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2021年11月18日 (木) | 編集 |
彼の心に住んでいるのは、誰?
カンヌ国際映画祭の最高賞、パルム・ドールを受賞した「ピアノ・レッスン」などで知られる名匠ジェーン・カンピオン、12年ぶりの新作は、さすがの仕上がりだ。
20世紀前半のモンタナ州を舞台に、傲慢な牧場主と彼の周りの人々の関係を描いた、重厚な人間ドラマ。
屋敷で同居を始めた弟の妻に対して、冷酷な仕打ちを繰り返す、彼の閉ざされた心に宿っている情念の炎の正体は何か?
牧場主のフィル・バーバンクに、「モーリタニアン 黒塗りの記録」のベネディクト・カンバーバッチ。
彼に目の敵にされる弟の妻ローズを、キルスティン・ダンスト、彼女の連れ子のピーターを、コディ・スミット=マクフィーが演じる。
トーマス・サヴェージが、1967年に発表した同名原作をカンピオンが脚色し、第78回ベネツィア国際映画祭で、監督賞に当たる銀獅子賞を受賞した話題作だ。
1925年。
モンタナ州の牧場主であるフィル・バーバンク(ベネディクト・カンバーバッチ)と弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)は、放牧の旅の途中、旅館の女将を務める未亡人、ローズ・ゴードン(キルスティン・ダンスト)と出会う。
穏やかな性格のジョージは、優しいローズに惹かれてゆき、すぐに二人は結婚。
ローズの一人息子ピーター(コディ・スミット=マクフィー)は、大学で医学を学ぶために家を出て、ローズはジョージとフィルの住む牧場の屋敷へと引っ越して来る。
しかしローズが金目当てで弟と結婚したと思っているフィルは、彼女のことを決して認めず、冷たく突き放す。
度重なる嫌がらせにストレスを募らせたローズは、アルコールに溺れるようになり、そのことがフィルを余計に苛立たせる。
夏になり、ピーターが帰省する頃には、ローズの健康状態は悪化していた。
そんなある日、林の奥にあるフィルの憩いの場所に、偶然入り込んだピーターは、フィルの心に隠された、ある秘密を知ってしまう・・・・
ベネディクト・カンバーバッチが繊細に演じるフィル・バーバンクは、ミソジニーの塊の様なマッチョイズムの信奉者として描かれる。
フィルは、放牧の途中でローズが経営する旅館で食事をするのだが、その時にテーブルに飾られていたペーパークラフトの花を作ったのがピーターだと知ると、途端に見下した態度をとる。
大人の男は、そんな女々しいものを作るべきでないという理屈だ。
ローズがジョージと結婚し、屋敷に同居するようになると、フィルの態度は余計に頑なになる。
彼女が来客を楽しませるためにピアノの練習をしていると、同じタイミングでバンジョーを弾き、リズムをわざと崩す。
練習が満足に出来なかったので、知事夫妻を招いたディナーの席で、ピアノを弾けないという屈辱をローズに与える。
それでいて、彼女がストレスからアルコールに走ると、今度はそれも気に入らない。
どうもこの男にとって、ローズが屋敷にいること自体が我慢ならない様なのだ。
なぜそれほどに、フィルは彼女を嫌うのか。
物語の後半になって、大学で医学を学んでいたピーターが帰って来ると、フィルの心の中の鬱屈した闇の正体が、ピーターを触媒として徐々に浮かび上がって来くる。
フィルが何かにつけて口にするのが、ブロンコ・ヘンリーという男の思い出だ。
兄弟が牧場の仕事を始めた20世紀初頭、二人に全てのノウハウを教えてくれた人物で、フィルにとってはカウボーイの理想像。
しかし、それだけでは無いのである。
牧場に近い林の奥に、フィルは秘密の場所を持っている。
偶然にもその場所に入り込んでしまったピーターは、マッチョな肉体を誇示するブロンコの裸の写真を見つけ、“B.H”のイニシャルの入ったハンカチの匂いを嗅ぎながら、自慰するフィルの姿を見てしまう。
女性を遠ざけ、マッチョイズムを誇示するフィルの態度の裏側には、誰にも明かせず、どこにも持って行きようのない、“タブー”という名の暗い情念の炎が燻っていたのだ。
ピーターの視線に気付いたフィルは、彼を追い返すが、このことがあってから、二人の関係が変わってくる。
急にピーターに親切になり、馬の乗り方を教え、彼のために投げ縄用の縄を作り出す。
共に出かけ、他人には話さない様な、父親の自殺の話もする。
フィルとピーターの年齢差が、ブロンコとフィルが出会った頃の年齢を、逆転させた関係なのがポイント。
おそらくフィルは、ピーターの中にブロンコに憧れるかつての自分を見ていたのだろう。
しかし、自分を忌み嫌うフィルが、ピーターに過度に接近することは、ローズにとっては不安でしかない。
繊細な息子の人格を変えられてしまうのではないかと恐れ、ますます精神のバランスを崩した彼女とフィルの関係は、ある事件によって決定的に悪化する。
そしてピーターは、決意を固める。
大学で学んだ知識を生かし、それまでに入念に準備を進めていたことを実行するのだ。
物語が進行する1920年代は、大恐慌の直前で、人類の歴史を変えた二つの世界大戦の戦間期。
アメリカでは女性参政権が憲法に明記され、血と鉄と銃が作った開拓時代は過去となり、多くの伝統的な思想が時代遅れとなっていった時代だ。
平原に生きるカウボーイの生活も大きな変化に晒されていて、本作でも馬と馬車に変わる自動車が象徴的に使われている。
そんな過渡期の時代に、フィルは心の奥底にある秘めたる愛によって、ブロンコが体現していた旧時代の価値観に雁字搦めにされているのだ。
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」という、本作のタイトルがキーである。
これは、旧約聖書の詩篇22章20節「私を魂の剣から、私の命を犬の力から救い出してください」からの引用。
ここで言う「犬の力」とは、人間を苦しめる悪の力の象徴と定義される。
ピーターは、心の闇の原点である「犬の力」にずっと囚われている、哀れな存在であるフィルを「救済」することを決めるのである。
ブロンコへの秘密の感情を知られた後、フィルはピーターとの関係に救いを見出していたのかもしれない。
だが、一方のピーターは全然違うことを考えている。
なぜならフィルの内面や過去など、彼にとっては「知ったことじゃない」からだ。
ウサギへの扱いなどを見ても、ピーターには多少サイコパス的な傾向が見られるのも、フィルに興味は持っても共感性は見せない理由かもしれない。
はたしてピーターが導き出した結末は、聖書の言葉通りの「救済」なのか、それとも母を虐げた男に対する、息子による「懲罰」なのか。
この物語はたぶんに偶然の要素によって進行してゆくのだが、ピーターがいつ決意したのかによって、解釈がかなり変わって来る。
私は、フィルがローズのことを、ピーターにとっての「障害物」だと話した時だと思った。
まことに恐ろしきは、見えない人の心なり。
本作は、Netflixで12月1日から配信されることが決まっているが、撮影監督のアリ・ウェグナーによる2.39 : 1のアスペクト比を持つ美しい映像は、明らかに大スクリーンを意識したもの。
ニュージーランドのむせ返る様な緑が印象的だった「ピアノ・レッスン」に対し、こちらはモンタナの荒涼とした茶色の大地がもう一つの主役と言っていい。
ゆったりとしたテンポで展開する重厚な文芸大作は、テレビモニターではなく、是非劇場の暗闇で味わっていただきたい。
カクテルには花言葉の様なカクテル言葉があるのだが、今回は「私を覚えていて」を意味する「バイオレット・フィズ」をチョイス。
クレーム・ド・バイオレット(パルフェ・タムール)45ml、レモン・ジュース20ml、砂糖1tspをシェイクし、氷を入れたグラスに注ぎ、最後にソーダを満たして完成。
レモンの酸味が効いた、パープルの美しいカクテルだ。
フィルはブロンコのことをずっと覚えていた訳だが、フィルのことは誰の心に残るのだろう。

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