FC2ブログ
酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係な物や当方が不適切と判断したTB・コメントも削除いたします。
■TITLE INDEX
タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント
noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
■ FILMARKSアカウント
noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。
ショートレビュー「パーム・スプリングス・・・・・評価額1650円」
2021年04月13日 (火) | 編集 |
永遠のバケーションは、幸せ?

妹の結婚式のため、ロサンゼルス近郊のリゾート「パーム・スプリングス」に滞在中のクリスティン・ミリオティ演じるサラが、式のスピーチを肩代わりした出席者のナイルズと共に、砂漠に出現した不思議な洞窟に入った結果、結婚式の1日を延々と繰り返す時間ループに閉じ込められる。
しかもアダム・サムバーグ演じるナイルズは、前の仕事を思い出せないくらいずっと前から、ループにいると告白。
閉じ込められた理由は不明で、一度洞窟に入ると、もう逃れられない。
パーム・スプリングスからどんなに離れても無駄。
たとえ死んでも、必ず結婚式の朝に戻ってしまう。

古今東西、時間ループものSFは数多いが、本作は切り口がユニークだ。
多くの場合、主人公はループ内で困難な状況に置かれている。
例えば「オール・ユー・ニード・イズ・キル」では、宇宙人との戦争の真っ最中で、ちょっとでも油断すると戦死してしまう。
「ハッピー・デス・デイ」では、主人公は謎の殺人鬼に殺される毎日を繰り返す。
ループから脱出しようとする主人公は、同じことを繰り返す中で学習し、だんだんと状況に適応できるようになって、”反撃”を開始するのがお約束。

ところがこの作品の場合、ループが作られているのは平和なリゾートの1日なので、特に何も起こらない。
ただ一点、ナイルズがサラの前にループに誘ったロイという老人に逆恨みされ、何度も殺されそうになるのだが、死んでもリセットされるから嫌がらせにしかならない程度。
ロイは普段100マイルほど離れたパサデナに住んでいて、たまに気が向いた時に復讐しにくるだけなので、結婚式の出席者の中では同じ時間を生きているのは二人だけ。
サラとナイルズは、いわば“永遠のバケーション”に閉じ込められてしまったのである。

同じ1日の繰り返しでも、ちょっとずつ変化をつけて自分の居心地のいい時間にすることは可能。
ナイルズはループから抜け出すことをとっくに諦めていて、一日ごとにデイテールを変えてこのシチュエーションを楽しんでいる。
彼をつけ狙っていたロイも、自分の子供たちと過ごす時間の方が楽しいと、パサデナから出てこなくなる。
サラも最初のうちはリゾートの毎日を楽しもうとしてみるが、結局何をやってもリセットされてしまう状況に閉塞感を感じ始める。
繰り返すだけの意味の無い人生を、ぬるま湯の楽園として甘んじて受け入れるか、それとも知恵と工夫でループから脱出することを目指すのか。
人生うまくいかない時は、前に進んでいるつもりでも、実は同じところをぐるぐる巡っている場合がある。
これはそんな状況を、SF設定に落とし込んだ生き方に関する寓話なのだ。

諦めの早い男たちに対して、サラにはこのループが心地よくない理由がある。
妹が晴れの日を迎えた反面、サラは結婚に失敗し、自分を家族の問題児だと思っている。
そしてそんな鬱屈とした心からか、ある背徳的な行為をやらかしてしまい、毎朝目覚めるごとに自責の念に苛まれる。
彼女にとって、ループは罰であり、脱出することでしか救われないのである。
これは、ぬるま湯のループにつかり、人生の意味を失ってしまう男と、罪のループに閉じ込められてしまったやらかし女の、それぞれの成長物語にもなっているのだ。
展開は先を読ませず、主人公二人の掛け合いはウィットに富む。
お金はかかってなさそうだが、後味は爽やか。
時間ループもののお手本のような、SFロマンチックコメディの秀作だ。

本作は、結婚式が舞台で、砂漠の中の青いプールが印象的。
ということで、今回はフランスの青いスパークリングワイン「ラ・ヴァーグ・ブルー」をチョイス。
青は聖母マリアのシンボルカラーで、結婚式のパーティでよく供される。
ソーヴィニヨン・ブランがベースで、やや辛口。
アペリティフとしてももちろん、料理に合わせてもいい。
何よりも透明感のある美しいブルーは、見るだけでリゾート気分にさせてくれる。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね





スポンサーサイト




ショートレビュー「砕け散るところを見せてあげる・・・・・評価額1650円」
2021年04月08日 (木) | 編集 |
ヒーローは決して負けない。

竹宮ゆゆこの同名小説を、SABU監督が映画化した作品。
トリッキーな作劇で、「えっ、まさか?」というところに着地するが、とても良かった。
中川大志演じる高校3年生の濱田清澄は、ひょんなことから、同級生たちから激しいいじめにあっている1年生の蔵本玻璃と知り合う。
強い正義感を持つ清澄は玻璃のことを放っておけなくなり、頑なに他人を拒んでいた玻璃も、清澄に対して徐々に心を開いてゆく。
映画の前半は、石井杏奈が演じる玻璃のキャラクターがちょっと痛々しいものの、いじめられっ子の少女を、正義漢の少年がその優しさで救ってゆくという、どこにでもありそうなの学園青春ものだ。
ところが、物語の中盤から映画はその装いを大きく変えてくる。
玻璃が心を閉ざしていたのには、実は家族にまつわる誰にも言えない秘密があったがゆえ。
予想だにしなかったその秘密に触れてしまったことで、清澄と玻璃は絶体絶命の危機に陥る。

冒頭の嵐の意味づけがよく分からなかったので、主人公たちと絡まないままの、北村匠海と原田知世の立ち位置がずっと疑問だったのだが、なるほどこれは狙い。
「UFOを撃ち落とした結果、死んだのは何人?」
終わってみると、このファーストカットの問いに全ての答えがあるので、注目してみて欲しい。
後半になって物語の全貌が見えてくると、いよいよそれまで巧妙に隠れていた“UFO”の攻撃がはじまり、清澄と玻璃はお互いを生き残らせるために、ヒーローとして究極の戦いをはじめる。
清澄少年の語る、ヒーローの三原則
ヒーローは悪の敵を身逃さない。
ヒーローは自分のためには戦わない。
ヒーローは決して負けない。
つまりヒーローとは、自分でない誰かを傷付けようとする悪を見逃さず、決して悪に負けてはならないのである。
その必死の心を、私たちは“愛”と呼ぶ。

これは”愛”と”永遠“に関する寓話で、魅力を言語化するのが非常に難しい作品だ。
愛によって生かされた者は、その愛を引継ぎ、また別の誰かに愛を注ぐことで、例え肉体が滅んだとしても精神は永遠に生き続ける。
SABU監督と言えば疾走する映画で知られるが、本作では一応清澄が走る描写はあるものの、映画そのものは決して勢いで押し流すスタイルではない。
むしろトリッキーな作劇に隠して、キャラクターの心情を丁寧に描いているのが印象に残るが、彼らの内面では愛の激流が流れている。
いかにも一本気な中川大志と、捨てられた子猫のような石橋杏奈は、それぞれ運命の恋人たちを好演。
堤真一の不気味さ、コミックリリーフ気味の松井愛莉と清原果耶の尾崎姉妹コントラスト。
そして物語の結果として、北村匠海と原田知世の決意を秘めたキャラクター。
さすが役者出身の監督らしく、俳優を生かすのが実に上手い。
普通の学園ものとは、一味も二味も違った刺激的な青春活劇だ。
しかし、私的には大好物な作品だったんだが、相当にクセが強いから、これをハッピーエンドと捉えるかどうかを含めて、お客さんを選びそうではある。

今回は、毒のある甘い青春映画なので「スウィート・ポイズン」をチョイス。
ライト・ラム30ml、ココナッツ・ラム60ml、ブルー・キュラソーを氷と共にシェイクし、冷やしたグラスに注ぎ、適量のパイナップル・ジュースで満たし、最後にカットしたパイナップルを飾る。
ゴシック小説の世界を再現していることで知られる、ニューヨークのテーマレストラン、“Jekyll and Hyde Club”の人気カクテル。
色合いは名前の通り毒々しいが、味わいは甘めでスッキリとした初恋の味。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

バカルディ ロック ココナッツ ラム 1000ml 35度 kawahc
価格:2322円(税込、送料別) (2021/4/7時点)




JUNK HEAD・・・・・評価額1700円
2021年04月05日 (月) | 編集 |
人類を救うのは”ガラクタ”!

これは凄い。
“超大作”と形容したくなるスケール感を持つ、ストップモーションアニメーションの大労作。
地球環境の悪化で、人類は地下の開発を計画し、そのための労働力として人工生命体“マリガン”を創造する。
しかし、自我に目覚めたマリガンが反乱を起こし、地下の世界を乗っ取られてしまう。
そして地球が地上に暮らす人類と、地下に暮らすマリガンの世界に別れてから1600年が経った未来。
人間は生身の肉体を捨て、”意識の器”とすることで永遠の命を得るが、生殖能力を失い絶滅の危機に瀕している。
そこで嘗て自らが創造した、マリガンの生殖能力を研究しようと、一人の調査員を未知なる地下への冒険に送り込む。
一つの世界を、ここまで徹底的に作り込んだ作品は久々に観た。
これがデビュー作となる堀貴秀監督が、7年をかけてゼロから全てを作り上げた、驚くべき没入感を持つ傑作である。

地球が人類の住む地上と、マリガンの住む地下に別れ、往来が途切れてから1600年後。
人類は遺伝子操作の結果その頭部だけを保存し、機械の体を得ることで永遠の生命を持ったが、代償として生物としての生殖能力を失った。
ところがある時、謎のウィルスが蔓延し、人口の30%が失われる
崖っぷちに追い込まれた人類は、地下世界で大量繁殖し独自に進化していたマリガンの生殖能力を調べるために、地下調査員を募集。
ダンス講師のパートンは、生徒が激減してしまったために、講師を廃業して調査員に応募。
宇宙服のような厳重なボディを纏って、地下世界への降下を始める。
ところが、そんなパートンの乗ったカプセルは、マリガンのハンターに目撃され、正体不明の物体としてミサイルで撃破されてしまう。
バラバラになり、命を落としそうになったパートンの頭部は、別のハンターの三バカ兄弟たちが発見し、ルーチー博士の工房に持ち込まれる。
不格好なサイボーグのボディを与えられ、蘇ったパートンは自分が何をしに地下へ来たのか、記憶を失ってしまっていた・・・・


主人公のパートンが、冒険とは全く関係ないダンス講師という設定が面白い。
しかし地下への降下中、「なんか落ちてきたから、とりあえず撃っとけ」とマリガンから攻撃され、体がバラバラになってしまう。
とは言っても、この時代の人間に残っている生身の部分は、意識の器となっている頭部だけ。
頭だけを適当な体に繋げれば再生できるので、頭を拾ったマリガンのルーチー博士によって、ダサいサイボーグの体を与えられる。
この“頭だけ”がポイントで、途中何度かぶっ壊れたり、記憶を失ったりしながら、どんどんボロくなってゆく“ガラクタの頭(JUNK HEAD)”こそが主人公なのだ。
もはや器だけとなった人類は、生きていても本当の意味では生きてない。
それは主人公も同じで、ダンス講師であるパートンは、バーチャルな意識の中で生徒と踊っているが、実際に肉体(サイボーグの体)を使って対面したことは一度もない。
無気力な人生に飽きて、地下への探検に志願した彼は、命あふれる弱肉強食のマリガンの世界で、本当の“死”に直面したことで、初めて“生”を意識するのである。

奇妙キテレツな世界観の作り込みが凄まじく、まるで自分が地下の世界を訪れた来訪者になった気分。
人類との交流が途絶えたマリガンは独自の進化を遂げているが、一応人類のことは自分たちを創造した“神さま”としてリスペクトしているようだ。
全体的な雰囲気は、シュヴァンクマイエルなどの東欧系ストップモーション作品を思わせるが、H・R・ギーガーっぽい「エイリアン」ライクなクリーチャーデザインや、監督が「初恋の人のような映画」と語る「不思議惑星キン・ザ・ザ」や「ヘルレイザー」など、作者の映画的記憶が複雑に絡み合ったカオスの世界。
何十層もの地下世界は、途中主人公が拾われる巨大バブルの村の様なスチームパンク調の階層もあれば、危険な生物が徘徊する廃墟のような階層や、何のために存在するのか分からない、やたらとだだっ広い空間もある。
次々と新しいステージが開き、未知なる生態系に驚愕する。

作中に明確な説明はないものの、どうやら地下世界の生き物は全てマリガンの亜種らしい。
人工の生物であるマリガンは、遺伝子が不安定で、様々な形に進化するという。
ある者は人形に、ある者は虫のような形になり、ある者は巨大な捕食者となる。
人形のマリガンにも頻繁に奇形が発生するが、異形の者は差別を受けているという細かな設定が、世界観を深化させている。
バブル村の筋骨隆々とした女たちと、完全に尻にひかれている男たちには、ちょっと宮崎駿的な味わいもある。
未見性の塊の様な作品で、次はどんな画を見せてくれるの?という世界観とキャラクターへの期待だけでも十分に持つ。

この大怪作を世に出し、監督・原案・キャラクターデザイン・編集・撮影・照明・音楽・絵コンテ・造形・アニメーター・効果音・VFX・声優と作品制作のほぼ全てを担当し、文字通りの生みの親である堀貴秀は、プロの映像クリエイターではなかったというのだから驚きだ。
本職は内装業で、仕事に使っている倉庫に1/6スケールのセットを組み、最初は30分の短編版を一人で作って2014年に発表。
その後出資を受けてスタッフを募集すると、長編化した本作を2017年に完成させた。
もともと絵を描いていたというから、構図感覚とか芸術的素養はもちろんあったのだろうが、全編に渡って決め込まれたビジュアルを、ネットで調べながら作ったというのだからまぎれもない天才だ。

その制作経緯のせいか、例えば近年のライカ作品でお馴染みの、3Dプリンターを使ったパペトゥーン手法の表情変化など最新の技術は導入されておらず、伝統的なザ・ストップモーション。
キャラクターデザインで特徴的なのが、サイボーグの主人公を筆頭に、キャラクターの表情、特に目の変化が読み取れないこと。
「目は口ほどに物を言う」という言葉もあるが、アニメーションキャラクターでは目の演技が果たす役割が非常に大きい。
だから例えば「攻殻機動隊」のバトーの様な目にしてしまうと、”何を考えているのか分からない”キャラクターになる。
ところが、本作ではあえて目による表現を封じたとこで、逆に登場人物の感情変化を想像させる余地が生まれているのが面白い。
キャラクターのとぼけた仕草にも味があり、クスッとした笑いがあちこちに散りばめられているのもいい。
表情は読めなくても、喜怒哀楽の全てが見えてくるのだ。
それぞれの階層に暮らすマリガンの個性も見所で、主人公を守る三バカ兄弟のユーモラスな体型を、終盤ギャップとして使ってくるのは上手い。
まさか、アイツらに泣かされるとは思ってなかったよ。

堀監督によると、本作ははじめから三部作とする構想だという。
実際、この映画は旅の目的地が明らかになり、パートンの旅の仲間(3人だけだけど)が結成されるところで終わっている。
単体作品として考えると、作劇にも難がある。
矢継ぎ早に事件が起こり、現状では主人公の変化も最小限なので、テーマ的にもまだまだ描き足りていない。
しかし、この稀有な世界観を持つ壮大なストーリーを、クオリティを維持したまま完結させることが出来たら、ストップモーション世界の「ロード・オブ・ザ・リング」ならぬ、アニメーション映画史に残る本物の神話となる可能性がある。
すでに第二部のプリプロには入っているそうだが、ぜひ三部作を完遂して欲しい。
ガラクタパートンの冒険の続きを、楽しみに待ちたい。

日本のクラフトマンシップを感じさせるこの映画には、サントリー「響 ブレンダーズチョイス」をチョイス。
近年やたらと高くなってしまったジャパニーズ・ウィスキーだが、これはまだリーズナブル。
様々な樽で熟成された幅広い酒齢の原酒を丁寧にブレンド。
上品な甘みと、柔らかなコクを楽しめる。
ウィスキーは年を重ねることで味に深みが出てくるが、果たして第二部はいつ見られるのかな。
本作の制作期間は7年だが、こればっかりはあんまり“熟成”をして欲しくはないな(笑

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね






ノマドランド・・・・・評価額1750円
2021年04月01日 (木) | 編集 |
「さようなら」は、言わない。

車に生活に必要な全てを積み込み、大陸を放浪して暮らす現代の「ノマド(遊牧民)」たち。
彼らの生き様を綴ったジェシカ・ブルーダーのノンフィクションを、「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドが、プロデュース・主演を兼ねて映画化した作品。
監督・脚本を務めたのは、2017年に発表した「ザ・ライダー」で注目を集めた、中国出身の新鋭クロエ・ジャオ。
劇映画でありながら、ドキュメンタリー的な手法を取り込んだ、独特のストーリーテリングのスタイルが新しい。
不況で家を失い、手製のキャンピングカーに荷物を詰め込んで旅に出た未亡人が、各地で一期一会を繰り返しながら、日々を懸命に生きてゆく姿を味わい深く描いている。
第77回ベネチア国際映画祭で、最高賞の金獅子賞、第78回ゴールデングローブ賞でも作品賞、監督賞を受賞し、今年の賞レースの先頭を走る話題作だ。

リーマンショックがもたらした、不況の影響が色濃く残る2011年。
住んでいた町「エンパイア」が、所有する企業によって閉鎖されたことで、ファーン(フランシス・マクドーマンド)は突然家を失う。
彼女はキャンピングカーに改造したバンに荷物を積み込み、車上生活をしながら季節労働の働き口を求めて全米を移動する、「ノマド」として生きることを決意する。
感謝祭が終わって、ホリデーシーズンが本格化すると、ネバダにあるアマゾンの物流センターへ。
年が明けると、今度はアリゾナの砂漠で開催される、ノマドたちの集会「RTR(ラバー・トランプ・ランデブー)」へ向かう。
様々な理由で車上生活を送るノマドたちと出会い、ベテランたちから車上で生きる術を学んだファーンは、また新たな働き口を求めて荒野をさすらう。
ところが、ある時バンが故障し、やむを得ずファーンはずっと会っていなかった姉に助けを求めるのだが・・・・


本作の原作者ジェシカ・ブルーダーは、ノマドの生活を取材するために、ヴァン・ヘイレン号と名付けたバンに乗り込み、自ら旅に出たという。
3年間、24000キロに及ぶ旅の記録は、ノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」となって2017年に出版される。
この本の映画化権を獲得したフランシス・マクドーマンドは、「ザ・ライダー」を観てクロエ・ジャオに監督を依頼、快諾を受ける。
ジャオの出世作となった「ザ・ライダー」は、サスダコタ州のパインリッジ・リザベーションに暮らす、オグララ・スー族のロデオのスター、ブレディ・ジャンドローをモデルとした作品。
頭にロデオライダーとしては致命的な怪我を負った青年が、復帰への希望と後遺症の絶望との間で葛藤しながら、新たな生き方を探す物語だ。
主人公をジャンドロー自身が演じている他、登場人物の多くが本人役で登場するなど、劇映画でありながら半分ドキュメンタリーのような手法が特徴で、登場人物にそっと寄り添う作家の視点が印象的。
代々馬と共に生きてきた、オグララ・スー族の精神文化が物語のバックボーンとなっていて、中西部の雄大な風景の中で展開する物語は、ビターな詩情を感じさせるものだった。

独特の手法とムードは、本作でも健在だ。
フランシス・マクドーマンド演じる主人公のファーンは、60代の女性。
彼女は長い間夫と共に、ネバダ州に実在した「エンパイア」で暮らしてきた。
この町は、建築資材大手のUSジプサムが作ったもので、隣接する石膏鉱山と工場で働く人々のための”社宅”だった。
ところが、2008年のリーマンショックの余波で建築不況が押しよせ、USジプサムはエンパイアの閉鎖を決定し、郵便番号も廃止される。
ジプサムに勤めていた夫を病で亡ったのちも、彼の愛したエンパイアに住み続けていたファーンも、立ち退きを余儀なくされる。
近隣の町から100キロも離れた陸の孤島で、生活を維持することは不可能なのだ。
リーマンショックでは、サブプライムローンを組んでいた多くの低所得層の人たちが家を失ったが、ファーンのように建築・不動産の関連産業でも、家も職も無くしてしまったという人も少なくない。

突然家を追い出された人たちの中には、「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」で描かれたように、補償金のいらないモーテルなどを、束の間の安息地として再起を図る者もいれば、残された全財産を車に積み込み、ノマドとなる者もいた。
このようなライフスタイの人はもともと存在していたが、この時期に急増したという。
そして新たなノマドの多くは、新たに家を買おうにもローンが組めない高齢者なのである。
還暦を過ぎてから路上に放り出された人々に、取り得る生活の手段は多くない。
ファーンは古いバンに手を加え、キャンピングカーに仕立て上げると、愛する夫との思い出の品と共に旅に出る。
まずは同じネバダにある、アマゾンの物流センターへ。
11月の感謝祭が終わると、ブラックフライデーとクリスマス商戦の繁忙期が始まり、大量の短期雇用の募集があるからだ。
ホリデーシーズンが終わると、アリゾナの砂漠で開かれるノマドの祭典「RTR」へ向かい、放浪生活の先輩たちから様々なことを学ぶ。
夏休みシーズンにはサウスダコタのバッドランズ国立公園のRVパークと、ウォールドラッグで働き、秋にはネブラスカで収穫期を迎えたテンサイの加工工場に職を得る。
閉鎖されたエンパイアから始まる旅は、一期一会を繰り返しながら1年をかけて中西部諸州を巡ってゆく。

このアメリカン・ニューシネマの血統を受け継ぐ、実にアメリカ的な物語を、中国出身の女性監督が作ったのが面白い。
自分を「反抗的なティーンだった」と語るジャオを、両親は英語が話せないにも関わらず、厳格な教育で知られるイギリスの寄宿舎学校へと送り、高校時代にアメリカへと移る。
十代で故郷を遠く離れ、アメリカで映画の旅を続けるジャオにとって、反骨精神にあふれるファーンはもう一人の自分であり、共感できる主人公なのだろう。
多くのキャストが俳優ではなく、実際のノマド。
前作と同様の半ドキュメンタリースタイルがもたらすのは、圧倒的なリアリティだ。
この映画に登場する人々は、普通の映画のような作劇上の明確な“役割”を持たない。
マクドーマンドが演じる極めて繊細で複雑な葛藤を秘めたファーンという軸は存在するが、誰もが自然に彼女の人生と出会い、別れてゆく。
中には何のために出てきたのか分からない人もいるが、現実の人生もそんなものだろう。
その出会いが意味あるものかどうかなんて、その時には分からない。
ロケ地はどこも荒涼とした風景だが、同時に荘厳で息を呑むほど美しい。
無限の地平線を意識させるゆっくりとしたパンが象徴的に使われているが、撮影監督のジョシュア・ジェームズ・リチャーズは、「ザ・ライダー」に続いて素晴らしい仕事をしている。

タフな世界で生きる人たちには、確固たる芯がある。
「おばさんはホームレスになったの?」と知人の子どもに聞かれたファーンは、「私はホームレスじゃないよ、ハウスレスよ」と答える。
「ホーム」は常に心の中にあり、モノである「ハウス」とは別物。
物語の終盤、ファーンは車の修理代を借りるために、カリフォルニアに住む姉の家を訪れ、次いで元ノマドで彼女に思いを寄せるデヴィッドの家の感謝祭に招かれる。
この二つのシークエンスで、ファーンには定住して生きる選択も示されるが、結局彼女はノマド生活を続けることを選ぶ。
彼女が閉塞していない訳ではない。
たった一人で季節労働をしながら、各地を転々とする生活は孤独だし、還暦を過ぎた身には辛い面も多いだろう。
しかし心の中に「ホーム」を持つファーンは、路上でこそ解放されているのだ。
ノマドの生活には、本当の「さようなら」がない。
出会って別れても、その人とはたぶんどこかの路上でまた会える。
だから皆「またね」が合言葉。
言い換えれば、喜びも悲しみも、希望も絶望も、大陸を網の目のように巡る道が全て記憶していて、ノマドの誰かがもうそこにいない愛する人のことを話す時、それは別の誰かの思い出となるのである。
高齢者のノマドは社会問題であり、アメリカのネガティブな側面だという意見もある。
だが、知らない誰かとでも、通じ合い思いやることができるというこの映画は、コロナ禍で未来が見えず、誰もが不安を抱える2021年にあって、むしろ人と人とのシンプルな関係の美しさを思い出させてくれる。
厳しくも純粋な、人生の旅路の物語だ。

今回は、どんなアメリカの僻地でも売っている、「バドワイザー」をチョイス。
1876年に発売されてから、実に140年の歴史を誇るアメリカン・ビールの代表格。
水みたいに薄いのだけど、カラカラに乾燥し切った砂漠地帯で飲むと、まさに命の水のように美味しく感じる。
馬鹿でかいピッチャーで売ってる店も多いが、バドワイザーは余裕で飲めてしまうのだ。
酒というより水分補給(笑

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね