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2019年11月19日 (火) | 編集 |
なぜその男は消されたのか。
1975年に忽然と失踪し、いまだに行方が分からないアメリカ最大の労働組合、全米トラック運転手組合(チームスター)委員長、ジミー・ホッファ。
150万人を超える組合員の年金資産という巨額の資金を操ることで、大統領に次ぐとも言われた絶大な権力を振るった男は、いったいなぜ、どこへ消えたのか。
様々なゴシップが語られてきたホッファ失踪に関して、親友だった彼を暗殺したのは自分だと、晩年になって告白したマフィアの殺し屋、“アイリッシュマン”ことフランク・シーランの物語だ。
シーランをロバート・デ・ニーロ、ホッファをアル・パチーノ、両者の間を取り持つマフィアのボス、ラッセル・ブファリーノをジョー・ペシが演じる、いぶし銀のオールスターキャスト。
チャールズ・ブラントのノンフィクション「I Heard You Paint Houses」を原作に、「マネーボール」のスティーヴン・ザイリアンが脚色。
本来劇場用ではなく、NETFLIXオリジナル作品として作られた実に210分の大長編は、マーティン・スコセッシにとってはある意味で集大成的な作品であり、アメリカ史好きにはたまらない大河ミステリだ。
戦争から復員し、食肉の配送トラックの運転手をしているフランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)は、配送の途中で肉を横領してはマフィアの店に安く卸すサイドビジネスをしている。
ある時、マフィアの大物ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)の知遇を受けたフランクは、徐々に彼の下で殺しの仕事に手を染め始める。
当時、マフィアたちはラスベガスのカジノリゾート開発を進めるため、巨額の年金資金を持つ全米トラック運転手組合(チームスター)に接近。
組合の委員長として、長年辣腕を振るうジミー・ホッファ(アル・パチーノ)と蜜月の関係を築いていた。
ラッセルによってホッファの元に送り込まれたシーランは、マフィアの殺し屋と組合の幹部という二足の草鞋を履くことになる。
ホッファは直ぐにシーランを気に入り、二人は親友の間柄になってゆくのだが、やがてホッファと組合の支部長でもあるマフィアのボス、トニー・プロ(スティーヴン・グレアム)の間でトラブルが起こり・・・・
フランク・シーランは1920年にアイルランド系の父とスウェーデン系の母のもとに生まれ、第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線に従軍。
身長193センチの巨漢は、411日間に及ぶ軍務の間に、劇中でも描かれた捕虜の処刑など複数の戦争犯罪に関わったことを告白しており、おそらくこの戦争体験が後の”殺しの仕事“に対する倫理的抵抗感を失わせた。
映画は死の直前、介護施設でのシーランの独白、ホッファの失踪直前の1975年7月のシーランとラッセル・ブファリーノの“集金旅行”、そして若き日のフランクがラッセルとホッファに出会い、暴力を武器にして次第にマフィアと組合、二つの組織で頭角をあらわす三つの時系列が平行に語られる構造。
ホッファの最期は諸説あって、この話もあくまでもフランクがそう言っているだけで裏は取れてないものの、組合員の年金資金を狙ったマフィアが労組と癒着し、アメリカ現代史の利権と権力構造の一部を担っていたことを、リアリティたっぷりに描き出す。
癒着の構造はこうだ。
20世紀に入り、社会のあらゆる部分でモータリゼーションが進んだアメリカでは、物流の主力も鉄道からトラックに移る。
トラック運転手が加速度的に増え、強気の交渉で知られていたホッファがチームスターに招かれると、瞬く間に巨大労組に育て上げてる。
何しろ全米でトラックがストライキすると、モノの動きがほとんどストップしてしまうのだから、経営者は戦々恐々して賃上げするしかない。
カリスマ化したホッファの元で組合員は増え続け、組合が管理する年金口座の額もいつしか天文学的な数字となる。
同じ頃マフィアたちは、戦後のラスベガスにカジノリゾートを開発するのに資金を欲していたが、基本的に従来の銀行はギャンブルには出資しない。
そこで彼らが目をつけたのが、組合の年金資金というわけだ。
ホッファはマフィアに資金を融資し、マフィアはスト破りの阻止や組合の汚れ仕事を請け負う。
時にはシーランやトニー・プロの様に、マフィア自身が組合に入り込み、金と暴力が血液の様に循環するウィンウィンの関係を築き上げるのだ。
ところが、栄枯盛衰の世の中。
ホッファに権力が集中すると、マフィアとの癒着は当然当局に目を付けられる。
1967年に収監されると、1971年にニクソン大統領の再選恩赦で出所するも、組合活動は禁止された中途半端な立場。
それでもチームスターは自分の作った組合だとして、私物化しようとするホッファは、次第にマフィアたちにとって、目の上のたんこぶになってゆくのである。
本作の白眉は、やはりデ・ニーロが見事な演技で魅せるシーランのキャラクターで、イタリアンマフィアの主流でないアイルランド系でありながら、彼らの便利な殺し屋となり、なおかつホッファの友人で、労組の幹部にもなるという、ややこしい立場。
どっぷりインサイダーで、同時にアウトサイダーなのだ。
スコセッシは、このユニークなキャラクターを中心に、片方にラッセルとマフィア、もう片方にホッファと組合を配し、組織での立場と友情の間でヤジロベエの様に揺れ動く心を描いてゆく。
シーラン、ホッファ、ラッセルの奇妙な三角関係の背景に、カストロ支配下のキューバに、マフィアの息のかかった亡命キューバ人部隊が上陸したピッグス湾事件から、ケネディ暗殺などの同時代に起こった様々な事件が透けて見える仕組み。
日本では殆ど知られていない内容も多いので、ある程度の時代背景の学習は必要になってくる作品だ。
ホッファはもちろん、出てくる男たちがほぼ全員権力と金の亡者で、揃いも揃ってろくな死に方してないのが、因果応報と人の業を感じさせる。
成り行きでマフィアの一員になり、成り行きでホッファと親しくなったシーランも、自分の暴力によって一番守りたかったものを失ってしまった訳だし。
そりゃ幼い子の目の前で、オヤジが近所の人をボコボコにするのを見せつけられりゃ引くわ。
アナ・パキンが演じる愛娘のペギーは、あの一件で父の本性を知ってしまい、大好きなホッファおじさんを殺したのが誰なのかも察しがついちゃったのだろう。
イタリア系のマフィアの暮らしは、すべて結婚式を中心に回っていて、そこから人間関係が広がってゆくという辺りは「ゴッドファーザー」を思わせるが、こちらはいかにもスコセッシ流のダークサイドのアメリカン・クロニクル。
しかし一級品なのは間違いないが、これは評価が難しい映画だ。
この内容を描くのに、本当に210分もの尺が必要だったのか?と言えば、否と言える。
例えば中盤でシーランが殺害するジョセフ・“ジョーイ”・ギャロに関するエピソードは、メインプロットとは直接関係無いので丸ごとカットしても充分成立する。
だが、そのエピソードそのものはすこぶる面白いのだ。
他にも、無くても物語のエッセンス的には問題ないエピソードは数多くあり、ぶっちゃけ本作が普通の劇場用映画として完成されていたら、脚本段階で相当の部分がそぎ落とされていただろう。
実際、物語の核心たるシーランとホッファ、ラッセルの運命的な三角関係は、2時間半もあれば十分に描けるはずだ。
昨年話題を呼んだ、アルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」はモノクロ、シネマスコープサイズという映画館での上映を前提とした作品ながら、経済的な理由でNETFLIX配信(最終的には本作同様、劇場でも公開されたが)となったが、こちらは逆に配信を前提とした作品作りをしているのは明らか。
まあ元々視覚的な語り口が特段に上手い人ではないが、劇場用作品と捉えるとリズム的にも演出的にも疑問を感じさせる部分が多い。
暗闇でスクリーンに集中させられる映画館では欠点となる部分が、時間に縛られない配信では豊富な背景情報という美点となり、フォーマット的には自宅のリビングで、ちょっと弛緩しながらまったりと時間の流れを楽しむのに向いた作品だろう。
だから、これは「ROMA/ローマ」とは違って、必ずしも劇場で観るべき作品とは思わない。
配信用の作品を手掛ける映画監督の多くが、基本的には劇場用と変わらないスタンスで作品を作っている中、尺の縛りから解放されたのをいいことに、ここまで好き勝手に物語を紡ぐのはいかにもスコセッシらしい。
3Dで遊びまくった「ヒューゴの不思議な発明」もそうだったけど、この人基本的に新しい物好きなんだな。
アメリカでマフィアが急拡大したのが禁酒法の時代。
彼らの資金源となったのが、ウィスキーの密造酒だった。
というわけで、長い伝統を持つジム・ビームから「ジム・ビーム ライ」をチョイス。
バーボンウィスキーの原料はトウモロコシだが、こちらはライ麦。
まったりとコクのある通常のバーボンとはちょっと違った、ピリリと辛口の味わいが楽しめる一本だ。
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1975年に忽然と失踪し、いまだに行方が分からないアメリカ最大の労働組合、全米トラック運転手組合(チームスター)委員長、ジミー・ホッファ。
150万人を超える組合員の年金資産という巨額の資金を操ることで、大統領に次ぐとも言われた絶大な権力を振るった男は、いったいなぜ、どこへ消えたのか。
様々なゴシップが語られてきたホッファ失踪に関して、親友だった彼を暗殺したのは自分だと、晩年になって告白したマフィアの殺し屋、“アイリッシュマン”ことフランク・シーランの物語だ。
シーランをロバート・デ・ニーロ、ホッファをアル・パチーノ、両者の間を取り持つマフィアのボス、ラッセル・ブファリーノをジョー・ペシが演じる、いぶし銀のオールスターキャスト。
チャールズ・ブラントのノンフィクション「I Heard You Paint Houses」を原作に、「マネーボール」のスティーヴン・ザイリアンが脚色。
本来劇場用ではなく、NETFLIXオリジナル作品として作られた実に210分の大長編は、マーティン・スコセッシにとってはある意味で集大成的な作品であり、アメリカ史好きにはたまらない大河ミステリだ。
戦争から復員し、食肉の配送トラックの運転手をしているフランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)は、配送の途中で肉を横領してはマフィアの店に安く卸すサイドビジネスをしている。
ある時、マフィアの大物ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)の知遇を受けたフランクは、徐々に彼の下で殺しの仕事に手を染め始める。
当時、マフィアたちはラスベガスのカジノリゾート開発を進めるため、巨額の年金資金を持つ全米トラック運転手組合(チームスター)に接近。
組合の委員長として、長年辣腕を振るうジミー・ホッファ(アル・パチーノ)と蜜月の関係を築いていた。
ラッセルによってホッファの元に送り込まれたシーランは、マフィアの殺し屋と組合の幹部という二足の草鞋を履くことになる。
ホッファは直ぐにシーランを気に入り、二人は親友の間柄になってゆくのだが、やがてホッファと組合の支部長でもあるマフィアのボス、トニー・プロ(スティーヴン・グレアム)の間でトラブルが起こり・・・・
フランク・シーランは1920年にアイルランド系の父とスウェーデン系の母のもとに生まれ、第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線に従軍。
身長193センチの巨漢は、411日間に及ぶ軍務の間に、劇中でも描かれた捕虜の処刑など複数の戦争犯罪に関わったことを告白しており、おそらくこの戦争体験が後の”殺しの仕事“に対する倫理的抵抗感を失わせた。
映画は死の直前、介護施設でのシーランの独白、ホッファの失踪直前の1975年7月のシーランとラッセル・ブファリーノの“集金旅行”、そして若き日のフランクがラッセルとホッファに出会い、暴力を武器にして次第にマフィアと組合、二つの組織で頭角をあらわす三つの時系列が平行に語られる構造。
ホッファの最期は諸説あって、この話もあくまでもフランクがそう言っているだけで裏は取れてないものの、組合員の年金資金を狙ったマフィアが労組と癒着し、アメリカ現代史の利権と権力構造の一部を担っていたことを、リアリティたっぷりに描き出す。
癒着の構造はこうだ。
20世紀に入り、社会のあらゆる部分でモータリゼーションが進んだアメリカでは、物流の主力も鉄道からトラックに移る。
トラック運転手が加速度的に増え、強気の交渉で知られていたホッファがチームスターに招かれると、瞬く間に巨大労組に育て上げてる。
何しろ全米でトラックがストライキすると、モノの動きがほとんどストップしてしまうのだから、経営者は戦々恐々して賃上げするしかない。
カリスマ化したホッファの元で組合員は増え続け、組合が管理する年金口座の額もいつしか天文学的な数字となる。
同じ頃マフィアたちは、戦後のラスベガスにカジノリゾートを開発するのに資金を欲していたが、基本的に従来の銀行はギャンブルには出資しない。
そこで彼らが目をつけたのが、組合の年金資金というわけだ。
ホッファはマフィアに資金を融資し、マフィアはスト破りの阻止や組合の汚れ仕事を請け負う。
時にはシーランやトニー・プロの様に、マフィア自身が組合に入り込み、金と暴力が血液の様に循環するウィンウィンの関係を築き上げるのだ。
ところが、栄枯盛衰の世の中。
ホッファに権力が集中すると、マフィアとの癒着は当然当局に目を付けられる。
1967年に収監されると、1971年にニクソン大統領の再選恩赦で出所するも、組合活動は禁止された中途半端な立場。
それでもチームスターは自分の作った組合だとして、私物化しようとするホッファは、次第にマフィアたちにとって、目の上のたんこぶになってゆくのである。
本作の白眉は、やはりデ・ニーロが見事な演技で魅せるシーランのキャラクターで、イタリアンマフィアの主流でないアイルランド系でありながら、彼らの便利な殺し屋となり、なおかつホッファの友人で、労組の幹部にもなるという、ややこしい立場。
どっぷりインサイダーで、同時にアウトサイダーなのだ。
スコセッシは、このユニークなキャラクターを中心に、片方にラッセルとマフィア、もう片方にホッファと組合を配し、組織での立場と友情の間でヤジロベエの様に揺れ動く心を描いてゆく。
シーラン、ホッファ、ラッセルの奇妙な三角関係の背景に、カストロ支配下のキューバに、マフィアの息のかかった亡命キューバ人部隊が上陸したピッグス湾事件から、ケネディ暗殺などの同時代に起こった様々な事件が透けて見える仕組み。
日本では殆ど知られていない内容も多いので、ある程度の時代背景の学習は必要になってくる作品だ。
ホッファはもちろん、出てくる男たちがほぼ全員権力と金の亡者で、揃いも揃ってろくな死に方してないのが、因果応報と人の業を感じさせる。
成り行きでマフィアの一員になり、成り行きでホッファと親しくなったシーランも、自分の暴力によって一番守りたかったものを失ってしまった訳だし。
そりゃ幼い子の目の前で、オヤジが近所の人をボコボコにするのを見せつけられりゃ引くわ。
アナ・パキンが演じる愛娘のペギーは、あの一件で父の本性を知ってしまい、大好きなホッファおじさんを殺したのが誰なのかも察しがついちゃったのだろう。
イタリア系のマフィアの暮らしは、すべて結婚式を中心に回っていて、そこから人間関係が広がってゆくという辺りは「ゴッドファーザー」を思わせるが、こちらはいかにもスコセッシ流のダークサイドのアメリカン・クロニクル。
しかし一級品なのは間違いないが、これは評価が難しい映画だ。
この内容を描くのに、本当に210分もの尺が必要だったのか?と言えば、否と言える。
例えば中盤でシーランが殺害するジョセフ・“ジョーイ”・ギャロに関するエピソードは、メインプロットとは直接関係無いので丸ごとカットしても充分成立する。
だが、そのエピソードそのものはすこぶる面白いのだ。
他にも、無くても物語のエッセンス的には問題ないエピソードは数多くあり、ぶっちゃけ本作が普通の劇場用映画として完成されていたら、脚本段階で相当の部分がそぎ落とされていただろう。
実際、物語の核心たるシーランとホッファ、ラッセルの運命的な三角関係は、2時間半もあれば十分に描けるはずだ。
昨年話題を呼んだ、アルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」はモノクロ、シネマスコープサイズという映画館での上映を前提とした作品ながら、経済的な理由でNETFLIX配信(最終的には本作同様、劇場でも公開されたが)となったが、こちらは逆に配信を前提とした作品作りをしているのは明らか。
まあ元々視覚的な語り口が特段に上手い人ではないが、劇場用作品と捉えるとリズム的にも演出的にも疑問を感じさせる部分が多い。
暗闇でスクリーンに集中させられる映画館では欠点となる部分が、時間に縛られない配信では豊富な背景情報という美点となり、フォーマット的には自宅のリビングで、ちょっと弛緩しながらまったりと時間の流れを楽しむのに向いた作品だろう。
だから、これは「ROMA/ローマ」とは違って、必ずしも劇場で観るべき作品とは思わない。
配信用の作品を手掛ける映画監督の多くが、基本的には劇場用と変わらないスタンスで作品を作っている中、尺の縛りから解放されたのをいいことに、ここまで好き勝手に物語を紡ぐのはいかにもスコセッシらしい。
3Dで遊びまくった「ヒューゴの不思議な発明」もそうだったけど、この人基本的に新しい物好きなんだな。
アメリカでマフィアが急拡大したのが禁酒法の時代。
彼らの資金源となったのが、ウィスキーの密造酒だった。
というわけで、長い伝統を持つジム・ビームから「ジム・ビーム ライ」をチョイス。
バーボンウィスキーの原料はトウモロコシだが、こちらはライ麦。
まったりとコクのある通常のバーボンとはちょっと違った、ピリリと辛口の味わいが楽しめる一本だ。

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