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ショートレビュー「幸福路のチー・・・・・評価額1650円」
2019年11月28日 (木) | 編集 |
本当の幸せはどこにある?

これはまことに愛すべき、小さな映画だ。
台湾出身で、今は結婚してアメリカに暮らすリン・スー・チーの元へ、祖母の死の知らせが入り、色々と人生行き詰っているチーは、久々に帰還した故郷で「幸せ」について考え始める。
監督・脚本はソン・シンイン。
長編アニメーション映画はこれが初めてなのだが、京都大学に留学したのちに米国に渡り、新聞記者や脚本家など様々な職種を経験し、日本での経験を綴った小説まで出しているという才人。
米国の大学に在学中、イラン出身のマルジャン・サトラピの半自伝的作品で、カンヌ映画祭審査員賞を獲得した「ベルセポリス」を鑑賞して本作のインスピレーションを得たという。
2013年に本作のもととなる13分の短編映画「幸福路上 ON HAPPINESS ROAD」を制作し、台北金馬影展のプロモーションコンペで大賞を受賞。
この時の賞金およそ300万円をもとに長編化を始めるも、政治的な背景が含まれることから資金がなかなか集まらず、4年もの歳月を費やして本作を完成させた。

映画は、大人になった現在のチーと、台北に実在する「幸福路」へ家族で引っ越してきてからの半生が、時に交錯しつつ並行して描かれる。
彼女が生まれたのは、1975年4月5日。
この日、大日本帝国の敗亡後、30年間に渡って台湾を支配した「中華民国」の蒋介石総統が死去。
本当の意味での台湾の戦後と共に、チーの人生が始まる。
少女の空想力たっぷり、変幻自在の手描きアニメーション表現が素晴らしい。
丁寧に表現されるキャラクターは、ちょっと「ちびまる子ちゃん」を思わせるノスタルジックでとっつき易いデザイン。
パステル画のようなポップな背景タッチとのマッチングもよく、ビジュアルからもファンタジックで暖かいムードが醸し出されている。

チーの幼少期から、現在に至る激動の時代には、様々なことが起こる。
ソン・シンイン監督の実際の誕生日は1974年なのだが、あえて蒋介石の死と合わせたことで、台湾現代史のクロニクルが、彼女の成長とシンクロしてゆくのが面白い。
幼いころ、金髪の少女チャン・ベティと友だちになった思い出、両親の期待をプレッシャーに挑んだ受験戦争。
大学に入ると学生運動にのめり込み、就職して記者となり、やがて人生に疲れ切って、移民していた従兄のウェンを頼り、アメリカへ。
そして長い歳月を経て帰ってきた故郷は、記憶の中にある街とは大きく変わっていた。
国の歴史というマクロは、ミクロの視点で見れば無数の個人史が密接に絡み合ったもので、国も街も人も変わらないものは一つもない。
現在から過去を俯瞰することで、「あの頃思い描いた、なりたい自分になれただろうか?」と、「今」の意味が問われる。

物語のアクセントになっているのが、随所に顔を出すスピリチュアルな要素。
チーの祖母は少数民族のアミ族で、呪術師でもある。
人生のメンターとして、死してなおチーが精神的な頼りにする祖母の存在が、台湾の持つ豊かな精神文化を伝えてくる。

どんなに一生懸命頑張っても人生は思い通りにはならず、誰でもチーのように思い悩んで過去を振り返ることがあるだろう。
そんな時に心の支えになるのが、たぶん「家」なんだと思う。
この場合の「家」は単なる実家というよりは、自分の根っこであり、幸せの記憶。
例えば「この世界の片隅に」の、呉の山間にある北條さんの家、「エセルとアーネスト」では、庭に洋梨の木が枝を広げるロンドンの家。
誰もが「帰りたい」と思える心の故郷だ。
葛藤を抱えて再び幸福路に立ったチーは、自らの幸せの記憶に背中を押される。
ソン・シンイン監督が、スクリーンの中のもう一人の自分と向き合った、リリカルな心象劇だ。

今回は台湾を代表するビール「台灣啤酒 金牌(台湾ビール 金牌)」をチョイス。
日本統治時代の、1919年に創業した高砂麦酒が前身の老舗。
同社の「經典( クラッシック)」が、高砂麦酒の製法を受け継ぎ、日本のビールに近い印象なのに対し、2003年に発売されたラガービールの「金牌」は、南国らしい軽い味わいだ。
 

内容とは関係ないけど、物語の中で象徴的に使われているビンロウ、昔なにも知らずに屋台で買って噛んでみたことがあるのだけど、むっちゃ苦かった。

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アナと雪の女王2・・・・・評価額1650円
2019年11月24日 (日) | 編集 |
さあ、未知の世界へ!

フィヨルドの王国アレンデールを舞台に、雪と氷を自在に操る魔力を持った女王エルサと、天真爛漫な妹のアナ王女を描き、世界中で爆発的な大ヒットを記録した、ディズニーのアニメーション映画「アナと雪の女王」の6年ぶりとなる長編第二弾。
日本でも「レリゴー!レリゴー!」が社会現象化し、興行収入歴代3位となる255億円を稼ぎ出したのは記憶に新しい。
監督はクリス・バックとジェニファー・リーが続投し、脚本もリーが再び担当。
スタッフ、キャストの多くも、前作からの続投組が占めていて、抜群の安定感だ。
ちなみに、長い歴史を持つディズニーのプリンセスを主人公とした作品で、劇場用として正式な続編が作られるのはこれが初。
「シュガー・ラッシュ」のヴァネロペをカウントしても、80年間で二度目だ。
しかし、「ありのままの自分」でいることへのエルサの葛藤は、前作で完結しているので、本作には新たなテーマが与えられ、キャラクターと世界観を引き継ぎながらも、全く別の物語となっている。
※ラストに触れています。

アレンデールが平和を取り戻してから3年後。
ある日、エルサ(イデナ・メンゼル)の耳にだけ不思議な歌が届き始める。
エルサは、その歌が封印された魔法の森から流れてくると考えるが、今の幸せを壊したくないと耳を塞ごうとする。
しかし、魔法の森の水、風、火、大地の四元素の精霊たちが暴れ始め、アレンデールの町に被害が出たため、エルサは人々を避難させると、何が起こっているのか調べに魔法の森へと旅立つ。
旅の仲間はアナ(クリスティン・ベル)、クリストフ(ジョナサン・グリフ)、トナカイのスヴェン、そしてオラフ(ジョシュ・ギャッド)。
魔法の森では、かつてアレンデールの人々と森に住むノーサルドラの人々との戦争が起こり、エルサたちの祖父は殺され、父のアグナルは生き残って王となった。
以来、精霊たちによって森は閉ざされ、何人も出入りすることは出来なくなっていたのだが、エルサが霧に手をかざすと、森は彼女を迎え入れる。
そこでは、ノーサルドラの人々と、戦争の時に送り込まれたアレンデールの兵士たちが、今も生きていた。
エルサたちは、森の伝説に伝わる、人間と自然の魔法を繋ぐ第五の精霊の存在を知り、この世界の全ての全ての記憶を持つという、北の海にある伝説の川「アートハラン」へと向かうのだが・・・・


上映が終わった時、後ろの席の人が「X-MENじゃん」って言ってて、思わず吹きそうになった。
確かに両手から吹雪を放出するエルサの姿は、映画版ではハル・ベリーとアレクサンドラ・シップが演じたX-MENのキャラクター、“ストーム”を思わせ、その魔力の無双っぷりは、キャプテン・アメリカがアベンジャーズ のメンバーに欲しがりそうなくらい。
もはやアイデンティティに悩んでいた頃の、か細い面影無し。
日本中にレリゴー旋風を巻き起こした前作は、アンデルセンの原作では本来ヴィランだった雪の女王を主人公とし、人と違った力を持つ魔法使いを、「悪」として排斥する御伽噺の定石破りを仕掛けた。
「人と違っていても、ありのままの自分でいていいんだよ」という多様性の肯定を通して、見事に新時代のディズニー・プリンセス像(クイーンだけど)を描いてみせたのだ。
定番の物語の視点を変えるという手法は、その後「眠れる森の美女」をヴィラン視点で描いた「マレフィセント」や、「ジョーカー」などのアメコミ映画などでも試みられ、もはやこの手法自体が定石の一つとなっている。

しかし、前作のエルサは最終的に自分の魔力を肯定し、周りの人々も一つの個性として受け止めたものの、彼女が普通の人々の中で孤独な存在であることは変わらない。
またアナはと言えば、エルサの凍てついた心を救ったが、彼女自身についての物語はあまり語られなかった。
今回は、前作ではアレンデールの国内に留まっていた世界観をぐっと広げ、全体をロードムービーとすることで、移ろいゆく人生の「変化」を描く。
全体のムードは「アナと雪の女王」ミーツ「ロード・オブ・ザ・リング」という趣で、世界観の拡大は両作のテーマ楽曲のタイトル、「Let It Go(ありのままで)」と「Into the Unknown(未知の世界へ)」にも反映されている。
これはエルサやアナにとっての「未知の世界」というだけでなく、私たち観客にとっても、前作のラストからは予想も出来なかった世界への冒険だ。

本作の冒頭時点で、物語の軸となるエルサとアナ、クリストフの三人は、それぞれ人生の分岐点にさしかかっているのだが、新しい一歩を踏み出したいのと同時に、今までの関係が変わることを恐れてもいる。
魔法の森の歌を聴いたエルサは、冒険が避けられないものであること、その旅が自分たちの運命を変えるものであることを予感。
一度決めたら、全部の問題を自分だけで抱え込もうとする性格は相変わらずだが、やがて彼女の決意の旅は、歴史に隠された血塗られた事実を明かすことになる。
それは、アレンデール王だった祖父が、ダムの建設を囮に魔法と共に暮らすノーサルドラを侵略し、その結果として森は閉じられたこと。
父のアグナルは戦いの中でノーサルドラの少女に助けられ、彼女が後にエルサとアナの母となるイドゥナだったこと。
姉妹は、アレンデールとノーサルドラの和解のカギであり、エルサの力こそが人間と自然の魔法を繋ぐ第五の精霊だったのだ。

変化するのはエルサだけではない。
姉想いの妹アナは、どんどんパワフルになり、危険であっても突っ走ってしまうエルサを失う予感におびえ、自らの一族の犯した過去の罪に戸惑う。
前作と比べると、アナの成長の比重が大きく、それは罪によって生じた現状を正そうとする終盤の決断へと展開し、エルサとアナの連携プレーによって、歴史の歪みは正され、二つに分断された世界は再び一つとなる。
自らの役割を知ったエルサはノーサルドラと魔法の森を統べる、本当の意味での雪の女王となり、彼女からアレンデールを託されたアナは新たな女王として帰還を果たすのだ。
二人がリーダーとしてのふさわしい居場所を見つける一方、アナに恋するクリストフは、例によってコミックリリーフ的な位置付け。
半ば腐れ縁となっている彼女との仲を進めたいのだが、なぜかいまひとつ踏み切れないでいる。
まるで少女漫画のキャラクターのように、恋に恋するクリストフが可笑しいが、もちろん彼もきちんと人生のステップを踏み出す。

最近のディズニー・アニメーション・スタジオの作品は、兄弟、いや姉妹ブランドとなったピクサーの「語るべき物語が無ければ、続編は作らない」という思想が浸透してきたのだろうか。
世界観を、閉ざされたゲームセンターからインターネットへと広げ、一作目とは違ったテーマを持ってきた「シュガー・ラッシュ:オンラン」に続き、本作もまた全く異なるステージにキャラクターたちを送り込み、好評だった一作目とは別のベクトルの物語を紡ぐという、非常にチャレンジングな作品となっている。
以前は劇場用の続編を作らず、低予算、低クオリティの続編をビデオスルーで出して、ブランドを毀損していた歴史を考えると近年の変化は興味深い。

もっとも、姉妹に訪れる危機と試練、その結果として見えてくる真実の愛の正体という、分かりやすいピンポイントに収束する前作に対し、今回は各キャラクターの葛藤のベクトルが多岐に及んでいるので、テーマ的な掘り下げはそれほど追求できてはいない。
姉妹が直面する国と一族の黒歴史(王国なのだから、ほぼイコールだ)と、その間違いを正そうとするドラマは、展開としては納得できるものの、終盤はエルサとアナのバトンリレーで、かなり駆け足となってしまっている。
まあこれは、前作とほぼ同じ上映時間では致し方ないだろう。
むしろプロットが複雑化したにも関わらず、それぞれの葛藤に納得できる落とし所を作っていることを称賛したい。

ドラマとしての深みのかわりに、てんこ盛りのミュージカルとスペクタクルな見せ場が、103分の尺にはち切れそうなくらいギュウギュウに詰め込まれている。
冬を舞台としていた前作の雪と氷に変わって、秋の紅葉が美しい本作では、物語上も「記憶を留めるもの」として重要なモチーフとなる「水」の表現が秀逸。
おなじみのキャラクターたちの活躍を見ているだけでも楽しいし、相変わらずミュージカル楽曲は素晴らしく、ディズニーならではのプリンセス大活劇として充分に面白い。
新米女王のアレンデールの将来はちょっと心配だが、もはやマーベルヒーローと化したエルサが近くにいれば問題なしだろう。
ところで、いちいち描くのがめんどくさくなったのか、オラフの雪雲設定無くなったのね。

前作の雪の白に対して、本作で印象的なのは紅葉の赤。
今回は、二人のクイーンの未来を祝って、赤いカクテル「キール・ロワイヤル」をチョイス。
冷やしたシャンパン80mlとクレーム・ド・カシス20mlを、シャンパングラスに注ぎ、軽く混ぜて完成。
シャンパンを白ワインに変えると、「キール」となる。
どちらも飲みやすいアペリティフだが、「ロワイヤル(王家の)」の方がやや甘口だ。

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ガリーボーイ・・・・・評価額1650円
2019年11月21日 (木) | 編集 |
インド人もラップが好き!


インド最大の都市、ムンバイのスラム街出身の青年ムラドが、ヒンディー語のラッパーとして才能を開花させる青春音楽映画。
日ごろから心に生じた想いをリリックとして書き留めていたムラドは、大学の音楽フェスで見事なラップパフォーマンスを見せたMCシェールと出会い、彼を音楽のメンターとして自分もラッパーとして活動を始めることになる。
目指すは、インドナンバーワンのラッパーを決めるフリースタイルラップのコンテスト。
描かれるのは、青春の熱情と閉塞、栄光と挫折、恋と音楽。
主人公の”ガリーボーイ”ムラドを「パドマーワト 女神の誕生」のランヴィール・シンが演じ、恋人サフィナにアーリヤー・バット、MCシェールにシッダーント・チャトルヴェーディー、彼らとコラボするアメリカ帰りのスカイに、「マルガリータで乾杯を!」が記憶に新しいカルキ・ケクラン。
ゾーヤー・アクタル監督は、このド直球な青春映画の枠組みに、インドの若者たちの置かれた社会状況を絡め、深みのあるヒューマンドラマを構築している。

ムンバイの貧民街ダラヴィに暮らすムラド(ランヴィール・シン)は、大学卒業を一年後に控えたヒップホップ好きの青年。
幼馴染で恋人のサフィナ(アーリヤー・バット)は、自分の診療所を開設することを目指し、医大に通っている。 
ある日、MCシェール(シッダーント・チャトルヴェーディー)のラップを見て感動したムラドは、フリースタイルのイベントへ参加しているシェールの元へ自分で書いたリリックを持ってゆく。
リリックは好評で、ムラドはラッパー”ガリーボーイ”として活動を始めることに。
動画投稿サイトを通じて、バークリー音楽院生のスカイ(カルキ・ケクラン)という女性からコラボのオファーを受けたムラドとシェールは、ムラドの住むタラヴィで新曲のMVを撮影する。
MVは瞬く間に人気となり、ガリーボーイの名は高まってゆくが、音楽活動を知った父からは叱責され、スカイとの仲を疑ったサフィナとも別れてしまう。
失意の中、来印するヒップホップ界の超大物、NAZのインド公演の前座を務めるラッパーのコンテストが迫っていた・・・・


タイトルの「ガリー」とは、ムラドの住む「路地裏」のこと。
先日公開された「ヒンディー・ミディアム」でも描かれていた、インドの格差・階級社会が重要な背景となっているのが特徴だ。
ムラドはインドでは少数派のムスリムの家庭に生まれ、決して経済的に豊かではないものの、大学には行かせてもらっていて、親には内緒で13歳から付き合っている医大生の恋人サフィナもいる。
ちなみに彼女、ムラドのことが超大好きだけど、やたら喧嘩っ早くて凶暴、インド版ラムちゃん的なキャラクターがかわいい。
スラムの悪友たちとはちょい悪な行動もして、それなりに青春を謳歌しているのだが、それでも自分の置かれた状況に疑念を募らせ、心には鬱屈とした想いが溜まってゆく。

金持ちのお抱え運転手として働く父のアフターブは抑圧的で、母のラズィアに無断で家に若い第二婦人を迎え入れる。
生活環境が狭小なこともあって、家族関係は常にギクシャク。
傷ついた母の気持ちに寄り添いたいムラドだったが、厳格な家長制度のもとでは父親に抗議することなど許されない。
そんな時に、アフターブがケガをしてムラドが代役を務めることになり、持てる者と持たざる者の差を目の当たりにすることになる。
たとえ大学を出ていても、マイノリティのムスリムへの求人は少ない。
医師免許をとって、自分の診療所を持ちたいという夢があるサフィナと違って、ムラドには大学を出た後のはっきりとした展望がないのだ。
使用人の子は孫子の代まで使用人、金持ちの子はずっと金持ちと、世代を超えて階級が固定化され、誰もが諦めてしまっている社会にあって、ラップはムラドの心に湧き上がる現状への反逆の狼煙

日々の生活に触発された、リリックのセンスは抜群。
MCシェールやアメリカのバークリー音楽院帰りの新しい仲間、スカイの力も借りて制作した新曲のMVはたちまち動画投稿サイトで大人気となるのだが、それはラップを退廃した音楽とみなす大人たちに、自分の活動が知られることを意味する。
ムラドが、インドのラップスター”ガリーボーイ”になる道には、無理解な親との関係をはじめとした家庭事情から、安定か夢かの将来の進路、サフィナとスカイとの恋愛三角関係まで、次から次へとハードルが立ちはだかってくるのだ。
本作のストーリーは、ムンバイ出身のラッパー、ネイジーとディヴィンの実話をモチーフにしていて、キャラクターはかなり脚色されているようだが、ムラドがネイジーでMCシェールがディヴィンにあたる。
映画と同じように動画がきっかけでブレイクしたネイジーは、スターになった後も家族の反対に対応するために、2018年にしばらく音楽活動を休止していたというのだから、親の時代には存在していないかった表現を、新しい芸術として理解してもらうのは大変なのだな。

ムラドの葛藤はてんこ盛りゆえ、基本シンプルな内容も非常にドラマチック。
彼自身が抱えている問題以外にも、一夫多妻制が作り出す不和、女性蔑視の風潮、スラム街に住む子供の貧困、世代間の価値観の分断など、様々な問題が綿密に描きこまれている。

13億もの人間が暮らす世界有数の多民族、多文化社会ゆえに、複雑化する問題がリソースとなり、物語を内容豊かにしているのは皮肉だ。


だからこそムラドは、そんな社会問題を盛り込んでラップを創るのだが、劇中音楽も非常に充実。

ヒンディー語とラップが、こんなに合うとは思わなかったけど、何しろミュージカル大国だもんね。
中盤のタラヴィでロケしたMCシェールとスカイとのコラボMV「Mere Gully Mein」は、実際にネイジーとディヴィン撮ったオリジナルを映画用にリメイクしているのだけど、むっちゃカッコいい。
クライマックスのラップコンテスト決勝の「Apna Time Aayega」まで、 演じるランヴィール・シンのパフォーマンスも素晴らしく、音楽映画として非常に見ごたえ、聴きごたえがある。
この人は、「パドマーワト 女神の誕生」の憎々しい悪役スルタン役が記憶に新しいが、こちらでは正反対の爽やかラップスターを好演していて、演技のふり幅がなかなか凄い。

本作とは関係ないけど、あの映画では人妻のパドマーワトに横恋慕して戦争まで仕掛けるも、結局彼女には殉死されちゃって、何も手に入れられなかったけど、実生活ではちゃっかりパドマーワト役のディーピカー・パードゥコーンを射止めてたのね。

ムラドはムスリムだからか、単に下戸なのか、アルコールを飲まない人だったが、今回はヒンディーラップを聴きながら飲みたい一本。
北インドの代表的なビールの一つ、デヴァンス醸造所の「ゴッドファーザー スーパーストロング」をチョイス。
アルコール度はちょっと高めで、すっきり爽やかだが甘味を強く感じる。
売れ筋インドビール全般に見られる特徴なので、おそらくはスパイシーなインド料理との相性を追求して進化したのだろうな。

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アイリッシュマン・・・・・評価額1700円
2019年11月19日 (火) | 編集 |
なぜその男は消されたのか。

1975年に忽然と失踪し、いまだに行方が分からないアメリカ最大の労働組合、全米トラック運転手組合(チームスター)委員長、ジミー・ホッファ。
150万人を超える組合員の年金資産という巨額の資金を操ることで、大統領に次ぐとも言われた絶大な権力を振るった男は、いったいなぜ、どこへ消えたのか。
様々なゴシップが語られてきたホッファ失踪に関して、親友だった彼を暗殺したのは自分だと、晩年になって告白したマフィアの殺し屋、“アイリッシュマン”ことフランク・シーランの物語だ。
シーランをロバート・デ・ニーロ、ホッファをアル・パチーノ、両者の間を取り持つマフィアのボス、ラッセル・ブファリーノをジョー・ペシが演じる、いぶし銀のオールスターキャスト。
チャールズ・ブラントのノンフィクション「I Heard You Paint Houses」を原作に、「マネーボール」のスティーヴン・ザイリアンが脚色。
本来劇場用ではなく、NETFLIXオリジナル作品として作られた実に210分の大長編は、マーティン・スコセッシにとってはある意味で集大成的な作品であり、アメリカ史好きにはたまらない大河ミステリだ。

戦争から復員し、食肉の配送トラックの運転手をしているフランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)は、配送の途中で肉を横領してはマフィアの店に安く卸すサイドビジネスをしている。
ある時、マフィアの大物ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)の知遇を受けたフランクは、徐々に彼の下で殺しの仕事に手を染め始める。
当時、マフィアたちはラスベガスのカジノリゾート開発を進めるため、巨額の年金資金を持つ全米トラック運転手組合(チームスター)に接近。
組合の委員長として、長年辣腕を振るうジミー・ホッファ(アル・パチーノ)と蜜月の関係を築いていた。
ラッセルによってホッファの元に送り込まれたシーランは、マフィアの殺し屋と組合の幹部という二足の草鞋を履くことになる。
ホッファは直ぐにシーランを気に入り、二人は親友の間柄になってゆくのだが、やがてホッファと組合の支部長でもあるマフィアのボス、トニー・プロ(スティーヴン・グレアム)の間でトラブルが起こり・・・・


フランク・シーランは1920年にアイルランド系の父とスウェーデン系の母のもとに生まれ、第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線に従軍。
身長193センチの巨漢は、411日間に及ぶ軍務の間に、劇中でも描かれた捕虜の処刑など複数の戦争犯罪に関わったことを告白しており、おそらくこの戦争体験が後の”殺しの仕事“に対する倫理的抵抗感を失わせた。

映画は死の直前、介護施設でのシーランの独白、ホッファの失踪直前の1975年7月のシーランとラッセル・ブファリーノの“集金旅行”、そして若き日のフランクがラッセルとホッファに出会い、暴力を武器にして次第にマフィアと組合、二つの組織で頭角をあらわす三つの時系列が平行に語られる構造。
ホッファの最期は諸説あって、この話もあくまでもフランクがそう言っているだけで裏は取れてないものの、組合員の年金資金を狙ったマフィアが労組と癒着し、アメリカ現代史の利権と権力構造の一部を担っていたことを、リアリティたっぷりに描き出す。

癒着の構造はこうだ。
20世紀に入り、社会のあらゆる部分でモータリゼーションが進んだアメリカでは、物流の主力も鉄道からトラックに移る。
トラック運転手が加速度的に増え、強気の交渉で知られていたホッファがチームスターに招かれると、瞬く間に巨大労組に育て上げてる。
何しろ全米でトラックがストライキすると、モノの動きがほとんどストップしてしまうのだから、経営者は戦々恐々して賃上げするしかない。
カリスマ化したホッファの元で組合員は増え続け、組合が管理する年金口座の額もいつしか天文学的な数字となる。
同じ頃マフィアたちは、戦後のラスベガスにカジノリゾートを開発するのに資金を欲していたが、基本的に従来の銀行はギャンブルには出資しない。
そこで彼らが目をつけたのが、組合の年金資金というわけだ。
ホッファはマフィアに資金を融資し、マフィアはスト破りの阻止や組合の汚れ仕事を請け負う。
時にはシーランやトニー・プロの様に、マフィア自身が組合に入り込み、金と暴力が血液の様に循環するウィンウィンの関係を築き上げるのだ。

ところが、栄枯盛衰の世の中。
ホッファに権力が集中すると、マフィアとの癒着は当然当局に目を付けられる。
1967年に収監されると、1971年にニクソン大統領の再選恩赦で出所するも、組合活動は禁止された中途半端な立場。
それでもチームスターは自分の作った組合だとして、私物化しようとするホッファは、次第にマフィアたちにとって、目の上のたんこぶになってゆくのである。

本作の白眉は、やはりデ・ニーロが見事な演技で魅せるシーランのキャラクターで、イタリアンマフィアの主流でないアイルランド系でありながら、彼らの便利な殺し屋となり、なおかつホッファの友人で、労組の幹部にもなるという、ややこしい立場。
どっぷりインサイダーで、同時にアウトサイダーなのだ。
スコセッシは、このユニークなキャラクターを中心に、片方にラッセルとマフィア、もう片方にホッファと組合を配し、組織での立場と友情の間でヤジロベエの様に揺れ動く心を描いてゆく。
シーラン、ホッファ、ラッセルの奇妙な三角関係の背景に、カストロ支配下のキューバに、マフィアの息のかかった亡命キューバ人部隊が上陸したピッグス湾事件から、ケネディ暗殺などの同時代に起こった様々な事件が透けて見える仕組み。
日本では殆ど知られていない内容も多いので、ある程度の時代背景の学習は必要になってくる作品だ。

ホッファはもちろん、出てくる男たちがほぼ全員権力と金の亡者で、揃いも揃ってろくな死に方してないのが、因果応報と人の業を感じさせる。
成り行きでマフィアの一員になり、成り行きでホッファと親しくなったシーランも、自分の暴力によって一番守りたかったものを失ってしまった訳だし。
そりゃ幼い子の目の前で、オヤジが近所の人をボコボコにするのを見せつけられりゃ引くわ。
アナ・パキンが演じる愛娘のペギーは、あの一件で父の本性を知ってしまい、大好きなホッファおじさんを殺したのが誰なのかも察しがついちゃったのだろう。
イタリア系のマフィアの暮らしは、すべて結婚式を中心に回っていて、そこから人間関係が広がってゆくという辺りは「ゴッドファーザー」を思わせるが、こちらはいかにもスコセッシ流のダークサイドのアメリカン・クロニクル

しかし一級品なのは間違いないが、これは評価が難しい映画だ。
この内容を描くのに、本当に210分もの尺が必要だったのか?と言えば、否と言える。
例えば中盤でシーランが殺害するジョセフ・“ジョーイ”・ギャロに関するエピソードは、メインプロットとは直接関係無いので丸ごとカットしても充分成立する。
だが、そのエピソードそのものはすこぶる面白いのだ。
他にも、無くても物語のエッセンス的には問題ないエピソードは数多くあり、ぶっちゃけ本作が普通の劇場用映画として完成されていたら、脚本段階で相当の部分がそぎ落とされていただろう。
実際、物語の核心たるシーランとホッファ、ラッセルの運命的な三角関係は、2時間半もあれば十分に描けるはずだ。

昨年話題を呼んだ、アルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」はモノクロ、シネマスコープサイズという映画館での上映を前提とした作品ながら、経済的な理由でNETFLIX配信(最終的には本作同様、劇場でも公開されたが)となったが、こちらは逆に配信を前提とした作品作りをしているのは明らか。
まあ元々視覚的な語り口が特段に上手い人ではないが、劇場用作品と捉えるとリズム的にも演出的にも疑問を感じさせる部分が多い。
暗闇でスクリーンに集中させられる映画館では欠点となる部分が、時間に縛られない配信では豊富な背景情報という美点となり、フォーマット的には自宅のリビングで、ちょっと弛緩しながらまったりと時間の流れを楽しむのに向いた作品だろう。
だから、これは「ROMA/ローマ」とは違って、必ずしも劇場で観るべき作品とは思わない
配信用の作品を手掛ける映画監督の多くが、基本的には劇場用と変わらないスタンスで作品を作っている中、尺の縛りから解放されたのをいいことに、ここまで好き勝手に物語を紡ぐのはいかにもスコセッシらしい。
3Dで遊びまくった「ヒューゴの不思議な発明」もそうだったけど、この人基本的に新しい物好きなんだな。

アメリカでマフィアが急拡大したのが禁酒法の時代。
彼らの資金源となったのが、ウィスキーの密造酒だった。
というわけで、長い伝統を持つジム・ビームから「ジム・ビーム ライ」をチョイス。
バーボンウィスキーの原料はトウモロコシだが、こちらはライ麦。
まったりとコクのある通常のバーボンとはちょっと違った、ピリリと辛口の味わいが楽しめる一本だ。

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ショートレビュー「ブラック校則・・・・・評価額1600円」
2019年11月14日 (木) | 編集 |
創楽(そら)、校則つぶすってよ。

映画の公開と同時期に、ドラマ版も放送しているメディアミックス企画だが、映画は単体で成立しているのでこれだけ観ても無問題。
なるほど、これは言わば「セトウツミ」ミーツ「桐島、部活やめるってよ」だ。

黒髪強制、スマホ禁止、バイト禁止、登下校時の立ち寄り禁止など、理不尽な校則が支配する高校で、モトーラ世理奈演じる希央のために、二人の男子生徒ががんばる。
「楽しいを創る」という名前なのに、全く存在感がなく、さえない高校生活を送っているのは佐藤勝利演じる創楽。
彼はある朝、父がアメリカ人だという希央の栗色の髪の美しさに一目ぼれ。
お調子者の友人、中弥とともに、彼女が地毛のまま学校に通えるよう校則を変えようとする。
共にジャニーズのアイドルだという、佐藤勝利も相方役の中島海人も知らない人だったが、キャラクターにはジャストフィット。

一応、地毛証明書があれば、黒髪に染めなくてもいいらしいのだが、それには親の同意書と幼少期の写真が必要。
両親が離婚し、父親が写真を全部持ってアメリカに帰ってしまったという希央の家には、幼少期の写真が残ってない。
そこで創楽と中弥の作戦は、校則を変えるのと、地毛証明書の条件緩和のツートラック。
そもそも地毛証明書の提出を求めるなんて、黒髪の人以外の差別であり、重大な人権侵害もいいところ。
昔に比べればだいぶマシにはなっているようだが、いまだにこんなバカげた校則に縛られ、実際に裁判を起こされても黒髪に固執する学校があることに驚く。
まあ、だからこそ映画になるのだけど。


面白いのは、生徒の側だけでなく、教師サイドの閉塞感も描かれてること。
この学校は、徹底的に生徒を校則に従わせようとする強権的な校長を頂点に、体育教師に代表される実働部隊となる強面教師たちがいて、それに反発を感じている比較的若い教師たちは一番弱い立場。
大人たちの間の力関係とスタンスの違いにより、学校という閉鎖社会の支配の構造がレイヤーとして可視化される仕組み。

同様に、生徒の側も大なり小なり校則に理不尽さを感じている者が多くいる一方で、逆に校則がないと不安を感じる者や、教師の秘密を動画に撮って、ひそかに支配している不良がいたり、全く一枚岩ではない。

校内でのスマホが禁じられているので、学校裏の一枚の壁が生徒たちの本音の落書きが飛び交うオフラインのSNS掲示板となる設定は秀逸。


生徒役の若い俳優たちも好演しているが、MVPは傲慢な体育教師を演じた元「ほっしゃん。」こと星田英利。

言動が私の高校の頃に天敵だった教師そっくりで、トラウマが蘇った。
生徒に蔑まれている影のある教師を演じた成海璃子も、独特の存在感を発揮しドラマの重しになっている。
基本は生徒や先生の掛け合いで展開する会話劇だが、フツフツと煮えたぎる青春の燃料をために溜めて、若いパワーが爆発するクライマックスでは、もはや校則を変えようという着地点を外れ、生徒一人ひとりが自らの閉塞をぶちまけ、自由を求めるプチ革命に。
しかし、この部分は勢いにまかせて少々分解気味でもあるので、例えば「桐島、部活やめるってよ」の“火曜日の屋上”のような、全てが一体化した映像的なグルーブ感がもう少し欲しかった。
映画好きに勧めたい、鮮烈かつ瑞々しい青春映画だ。

今回は、ブラックつながりでヤッホーブルーイングの「東京ブラック」をチョイス。
クリーミーな泡と、ココア系のまったりとした香りと濃厚な味わいを持つ、ロブスト・ポータースタイルの黒ビール。
元々は港の労働者が好んで飲んでいたので「強い荷役労働者」を意味するロブスト・ポーターと呼ばれるようになったと言う。
こちらは上品な味わいだが、意外と熱血なエネルギーを秘めている?

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ターミネーター:ニュー・フェイト・・・・・評価額1650円
2019年11月09日 (土) | 編集 |
運命は変えられるか?

前作の「ターミネーター:新起動/ジェニシス」の興行的・批評的失敗を受けて、当初予定されていた三部作がキャンセルされ、シリーズ生みの親であるジェームズ・キャメロンが、プロデューサーとして復帰した再リブート作
キャメロンが参加していない「ターミネーター3」以降のシリーズは無かったことにされて、1991年の「ターミネーター2」から直接続く続編だ。
サラ・コナーはスカイネットによる“審判の日”の到来を阻止したものの、代わって未来世界の支配者となった別のAIによって、新たなターミネーターが送り込まれる。
未来は変わっても、人間そのものが変わらなければ、滅びの運命は何度でもやって来るという訳か。
「新起動/ジェネシス」に引き続きシュワルツェネッガーがT-800を演じ、サラ・コナー役には28年ぶりにリンダ・ハミルトンが復帰。
ティム・ミラー監督と言えば「デッドプール」の悪ノリが記憶に新しいが、本作ではキャメロンのお墨付きを得て、正統派のアクション巨編として仕上げている。
※ラストに触れています。

メキシコシティの自動車工場で働くダニー・ラモス(ナタリア・レイエス)は、ある日突然未来から送り込まれた新型ターミネーターRev-9(ガブリエル・ルナ)に襲撃される。
ターミネーターを阻止するために現れた謎の女グレース(マッケンジー・デイビス)に助けられ、九死に一生を得たものの、父と弟は殺されてしまう。
執拗に追ってくるRev-9からダニーとグレースを救ったのは、逃亡者となっていたサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)だった。
1984年以来、彼女がターミネーターと戦い続けたことによって、1997年8月29日に起こるはずだった“審判の日”は避けられたものの、息子のジョンはT-800型ターミネーターに殺されていた。
「未来は変わったはずだ」と言うサラに、グレースはスカイネットとは別の、“リージョン”と呼ばれるAIが支配する未来から来たと告げる。
実は、サラにダニーとグレースのことを知らせたのは、ターミネーターの出現場所を感知できるテキサスに住む謎の人物。
その発信源はグレースの持つ座標データと一致し、三人は国境を越えることを決意するのだが・・・・


冒頭の“審判の日”を語る若きサラ・コナーの尋問映像で、観客をターミネーター世界にグッと引き寄せる。
基本的に、本作のプロットはジェームズ・キャメロンによる、伝説的な第一作と第二作を融合させた、21世紀のバージョンアップ版である。
人類の運命を握っているがゆえに、ターミネーターのターゲットとなるサラ・コナーはダニー・ラモスに、哀愁の未来戦士ことカイル・リースの役割は、マッケンジー・デイビスが演じるむちゃくちゃカッコいいサイボーグ兵士のグレースに受け継がれた。
そこへ過去と現在を繋ぐ役割のサラと、「ターミネーター2」のナイスガイ・キャラクターの延長線上にあるT-800が絡む構図。

一目見て分かる旧作との違いは、女性チームの話になっていることと、ヒスパニック文化の浸透だ。
物語はメキシコシティで始まり、ダニーはメキシコ人女性で、追ってくるRev-9もヒスパニック男性に擬態している。
国境越えが大きなポイントになるのも、トランプ政権下でのメキシコとの移民をめぐる軋轢の反映だろう。
ダニーを演じるナタリア・レイエスの中南米のスター俳優だし、この30年間のヒスパニック人口の増加とアメリカでの地位向上が、本作の大きなバックグランドになっていることは間違いない。

また未来からの救出者が数段パワーアップしつつ女性化しただけでなく、守られるダニーの役割も変わっている。
旧作のサラ・コナーは“人類を救うジョン・コナーの母”であり、あくまでも救出の対象はジョンだった。
ところが、本作では“審判の日”を回避した直後の1998年に、ジョンはしつこく送り込まれたT-800によって殺されてしまった設定。
どうやら過去に介入すると、少しづつ未来も書き換えられる様で、“審判の日”が起こらなかったことで、かつてジョンを狙ったスカイネットはリージョンと呼ばれる別のAIと入れ替わり、人類を救う人物も異なってくる。
旧作のサラが、救世主ジョン=キリストを生む聖母マリアだとしたら、本作のダニーは枝分かれした未来の新たなジョン、即ちキリスト本人なのである。
人類の未来が男の英雄ではなく、今は平凡な一人の若い女性にかかっている設定は、いかにも現在を感じさせる。

本作の物語の核心はほとんどダニー、グレース、サラの魅力的な女性キャラクター三人の関係性で描かれるので、後半から登場するT-800に関しては、ぶっちゃけファンサービスの様なもの。
ストーリー上の彼の役割は三人を引き合わせることなので、出てきた時点で主な仕事は終わっている。
あとはちょっとした助っ人プラス、ジョンを殺した過去を巡るサラとの確執程度だが、これは基本的には終わった話。
すっかり人間界に適合したT-800が、家業のカーテン選びのウンチクを語ったりするのは可笑しいし、銃をコレクションしている理由を聞かれて「なぜならここはテキサス」と答えるのには思わず吹いたが、「ターミネーターといえばシュワルツェネッガーでしょ!」と言うファン心理をくすぐるアイコン以上の存在にはなっていない。
T-800が人間と過ごすことでプログラミングされていない“感情”を発露することは、「ターミネーター2」のラストで示唆されていたので、このキャラクター設定には違和感は無かったが、それを含めて第一作、二作目の鑑賞は必須で、あちこちにファン泣かせのオマージュが散りばめられているのも楽しい。

ちなみに今回の作品によって「来なかった未来」となった「ターミネーター3」以降から、ちゃっかり頂いてる要素もチラホラ。
1998年に、ジョンを殺したT−800がオレンジ色のジャケットを着ているのは、おそらく「ターミネーター3」でクリスタナ・ローケンが演じた女ターミネーター、T-Xの衣装へのオマージュ。
あれはもうちょっと赤みが強かったけど、彼女も“審判の日”の後に送り込まれたターミネーターだった。
T-800の外見が老けるのは、「新起動/ジェニシス」でCGではなく現在の年齢のシュワルツェネッガー登場した時の、「皮膚は老化する」という設定を踏襲したもの。
もっとも、T-800が「有機物の皮膚があるからタイムマシンに入れる」という設定自体は、第一作の時に説明されていた。
厳密に考えると「それではT-1000や今回のRev-9は?」という疑問も出るが、野暮は言うまい。
Rev-9を倒すために、傷付いたグレースが自分の動力源を提供するのは、「ターミネーター4」でサム・ワーシントン演じるサイボーグ・ターミネーターが、ジョンを救うために自分の心臓を捧げたのを思わせる。
これら、パラレルワールドとなってしまった過去の続編を取り込みつつ、本作はいわば「ターミネーター全部入り」の、豪華なエンタメ映画になっているのだ。

墜落するC-5輸送機内の無重力アクションは、カット割りすぎてちょっと見難いものの、個体と液体の複合型で、二体に分離して戦うこともできるRev-9の特性を生かし、アクションもシリーズ伝統の豪快なカーアクションから、スピード感のある肉弾戦まで色々なパターンでてんこ盛り。
タイム・パラドックスを含めて、プロットが相当に強引なのは相変わらずだが、意外性もあって面白い。
少なくともここには感情を動かされるドラマがあり、商業主義の出がらしみたいな過去の続編よりも、遥かに楽しめる快作になっているのは確かだ。
しかし、シュワルツェネッガーは、一時期カリフォルニア州知事になってた頃を除けば、ずっとスクリーンで変遷を見てたけど、久々のリンダ・ハミルトンが年齢相応に美しい戦闘ばあちゃん化してたのは歳月を感じる。
米国での興行は、キャメロンとハミルトンの復帰にも関わらず今ひとつ伸びていないらしいが、払拭したはずの第二作の悪夢の到来を覚悟した上で、第一作の対になるラストと共に、これはこれで綺麗に完結しているので、これで終わりでも良いのではないか。
さすがに、これ以上老けたシュワルツェネッガーでT-800は無理があるでしょう。

今回はメキシコ人を含む三人の女性の話なので、三種の材料を使う「テキーラ・サンライズ」をチョイス。
氷を入れたグラスに、テキーラ45ml、オレンジ・ジュース90mlを注ぎ、軽くステア。
グラスの底に沈むよう、グレナデン・シロップ2tspを静かに注ぎ入れる。
98年のT-800の衣装を思わせるオレンジのカラーが鮮烈で、テキーラの独特な風味が、オレンジの酸味と甘味、グレナデンの甘味とバランスよく混じり合い、飲みやすくて美味しいカクテルになる。

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ショートレビュー「T-34 レジェンド・オブ・ウォー・・・・・評価額1650円」
2019年11月07日 (木) | 編集 |
弾は6発、敵は無数。

いやー、こりゃあ面白いじゃん。
鈍足のトラックで、ドリフトしながら戦車の砲撃をかわすオープニングからテンションMAX。
オフィシャルにリメイクとはうたってない様だが、これ旧ソ連時代の戦車映画の名作「鬼戦車T-34」と基本設定が同じ。

ドイツ軍捕虜収容所の赤軍戦車兵が、訓練の標的にされるはずだった鹵獲されたT-34をぶんどって逃亡。
途中立ち寄ったドイツの村で、村人を脅してビールをもらうよく似た描写もある。

だが、ベースの設定以外は全くの別物だ。

ソ連の戦争映画というと、物量に物をいわせた大味なものという印象が強いが、第二次世界大戦中の実話からインスパイアされた「鬼戦車T-34」は、“標的”であるために非武装の戦車を、戦争の暴力に対する抵抗の象徴として描き、悲壮感を前面に出していた。
登場人物も、言葉がわからないフランス人が混じっていたり、戦車と花畑といった対位法的な映像表現も味わい深く、どこかアメリカン・ニューシネマを先取りしたような、独特のムードをもつロードムービーだった。

対して、こちらは厨二魂全開の戦争アクション。

奪って逃げるという行動は同じだが、最大の違いは徹甲弾4発、榴弾2発の計6発だけ実弾を隠し持っていること。
ドイツ軍の新米戦車兵の訓練の相手をするために、主人公のイヴシュキンら捕虜の赤軍戦車兵たちにあてがわれたT-34 85の車内に残っていた物という設定だが、戦車には当然砲弾が積まれている訳で、ドイツ軍が鹵獲した敵戦車の中身を確認もせず、捕虜に丸投げするってかなり無理がある。
ともあれ、これでただ逃げるだけじゃなくて、戦術を駆使すれば追っ手と戦えるようになり、バトルアクションのセットアップ完了。


前半のモスクワ攻防戦で、イヴシュキンにとって因縁のライバルとなるドイツ軍戦車兵(名前がイェーガー=狩人というのがいい)がいて、二人の熱血戦車野郎による、男と男のプライドをかけた戦いが物語の軸。

前半とクライマックス、劇中に二度ある両者の“決闘”はまるで西部劇のノリだ。

時折挟まれる戦場を見下ろす鳥瞰ショットが、戦車同士の位置関係を分かりやすくして効果的。
圧倒的に不利な条件下で、いかにして隠れ、いかにして敵を欺き、弱点である側面を突くのかという市街地の戦車戦は、いわば街をボードにした巨大なチェスのゲーム
これがガルパンなら、被弾しても白旗が上がるだけだが、こっちは当たり所が悪いと死んじゃうので、非常にスリリングだ。
CGを駆使しし、飛び交う砲弾をスローモーションで描写するのも、拳銃弾とかなら見慣れたものだが、戦車砲弾はさすがに未見性がある。
アクションだけだと飽きるでしょう?とばかりに、箸休めに通訳の女性捕虜と主人公のロマンスまでプラスする、エンタメ盛り盛りのサービスっぷりが潔し。


製作が親プーチンのニキータ・ミハルコフだし、例えばデヴィッド・エアーの傑作「フューリー」の様な深いドラマ性や、オリジナルの「鬼戦車T-34」のが持っていた叙情的暗喩性などは全くなく、ストレートに国家に尽くした旧ソ連の兵士たちの勇敢さを讃えるシンプルな作品。
だが血湧き肉躍る熱血の戦車アクション映画として、相当によく出来てる。
監督・脚本のアレクセイ・シドロフは、見事な仕事をしていると言っていい。
しかし、観客のおっさん率異様に高し(笑

今回は文字通り、命がけで炎のキッスを交わす男たちの話なので、「キッス・オブ・ファイアー」をチョイス。
ウォッカ20ml、スロー・ジン20ml、ドライ・ベルモット20ml、レモン・ジュース2dashをシェイクして、粉砂糖でスノースタイルにしたグラスに注ぐ。
ルイ・アームストロングの「キッス・オブ・ファイアー」にインスパイアされた、バーテンダーの石岡賢司氏が考案した。
全く異なる個性を持つ素材それぞれが複雑に絡み合い、言葉で形容しがたい不思議な味わいを作り上げている。

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東京国際映画祭2019 まとめのショートショートレビュー
2019年11月06日 (水) | 編集 |
第32回東京国際映画祭の鑑賞作品つぶやきまとめ。
公開が決まってない作品の中では、「マローナの素晴らしき旅」が印象深い。
これは是非劇場でもう一度観たい作品だ。
いくつかの作品は今後本記事を書く予定。
以下は鑑賞順。

フォックストロット・シックス・・・・・評価額1350円
近未来のインドネシアを舞台としたSFアクション。
元海兵隊員で現職議員の主人公が、逃亡者となって戦友たちと6人の秘密のチームを作り、人々を支配する全体主義の政府と戦う。
ぶっちゃけ、設定が無駄に複雑なのに、作劇はおそろしく雑。
主人公の議員設定は全く意味が無いし、反乱組織のアジトなんて、戦闘中に高さ設定がむっちゃ変わってないか。
あのビル何階建てだよw
しかし、終盤1/3を占めるクライマックス、悪の基地への殴り込みのアクションシークエンスはさすがに魅せる。
六人それぞれ、格闘技からナイフ、ガンアクションまで個性を生かした見せ場があり、ボリューム的にもお腹いっぱい。
基本はひたすらアクションを楽しむ映画。
しかし「アクト・オブ・キリング」なんかを見ると、インドネシア政界ってこれが結構リアルなんじゃないの ^_^;

ヒックとドラゴン2・・・・・評価額1700円
今夜の「3」の前におさらい。
円盤で何度も観てるけど、この圧倒的な飛翔感はスクリーンが格別!
前作で人間とドラゴンに平和をもたらしたヒックが、今度はバイキングの長と認められるまで成長する話で、プロットはヒーローズジャーニー色が非常に強い。
友愛で平和を目指すヒックたちと、恐怖によって他者を支配しようとする敵役とのコントラストもクッキリ。
ヒックだけでなく、トゥースレスの方も同じ様に成長を遂げるので、両者の一心同体感もますます強まり、クライマックスの共闘は大いに続編として完璧に近い、こんな面白い映画が未公開なんて、やっぱり日本のマーケットはおかしいぞ。
まあ「3」の公開を決めてくれたのは嬉しいけど。
あといまだにトゥースレスの字幕がトゥースのままなんだが、まさかまた宣伝にオードリー引っ張り出してくるつもり?

ヒックとドラゴン 聖地への冒険・・・・・評価額1750円
三部作、有終の美。
「1」はひ弱な少年ヒックが、一人前のバイキングと認められるまで。
「2」では青年ヒックが、族長の資質を得るまでで、同時に相方のトゥースレスもドラゴンの王へと共に成長。
そして第3作では、彼らに恋の季節と選択の時がやって来る。
三部作それぞれが主人公の人生のステップを描き、全体で一作一幕の見事な三幕構成。
似た者同士の落ちこぼれ少年とぼっちドラゴンは、お互いに影響し合って大人になり、責任を伴う居場所を見つける。
描く内容も、一作ごとに深化を深めているのもが素晴らしい。
人間とドラゴン、全く異なる個性を持った生物が共生出来ると信じる者がいる反面、敵愾心を利用しようとする者もいる。
より良い世界にしようと戦うと、その分敵も増えてゆく。
愛する存在を本当に守りたいと思った時、取るべきチョイスは何か。
異世界ファンタジーではあるものの、寓意を含んだエピソードの数々は現実世界で実際に起こっていることをイメージさせる。
ヒックとトゥースレスの成長物語として、これ以上の物語のおとし方は無いだろう。
じんわりとした余韻の中、気持ちよく泣けた。
傑作!

ある妊婦の秘密の日記・・・・・評価額1550円
ジョディ・ロック監督の二作目。
予期せぬ妊娠をしたことで、昇進をフイにしたキャリアウーマンの主人公が、母となってゆく体と母性を感じられない心の間で葛藤する。
いやー、子供持つどころか結婚する予定も全然無いけど、これはなかなか勉強になったわ。
女子高生たちの群像劇だった、前作の「レイジー・ヘイジー・クレイジー」もそうなんだが、世界観が可愛くてポップな反面、描いてることは凄く赤裸々で生々しい。
主人公の親友たちを含めた女性サイドはもちろん、妻との関係が変わってゆく夫サイドの葛藤もある。
やっぱ出産して子供を育てるのは、二人の共同作業なのをリアリティたっぷりに実感できるので、妊活してる人は男女を問わず観た方がいいよ。
特に男は観るべきだな。
主人公と母親との過去のわだかまりなど、彼女が出産に夢を持てない背景も丁寧に設定されていて、見応えのある佳作。

存在するもの・・・・・評価額1450円
フィリピンの三池崇史、エリック・マッティ監督のオカルトホラー。
双子の妹が死んだと連絡を受けた主人公が、実家に帰省する。
しかし何かが変。
両親は妹の死の経緯をひた隠しにし、通夜では謎めいた女性から「危険だから家にいてはいけない」と警告を受ける。
やがて、主人公の周りで様々な怪異が起こり始め、彼が妹の死の真相を探り始めると、家族の恐るべき秘密が明らかになる。
カソリック教徒の多いフィリピンだけに、基本は正統派のオカルト展開。
そこに家族の歴史、家の歴史、国の歴史までもが絡み合う構造。
主人公のお父さんが、あちこちで日本語を使う理由も、最後まで観るとなるほどなと思う。
主人公のある設定は流石にちょっと無理ある気もするが、ミスリードの連発で先を読ませない。
黒沢清の影響もあるとかで、ムーディーでなかなかよく出来た作品だった。

マローナの素晴らしき旅・・・・・評価額1650円
。゚(゚´Д`゚)゚。 こんなん絶対泣く。
一匹の犬が車に轢かれて死ぬ瞬間から、彼女の波乱万丈の犬生を回想する、リリカルなアニメーション映画。
九匹兄妹の九番目に生まれ、その犬生に何人かの飼い主にめぐり合い、無償の愛を注いでは裏切られる。
彼女は捨てられるんじゃなく、自分の存在が飼い主にとって重荷になると、自分から身を引くのが切ない。
だから、「人間社会に生きる犬の幸せは飼い主次第」という寓話性が際立つ。
「幸せとは、不幸の合間にある休息時間」とはマローナさんの悲しき名言。
主人公と飼い主以外のキャラクターや世界観は、極端にディフォルメされ、クレヨン画の様なタッチの抽象アニメーションで描かれるのだけど、これも犬目線の世界と捉えると面白い。
飼い主が全ての彼らには、その他大勢の人や街はこんな風に見えているのかも。
タイトルロールのマローナさんが、とにかく可愛い。
犬に限らず、これからペットを飼おうとしてる子供には、こういう作品を親が見せるといい。
「ウチの子を大切にしなきゃ」と思えるよ。
猫の扱いは、犬派の作者の悪意をちょっと感じるけどw

50人の宣誓・・・・・評価額1500円
イランには、殺人事件の被害者の男性血族50人が有罪を宣誓すると、被告を死刑に出来るという、にわかには信じ難い法律があるらしい。
主人公は、妹を殺したのに無罪判決を受けた夫を死刑にするため、親戚を集めてバスで裁判所に向かっている女性で、映画の大半は車中で展開するロードムービー。
しかしやたらハイテンションな親戚一同の関係は、揉め事と因縁のてんこ盛り。
しかも死刑は賠償金を受け入れて免除も出来るらしく、狭い車内は復讐か実利かで揉めに揉め始め、いつしかカオスに。
だが、混乱が頂点に達した時、映画は思いもよらない方向へ舵を切る。
法律自体は、復讐の連鎖を断ち切る目的もあるようなんだが、事実より感情を優先したもの。
映画も迷走するバスのように、事実と感情の間で揺れ動く。
結末は意外だが納得できる。
主人公がここまで追い込まれたのは、そもそも女性蔑視のベースがあるからというわけか。

ラ・ヨローナ伝説・・・・・評価額1550円
結構がっつりホラーだった。
嘗ての軍政下、先住民のジェノサイドを指揮したとして罪に問われた元将軍と、その家族の物語。
屋敷には連日デモ隊が押しかけ、籠城生活が続く中、謎めいた先住民のメイドがやって来る。
ほとんど全編が屋敷の中だけで展開する密室劇。
ブスタマンテ監督の前作「火の山のマリア」でもコンビを組んだ、マリア・メルセデス・コロイのキャラクターが思いっきり怪しいのと、ハリウッド映画にもなった虐げられ、子供を亡くした女の幽霊、ヨローナの伝説がモチーフなので、描きたいことは非常に分かりやすい。
屋敷には将軍の妻と娘と孫娘が住んでいて、それぞれ将軍に対して複雑な葛藤を抱えている。
物語が進むにしたがって、ヨローナの嘆きが感染するように、彼女らの中にある感情が覚醒してくる構造。
これは先住民だけでなく、抑圧された全ての女性の魂の叫びの物語なんだな。
中米独特の歴史や民族構成が、図らずも物語の豊かなソイルになっているのが興味深い。
監督によると、彼は“グアテマラの侮辱”を描く三部作として考えているそうで、これで二作目だからもう一本あるってことだな。
ぜひ日本に持ってきてよプリーズ。

この世界の(さらにいくつもの)片隅に(特別先行版)・・・・・評価額1800円+
なんだろう、これはやっぱり普通の映画じゃない。
「北條さん、久しぶりじゃったね~」って現実感。
リンさんとの関係が大幅に増えていることで、すずさんの葛藤がぐっと多面的になって、人間性も複雑になっている。
リンさんと周作の関係が描かれることで、哲さんが泊まりに来るエピソードをはじめ、新たな意味を持った部分も多数。
全体に、それまで異なる人生をおくってきた、新米夫婦の成長物語としての側面が強まった。
オリジナルはそのまま生かされているので、別ものという訳ではない。
今まで見えていたのがすずさんの50%の世界だとしたら、今回は限りなく100%へと広がった。
劇場版はさらに数分伸びるというので、あと一月半楽しみに待ちたい。

ばるぼら・・・・・評価額1600円
渡辺えりのムネーモシュネーが強烈過ぎて、漫画を超えてるw
稲垣吾郎の美倉洋介はあんまり異常性欲者には見えないが、漫画の美倉よりもむしろ間久部緑郎に近い、ピカレスクな貴公子イメージ。
二階堂ふみはトリッキーなばるぼらにぴったりで、キャスティングはハイスコア。
人気作家が謎のミューズと出会うという手塚漫画の中でも異色の怪作を、コンパクトにしつつ冒頭から非常に忠実に映像化。
橋本一子のジャジーな音楽も圧が強く、クリストファー・ドイルの映像もムーディー。
テリングの部分の完成度はかなり高く、漫画既読者でも納得の仕上がり。
手塚監督が言うほど咀嚼し難い話ではないと思うが、元々“ばるぼら”とは、如何様にも解釈可能なキャラクター&現象だから、個人的にはグァダニーノ版「サスペリア」位にぐっちゃぐちゃにしちゃっても良かったと思う(ホラー描写的な意味ではなく)。
まあそうすると、ますますお客さん選んじゃうしな。
これは手塚眞流の解釈として、なかなか面白かった。
手塚漫画の実写化は失敗する、というジンクスからは抜けられているんじゃないか。

ジャスト6.5・・・・・評価額1500円
イランの麻薬王と、彼を追う刑事の攻防戦。
タイトルは何のことかと思っていたら、ラストで出てくる“ある数字”だった。
ユニークなのは、序盤はモーレツ刑事の視点で物語が進むんだけど、彼らが麻薬王にたどり着くと、今度は彼の視点に入れ替わること。
終盤に裁判が始まると、今度は両者の視点が交錯する。
これおそらく、麻薬犯罪へ加担させないため、犯罪予備軍への“啓蒙”を目的に作られた映画じゃないかな。
中盤以降麻薬王の価値観や生き方をフィーチャーし、感情移入させることで、「麻薬で大儲けしても結局は後悔しか残らないよ」ってメッセージが強く残る。
これ刑事視点で描き切っちゃうと、単なる勧善懲悪で啓蒙にはならない。
イスラム原理主義のイランでも、こういう映画が作られるくらい麻薬は深刻な社会問題なんだろう。
まあ歴史的には、ペルシャは阿片の本場のひとつだし。
とは言え説教臭い映画ではない。
刑事と麻薬王のキャラクターがかなりエキセントリックで、捕まえてからの対照的な二人のぶつかり合いが結構面白かった。

ディスコ・・・・・評価額1450円
てっきりディスコダンスのクィーンが、カルト宗教にハマる映画だと思ってたけど違った。
主人公の実家はかなり怪しい俗世系カルトの信者、っていうか教会経営してる。
ダンスやってるのも、もともと教会の演出のため。
しかし、彼女はワケあって親と今一つしっくりいってない。
それで実家とは正反対の、質素なスタイルの別のカルトに惹かれてゆく。
恐ろしいのは、彼女にとって信仰がは空気のようなものなので、「信じない」という選択肢が初めから無いこと。
周りはカルト、親戚も別のカルト、新しくできた友達もまた別のカルトという、まさに悪魔の悪循環。
実家の信仰に少しずつ疑問を抱いて距離を置いたはいいのだけど、救いを求めた先は、一見まともそうだが、その実終末論を信じるキリスト教版のオウムみたいな、むっちゃヤバそうな教会だったという。
本人は戦慄のシチュエーションに全く気付いてないのが、救いなのか、ホラーなのか。
実際この環境で育ったら、スッと入っちゃうのかも知れん。

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IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。・・・・・評価額1700円
2019年11月03日 (日) | 編集 |
今度こそ、“それ”を倒す。

アメリカの小さな町デリーに27年毎に現れ、子供たちを攫う“それ”こと恐怖のピエロ、ペニーワイズと、彼の存在に気付いた町の落ちこぼれキッズ“ルーザーズ・クラブ”の戦いを描く完結編。
前作 「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」から27年が経ち、すっかり大人になった彼らの元に、ただ一人町に残っていたマイクから連絡が入る。
“それ”が戻ってきた、と。
今なお、子供時代に起因する閉塞と葛藤を抱えている彼らは、運命に呼び寄せられるように、デリーへと集う。
今度こそ、恐怖の源泉の記憶をぬぐい去るために。
監督は前作に引き続きアンディ・ムスキエティが務め、脚本を担当するゲイリー・ドーベルマンを始め、主要スタッフの多くが続投。
ジェシカ・チャステインやジェームズ・マカヴォイら、大人キャストと、前作の子供たちとのマッチングも絶妙。
大人編ならではの、酸いも甘いも嚙み分けたビターなテイストも加わり、ギミック満載のホラーと見応えある人間ドラマがバランスした、再びの快作となった。
※核心部分に触れています。
 
ルーザーズ・クラブの誓いから27年後。
ホラー作家となったビル(ジェームズ・マカヴォイ/ジェイデン・リバハー)は、自作の映画の撮影中にマイク(イザイア・ムスタファ/チョーズン・ジェイコブス)からの電話を受ける。
27年前に対決し、殺したはずのペニーワイズが戻ってきたというのだ。
マイクの招集に、かつてのルーザーズは続々と懐かしいデリーに集う。
DV夫との関係に悩むべバリー(ジェシカ・チャステイン/ソフィア・リリス)、建築家として成功しているベン(ジェイ・ライアン/ジェレミー・レイ・テイラー)、リスクコンサルタントになったエディ(ジェームズ・ランソン/ジャック・ディラン・グレイザー)、コメディアンのリッチー(ビル・ヘイダー/フィン・ウルフハード)、そしてマイク。
ただ一人、スタンリー(アンディ・ビーン/ワイアット・オレフ)だけが姿を見せず、べバリーが妻に連絡を取ったところ、マイクの電話を受けた後に自殺したことが分かる。
実は、ペニーワイズに拉致された時、“死の光”に晒されたべバリーは、ルーザーズ全員の死の瞬間を見ていた。
運命を変えるには、再びペニーワイズと対決し、今度こそ滅ぼすしかない。
彼らは、対決に備えて、それぞれの過去と向き合い始めるのだが・・・・


素晴らしいクオリティだった子供編「Chapter One」を受けて、「Chapter Two」は大団円を迎える大人編。
1986年に出版されたスティーヴン・キングの原作小説は、大人になった主人公たちを描く1985年の現在を起点に、子供時代の1958年との二つの時代を描く。
現在と過去は平行に語られてゆき、1990年に放送されたTVムービー版でもこの構造は踏襲されていた。
しかし、今回のリメイク版では、時系列を子供編と大人編に分離して描いているのが大きな特徴だ。
時代は一回りして子供編が1989年、大人編を2016年に設定。
ちなみに前作が公開された2017年が、TVムービー版が放送されてから27年後なのは、もちろん狙っているのだろう。

前作の「Chapter One」は単体で上手くまとまっていたが、今回は子供編の物語を踏まえた上で、登場人物の現在がそれぞれの過去との関係性で語られる。
そのため、現在だけでなく過去パートも描く必要があり、尺的には大幅にボリュームアップし、ホラージャンルでは異例の169分という大長編となったが、無駄がないので冗長さは全く感じない。
大人になっても払拭出来ない恐怖の根源を、メンバー全員分丁寧に描いていかなればなければならないので、これは必要な長さなのだ。

子供の頃のルーザーズは、それぞれ“恐怖のイメージ”に囚われていて、それをペニーワイズに付け込まれる。
ビルは弟のジョージを死なせてしまったという贖罪の意識、べバリーは父親からの虐待、ベンは体型からくるコンプレックスに孤独感、エディは超過保護な母親の支配、リッチーはストレートにピエロが苦手で、スタンレーは厳格なユダヤのラビである父親から落ちこぼれの烙印を押された罪悪感、マイクは両親を原因不明の火事で失った記憶。
直接的な力か、心理的な力かの違いはあれど、彼らは自らを押さえつけていた恐怖に立ち向かい、恐怖を利用して子供たちをコントロールしようとするペニーワイズを倒した。

ところが大人になった彼らは、相変わらず子供時代の恐怖を引きずっているのである。
なぜならペニーワイズが生きているのだから、彼らの恐怖も決して消えることはないのだ。
例えばビルは、いくつかのキングの小説の主人公と同じく、作者自身を反映したホラー作家になっていて、恐怖に囚われたまま。
父の虐待から逃れたベバリーはというと、今度は夫のDVに悩まされている。
すっかり肉体改造に成功したベンも、べバリーが彼の書いたポエムの作者をビルと勘違いし、失恋してしまったトラウマから逃れられない。
リッチーは同性愛の衝動を押し殺し、エディは母親そっくりの妻に支配されていて、スタンリーに至っては再びペニーワイズと対決する勇気が持てず、自殺してしまう。
彼らはいまだに恐怖の呪縛から自由になってはおらず、葛藤を心の奥底で燻らせているからこそ、再びデリーに集わねばならないのだ。
土地に蓄積された負の力によって、人々が宿命的に縛り付けられるという、原作小説の実にキング的な面白さは、単体の作品と割り切った前作では失われていたが、本作では二つの時代が有機的に結びつくことで見事に復活している。

二本合わせて5時間以上を費やすのだから、リッチーのエディに対する感情の裏表の意味はあれど、物語的には無くても成立するエイドリアン・メロン(演じるのはまさかのグザビエ・ドラン!)の悲惨なエピソードから始まって、なるべく満遍なくぶち込むという意図は強く感じる。
最初の30分の第一幕でルーザーズの再結集、第二幕ではペニーワイズを滅ぼすためにマイクが調べ上げた、先住民に伝わるチュードの儀式に必要なアイテム探しのために、それぞれが過去と向き合う。
そして最後のおおよそ50分が、ペニーワイズとの因縁の対決という構造。
「七人の侍」から「アベンジャーズ/エンドゲーム」まで、一人ひとりは欠点を抱えた集団が、強大な敵と戦う時の典型的なプロットだが、非常にスマートに纏められている。

面白いのは終盤脚色で結構変えてきてるところで、これはたぶん劇中繰り返される「ラストがひどい」の台詞に引っ掛けてある。
キングの小説は、「面白いけどラストが尻すぼみでスッキリしない」というのはよく言われること。
本作でもビルが自作のラストを酷評され、「人々はハッピーエンドを望むけど、現実にはそうとは限らないだろ?」と反論するシーンがある。
実際、原作小説にはビルの妻のオードラが“死の光”を見て意識を失い、ペニーワイズを倒した後もなかなか回復しないという描写がある。
映画ではその辺の不穏な要素をばっさりカットし、ペニーワイズの倒し方もルーザーズの恐怖の克服に結び付けて、全員にとって人生の一区切りとなるハッピーエンドにしている。
だから劇中で、自転車のシルヴァー号を買い戻すため骨董店を訪れたビルが、スティーヴン・キング自身が演じる店主と出会い、またしても小説のラストにダメ出しされるシーンはメタ的な可笑しさ。
もしかしたら本作のラストは、キング的には「ミスト」と同じく、自分の小説のアイデアよりベターと思えたのかも知れない。
まあ小説には小説の味わいもあるので、原作ファンには異論もあるだろうけど。

ところで、様々なホラー映画へのオマージュ満載の本作、べバリーがトイレに閉じ込められて血まみれになるシーンの「シャイニング」のパロディには笑ったが、何気に誰よりもジョン・カーペンターを全力でリスペクトしているのが可笑しい。
いや私も「こいつは何の冗談だ?」は大好きだし、面白かったんだけどさ(笑
他目立つところでは、1987年のデリーの映画館には「エルム街の悪夢」がかかっているのだが、製作スタジオのニュー・ライン・シネマは今はワーナーの一ブランドだし、神出鬼没のペニーワイズの恐怖演出はどこかフレディっぽい。
また隠れLGBTキャラの大人リッチーのシャツが、「エルム街の悪夢2」のゲイの主人公が着ているシャツと同じ柄だったり、作品としては一番影響を受けていそうだ。

そんな訳で、前回は「ナイトメア・オブ・レッド」をチョイスしたが、今回は「ナイトメア」を。
ドライ・ジン30ml、デュボネ30ml、チェリー・ブランデー15ml、オレンジジュース15mlを氷と共にシェイクし、グラスに注ぎ、マラスキーノチェリーを一つ飾って完成。
デュボネとチェリー・ブランデーの甘みと、オレンジの酸味のバランスがいい。
アルコール度数が高く、飲みすぎると名前の通り悪夢に落ちる。

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