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2019年10月28日 (月) | 編集 |
田舎残酷物語。
「楽園」ちゅうか、描かれているのはむしろ「地獄」?
とあるY字路で起こった少女誘拐事件を起点に、12年後の現在で杉咲花、綾野剛、佐藤浩市の運命が動き出す。
杉咲花が熱演する湯川紡は、行方不明になった少女と直前まで一緒にいた同級生で、彼女が死んで自分が生き残ったことから罪悪感に苛まれ、12年後の新たな事件により更なる傷を負う。
綾野剛が演じるのは、日本に定住している元難民の青年・中村豪士。
内気で日本語が少し不自由な彼は、やがて紡と関わるようになるが、新たな事件が起こると、周囲から孤立していることで疑われ、大した根拠もなく事件の容疑者となってしまう。
そして、佐藤浩市演じる田中善次郎は、12年前の事件とは直接の関わりはないのだが、現在の豪士と紡と小さな接点を持ち、ほんの些細なことからドミノ倒しのように、人生を破滅へと追い込まれてゆく。
吉田修一の原作「犯罪小説集」は、それぞれ現実に起こった事件をモチーフとした短編集で、本作はその中の「青田Y字路」と「万屋善次郎」をミックスして脚色。
「青田Y字路」がモチーフとしているのは、1979年から90年にかけて、四人の少女が犠牲となった「北関東連続幼女誘拐殺人事件」。
この事件は未だに未解決で、1990年の事件では誘拐殺人の容疑で無関係の男性が逮捕され、後に冤罪と証明された「足利事件」としても知られる。
もう一つの「万屋善次郎」は、2013年に起こった「山口連続放火殺人事件」がモデル。
こちらは故郷の限界集落にUターンした中年男性が、徐々に周囲から村八分となり、精神を病んで村の老人たち五人を次々と殺害した事件で、事実関係もかなり忠実な作り。
映画は二本の原作をシームレスに繋いだ上で、「罪」「罰」「人間」の三章構成としていて、最初に罪が犯され、次に非常に曖昧な罰が下される。
「罪」と「罰」の登場人物たちの行動が、常軌を逸するくらい愚かで強引なことに戸惑うが、最後まで観ると、「なるほどこれは狙いか」と分かる。
なぜなら最終章の「人間」で、そもそも罪を作り出したのは誰なのか?罪なき人は存在するのか?が問われるからだ。
だから本当は何が起こったのか?という部分は、物語の帰結する先へ導くために重要な要素ではあるものの、謎解ミステリ的なベクトルはほとんど無い。
新約聖書のヨハネによる福音書の第八章で、姦淫の罪で捕まって人々の前に引き出された女を見たイエスは、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と語る。
その結果、その場にいた誰一人として石を投げることができなかった。
ところが、本作劇中の同一のシチュエーションでは、理性と良心を体現するイエスはおらず、人々は自分の罪を省みることなく先を争って石を投げつけるのだ。
罪びとが根拠のない罰を下し、その結果として新たな罪が生まれる。
本作で描かれるのは、罪と罰の無限スパイラルに陥ってしまった悲しい人の心なのである。
絡み合う人間たちのドラマは、瀬々敬久監督の持ち味が発揮されて見応え充分。
しかし、ここに描かれる日本の田舎は、ある意味ホラーより恐ろしい。
モデルになった実際の事件の報道を読んだ時も思ったが、なんで田舎の年寄りは「人が増えて欲しい」とか「若者に来て欲しい」とか言いながら、逆に人を遠ざけるようなことをするのだろう。
もちろん全部が全部そうじゃないだろうけど、こういう田舎も実際珍しくはない。
本作では、ある程度以上の年齢の登場人物はほぼ一様に救いようがなく、あえて「老害」という嫌な言葉を意識させるように作ってるが、それも一定のリアルがあるからだろう。
罪人たちの中で、唯一自らの罪に向き合い、罪を抱えて生きてゆく決意をする、杉咲花を実質的な主人公としてしているのも、作品の指向する先を示唆する。
果たして彼女は希望となり得るのか?人間は、本当に「楽園」に生きられるのだろうか?
今回は原作者の故郷、長崎から壱岐の酒「純米大吟業 横山50」をチョイス。
長崎は日本酒文化圏と焼酎文化圏の混じり合う地で、これは焼酎の蔵元として知られる重家酒造が、かつて醸造していた日本酒を四半世紀ぶりに復活させた酒。
蔵元の横山さんの名と山田錦の精米歩合がそのまま名前になっている。
フルーティーで、純米大吟醸らしい芳醇な吟醸香。
濃厚だが雑味なくスーッと喉に落ちる、やや辛口の味わいが上質だ。
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「楽園」ちゅうか、描かれているのはむしろ「地獄」?
とあるY字路で起こった少女誘拐事件を起点に、12年後の現在で杉咲花、綾野剛、佐藤浩市の運命が動き出す。
杉咲花が熱演する湯川紡は、行方不明になった少女と直前まで一緒にいた同級生で、彼女が死んで自分が生き残ったことから罪悪感に苛まれ、12年後の新たな事件により更なる傷を負う。
綾野剛が演じるのは、日本に定住している元難民の青年・中村豪士。
内気で日本語が少し不自由な彼は、やがて紡と関わるようになるが、新たな事件が起こると、周囲から孤立していることで疑われ、大した根拠もなく事件の容疑者となってしまう。
そして、佐藤浩市演じる田中善次郎は、12年前の事件とは直接の関わりはないのだが、現在の豪士と紡と小さな接点を持ち、ほんの些細なことからドミノ倒しのように、人生を破滅へと追い込まれてゆく。
吉田修一の原作「犯罪小説集」は、それぞれ現実に起こった事件をモチーフとした短編集で、本作はその中の「青田Y字路」と「万屋善次郎」をミックスして脚色。
「青田Y字路」がモチーフとしているのは、1979年から90年にかけて、四人の少女が犠牲となった「北関東連続幼女誘拐殺人事件」。
この事件は未だに未解決で、1990年の事件では誘拐殺人の容疑で無関係の男性が逮捕され、後に冤罪と証明された「足利事件」としても知られる。
もう一つの「万屋善次郎」は、2013年に起こった「山口連続放火殺人事件」がモデル。
こちらは故郷の限界集落にUターンした中年男性が、徐々に周囲から村八分となり、精神を病んで村の老人たち五人を次々と殺害した事件で、事実関係もかなり忠実な作り。
映画は二本の原作をシームレスに繋いだ上で、「罪」「罰」「人間」の三章構成としていて、最初に罪が犯され、次に非常に曖昧な罰が下される。
「罪」と「罰」の登場人物たちの行動が、常軌を逸するくらい愚かで強引なことに戸惑うが、最後まで観ると、「なるほどこれは狙いか」と分かる。
なぜなら最終章の「人間」で、そもそも罪を作り出したのは誰なのか?罪なき人は存在するのか?が問われるからだ。
だから本当は何が起こったのか?という部分は、物語の帰結する先へ導くために重要な要素ではあるものの、謎解ミステリ的なベクトルはほとんど無い。
新約聖書のヨハネによる福音書の第八章で、姦淫の罪で捕まって人々の前に引き出された女を見たイエスは、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と語る。
その結果、その場にいた誰一人として石を投げることができなかった。
ところが、本作劇中の同一のシチュエーションでは、理性と良心を体現するイエスはおらず、人々は自分の罪を省みることなく先を争って石を投げつけるのだ。
罪びとが根拠のない罰を下し、その結果として新たな罪が生まれる。
本作で描かれるのは、罪と罰の無限スパイラルに陥ってしまった悲しい人の心なのである。
絡み合う人間たちのドラマは、瀬々敬久監督の持ち味が発揮されて見応え充分。
しかし、ここに描かれる日本の田舎は、ある意味ホラーより恐ろしい。
モデルになった実際の事件の報道を読んだ時も思ったが、なんで田舎の年寄りは「人が増えて欲しい」とか「若者に来て欲しい」とか言いながら、逆に人を遠ざけるようなことをするのだろう。
もちろん全部が全部そうじゃないだろうけど、こういう田舎も実際珍しくはない。
本作では、ある程度以上の年齢の登場人物はほぼ一様に救いようがなく、あえて「老害」という嫌な言葉を意識させるように作ってるが、それも一定のリアルがあるからだろう。
罪人たちの中で、唯一自らの罪に向き合い、罪を抱えて生きてゆく決意をする、杉咲花を実質的な主人公としてしているのも、作品の指向する先を示唆する。
果たして彼女は希望となり得るのか?人間は、本当に「楽園」に生きられるのだろうか?
今回は原作者の故郷、長崎から壱岐の酒「純米大吟業 横山50」をチョイス。
長崎は日本酒文化圏と焼酎文化圏の混じり合う地で、これは焼酎の蔵元として知られる重家酒造が、かつて醸造していた日本酒を四半世紀ぶりに復活させた酒。
蔵元の横山さんの名と山田錦の精米歩合がそのまま名前になっている。
フルーティーで、純米大吟醸らしい芳醇な吟醸香。
濃厚だが雑味なくスーッと喉に落ちる、やや辛口の味わいが上質だ。

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