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ジョーカー・・・・・評価額1800円
2019年10月06日 (日) | 編集 |
ジョーカーはなぜ生まれた。

これはヤバイ映画だ。
端的に言えば「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」をDCの世界観にぶち込み、ピエロの顔をしたガイ・フォークスでまとめ上げた作品。
公開を控えて、米国の治安当局が厳戒態勢を敷いているそうだが、本当に怒れる人たちが観たら、暴動のきっかけになり得る。
そのぐらい主人公のドラマに、現実と地続きのリアリティがあるんだな。
物語的にはバットマンならぬ「ジョーカー・ビギンズ」で「気弱なコメディアン志望の青年が、いかにして恐怖のジョーカーになったか」なんだが、多分全く知らない人が見たらアメコミ映画と気付かないだろう。
もちろん、ウェイン家との絡みはちゃんとあるので、間口は広く、分かる人にはよりディープにという、エンタメとして誠に正しい作り。
監督・脚本は「ハングオーバー!」シリーズで知られるトッド・フィリップスで、「ザ・ファイター」のスコット・シルヴァーが共同脚本を務める。
タイトルロールを演じるホアキン・フェニックスが圧巻の名演を見せ、全く新しいジョーカー像を作り上げている。
※核心部分に触れています。

アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、ゴッサムシティの貧民街に母のペニー(フランセス・コンロイ)と二人暮らし。
コメディアンになりたいと願い、TVで人気のマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の番組にゲストとして出演するのが夢だ。
しかし脳と神経の障害で、突然笑い出してしまうという症状を持つアーサーは、なかなか人前に立つ決心がつかず、街角でピエロの仕事をしてなんとか食い繋いでいる。
ある日、同僚から一丁の拳銃をもらったアーサーは、小児病棟での仕事でうっかりその銃を落としてしまい、仕事をクビになってしまう。
失意のアーサーは、たまたま乗り合わせた列車で女性に絡んでいたウェイン産業のサラリーマンたちに暴行を受け、とっさに彼らを射殺する。
逃走したアーサーはえも言われぬ高揚感を感じるのだが、折しもゴッサムシティでは貧困層の不満が高まっていて、金持ち企業のエリートを殺した正体不明のピエロは、一躍貧困層のヒーローに祭り上げられる。
そんな時、アーサーは母ペニーの手紙を読んで、自分とウェイン産業社長のトーマス・ウェインとの意外な関係があることを知ってしまうのだが・・・・


バットマン最大の敵ジョーカーは、過去にも名優たちが演じてきたキャラクター。
中でもティム・バートン版「バットマン」のジャック・ニコルソンと、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」で故ヒース・レジャーが演じたジョーカーは、共に映画史に残るスーパーヴィランだが、キャラクター設定は全く異なる。
バートン版では、その正体はマフィアの有力メンバーだったジャック・ネイピア。
若い頃にブルース・ウェインの両親を殺した男で、バットマンと戦った時に化学薬品のタンクに転落し、肌は漂白されて真っ白に、筋肉は引きつって常に笑った顔になってしまう。
ジャックは変わり果てた自分の姿を見て気が狂い、ジョーカーを名乗る様になる。
一方のノーラン版のジョーカーには、一切の設定が無い。
本名も背景も明かされず、ただ突然現れてゴッサムシティを恐怖に陥れる、ピエロのメイクをした謎の男。
劇中でも、正体に繋がる情報がデータベースに無いとされるこのキャラクターは、いわば地獄から遣わされた悪の化身であり、その行動に動機すら存在しない絶対悪なのである。

では、本作におけるジョーカーとは何者か。
ジョーカーになる前の、アーサー・フレックの境遇はとことん悲惨だ。
コメディアンになりたいという夢を持ってはいるが、現実にはしがないピエロ暮らしで、唯一の楽しみは憧れの人、マレー・フランクリンのショーを観ること。
脳と神経に負った障害で、突然笑い出してしまう症状があり、他人には気味悪るがられる。
高齢の母親は、かつて勤めていたというトーマス・ウェインの館へ、何度も支援を求める手紙を書いているが、なしのつぶて。
しかも彼の置かれた状況は、物語の進行とともに、加速度的に更に悪化してゆく。
やがて、自らの存在に対する承認欲求と、幾つもの裏切りが積み重なった結果として、誰からも相手にされない善良な青年“アーサー”は消え、世間そのものを憎悪する新たな人格“ジョーカー”が生まれるのである。
トッド・フィリップスは、貧民街にあるアーサーのアパートに繋がる、長いながい階段を象徴的に使っている。
まるで壁のようにそびえ立つ階段を疲れ果てて登るアーサーは、遂にジョーカーとなると、軽快なダンスと共に降りてくるのだ。
そして、怒りと憎悪を内面に秘めたピエロの笑顔は、底辺に暮らす人々の抵抗の象徴として、ゴッサムシティに急速に拡散してゆく。

「ダークナイト」では、ジョーカーが二隻の船に爆弾を仕掛け、起爆装置をお互いの船の乗客に委ね、先に相手の船を爆破した方だけを助けると言う。
自らはお膳立てをするだけで、市民同士で殺し合いをさせようとするジョーカーは、人間を人間たらしめている倫理を破壊しようとするのだが、彼の行動は逆に市民の高潔な意識を目覚めさせてしまい、ジョーカーは敗北する。
クリストファー・ノーランは、人間の行動がある瞬間に神話化される物語を好む。
ここでは、市民たちが自らの勇気ある決断により、誰もがヒーローになれることを示したのである。

対して本作では、超格差社会となったゴッサムシティで、人々が支配層のエリートを殺したアーサーを英雄視しており、ピエロの仮面をつけてデモをしている。
これは明らかに、ガイ・フォークスの仮面を意識した描写。
ガイ・フォークスは、1605年に英国国教会のカソリック弾圧に対し、イギリス国会議事堂を国王もろとも爆破するクーデターを試みたテロリスト一味の男。
計画は失敗し、フォークスは処刑されるのだが、彼は次第に権力に対する抵抗の象徴とみなされるようになり、映画「Vフォー・ヴェンデッタ」で一躍有名になったフォークスを模した仮面は、現在では世界中の抵抗運動で使われている。
本作のジョーカーは、ピエロの顔をしたガイ・フォークスであり、仮面は誰もがジョーカーとなり得ることを示している。
ちなみに、劇中では明言してはいないのだが、物語が始まるのは10月15日の木曜日で、アーサーがジョーカーとしてTVに出演するのは、おそらく11月5日の木曜日。
この日がフォークが逮捕された「ガイ・フォーク・デイ」なのは、狙っていると思う。

市民がヒーローになるのか、ジョーカーになるのかは、あらかじめ決まっていることではなく、あくまでも社会の状況次第。
しかもジョーカーは、単純に「悪」という訳ではない。
ピエロの仮面を被ってプロテストしている人々にとっては、彼こそがヒーローなのだ。
この映画では、ゴッサムシティの富裕層を代表するトーマス・ウェインが、貧困層の人々を「ピエロの仮面を被らなければ、何もできない落伍者」とこき下ろす。
これはもちろん、のちに彼の息子がコウモリの仮面を被ったビジランテとなることに対する辛辣なギャグなのだが、街が少数の富裕層とその他の人々に分断されており、富裕層にそれを是正する気がさらさら無いことを示している。
だからこそ映画さながらの超格差社会となった現実でも、現実に絶望した観客たちが、アーサーに深く感情移入し、ジョーカーとなる可能性がある。
米国の治安当局が本作に神経を尖らせるせるのには、「ダークナイト ライジング」の時に、実際にジョーカーに感化された若者によって劇場で銃撃事件が起こったというもっともな事情があるのだが、その辺は作り手も心得ていて、あえて演出的に抑制しているフシがある。
暴徒に救出されたジョーカーがダンスするシーンなど、もっとガンガンに盛り上げることも出来たはずなのだが、カタルシスまでいくギリギリでエモーションを寸止めしてる。
人外になりたてのカリスマ未満がこの映画のジョーカーだというのもあるけど、やり過ぎると本当に映画自体が扇動者になってしまうことを分かっているからだろう。

また構造的にも、キャラクターのリアリティを追求する一方、劇中で起こっていることの虚実を曖昧にすることで、ダウナー系のドラッグをキメているかのような、夢うつつの独特の手触りを作り出している。
映画を注意深く観察すると分かるが、本作は物語全体がアーカムの診療室でジョーカーが思い出してる事実と妄想が入り混じった記憶
一見事実に見える描写や時系列的にもおかしな部分があり、どこまでが本当なのかは分からない様になっている。
解釈に困るのがウェイン夫妻射殺の部分で、それまでずーっとホアキンの出ずっぱりの主観展開なのだが、唯一あそこだけは本人の記憶ではあり得ない客観描写。
もっとも、あの時点で“ジョーカー”は怒れる大衆の集合意識化しているので、いろいろな情報から後から想像したと考えることも出来るのだけど。
また、この映画のデ・ニーロは、強い影響を感じさせる「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」で彼が演じたキャラクターへのメタ的なオマージュなのだろうけど、虚実が入り混じる白昼夢のような構造を考えると、もう一本「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」も連想した。

正直「ハングオーバー!」の監督の映画とは信じられないダークさだが、どうしょうもないダメ男の悲哀という点ではブレてないと言える。
傑作と呼ばれる映画には、いつの時代に観ても同じように素晴らしい普遍性の強い作品と、それが作られた時代や社会と密接にリンクすることで、大きな力を持つ時事性の強い作品がある。
神話的構造を持つノーランの「ダークナイト」三部作が前者だとしたら、本作は間違いなく後者だろう。
10年、20年後の未来にこの映画を観直した時には、ある程度説得力を失っていることが望ましいのだけど、トーマス・ウェインみたいな人たちが幅を利かしている現実を見ると、ジョーカーの苦悩がよりリアルに感じられそうだ。
全編に渡って容赦なくエグってくるので、間違っても落ち込んでる時に観ちゃだめ。
主人公の葛藤に自分のマイナスの部分が自然に重なり、ダメージが後を引く。
たぶんアーサーは、ジョーカーになって初めて、自己承認欲求を満たして幸せになったんだと思うが、アーサーのままでも幸せをつかめるのが、本来あるべき社会の姿。
これも人生、とは言え生きにくい世の中だな!

重い映画の後には、スッキリした「ミントビア」をチョイス。
氷を入れたグラスにビール105mlを注ぎ、ペパーミントグリーン15mlを加えて軽くステアする。
ジョーカーのイメージカラーでもあるグリーンが美しく、ビールの苦味とペパーミントの清涼感が心地よく喉を潤す。
異様に暑い今年の秋には、ぴったりのカクテルだ。

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