くなった日本アニメーション界の至宝、高畑勲の回顧展。
東映動画時代に始まり、日本アニメーションで手がけた世界名作劇場を経て、スタジオジブリ設立から遺作となった「かぐや姫の物語」まで。
残した仕事にふさわしく、質量ともに圧倒的なボリュームで、下手な映画を何本か観るよりも一日中ここに詰めていたい。
高畑勲展01

原画やレイアウトの展示も豊富なのだけど、基本的に絵を描かない演出家だけあって、見どころはメモ書きなどの膨大な文書資料だ。
女性的な丸みのある美しい文字で書かれた文章は、静かな情熱を雄弁につたえてくる。
高畑さんはスタッフ全員がプロジェクト全体を把握するべきとして、“制作現場の民主化”を進めた人だから、多くのスタッフによる様々な提案書も残されている。
日本アニメーション史のターニングポイントなった、「太陽の王子 ホルスの大冒険」制作中の、予算を抑えたい会社と、妥協したくない現場の辛辣なやりとりの記録は初めて見たし、宮崎駿が主人公の名前をホルスとヒルダから、パズーとシータに変えたがっていたのは笑った。
確かに出自に秘密を抱える少女と活発な少年の話は共通点があり、ホルスをパズーにしてヒルダをシータに、グルンワルドをムスカ大佐に当てはめれば、ラピュタの原点がホルスなのは納得。

一番唸らされたのは、高畑さん一流の音楽演出の資料で、この人の仕事はやはり圧倒的に豊かな知識と教養に支えられているのがよく分かる。
内田吐夢監督の幻のアニメーション映画企画「竹取物語」のために、東映動画に入社したばかりの高畑さんが書いたメモには、竹取の翁が美しく成長し親離れしてゆくかぐや姫に嫉妬し、彼女を呪うという驚きの愛憎劇の案が書かれているが、これは物語全般への深い素養がないと書けない。
そして「この案はアニメーションには適さないだろう」という冷静な自己分析。
若い時のインプットって、ほんとうに大切なのだなと思わされる。

図録は頑張っているけど、さすがに展示資料全ては載せられていないし、ルーペが無いと読めないレベルにちっちゃくなっているので、現物をじっくり見るのが正解。
常設展も合わせて1500円は安すぎるくらいだし、文書資料をじっくり読んでいくと一日では終わらない量なので、複数回通ってもいい。
ちなみに音声ガイドの声は、アニメーション史をモチーフにしたNHKの朝ドラ「なつぞら」で、高畑さんをモデルとした坂場一久を演じている中川大志。
ドラマでは物腰穏やかな優男風だが、実際にこの天才と仕事をするのは相当な覚悟と実力が必要だっただろう。
オリジナルの登場人物がやたらと多かった「母をたずねて三千里」で、キャラクターデザインと作画監督を務めた小田部羊一は、あまりの激務に妻の奥山玲子に作画監督補佐となることを要請しなんとか乗り切るも、プロジェクト終了後にはマルコの絵を一切描けなくなったそうだ。
現場の高畑さんを知る多くの人は、一度は共に仕事をしたいが、二度はやりたくないと言う。
まさに狂気を秘めた孤高の存在だった。

東京国立近代美術館で10月6日まで。
高畑勲展02


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荒野の誓い・・・・・評価額1650円
2019年09月15日 (日) | 編集 |
誰もが、鉄の十字架を背負っている。

ジェフ・ブリッジスに初のオスカーをもたらした、「クレイジー・ハート」で知られる、スコット・クーパー監督によるいぶし銀の西部劇。
北アメリカ大陸の支配をかけ、旧大陸からの移民と先住民が戦い、数百年に及んだインディアン戦争が終結した19世紀末の西部。
冷酷な殺人狂と噂される退役間近の軍人が、余命幾ばくもない宿敵シャイアンの族長を、モンタナ州の部族の聖地へと護送することになる。
千マイルを超える長い旅路は、困難の連続。
はたして彼らは遺恨を克服し、目的地へ到達することができるのか。
主人公のベテラン軍人を、「ファーナス/訣別の朝」に続いてクーパーと再タッグを組んだクリスチャン・ベールが演じ、シャイアンの族長には、西部開拓史を描いた数々の名作で知られるウェス・ステューディ。
ロザムンド・パイクやベン・フォスター、ティモシー・シャラメら、重量級のキャストが脇を固める。

1892年、ニューメキシコ。
インディアン戦争で活躍し、退役を間近に控えたジョー・ブロッカー大尉(クリスチャン・ベール)は、かつての宿敵であるシャイアンの族長イエロー・ホーク(ウェス・ステューディ)を、ニューメキシコのフォート・ベリンジャーから部族の聖地があるモンタナ州の“熊の渓谷”へと護送する任務につく。
末期の癌を患うイエロー・ホークは、最期を部族の地で迎えたいと願い、先住民との和解を演出したい合衆国政府も受け入れたのだ。
ブロッカーと部下たち、イエロー・ホークとその家族たち、かつて殺し合い、今も反目する両者はしかし、いやでも協力せねばならない状況に陥る。
コマンチの残党が入植者の家族を惨殺し、ブロッカーの一行が唯一生き残ったロザリー(ロザムンド・パイク)を保護するも、今度は自分たちがコマンチに襲撃され、若い兵士を失ってしまう。
ブロッカーはやむなくイエロー・ホークたちの鎖を解き、なんとか中継地点のコロラド州フォート・ウィンズローへとたどり着くのだが・・・・


北アメリカ大陸の「インディアン戦争」の定義には諸説ある。
コロンブス上陸からのおおよそ400年間とする説もあれば、毛皮貿易を巡る1609年のいわゆるビーバー戦争を起点とする説。
終わりに関しても、合衆国の支配に抵抗するアパッチ族の最後の襲撃があった1924年とする説や、メキシコにおけるヤキ族の蜂起が鎮圧された1929年とする説、そもそも今だに抵抗運動は続いていて戦争は終わっていないとする主張もある。

しかし本格的な戦争は、すでに十数年間にわたって入植者と小競り合いを繰り返していたポウハタン族が、1622年にジェームズタウン入植地を襲撃し、400人が殺害された“ジェームズタウンの虐殺”から、本作の重要なバックグラウンドとなっている1890年の“ウンデット・ニーの虐殺”までとするのが一般的だ。
ウンデット・ニーの虐殺は、ジェームズ・フォーサイス大佐指揮下の第七騎兵隊が、大半が非武装だった300人のスー族を一方的に虐殺した事件で、本作の主人公のブロッカーはじめ、彼の部下たちもこの現場にいた設定。
ちなみにディズニー映画で有名なポカホンタスは、小競り合いが起こっていた時代のポウハタンの族長の娘で、ジェームズタウンの虐殺の5年前にイギリスで客死している。

物語の背景にはインディアン戦争の因縁があるが、本作は「戦争の宿敵同士が困難な旅を通して、仲直りしました」という美談だけを描いた、ハリウッド映画にありがちな話ではない。
確かに両者は和解にいたるが、それは物語の一面に過ぎないのだ。
映画は、英国の作家D.H.ローレンスの引用から始まる。
「The essential American soul is hard, isolate, stoic, and a killer. It has never yet melted.(本質的なアメリカの魂は、厳しく、孤独で、禁欲的で、人殺しだ。いまだに和らがない。)」
彼の「アメリカ古典文学研究」中で、「ヨーロッパの民主主義は命の鼓動だが、アメリカの民主主義は自己犠牲であれ他者の犠牲であれ、常に死に向かっている戯曲のようなものだ」と解いた文章の一説だが、この言葉こそ本作の描く19世紀末のアメリカ西部の世界そのものだ。

引用に続いて、ロザムンド・パイク演じるロザリーの暮らしが映し出される。
妻と夫、3人の愛らしい子供たちに囲まれた「大草原の小さな家」を思わせる、牧歌的風景。
しかし、そこに一家の馬を狙うコマンチの残党が現れると、平和な日常は血塗られた殺戮のフィールドへと変貌するのである。
ロザリー以外の家族が惨殺されると、場面は一転。
今度は逃亡したアパッチの家族を、ブロッカー率いる軍の部隊が容赦なく痛めつけている。
捕まえた捕虜は動物のように引きずられ、吹きっさらしの粗末な牢に押し込められて、皆絶望の表情を浮かべている。
どちらの側も、大きな罪を犯していることを端的に表現し、単純なポリコレの風潮に阿らない本作のスタンスを示した秀逸なオープニング。

ブロッカーの年齢と劇中の会話の内容から推測するに、彼は南北戦争はギリギリ経験していない世代で、軍歴のほとんど全てがインディアン戦争の渦中だったのだろう。
その戦い方は冷酷で、誰よりも多くの敵を、戦士だけでなく女子供も容赦なく殺し、軍内では伝説化しているほど。
一方で、彼が護送することになるイエロー・ホークも、ブロッカーの目の前で彼の部下を何人も殺しているという、まさに不倶戴天の天敵同士
途中で合流することになるロザリーや、ベン・フォスター演じる先住民の一家を殺して逃亡中のブロッカーの元部下も含めて、登場人物の誰もが弱肉強食のフォロンティアに生きて、大いなる喪失と罪の記憶を持っている。
彼らにとって、この世界で唯一確実に実感できるのは「死」のみ。
「神を信じるか?」と問われたブロッカーは、「神は信じるが、彼はここで起こっていることを見ていない」と言う。

死期の迫ったイエロー・ホークを送り届けるための彼らの旅路は、コマンチの襲撃から始まって、次から次へと困難が襲い、決して許されない原罪を抱えた人間たちは、一人また一人と、約束された死へと向かってゆく。
苦悩する人間たちの愚かさと小ささを、雄大な自然とのコントラストとして活写した、撮影監督・高柳雅暢の仕事が素晴らしい。
思えば、クーパーとベール、そして高柳が組んだ「ファーナス/訣別の朝」も、基本的な世界観は本作と共通している。
無法者によって弟を理不尽に惨殺され、復讐を誓う兄の物語だが、映画のバックグラウンドとなるのは、鉄鋼の街、鹿狩り、賭け、イラク戦争、そして二度と帰らない穏やかな日常の記憶。
西部劇とマイケル・チミノの傑作「ディアハンター」にオマージュを捧げた男臭いドラマで、タイトルの意味は主人公が働く鉄鋼所の溶鉱炉のことであるのと同時に、燃え上がる情念の炎。
この映画は現代劇だったが、プロットの時代設定を150年前にすれば、そのまま西部劇として成立してしまう。
アメリカ人が信奉する、着実に死に向かう血と鉄と銃の掟は、ローレンスが言うように、今なお和らぐことなく生きているのである。

本作は危機また危機の古典的な構造を持つが、ここにハリウッド大作的な派手さは無く、物語は終始淡々と進み、ドラマチックな抑揚にはやや乏しい。
その分、死の絶望と生への渇望を知る人間たちの心理劇として、なかなかの見応えだ。
犯した罪の大きさには関係なく、死せる運命の者はことごとく死に、そうでない者は生き残る。
もとから神は見ていないのだから、生と死のドラマには何の恣意性もなく、生き残った者たちは、死んでいった者たちの一部を受け継ぎ、記憶の器として生きて行く。
登場人物たちの“今”が歴史となる瞬間を描いたラストショットが、美しくも切ない。
ここには、敵味方の因縁を超えた生き様と死に様、普遍的な人間性についてのドラマがある。
インディアン戦争の終わりを、西部開拓時代というアメリカの幼年期の終わりに重ねた、スコット・クーパーらしい味わい深いフロンティアの寓話だ。

いぶし銀の映画にはいぶし銀のバーボンを。
ジム・ビームの少量生産プレミアム銘柄「スモールバッチ ブッカーズ」をチョイス。
美しい琥珀色が印象的で、深い熟成を感じさせるコクと、フルーテイな香りの中のほろ苦さが喉にしみる。
もともとはビーム家のパーティで賓客に提供していたものを、あまりに好評なので商品化したもの。
バランスの良さが光るバーボンは、古い友人と昔話を語りながら飲みたくなる。

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アス・・・・・評価額1550円
2019年09月12日 (木) | 編集 |
“わたしたち”は何者なのか。

アカデミー脚本賞に輝いた異色のホラー映画、「ゲット・アウト」で注目されたジョーダン・ピール監督の最新作。
少女の頃、自分と同じ顔をしたドッペルゲンガーと出会い、今もトラウマを抱える主人公の前に、今度は夫と子供も合わせた自分たちそっくりの家族が現れる。
果たしてニセモノの家族の目的は何か?彼らはどこからやって来たのか?
例によってアイディアはトンチが効いていて、自分と瓜二つながら、自分ではない“何か”によって襲われるというシチュエーションはかなり怖い。
「それでも夜は明ける」でオスカーを受賞したルピタ・ニョンゴが、一人二役の主人公を怪演。
※核心部分に触れています。

アデレード(ルピタ・ニョンゴ)は、夫のゲイブ(ウィンストン・デューク)、娘のゾーラ(シャハディ・ライト・ジョセフ)、息子のジェイソン(エバン・アレックス)と共にバケーションを過ごすために、幼い頃に住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズの家を訪れる。
しかし懐かしさと共に、彼女の心に今も影を落とす奇妙な事件を思い出す。
1986年、海辺の遊園地で迷子になったアデレードは、そこで自分とそっくりな少女と出会ったのだ。
一時言葉が出なくなるほどのショックを受けた彼女は、その頃の記憶が蘇ると共に、得体の知れない不安に襲われ「何か恐ろしいことが起こる」という予感に苛まれる。
その夜、アデレードの家を自分たちとそっくり同じ顔をした家族が訪れ、予感は現実となるのだが・・・・


なるほど、忘れられた地下都市にハンズ・アクロス・アメリカとエレミヤ書11章11節か。
前作「ゲット・アウト」は、黒人の肉体に密かな憧れを抱き、奪い取ろうとする狂信的な白人たちを描き、「人種差別ホラー」として話題となった。
ジョーダン・ピールの真価が問われる監督第二作の恐怖は、アメリカにおける貧困と格差のメタファーという訳だ。
冒頭、「アメリカ国内には、延べ数千キロに渡る遺棄された地下空間が存在する」という字幕が表示される。
続いて幼い頃のアデレードが見ているテレビに、ハンズ・アクロス・アメリカのCMが映し出されると、彼女が遊園地で目撃する不気味な男は、「エレミヤ書11章11節」と書かれたボードを持っている。

確かにアメリカには、今は使われていない沢山の地下空間が存在する。
都市の使われなくなった地下鉄や下水道、地下シェルターに坑道、冷戦時代の軍事施設。
80年代には風雨を避けるために、ニューヨークの下水道や地下鉄の廃線に暮らすホームレスの存在が話題となり、彼らが突然変異して人喰いの鬼となる「チャド」なんていうB級ホラーも作られたし、ニューヨークの地下を舞台とした、ギレルモ・デル・トロの巨大ゴキブリホラー「ミミック」もこの辺りが元ネタだろう。
モスマンやジャージーデビルなどの都市伝説のUMAは、遺棄された軍の地下研究所から逃げ出したと信じている人も多い。

また80年代は、様々なチャリティエイドが花盛りだった時代で、1985年にはアフリカ飢餓救済を目的に、世界のスーパースターが総出演したライブ・エイドが米英両国で開催され、チャリティソング「ウィー・アー・ザ・ワールド」が大ヒット。
翌年の1986年に、今度はアメリカ国内の貧困、飢餓、ホームレス問題の解決のために行われたのがハンズ・アクロス・アメリカだ。
参加者は10ドルを寄付し、手をつないでアメリカ西海岸から東海岸までつながる人間の鎖を作るという壮大な試みは、視覚的にもインパクト大。
当時かなり話題になったので、今だに覚えている。

そして、旧約聖書のエレミヤ書11章11節にはこうある。
『それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らに災いを下す。彼らはそれからのがれることはできない。彼らはわたしに叫ぶだろうが、わたしは聞かない。』
人々がモーゼが神と交わした契約を忘れ、神の言葉を聞かなくなっているので災いを下すが、偽りの神を信じている人々の祈りは届くことはなく無駄であるという、人間たちの不信心に対する警告だ。
この言葉通り、人々が神の言葉を忘れた現代のアメリカに、神が下した災いこそが、本作の描く物語である。

基本的にやっていることは前作と同じ。
社会問題をフックに、不条理な恐怖が人間たちを襲う。
政府によって、心を持たない人間のコピーとして作られ、本来なら永遠に閉じ込められたままだった地下人間たちは、いわゆるインビジブル・ピープル、貧困層やホームレスを比喩し、富裕層であるアデレードの家族や友人たちは、神との契約を忘れ虚飾の繁栄を謳歌する現代アメリカの上っ面。
そして、本作で起こる事件は、社会から忘れられた存在だった地下人間たち自ら起こした、ハンズ・アクロス・アメリカのイベントだという訳だ。

アメリカン・ホラー/ファンタジーの原風景たる、海辺の古びた遊園地から始まるドラマは、ムーディーに展開する。
ちなみに舞台となるのは、「バンブルビー」にも登場したレトロな遊園地、サンタ・クルーズ・ビーチ・ボードウォーク。 
ニセモノの自分という設定は、ジャック・フィニイ原作で何度も映画化された「ボディ・スナッチャー(盗まれた街)」を思わせるが、あれは肉体をコピーされた時点でオリジナルは消滅してしまうので、本人は自覚することはできない。
対して本作では、まったく同じ顔をした自分たちのニセモノが、情け容赦なく殺しに来るのだから恐ろしい。
アデレードのニセモノ以外は、言葉を話せず、知性も限定的なのが余計に不気味。

ムーディーで思わせぶりな展開は、ちょっとシャラマンぽくもあるのだが、描写そのものは結構B級テイストで、ブラックなユーモアが伴っているのがジョーダン・ピールの特質か。
ぶっちゃけ深みは全然ないのだが、人種差別や貧困格差など社会性がフックになっているのも、作品世界への興味をそそり、入りやすさに繋がっているし、前作に引き続いてなかなか面白い映画を作り上げたと思う。

しかしながら、クライマックスでネタばらしを全部セリフで言っちゃうのはともかくとしても、あのエスカレーターから向こうの世界観はちょっと無理があり過ぎだ。
そもそも彼らがどうやって生きてきたのかや、地上に出るとなぜオリジナルの動きがコピーされないのかという根本部分を含め、色々と辻褄が合わないし、あちこち矛盾してしまっている。
ピールとしては「カリカチュアされたファンタジーと割り切ってしまえば、気にならないでしょ」というつもりかも知れないけど、だとすれば全体のリアリティラインの設定がやや中途半端だ。
欠点ははっきりしているが、なぜアデレードのニセモノだけが知性を持ち、地下人間たちの“キリスト”となりえたのか、テーマに上手くかぶせたオチは秀逸。
異才ピールが次回は何をフックに、恐怖な世界を見せてくれるのか楽しみだ。
もちろん、別にホラーじゃなくてもいいんだけど。

今回は“フェイク”つながりで、「セーフ・セックス・オン・ザ・ビーチ」をチョイス。
ピーチ・ネクター60ml、 クランベリー・ジュース90ml パイナップル・ジュース90mlを氷を入れたグラスに注ぎ、ステアする。
最後にレッドチェリーを飾って完成。
言わずと知れた「セックス・オン・ザ・ビーチ」に見せかけた、ニセモノのノンアルコールドリンクで、度数の高いオリジナルと違って、いくら飲んでも酔わない“安全な”カクテル。

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ショートレビュー「フリーソロ・・・・・評価額1700円」
2019年09月09日 (月) | 編集 |
そこに、壁がある限り。

これはメッチャ心臓に悪い。
第91回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞受賞作。
ヒマラヤの未踏峰に挑む山男たちの姿を追った、山岳ドキュメンタリーの傑作「MERU/メルー」の、ジミー・チンとエリザベス・C・バサルへリィ両監督が新たに描くのは、絶壁を道具も命綱すら使わず、身ひとつで登る“フリーソロ”の天才アレックス・オノルドの挑戦。
彼が目指すのは、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園にそびえる、高さ約1000メートルを誇る世界最大の花崗岩の一枚岩、エル・キャピタン
ロッククライミングの聖地として世界的に知られる名所だが、たった一つのミスが死に直結するフリーソロで登り切ったものは誰もいない。

20年以上前だが、私の学生時代の遊び仲間が本格的なクライミングをやっていて、実際にエル・キャピタンへチャレンジするのを下から見守ったことがある。
巨大な岩盤に張り付いた人間の小ささと言ったら、ある程度登ったら砂つぶほどにしか見えない。
もちろん命綱は付けていたけど、それでも生きた心地がしなかった。
あの絶壁を滑り止めの松ヤニだけで登るとか、頭のネジが飛んだ人でないと出来ない。
「MERU/メルー」で、跳ね返されても跳ね返されても山に挑む男たちは、常人離れした技術とメンタルを持っていたが、なんとか理解可能な人たちだった。
それに対して本作の主人公たるアレックスは、もはや異星人か仙人だ。

映画の大半は、アレックスの人となりと、2016年から17年にかけて一年間に及ぶ入念な準備を描く。
家を持たずバンに住んでいて、お一人様が大好きで、暇さえあればトレーニングして絶壁を登る生粋のクライミング馬鹿。
「寿命を全うする義務はない」「幸福の状態からは何も生まれてこない」「危険と向き合ってこそ何かを成し遂げられる」
彼はサムライの哲学が好きらしく、まさに死に場所を探すような刹那的人生。
そんなエキセントリックなキャラクターに惹かれたのか、サンニという物好きな恋人が出来るのだが、彼女と暮らすために止むを得ず家を買うときのやる気の無さとか、思わず笑っちゃう。
クライミングのために生まれてきたようなアレックスにとっては、所詮下界での出来事など大して興味はなさそうで、余計なお世話だけどこの二人の将来が心配。

もっとも、ぶっ飛んで見えても別に自殺志願者ではないので、失敗前提の無謀な挑戦とは違う。
フリーソロは大自然の造形と、人間の肉体の高度なジグソーパズル
一見するとツルツルの岩盤にも、わずかに足がかかる、指先のフィットする小さな凹凸がある。
難攻不落のエル・キャピタンを幾つのものセクションに分け、単なる友人というよりも“戦友”のクライマー、トミー・コールドウェルらのサポートを受けながら、命綱をつけた状態で何度も攻略法のリハーサルが行われ、ルートを確定してゆくのである。
しかし、それでも本番で一度でもミスしたら、死は免れないので撮影する方も大変。
実際フリーソロが撮影されるのは珍しく、クライマーの多くは誰にも告げずに一人だけで挑戦し、墜落死している状態で発見されることが多いという。

前作はカメラマンを兼ねるジミー・チン自身の挑戦でもあったので、責任も結果も自分次第だった。
だが今回は、下手したら撮影クルーがアレックスを殺しかねないので、細心の注意が必要。
リモートカメラやドローンを駆使し、可能な限り彼に「撮影されている」ことを意識させず、集中力を切らせないようにする。
成功したから映画になってると分かっていても、クライマックスのアレックスvsエル・キャピタンの20分間の格闘は手に汗握る。
まるで彼と共に絶壁を攻略しているような、圧倒的な没入感。
もの凄い映画体験だけど、これこそレーザーIMAXの巨大画面で観たかった!

今回は、舞台となるヨセミテ国立公園も属する、シエラネバダ山脈の名を持つ「シエラ・ネバダ トルピード エクストラIPA」をチョイス。
1979年にチコで設立されたクラフトビール銘柄、シエラネバダ・ブリューイングが2009年より醸造している
攻撃的なホップ感はまさに“魚雷”の名がふさわしい。
フレーバーは複雑で豊か、口当たりは軽やかでクリーミー、バランスがよく飲み飽きない。
フリーソロを成功させて、頂上で飲んだら最高そう。

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ヒンディー・ミディアム・・・・・評価額1650円
2019年09月05日 (木) | 編集 |
人生に本当に大切なものは。

13億を超える人口を抱えるインドでは、金も名誉も兼ね揃えた真の人生の成功者となるために、物心ついた頃から競争が始まる
これは、インドの熾烈な“お受験”をモチーフに、下町っ子のバトラ夫婦が愛娘を名門小学校に入れようと悪戦苦闘する顛末を描く、ハートウォーミングな社会派コメディだ。
日本でもそうだが、名門小学校の受験では、子供以上に親の資質が審査される。
バトラ夫婦は、自分たちの娘が上流階級の学校に相応しいと認められるために、必死の努力を重ねるが、その結果としてありのままの自分を少しずつ失ってゆく。
監督・脚本はサケット・チョーダリーが務め、主演は「スラムドッグ$ミリオネア」「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」などワールドワイドに活躍するイルファン・カーンと、パキスタンのトップ女優でこれがインド映画デビューとなるサバー・カマル。

デリーの下町で衣料品店を営んでいるラージ・バトラ(イルファン・カーン)は、親の代の小さな店を大きく発展させたやり手ビジネスマン。
彼と妻のミータ(サバー・カマル)は地元の公立学校の出身だが、まもなく就学年齢を迎える娘のピアの将来のために、進学に有利な私立の名門小学校へ入学させることを考えていた。
デリーにも数少ないそうした学校に入ろうとすると、子供の学力だけでなく、親の学歴や仕事、居住地まで審査の対象となる。
裕福ではあるものの、決して高学歴ではない二人は、せめてもの対策としてデリーでも屈指の高級住宅街に引っ越し、お受験アドバイザーも雇って、盤石の構えで受験に挑む。
しかし結果は連戦連敗で、二人は深く落胆。
そんな時、彼らはある学校が低所得層の子供たちのために、特別な入学枠を設けていることを知る。
バトラ家には本来なら受験資格は無いが、二人は藁にもすがる思いで禁断の果実に手を出してしまう・・・・


冒頭、主人公夫妻の若き日の馴れ初めが描かれると、いきなり時間が飛んで二人が子供を持つ中年の親になっている。
あまりに唐突なので、別の話が始まったのかと思った(笑
それはともかく、これは超階級・超競争社会と化した現代インドならではの寓話ではあるが、他の国でも馴染みのある“お受験”をモチーフにしたのがいい。
インド社会の学歴重視が凄いのは、大学を舞台とした「きっと、うまくいく」などにも描かれていたが、小学校入試でこれほど加熱するとは。
もともとインドにはヒンズー教のカースト制度という、頂点のバラモン(司祭)階級から四段階、さらにその下に位置するいわゆるアンタッチャブルズ(不可触民)までの、厳格な身分制度がある。
今ではデリーなどの大都市の住民はあまり気にしなくなってきているものの、田舎では依然として様々な差別があるという。

さらに、階級を複雑化させるのが、大英帝国の植民地だった歴史だ。
「英語が話せないなんて!」とは本作のキャッチコピーだが、現代のデリーではカースト制度に変わって英語力によって階級が決まる。
私立の名門小学校に子供を通わせる様な上流階級の人々は皆、母語がヒンズー語にも関わらず高度な英語教育を受けて日常から英語を使う。
学校の授業も英語で行われ、親は自分の子供を英語を話せない様な身分違いの子供とは遊ばせない。
そうすると公立学校には低所得層の子しか行かなくなるので、資金が回らず教育の質も低下するという悪循環。
目に見えない階級のステータスが上がるほどに、英語使用率が高くなり、逆に十分な英語教育を受けられない低所得層は、上流階級の会話の内容すら分からず、いつしか階級が何世代にも渡って固定化されるという構図。
小学校の格差には、インドの社会問題の縮図があるという訳だ。

この強固な階級の壁に挑むのが、下町出身のバトラ夫妻。
商売の才覚に長け、大規模な衣料品店を持つ夫妻は、BMWを乗り回し、大きな家に住んで、身の回りの世話をするメイドだっている。
収入だけで言えば、富裕層に当たるだろうが、それでも下町の公立学校出身で英語が苦手な彼らは上流階級とは見なされず、お受験するには代々名門小学校に子供を通わせている様な人々に比べればずっと不利。
この辺は、日本の学閥の感覚に近いのかも知れない。
小学校のお受験は、子供よりも親のステータスで決まる。
そうアドバイザーに言われたバトラ夫妻は、生まれ育った下町を出て、ほとんど英語が公用語化している高級住宅街に引っ越し、懸命に面接の練習をし、虫の好かない気取った上流階級の人々と交流するなど、涙ぐましい努力をするも、お受験はことごとく失敗。
ついに彼らは、貧民街に引っ越して低所得層の家族を偽装し、学力はあるが経済的に恵まれない子供たちの為の特別枠を狙うことにするのである。

もちろん、そんな凝った工作も金があるから出来ることで、本当にその制度を必要としている“誰か”の将来を奪うことに他ならない。
バトラ夫妻は「娘のため」となりふり構わず行動しているうちに、いつしか大切な価値観を捨ててしまうのだ。
例によって、エンターテイメントと社会問題の融合が非常に巧み。
ピザすら買えない貧しい生活の中でも、子供の将来を真剣に考えている貧民街の人々と交流しているうちに、バトラ夫妻も少しずつお受験の狂騒の裏にある、格差社会の本当の問題に気付いてゆく。
自分の選択が、親としては1パーセントの正しさがあったとしても、人として99パーセント間違いだったとしたら、その選択を果たして娘に誇れるのか?娘のためになるのか?
彼女に本当に与えたい教育って、一体なんだろう?
二転三転するドラマチックな家族の物語は、夫と妻それぞれの葛藤の後の決断により、伏線を生かした感動的なクライマックスを迎える。

ミュージカルはほぼ無しで上映時間も2時間ちょいと、マサラ成分は割と少なめだが、丁寧に描写される主人公夫妻にはどっぷり感情移入。
独特の歴史を背景とした、インドならではの社会情勢をモチーフにしながら、最後に浮かび上がるのは生き方の選択に関する普遍的なイシュー
国は違えど、子供の進路を考えている全ての親にとっては、とても示唆に富んだ優れた寓話だと思う。
インドのエンターテイメント映画の特徴である、山あり谷ありキャラクターにとことん葛藤させて、最後にはスクリーンの中の人も外の人も、すっきり納得させてくれる爽快感は充分。
クスクス笑って、ウルっと泣き、イラッと怒り、最後はホンワカと幸せな気分になれる秀作だ。

今回は、バトラ夫妻と飲みたいインドの代表的なビール「キングフィッシャー ストロング」をチョイス。
日本で売られているキングフィッシャーには、イギリス産とインド産がある。
こちらのストロングはインド産で、定番のプレミアムと比べるとアルコール度数が7.5°と高め。
すっきりしたテイストはスパイシーなインド料理にぴったりで、本国ではストロングが一番人気があるというのも納得。
南国のビールらしく、喉ごしのスムーズさとキレ重視なので、日本人の好みにも合う。

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド・・・・・評価額1700円
2019年09月03日 (火) | 編集 |
御伽噺の行き着く先は・・・・

クエンティン・タランティーノが、「イングロリアス・バスターズ」のブラット・ピットと、「ジャンゴ 繋がれざる者」で悪役を嬉々として演じていたレオナルド・デカプリオと再び組み、時代の波に翻弄されるハリウッドの光と陰を描く。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」、直訳すれば「昔々のハリウッドで」というタイトルは、セルジオ・レオーネ監督がアメリカ史への想いを描いた「ウェスタン(Once Upon a Time in the West)」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」に引っ掛けてあるのと同時に、大転換期を迎えていた当時のハリウッドへのタランティーノ流のオマージュであり、虚構を作る創作者としての信念が詰まった集大成。
161分という長尺を感じさせないさすがの仕上がりだが、映画全体のベースとなっている「シャロン・テート殺人事件」の顛末は、観客が当然知っているものという前提で作られていて、全く知識がないと訳が分からない話なので、自信がない人は予習が必須だ。
※核心部分に触れています。

1969年、ハリウッド。
50年代にテレビの西部劇で人気を博したリック・ダルトン(レオナルド・デカプリオ)は、映画俳優への転身が上手くいかず、今は新しいスターの主演作品へのゲスト出演で食いつないでいる。
そんなリックを公私で支えているのが、付き人兼スタントマンで、長年の親友でもあるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。
生き馬の目を抜く芸能界で神経をすり減らし、酒に溺れてゆくリックと、どんな時にも飄々としている自然体のクリフ。
高級住宅地ビバリー・ヒルズにあるリックの家の隣には、新進気鋭の映画監督ロマン・ポランスキー(ラファル・ザビエルチャ)と女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)夫妻が引っ越してきたばかり。
ある日、リックを撮影現場に送っていったクリフは、ヒッチハイクをしていた若い女性に頼まれて、スパーン映画牧場へと向かう。
以前は映画の撮影が行われていた牧場では、チャールズ・マンソン(デイモン・ヘリマン)というカリスマ的リーダーの元、若者たちがコミューンを作って共同生活を送っていたのだが、クリフは彼らの間に漂う不穏な空気を感じ取っていた・・・・


実に面白かったけど、まさかそっち方向へ行くとは(笑
始まってしばらくは、作品がどこへ向かっているのか分からなかったが、最終的にタイトルを含めて全て納得できる。
背景となる1969年のハリウッドでは、隆盛を誇ったハリウッドのメジャースタジオの大作は輝きを失い、急速に台頭するアメリカンニューシネマに押され気味。
映画産業全体も斜陽化し、新たな娯楽の王者となったテレビからは、次から次へとスターが登場している。
本作の主人公、リック・ダルトンもその一人なのだが、出世作となった番組はとっくに終了していて、映画への転身もままならず、今ではテレビで若手を引き立てる悪役稼業。
イタリア映画界から誘われているものの、今ひとつ踏ん切りをつけられずにいる。
このリック自身が、激変する時代にあって、行先を見失って漂流するハリウッドそのものをカリカチュアしたようなキャラクターだ。

ハリウッドからアメリカ社会全体に視野を広げると、ベトナム戦争の激化に伴い、アンチテーゼとしてのヒッピーカルチャーがピークを極め、8月にはあの伝説のウッドストック・フェスティバルが開かれた。
そして、この年を境にして、ヒッピーカルチャーは急速に衰退してゆくのだが、その終わりの始まりとなったのが、本作のモチーフとなったマンソン・ファミリーの起こした「シャロン・テート殺人事件」をはじめとする一連の猟奇殺人事件なのである。

ざっくりとおさらいしておくと、事件が起こったのは1969年の8月8日深夜
ハリウッドの業界人に恨みを描くヒッピーくずれのカルト集団のリーダー、チャールズ・マンソンの命を受けたテックス・ワトソン、パトリシア・クレンウィンケル、スーザン・アトキンス、リンダ・カサビアンが、シエロ・ドライブ10050番地へと向かう。
この家には、ポランスキー夫妻の前にテリー・メルチャーという音楽プロデューサーが住んでいて、ミュージシャンでもあったマンソンをデビューさせる約束を反故にしていたのだ。
とりあえず、メルチャーの家に住んでいる奴を殺せというのだから、完全な勘違いの逆恨み。
しかし、マンソンを信仰し洗脳下にあった四人は、家の前で偶然鉢合わせしたスティーブン・ペアレントという若者を皮切りに、家にいたシャロンとその友人たちを惨殺。
ポランスキー本人は不在で無事だったが、5人の大人たちと妊娠していたシャロンの胎児が犠牲になった。
凄惨な事件の全貌が明るみに出ると、ヒッピーカルチャーは危険なカルト宗教と同一視されるようになり、社会の中で居場所を失っていったのである。
この映画では、ヒッチハイクしていたマンソン・ファミリーの少女をクリフが送る描写があるが、後にアメリカの多くの州では、ヒッチハイク自体が違法となった。

映画は、その大半を事件の前史たる1969年2月のエピソードに費やし、終盤の30分ちょっとで事件当日の出来事を描く。
全ての要素が、8月8日の夜に向かって収束してゆく構造だ。
2時間を超える長い“プロローグ”にはゆったりとした時間が流れ、タランティーノらしい台詞の応酬によるキャラクターの対抗もあまり見られない。
かわってリアリティたっぷりに再現された当時のハリウッドと、リックやクリフの細やかな日常描写によって、“あの頃へ”とタイムトラベル。
リックのキャラクターはスティーブ・マックイーンがモデルかと思ったけど、マックイーンは別に出てくるし、イタリアへ流れて行くキャリアなどはむしろイーストウッドか。
寂しがりやで涙もろく、プレッシャーから酒を飲みすぎてセリフを忘れ、自分に向かって切れたと思ったら、ジョディ・フォスターがモデルと思しき早熟な子役俳優に褒められて有頂天。
オレ様キャラなのにどこかドジで可愛いリックと、昔妻を殺したという噂があり、「グリーン・ホーネット」の現場でブルース・リーと決闘をしても負けない、ちょっと影があって頼りになる相棒のクリフ。
光と陰、俳優とスタントダブル、二人でひとりのキャラクターの差が、いいコントラストとなっている。

彼らと過ごしているうちに、観客はいつの間にか当時のハリウッドの住人となった気分で映画を体験しているのだが、この作品では歴史上のリアルとタランティーノの創作した虚構が対抗している。
フィクションのキャラクターであるリックやクリフはもちろん虚構の部分で、マンソン・ファミリーやポランスキー夫妻は実在の人物だ。
では史実と虚構がぶつかった時、何が起こるのか?というのがこの映画の核心部分。
最初のうちは、虚構は史実に負けている。
例えばリックが後輩スターの作品にゲスト出演した時、彼が「大脱走」でスティーブ・マックイーンが演じた役の有力候補だったというエピソードが語られる。
劇中ではリックが出演しているバージョンの「大脱走」が映し出されるが、当然実際の映画に彼は出演しておらず、これは彼の心の中の“IF”の妄想に過ぎない。

しかし、ある瞬間を境にして、映画は突如として虚構に傾き始めるのだ。
史実では、シエロ・ドライブ10050に到着したマンソン・ファミリーの四人は、入り口付近にいたペアレントを殺害する。
ところが映画では、四人の乗ったポンコツ車のアイドリング音のうるささにブチ切れたリックに怒鳴りつけられて、彼らは一旦追い返されてしまう。
虚構による史実への攻撃である。
ちなみに現実のシエロ・ドライブ10050の入り口付近には、隣家そのものが存在しない。
そしてリックに腹を立てた実在の四人が、シャロンよりも先にリックというフィクションの存在を殺すことを決意したことから、虚構が史実を塗り替えてゆく
思えばタランティーノは、全く同じことを「イングロリアス・バスターズ」で既にやっている。
あの映画では、ナチスドイツによる人類史上最悪の悪行を、映画の力で無かったことにしてしまったが、ここではリアリティ重視でバッドエンドが当たり前のニューシネマの時代を背景に、マンソン・ファミリーというアメリカとハリウッドの歴史に今も影を落とす大事件を、虚構によって覆してしまった訳だ。

映画というイマジネーションの芸術が作り出す御伽噺の中では、史実は虚構に絶対に勝てないし、勝ってはいけないのである。
実際の事件を主導したテックス・ワトソンが、被害者に言い放った「オレは悪魔だ。悪魔の仕事をするために来た」という有名な決め台詞があるが、本作では言われたクリフがLSDでラリっていて、彼が何と言ったのかよく覚えていないというのが可笑しい。
映画作家の頭の中の世界では、全米を震撼させた悪魔は、滑稽なピエロにしか過ぎないのだ。
現在の私たちは、若く才能に満ちていたシャロン・テートが、狂信者によって突然命を奪われたことを知っている。
だが、タランティーノの主観で捉えられ、想いを込めて再創造された虚構の街で、マーゴット・ロビーによって命を吹き込まれた彼女は、再びミューズとなりスクリーンの中で永遠の生を得た。
失われたものは決して帰ってこないが、映画という御伽噺ではどんなことだって可能。
タランティーノは創作者の誇りをかけて、虚構の力で現実の歴史に対抗し、本来語られるべきだった彼女の物語を作ったのだろう。
映画の力と限界を同時に感じさせる本作は、とても面白く、少しだけもの哀しい。

アル・パチーノやブルース・ダーン、カート・ラッセルにダコタ・ファニングといった主役級の大物が、要所でチラリと顔を見せ、161分の長尺を弛緩しないように締めてゆく。
セルフパロディを含めあちこちに小ネタが散りばめられているので、マニアほど楽しめるのは相変わらずだが、ふつーに観ても十分楽しい。

今回は劇中劇にも登場する西部劇でおなじみの酒、メスカルから「グサーノ・ロホ メスカル」をチョイス。
メキシコを中心にリュウゼツラン科の植物から作られる蒸留酒で、特定地域で生産されたものをテキーラと呼ぶ。
多くの銘柄でボトルに芋虫が入っているので有名だが、この芋虫はリュウゼツランに住んでいるもので、もちろん食用。
一説によると芋虫が入っていることで、味が良くなるといい、グラスに注ぐ時に芋虫が出てくると幸運が訪れるそうな。
オレンジのスライスにかじりつき、ショットグラスで少しずつ含み味わうのがスタンダード。

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