2021年06月02日 (水) | 編集 |
絶対に、諦めない。
悪名高い北朝鮮の政治犯強制収容所の実態を、3DCGアニメーションで描く大労作。
物語の軸となるのは、50年代から80年代まで続いた帰還事業によって北朝鮮へ戻った元在日朝鮮人の家族だが、多くの脱北者からの聞き取り調査した内容をもとに構成された、観応えたっぷりのドキュメンタリーアニメーションだ。
在日一世の父と三世の母のもと、横浜に生まれ育ち、ドキュメンタリー映画「happy - しあわせを探すあなたへ」のプロデュースの他、出版や教育など多方面で活躍する清水ハン栄治が、監督・脚本・製作を兼務し、見事なデビューを飾った。
それまでの平穏な生活が突然終わり、自分が何の罪を犯したのかも分からないまま強制収容所へと送られ、生殺与奪の権を奪われる。
明日をも知れぬ極限状態の中で、変わってゆくもの、変わらないもの。
これは今も強制収容所の中で苦しんでいる、実在する人々の物語。
あえて英語劇として作られているのも、世界に彼らの声を届けるため。
もちろん堅苦しい映画ではなく、事実に裏打ちされたストーリーは非常にスリリングかつ面白く、グイグイ引き込まれる。
今、観るべき傑作である。
北朝鮮帰還事業で、日本から帰国したパク一家は、長く平壌で幸せに暮らしてきた。
ところがある時、父が突然失踪し一家は当局によって家宅捜索を受け、母のユリと幼いヨハン(ジョエル・サットン)とミヒの兄妹はトラックで何処かへと連行される。
着いた先は、冷酷なハン所長と看守達が支配する政治犯強制収容所。
自分たちの罪状も知らされぬまま、過酷な強制労働の日々が始まる。
ある日、心優しいユリは、看守にレイプされ妊娠した母を理不尽に処刑され、孤児となったインス(マイケル・ササキ)を一家に迎え入れる。
絶望的な状況の中、育ってゆく三人の子供たち。
成長したヨハンは、生き抜くために囚人たちの中でも、特別な監視任務を与えられたグループに入り、人の心を失ってゆく。
そして彼の行動が思わぬ事態に繋がり、ユリが亡くなる。
ヨハンは絶望に打ちひしがれるが、今度は妹のミヒにも予期せぬ危機が迫り、追い詰められたヨハンとインスは、ある決断をするのだが・・・
日本から北朝鮮に帰還した元在日朝鮮人の一家が、善意から他の帰国者を助けようとして、反逆罪の嫌疑をかけられ、死の強制収容所へ送られる。
清水監督がこの映画を企画したのは、10年以上前だという。
自らの民族的なルーツである朝鮮半島の北側で、一体何が起こっているのか。
この映画自体はフィクションだが、実際に北の政治犯強制収容所にいた四人を含む、三十人もの脱北者に取材し、彼らの証言を元にストーリーが制作されている。
私は本作を二度鑑賞したが、初めて観た時は今時珍しいポリポリした90年代風のCG表現に驚いた。
だがこれは、目を覆うような強制収容所の凄惨な実態を、リアルに描写し過ぎないための工夫。
世界の不可視の場所、もしくはもう破壊されてしまった場所で起こったことを、カリカチュアされたアニメーションで描く試みは、例えばポルポト時代のカンボジアの強制収容所を描いた「FUNAN フナン」や、1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻を描いた「戦場でワルツを」などがあるが、時として生身の人間よりも雄弁に語れることがある。
過去ではなく現在進行形のモチーフを描く本作も、アニメーションだからこそ、より幅広い観客に普遍的に受け取られることを狙ったものだろう。
外の人間が誰も見たことのない、北朝鮮の政治犯強制収容所というモチーフにリアリティを持たせるため、本作はいろいろな工夫をしている。
物語は、実在する世界的に有名な非営利団体による講演会、TEDの会場からはじまる。
一人のアジア人男性が登壇し、今は脱北して自由となった彼の一家に、過去十数年の間に起こった事実として、本作の物語を語りはじめるのである。
物語の視点となるのが、パク家の長男であるヨハンだ。
幼くして強制収容所に送られ、過酷な労働に駆り出されてきたヨハンは、絶望が支配する世界の中で善悪の間を揺れ動く。
一つの街ほどの規模がある強制収容所には、ナチスの絶滅収容所のゾンダーコマンドのように、囚人たちの中でも特別な地位を与えられた集団がいる。
彼らは看守の手足となって他の囚人を監視、統率することで、食糧や労働などで一定の便宜を図ってもらえるのだ。
ヨハンは母と妹を楽させるために、彼らの仲間となるのだが、やがて因果応報がもたらす負のスパイラルに巻き込まれ、より大きなものを失ってしまう。
一言で政治犯といっても、その背景は様々。
パク一家のように、かつての帰還事業で日本から帰国し、当局に目をつけられた元在日朝鮮人もいれば、日本から誘拐されてきて用済みとなった拉致被害者も。
信教の自由のない北朝鮮では、信心すらも弾圧の対象だ。
本作でもこっそりと十字を切っただけで、拷問が繰り返され、二度と戻って来られないと、強制収容所の中でも恐れられている「完全統制区域」に送られてしまう老婆が出てくる。
密告が奨励され、家族の誰かが罪に問われれば、連座制によって一家が丸ごと強制収容所送りになることも珍しくないので、主人公一家のようにそもそも自分が何の罪に問われているのか知らない囚人もいる。
要するに、あらゆる自由が否定される北朝鮮の体制から、ほんの少しでもはみ出した者は、誰でも政治犯として迫害される可能性があるのだ。
映画は、様々な理由で囚われた人々を主人公一家の周りに配し、金氏王朝体制のデタラメな理不尽さを強調する。
多くの人物が登場するが、囚人側だけでなく体制側のキャラクターの描き方も面白い。
これも脱北者の証言によるものだそうだが、看守たちは基本的に朝鮮人民軍の所属の若い軍人で、強制収容所に配属されて初めてその実態を知り、衝撃を受ける者が殆どだという。
着任した時は皆ごく普通の人間。
だが、暴力による支配が日常となると、だんだんと悪辣になって囚人たちを虐待する者と、罪悪感に苛まれ葛藤する者に分かれてゆくのだそうだ。
本作の登場人物でいえば、囚人たちに対し一切の慈悲の心を見せないハン所長は前者で、当初はミヒに恋心を抱いていた看守のリーは、結局間違いを犯したとはいえ元は後者だったのだろう。
人間が人間として扱われない、強制収容所という異常な環境は、囚人だけでなく、体制側の人間の心をも壊してしまうのである。
実際に十二万人もいるとされる、北朝鮮の政治犯。
これは、極めて普遍性のある人間の物語で、今この瞬間も強制収容所の中で現実に苦しんでいる人たちがいる。
清水監督が語っていたことで非常に印象的だったのが、本作の歴史的な意味について。
いつか北朝鮮が世界に開かれる時、かつてナチスの絶命収容所で敗戦間際に虐殺が起こったように、“証拠隠滅”して強制収容所を無かったことにさせないための、抑止力としての映画だという。
サラッと語っていたが、この言葉は重い。
こんな発想で作られた作品は、過去になかったと思う。
本作を劇場に観に行く方は、是非ポスターにも目を止めて欲しい。
両サイドを壁に囲まれた空間に立つヨハンが、太陽を見つめている後ろ姿を描いた物だが、横にすると北朝鮮国旗が浮かび上がるという、なかなか凝ったデザイン。
しかも本来の国旗では「共産主義に向かう未来」を表すとされる赤い星が、本作では希望の象徴として描かれている鳥に置き換わっている。
本当に、本作が囚われている十二万人にとって希望の鳥になればいいと思う。
少なくとも、この映画を観た人たちはもう無関心ではいられない。
決して大きな映画ではないが、世界の多くの人に観てもらいたい作品だ。
北朝鮮も焼酎文化圏で旨い酒もあると聞くが、そもそも手に入らないし、入ったとしても金王朝を儲けさせたくないので、今回は「グリーンピース」をチョイス。
この場合は、“豆”ではなくて“平和”の方。
メロン・リキュール(ミドリ)30ml、ブルー・キュラソー20ml、パイナップル・ジュース15ml、レモン・ジュース1tsp、生クリーム15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
美しい緑色のカクテルで、フルーティー&スィートな素材を生クリームがまとめあげる。
レモンとパイナップルの酸味が、いい感じに余韻として残る。
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悪名高い北朝鮮の政治犯強制収容所の実態を、3DCGアニメーションで描く大労作。
物語の軸となるのは、50年代から80年代まで続いた帰還事業によって北朝鮮へ戻った元在日朝鮮人の家族だが、多くの脱北者からの聞き取り調査した内容をもとに構成された、観応えたっぷりのドキュメンタリーアニメーションだ。
在日一世の父と三世の母のもと、横浜に生まれ育ち、ドキュメンタリー映画「happy - しあわせを探すあなたへ」のプロデュースの他、出版や教育など多方面で活躍する清水ハン栄治が、監督・脚本・製作を兼務し、見事なデビューを飾った。
それまでの平穏な生活が突然終わり、自分が何の罪を犯したのかも分からないまま強制収容所へと送られ、生殺与奪の権を奪われる。
明日をも知れぬ極限状態の中で、変わってゆくもの、変わらないもの。
これは今も強制収容所の中で苦しんでいる、実在する人々の物語。
あえて英語劇として作られているのも、世界に彼らの声を届けるため。
もちろん堅苦しい映画ではなく、事実に裏打ちされたストーリーは非常にスリリングかつ面白く、グイグイ引き込まれる。
今、観るべき傑作である。
北朝鮮帰還事業で、日本から帰国したパク一家は、長く平壌で幸せに暮らしてきた。
ところがある時、父が突然失踪し一家は当局によって家宅捜索を受け、母のユリと幼いヨハン(ジョエル・サットン)とミヒの兄妹はトラックで何処かへと連行される。
着いた先は、冷酷なハン所長と看守達が支配する政治犯強制収容所。
自分たちの罪状も知らされぬまま、過酷な強制労働の日々が始まる。
ある日、心優しいユリは、看守にレイプされ妊娠した母を理不尽に処刑され、孤児となったインス(マイケル・ササキ)を一家に迎え入れる。
絶望的な状況の中、育ってゆく三人の子供たち。
成長したヨハンは、生き抜くために囚人たちの中でも、特別な監視任務を与えられたグループに入り、人の心を失ってゆく。
そして彼の行動が思わぬ事態に繋がり、ユリが亡くなる。
ヨハンは絶望に打ちひしがれるが、今度は妹のミヒにも予期せぬ危機が迫り、追い詰められたヨハンとインスは、ある決断をするのだが・・・
日本から北朝鮮に帰還した元在日朝鮮人の一家が、善意から他の帰国者を助けようとして、反逆罪の嫌疑をかけられ、死の強制収容所へ送られる。
清水監督がこの映画を企画したのは、10年以上前だという。
自らの民族的なルーツである朝鮮半島の北側で、一体何が起こっているのか。
この映画自体はフィクションだが、実際に北の政治犯強制収容所にいた四人を含む、三十人もの脱北者に取材し、彼らの証言を元にストーリーが制作されている。
私は本作を二度鑑賞したが、初めて観た時は今時珍しいポリポリした90年代風のCG表現に驚いた。
だがこれは、目を覆うような強制収容所の凄惨な実態を、リアルに描写し過ぎないための工夫。
世界の不可視の場所、もしくはもう破壊されてしまった場所で起こったことを、カリカチュアされたアニメーションで描く試みは、例えばポルポト時代のカンボジアの強制収容所を描いた「FUNAN フナン」や、1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻を描いた「戦場でワルツを」などがあるが、時として生身の人間よりも雄弁に語れることがある。
過去ではなく現在進行形のモチーフを描く本作も、アニメーションだからこそ、より幅広い観客に普遍的に受け取られることを狙ったものだろう。
外の人間が誰も見たことのない、北朝鮮の政治犯強制収容所というモチーフにリアリティを持たせるため、本作はいろいろな工夫をしている。
物語は、実在する世界的に有名な非営利団体による講演会、TEDの会場からはじまる。
一人のアジア人男性が登壇し、今は脱北して自由となった彼の一家に、過去十数年の間に起こった事実として、本作の物語を語りはじめるのである。
物語の視点となるのが、パク家の長男であるヨハンだ。
幼くして強制収容所に送られ、過酷な労働に駆り出されてきたヨハンは、絶望が支配する世界の中で善悪の間を揺れ動く。
一つの街ほどの規模がある強制収容所には、ナチスの絶滅収容所のゾンダーコマンドのように、囚人たちの中でも特別な地位を与えられた集団がいる。
彼らは看守の手足となって他の囚人を監視、統率することで、食糧や労働などで一定の便宜を図ってもらえるのだ。
ヨハンは母と妹を楽させるために、彼らの仲間となるのだが、やがて因果応報がもたらす負のスパイラルに巻き込まれ、より大きなものを失ってしまう。
一言で政治犯といっても、その背景は様々。
パク一家のように、かつての帰還事業で日本から帰国し、当局に目をつけられた元在日朝鮮人もいれば、日本から誘拐されてきて用済みとなった拉致被害者も。
信教の自由のない北朝鮮では、信心すらも弾圧の対象だ。
本作でもこっそりと十字を切っただけで、拷問が繰り返され、二度と戻って来られないと、強制収容所の中でも恐れられている「完全統制区域」に送られてしまう老婆が出てくる。
密告が奨励され、家族の誰かが罪に問われれば、連座制によって一家が丸ごと強制収容所送りになることも珍しくないので、主人公一家のようにそもそも自分が何の罪に問われているのか知らない囚人もいる。
要するに、あらゆる自由が否定される北朝鮮の体制から、ほんの少しでもはみ出した者は、誰でも政治犯として迫害される可能性があるのだ。
映画は、様々な理由で囚われた人々を主人公一家の周りに配し、金氏王朝体制のデタラメな理不尽さを強調する。
多くの人物が登場するが、囚人側だけでなく体制側のキャラクターの描き方も面白い。
これも脱北者の証言によるものだそうだが、看守たちは基本的に朝鮮人民軍の所属の若い軍人で、強制収容所に配属されて初めてその実態を知り、衝撃を受ける者が殆どだという。
着任した時は皆ごく普通の人間。
だが、暴力による支配が日常となると、だんだんと悪辣になって囚人たちを虐待する者と、罪悪感に苛まれ葛藤する者に分かれてゆくのだそうだ。
本作の登場人物でいえば、囚人たちに対し一切の慈悲の心を見せないハン所長は前者で、当初はミヒに恋心を抱いていた看守のリーは、結局間違いを犯したとはいえ元は後者だったのだろう。
人間が人間として扱われない、強制収容所という異常な環境は、囚人だけでなく、体制側の人間の心をも壊してしまうのである。
実際に十二万人もいるとされる、北朝鮮の政治犯。
これは、極めて普遍性のある人間の物語で、今この瞬間も強制収容所の中で現実に苦しんでいる人たちがいる。
清水監督が語っていたことで非常に印象的だったのが、本作の歴史的な意味について。
いつか北朝鮮が世界に開かれる時、かつてナチスの絶命収容所で敗戦間際に虐殺が起こったように、“証拠隠滅”して強制収容所を無かったことにさせないための、抑止力としての映画だという。
サラッと語っていたが、この言葉は重い。
こんな発想で作られた作品は、過去になかったと思う。
本作を劇場に観に行く方は、是非ポスターにも目を止めて欲しい。
両サイドを壁に囲まれた空間に立つヨハンが、太陽を見つめている後ろ姿を描いた物だが、横にすると北朝鮮国旗が浮かび上がるという、なかなか凝ったデザイン。
しかも本来の国旗では「共産主義に向かう未来」を表すとされる赤い星が、本作では希望の象徴として描かれている鳥に置き換わっている。
本当に、本作が囚われている十二万人にとって希望の鳥になればいいと思う。
少なくとも、この映画を観た人たちはもう無関心ではいられない。
決して大きな映画ではないが、世界の多くの人に観てもらいたい作品だ。
北朝鮮も焼酎文化圏で旨い酒もあると聞くが、そもそも手に入らないし、入ったとしても金王朝を儲けさせたくないので、今回は「グリーンピース」をチョイス。
この場合は、“豆”ではなくて“平和”の方。
メロン・リキュール(ミドリ)30ml、ブルー・キュラソー20ml、パイナップル・ジュース15ml、レモン・ジュース1tsp、生クリーム15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
美しい緑色のカクテルで、フルーティー&スィートな素材を生クリームがまとめあげる。
レモンとパイナップルの酸味が、いい感じに余韻として残る。

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