2019年10月14日 (月) | 編集 |
ビートルズ世代からのラブレター。
ダニー・ボイルとリチャード・カーティス、センスの塊同士の幸福なマリアージュ。
主人公は、ヒメーシュ・パテル演じるジャック・マリック。
元教師で売れないミュージシャンの彼は、幼馴染のエリーをマネージャーに音楽活動をしているが、鳴かず飛ばずの日々。
もはやこれまでと、音楽の道を諦めようとしている。
そんなある日、世界中で謎の大停電が起こり、暗闇の中でバスにはねられたジャックが目覚めたら、そこは誰もビートルズを知らないパラレルワールド。
彼は名曲の数々を、自分の作品として発表しはじめるのだ。
もちろん、ビートルズの楽曲を全て完璧に覚えているわけではないので、必死に記憶を辿り、曖昧な部分は所縁の地に“聖地巡礼”してヒントを探す。
当然ヒットしてジャックは時の人になるのだが、彼の心には他人の功績を利用している罪悪感が積み重なり、成功と共に人生で本当に大切なものを失ってゆく。
※核心部分に触れています。
ドラマの葛藤そのものは非常に単純で、物語の帰結点も充分に予測可能。
要は「売れたい!」と思っていたのだが、いざ売れてみると、自分が本当に欲しかったものは、そこには無かったというありきたりなもの。
ただ本作の場合は、そこに至るまでの展開が秀逸だ。
当初ジャックは、パラレルワールドでビートルズを知っているのは自分だけだと思っているのだが、実は他にも元の世界からやって来た、ビートルズの記憶を持つ人たちがいる。
ところが、彼らはジャックを非難したり、告発したりするわけではない。
元の世界とそっくりだけど、大切な何かが欠けているパラレルワールドで、ビートルズの作品を次々と発表するジャックに、彼らは「ビートルズをこの世界に届けてくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えるのである。
劇中で、ケイト・マッキノン演じるアメリカの敏腕マネージャーが、パラレルワールドでジャックを見出し、スター街道へと導くエド・シーランのことを「彼は洗礼者ヨハネ。ジャックこそがメシアだ」という台詞があるが、音楽の神の言葉を伝えるという点では、ジャックはまさに神に遣わされた伝道者で救世主なのである。
そして終盤でカメオ出演のロバート・カーライルが、ある人物として登場するシーンなんて、あんなのファンは絶対に泣くやろ!
共に1956年生まれのボイルとカーティスは、物心つく頃がまさにビートルズ全盛期のビートルズ世代。
これはビートルズに対する本物の愛がなければ、絶対に作れない話だ。
モスクワでのライブの時に「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」を披露したり、精神的に追い込まれている時に歌うのが「ヘルプ!」だったり、楽曲の歌詞が物語のシチュエーションに絶妙にフィットして、思わず笑っちゃう。
偉大なビートルズが無ければ、彼らの影響を受けまくったアレもコレも無いよね?的なパラレルワールドの遊びも楽しい。
最近はやりの20世紀ミュージシャンへのトリビュート作品としても、かなりの変化球で面白い。
全編にわたってビートルズLOVEが溢れた、まさに究極のファン・メイド・ムービーと言える本作だが、逆に言えば観客も全員ビートルズが好きという前提で作られた作品で、彼らの楽曲にどれほど思い入れがあるか否かで、刺さり具合は変わって来そうだ。
また、あらゆる芸術は生み出された時代や社会を強く反映しているものなので、ビートルズが存在しない世界で、21世紀の現在に彼らの楽曲が発表されたとしても、映画のように熱狂的に受け入れられるとは限らないんじゃないかなあとちょっと思った。
普遍性を持った素晴らしい楽曲群なのは間違いないが、案外そこそこのヒットで収まりそうな気がするのだが、こればっかりは分からないけど。
しかし劇中で歌ってるのはパテルだけど、これだけビートルズの楽曲使ったら、権利関係だけでもの凄いお金がかかっただろうな。
劇中のジャックはいつもビールを飲んでいるので、今回は「カールスバーグ」をチョイス。
マイルドな口当たりと、クリアな喉越しでとても飲みやすく、まさに万人に好まれるビールの王道。
なんでイギリスの映画にデンマークのビール?と思われるだろうが、カールスバーグはビートルズの故郷、リヴァプールを本拠地とするプレミアリーグのリヴァプールFCを、四半世紀以上スポンサードしている銘柄。
リヴァプールの試合の歓声を聞かせながらホップを育てた、「The Red Hops Experiment」というリヴァプールのサポーター専用のビールまであるというから驚きだ。
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ダニー・ボイルとリチャード・カーティス、センスの塊同士の幸福なマリアージュ。
主人公は、ヒメーシュ・パテル演じるジャック・マリック。
元教師で売れないミュージシャンの彼は、幼馴染のエリーをマネージャーに音楽活動をしているが、鳴かず飛ばずの日々。
もはやこれまでと、音楽の道を諦めようとしている。
そんなある日、世界中で謎の大停電が起こり、暗闇の中でバスにはねられたジャックが目覚めたら、そこは誰もビートルズを知らないパラレルワールド。
彼は名曲の数々を、自分の作品として発表しはじめるのだ。
もちろん、ビートルズの楽曲を全て完璧に覚えているわけではないので、必死に記憶を辿り、曖昧な部分は所縁の地に“聖地巡礼”してヒントを探す。
当然ヒットしてジャックは時の人になるのだが、彼の心には他人の功績を利用している罪悪感が積み重なり、成功と共に人生で本当に大切なものを失ってゆく。
※核心部分に触れています。
ドラマの葛藤そのものは非常に単純で、物語の帰結点も充分に予測可能。
要は「売れたい!」と思っていたのだが、いざ売れてみると、自分が本当に欲しかったものは、そこには無かったというありきたりなもの。
ただ本作の場合は、そこに至るまでの展開が秀逸だ。
当初ジャックは、パラレルワールドでビートルズを知っているのは自分だけだと思っているのだが、実は他にも元の世界からやって来た、ビートルズの記憶を持つ人たちがいる。
ところが、彼らはジャックを非難したり、告発したりするわけではない。
元の世界とそっくりだけど、大切な何かが欠けているパラレルワールドで、ビートルズの作品を次々と発表するジャックに、彼らは「ビートルズをこの世界に届けてくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えるのである。
劇中で、ケイト・マッキノン演じるアメリカの敏腕マネージャーが、パラレルワールドでジャックを見出し、スター街道へと導くエド・シーランのことを「彼は洗礼者ヨハネ。ジャックこそがメシアだ」という台詞があるが、音楽の神の言葉を伝えるという点では、ジャックはまさに神に遣わされた伝道者で救世主なのである。
そして終盤でカメオ出演のロバート・カーライルが、ある人物として登場するシーンなんて、あんなのファンは絶対に泣くやろ!
共に1956年生まれのボイルとカーティスは、物心つく頃がまさにビートルズ全盛期のビートルズ世代。
これはビートルズに対する本物の愛がなければ、絶対に作れない話だ。
モスクワでのライブの時に「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」を披露したり、精神的に追い込まれている時に歌うのが「ヘルプ!」だったり、楽曲の歌詞が物語のシチュエーションに絶妙にフィットして、思わず笑っちゃう。
偉大なビートルズが無ければ、彼らの影響を受けまくったアレもコレも無いよね?的なパラレルワールドの遊びも楽しい。
最近はやりの20世紀ミュージシャンへのトリビュート作品としても、かなりの変化球で面白い。
全編にわたってビートルズLOVEが溢れた、まさに究極のファン・メイド・ムービーと言える本作だが、逆に言えば観客も全員ビートルズが好きという前提で作られた作品で、彼らの楽曲にどれほど思い入れがあるか否かで、刺さり具合は変わって来そうだ。
また、あらゆる芸術は生み出された時代や社会を強く反映しているものなので、ビートルズが存在しない世界で、21世紀の現在に彼らの楽曲が発表されたとしても、映画のように熱狂的に受け入れられるとは限らないんじゃないかなあとちょっと思った。
普遍性を持った素晴らしい楽曲群なのは間違いないが、案外そこそこのヒットで収まりそうな気がするのだが、こればっかりは分からないけど。
しかし劇中で歌ってるのはパテルだけど、これだけビートルズの楽曲使ったら、権利関係だけでもの凄いお金がかかっただろうな。
劇中のジャックはいつもビールを飲んでいるので、今回は「カールスバーグ」をチョイス。
マイルドな口当たりと、クリアな喉越しでとても飲みやすく、まさに万人に好まれるビールの王道。
なんでイギリスの映画にデンマークのビール?と思われるだろうが、カールスバーグはビートルズの故郷、リヴァプールを本拠地とするプレミアリーグのリヴァプールFCを、四半世紀以上スポンサードしている銘柄。
リヴァプールの試合の歓声を聞かせながらホップを育てた、「The Red Hops Experiment」というリヴァプールのサポーター専用のビールまであるというから驚きだ。

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