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2021年01月31日 (日) | 編集 |
忠実なナンバー2は、なぜ大統領を殺したのか。
独裁政権を率いる韓国のパク・チョンヒ(朴正煕)大統領を暗殺した、側近のKCIA(大韓民国中央情報部)部長・キム・ジェギュ(金載圭、映画ではキム・ギュピョン)を主人公に、暗殺前40日間に何があったのかを描く、ウルトラハードなポリティカルサスペンス。
「南山の部長たち」とは、ソウル市南山に本拠があった、KCIAの歴代部長たちのこと。
十万ともいわれる職員を抱える巨大な諜報機関であり、韓国内の情報総てを握っていたKCIA部長は、政権内で大統領に次ぐ権力を振るっていたとされる。
国家と大統領の間で揺れ動く、主人公のキム・ギュピョンをイ・ビョンホン、事件のきっかけとなる前任のKCIA部長パク・ヨンガクをクァク・ドウォン、パク・チョンヒ大統領をイ・ソンミンが演じる。
名優たちを演出するのは、「インサイダーズ 内部者たち」でもイ・ビョンホンとタッグを組んだウ・ミンホ監督。
韓国現代史のダークサイドを垣間見る、緊迫の114分だ。
1979年10月26日、KCIAの部長を務めるキム・ギュピョン(イ・ビョンホン)が、革命の同志であり、忠誠を誓っていたはずのパク・チョンヒ大統領(イ・ソンミン)を射殺する。
事件が起こる40日前、アメリカに亡命していた元KCIA部長パク・ヨンガク(クァク・ドウォン)が下院議会聴聞会で証言し、パク・チョンヒ体制の欺瞞を糾弾していた。
大統領に事態の収拾を命じられたギュピョンは、執筆中の回想録を出さないよう、旧友でもあるヨンガクを説得するためにワシントンに飛ぶ。
ヨンガクはギュピョンの要求を受け入れるが、大統領がKCIAも知らない協力者の元、秘密口座を作って国民の金を搾取しているという情報をギュピョンに渡す。
帰国後、ヨンガクからの情報を調べ始めるギュピョンだが、大統領が警護室長のクァク・サンチョン(イ・ヒジュン)の人脈を使って、ヨンガクの暗殺を狙っていることが判明。
時を同じくして、釜山と馬山で反政府デモが燃え上がり、野党勢力との交渉を主張するギュピョンは、次第に大統領から疎んじされてゆくのだが・・・・・
1961年のクーデター以来、18年に及ぶ長期独裁政権を率い、その間に日韓国交正常化、漢江の奇跡と呼ばれた高度経済成長を成し遂げたパク・チョンヒ大統領の暗殺は、当時の日本でも大ニュースになっていた。
韓国人の名前は報道でも日本読みされていた時代なので、テレビをつけると朝から晩まで「ボクセイキ大統領が・・・」と流れていたのを子ども心に覚えている。
本作は、大統領暗殺を起点に40日間を振り返り、暗殺を実行したKCIA部長、キム・ギュピョンの心情を丁寧に描いてゆく。
ただし、この事件の顛末には犯行の動機を含め解明されていない謎が多く残されていて、主人公をはじめ大統領以外の役名が変えられていることからも、史実をベースに想像力を働かせて歴史の穴を埋めていったフィクションと捉えるべき作品だろう。
しかし、盛ってることを意識させないリアリティ満点な作劇、先を読ませないドラマチックな展開は、いかにも韓国映画らしい大胆なものだ。
暗殺までの流れを見ていると、これはもう管理職の悲哀というか、トップダウン型組織がダメになってゆく典型例。
独裁政権も18年も続くと、最初の革命の理想も、一国を率いる熱意も消え去り、イエスマンで回りを固め、コツコツ私服を肥やすだけの大統領にはもはや周りが見えてない。
ヨンガクのような、自分の名誉を汚す元部下はこの世から消し去りたい存在だし、釜山と馬山でデモを行っている野党支持者たちも自分の国から一掃すべき勢力。
大統領は、「61年のクーデターの時、市民に発砲を命じた者は死刑になったが、今度は自分が命じるのだからデモ隊を戦車で轢き殺しても構わない」と言い放つ。
韓国人が言うところの、典型的な“ナロナムブル(自分がやればロマンスだが他人がやれば不倫)”のダブルスタンダードだが、政治権力というのは多かれ少なかれこのような独善的傾向を持つものかもしれない。
ともあれ、暴力で権力を握った独裁者にとって、世界は単純だ。
自分に従順な者は手駒であり、反対する者は敵で、本当の意味での“仲間”は存在しないのである。
本作でギュピョンの運命を狂わす、重要な変数がアメリカだ。
韓国は独立国とはいっても、朝鮮戦争以来アメリカに安全保障を依存してきた歴史がある。
当時は今ほど北朝鮮との国力の差も無く、米軍の国内駐留は韓国にとって絶対的に重要だった。
いわば親会社の様な存在だが、当然アメリカ政府も何を仕出かすか分からない朴政権には不安を抱いている。
一応民主主義の守護者を自認する超大国にとって、ある程度の強権支配は認めても、暴走されるのは困るのだ。
劇中、アメリカ大使が「拉致や暗殺を平気でするなんて、あんたたちはマフィアか何かなのか?」とギュピョンに迫る描写がある。
まあ実際、KCIAは73年に東京で暴力団と組んで金大中拉致事件を起こしたり、体質は半分ヤクザみたいなもので、76年にはアメリカ議会に入り込んでの買収工作、いわゆるコリアゲート事件が発覚していて、外国まで押しかけて自分たちの力の理論を押し通すKCIAは、アメリカにとってもいわば獅子身中の虫。
もはや死に体の朴政権は害悪と見限り、政権ナンバー2のギュピョンに、大統領を「なんとかしろ」と言うのである。
直属の上司である大統領、親会社に当たるアメリカ、二つの“ボス”に挟まれてたギュピョンにしてみれば、自分がどんどん悪い方へと追い込まれている状況だ。
デモ隊への対応を巡り、野党指導者のキム・ヨンサムとの交渉を主張したことで、大統領の逆鱗に触れ、徐々に政権内での居場所を失いつつあるのだから、尚更まずい。
しかも彼は、大統領が自ら責任を取ることが決してないことを、長年の経験から知っている。
大統領の口癖が「私は君の側にいる。好きにしたまえ」なんだが、これって結局「部下が勝手にやったことです」というエクスキューズ。
誰かに汚れ仕事をさせて、不要になったら今度は別の誰かに消させる。
この繰り返しを見てきたギュピョンにとっては、大統領のために仕事をしてきた結果、自分の身が危うくなっているのがリアルに分かるのだ。
あらゆる権力は、時間と共に腐敗するという事実に、例外は存在しない。
独裁者の権力に群がり、甘い汁を吸う魑魅魍魎が跋扈する当時の韓国では、愛国者は支えるべき相手が、国なのか大統領なのかと言う二者択一を迫られる。
取り得る選択肢が、徐々に失われてゆくジリジリとした焦燥感と、次何が起こるか分からない緊張感がずっと続く。
中盤のヨンガク暗殺を巡る大統領とギュピョンの、お互いを出しぬこうとする諜報戦は手に汗握り、権謀術数の世界に生きる男たちの苦悩と痛みが伝わってくる。
板挟みになったナンバー2の葛藤を、殆ど表情が変わらない静かな仮面の下に封じた、イ・ビョンホンが素晴らしい。
“失われた靴”などの印象的なディテールも、物語の象徴性を高めて効果的だ。
権力が移り変わる時には血が流れ、時に直接歴史を動かした者でなく、虎視淡々と狙っていた者が漁夫の利を得ることもある。
主人公の周りで、終始チョロチョロしているインパクトのあるハゲ頭の男は何者か。
ある意味、これはさらなる悲劇の始まりを告げる物語なのだ。
ぶっちゃけ、非常に地味な映画ではあるのだが、70年代の時代性の表現なども緻密で、「裏切りのサーカス」などにも通じる、世界の裏側に蠢く哀しき男たちを描くいぶし銀の秀作。
忠誠心と愛国心の間で揺れ動く主人公の心情は、様々な立場におきかえて考えることが出来、今の時代にも響く普遍性は十分だ。
今回はもちろん、ギュピョンと大統領の思い出の酒「マッサ 」をチョイス。
名前の通りマッコリとサイダーのカクテルなんだが、大統領によると配分が重要らしい。
ここはとりあえず、1:1で。
氷を入れたグラスにマッコリ100mlを注ぎ、サイダー100mlで満たす。
見た目はまんまカルピスなんだが、さっぱりした甘さでとても美味しい。
二人の関係もこのお酒のように調和が取れていたら、悲劇は起こらなかったのかもしれないな。
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独裁政権を率いる韓国のパク・チョンヒ(朴正煕)大統領を暗殺した、側近のKCIA(大韓民国中央情報部)部長・キム・ジェギュ(金載圭、映画ではキム・ギュピョン)を主人公に、暗殺前40日間に何があったのかを描く、ウルトラハードなポリティカルサスペンス。
「南山の部長たち」とは、ソウル市南山に本拠があった、KCIAの歴代部長たちのこと。
十万ともいわれる職員を抱える巨大な諜報機関であり、韓国内の情報総てを握っていたKCIA部長は、政権内で大統領に次ぐ権力を振るっていたとされる。
国家と大統領の間で揺れ動く、主人公のキム・ギュピョンをイ・ビョンホン、事件のきっかけとなる前任のKCIA部長パク・ヨンガクをクァク・ドウォン、パク・チョンヒ大統領をイ・ソンミンが演じる。
名優たちを演出するのは、「インサイダーズ 内部者たち」でもイ・ビョンホンとタッグを組んだウ・ミンホ監督。
韓国現代史のダークサイドを垣間見る、緊迫の114分だ。
1979年10月26日、KCIAの部長を務めるキム・ギュピョン(イ・ビョンホン)が、革命の同志であり、忠誠を誓っていたはずのパク・チョンヒ大統領(イ・ソンミン)を射殺する。
事件が起こる40日前、アメリカに亡命していた元KCIA部長パク・ヨンガク(クァク・ドウォン)が下院議会聴聞会で証言し、パク・チョンヒ体制の欺瞞を糾弾していた。
大統領に事態の収拾を命じられたギュピョンは、執筆中の回想録を出さないよう、旧友でもあるヨンガクを説得するためにワシントンに飛ぶ。
ヨンガクはギュピョンの要求を受け入れるが、大統領がKCIAも知らない協力者の元、秘密口座を作って国民の金を搾取しているという情報をギュピョンに渡す。
帰国後、ヨンガクからの情報を調べ始めるギュピョンだが、大統領が警護室長のクァク・サンチョン(イ・ヒジュン)の人脈を使って、ヨンガクの暗殺を狙っていることが判明。
時を同じくして、釜山と馬山で反政府デモが燃え上がり、野党勢力との交渉を主張するギュピョンは、次第に大統領から疎んじされてゆくのだが・・・・・
1961年のクーデター以来、18年に及ぶ長期独裁政権を率い、その間に日韓国交正常化、漢江の奇跡と呼ばれた高度経済成長を成し遂げたパク・チョンヒ大統領の暗殺は、当時の日本でも大ニュースになっていた。
韓国人の名前は報道でも日本読みされていた時代なので、テレビをつけると朝から晩まで「ボクセイキ大統領が・・・」と流れていたのを子ども心に覚えている。
本作は、大統領暗殺を起点に40日間を振り返り、暗殺を実行したKCIA部長、キム・ギュピョンの心情を丁寧に描いてゆく。
ただし、この事件の顛末には犯行の動機を含め解明されていない謎が多く残されていて、主人公をはじめ大統領以外の役名が変えられていることからも、史実をベースに想像力を働かせて歴史の穴を埋めていったフィクションと捉えるべき作品だろう。
しかし、盛ってることを意識させないリアリティ満点な作劇、先を読ませないドラマチックな展開は、いかにも韓国映画らしい大胆なものだ。
暗殺までの流れを見ていると、これはもう管理職の悲哀というか、トップダウン型組織がダメになってゆく典型例。
独裁政権も18年も続くと、最初の革命の理想も、一国を率いる熱意も消え去り、イエスマンで回りを固め、コツコツ私服を肥やすだけの大統領にはもはや周りが見えてない。
ヨンガクのような、自分の名誉を汚す元部下はこの世から消し去りたい存在だし、釜山と馬山でデモを行っている野党支持者たちも自分の国から一掃すべき勢力。
大統領は、「61年のクーデターの時、市民に発砲を命じた者は死刑になったが、今度は自分が命じるのだからデモ隊を戦車で轢き殺しても構わない」と言い放つ。
韓国人が言うところの、典型的な“ナロナムブル(自分がやればロマンスだが他人がやれば不倫)”のダブルスタンダードだが、政治権力というのは多かれ少なかれこのような独善的傾向を持つものかもしれない。
ともあれ、暴力で権力を握った独裁者にとって、世界は単純だ。
自分に従順な者は手駒であり、反対する者は敵で、本当の意味での“仲間”は存在しないのである。
本作でギュピョンの運命を狂わす、重要な変数がアメリカだ。
韓国は独立国とはいっても、朝鮮戦争以来アメリカに安全保障を依存してきた歴史がある。
当時は今ほど北朝鮮との国力の差も無く、米軍の国内駐留は韓国にとって絶対的に重要だった。
いわば親会社の様な存在だが、当然アメリカ政府も何を仕出かすか分からない朴政権には不安を抱いている。
一応民主主義の守護者を自認する超大国にとって、ある程度の強権支配は認めても、暴走されるのは困るのだ。
劇中、アメリカ大使が「拉致や暗殺を平気でするなんて、あんたたちはマフィアか何かなのか?」とギュピョンに迫る描写がある。
まあ実際、KCIAは73年に東京で暴力団と組んで金大中拉致事件を起こしたり、体質は半分ヤクザみたいなもので、76年にはアメリカ議会に入り込んでの買収工作、いわゆるコリアゲート事件が発覚していて、外国まで押しかけて自分たちの力の理論を押し通すKCIAは、アメリカにとってもいわば獅子身中の虫。
もはや死に体の朴政権は害悪と見限り、政権ナンバー2のギュピョンに、大統領を「なんとかしろ」と言うのである。
直属の上司である大統領、親会社に当たるアメリカ、二つの“ボス”に挟まれてたギュピョンにしてみれば、自分がどんどん悪い方へと追い込まれている状況だ。
デモ隊への対応を巡り、野党指導者のキム・ヨンサムとの交渉を主張したことで、大統領の逆鱗に触れ、徐々に政権内での居場所を失いつつあるのだから、尚更まずい。
しかも彼は、大統領が自ら責任を取ることが決してないことを、長年の経験から知っている。
大統領の口癖が「私は君の側にいる。好きにしたまえ」なんだが、これって結局「部下が勝手にやったことです」というエクスキューズ。
誰かに汚れ仕事をさせて、不要になったら今度は別の誰かに消させる。
この繰り返しを見てきたギュピョンにとっては、大統領のために仕事をしてきた結果、自分の身が危うくなっているのがリアルに分かるのだ。
あらゆる権力は、時間と共に腐敗するという事実に、例外は存在しない。
独裁者の権力に群がり、甘い汁を吸う魑魅魍魎が跋扈する当時の韓国では、愛国者は支えるべき相手が、国なのか大統領なのかと言う二者択一を迫られる。
取り得る選択肢が、徐々に失われてゆくジリジリとした焦燥感と、次何が起こるか分からない緊張感がずっと続く。
中盤のヨンガク暗殺を巡る大統領とギュピョンの、お互いを出しぬこうとする諜報戦は手に汗握り、権謀術数の世界に生きる男たちの苦悩と痛みが伝わってくる。
板挟みになったナンバー2の葛藤を、殆ど表情が変わらない静かな仮面の下に封じた、イ・ビョンホンが素晴らしい。
“失われた靴”などの印象的なディテールも、物語の象徴性を高めて効果的だ。
権力が移り変わる時には血が流れ、時に直接歴史を動かした者でなく、虎視淡々と狙っていた者が漁夫の利を得ることもある。
主人公の周りで、終始チョロチョロしているインパクトのあるハゲ頭の男は何者か。
ある意味、これはさらなる悲劇の始まりを告げる物語なのだ。
ぶっちゃけ、非常に地味な映画ではあるのだが、70年代の時代性の表現なども緻密で、「裏切りのサーカス」などにも通じる、世界の裏側に蠢く哀しき男たちを描くいぶし銀の秀作。
忠誠心と愛国心の間で揺れ動く主人公の心情は、様々な立場におきかえて考えることが出来、今の時代にも響く普遍性は十分だ。
今回はもちろん、ギュピョンと大統領の思い出の酒「マッサ 」をチョイス。
名前の通りマッコリとサイダーのカクテルなんだが、大統領によると配分が重要らしい。
ここはとりあえず、1:1で。
氷を入れたグラスにマッコリ100mlを注ぎ、サイダー100mlで満たす。
見た目はまんまカルピスなんだが、さっぱりした甘さでとても美味しい。
二人の関係もこのお酒のように調和が取れていたら、悲劇は起こらなかったのかもしれないな。

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