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酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
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ザ・コール・・・・・評価★★★★+0.5
2021年01月19日 (火) | 編集 |
過去が、殺しにやってくる。

実にウェルメイドな、韓国製時間SFホラー映画。
2019年と1999年、二つの時代の同じ住所に住む、28歳の女性同士がなぜか時間を超えた電話で繋がる。
お互いの境遇に共通点があったことから、電話越しに仲良くなってゆくのだが、過去を変えてしまったことで二人の運命が絡み合い、やがて過去vs未来の生き残りを賭けた怒涛の大バトルがはじまる。
イギリス映画「恐怖ノ黒電話」のリメイク作だが、ロケーションやキャラクター設定は大幅に変更され、完成度は本作の方がはるかに高い。
未来を生きるソヨンをパク・シネが、過去から電話をかけるヨンスクをイ・チャンドン監督の「バーニング」が記憶に新しいチョン・ジョンソが演じる。
監督と共同脚本は、2015年に発表した短編「Bargain」で注目され、これが長編デビュー作となる新鋭イ・チュンヒュン。
関係ないけど、カメラの裏方にいるのが勿体ない、韓流スターもびっくりのイケメン監督だ。
※核心部分に触れています。

幼い頃に火事で父を亡くし、入院中の母親とも確執を抱えたソヨン(パク・シネ)は、久しぶりに無人となっていた田舎の実家に帰ってくる。
すると、奇妙な電話がかかってきて切羽詰まった女性の声が聞こえたが、すぐに切れてしまう。
ところが、また同じ女性から電話があり、「母に殺されそう。すぐに来て!」とある住所を言うのだが、ソヨンは間違い電話だと思って電話を切る。
だが女性が告げた住所は、ソヨンが今いる実家の住所。
その夜、家の壁の中に空洞があることを知ったソヨンは、そこで古い日記帳を見つける。
そこには「霊を撃退するために、母が私に火を付ける」と書かれていた。
実は、電話の主はソヨンの家族が引っ越してくる以前の、1999年にこの家に住んでいたヨンスクという女性(チョン・ジョンソ)だった。
20年の時を超えた電話で繋がった二人は、同じ28歳で共に母親との関係に問題を抱えていることもあり、すぐに打ち解ける。
しかしある時、実家の住所の過去を検索したソヨンは、間も無くヨンスクの身に降りかかる恐ろしい運命を知ってしまう。
ヨンスクからの電話にでたソヨンは言う「今日の夜、あなたは死ぬみたい」と・・・・


この映画のタイムパラドックスは、「オーロラの彼方へ」方式。
つまり過去と未来は一直線で、世界線はなし。
過去を変えれば、未来も変わってゆく。
まず20年のタイムラグの恩恵を受けるのは、2019年のソヨンだ。
彼女は1999年11月に起こった火事によって最愛の父を失い、その原因を作った母親を今も許すことができないでいる。
だが、ヨンスクがいるのは火事が起こった日よりも前。
彼女が火事の発生を止めたことによって、ソヨンは夢にまで見た家族の団欒を取り戻すのだ。

そして、今度はソヨンがヨンスクの運命を変える。
ヨンスクは、彼女に悪霊が取り憑いていると信じる祈祷師の母親によって折檻を受け、命を落とすことになっていたが、ソヨンが警告したことによって生き延びる。
だがこの時点で、ソヨンはヨンスクの正体を知らない、いやヨンスク自身もまだ自分が何者なのか知らないのである。
祈祷師だった母親は、娘が多くの人を殺す未来を予見していた。
だから彼女自身の手で、ヨンスクが罪を犯すのを止めねばならなかったのだが、それは阻止されてしまう。
ソヨンは友人を救ったつもりで、図らずも死ぬはずだったシリアルキラーを爆誕させてしまい、ここから20年の時間を挟んでソヨンvsヨンスクの対決がはじまる。
未来のソヨンは、過去に起こることを知っている。
一方、過去のヨンスクは、未来を変えることが出来る。
お互いに影響しあえるから、一本の電話を通して有利・不利の戦術を駆使するスリリングな攻防は、最後まで先を読ませない。

本作は、2011年に作られたイギリス映画「恐怖ノ黒電話」のリメイクなのだが、単純なローカライズ以上の大幅な脚色がなされている。
田舎の大きな洋館のロケーションは、オリジナルでは都会のアパート。
主人公はDV夫と離婚調停中の女性で、過去から電話をかけて来た女性とは男関係で悩んでいるのが共通項。
電話の会話がきっかけで、死の運命を逃れた過去の女性がシリアルキラーと化し、未来の主人公を脅かしていくと言う基本設定は同じだが、実はオリジナルの脚本には大きな穴がいくつもある。
例えば、最初のうちは主人公が過去からの電話に付き合う理由がないし、逆に過去の女が未来に執着する動機もないのだ。
また韓国版のような田舎ならともかく、都会でありふれた名前しか知らないのに、主人公の身元を簡単に特定するのも無理がある。

そこでリメイク版では、あらかじめソヨンの一家が家を買うためにヨンスクの家を内見に来ていて、彼女に顔も住所も知られている設定に。
ヨンスクが母親殺しを皮切りに次々と罪を重ねてゆくと、警察の捜査から逃れるために、過去のソヨンを人質にとって未来のソヨンを共犯関係に巻き込むという構造になっている。
もちろんソヨンもやられっぱなしではないのだが、過去未来が一直線だとどうしても未来の不利は否めない。
いかにしてヨンスクを出し抜いて、彼女の魔の手から脱出するのかがドラマの見どころとなる。
たくましくも可憐なパク・シネと、序盤の普通っぷりが嘘のように、どんどん狂気のドライブがかかってゆくチョン・ジョンソの演技対決もし烈。
基本的に現在の主人公と過去の女性だけしか出来事に絡まないオリジナルに対し、ここではソヨンがヨンスク以外の人物ともコンタクトするのが鍵となり、過去の出来事によって未来の様子が急激に描き換えられる展開は非常に未見性があって面白い。

この映画を観ていて思い出したのが、韓国映画の「ブラインド」を、日本でリメイクした「見えない目撃者」のこと。
事故で視力を失った元女性警察官が、事件の”目撃者”として謎のシリアルキラーに挑むと言うアイディアは面白いのだが、オリジナルにはいろいろ物足りない部分があった。
日本版は、オリジナルの構造的な面白さを最大化しつつ、欠点を丁寧に潰してディテールを強化した作品になっていて、リメイクの考え方として本作と非常に近い。
本作も「見えない目撃者」も、単純といえば単純なワンアイディアに頼った作品であることは確かだが、プロットの作り込みとテリングの未見性でここまで面白くなると言う、まさにリメイクのお手本だ。
本作の場合は、物語の結末までオリジナルとは大きく異なる。
オリジナルはオリジナルで、結構皮肉っぽくていいのだけど、最後の最後で梯子を外しちゃうこっちも、全く容赦無しなのがいかにも韓国映画らしい。
コロナ禍でNetflix直行になってしまった作品だが、この禍々しさは出来れば映画館の暗闇で味わいたかったな!

悪魔のような女に時空を超えてストーカーされる本作には、「デビルズ」をチョイス。
ポートワイン30ml、ドライ・ベルモット30ml、レモン・ジュース2dashをステアして、グラスに注ぐ。
まろやかな味わいのカクテルは、一見優しい悪魔の誘い。
ポートワインの甘さと、レモンの爽やかさがバランスし、とても美味しい。

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チャンシルさんには福が多いね・・・・・評価額1650円
2021年01月14日 (木) | 編集 |
チャンシルさん、幸せを探す。

これとても好き♡
アラフォーの映画プロデューサー、チャンシルさんが、長年支えてきた監督の死によって失業者に。
振り返ってみれば、結婚も出産もせず、青春時代から全てを映画に捧げてきた人生。
突然世間に放り出されたチャンシルさんは、改めて自分にとって本当の幸せとは何かを考えはじめる。
やがて、映画という絶対の「福(幸せ)」を失ったチャンシルさんにも、恋の季節がやってくる。
本作で長編監督デビューを飾ったキム・チョヒ監督は、自らもホン・サンスのプロデューサーとして活動してきた経歴を持ち、たぶんに実体験を反映したであろう物語は、ウィットに富んでいて実に面白い。
今までバイトしながら舞台と短編映画を中心に活動してきたという、遅咲きの新星カン・マルグムが、タイトルロールのチャンシルさんを好演する。
第24回釜山国際映画祭では、インディペンデント・フィルム・アワードほか三冠、第45回ソウル・インディペンデント映画祭でも観客賞に輝くなど、高い評価を受けた作品だ。

イ・チャンシル(カン・マルグム)は、インディーズ映画のプロデューサー。
ところが、ずっと組んでいたチ監督(ソ・ソンウォン)が宴会の席で突然死。
プロジェクトは霧散し、彼女も仕事を失ってしまう。
今まで仕事一筋だった40歳独身、金なし、家なし、男なし。
とりあえず不便な丘にある上の安い部屋に引っ越し、馴染みの女優ソフィー(ユン・スンア)の家政婦として働くことにしたチャンシルは、改めて人生を見つめ直す。
ソフィーのフランス語家庭教師で、短編映画を撮っているというキム・ヨン(ユ・ペラム)に心を騒つかせ、なぜか下着姿で現れる自称レスリー・チャンの幽霊(キム・ヨンミン)と交流し、文盲の大家のおばあちゃん(ユン・ヨジュン)に字を教えたり、それなりに充実した日々を送りながら、自分が本当に欲しいもの、なりたいものを考える。
やがて、彼女の心の中に見えてくるのは・・・・・


キム・チョヒは、2007年の「アバンチュールはパリで」で初めてプロデューサーとしてホン・サンス監督作品に参加。
以来、長年に渡ってプロデューサーとして彼の作品を支えてきた。
写真を見るとなんとなく主人公のチャンシルさんに似ているし、実際この作品を作り始めたのは40歳の時だったというから、半自伝的な要素も入っているのだろう。
キム監督は数本の短編映画を撮った経験もあり、監督への転身は計画していたのかも知れないが、映画ではいきなり冒頭でホン・サンスっぽいチ監督を殺し、主人公を葛藤モードに強制的に入らせる。

韓国のインディーズシーンの内情には詳しくないが、描写から想像するに、チ監督の映画はドラマチックなことは起こらない日常系で、あまりヒットはしていない。
日本で言えば、例えばケイズシネマズ あたりで上映される、地味な良品邦画のイメージ。
プロデューサーのチャンシルさんは、事実上チ監督の専属状態で、パトロンのパク代表の出資でなんとか映画を作り続けていたのだろう。
なので、チ監督の死でパトロンが映画作りに興味を失うと、彼とのコンビ作以外の実績も人脈もないチャンシルさんは、どこへも行き場が無くなってしまうのだ。
実際には業界内の交流もあるはずだから、全てが断ち切られるケースは稀だと思うが、基本この映画はチャンシルさんを中心に半径10メートル以内の、カリカチュアされた世界で展開する非常に小さな物語だ。

主人公が監督でも俳優でもなく、プロデューサーなのがポイント。
映画作りの中核にいるのに、いろいろな肩書きの中で一番役割を説明しにくいのがプロデューサーだろう。
彼女自身も、自分の仕事をうまく言い表せないのがいかにもだ。
プロデューサー率いる制作部は、企画を売り込み、資金を集め、スタッフ・キャストを雇い、スケジュールと予算を管理し、一本の映画が完成し、観客に届くまでプロセス全てに関わる。
私も制作部の仕事をしていたから分かるのだが、あまりにもやることが多岐に渡っているので、「こういう仕事」と簡単に言い表せない。
よく言えば「一本の映画の経営」なんだが、側からだと雑用にしか見えなかったりする。
だから映画作りの実情を知らず、監督一人がいれば映画は出来ると考えていたパトロンには捨てられてしまうのだ。

それでも全編に渡ってスクリーンから滲み出るのは、チャンシルさんのディープな映画愛
映画の仕事を辞めても、彼女はやっぱり映画から離れられないのである。
雑用なんでも来い!の経歴を生かし、あんまり家事できる系ではない、仲の良い女優ソフィーの家で家政婦をしながら、齢40にして自分の人生を見つめ直そうとする。
物語のターニングポイントになるのが、「愛の不時着」の耳野郎役で知られるキム・ヨンミン演じる、自称レスリー・チャンの幽霊の登場だ。
「欲望の翼」の主人公を思わせる下着姿の彼が本当は何者で、なぜチャンシルさんの前に現れたのかという説明は無いが、私は彼女を救うために降臨した映画の神様と勝手に解釈した。
ここから、チャンシルさんの幸せ探しの冒険が加速する。
まずはレスリーに励まされ、歳下の家庭教師キム・ヨンにぶつかってみるものの玉砕。
まあ彼が現れるきっかけとなる最初のデートで、小津安二郎こそが至高と言い張るチャンシルさんに対し、ヨンには小津はあんまり面白くないからノーランが好きと言わせて、合いそうに無いことは示唆してたけど。
実際映画オタク同士が恋愛関係になると、結構好みは重要だったりするぞ(笑

結局、チャンシルさんの人生のバックボーンは映画作りなのだ。
失業、失恋と人生経験を積み増し、彼女がはじめるのが脚本の執筆なのだから、やはり作者自身の人生が見え隠れする。
映画ではチャンシルさんが実際に映画作りに戻るまでは描かれないが、彼女の人生の向かう先は示唆される。
以前の仲間たちが彼女の家に募った夜、空には大きな月が出ている。
そして、皆で暗い山道を麓へと降りながら、チャンシルさんは自分は後ろに下がり、皆の足元を懐中電灯で照らす役を買って出るのだ。
五里霧中の映画作りの中で、スタッフ・キャスト全員を見守り、行き先を示してくれる。
地味な存在だが、いてくれないと誰もゴールに辿り着けない闇夜の満月、それこそがプロデューサー。

チャンシルさんには福が多い。
彼女自身は仕事だけが福だと思って生きてきて、全てを失ってしまったと嘆いていたが、彼女の周りにはたくさんの人がいる。
大変な時に雇い主になって生活を支えてくれるソフィーも、懇意になって世話を焼いてくれる大家のおばあちゃんも、死してなお映画の守護神としてチャンシルさんを見守るレスリー・チャン(?)も、そして彼女を慕っている若いスタッフたちも、みなチャンシルさんの大切な福。
これは、一人の女性が自分の周りのたくさんの福に気付くまでの物語。
ほぼ映画の内容そのものである、エンディングテーマ曲が妙に耳に残る。
ちょっと遅めの自分探しの青春映画としても、ある種のお仕事ムービーとしても秀逸な作品だ。

今回はチャンシルさんと飲みたい、日本でもお馴染みの韓国焼酎「眞露 チャミスル」をチョイス。
色々な飲み方ができるクセのない焼酎だが、私のお気に入りの飲み方は「眞露カッパー」だ。
キンキンに冷やしたチャミスルをソーダで割り、スティック状に細く縦切りにしたキュウリ一本を浸す。
公式レシピだとミネラルウォーターで割るのだけど、ここは断然ソーダ割りを推しておく。
キュウリをつまみにポリポリしながら飲むのだけど、心なしかキュウリが甘く感じられて美味しい。
昔キュウリに蜂蜜かけるとメロン味になると言われたけど、近いものがある?

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ショートレビュー「ソング・トゥ・ソング・・・・・評価額1600円」
2021年01月11日 (月) | 編集 |
愛するとは。

異才テレンス・マリックが、「ボヤージュ・オブ・タイム」「名もなき生涯」の間の、2017年に発表した作品。
四人の男女の四角関係を通して、変化する愛のカタチが描かれる。
高い評価を得た1978年の「天国の日々」以来、20年間も映画を撮らず、幻の監督とまで呼ばれたマリックは、98年に「シン・レッド・ライン」で復帰すると、2005年の「ニュー・ワールド」、11年の「ツリー・オブ・ライフ」を経て、10年代に入ると毎年のように作品を発表するようになる。
だがその作風は、「ニュー・ワールド」を境に、どんどんとストーリー性が希薄となっていった。
元々詩的ではあったものの、彼の映画は物語としての文脈を失い、抽象的な映像詩と化して行ったのである。
その究極が、生命の歴史を描く“ドキュメンタリー映画”の「ボヤージュ・オブ・タイム」だ。

よく「マリックの映画は寝ちゃう」という人がいるけど、彼の映画の場合寝ちゃっても良いんじゃないかと思う。
物語の展開を追う必要がほぼ無いし、映像と音楽は全力で心地よい空気を作り出すことに注力してるんだから、むしろ寝落ちを誘ってるフシさえある。
面白いかどうかすら、正直よく分からないが、観ていて夢見心地なってくることは確か。
ここ数作は描いていること理解しようとするよりも、ムードに浸ることがマリック作品の鑑賞スタイルになっていたのだ。

ところが、第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツに対し良心的兵役拒否をつらぬき、処刑された実在の人物、フランツ・イェーガーシュテッターを描いた「名もなき生涯」では、一転してきっちりしたストーリー構成を取り戻していた。
流石にこの内容をやるのであれば、観る者によって無数の解釈がされてしまうような曖昧さがあってはマズいわけだが、それでも作品を作る毎に既存の物語を解体していった人物の映画だと思うと驚きがあった。
しかし、この突然の変化は本作を見て納得。
「ボヤージュ・オブ・タイム」と「名もなき生涯」の間に作られたこの映画は、なるほどスタイルも両作の中間なのだ。

全編に渡って、詩的なモノローグを中心に進行してゆくのは変わらない。
だが、必要最小限ではあるが、キャラクター設定やそれぞれの問題は分かりやすく提示される。
基本的にはルーニー・マーラー、マイケル・ファスベンダー、ライアン・ゴズリング、ナタリー・ポートマンが演じる四人の男女のラブストーリー。
群像劇の軸となるのは、何者かになりたいと願うルーニー・マーラー演じるフェイだ。
彼女はオースチンの音楽業界の大物であるファスベンダーと付き合っているが、売れないミュージシャンのゴズリングからも想いを寄せられる。
一方で享楽的な恋愛観を持つファスベンダーは、ダイナーのウェイトレスをしているナタリー・ポートマンを誘惑し、あれよあれよという間に結婚してしまう。
要するに、四人がお互いに「愛する」を色々試した結果、破滅する愛もあれば成就する真実の愛もあるよ、という話だ。

ベースにある倫理観そのものは、非常にキリスト教的なのは相変わらずだし、ぶっちゃけ言葉にしてしまうと身もふたもない映画なのだが、この人間の意識の海にたゆたうような独特の感覚がこの作家の最大の魅力。
物語映画でありながら、登場人物たちの生活をのぞき見ているようなテリングのタッチ、またイギー・ポップやパティ・スミスらミュージシャンがが本人役で出てくるなど、ドキュメンタリー的な要素もあるのが本作の最大の特徴と言えるだろう。
過渡期の作品と考えると非常に分かりやすいが、全編に渡って鳴りっぱなしの音楽に、象徴的に描写される水のモチーフなど、独特のマリック節は健在。
彼はコンテキスト要素を削ぎ落としていって、一度は抽象表現に行き着き、ここにきて再び物語映画に回帰するという、いわば創作の円環を形作ったわけだが、ここからまたどこへ向かうのだろうか。
例によってお客は選ぶだろうが、色々な意味で目の離せない作家ではある。

白昼夢のような本作には、「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40ml、オレンジ・キュラソー20ml、ぺルノ1dashを、氷と共にシェイクしてグラスに注ぐ。
ブランデーのコクのある甘味とオレンジの風味を、ぺルノの強い個性が繋ぎ合わせる。
まったりとした甘口のカクテルだが、夢に誘う力は非常に強い。

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ショートレビュー「ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画・・・・・評価額1650円」
2021年01月07日 (木) | 編集 |
主婦の知恵で、火星を目指す!

いやー面白い!
2014年9月24日、インドの火星探査機マンガルヤーンが11ヶ月に及ぶ長い旅を終え、火星の周回軌道に投入された。
火星に到達したのは米国、ロシア、欧州宇宙機関に次いで世界で四番目、アジアでは初。
ところが、この快挙は実は失敗から始まった大逆転劇であったというお話だ。
主人公はインド宇宙研究機関(ISRO)に勤める、プロジェクトディレクターのタラ・シンデと彼女の上司であるラケーシュ・ダワンの科学者コンビ。
「パッドマン 5億人の女性を救った男」のアクシャイ・クマールがラケーシュを、「女神は二度微笑む」のヴィディヤ・バランがタラを演じる。
監督と共同脚本を務めるのは、「パッドマン」の助監督だったジャガン・シャクティだ。

インドは科学技術大国で、70年代末には国産ロケットを開発し、現在でも自前の衛星打ち上げ能力を持つ数少ない国の一つ。
ことの始まりは2010年。
大型ロケットGSLVの発射直後、第一段のブースターが制御不能となり、自爆処理される。
責任者だったタラとラケーシュは、この失敗の責任を取らされ、火星探査ミッションへの移動を命じられるのだ。
一瞬「え?良いじゃない?」と思ったのだが、なるほど当時のISROでは2009年に月を探査したチャンドラヤーン1号の後継機の計画が最優先されていて、火星探査の方は「10年後くらいに出来たらいいね?」程度の具体性しかない。
要するに、注目度ゼロの閑職なんだな。

だが天才は、転んでもただでは起きない。
信頼性が高く安価な小型ロケットPSLVを使用し、燃料を節約しつつ探査機を火星軌道まで飛ばす方法をタラが考案すると、彼女とラケーシュは火星の大接近に合わせた新たな火星探査計画をぶち上げる。
しかし、突拍子もない計画の実現性に上層部は懐疑的。
ベテラン職員は月探査計画に取られ、集められたのは経験の浅い女性科学者たちに、引退間近のロートルの爺さんで、予算はハリウッド映画一本分にも満たない4500万ドル。
しかも火星と地球が大接近する打ち上げタイムリミットまでは、たったの3年しかないのだが、ある理由で計画は一時凍結され、実質的に使える時間は1年しかなくなってしまう。
金なし、人なし、時間なし。
普通に考えれば絶対不可能なミッションを、女性を中心とした天才集団が解決してゆくのがカッコいい。

冒頭、二人の子を持つ母でもあるタラが、できる母さんモードで、テキパキと朝の家事をこなしてゆく。
そして場面が変わると、今度はISROのバリバリのプロジェクトディレクターとして、ロケット打ち上げを仕切っているのである。
誰でも感情移入できる苦労を抱えた主婦の日常と、科学者として人類の問題に挑む非日常のコントラスが本作の大きな魅力だ。
極限まで軽く、小さく、そして安く。
当初は腰掛けのつもりだったスタッフたちも、それぞれの才覚を発揮して、一つずつ壁をブレイクスルーしてゆくのだが、事実かどうかは別として、難問解決に料理とか片付けとかリサイクルとか、日常体験がヒントになるのが面白い。
一方で、タラが夫から仕事を辞めてほしいと迫られていたり、スタッフの一人が性暴力が多発する公共交通機関が怖くて、車の免許を取ろうとしていたり、激務の中で妊娠出産する問題が描かれたり、インドの女性たちが置かれた社会状況が隠し味として機能する。
本作は、いわばインド版の「ライトスタッフ」であり「ドリーム」だ。
まあスタート時のチームは、いくらなんでもあの人数じゃなかっただろうし、色々エンタメとして盛ってあるのだろうが、池井戸潤の小説などにも通じる、痛快なお仕事ムービー。
ところで、ミュージカルはやっぱ外せないのね(笑

今回は宇宙つながりで「スターマン・サワー」をチョイス。
元々アメリカのカクテルサイト、“Kindred Cocktails”に投稿された「スターマン」を改良したレシピ。
ジン30ml、アプリコット・ブランデー15ml、アマーロ・ノニーノ(グラッパ )15ml、レモン・ジュース22.5ml、オレンジ・ビターズ2ダッシュを氷と共にシェイクする。
ストレーナーを使って冷やしたグラスに注ぎ、オレンジピールを飾って完成。
アマーロの複雑な風味が効いている。
見た目も美しいが、オリジナルよりも甘酸っぱさが強調されていて、とても美味しい。

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新感染半島 ファイナル・ステージ・・・・・評価額1700円
2021年01月03日 (日) | 編集 |
今度は戦争だ!

ゾンビ映画の歴史を書き換えた、ヨン・サンホ監督の大ヒット作「新感染 ファイナル・エクスプレス」から4年後。
終末の世界となったかつての祖国から、残された大量のドル札を持ち出すため、死地へと足を踏み入れる元軍人たちの冒険を描く待望の続編。
これで「ソウル・ステーション/パンデミック」から始まった、それぞれにタッチの違うユニークな三部作が完結したことになる。
このシリーズは毎回登場人物が入れ替わるが、新たな主役となるのは、カン・ドンウォン演じる贖罪と後悔の記憶を抱える元軍人ジョンソク。
廃墟となった祖国で、彼と行動を共にすることになる生き残り女性のミンジョンを、イ・ジョンヒョンが演じる。
本国では、コロナが一時下火になっていた夏休みシーズンに公開され、大ヒット。
興行街が息を吹きかえす、日本でいうところの「鬼滅の刃」の役割を果たした。
※核心部分に触れています。

国家をたった1日で壊滅させた、ゾンビウィルスのパンデミックから4年。
生き残った韓国人たちは難民として周辺国に散り散りとなり、差別と貧困の中で生きていた。
元軍人のジョンソク(カン・ドンウォン)は、4年前に姉の家族と共に海路で脱出に成功するも、船で起こった感染によって姉と甥を失い、香港で荒んだ生活を送っている。
ある日、ジョンソクは地元のボスから韓国に残された2千万ドルを回収する仕事を依頼される。
半分の取り分を約束されたジョンソクは、義兄のチョルミン(キム・ドユン)ら生き残りの韓国人たちとチームを組み、仁川へと上陸。
一行はゾンビが夜目が効かないことを利用し、目的のトラックを見つけたものの、大きな音を立ててしまったために膨大な数のゾンビに囲まれてしまう。
チョルミンはトラックの荷台に隠れたものの、ジョンソクはゾンビの群れの中で孤立。
すると、突然二人の少女が乗ったSUVが現れ、彼を救出する。
ジョンソクを助けたジュニ(イ・レ)とユジン(イ・イレウォン)は、母親のミンジョン(イ・ジョンヒョン)と“師団長”と呼ばれる心を病んだ元軍人のキム(クォン・へヒョ)と、隠れるように暮らしていた。
しかし荒廃し、死の世界となった祖国で、生き残っていたのは彼らだけではなかった・・・・


異才ヨン・サンホが生み出した三部作は、映画史的にも希有な作品だ。
何しろ作家と世界観は共通だが、それぞれに登場人物もジャンルも表現手法すら全く異なるのだ。
一作目の「ソウル・ステーション パンデミック」は、ゾンビウィルスのパンデミックの始まりをアニメーションで描く。
主人公は風俗嬢とホームレスという社会の低層の人たちで、彼らの間で始まったパンデミックを、政府は反政府暴動と勘違いし、鎮圧しようとするのである。
前門の警察、後門のゾンビに囲まれた人々には、どこにも逃げ場がない。
ここでは、ゾンビ現象は社会のセーフティネットから忘れられた人々と同一視されている。
興行上の理由から公開順は逆になったが、第二作の「新感染 ファイナル・エクスプレス」は、一転して実写映画となり、韓国社会の縮図として高速列車KTXに乗り合わせた人々が描かれる。
主人公となるのは一作目と対照的に、冷酷なエリートファンドマネージャーと、その優しく聡明な娘。
未曾有のパニックの中、非共感キャラクターの主人公は、やがて利他の行為を出来るようになり、遂に娘への究極の愛を実現する。
この作品におけるゾンビは、いわば理性なき人間の欲望の象徴として描かれている。

そして第三弾となる本作は、廃墟と化した大都市・仁川を舞台としたバトルアクションだ。
ゾンビはもはや危険な小道具の一つと化し、最大の敵は人間性を失った人間に設定されているのが最大の特徴。
実写映画ではあるが、舞台やアクションの多くは3DCGで描かれていて、いわば実写とアニメーションのハイブリッド
アニメーションからキャリアをスタートし、実写を経験したヨン・サンホにとっては、存分に手腕を発揮できる状況が整ったと言えるだろう。

本作の内容を端的に表現すれば、物語の入り口は「エイリアン2」で、出口は「マッドマックス」である。
主人公のジョンソクは、パンデミックを生き延びた元軍人。
彼は「エイリアン2」のリプリーと同じように、せっかく生き延びたのに経済的な理由で死地へと逆戻りする。
前作のレビューで、目的地が釜山であることに込められた意味は書いたが、本作が一度は祖国を去ることを余儀なくされた軍人の、“仁川上陸”から始まるのも同じ文脈だろう。
しかし現金を積んだトラックの回収という任務は、ゾンビの襲撃によってあっさり失敗。
すると今度は、ポストアポカリプト物の代表作である、「マッドマックス」的世界へと急展開するのである。
パンデミック後のゾンビが跋扈する韓国でも、生き残っている人間は僅かながら存在する。
ジョンソクを救出するミンジョンの一家以外にも、601部隊と呼ばれる軍の部隊が要塞を作って籠城していてるのだ。
どっかで見たようなトゲトゲの車を駆り、”野良犬”と呼ばれる外部の生存者を使った残酷なデスゲームに興じる、ヒャッハーな無法者集団と化した彼らこそが、ジョンソクらにとってゾンビ以上の脅威となる。
社会から法と秩序が消え、欲望の赴くまま行動するようになれば、それはもはやゾンビも人間も一緒という訳だ。

ぶっちゃけ、人間ドラマとしては前作よりも明らかに弱い。
ジョンソクは、韓国を脱出する時に助けを求めるミンジョンを一度見捨てている。
さらに船の中では姉と甥を助けられず、ずっと後悔と贖罪の念を抱えていて、だからこそ今度こそは誰も見殺しにしないという強い意思が彼の行動原理となっている。
だが、やはり親子の究極の愛をドラマチックに描いた前作に比べてしまうと、守るべき対象が姉の夫だったり、赤の他人だったり、主人公にとって存在がやや遠いのだ。
代わりに、アクション活劇としては列車という密室から解放され、前作を遥かに凌駕する凄いことをやっている。
ゾンビ相手の戦いだけでなく、601部隊に囚われたチョルミンの救出劇、都市全体を舞台としたクライマックスの怒涛のカーチェイスと見せ場はてんこ盛りだ。
特に廃墟の仁川で、ゾンビを轢き殺しながらどつき合うカーチェイスを見ると、ヨン・サンホはやっぱりアニメーション畑の人だなと感じる。
シチュエーション的には「マッドマックス」なのだが、本作の舞台は広大な砂漠ではなく路地や立体交差が複雑に入り組んだ大都市だ。
ここを縦横無尽に駆け巡るカーチェイスは、CGであることを全く隠そうとせず、物理的にありえない動きを嬉々として作ってる。
だからこのシークエンスだけ抜き出すと、やってることはむしろアニメーション映画の「REDLINE」とかに近い。
ちなみに荒廃した複雑怪奇な都市の世界観は、大友克洋の漫画「AKIRA」も参考にしたそう。
言われてみると、確かに退廃的なイメージはよく似ている。

最後の最後にエモーショナルな見せ場は残るものの、本作は前作のような“泣けるゾンビ映画”ではなくなった。
とはいえ、ポストアポカリプトの世界を描く、マッドでヒャッハーな楽しさは増大したし、これはこれで十分に面白い。
601部隊を率いるソ大尉やファン軍曹のクズっぷりとか、最後まで人間の醜さをこれでもかと強調する、ヨン・サンホ本来の作家性はこっちの方がより強く出ている。
まあその分、ファミリー映画としての間口はやや狭まった気はするが。

それにしても、列車縛りはなくなったんだから、邦題から「新」は外せばよかったのに。
作品にそぐわないダジャレだけじゃなく、非常に語呂の悪い邦題になっちゃってるじゃないか。
「ファイナル・ステージ」も意味不明だし、前作以上のワースト邦題オブ・ザ・イヤーだな。

今回は前作と同じく「ゾンビ」をチョイス。
ホワイトラム30ml、ゴールドラム30ml、ダークラム30ml、アプリコットブランデー15ml、オレンジジュース 20ml、パイナップルジュース 20ml、レモンジュース 10ml、グレナデンシロップ 10mlをシェイクして、氷を入れたゾンビグラスに注ぐ。
あえて酔いを早めるため、複数のラムを使っているのだが、考案された時のオリジナルレシピではさらに多く、5種類ものラムを混ぜていたという。
意外にもフルーティーでフレッシュな味わいだが、飲んでいるうちにだんだん酩酊し、ゾンビと化してしまう危険なカクテルだ。

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