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2021年03月21日 (日) | 編集 |
共に、生きてゆく。
1980年代、農場経営という夢を叶えるため、アーカンソー州の田舎街に移り住んだ、韓国からの移民家族の物語。
アメリカンドリームを夢見る夫と、しっかり者の娘と心臓病の息子を抱え、堅実に生きようとする妻との間には、世界観に最初から違いがある。
徐々に顕在化する亀裂を埋めるために、妻は韓国から母を呼び寄せるのだが、このパワフルなお婆ちゃんが、むしろ夫婦に現実を突きつける。
米国版「君の名は。」の監督・脚色を務めることがアナウンスされている、韓国系アメリカ人のリー・アイザック・チョンの半自伝的作品で、サンダンス映画祭で観客賞と審査員特別賞をダブル受賞し、今年のアカデミー賞でも6部門で有力候補となっている話題作だ。
「バーニング 劇場版」のスティーブン・ユァンが父ジェイコブを、ハン・イェリが母モニカを、ユン・ヨジョンが祖母を演じる。
※核心部分に触れています。
レーガン時代の1980年代。
韓国からアメリカに渡ったジェイコブ・イ(スティーブン・ユァン)と妻のモニカ(ハン・イェリ)は、カリフォルニアで10年働き、新生活を始めるためにアーカンソー州の田舎へと引っ越す。
ジェイコブは、ヒヨコの雌雄判別で稼ぎながら、農場を開拓して韓国の野菜を栽培し、韓国系住民の多いダラスで販売しようとしているが、楽観的過ぎる夫の計画にモニカは懐疑的。
アメリカで生まれたアン(ノエル・ケイト・チョー)とデビッド(アラン・キム)の二人の子供を抱え、特に心臓に疾患を抱えるデビットを心配しているモニカは、早く都会へと帰りたいと訴え、夫婦間には喧嘩が絶えない。
そんな状況を改善しようと、モニカは韓国から母のスンジャ(ユン・ヨジョン)を呼び寄せるのだが、アメリカ育ちの子供たちは、文化の違う祖母にはなかなか懐かない。
ジェイコブは朝鮮戦争の帰還兵であるポール(ウィル・パットン)に手伝ってもらいつつ、農場を開拓してゆくのだが、肝心の野菜販売はなかなか上手くいかない。
そんな時、一家の運命を変える事件が起こるのだが・・・・
リー・アイザック・チョンは、1978年にデンバーで韓国系移民の子として生まれ、少年時代をアーカンソー州リンカーンの小さな農場で過ごしたという。
これは彼の家族をモデルに、一家の幼い息子に自分自身を投影した物語だ。
韓国からアメリカへの新移民は、移民枠が拡大された60年代から増え始め、80年代にピークに達する。
60年代末に数万人に過ぎなかった韓国系人口は、現在では日系人よりも多い180万人。
しかし、ほとんどの移民が向かうのは働き口の多い都会で、本作のようなど田舎に住もうとする移民はほとんどいない。
劇中でも言及されるように、わざわざ韓国系の少ない田舎に来るのは、訳ありの人か、変人だったのである。
イ家の夫であるジェイコブは、変人の方。
彼は増え続ける移民たちが故郷の味を懐かしみ、韓国野菜の需要が高まると考え、韓国系人口の多い大都会のダラスへの出荷が可能で、土地の値段が安いアーカンソーに目を付ける。
まあそれは良いのだが、この人基本的に独断専行型で、全部自分が判断して実行しないと気が済まないタイプ。
引っ越した後にモニカが「騙された」と言っていたから、たぶんアーカンソーの土地も自分一人で下見して、農場にする計画も妻に相談することもなく決めてしまっている。
しかも彼はプライドが高く、知識と理性を持って成功を追い求める唯物的人物で、土地の人たちが木の棒を使って水脈を探す、伝統的なダウジングを行なっていることを知ると、迷信を信じる田舎者とバカにする。
10年間もヒヨコの雌雄判別という地味な仕事をしてきたジェイコブは、父親が実力で何かを成し遂げる姿を子供たちに見せたいと思っているのである。
韓国からアメリカまでついて来たモニカは、そんな夫に対して静かに鬱憤を募らせている。
冒頭の引っ越しシーンが、先行する夫のトラックについてゆくモニカの車内からの主観ショットであることからも分かる様に、映画は観客を妻に感情移入させるところからはじまる。
彼女が心配しているのが心臓に疾患を持つデビッドのことで、夫婦共働きの状況で医療機関から遠く離れた田舎で暮らすことが不安でならない。
夫の夢と妻の現実の間で、徐々に広がってゆく亀裂をなんとかしようと、モニカは韓国から母のスンジャを呼び寄せる。
女で一つで自分を育て上げた母がそばにいてくれれば、夫婦が留守していても安心という訳だ。
ところがこのお婆ちゃん、子供に花札を教えて悪態つきまくるなど、相当に破天荒。
孫のためにクッキーを作ってくれないし、悪い言葉を使うし、男物のパンツを履いてるお婆ちゃんに、全く文化の違う孫たちは懐かない。
むしろスンジャが触媒となって、夫婦の世界観の違いがハッキリとしてゆくのだ。
ジェイコブの「家族のため」の行動が、逆に二人を追い込んでゆき、両親の関係の悪化を子供たちも敏感に感じ取っている。
作者の分身であるデビッドの、幼さ故に言語化できない様々な感情が浮かぶ瞳が印象的だ。
この土地には危険な蛇がいて、蛇を見つけたデビッドが石を投げて追い払おうとするのをスンジャが止めて「危ないものは見えていた方がいい」というのは格言。
危機というのは、見えないうちに大きくなってゆくものなのだ。
イ家の人々は名前で分かるようにクリスチャンで、本作ではキリスト教信仰が重要なスパイスとして効いている。
現地の教会にも行ってみたものの、田舎のコミュニティ特有の閉鎖性もあり、馴染むことが出来ない。
未知の土地にやって来た彼らにとって唯一助けとなるのが、朝鮮戦争の帰還兵だったポールだが、彼はおそらく戦争の経験からか人生を贖罪に捧げている。
毎週日曜日になると彼は教会にはいかずに、まるでゴルゴダの丘へ向かうキリストのように、巨大な十字架を背負って歩き続けているのだ。
信心深く、スピリチュアルなポールは、ジェイコブにとっては典型的な“迷信を信じている田舎者”で、彼に対するスタンスも、唯物的なジェイコブと唯心的なモニカの違いが際立ってくる。
また、本作で重要なモチーフとなるのが、聖書で生命の象徴とされる「水」だ。
ダウジングを拒否したジェイコブは、“科学的な知識”で地下水を掘り当てるが、やがて水は干上がってしまい、高価な水道水を畑に使う羽目に。
知識と理性を持って事業に挑んだはずのジェイコブのアメリカンドリームは、未知なる大地の気まぐれに翻弄され、結局バカにしていた迷信に頼らざるを得なくなるのが皮肉だ。
ジェイコブだけではなく、田舎暮らしを嫌がっていたセリも、水のもたらしたある奇跡に直面し、世界を揺さぶられる。
タイトルの「ミナリ」とは、日本でもおなじみの野菜のセリのことで、水があればどこでも育つことから、韓国から種を持って来たスンジャが家の近くの小川のほとりに植える。
雑草のごとき生命力が、異郷で生き抜く移民たちに重なる。
結果的にはお婆ちゃん、図らずもグッジョブで、一度壊れることで見えて来る道もある。
いろいろあって亀裂は決して修復された訳ではないけれど、それでも共に生きてゆく。
家族にとって、そこが「約束の地」となるのかどうかは、彼ら自身にかかっているのだ。
この作品、近年優れた作品を連発している「A24」と、ブラット・ピットが主宰する「PLAN B エンターテイメント」の共同制作にも関わらず、使われている言語がほぼ韓国語ということで、オスカーレースの前哨戦とされるゴールデン・グローブ賞では、外国語映画賞の扱いになってしまった。
しかし、問題を抱えた移民の家族を、アーカンソーの雄大な草原を吹き抜ける風と、聖なる水が見守っているというこの映画の持つ情緒は、まごうことなきアメリカンインディーズ映画だ。
今回は、アメリカに入植したアジア人の移民の話なので、サントリーが考案したカクテル 「グリーン・フィールズ」をチョイス。
グリーンティー・リキュール30ml、ウォッカ15ml、牛乳15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
もともとは、1960年に発売したヘルメス・グリーンティーを普及させるために作られたカクテル で、同年にヒットしたブラザース・フォアの同名曲から名付けられた。
お茶と牛乳の相性の良さは言わずもがなだが、ウォッカもいい感じにマイルドになっている。
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1980年代、農場経営という夢を叶えるため、アーカンソー州の田舎街に移り住んだ、韓国からの移民家族の物語。
アメリカンドリームを夢見る夫と、しっかり者の娘と心臓病の息子を抱え、堅実に生きようとする妻との間には、世界観に最初から違いがある。
徐々に顕在化する亀裂を埋めるために、妻は韓国から母を呼び寄せるのだが、このパワフルなお婆ちゃんが、むしろ夫婦に現実を突きつける。
米国版「君の名は。」の監督・脚色を務めることがアナウンスされている、韓国系アメリカ人のリー・アイザック・チョンの半自伝的作品で、サンダンス映画祭で観客賞と審査員特別賞をダブル受賞し、今年のアカデミー賞でも6部門で有力候補となっている話題作だ。
「バーニング 劇場版」のスティーブン・ユァンが父ジェイコブを、ハン・イェリが母モニカを、ユン・ヨジョンが祖母を演じる。
※核心部分に触れています。
レーガン時代の1980年代。
韓国からアメリカに渡ったジェイコブ・イ(スティーブン・ユァン)と妻のモニカ(ハン・イェリ)は、カリフォルニアで10年働き、新生活を始めるためにアーカンソー州の田舎へと引っ越す。
ジェイコブは、ヒヨコの雌雄判別で稼ぎながら、農場を開拓して韓国の野菜を栽培し、韓国系住民の多いダラスで販売しようとしているが、楽観的過ぎる夫の計画にモニカは懐疑的。
アメリカで生まれたアン(ノエル・ケイト・チョー)とデビッド(アラン・キム)の二人の子供を抱え、特に心臓に疾患を抱えるデビットを心配しているモニカは、早く都会へと帰りたいと訴え、夫婦間には喧嘩が絶えない。
そんな状況を改善しようと、モニカは韓国から母のスンジャ(ユン・ヨジョン)を呼び寄せるのだが、アメリカ育ちの子供たちは、文化の違う祖母にはなかなか懐かない。
ジェイコブは朝鮮戦争の帰還兵であるポール(ウィル・パットン)に手伝ってもらいつつ、農場を開拓してゆくのだが、肝心の野菜販売はなかなか上手くいかない。
そんな時、一家の運命を変える事件が起こるのだが・・・・
リー・アイザック・チョンは、1978年にデンバーで韓国系移民の子として生まれ、少年時代をアーカンソー州リンカーンの小さな農場で過ごしたという。
これは彼の家族をモデルに、一家の幼い息子に自分自身を投影した物語だ。
韓国からアメリカへの新移民は、移民枠が拡大された60年代から増え始め、80年代にピークに達する。
60年代末に数万人に過ぎなかった韓国系人口は、現在では日系人よりも多い180万人。
しかし、ほとんどの移民が向かうのは働き口の多い都会で、本作のようなど田舎に住もうとする移民はほとんどいない。
劇中でも言及されるように、わざわざ韓国系の少ない田舎に来るのは、訳ありの人か、変人だったのである。
イ家の夫であるジェイコブは、変人の方。
彼は増え続ける移民たちが故郷の味を懐かしみ、韓国野菜の需要が高まると考え、韓国系人口の多い大都会のダラスへの出荷が可能で、土地の値段が安いアーカンソーに目を付ける。
まあそれは良いのだが、この人基本的に独断専行型で、全部自分が判断して実行しないと気が済まないタイプ。
引っ越した後にモニカが「騙された」と言っていたから、たぶんアーカンソーの土地も自分一人で下見して、農場にする計画も妻に相談することもなく決めてしまっている。
しかも彼はプライドが高く、知識と理性を持って成功を追い求める唯物的人物で、土地の人たちが木の棒を使って水脈を探す、伝統的なダウジングを行なっていることを知ると、迷信を信じる田舎者とバカにする。
10年間もヒヨコの雌雄判別という地味な仕事をしてきたジェイコブは、父親が実力で何かを成し遂げる姿を子供たちに見せたいと思っているのである。
韓国からアメリカまでついて来たモニカは、そんな夫に対して静かに鬱憤を募らせている。
冒頭の引っ越しシーンが、先行する夫のトラックについてゆくモニカの車内からの主観ショットであることからも分かる様に、映画は観客を妻に感情移入させるところからはじまる。
彼女が心配しているのが心臓に疾患を持つデビッドのことで、夫婦共働きの状況で医療機関から遠く離れた田舎で暮らすことが不安でならない。
夫の夢と妻の現実の間で、徐々に広がってゆく亀裂をなんとかしようと、モニカは韓国から母のスンジャを呼び寄せる。
女で一つで自分を育て上げた母がそばにいてくれれば、夫婦が留守していても安心という訳だ。
ところがこのお婆ちゃん、子供に花札を教えて悪態つきまくるなど、相当に破天荒。
孫のためにクッキーを作ってくれないし、悪い言葉を使うし、男物のパンツを履いてるお婆ちゃんに、全く文化の違う孫たちは懐かない。
むしろスンジャが触媒となって、夫婦の世界観の違いがハッキリとしてゆくのだ。
ジェイコブの「家族のため」の行動が、逆に二人を追い込んでゆき、両親の関係の悪化を子供たちも敏感に感じ取っている。
作者の分身であるデビッドの、幼さ故に言語化できない様々な感情が浮かぶ瞳が印象的だ。
この土地には危険な蛇がいて、蛇を見つけたデビッドが石を投げて追い払おうとするのをスンジャが止めて「危ないものは見えていた方がいい」というのは格言。
危機というのは、見えないうちに大きくなってゆくものなのだ。
イ家の人々は名前で分かるようにクリスチャンで、本作ではキリスト教信仰が重要なスパイスとして効いている。
現地の教会にも行ってみたものの、田舎のコミュニティ特有の閉鎖性もあり、馴染むことが出来ない。
未知の土地にやって来た彼らにとって唯一助けとなるのが、朝鮮戦争の帰還兵だったポールだが、彼はおそらく戦争の経験からか人生を贖罪に捧げている。
毎週日曜日になると彼は教会にはいかずに、まるでゴルゴダの丘へ向かうキリストのように、巨大な十字架を背負って歩き続けているのだ。
信心深く、スピリチュアルなポールは、ジェイコブにとっては典型的な“迷信を信じている田舎者”で、彼に対するスタンスも、唯物的なジェイコブと唯心的なモニカの違いが際立ってくる。
また、本作で重要なモチーフとなるのが、聖書で生命の象徴とされる「水」だ。
ダウジングを拒否したジェイコブは、“科学的な知識”で地下水を掘り当てるが、やがて水は干上がってしまい、高価な水道水を畑に使う羽目に。
知識と理性を持って事業に挑んだはずのジェイコブのアメリカンドリームは、未知なる大地の気まぐれに翻弄され、結局バカにしていた迷信に頼らざるを得なくなるのが皮肉だ。
ジェイコブだけではなく、田舎暮らしを嫌がっていたセリも、水のもたらしたある奇跡に直面し、世界を揺さぶられる。
タイトルの「ミナリ」とは、日本でもおなじみの野菜のセリのことで、水があればどこでも育つことから、韓国から種を持って来たスンジャが家の近くの小川のほとりに植える。
雑草のごとき生命力が、異郷で生き抜く移民たちに重なる。
結果的にはお婆ちゃん、図らずもグッジョブで、一度壊れることで見えて来る道もある。
いろいろあって亀裂は決して修復された訳ではないけれど、それでも共に生きてゆく。
家族にとって、そこが「約束の地」となるのかどうかは、彼ら自身にかかっているのだ。
この作品、近年優れた作品を連発している「A24」と、ブラット・ピットが主宰する「PLAN B エンターテイメント」の共同制作にも関わらず、使われている言語がほぼ韓国語ということで、オスカーレースの前哨戦とされるゴールデン・グローブ賞では、外国語映画賞の扱いになってしまった。
しかし、問題を抱えた移民の家族を、アーカンソーの雄大な草原を吹き抜ける風と、聖なる水が見守っているというこの映画の持つ情緒は、まごうことなきアメリカンインディーズ映画だ。
今回は、アメリカに入植したアジア人の移民の話なので、サントリーが考案したカクテル 「グリーン・フィールズ」をチョイス。
グリーンティー・リキュール30ml、ウォッカ15ml、牛乳15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
もともとは、1960年に発売したヘルメス・グリーンティーを普及させるために作られたカクテル で、同年にヒットしたブラザース・フォアの同名曲から名付けられた。
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