2020年05月04日 (月) | 編集 |
光は、射しているのか?
裕福な白人のエドガー夫妻が、アフリカの紛争地エリトリアから養子を迎え入れる。
言語も文化も違うアメリカへとやってきた少年は、新しい両親から“光”を意味する”ルース”と名付けられ、懸命な努力の末に誰からも愛される優等生へと育つ。
文武両道に優れ、自らの運命を切り開いた学園のヒーロー。
だががある時、両親は歴史教師のハリエットから思わぬことを告げられる。
歴史上の人物を“代弁”するレポートの課題で、ルースが選んだのは第二次世界大戦後に植民地主義からの脱却を唱えた革命家フランツ・ファノン。
ハリエットは、支配者からの解放のためなら武力の行使も有効な手段だと説くレポートを読み、ルースを危険な過激思想の持ち主ではないかと疑ったのだ。
車の運転より先に銃の扱いを覚えたという、ルースの凄惨な過去を消し去ろうとしてきた両親は、徐々に自慢の息子に対する愛と猜疑心との間で揺れ始める。
これはアメリカという一見豪華な”箱”に閉塞し、まばゆい“光”を求めて足掻く人々の物語だ。
子宝に恵まれなかったエドガー夫妻は、紛争地から言葉も通じない、平和の意味も知らない養子を迎えるという政治的・道義的に正しい決断を下し、多くのことを犠牲にして自分たちの人生の光として理想の息子を作り上げた。
一方、心を病んだ姉を抱えるハリエットは、歴史教師としてマイノリティの悲劇をよく知るからこそ、優等生ルースに光を感じる。
彼女はアメリカ社会で生きてゆくためには、役割を果たすことが必要だと考えていて、生徒にも特定の役割を当てはめようとする。
彼女の価値観では、落伍者の役割の者がいるからこそ、ルースがヒーローとして光り輝くことが出来るのである。
優秀な生徒を育てることが自身の存在意義であるハリエットにとって、未来を照らす光であるはずのルースが、いかれた過激派では困るのだ。
しかしルースにしてみたら、確かにエドガー夫妻は自分を地獄から救い出してくれたものの、元から持っていたアフリカ人としてのアイデンティティを奪われた。
彼らの考える理想のアメリカ人、人生の光になることに大きなプレッシャーを感じている。
そこに追い打ちを掛けるように、ハリエットが自分を更なる型にはめようとしたことによって、彼は自分を取り囲む閉塞に対する小さな反乱を決意する。
本作の予告編が「少年は残酷な弓を射る」的なラジカルな展開を煽ってるのだが、ぶっちゃけその期待はいい意味で裏切られる。
本作にはルースも含めて、本当の意味で特別な人物はいない。
しかしだからこそ、とても丁寧にリアルに作り込まれた登場人物の、隠された内面を読み解く様なミステリアスな面白さがある。
たとえ同じ家に暮らしている家族だとしても、本当の人の心は誰にも分からないのである。
エドガー夫妻を演じる、ナオミ・ワッツとティム・ロスの鉄板の安定感。
次第に葛藤を深め、対決することになるタイトルロールのケルヴィン・ハリソン・Jrと、ハリエット役のオクタヴィア・スペンサーが素晴らしい。
原作者のJ・C・リーと共に共同脚本も務めるジュリアス・オナー監督は、観応えのある心理劇を作り上げた。
前作の「クローバーフィールド・パラドックス」は雇われ仕事だったのか、箸にも棒にもかからない凡作だったが、こちらは持ち味が生かされている。
それぞれの思惑がぶつかり合う、クライマックスに向かうシーンに挿入される、チアリーダーたちの叫ぶ「Yes We Can!」のスローガンが印象的。
完全無欠なルースは第二のオバマなのか、それとも内面に過激思想を隠した怪物なのか?
猜疑心を掻き立てる不穏な劇伴な使い方など、なかなかにセンスを感じさせる作品だ。
今回はアメリカの独立記念日の名を冠したカクテル「フォース・オブ・ジュライ」をチョイス。
グレナデンシロップ20ml、ブルーキュラソー20ml、ウォッカ20mlを順番に丁寧にグラスに注ぐ。
比重の違いによって、赤、青、白(透明)の星条旗カラーの美しいカクテルとなる。
三つの色はそれぞれ勇気・忍耐・純潔を意味するが、当然味が分離しているので飲む直前には混ぜちゃうように。
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裕福な白人のエドガー夫妻が、アフリカの紛争地エリトリアから養子を迎え入れる。
言語も文化も違うアメリカへとやってきた少年は、新しい両親から“光”を意味する”ルース”と名付けられ、懸命な努力の末に誰からも愛される優等生へと育つ。
文武両道に優れ、自らの運命を切り開いた学園のヒーロー。
だががある時、両親は歴史教師のハリエットから思わぬことを告げられる。
歴史上の人物を“代弁”するレポートの課題で、ルースが選んだのは第二次世界大戦後に植民地主義からの脱却を唱えた革命家フランツ・ファノン。
ハリエットは、支配者からの解放のためなら武力の行使も有効な手段だと説くレポートを読み、ルースを危険な過激思想の持ち主ではないかと疑ったのだ。
車の運転より先に銃の扱いを覚えたという、ルースの凄惨な過去を消し去ろうとしてきた両親は、徐々に自慢の息子に対する愛と猜疑心との間で揺れ始める。
これはアメリカという一見豪華な”箱”に閉塞し、まばゆい“光”を求めて足掻く人々の物語だ。
子宝に恵まれなかったエドガー夫妻は、紛争地から言葉も通じない、平和の意味も知らない養子を迎えるという政治的・道義的に正しい決断を下し、多くのことを犠牲にして自分たちの人生の光として理想の息子を作り上げた。
一方、心を病んだ姉を抱えるハリエットは、歴史教師としてマイノリティの悲劇をよく知るからこそ、優等生ルースに光を感じる。
彼女はアメリカ社会で生きてゆくためには、役割を果たすことが必要だと考えていて、生徒にも特定の役割を当てはめようとする。
彼女の価値観では、落伍者の役割の者がいるからこそ、ルースがヒーローとして光り輝くことが出来るのである。
優秀な生徒を育てることが自身の存在意義であるハリエットにとって、未来を照らす光であるはずのルースが、いかれた過激派では困るのだ。
しかしルースにしてみたら、確かにエドガー夫妻は自分を地獄から救い出してくれたものの、元から持っていたアフリカ人としてのアイデンティティを奪われた。
彼らの考える理想のアメリカ人、人生の光になることに大きなプレッシャーを感じている。
そこに追い打ちを掛けるように、ハリエットが自分を更なる型にはめようとしたことによって、彼は自分を取り囲む閉塞に対する小さな反乱を決意する。
本作の予告編が「少年は残酷な弓を射る」的なラジカルな展開を煽ってるのだが、ぶっちゃけその期待はいい意味で裏切られる。
本作にはルースも含めて、本当の意味で特別な人物はいない。
しかしだからこそ、とても丁寧にリアルに作り込まれた登場人物の、隠された内面を読み解く様なミステリアスな面白さがある。
たとえ同じ家に暮らしている家族だとしても、本当の人の心は誰にも分からないのである。
エドガー夫妻を演じる、ナオミ・ワッツとティム・ロスの鉄板の安定感。
次第に葛藤を深め、対決することになるタイトルロールのケルヴィン・ハリソン・Jrと、ハリエット役のオクタヴィア・スペンサーが素晴らしい。
原作者のJ・C・リーと共に共同脚本も務めるジュリアス・オナー監督は、観応えのある心理劇を作り上げた。
前作の「クローバーフィールド・パラドックス」は雇われ仕事だったのか、箸にも棒にもかからない凡作だったが、こちらは持ち味が生かされている。
それぞれの思惑がぶつかり合う、クライマックスに向かうシーンに挿入される、チアリーダーたちの叫ぶ「Yes We Can!」のスローガンが印象的。
完全無欠なルースは第二のオバマなのか、それとも内面に過激思想を隠した怪物なのか?
猜疑心を掻き立てる不穏な劇伴な使い方など、なかなかにセンスを感じさせる作品だ。
今回はアメリカの独立記念日の名を冠したカクテル「フォース・オブ・ジュライ」をチョイス。
グレナデンシロップ20ml、ブルーキュラソー20ml、ウォッカ20mlを順番に丁寧にグラスに注ぐ。
比重の違いによって、赤、青、白(透明)の星条旗カラーの美しいカクテルとなる。
三つの色はそれぞれ勇気・忍耐・純潔を意味するが、当然味が分離しているので飲む直前には混ぜちゃうように。

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