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この世界の(さらにいくつもの)片隅に・・・・・評価額 Priceless
2019年12月25日 (水) | 編集 |
すずさん、久しぶりじゃったね〜

2016年11月に公開された、こうの史代原作、片淵須直監督による「この世界の片隅に」の批評的・興行的な大成功を受けて、新たに制作された未映像化部分を含めた完全版。
先日、東京国際映画祭で上映された「特別先行版」からもいくつかのシーンが加えられ、最終的な上映時間はオリジナルよりも42分も伸びた168分。
単体のアニメーション映画としては、世界的にも稀な大長編だが、もちろん単純に尺を伸ばしただけではない。
三年前のオリジナルから、作画や彩色も一部修正され、コトリンゴがうたうエンディングテーマ「たんぽぽ」も重厚な印象に再録されるなど、全体がより作り込まれたものになっている。
タイトルも「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」と改まり、テーマ的にもオリジナルを内包しつつよりワイドに、よりディープに進化した。
10年代の最後に登場した、このディケイドのベスト・オブ・ベストといえる珠玉の傑作である。

浦野すず(のん)は、広島市の南端に位置する江波で育った絵が得意な少女。
昭和19年の初春、18歳になった彼女は、故郷から20キロ離れた軍港の街、呉に暮らす北條家の長男で、軍法会議の事務官をしている周作(細谷佳正)のもとへ嫁ぐ。
すずは周作を知らなかったが、ずっと以前の子供時代に、周作がすずを見初めたのだという。
港を見下ろす山裾にある北條家は、すず夫婦と足の悪い義母・サン(新谷真弓)、海軍工廠で働く義父の円太郎(牛山茂)、出戻りの義姉・径子(尾身美詞)とその娘・晴美(稲葉菜月)のにぎやかな六人家族。
若き主婦となったすずは、次第に物資が不足してゆく中、工夫を凝らして一家を盛り立てる。
そんな頃、すずは道に迷って入り込んだ呉の朝日遊郭で、白木リン(岩井七世)という同世代の女性と出会い、道を教えてくれたお礼に、手に入りにくくなった食べ物の絵を描いてあげ、意気投合する。
しかし再会を口にするすずに、リンは「こんな所にはさいさい来るもんじゃない」と言うのだった。
そして、家の蔵を整理していた時、すずはリンの着物に描かれていたのと同じ、綺麗なリンドウが描かれた茶碗を見つける・・・・


当たり前だが、物語の骨子そのものはオリジナルと変わらない。
広島の江波に生まれた想像力豊かな少女、浦野すずが、太平洋戦争末期に軍都・呉に住む北條家の長男・周作のもとに嫁ぎ、戦時下の食糧難や米軍の空襲、家族の死などさまざまな体験をしながら成長してゆく。
この物語が特異なのは、典型的な三幕構成ではなく、日々のこまかなエピソードが、無数に積み重なるような構造で作られていること。
いや、物語のベースの部分に三幕はしっかり見て取れる。
しかし、すずさん本人が「うちゃあぼーっとしとるけえ」と語っているように、彼女は極めて平凡かつ受動的な人で、普通の物語の主人公のように積極的に動かない。
何しろぼーっとしてる間に結婚までしてしまい、物語の中で「自分はこうしたい」と初めて明確に主張するのが、もう映画も終盤、原爆投下の朝に「広島の実家に戻るのをやめる」と径子に告げるシーンなのである。

この映画は、戦争の時代でもひたすら平凡を貫くすずさんの日記帳の様に、受け身の彼女が経験する様々な出来事を描写してゆくのだが、オリジナルでは描かれていなかったいくつものエピソードが組み込まれることで、物語が有機的に変化し、元々あったシーンに新たな意味が付与される。
例えばすずさんが尋常小学校六年の時に、彼女の幼馴染にして初恋の人である水原が、事故死した兄の鉛筆をくれるシーンがある。
オリジナルの映画だと単に「鉛筆をくれた」と言う現象だけなのだが、本作ではその前に水原のせいですずが鉛筆を無くしてしまう描写が加えられ、二人の間に異なる感情のやりとりが生まれているのである。
本作では特に、オリジナルでは迷子になったすずさんに、道を教えるエピソードしか描かれなかった、遊郭のリンさんとのエピソードが大幅に増えていて、彼女の存在が周作との夫婦の関係にも影響してくる。

すずさんは、自分と結婚する前の周作を知らない。
しかし、周りの人々の言動や、リンさんとの交流を通して、彼女は徐々に理解する。
自分と結婚する前に、周作には別の恋人がいたこと。
その人にプレゼントしようと周作が買っていた茶碗に、鮮やかなリンドウの花が描かれていたこと。
リンさんの持っている名札が、周作のノートの切れ端であること。
いくつもの状況証拠が重なることによって、すずさんはリンさんこそが周作が最初に愛した人であることを確信し、自分はもしかしたら彼女の“代用品”に過ぎないのではないかと葛藤する。

オリジナルでは、すずさんと周作の夫婦と、義姉の径子と晴美親子との絡みを中心に展開していったが、本作ではすずさんを軸として、片方に周作、もう片方にリンさんがいるというヤジロベエの様な関係になっていて、すずさんが内と外で新妻としての悩みを募らせつつ、径子親子や水原が彼女の人生に影響を与えてゆく。
これにより、彼女のキャラクターがぐっと多面的になって、妻として周作へ静かにぶつける怒りや、一人の女性としてのリンさんへのコンプレックスなど、天然なだけではない複雑な人間性を描き出すのである。
また、すずさんの感情との対比によって、周作の心理描写もより豊かになった。
重巡青葉の水兵となっていた水原が、入湯上陸で北條の家に泊まりに来た夜、彼女を水原のいる納屋へと送り出した周作が、玄関のカギをかけてしまう描写などに、お互いの過去への苦悩が見て取れる。
それまで異なる人生を送ってきた新米夫婦の、時にはつまずきながらの、二人三脚の成長物語としての側面は大幅に強化されている。

周作の言葉を借りれば、人生は振り返って「過ぎたこと、選ばんかった道」ばかり。
すずさんとリンさんの人生は、もしかしたら入れ替わっていたかもしれない。
周りの反対を押し切って、周作がリンさんと結婚していたら、すずさんと周作は幼いころに一瞬邂逅しただけで、一生再会しなかったかもしれない。
妹のすみちゃんの言う通り、北條家に気兼ねして広島の実家に帰っていたら、原爆で死んでいたかもしれない。
右腕の怪我があるので、すずさんは原爆直後の広島への救援活動には参加出来なかったが、実際に広島へ行った隣組の知多さんは被爆し、原爆症の症状が出ている。
彼女もまた、“もしも”のすずさんなのである。
いくつもの「選ばんかった道」の結果として、すずさんの今の人生がある。
おそらくすずさんは、草津の祖母の家で出会った“座敷童”が、行き場なくさまよっていた頃のリンさんだったことにも気付いただろう。
戦後の焼け跡の広島で、戦災孤児となった幼い少女を、偶然出会ったすずさんと周作が躊躇なく連れ帰ったのは、もしかしたら晴美の面影だけではなく、リンさんの気高くも薄幸な人生が心によぎった結果かもしれない。

タイトル通り、本作はすずさんというキャラクターを掘り下げ、彼女の見る世界を広げることによって、「この世界の(さらにいくつも)の片隅」を見せてくれる。
もの言わぬ記憶の器でなく、すずさんの視点を通して語られることで、彼女の周りにいた人たちも死んで消えてなくならず、物語の虚構を超えて、かつて存在していたかもしれない人たちとして物語の中で新たな命を持つ。
元の物語はそのまま生かされているので、「この世界の片隅に」と全くの別ものという訳ではない。
しかし今まで見えていたのが、すずさんの見た50%の世界だとしたら、今回は限りなく100%へと広がった。
オリジナルの時点でとんでもない傑作だったが、それを丸ごと取り込みさらなるブラッシュアップを経て、もはや文句のつけようがない。
日本映画史上、アニメーション映画史上に永遠に残るであろう、国宝級の名作はプライスレス!

今回は、今や広島を代表する蔵の一つとなった、呉の相原酒造から「雨後の月 大吟醸 月光」をチョイス。
雨が降った後、顔を出した月が澄み切った光で周りを照らす、と言うイメージで命名されたと言う。
低温熟成された大吟醸は、まろやかに旨味が広がり、まことに芳潤。
戦争という最悪の荒天を生き抜いた、すずさんたちの命の輝きこそ、この酒に相応しい。

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